安楽寺

 北潟古謡「どっしゃどっしゃ」のいわれ 北潟古謡どっしゃどっしゃは、古くから安楽寺境内で踊られてきました。その安楽寺は養老2年(718年)に泰澄大師が開祖したと 伝えられています。
 かつて北潟は農業と漁業で生計を立てる半農半漁の村でした。その農耕や漁労などの力仕事に明け暮れる生活の中から労働欲が生まれ、手振りが付いて踊りとなり、源平合戦後の平安末期に流れ着いた平家の落人や僧侶たちの手によって、歌詞にも文芸的 な題材が詠まれたり、踊りにも優美な手振りが加えられて今の形にな ったと推定されています。

『どっしゃどっしゃ』という掛け声は「調子付け」「掛け声」であるという説もあれば、北潟に流れ着いた平家の落人と村人たちとの間に交流が生まれ、互いに同じ信仰と志を持つようになって、その「同信や、同志や」から変化したという説もあります。 いづれにしても千年以上も前から北潟の地で歌われ、踊られてき た私達のふるさとの大事な古謡です。平成6年に県の無形民族文化財に指定されています。






北潟民謡 どっしゃ どっしゃ

アアどっしゃどっしゃ

手おさかたねてどっしゃ踊れ

アア  衆かいの 北潟の衆かいの(ソラコイ) 

 オオ 柿のかたびらに (アラ縄の帯びー

    柿のかたびらに  縄の帯び)

アア  しても 縄帯びしても(ソラコイ) 

 エエ かもてもらわぬ (アラ旅の衆にー

    かもてもらわぬ  旅の衆にー)

アア  都 天王屋敷ヤ都(ソラコイ) 

 オオ 西も東も (アラ皆ござれ

    西も東も 皆ござれ)

 

アア  揃うた 若い衆が揃うた(ソラコイ) 

 エエ 二番ぞろいの(アラ麻のようにー

    二番ぞろいの 麻のように)

アア  庭で 安楽寺の庭で(ソラコイ) 

 エエ みこしかいたり(アラ踊ったリー

    みこしかいたり 踊ったリ)

アア  辻の 大門辻の(ソラコイ) 

 オオ 空の石垣ャ(アラなけりゃよいー

    空の石垣ャ なけりゃよい)

アア  ご縁じゃ 松葉のご縁じゃ(ソラコイ) 

 エエ 枯れて 落ちても(アラ二人ずれー

    枯れて 落ちても 二人ずれ)

アア  つらさ 別れのつらさ(ソラコイ) 

 エエ 逢うて別れが(アラなけりゃよいー

    逢うて別れが なけりゃよい)

 01 

アア  やらと どうしたんじゃいのやらと(ソラコイ) 

 エエ 思い出しては(アラ泣くわいのー

    思い出しては 泣くわいの)

 

アア  もくで 間垣のもくで(ソラコイ) 

 エエ 結われながらも(アラ花が咲くー

    結われながらも 花が咲く)

アア  なんじゃいの 散らばらななんじゃいの(ソラコイ) 

 エエ 豆をまいたような(アラ散らばらとー

    豆をまいたような 散らばらと)

アア  一里 千里が一理(ソラコイ) 

 エエ 逢わずもどらば(アラ又千里―

    逢わずもどらば 又千里)

アア  思うて 踊ろと思うて(ソラコイ) 

 エエ 盆のゆかたを(アラ染めおいた―

    盆のゆかたを 染めおいた)

  アア  踊り 盆には踊れ(ソラコイ) 

 エエ 盆が過ぎたら(アラ口惜しかろ―

    盆が過ぎたら 口惜しかろ)

アア  ないわいの 口惜しくはないわいの(ソラコイ) 

 エエ お地蔵祭りが(アラ早ようござる―

    お地蔵祭りが 早ようござる)