総持寺

   天安年間(860)頃、弘法大師開祖の古刹。全盛時代には、稲荷山一帯に堂塔が建ち並んでいた。室町時代文明3年より同7年、蓮如吉崎在住の折北陸布教に専念したため、檀家が減り更に戦乱の世には度々兵火にあい衰えた。本尊は薬師如来、脇仏は、不動明王と愛染明王。 秘仏は、如意観世音菩薩である。
詠歌
もろもろの 病いやす薬こそ
   総持の力 しくことはなし

・如意観音石仏堂
本堂入口に丈120cm・銘天保8年5月10日・と刻まれた、秘仏金剛如意観音を模したたてひざの坐像が木造りの堂に安置。


・芭蕉翁之塔 雨夜塚 町指摘遺跡 総持寺境内
元禄2年(1689)芭蕉が吉崎浦から汐越の松を訪れ松岡へ向かったが、北金津宿に着くとにわか雨にあい総持寺の門前で雨宿りをした。その因縁で寛延2年(1789)12月、美濃派道四世五竹坊が来訪した時、有隣庵我六が芭蕉を追慕してこの塔を建立。
雨夜塚の名称は塚の右側の刻文に芭蕉の句「野分して たらいに雨を 聞く夜哉」をこの塚の下に埋めとどめ雨夜塚と尊むべし」と記していることからきている。
坂野我六は北金津宿の油商家で俳諧をたしなみ、姫川吟社初代願泉寺東也の跡を継ぎ二代宗匠となった人物だった。現在、金津駅通りに電気店を営んでいる坂野家が子孫である。
塔の丈41cm 台座105cm 正面 芭蕉翁之塔 右側面に「芭蕉、野分してたらいに雨を聞く夜哉 とは故翁の遺吟なるが 坂野我六のぬし 風雅の 瞑慮を仰がんと此碑下に埋めとどめて 雨夜塚と尊むなるべし」と刻石。
撰分碑のうらめん曇秀禅師 建立者坂野我六 建立年は寛延二年十二月と刻されている。