16年05月日記

 
 西暦 16年5月30日 月曜日 五月最終日
 
 吉村昭著「熊嵐」を読み終えた。
 (ひぐま)の原野を切開こうとする人間と、その開拓村を襲う一頭の羆。どちらが闖入者だったのか?
 日本獣害史上最大の惨事は大正四年十二月に起った。冬眠の時期を逸した羆がわずか二日間に六人の男女を殺害した。
 鮮血に染まる雪、羆をひそめた闇、人骨を頬張る不気味な音・・・。
 恐怖におののく人間の愚かしくも滑稽な姿と、ただ一人沈着に羆と対決する狷介な老猟師の孤絶の姿を迫真の筆に描き出す。

 僕にとってこの実録小説は再読だったが、吉村の緻密な現場検証と聞き取りの成果がこの小説のすさまじさを感じさせる度合いは、むしろ再読の今回により一層あった。
 2016/05/29 阪神連勝

著作「日本海軍はなぜ過ったか」で半藤一利は、この本のあとがきに、こう書いている。

 バブル崩壊後の二十年余、この国がいま、どっちに向いていこうとしているのか、非常に不安なところもあるかと思います。

 しかし、未来を切りひらいていくのは若い方たちですから、自分たちで、こういう国をつくりたいという、しっかりとした国家目標を定めて、一生懸命勉強をしてください。勉強をすること以外では、若い人たちの特権はないと思う。年よりはもう、勉強はできません。勉強しても頭に残りませんから。うんと勉強をして、あらゆることを知って、これからの日本をどういうふうにつくっていこうかということを、自分で考えて、そっちの方向にしっかりと歩みを進めていただきたい。
 そういうふうに思います。日本の国は、明治の人たちがつくってきた近代日本というものを、大正・昭和戦前の人たちが選択を誤ったために、あっという間に滅ぼしてしまいました。だから、これからの選択を誤らないためには一生懸命勉強をして、あらゆることを知って、これからの日本というものを、自分たちの思っているような国家像を描きながら、正しく判断をして、それに進んでほしい、とお願いしたいと思います。日本よ、いつまでも平和で穏やかな国であれ、そう願っています。

 16年5月28日 土曜日 いいぞ 泥沼巨人

 ひとの一生は重い荷物を背負うて歩むがごとし・・徳川家康
 
 昨晩の来訪者から、「高齢者になってこんな重荷を背負うなんて、思いもしなかった」が切り出しの彼の悩みを聴いていた時、上述の家康の遺訓が頭をかすめた。
 「なるほどなあ。だけど、その重荷が生きるモチベーションになっているんじゃないか?。悩みのない人生なんて、空っぽの人生や」と、僕は答えた。
 
16年5月27日 金曜日 (うたげ)のあと    
 
 起床して、オープンカフェに座った。空が徐々に明けてゆく。けだるくて物悲しい。
 五月二十日は、尾花さんの命日。僕が金中PTA会長時代に、自衛隊でレスリング選手だった彼に「極限からの練習」というタイトルで講演をしてもらったことがある。
 家族葬ということで通夜に行けなかった僕は、今朝、墓所に詣でた。刻まれた彼の文字を見ていると、涙がこみあげてくる。
 そのあと、「カフェコトノハ」へ行き、彼の親友だったマスター・小泉くんとよもやま話。
 「もう帰る」と言って席を立とうとしたら、「次は必ずKさんと一緒に来てほしい」と、彼は言う。
 考えてみれば、僕は、ここへ何人の女性を連れてきたことだろうか。

 
6年5月26日 木曜日 無題    
 きのう、何をしていたのか、全く思い出せない。来訪客がなかったことで思い出せないのかもしれないが、ボケが進行しているのは確実だ。ボケの進行は近づきつつある死に対する恐怖を払拭させるというプラスの効果もある。
 私たちは全てを神の意思にまかせることで、自然体で生きているのだと、思う。
 それはともかく
 本日夕刻の来訪客Sさんが、本格焼酎を持ってきた。
 
 「牧田さんにとてもお似合いです。名前が「裏魔界への誘い」です。」と、言う。
 確かだ。喉越しで、裏摩界の隠微な風が吹く。 
 
16年5月25日 水曜日 無題   
 
 名前ともののばからしい隙間にさわる
 さわることの不安にさわる
 さわることの不安からくる興奮にさわる
 興奮がけっして知覚のたしかさを
 保証しない不安にさわる  大岡信「さわる」

 
16年5月24日 火曜日 無題 

本日の福井新聞より

 いろんな人から感想を聞いたが
 「朗読会が終わったとき、森林浴を終えたような気分になりました」などは、実に個性的な表現だと思った。
 
16年5月23日 月曜日  昨日の一日
637.「あわらの歴史と文化」完成 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2016/5/9(月) 11:32
 5月6日、印牧邦雄先生著「あわらの歴史と文化」が印刷製本され、先生のご厚意により、あわら市に寄贈されました。市内図書館、中学校、高校、及び関係部署、関係者に配布いたしました。

 一般の方も図書館にてご覧になれますので、お目を通していただければ幸いです。尚非売品ですので個人購入はできません。

636.古墳を訪ねて。 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2016/5/8(日) 5:46
 昨日(七日)かねての計画通り古墳探訪を実施した。天気予報では降雨の可能性もあったのだが幸い小雨ですみ、計画に支障はなかった。

 午前八時半坪江公民館に集合、参加人員九名。最初に、案内人であり、一行のリーダーでもある宇都宮氏のコースの説明があり、直ちに最初の古墳、椀貸山古墳(わんかしやまこふん)に向う。坪江地区だが地蹟上では丸岡町。工場敷地横の小丘に古墳がある。その名が示すように継体天皇の皇子(みこ)・椀子王(まろこのおう)一族縁の墳墓(ふんぼ)ではないかと考えられている。

 次に向ったのが神奈備山古墳(かんなびやまこふん)。雑木が生茂る急坂を、足下にからむ蔓(つる)を引きずるように登る。古墳に到着すると三〇センチほどの穴がある。奥は見えないが相当深い。宇都宮氏はアナグマの巣穴であろうと言う。「神奈備山古墳」の標識があるが、それがなければ此処が古墳跡とは気付かない。ちなみに神奈備山古墳はあわら市、丸岡町にまたがる。

 後山へ行く。大小くつかの古墳が尾根伝いにある。道なき道を地図を頼りに歩く。空間といえば空間、それが目印といえば目印。だが標識はもちろん、古墳跡すらないのだが、地形からおそらく此処であろうと推測する。さらに古墳を求めて歩くが、見当たらないまま行き止まりとなった。やむを得ず、沢に下りて道にでる。

 そこから東山に向う。未指定だが、古墳跡ではないかと思われる一画がある。こんもりとした小山であるが、形状としてはいかにも古墳然としている。もちろん道はなく、足場を捜しながら登る。古墳と断定はできないが、そこから見る風景は絶景である。緑の山々々に囲まれた棚田は風に田水が微かに波うち、清流の川辺には野草が咲いている。チュウサギであろうか、田んぼに佇み、辺りを見まわしている。純白の姿が美しい。

 いつの間にか正午となった。若干の心地よい疲労と空腹を感じたところで、本日の予定はこれにて終了。

 あわら市から丸岡町、さらには松岡町、永平寺町につながる、いわゆる横山古墳群の調査は福井県の古代史を解明するために欠かせない。今回はその第一歩だが、これからも調査の継続が求められる。最低限、標識の設置、道の整備がなされればと思うのだが、安易に訪れることが可能になれば、心ない人達によって古墳跡が荒らされる恐れもある。このまま眠らせるのも良いのかも知れない。

 それは別として自然を感じながら里山を歩くことは爽快である。野鳥の囀りを聞き、野辺の草花を鑑賞し、山々と田園風景を楽しむために、日を改めて剱岳散策に訪れてみよう。

 昨日は、長谷川さんと一緒の性海寺詣でから始まった。「舘高重朗読会」無事終了の印牧邦雄先生への報告のため。
 事務所に戻っていっぷくしている時、Nさん(男性・推定年齢70代後半)が現れた。昨日の朗読会に関する批評を拝聴。
 
 午後は、ねじり鉢巻きでCAD作業に没頭、夕刻に作業を終えて、ひとり寂しく焼酎を飲んでいたら、朗読会での朗読者(女性・推定年齢?)がそら豆を持って現われた。当然のことながら、僕の飲酒ピッチも上がり、10時ごろまで会談の静かな時間は流れていった。
 昨日入ってきたメールのひとつ(↓)を眺めていると、わかるひとはわかるのだと思う。
 牧田さん お疲れ様でした 大変良かったです 流石、牧田さん、女性のお客さまが多かったですね


 16年5月22日 日曜日 昨日の一日

 舘高重の詩の朗読会が昼一番で始まった。予想よりたくさんの人に来ていただいて嬉しかった。
日刊県民福井より
 三時に会が終わり、後片付けを終えてから、出演者みんなと某喫茶店へ。
 五時過ぎに散会となり、事務所へ戻った。
 朗読会の最後で、「本日の晩は、焼酎を飲みながら高重の詩を反芻したい」と挨拶したせいだろう、ひとりの男性が焼酎の大瓶を持って現れた。つづいてひとりの女性が現れた。
 焼酎を飲みながらも、楽しいような悲しいような時間が、静かに流れていった。

 
16年5月20日 金曜日 無題

 新しい物件の仕事が始まった。場所は北潟地区で、そこに消防分団詰所を建てることでの設計の仕事で、昨日は消防署員と一緒に現地を訪れた。「よし、やるぞ!」という気分になった。

 16年5月19日 木曜日 ちょっと思ったこと

 私の写真が新聞に出たことで、知らない人からの携帯電話が次々とかかってくる。はじめは嬉しかったのだけど、段々説明するのが面倒くさくなってきた。若い女性からの電話は一件もなく、高齢者女性からばかりなのである。
 私は(というか男はみんな)、身勝手だ。

 16年5月17日 火曜日 無題

 昨日は焦った。パソコンのモニターが壊れてしまったのだ。依頼されている仕事が複数物件あるのに、これでは商売あがったりである。早速、福井市内のパソコン量販店へ車を走らせた。走らせているあいだに、福井新聞の記者から何度も携帯コールが入ってくる。その度に停車しなければならない。だけど、国道8号線での道路脇停車はナカナカむつかしい。出なければいいのだけれども、出なければ相手が困るのじゃないかと思ってしまうのだ。
 焦ったというのはこのことで、携帯電話通信が主流になったのは、便利であるが嫌なものでもある。
 モニター購入後、あわら市内で記者と落ち合った。数カ月散髪屋へ行っていないのにも関わらず、肖像写真を撮らされた。「もっと笑顔にしてください」との注文が出たのだが、憂いの人生を歩む僕にそれは不可能だ。
 それはともかく、きょうの福井新聞の片隅記事にその写真が出ているので、このブログをご覧の皆さん、目を通してください。
 一週間ほど前に大枚7千円を費やして購入した老眼鏡を置いた場所がわからなくなり、昨晩は探しまくった。問題は、高級老眼鏡購入時点で百金ショップ購入眼鏡を全て捨てたので、眼鏡を探すための眼鏡がなく、裸眼で探さざるを得なかったことだきょうの正午にやっと探し出せた時は、ほっとした。

 
16年5月14日 土曜日

 お知らせ
 「舘高重を偲ぶ会」の詩朗読会の通告記事が17日福井新聞に、及びあわら市広報5月号に載ります。
 参考までに広部英一詩評をお読みください。

 ところで、僕の認知力不足はいよいよ本格的になってきたみたいだ。
 昨日、目が覚めたら、時計の針は6時半を指しており窓外はあかるい。「よし、後山の某あわら市議の家へ行こう」と、愛車ケトラに乗ってスタートした。
 なんか、様子がおかしい。走っているうちに暗くなっていく。そこで、6時半は6時半でも晩の6時半であることにやっと気が付いた。すぐにUターンして、自宅にもどった。
 
16年5月14日 土曜日 無題

 お知らせ
 「舘高重を偲ぶ会」の詩朗読会の通告記事が17日福井新聞に、及びあわら市広報5月号に載ります。
 参考までに広部英一詩評をお読みください。

 ところで、僕の認知力不足はいよいよ本格的になってきたみたいだ。
 昨日、目が覚めたら、時計の針は6時半を指しており窓外はあかるい。「よし、後山の某あわら市議の家へ行こう」と、愛車ケトラに乗ってスタートした。
 なんか、様子がおかしい。走っているうちに暗くなっていく。そこで、6時半は6時半でも晩の6時半であることにやっと気が付いた。すぐにUターンして、自宅にもどった。

 
6年5月13日 金曜日 無題

一昨日は舘高重朗読会のリハーサル

↓朗読者の二人

↓ハープ演奏者及びフルート演奏者



 6年5月11日 水曜日 昨日の一日

 午後二時から嶺北消防署本部において、分団詰所実施設計監理の入札に臨んだ。
 終了後、福井県庁二階の障害福祉課へ。グループホーム改修工事に伴う打合せだ。それが終わってから、坂井市役所の議会事務局へ行って「舘高重を偲ぶ会」の資料をわたしてきた。
 随分と長距離の運転をこなしたが、シートベルト着用と最高時速50km維持を遵守した。我ながら立派だと思う。

 夜は我が事務所であわら九条の会例会。巨人vs阪神戦のテレビ放映を見られないので、内心嫌やなあと思ったのだが、雨天中止となってよかったよかった。
 皆が帰ってから焼酎「いいちこ」を取出し、阿川弘之著「天皇さんの涙」を読み進めた。 
 心よい疲れのなかで眠りについた。

 
6年5月9日 月曜日 参院選まじか

 昨晩は、久しぶりに起きていた。我が事務所に9人が集まり、横山たつひろさんの国政に対する思いを聞いていたのである。
 福井県の連合が馬場体制から山岸体制に変わった時点で事務局長に就任。その頃に僕は民主党をやめたので、個人的に話し合った記憶は無いが、なかなかの好青年(52歳)だ。熱弁を聞いていて気持ちよかった。気持ちよかった理由はもう一つあって、いつもの定番といえばそれまでだが、若い美女二人が僕の左右に座っていたこと。
 勝山市出身の彼はかってバドミントン青年で、リオ五輪代表に確定した山口茜とも対戦ししかも勝ったと、言う。
 「ただし、彼女が三歳の時だったですけど」というオチが面白かった。
 それはともかく
 印牧邦雄著Γあわらの歴史と文化」が製本化されました。機会があったら、是非お読みください。
c
 

16年5月6日 金曜日 爽やかな寝覚め

 昨晩は全く夢もみずに、午前四時まで熟睡。寝覚めは爽やかで、耳鳴りもせず頭痛も感じず、心なしか足のマヒも軽くなったみたい。こういう日の朝は、熱々のカフェオーレが五臓六腑にしみわたる。加えて、昨日の出来事が、はっきりと思い出された。
 
 昨日の一日は、笹岡焼却場行きから始まった。
 不要となった大量鉄くずを愛車・ケトラに積んで走ったのだが(こういう時、ケトラすなわち軽トラはとても便利)、ものすごく混んでいて、40分以上待たされた。
 その(あいだ)、焼却場を囲む青い山々を眺めていたのだが、「樹海に消えていくのも、悪くはないなあ」と、思った。

 午後は某住宅改修の打合せ及び図面作製に追われた。5時が近づいたので、「もうきょうはやめや。酒や酒やひとり酒や」と、牧水が愛した「黒霧島」の栓を抜いたところへ某市議がやってきた。「議会報告会が終わったので、今晩は、料理屋で納会や」と言って去っていった。


16年5月5日 木曜日 ふらふら
 
 きょうの午前10時.ねじり鉢巻きでCADに取り組んでいる最中(さなか)、N氏(推定年齢70代後半)が、酒瓶を二本持って現われた。 

 
 「右側の酒は戸隠から取り寄せた神の酒だ。みんなが集まる時まで飲んではならない。だけど左側の若山牧水がとても好んだ酒は、今飲んでも構わない」と、言う。
 僕は、「きょうは車に乗らない・・」と思いつつ、左側酒瓶の栓をひらいた。


16年5月3日 火曜日 昨日の一日
 
 分刻みとは、昨日のような日のことを言う。午後四時が図面作製の締め切り時刻だったので、昼飯も食えなかった。四時直前にようやく終了しほっとした。

 そのあとの来訪客は三名。一番目の来訪者が好きなひと(女性)で、二番目がこんなチラシ.を持ってきた。 三番目は聴力障害者夫婦で、「文章を書いてほしい」と、言う。彼らにとってのコミュニケーション手段はあくまでも手話であって音声言語ではないのである。


16年5月2日 月曜日 ゴールデンウイーク真っ最中
 
 井沢元彦著「覇者(上中下)も中巻に入った。
 日本社会を言霊・怨霊や穢れの視点から捕えたこの人の歴史小説を読みふけっていた時期が十数年前にあったが、それ以来の再会だ。
 世は戦国期。
 桶狭間から始まり、浅井・朝倉を破り、比叡山の衆僧3千人を焼き討ちし、伊勢長島や越前府中の一向勢をことごとく焼き殺し、「天魔」と恐れられた織田信長の前に立ちふさがったのが、「迅きこと風のごとし・・・」の法体大名・武田信玄で、京を目指した信玄は、信長の同盟者・徳川家康を滅ぼさんと、上洛途中に三方が原で戦った(圧勝)あと、胃癌で急死する。
 このシーンを読んでいた僕は、急に、黒沢映画「影武者」を観たくなった。
 昨日の来訪者・N氏が「五月五日は小林一茶の誕生日や。鯉の刺身で一杯やろうか」と言う。
 淡水魚にあまり縁がなくても、たまに食べるのはわるくない

 江戸を引き払って信濃に帰り、我が家に落ち着いた一茶が、降りしきる雪をみて
 これがまあ (つい)の住み家か 雪五尺 と、詠んでいるが
 田辺聖子の「ひねくれ一茶」では
 これがまあ 死にどころかよ 雪五尺 に変わっていて、このほうが断然いい、と僕は思う。


16年5月1日 日曜日 ちょっと思ったこと

 この前から「貴方のブログは短すぎていかん。もっと長く書くべきだ」と言う人がいる。
 確かにそうだ。
 事務所にひきこもって、CAD作業以外は物語ばかり読んでいると、現実と非現実の境目がよくわからなくなってくる。夢見心地といえば聞こえはいいが、要するにぼーっとしていて、それがある程度許されるのも年金生活者の特権といえる。社会生活を営んでいた頃には、対人関係において、しっかりした緊張感を持っていたつもりだが、今はそれもない。比喩的に言えば浮き草人生だ。
 しばらくは、こういう気分が続くだろう。
 とはいうものの、今朝は、坂ノ下八幡神社境内での清掃奉仕が予定されている。鎌で傷など負わないように、気を付けて清掃に励むつもりです。