17年08月日記                                      

2017/8/31 無題 
 朝夕めっきり冷え込む季節となってまいりましたが、皆様はいかがおすごしでしょうか。
 昨日は白波押し寄せる日本海沿岸の道路をマイカー「ケトラ」でドライブし、帰り際、日本海を眺望できるレストランに入った。
 注文したラーメンは美味くなかったが、ガールフレンドと一緒だったことによる楽しさが勝る。

 夜は佼成会あわら支所にて、明社のこれからの活動の方向性についての役員会議。とりあえず、共同募金の日取りと、ひなた工房A型事業所での作業風景及び山羊さんとの御対面の日取りを決めた。

 九時に帰宅。テレビは巨人x広島での巨人勝利を報じている。巨人は嫌いだが阪神にとっての当面の敵は広島なのでほっこりした気分で麦焼酎の栓を抜いた。しばらくして阪神xヤクルトの試合は延長戦となり糸井のさよならホームランで決着したと報じている。いいのだいいのだこれでいいのだ。世の中これで平和なのだ。
 僕は右手と左手の焼酎グラスをかちあわせ一人で祝杯をあげた。
 そのあと、作製した書見台で宮尾登美子著「一絃の琴」を読み始めた。
 


2017/8/30 書見台

 書見台を作った。今まで、本は寝転がってしか読んだことがなかったが、江戸期の侍が青畳に正座し虫の音を聞きながら書見台に置いた和綴じの本をめくる姿(テレビドラマにちょくちょく出てくる)に惹かれての作成である。
 書見台での第一号は逢坂剛著「暗い国境線」。
 「無条件降伏をつきつけられたヒトラー総統の望みは、地中海沿岸に上陸する連合軍の返り討ちのみ。
 その目標はシシリー島、サルデイニア島、それともギリシアか?
 枢軸国と連合国、史上最大の欺瞞工作が始まった。」
 「「わたしは、情報員である前に人間でありたい」
 第二次世界大戦下のスペイン・マドリードで、敵同士ながらも愛し合う北都昭平とヴアージニア。
 そして二人をつけ回すゲシュタボ将校ハンセン兄弟の魔の手。北都への思いと連合国への忠誠の狭間で、身を引き裂かれるヴアージニア。・・二人はその愛を全う出来るのか・・」が帯だ。
 圧倒的に面白い本は再読するに限る。
 
2017/8/25
 講演会「北潟湖の自然と環境を考える」に是非ご来場ください。 

2017/8/24
 先日の晩、あわら市9条の会・会議で4名が来訪。次回講演が次の通りに決まりました。
 それはともかく
 昨日の昼に、美女(推定年齢38歳)を伴って喫茶・ことのはへ行ったら陶芸家の大森さんが居て「山口喜三太遺作展のチラシができたんやけどこんでいいやろか」と言う。
 僕は読み上げ始めたのだけど、脳がいかれている僕には一字一句からイメージがさまざまに浮かんできて、感想が蝶のように飛び交う。
 今後の人生において僕が戦う相手は言葉自体だと思った。

 2017/8/23 戦没者慰霊祭

一昨日の夕刻に、金津地区戦没者慰霊祭に出席した。私は遺族ではないのだが、親父がフィリピン戦線に従軍し大岡昇平、古山高麗雄などの小説中にある辛酸地獄を味わい、多くの戦友を失って国に戻ってきて、毎年この慰霊祭に出席していたのでその意思を受け継いでのものである。

 
 来賓が「日清、日露、日中、太平洋戦争で散った三百十数万の英霊に対して、深く哀悼の意を尽くします云々」との文を奏上していた。それはそれでもっともなことなのだが、例えば中国人は一千七百万人が殺されているという現実があり、英霊であれ帰還兵であれ彼らは被害者であると同時に加害者でもあった。
 盧溝橋事件を出発点とした今次の大戦で日本兵が被った地獄模様と同時に与えた地獄模様を語ることなしに、「一億総懺悔」というわけのわからない言葉で戦後社会が出発したことに、今日(こんにち)の日本社会の不幸があるのだと思う。

  2017/8/19
 昨日の午前中は、三国町に於いて印牧先生(94歳)を囲んで四人での蕎麦会。昭和初期から今日(こんにち)までの郷土史編纂を振り返っての思い出話を拝聴した。全くもって奇跡的な記憶力に今更ながら驚いた。
 明けて今朝は明社活動としてのゴミ拾い。

 2017/8/19
昨晩は島根県出雲市から朝日新聞記者(女性)がやってきて山川知一郎あわら市議事務所にて飲み会。総勢五人で、ビール、焼酎、清酒、手料理の(うたげ)となった。 

2017/8/17 「花あらし」

 阿刀田高著「花あらし」

  この短編集は
 ・迷路
 ・白い蟹
 ・選抜テスト
 ・暗い金魚鉢
 ・予言の研究
 ・第二の性
 ・すきま風
 ・明日の新聞
 ・杳として
 ・大心力
 ・鰐皮とサングラス
 ・花あらし
 の12編でなりたっている。
 
 著者は、なにげない日常のなかに潜んでいる不気味さを炙り出す出色の語り手だと、自分は思う。
  20年ほど前に読んだこの本のなかの「花あらし」の幻想的なラストシーンを忘れることができない。
 ラストシーン・・・
 「深山で道に迷い、谷あいにたどり着いた男の目の前に、突然、小さな湖がとびこんでくる。辺り(ほとり)に妖しく咲き乱れる花々に誘われて、男は湖のなかに一歩ずつ身を沈めていく。花々を生き物のように描き、映像をくっきりと浮かび上がらせる言葉の力はつまり彼の筆力は卓越したものである。


2017/8/12 花火

   山本兼一著「 利休にたずねよ」
 この本は24の章で成り立っている。
・死を賜る 利休
・おごりをきわめ 秀吉
・知るも知らぬも 細川忠興
・大徳寺破却 古渓宋陳
・ひょうげもの也 古田織部
・木守 徳川家康
・狂言の袴 石田光成
・鳥籠の水入れ ヴァリニャーノ
・うたかた 利休
・ことしかぎりの 宗恩
・こうらいの関白 利休
・野菊 秀吉
・西ヲ東ト 山上宗二
・三毒の焔 古渓宋陳
・北野大茶会 利休
・ふすべ茶の湯 秀吉
・黄金の茶室 利休
・白い手 あめや長次郎
・待つ 千宗易
・名物狩り 織田信長
・もう一人の女 たえ
・紹鴎の招き 武野紹鴎
・恋 千与四郎
・夢のあとさき 宗恩

あめや長次郎
利休切腹の六年前
天正十三年(1585)十一月某日
京 堀川一条
  京の堀川は、細い流れである。
一条通に、ちいさな橋がかかっている。
王朝のころ、文章博士の葬列が、この橋をわたったとき、雷鳴とともに博士が生き返った・・。
そんな伝説から、橋は戻り橋とよばれている。冥界からこの世にもどってくる橋である。
その橋の東に、あめや長次郎は瓦を焼く釜場をひらいた。
「関白殿下が、新しく御殿を築かれる。ここで瓦を焼くがよい」
京奉行の前田玄以に命じられて、土地をもらったのである。
聚楽第と名付けられた御殿は、広大なうえ、とてつもなく豪華絢爛で、まわりには家来たちの屋敷が建ちならぶらしい。
すでに大勢の瓦師が集められているが、長次郎が焼くのは、屋根に飾る魔よけの飾り瓦である。
長次郎が鏝とヘラをにぎるとただの土くれが、たちまち命をもらった獅子となり、天に咆哮する。
虎のからだに龍の腹をした鬼龍子が、背をそびやかして悪鬼邪神をにらみつける。
「上様は玉の虎と、金の龍をご所望だ。お気に召せば、大枚のご褒美がいただけるぞ」
僧形の前田玄以が請けあった。
「かしこまった」
すぐに準備にかかった。
まずは、住む家を新しく建てさせ、弟子たちと移った。
そこに大きな窯を築いて、よい土を集めた。
池を掘り、足で土をこねる。
乾かし、釉薬をかけて焼く。
今日は、焼き上がった瓦の窯出しである。
「こんなもんや。ええできやないか」
弟子が窯から取りだしたばかりの赤い獅子のできばえに、長次郎は大いに満足した。
獅子は、太い尻尾を高々とかかげ、鬣を逆立てて牙を剥き、大きな目で、前方をにらみつけている。
長次郎が、あめやの屋号をつかって、夕焼けのごとき赤でも、玉のごとき碧でも、自在に色をつけられるからである。
明国からわたってきた父が、その調合法を知っていた。
しかし、父は、長次郎に製法を教えなかった。なんども失敗をくり返し、長次郎はじぶんで新しい釉薬をつくりあげた。
なんども失敗を繰り返し、長次郎はじぶんで新しい釉薬をつくりあげた。
長次郎の子も、窯場ではたらいているが、釉薬の調合法を教えるつもりはない。
・・一子相伝にあぐらをかいたら、人間甘えたになる。家はそこでおしまいや。
父祖伝来の秘伝に安住していては、人間は成長しない。代々の一人ひとりが、創業のきびしさを知るべきである・・。それが父の教えだった。
まだぬくもりの残る窯のなかから、弟子たちがつぎつぎと飾り瓦を運び出してくる。
いずれも高さ一尺ばかり。
できばえは文句なしにみごとである。
龍のつかむところに雲があり、虎のにらむところに魔物がいるようだ。
得意な獅子も焼いた。
造形もうまくいったが、赤い釉薬がことのほかいい。
冬ながら、空は晴れて明るい陽射しが満ちている。
その光を浴びて、獅子にかかった釉薬が銀色に反射した。
「いい色だ」
長次郎の背中で、太い声がひびいた。
ふり返ると、大柄な老人がのぞき込んでいた。
宗匠頭巾をかぶり、ゆったりした道服を着ている。真面目そうな顔の供をつれているところを見れば、怪しい者ではないらしい。
「なんや、あんた」
釜場には、まだ塀も柵もない。こんな見知らぬ人間が、かってに入ってくるようなら、すぐに塀で囲ったほうがいいと、長次郎はおもった。
「ああご挨拶があとになってしまいました。わたしは千宗易という茶の湯の数寄者。長次郎殿の飾り瓦を見ましてな。頼みがあってやってまいりました」
ていねいな物腰で、頭をさげている。
長次郎は、宗易の名を聞いたことがある。関白秀吉につかえる茶頭で、このあいだ内裏に上がって、利休という勅号を賜ったと評判の男だ。
「飾り瓦のことやったら、まずは、関白殿下がさきや。あんたも聚楽第に屋敷を建てるんやろうが、ほかにも大勢注文がある。順番を待ってもらわんとあかん」
権勢を笠に着てごり押しするような男なら追い返そうと思ったが、老人は腰が低い。
「いや、瓦のことではない。茶碗を焼いてもらおうと思ってたずねてきたのです」
長次郎はすぐに首をふった。
「いや、あなたに頼みたいと思ってやってきた。話を聞いてもらえませんか」
話は穏やかだが、宗易という老人は、粘りのつよい話し方をした。
・・人間そのものは粘っこいのや。
長次郎はそう感じながらも、宗易のたたずまいに惹かれた。
・・この爺さん、なんや得体が知れん。
ただそこに立っているだけなのに、釜場の空気がひき締まるような、不思議な重みがある。
・・よほどの数寄者にちがいない。
長次郎の直観が、そうささやいている。
「窯出しが終わったら、お話をうかがいましょ。それで、よろしいか」
「けっこうです。おや、あの虎は、とくにできがいい。天にむかって吠えている」
いま弟子が窯から出してきたばかりの虎は、ずらっとならんでいるなかでも、いちばんよいできである。
長次郎は、宗易の目利きのするどさに驚いた。

 たとえば
 ・野菊 秀吉
 利休切腹の前年
 天正十八年(1590)九月二十三日 朝
 京 聚楽第 四畳半

 「・・利休が膝をにじって、床の前にすすんだ。
 ・・さてあやつめ、どうするか
 秀吉が障子窓のすきまに顔をつけた。
 利休の背中にも、肩にも、手のうごきにも、逡巡はない。
 ・・なにも迷わぬのか。
 なんのためらいもなく両手をのばした利休は、左手を天目台にそえて、右手で野菊をすうっとひきだし、床の畳に置いた。
 天目茶碗を手に点前座にもどると、水指の前に茶碗と茶人、茶碗をならべ、一礼ののち、よどみなく点前に取りかかった。
 茶を点てている利休は、見栄も衒いも欲得もなく、ただ一服の茶を点てることに、心底ひたりきっているようである。
 といって、どこかに気張ったようすが見られるわけではない。あくまで自然体でいるのが、よけい小憎らしい。
 床畳に残された野菊の花は、遠浦帰帆の図を背にして、洞庭湖の岸辺でゆれているように見える。
 秀吉は、途端に機嫌が悪くなった。
 むかむかと腹が立つ。
 それでも、最後のしまつはどうするのかと、そのまま見ていた。
 三人の客が茶を飲み終え、官兵衛が鴨肩衝の拝見を所望した。
 客が茶人を見ているあいだに、利休は水指から天目茶碗まで洞庫にかたづけた。
 拝見の終わった鴨肩衝を、仕覆に入れ、利休は膝をにじって床前に進んだ。
 置いてあった野菊の花を取り、床の勝手のほうの隅に寄せかけた。
 鴨肩衝を床に置くと、利休はまた点前座にもどった。
 床の隅に置かれた野菊の花は、すこし涸れて見える。
 ・・負けた。
 秀吉は、利休を笑ってやろうとした自分のたくらみが、野菊の花と同じように涸れてしまったのを感じた。
 なんのことはない。むしろ、笑われているのは自分であった。・・」

 たとえば
 ・西ヲ東ト 山上宗二
 利休切腹の前年
 天正十八年(1590)四月十一日 朝
 箱根 湯本 平雲寺

 ・・山上宗二に秀吉が問う。
 「おまえが茶の湯者というなら、身ひとつでここにまいっても、なにか道具を持って来たであろうな」
 「むろんにございます」
 宗二は懐から、仕覆を取り出してひろげた。なかは、端の反った井戸茶碗である。すこし赤みがかかった黄土色が、侘びていながら艶やかな印象をかもしている。
 秀吉が、その茶碗を手に取って眺めた。黙って見つめている。
 やがて、薄いくちびるを開いた。
 「つまらぬ茶碗じゃな」

 乱暴に置いたので、茶碗が畳を転がった。
 「なにをなさいます」
 宗二はあわてて手をのばし、茶碗をつかんだ。
 「さような下卑た茶碗、わしは好かぬ。そうだ。割ってから金で接がせよう。おもしろい茶碗になるぞ」
 「くだらん」
 宗二が吐きすてるようにいった。
 「こらッ」
 利休は大声で宗二を叱った。
 「こともあろうに、関白殿下に向かって、なんというご無礼。さがれ、とっととさがれ」
 立ち上がった利休が、宗二の襟首をつかんだ。そのまま茶道口に引きずった。
 「待て」
 冷やかにひびいたのは、秀吉の声だ。
 「下がることは相成らん。庭に引きずり出せ。おい、こいつを庭に連れ出して、耳と鼻を削げ」
 秀吉の大声が響きわたると、たちまち武者たちがあらわれて、宗二を庭に引きずり降ろした。
 「お許しください。お許しください。どうか、お許しください」
 平伏したのは、利休であった。
 「お師匠さま。いかに天下人といえど、わが茶の好みを愚弄されて、謝る必要はありますまい。この宗二、そこまで人に阿らぬ。やるならやれ。みごとに散って見せよう」
 立ち上がると、すぐに取り押さえられた。秀吉の命令そのままに、耳を削がれ、鼻を削がれた。血にまみれた宗二は、呻きもせず、秀吉をにらみつけていた。痛みなど感じなかった。怒りと口惜しさがないまぜになって滾っている。
 「お許しください。憐れな命ひとつ、お慈悲にてお許しください」
 利休が、地に頭をすりつけて秀吉に懇願した。
 宗二は意地でも謝るつもりはない。秀吉としばらくにらみ合った。
 「首を刎ねよ」
 秀吉がつぶやくと、宗二の頭上で白刃がひるがえった。・・ 

 2017/8/10
 昨晩は、手話講習会。本来は9時終了の予定だが受講者の都合で八時半に終了とした。
 外へ出ると、三国花火大会がフィナーレの時間となっていて、カラフルな花火の色が大きく鮮やかで、破裂音もまるで近くにいるように聞こえてくる。
 縦貫道路からの景色であり、民家など視覚を遮るものがないからだろう。
 受講女性たちの口々から「キレイねえ」というため息交じりの声が聞こえてくる。
 僕は「これに勝るのは君たちの横顔だけだ」と言ったのだが、ちょっと気障だったかもしれない。


 一昨日の晩と昨日の一日を敦賀で過ごした。美浜町在住の妹の舅さんが亡くなり(享年90歳)、敦賀市内のアスピカホールで通夜及び告別式が執り行われたためである。

 2017/8/8 一年間に20回は洗髪するわたし
 一昨晩は深夜の静寂のなか、オープンカフェに出
て、煙草を吸い吸いながら、五木寛之と塩野七生の対談集「おとな二人の午後」を読んでいた。
 五木は、一年間に二回しか髪を洗わない不潔な男であるにも関わらず、美しい女優達に一番もてることで昔から有名であるが、もうひとつ、病院嫌いで殆ど病院へ行ったことがない作家としても有名だ。
 その彼が塩野に向かってこう喋っている。・・194頁。
 「現代の医学の考え方はまず心臓を中心に考えている気がするんです。それから、脳ですね。だから脳死は人間の死だと考えるわけです。でも、僕はそうは思わない。
 脳はからだ全体から血液が酸素を運んでいかなきゃ働けない。それから、さまざまなな触覚、たとえば足の裏で感じる。この地面は割れてるとかっていう感触からインフォメ-ションを吸収して、脳はそれを分析して反応する参謀本部の役割を担うわけですね。そう考えると、ほんとは辺境を大事にしなきゃいけないというのがぼくの考えなんですけど。」
2017/8/4 無題
 パソコンがインターネットに繫がらなくなって数日が経過。モデムの不具合に拠るものかと思い、故障直しに奔走したのだがどうしても駄目だ。
 仕方なく「福井ケーブルお客様なんとかセンター」へ電話したら、「貴方様から、先月分及び今月分の振込がありませんのでケーブル接続を停止しました」との答えが返ってきたので、さっそく指定口座に振り込んだ。今日から、インターネットを利用できる。このブログへの書き込みも可能となった。

2017/8/2 ウイスキーをロックで飲みながら
 岡部伊都子著「沖縄の骨」を読み終えた。
 30年程前に彼女を福井市の婦人青年会館に呼び、講演をして頂いたことがある。 講演に対する個人的な印象としては、誠実の権化みたいではあるもののいかにも女性特有のか弱さが目につき格別残るものはなかった。ただ、講演が終わってから謝礼金を渡そうとしたら、「あなたたち若い人たちからはいただけないわ」と言われたのが印象に残っている。
 が
 この度この本を読んで、太平洋戦争末期の沖縄戦で兄を亡くし、婚約者を亡くしたことが彼女の戦後からの再三の沖縄詣でに繋がっていたことがよくわかり、思いを新たにした。思うに、あの頃の女性の見かけのか弱さの心の奥底にあるものは矜持であり、今のバカ女性国会議員衆に爪の垢を煎じて飲ませてやっても比較にならない。

 ということで次に読んでいるのが、ジョン・ハーシー著「ヒロシマ」。
 井伏鱒二の「黒い雨」が、被爆した特定の家族のその後に焦点を絞っているのに対して、この本はキリスト教宣教師(医者)が被災状況全体を俯瞰し、まだ生きている人たちを救うためにこの世の地獄を東奔西走していく。

2017/8/1 無題
CAD以外の全ての時間を小説を読む時間に投入してのここ数日。おかげでブログ書き込みへの時間は全然なかった。
 ところが、先週の金曜日の夜、手話の講義を頼まれてしまった。某NPA法人からの依頼だが、来年予定されている福井国体の障害者部門で多くの聾者のあわら市への来訪が予想されるため、これから一年間、月二回のペースで教えてほしいとのことだ。
 「ま、手の指には若干のマヒが残り頭もしなびてしまったが、これからの僕は利他の人生だ。精一杯頑張る。それからお礼は要らんよ・・・でもどうしてもお礼をしたいと言うのなら、高級ワインのプレゼントを拒否はしない」と答えた。
 当日、NPA法人の事務局が箱詰めの高級ワイン。「メイド イン フランス」と書いてある。
 なめてみるとコクがある様に感じる。とはいえ、私はワインの知識に関しては素人だ。そこで長谷川さんに来てもらって玄人の舌で味わってもらった。

 「このワインは濃くってコクがある。特別最高級のワインや」との回答。僕たちは長谷川さん手作りのニラレバー炒めとパスタをサカナに飲んだ。たちまち空っぽになった。飲むあいだ僕は開高健の「ロマネ・コンティ・一九三五年」を想い出していた。