2000年07月

2000/07/31人生はアドリブやと思うけど

きょうの夜は吉崎「古鍛冶屋ホール」でジャズコンサートがある。主催は「わちらの会」。
若い頃、女のこたちと何回かジャズ喫茶にいったもんだ。サングラスかけ煙草くゆらし斜に構えて、わけわからんまま「マイルスや、コルトレーンや」とキザしていた。
ぼくも[わちらの会」の末席に名を連ねているので会場準備の段階からお手伝いしなあかんのだけど、どうしても無理。あしたの朝一番が図面の締め切りという現実が目の前によこたわっているのだ。自営と議員の二股稼業は、夜や土日を思いっきり忙しくさせる。
小泉くん、ごめんなさい。もしかしたら、うちあげには顔をだせるかもわかりません。


2000/07/30 長田弘の詩

煙草を喫いながら妙にメランコリックな想いになっているとき、その想いを等身大で言葉にしたいと思う。思うけれども言葉がでてこない。
想いを書いてみても結局、書けなかったという気分だけが残る。
舌たらずになってしまう。
そこへいくと詩人というのはすごいもんやね。

かつおぶしじゃない
まず言葉をえらぶ。
太くてよく乾いた言葉をえらぶ。
はじめに言葉の表面の
カビをたわしでさっぱりと落とす。
血合いの黒い部分から
言葉を正しく削ってゆく。
   長田弘「言葉のダシのとりかた」


2000/07/29 ウオッカはマッチで火がつくそうな

仕事の締め切りで昨日の睡眠は一時間半。あたまがボーっとして仕方がない。ロシア娘からの土産・ウオッカをなめながら、しばし浴槽水槽を鑑賞していた。水槽界の住民はメダカ・金魚・海老・ドジョウ・ゲンゴロウ・オタマジャクシ・アメンボだ。アメンボは水面を走り回り、メダカは水面近くで群れをなす。金魚は臆病なのか水中深く逼塞している。「それぞれに仲よきことはよきことかな」と武者小路実篤ふうにココロで微笑んでいたら、突然金魚が急上昇。水面ではねた刹那アメンボが一匹消えていた・・・。閑話休題。
メダカや金魚の群れ泳ぎはつまり人間社会だ。つまり町議会だ。どの金魚がボスだろう。へつらってる金魚はあの二匹か、こっちの三匹か。
度の強いウオッカはぼくのココロに火をつけてしまうのです。


2000/07/28 盗難

一週間前から、事務所駐車場に自転車が放置されている。シルバーメタリックのまだ新しいもの。無記名・防犯登録No951598.心当たりのある方は御連絡ください。どのみち、どもならんガキがどこぞで拝借、乗り捨てたものだろう。うちのうえのガキも何回か盗難に遭っているが、うち3回は「置いてありますよ」との連絡を頂いた。
そういやあ昔、ぼくも財布落としてうろたえていた時、ピアのミスタードーナッツから「届け出があって預かってます」との電話。ああ、神さまは見守ってくださるのや、謝礼にドーナッツはまずかろうとケーキを買っていそいそでかけた。が、戻った財布から、入っていたはづの現金五千円は全て消えていた。複雑な思いだけが残っている。


2000/07/27 飛行機事故

コンコルド墜落のニュースで思い出したのが日航ジャンボ機墜落事故。
昭和60年8月12日。史上最高の犠牲者をだし、坂本九もふくまれていた。夜間に墜落し、現場は惨状の極みだったという。夜明けに救出隊が入り数名の生存者を確認した。墜落当初はもっと生存していたひとたちの救出の為にも何故、自衛隊ヘリを即直行させなかったのかとの疑問が世論としてでてきた。後日、文芸春秋で自衛隊最高幹部が答えている。いろんなことが書いてあったが「暗闇の立木の沢山ある斜面へのヘリ・ランデイングの成功率は8割、つまり隊員たちの死亡率が2割だった」が骨子だったように思う。人命は最も貴重なものだからこの意見はわかるが、自衛隊の存在意義を考えると、だからこそわからないというのが印象だった。


2000/07/26 久しぶりの雨、もうすこし降ってほしかった

事務所の掃除をしていたら、下の息子・淳二が書いた置きメモ紙が部屋の片隅からでてきた。2年ほど前に書いたもの。
「じゅんじ
 やけどの
 ひるめしいらない」

当時これを読んで、火傷して食欲がなくなったんやろかと思い心配になったが字面を眺めているうち、「じゅんじやけどの、 ひるめしいらない」だとわかった。
しゃべるとき、助詞の使い方で意味が逆転することがあるけど、書くときには、接尾語の区切り方、段落の置き方でで意味の変わることがある。


2000/07/23 ホームステイ受け入れ二日目=最終日 

きのうは、別の受け入れ先である川内君とこと合同のバーベキューパーテイ。
九頭龍川河川敷は水がひんやりしていてナイススポットだ。ロシアは遠い国だと思っていたが、焼肉たべたべの話のなかで、極東ウラジオストックから富山まで飛行機で2時間半・沖縄と同じくらいの近さであることをはじめて知った。
夜、自宅裏の竹田川堤防で花火。ロシア娘ふたりはともに浴衣姿だ。
これがとってもよく似合う。浴衣は簡素・質素・清楚がその特徴である。
目的喪失型刹那享楽主義的現在的日本の娘たちより浴衣を体になじませる何かが確かにあると思ったね。
「ロシアは広い国です。モスクワ周辺と極東では社会の土壌が相当違います。」との県職員の事前の説明に心でうなずいた。
何をするのも嫌になってしまう一日がひとにはあります。
はてその翌日、ホームステイ受け入れでぼくたち夫妻は市内パレスホテルでロシアの娘さんふたりとご対面。
てはじめは「養浩館」。筑後7年、立派な建物だがこういう機会でもなけりゃぼくもいかないね。その後浜地海岸でロシア水着娘のスタイルのよさを鑑賞。夜は吉崎汀祭。知ってるひとの顔・顔・顔・・。太鼓、踊りでステージの上のニッポンを楽しんでもらった。ごはんを食べたことがない彼女らのために妻がつくった晩飯はサケ茶漬けと梅干茶漬けだけ。それをたべることがヨロコビだったかガマンだったかはしらない。しかし、ニッポンの味が記憶されたのだからそれでいいのである。



2000/07/21 朝から晩までアルコールはこの日くらいのもんだ 

きのうはかなづ祭りなかび。朝は坂ノ下地区の子供御輿巡行、その後みっつの山車とひとつの御輿の地区内巡行に同行した。そのかんビールまたビール。夜、汐見医院宅の応接間ではさすがにウイスキーにかわった。帰宅し布団にはいった時、足がほてっているのに気がつく。
ねむれない。掛布団をたたんで高くし、その上に足をのせる姿勢をとったら楽になりやっと寝入ることができた。普段歩いていないことのしっぺ返しがこういうところにもでる。きょうからは散歩時間をつくることにしよう。ぼくでさえ飲み疲れ・歩き疲れだったんだから担当地区のひとたちの疲れは極限に達したことだろう。
下八日・新町・新富・旭地区の皆さんご苦労さんでした。


2000/07/20 西方浄土はたしかにまばゆいのだろう

きのう7時半。三国の親類に赤飯を届けたのが日の入りの時刻と重なった。海岸線にでてどっしりといずかる。右手には愛用のデジタルカメラ。落ちる夕日の表情には刻一刻の変化がある。雲は妖しいほどの赤味を帯び、波のまにまに漂うヨットや手漕ぎ船は全てモノトーン。

22才の時、沖永良部島の海岸で夕日を背景に全裸を撮ったことがある。
自身の肉体がシルエットと化し、殆ど芸術といってもいい出来映えだったのを今でもひそかに誇りとしている。
神戸に住む新潟生まれの友人が「山の端に落ちる夕日なんてなんぼのもんや。水平線におちてこその夕日や」といってたが、そういう夕日を見ることのできる地域にすんでいる幸せをきのうはかみしめた。


2000/07/19 すり足 

午前10時、金津神社拝殿。祭り初日ということで、「浦安の舞い」が雅楽を背景に奉納された。古式にのっとった舞いというのはおよそダンスなどとは無縁のものやね。ゆったりしてすり足が基本。すり足は日舞、能にも共通すると聞く。5,6年前三国未来館で観たインドの叙事劇もそうだった。アジア的農耕稲作文化・じめんはいつくばり主義の芸能部門での展開といえるか。
とんだりはねたりの西欧狩猟文化とはちがうルーツをぼくたちはもつ。
と、考えればわれわれアジアの民がオリンピックの陸上競技で勝てない理由がよくわかる。勝つ必要はないのだ。オリンピックに陸上競技をとりいれたのは西欧列強の陰謀ではないかとたまには思うのです。


2000/07/18 野坂昭如

暑いせいか5時には目がさめる。この時刻、今は十分あかるい。豆砕きコーヒーを飲みながらの一服・・・。
きのうのラジオで野坂昭如がしゃべってた。もう70才ということにびっくりし、にもかかわらずの声の若若しさ・歯切れのよいリズムに嬉しかった。煎餅布団のなかで、処女作「エロ事師たち」を読みながら笑いこけたのはもう30年前。小説家というか、歌手というか、政治評論家というかマルチ人間なんだけど、このひと意外と福井に縁がある。記憶だが、お兄さんが福井県庁にいたし、戦時中春江に疎開していたこともある。週刊誌で「野坂のルーツは福井市春山町です」と語っていた。
地口の魅力という点ではこのひとが一番じゃなかろうか。
不要になったFRPの浴槽をゆずってもらった。2.5尺×2.5尺。メダカ
や金魚を飼おうと思って事務所の裏庭にすえつけた。満面と水をはっ
たが漏れる。ホームセンターにいって係員に排水口のゴム栓をみせた。
「ながく使っているとね、穴は大丈夫やけどさしこむ栓のほうがひか
らびてね、使いもんにならんのですよ」という何やらいやらしい説明
で新しい栓を購入。万事OK。観音川で海老をすくい、水藻を採った。
竹田川に魚をすくいにいったが、まるでいないではないか。この川は
めだか釣りしかの川であったはづなのに。収穫はゲンゴロウ一匹のみ。
仕方なくプラントⅡにメダカと金魚を買い出しにいってるあいだに昼
休みが終わってしまった

2000/07/17 ホームステイ 

知り合いの県職員今澤くんから、ロシア人2人をホームステイで泊め
てくれと頼まれた。訪ソ青年の船(今は訪ロ青年の船というの
かもしれない)の逆版らしい。3日前、国際交流会館で開かれた説明
会に参加した。訪日青年は総勢19人、全員沿海州在住とのこと。つ
まり極東だ。
ぼくの母親の実家は、敦賀市川崎町。フェリー発着場が目と鼻の先で、
ソ連の貨物船を何度も目にしている。五木寛之の随筆や小説をとおし
てなんとはなしの愛着もある。10年以上前妻とふたり、カナダはトロン
ト郊外でホームステイして味わった楽しさを少しでもお返しできたらと思ってる。

うん、カナダ人でもロシア人でも宇宙人でも誰でもいいのだ。


2000/07/17 ホームステイ 

知り合いの県職員今澤くんから、ロシア人2人をホームステイで泊め
てくれと頼まれた。訪ソ青年の船(今は訪ロ青年の船というの
かもしれない)の逆版らしい。3日前、国際交流会館で開かれた説明
会に参加した。訪日青年は総勢19人、全員沿海州在住とのこと。つ
まり極東だ。
ぼくの母親の実家は、敦賀市川崎町。フェリー発着場が目と鼻の先で、
ソ連の貨物船を何度も目にしている。五木寛之の随筆や小説をとおし
てなんとはなしの愛着もある。10年以上前妻とふたり、カナダはトロン
ト郊外でホームステイして味わった楽しさを少しでもお返しできたらと思ってる。

うん、カナダ人でもロシア人でも宇宙人でも誰でもいいのだ。


2000/07/16 差別語って何なのかよくわからない  

日曜日ということで、寝転んでTVをみていたら画面に石原都知事。
「お女郎の起請文と政治家のことばは信用できない」とのしゃべりに対して、CMタイムに「お女郎云々・・」が差別語ではないかの抗議電話ありとのこと。女郎はもともと上ろう(じょうろう)だから語源は尊敬語だ。結局派生したニュアンスが売春を意味し女性蔑視につながることへの抗議だろう。しかし石原サンが比喩的にそのことばを使ったことと、それ自体を容認することの間には千里の距離がある。第一それなら政治家云々はどうなる。
確か秦野章が代議士だったとき「政治家に清潔を求めるのは八百屋で魚を買おうとすることだ」と言ったのは希代の名文句だと思うがね。
そごうの場合様相が変わってきたけど、住専でも長銀でも大手ゼネコンでも、税金の投入によって倒産を防いできた理由が下請け会社などの連鎖倒産、結果として関連社員及びその家族が路頭に迷うことの阻止にその理由があるという説明に納得する国民はまず誰もいまい。ぼくが零細に勤めていた経済成長期、おないどしの大手ゼネコン社員は接待づけで、ぼくのジャスト2倍の給料をもらっていた。バブル経済のうまみを味わえる先端にいたのも大手だ。うまみにはリスクがあり、リスクは自己負担であることを天は警鐘していたはづだ。商売柄、中小工務店のおっさんらのくどきを聞いていると世の中が嫌になる。
しかし・・そごう屋上ビアガーデンには青春の思い出がこめられている。


2000/07/15 向日葵

金津警察署南側道路を隔てたところに向日葵の群生をみつけた。
なんたって夏の風物詩、黄色がとっても鮮やかだ。車をおりて群生にたたずむ。子供の頃は背丈が自分より高くって、花が自分の頭くらいあると思っていたのに意外とかわいい。でも向日葵はやっぱり元気の象徴だ。
新しく買ったデジタルカメラでぱちりぱちりと写していたとき、中学時代にラジオで聴いた林家三平の落語を思い出した。
「君って向日葵みたいだね」
「マア、わたしってそんなに素敵?」
「うん、ハナが上をむいている」
・・・・・・・
あんまりおもしろくなかったかもしれないけど、とりあえず笑ってあげてください。


2000/07/14 三浦友和で思い出すのは山口百恵である 

昨日の福井新聞に、「関西芸術座が織田町で{遥かなる甲子園}を公演」という記事。10年以上も前か、ぼくはこれを映画で観ている。主演は三浦友和だった。心あたたまるいい映画だった。
後日、あるひとから「牧田さん、映画みてるとき泣いてたね」と言われた。涙を流したわけではない。表情にそういう瞬間があったんだろう。
スクリーンでうごきまわるひと。それをみつづけるひと。みつづけるひとをかいまみるひと。「地球は大きな劇場だ」という有名なことばがあるが、ぼくたちひとりひとりはエンタテイナーとして日々を過ごしているのかもしれない。
役割をこなしているだけだと思うことによって悲しみとさよならできるときが確かにある。


2000/07/13 若い頃よく飲んだ泡盛焼酎を思い出したのだ 

なんとかという、アルコール度のとてつもなく強い酒がある。
メイドイン中国。昨晩その酒を薦められてしこたま飲んだ僕は事務所に戻りバタンキュー・前後不覚におちいった。
確か2回ひとが来てほんの数メートル先で「牧田くん、牧田くん」とぼくに呼びかけるのだが、腰にきているぼくは、勿論たちあがれず、声もだせずの無反応。どなたさんかわかり
ませんが失礼をば致しました。
10時頃、携帯に羽根クンから「飲もうやコール」。彼の自宅で飲むビールが薄めに感じられて清涼飲料みたいに思えた。
でもこんなこというんは恥ずかしいのだが、気持ちが清涼になった本当の理由は、そこにいたひとたち(男はともかく)、ふたりのご婦人がチャーミングだったからです。


2000/07/12 無題 

岡山のバット殴打事件の少年は自転車で日本列島を北上。福井の地も通り過ぎている。少年が克明な日記をつけていたこと、後輩にからかわれ、なぐられていたことを何度も報道するマスコミの姿勢を通して、ぼくたちはこの少年が継続的で陰湿なひどいいじめをうけていたことを容易に知ることができる。17才という、人生でもっとも多感な時期にあるこの少年の「母が可愛そうだから殺した」という警察での告白が本音なら、思想としての母殺しの罪を背負いながらの1300kmの逃避行の道中、この少年が慟哭し続けたであろう胸中に無垢の魂を感じ、戦慄を感じ、言うべきことばを失ってしまう。

時代の息苦しさはいつも少年たちの心に最もいろ濃く投影される。


2000/07/11 九頭竜川

福井市若杉町の住宅模様替現場からの帰り、ルートを変えて九頭竜川堤防を走った。この川は大安禅寺あたりから臨むアングルに一番惹かれる。色気を感じる。やっぱり川は蛇行していなくってはなあ。
十分な幅の広がりと流れのゆるやかさはすなわちふところの深さ。
河川敷水辺では、緑の葉いっぱいの樹樹が命をうたっている。
コンクリートの無風流は視界にはいってこない。
・・絶景での一服は小さなオルガスムスです。

ところで、聞いたはなしだが、九頭竜川に九頭竜伝説はない。川の語源はクズレガワ(崩れ川)だとのこと。この川の堤防沿いには「みずおち」という字名があるが、要するに昔は堤防がよく決壊したんでしょう。


2000/07/10 こころとからだ 

夜の工事現場。落差のよくわからないところを飛び降りて足をくじいてしまった。たいしたことないのだが、一夜あけてもまだ痛む。
ぼくら中年どうしが誰かと会うと交わす会話は「なんか運動してるんけの」「なあもしてえん」がパターンやね。
中年に適した運動というと、ゴルフ・ウオーキング・水泳いろいろあるけどいっさいしない。面倒くさいのである。でも、今回のようなことがあると、ムム鍛えねばと思う。

「若い頃は体の傷はすぐ癒えるが心の傷は治りにくい。
 歳をとると心の傷はすぐ癒えるが体の傷は治りにくいのだ」
        椎名誠「モンパの木の下で」
完成間近のK邸。夫妻が食卓購入のため、家具屋さんにいくというので、金魚の糞みたいについていった。リッチではないぼくにとってめったにか足を踏み入れないところ。
和風・洋風・一枚板・つき板貼り・シンプル・装飾・レデイメイド・オーダーメイドいろんな家具がありまんなあ。
ぼくの座右の銘は「シンプル イズ ザ ベスト」。
貝吹氏、いろんな調度品を決めたあとで「そうや、中庭のバーベキューテーブルも買わなあかんなあ」とつぶやいた
ので、思わず横から口をはさんでしまった。「もったいない。コクヨのはねもんがどっかから入ってくるんてな気がするざ」
うん、なんとなくそんな気がするのだ。



2000/07/09 きのうの晩は焼酎だった

きのう7時半町福祉センター、「議員と語る会」。諸般の事情でぼくがしゃべらなければならないことになってしまった。ぼくは一年生議員、まだまだ議会の事情にうとい。ママヨ、知ってることだけしゃべろう、知らないことは知らないと答えよう、という姿勢で臨んだ。40分くらいしゃべったのかなあ。質疑のとき、直接民主主義の重要さを説かれた。議会での問題は議員全員の連座だといわれた。そうなんや、議会というのはそれ自体がひとつの共同意思として住民に発信される。と、地方自治法にも書いてある。
直接民主主義についていえば、それに近いカタチをとれるのは、人口がせいぜ数千人までの自治体ではないか。だからその境界に風をいれるためにこそ情報公開や傍聴やなんやかんやが必要なんや。


2000/07/08 それにしてもデジカメの画素数はドンドン増えている

3日程前、酒場で地方公務員某君から「牧田はんのHPのメニュー(建築)にはなんも書かれてないのお」といわれた。そうなのだ。
ぼくの仕事は建築設計、このHPをつくった動機は、仕事の発信にもあったはず。
問題はぼくのデジタルカメラが壊れていることにあった。3、4年前に買った35万画素の安物だが愛用の品だった。建物は語られる対象であるよりも、みられる対象である。カメラがなくてはどうしようもない。思いきって足を踏みいれたパソコンショップ。小泉くん推薦の普及品カメラをついに買ってしまった。
少しづついれていこうと思います。前のデジカメのはじめての被写体は、友人Hくんの○○(ヒヒヒ)。 
今度の新しいデジカメは終始ゲージツを求めていくのだ。

2000/07/07 雨のふらない梅雨やね

福祉センターに、学童保育の状況を聞きにいった。そういう施設の必要性を、金津小学校のPTA総会の折、アンケートで問うのたがかれこれ5年くらい前か。今現在、幼稚園と福祉センターあわせて47人の子供さんを預かっているとのこと。年年歳歳、数は増えていくだろう。
役場がたくさんの債務を背負っている現在、公共投資を削減するのも外郭団体への補助を切り詰めるのも当然の選択肢。けどかそれが一律であってはだめや。公にしかできないもの、例えば学童保育のような福祉部門は維持よりも充実をめざすべきと思うのや。
帰り際、田島議員と会ったので公民館のホールでよもやまばなし。
「ウルトラマン」さんからのEメールで「・・匿名制をどこまで確保できるかという問題もあり日夜戦っております・・」とあった。
インターネットの掲示板・会議室は書きこんだ時が公開される時という便利極まりないものだが、そのぶんだけ人が自身裸にもなれるし、相手の誹謗中傷もしようと思えば簡単にできる。つまり発信者と発信した内容の二重制で「匿名」の功罪を考える必要があるんじゃないか。
発信者は自己責任において本名を名のらねばという人もいるけどぼくはそうは思わない。誰が言ったかは二義的。言ったことの内容がどうなのかだ。口からでた言葉はでた瞬間からもうそのひとの所有物ではなくって読んだ者・きいた者みんなのものだと思う。



2000/07/06 あっさりしているのは素うどんである

夜もふけたころ、中2の息子にせがまれて焼肉屋に行った。
鉄板で焼けた肉はどんどこどんどこ息子の腹におさまっていく。
ぼくはただ見ているだけ。いやなに、ぼくの体調が悪いわけではない。食欲がないわけでもない。頭痛がするわけでもない。
ほんの10年程前までは、肉類を食べる量とスピードに関しては誰にも負けない自信があったのに・・。
歯に自信がなくなった。しつこいものが苦手になった。腹八分目の押さえがきくようになった。淡白なものを好むようになった。
要するに体質が変わったのだが、気質も枯れたというか確かにあらゆることに対して淡白になってきた。
体質の変化が気質の変化をもたらしたのか、その逆か、いずれにせよ心食同根だ。

2000/07/05 地鎮祭

おとつい午前9時、三国は陣ケ丘。「ラーバンの森」の地鎮祭。
祭壇は普通北側なのだが、大湊神社宮司の松村さんは東側に配置した。「?」と思ったが、奏上が「霊峰白山のおん神・・」で始まったのでナルホド。越前の国にすむぼくたちを朝な夕なに見つづけるのは確かに白山だ。
施主がつくった祭壇は、瓶ビールとダンボールの空箱。お供えは有機農業でつくった野菜、卵、アイ鴨の田んぼでとれた米のてんこもり。いわゆるてづくりというやつだ。
「地鎮祭とは、地面に潜む小さい虫たち・地表の草花たちよ、人間の営みの為にしばらくの間地面をお貸しくださいとお願いすることです。」という宮司のことば。
真昼間から酒4ハイ飲んでいい気持ちになったぼくはうちへ帰って寝てしまった。


2000/07/04 たまにはこんななまめかしい詩でも 

     地震   堀口大学
地震
なまめかしき地震
震源地
美学の中心

やや急
初期微動
・・・・
上下動
・・・・
水平動
・・・・
最大震度
・・・・
振動時間
・・・・
ゆりかえし
・・・・
またゆりかえし
・・・・
死者


2000/07/03 中池見

きのうの日曜日、友人3人及び友人の御子息1人とともに敦賀・中池見の湿地。何週間か前の福井新聞が、この湿地の生態系を移設することの可能・不可能を特集していたし以前から行きたいなあと思っていた場所。インターネットで検索すると情報がたくさんたくさんでてくる。全国的に注目されている故なのだろう。
ただ、ぼくは昨年みた北海道の大湿原をイメージしていたので、ちょっとこぶりやなという印象。
湿地に生息するむし・さかな・かめ・くさ・はならは、ぼくが子供の頃、まわりでいつも目にしていたものだった。
昭和30年代の日本の原風景だと、パンフにも書いてあった。


2000/07/02 やま

きのう夕刻、酔っ払い気分で竹田川のほとり。商工会青年部のAくんがとおりかかってよもやまばなし。夏祭りをはじめとして祭り全般のことに及ぶ。ききながら、7、8年前を思い出していた。金津祭りの日、娘と本陣めぐりをしていたとき「おとう、やまって何や?」と尋ねられた。父親の権威を保たねばと、すかさず「かみさまが金津神社からでて、みんな平和に暮らしているか見て歩いてるんや」と答えたが納得していそうにない娘の顔。そりゃそうだ、やまって弁慶・信長・武蔵やらだもんな。でも坂ノ下区長は「やまが区に入ってくるとき区長以下が出迎えるのは道案内と魑魅魍魎を追っ払う役目からや」といっていた。そうすると、高天原からの降臨を迎える猿田彦みたいなもんで、まんざらあたっていないこともない・・・か。