畝畦千坊跡

  角川地名用語辞典によれば
(うね) ①田畑の土盛り ②小高く連なった所
白山信仰の修験者の僧房は、観音堂参道前の広場より河内林道を2kmほど入った笹平平にあったと言われ、宇根千坊と言われ今でも生活用具や仏具などが出土している。越前では、泰澄が創建したとつたえられている勝山の平泉寺三千坊、丸岡の豊原千坊と言われ、天台宗系の白山信仰の中心寺院だった。特に平泉寺は越前よりの白山登山の基地で、僧坊は宿坊でもあり越前番場と称され栄えた。ところが信長勢の越前侵攻によって平泉寺豊原寺畝観音堂は打ち壊され、戦乱がおさまってから信徒の懇志によって再建されたのであろう。 (朝倉記)

・鳥居をくぐり90数段の石段両側には、巨木が繁り所々には、三十三観音様が安置されている。
・仏像は泰澄大師作と伝えられ、前立様(十一面観音)をはじめ、龍神像、文殊菩薩、大日如来、薬師如来、不動明王、毘沙門天像が祀られている。また最近、各地で文化財や仏像の盗難が続いており、貴重な文化財を護り後世に伝えるためにも、一刻も早い対応が望まれる。
 

1 補陀洛山、畝畦寺
縁起
 あわら市宇根にある畝畦寺縁起によれば、天皇四十二代文武天皇の御代に畝畦の山中(観音川の源流)小池の面上より一老翁現れ頭上に一尺余の十一面観音を戴き、龍宮より来たと云う。老翁尊像を西の方に安置して久しく念持するも誰も気付かなかった。
 たまたま泰澄は当山に紫雲たなびき霊気あるを怪しみはるばる訪れ老翁の神人なるを知り、霊像のため一字を建立し尚当山鎮護のため自尊像を彫刻して大社を勧請された。
 爾来、霊験崇かで信者は増え隆盛を極めたが、その後発生した一向一揆の乱で寺は破却され、衰退の一途をたどり畝畦千坊の名のみ残った。
 ご本尊は秘仏とし、三十三年毎に御開扉することになった(現在は十七年)。なお尊像は雨乞の霊験あらたかで五穀豊穣、国土安穏なりと言われている



(1)泰澄の生涯
越の大徳と尊称された泰澄は、縁起によれば
682年、麻生津村三十八社で誕生(現福井市)
695年、夢の告があり、越智山に登る
702年(大宝二)、越智山に草庵を結ぶ
           臥の行者が弟子となる。文武天皇より鎮護国家法師号を賜れる。
712年(和銅五)、丸岡豊原寺を創造
716年(霊亀二)、白山平泉寺を創造
           臥の行者を伴って白山に登る。竹田吉谷寺を創造
717年(養老元)、上打波 鳩ケ湯を発見
           石川県那谷寺を創造
718年(養老二)、粟津温泉を発見。北潟安楽寺を創造。日野山を開く。
725年(神亀二)、行基白山に泰澄を尋ね、本地垂迹説について語り合う。
           (行基は山中温泉を発見)
737年(天平九)、聖武天皇より大和尚号を賜る。
758年(天平宝宇二)、大谷寺に帰る。
767年(伸護景雲一)、大谷寺にて遷化される。86才。  (高戸甚右ェ門氏記)