15年11月23日 無題
 
 昨晩、読んでいた、司馬遼太郎著「街道をゆく・十八」の284ページ
 「この湊の沖合の大型船からおろされた玉鋼(たまはがね)は、小さな川船に積みこまれ、九頭竜川をのぼり、さらに日野川をさかのぼる。武生の北の鯖江付近まで船行(ふなゆき)ができたという。
 武生の鍛冶屋はそれを買って、お得意の鎌を打つのである。
 私どもは、かって漆問屋だったという「うるしや」でそばを食べている。つい連想が漆にちなむが、江戸期に越前でさかえた漆器生産も、鎌に関係があったらしい。印牧邦雄氏の「福井県の歴史」(山川出版社刊)によると、塗師屋(ぬしや)自身が、売子をかかえて、村々や国々に売ってまわったという・・・」のくだりにさしかかった時、本日、印牧先生宅を訪問する予定なので、その偶然が面白かった。