288.岩手に行ってきました

名前:市議会議員 山川知一郎    日付:6月11日(土) 22時13分

 5日〜8日、支援物資を車に積んで、岩手県へ行ってきました。
 釜石港に打ち上げられた大型貨物船、1階の壁やドアがすべて流されてしまった釜石市民文化会館、街中に残る瓦礫や自動車、大槌町や陸前高田市は役場も病院も流され、海岸まで何もなく、ところどころにポツンと残る鉄筋の建物・・・どこかで見たような・・・写真で見た原爆投下直後の広島そのものでした。いったいどうして再生すればよいのか、ただただ呆然とするばかりでした。(10日の福井新聞2〜3面をご覧ください)
 もう一つ驚いたのは、津波の来なかったところは、外見上、何の被害もなかったようで、まさに、天国と地獄です。中越地震の時も支援に行きましたが、あの時は、傾いた家やブルーシートに覆われた家がたくさんありました。しかし、今回、傾いた家やブルーシートは殆ど見られませんでした。
 被災者と言っても、おかれている状況は千差万別。家族が亡くなった人、未だに家族の行方が分からない人、避難所にいる人、仮設住宅に入った人、自宅にいる人、自宅は残ったけれど会社がなくなった人・・・おかれている状況によって、要求も千差万別。きめ細かい対応が必要です。ベニヤ板1枚で仕切られている仮設住宅にはプライバシーはありません。3軒向うの音も筒抜けで安眠できません。その上、暑く、蟻が入り込んできます。避難所にいれば、食料などが支給され、負担はありませんが、仮設に入れば支援は殆どなく、食料は自分で買わなければなりません。自宅が残っても、会社がなくなった人には、殆ど何の支援もありません。食料を買おうにも、周りに店はありません。
 まず、被災者が何とか生き抜くための支援がまだまだ必要ですし、地域再生のためには、数年にわたる支援が必要です。
 「百聞は一見にしかず」、一人でも多くのみなさんが現地に行かれることをお勧めします。そして、支援はどうあるべきか、あわら市の災害対策はどうあるべきか、ともに考えてゆきたいと思います。

 5日に、「民報あわら」(原発特集)を福井新聞に折り込みましたが、早速、まきちゃんの日記で取り上げ、アップしていただきました。ご意見などをお寄せいただければ、と思います。
 まきちゃんには、ただただ感謝、感謝です。ありがとう。
  遠野市や釜石市のあちこちに「支援ありがとう」の看板が立っています。
 
   
   瓦礫が続く釜石市内。
  釜石港に打ち上げられたままの大型貨物船。 
  漁港に造られた防潮堤も破壊された。(釜石市内) 
   釜石市の北隣の大槌町役場。地震発生直後、2回で町長を中心に対策会議をやっている時に津波に襲われ町長と職員多数が亡くなった。
   大槌町役場周辺。
   大船渡市。海岸近くの大型店も無残な姿に。
  陸前高田市。原爆投下直後の広島のよう。上の写真左上に白い2つの建物は、公営住宅と思われる。下の写真は、公営住宅。5階建ての4階まで窓などがなくなっている。