伊井の匠
伊井村落は古き昔より農耕の里だったが、時代の推移と共に大工・とび職などの土建職人衆が住む村となり名をはせたと伝えられている。信長侵攻のとき焼き打ちを逃れ、福井震災で倒壊をまぬがれた神社仏閣の棟木に、伊井大工棟梁名が記されている可能性は充分あると思う。
往古の職人衆は和国の救主とあがめられ、職人衆を育てあげられた聖徳太子を信奉した。その信奉のまことをあらわすため、寛文12年 、太子塔の造立となったのであろう。この地区の村々を訪ねると、江戸時代中期以降に造られた地蔵石堂、地蔵菩薩像、鳥居、灯籠、白山堂、観音堂など他地域には見られない石仏の匠の技が生きていることがわかる。