一字一石墳

百足森と向野との間の谷間が多滝谷である。両側の台地斜面より滝のように水がしたたれ落ちていたので多滝谷の名称がついたと思われる。旗立てより多滝谷への斜面下に長池の地下水が湧き出て直径60cm位の円形の水たまりがあり、その水があふれて二つの小川となって流れている。一つの小川は谷間を縫い加賀の永井の水田をうるおし、今一つの小川は多滝谷の水を加え、山田に水を与え北潟湖に流れこんでいた。江戸時代中期頃、吉崎道の切割り道工事の時この多滝谷を下り登る旧道は埋め立てられ平坦な道路となった。だが埋め立て道の下に水路があったため沈下し、土を入れては補修された。
多滝谷をすぎ吉崎に向けて直進すると、一字一石墳に至る。道は一字一石墳の小さな広場を左折し下り道となる。切割りされた両側は向野地籍で畑地だったが、荒れ放題になっている。