2000年08月

2000/08/31 自然災害 

ラジオで、三宅島の火砕流の可能性を予知連が示唆していた。近年異常現象が多い気がする。被害を最小限にくいとめれるかどうかが天災・人災の分かれ目だ。迅速な態勢で臨めれるか。阪神淡路震災の時、村山内閣の対応力に非難の声のあがったのは周知の事実だ。しかし自然科学・予知技術皆無の古代に異変はどうとらえれられていたんだろう。
コンピューターシュミレーションの結果、西暦248年に皆既日食があったという。その年邪馬台国の女王卑弥呼が没している。井沢元彦は、この事件によって卑弥呼が天の岩戸隠れの天照大神に比定されたといっている。祭政一致の時代だ。太陽無くして米はとれないから災いのもたらしてとして殺された。霊力の古代、予知技術の現代と背景
は違うが為政者がその責任を問われることに違いはない。

〇この欄で雑文を書いていると自分がとってもいいかげんな人間やなと思うことが頻回にある。タイトル「議員日記」を「いいか原人日記」くらいに変えようかと思い始めた矢先、武生の女性市議・大久保さんから「コスモス通信」という議会報告Eメールが定期に入りこむようになった。A4×2ページ。
そうか、このてがあったのか、考えつかなんだ。ワード編集なので字数にとらわれずにすむ。フォントの変化も楽しめる。真面目に正座の気分で書ける。プリントアウトしての郵送も可。
ぼくはひとのマネをするのが好きなので早速見習うことにした。原稿ができるごと、アドレス手帳に載っているひとに、BCCでメールいたします。くだらんと思いなさったらすぐ削除してください。


2000/08/30 だれか金津新聞をつくりませんか

久し振りに新聞を読んだ。福井新聞社会面(23面)の見出しを全部挙げると「上志比村長選・投票目前に現金封筒」「終息見えぬ噴火苦悩の脱出」「大野城の香炉盗まれる」「男性生き埋め死亡・シャベルカーで砂採取中」「大分一家殺人事件・ここにいれなくなる」「大分県議の当選無効に」「医師ら2人殺害の首謀者に死刑判決」「元福井市職員万引きで実刑」「徹底捜査求め今庄町民が告発・武生署に」「中学生はねられ重症」以上である。
天変の噴火など一部を除けば似たような記事が繰り返し報道されている。
人間の持つ煩悩・愚かさの拡大鏡じゃないか。確かに記事に自分の一部がみえるのだ。記者も事実の羅列だけでなくコメントを添えたら読み手に対して自戒を与える力になると思うんだが。

2000/08/29 越前ガニ

こういう季節にこそ日本海の冬の味覚「越前ガニ」を思う。雄のズワイは24年間に17回脱皮、雌のセイコは10年間に10回の脱皮をして成長を止めるのがガラの違いとなる。成体は水深300-400mのところに潜んでいるので身がしまっているのだ。同じズワイでも「松葉ガニ」の捕獲が船上何泊もでなされるのに対して「越前ガニ」は必ずその夜のうちに帰ってくる。大正11年から皇室献上品となっているのは要するに鮮度の差だ。
5年ほど前の冬、東京までズワイ10パイをボックス詰めで持っていった。有楽町の地下で10人のおっさん相手に食べ方の講義をした。
東京もんはすぐ箸やフォークを使おうとするので困る。

「足は両端を折ってから細いほうの口に舌先を近づけ玉をころがすようになめてください。次に口に含んで思いっきりほおばりながらすいこみます。白い身がいきおいよく口のなかに飛び込んできます。
かむのもよし飲みこむのもまたよしであります。
大正時代日本に数年滞在したことのある美食家として知られたイタリア人タッカー・オマキータが考案したというのが、知られざる逸話です。
なお彼の故国ではこの食しかたはフェラツイオーニと呼ばれているそうであります。」


2000/08/28 蕎麦河戸神社

金津町坪江地区、いわゆる五箇村の境に蕎麦河戸神社がある。地籍は残念ながらお隣り丸岡町。昔竹田川で物資が搬入搬出された河戸のある場所としては最上流に位置し、時間が止まったような場所。
先日境内を散策し、静寂を楽しんできた。
故山口先生によると、昔土地がやせていて蕎麦しか生産出荷ができなかったのがその名の由来。そういえば、坂井町・演仙寺の住職が事務所に遊びに来たさい、むかしの寺への奉納物は金でも米でもなく蕎麦だったと言っていた。なお、演仙寺のある字名「御油田」は豊原三千坊に寄進する灯明の為の菜種油をつくっていたからではないかとのこと。
いつも思うことだけど地名にはルーツがあり、その霊が漂っている。


2000/08/27 夏の終わり

夜、缶ビールの酔いも覚めて仕事をしようかと椅子に座った。ラジオが短編を朗読している。読んだか聴いたかしたことがあるなと追憶するうち、浅田次郎の「盂蘭盆会」であることを思い出した。
浅田次郎の世界は、頑固一徹とか不器用とか内気とか庶民としての素をもちあわせたひとたちで構成されている。ペーソスがあってほろっとくる。
「盂蘭盆」は、別れを決心した女が夫の実家を去る際目にする精霊流しがラストシーンだ。読後に清涼感がある。残暑はまだ続いているけれど朗読を聴き終わったぼくには、今年の夏ももう終わったなという不思議な思いが残った。


2000/08/26 蛙

北潟湖で小魚と海老をとってきた。水槽にいれようとしたら、先住民のオタマジャクシが変身している。前足・後足がでてきて、顔は完全に蛙のそれになっているのだがでっかいしっぽはついたままなのだ。
じっとぼくをみているその姿はグロテスクそのものだ。
高度経済成長以前、ぼくたち団塊の世代がこどもだった頃はファミコンゲームなどなく、遊びといえば戸外。パッチンやべとぞうけでの鮒すくいやなんやかんやだったが結構残酷でもあった。鮒すくってるうち足にくっついたへれんぼをピースの空き缶に入れてぐらぐら煮た。ストローを蛙の肛門につっこんで腹ふくらましたりもした。
グロテスクな蛙の目線にそのことを想いだしこころのなかで「ごめんなさい」と呟いた。


2000/08/25 酒

昨晩ちょっと疲れることをしたのであくびしながら事務所に入ったら机の上にアイスボックス。中には羽根クン・丸岡くん持参のマグナムドライ辛口<生>が沢山入っている。飲みつつキーボードをたたいているうち昨晩のワイワイガヤガヤを思い出した。
ひとは何故酒を飲むのだろう。シャイなぼくは酒の力を借りてやっと「好き」という言葉をだせたことがある。やっぱり意識の深層部分を口端にのせる効用をかみさまは与えてくださったのだ。

人はおそらく人生の大部分を妄想に費やして生きているはずである。
妄想こそ意識だというべきだし生活だといっていい。
ただ人は恥ずかしがって口を噤んでいるだけだ。
                 三木卓「馭車の秋」

〇李志綏著「毛沢東の私生活」を殆ど読み終えた。著者は毛沢東付きのインテリ主治医。20年にわたって毛と党中央委員会の間の確執を見続けてきた。毛の魅力と愚かさを一切の政治性抜きにして、つまり純粋に人間観察の手口で書いている。「大躍進」や「文化大革命」がそのスローガンの裏側で中国人民に対して抑圧と恐怖を与え続けてきたこと、毛と党中央の関係が決して一枚岩ではなかったこと、圧倒的な存在感が驕りと疑心暗鬼の日常をかたちづくってきたことなど、当時の日本のマスコミからは決して聞こえてこなかった。
ユン・チアンの「ワイルドスワン」、チェン・ネンの「上海の長い夜」とならんで最近ウーンとうなった現代中国もの。

2000/08/24 交通マナー

昨晩8時、ほろ酔い気分で事務所に戻ったら妻がきて「友達が近くの信号で待ってたとき追突事故にあったのであとで現場にきて」という。行ったら現場検証中。ぶつかってきたのが軽自動車ちゅうのに後部トランクは破損。ぶつかりては若い女のこだった。しかしこの際そんなことは関係なく、警官にでもなった気持ちで詰問。・・前をみていずブレーキもかけなかったという。
ぶつかられたほうは頭がいたい、胸がわるい、吐き気がするという。
目の前が消防署だったので救急車にきてもらった。ひとは多少の迷惑を周囲にかけてでも、自由に生きていったほうがいいとぼくは思うんだが、とりかえしのつかないことにつながることだけは、注意に注意を重ねにゃあかんと思う。


2000/08/23 昨晩夜の屋台アツアツラーメンはうまかった

何年か前の暑い夏、ラジオのアナウンサーが「今年の夏は病院の受付と同じです」と言っていた。ココロは「だれそれさんの体温何度です、と温度のことばっかりいっている。」・・マアマアのジョークか。
なかなか涼しくならないね。
ぼくの愛用中古車にはクーラーがついていない。買うときの条件としてクーラーのないのを頼んだら、5年前ですら「そんなのなかなかありまへんで」だった。自動車クーラーがではじめた頃は窓を閉めて走ること自体がステイタス・シンボルだった。今、窓あけて右腕むきだしで走っている同類項にあうことはなかなかない。そこでぼくは自分のことを、反ステイタス・シンボリストと呼んでいるのである。


2000/08/22 「青春の光と影」といえばジュデイ・コリンズ

ぼくは5年ほど前から建築製図をDOS版の無料流通ソフトに頼ってきたが、ウインドウズ版がでたのでその切り替えに苦労している。そのさなか、藤原某という大学のセンセが、コンピューター及び携帯電話排撃キャンペーンをラジオで展開していた。骨子は「コンピューターはあほや。持ってるのは情報従属発信力だけで人間が本来持たなあかん情緒力がない」「携帯は人間にとって一番大切な孤独の時間をなくしてしまう」「要するに不便をかこつことで人間が人間としていられるんや」確かに身のまわりのハイテクがぼくらの生活をせわしなくしてしまった。社会の光は影があってこそだけど影がなくなってしまった。  とまあいろいろあるけど、ぼくはキャドでいろいろ助かっているなあ。


2000/08/21 西の空に雲がゆったりと流れていた

きょうの夕空に秋の気配をみた。曇天、墨を流したような雲のあわいに夕陽がほのかにみえる。
世俗のことで心配している自分が馬鹿馬鹿しくなる。あのひともこのひともどのひともみーんないつかあの雲の彼方に吸い込まれていくのだ。
人生しゃかりきになっても仕方ない。

考えてみると50年も人間しているのだから死に別れた知人の数もそれなりだ。雲のむこうにそのひとたちの顔がみえる。ひとの生死は大自然の営みが決めているのだろう。ぼくたちは生きているんではなくって生かされている。
薄墨色の雲のゆったりした流れをみているとつくづくそう思う。


2000/08/20 防災訓練

朝7時50分、伊井小学校グラウンドにて防災訓練。6時53分に相当規模の地震が発生したことを想定してのもの。消火器を使った初期消火・煙中体験・ヘリによる救出・はしご車の出動・水のバケツリレー等が行われた。訓練はスムーズでも、実際の場面では異常心理下で人がどう動くかというと予測のつかない部分は沢山あると思う。
思い出したのが去年の夏。自衛隊の人に誘われて、金沢で戦闘訓練・レスキュー訓練を目の当たりにした。腹にズンとくる実射の迫力に肝を抜かれたが、レスキュー部隊設備の充実・統制の見事さにも驚いた。
なんでもそうだけど、プロとアマチュアのあいだには超えられない壁がある。
我々アマチュアは行動以前の段階としておちつきを維持することが一番大切なんだろうなと思う。


2000/08/19 悪い夢

夕方6時半久しぶりに竹田川土手にいずかっていた。仕事が順調にいかんなと先行きを心配していたら、お隣のひと(故山口喜三太先生の奥さん)が通りかかり、夢の話をしてくれた。
昔、鯖江や福井市足羽川流域には「夢流し」という風習があったという(今でもあるのかもしれない)。悪い夢をみたとしよう。当然正夢ではないかと不安になる。
そういうとき和紙に次の和歌を書く。
「悪し夢や バクの餌食となすからに 心も晴れぬ あけぼのの空」
そして、バクよ夢をくってくれとの願いを込めて、字面に3回息をふきかけてから、紙を川に流す。そうすれば悪い夢は流れ去っていくのだそうだ。

最近ぼくがみる夢は悪いほうが多いので是非やってみようと思う。


2000/08/17 便利な世の中になったけど

昨日昼、三国町の藪さんより「飲もか」コール。富士銀行大阪本店調査室のえらいさんだ。なま酒飲みながら語りあった。大手銀行の企業救済の是非。銀行は資本主義経済下、単純に得か損かだけで動くのだという答え。大手銀行はしこたま現ナマ持っているが、相対的に損とわかりゃいつでも取引企業に引導をわたすという。全ては自己責任、成功もよし倒産も又よしとのこと。
世の中既に消費資本主義の段階に入っていて、銀行は企業と消費者の間にたつ仲人みたいなもんだ。消費は必要からくる不可欠の消費よりも、幻影としての消費に力点が移行した。消費しているというよりさせられているというべきか。これを是としたら、幸せを掴む媒体であったはづのお金が、むなしさの流通媒体になってしまうんではないやろか。

2000/08/16 火事

きょうは京都大文字の送り火。10年程前のこの日、妻子と共に嵐山に遊んだ。送り火を横目に夜11時頃帰宅。むずかる下の息子を添い寝であやしていたら、玄関戸がドンドンたたかれ「火事やあ!」の声。
外へ飛び出したら路地隔てた隣家の小屋が火の海である。まずこどもやと、盆帰省中の妹のこどもとあわせて6人をたたき起こした。上の息子は入浴中だった。そとは暗くてよくわからないので整列させ顔を確認。
その夜我が家では、大人こどもあわせて11人寝ていたのである。

結局大丈夫だったが、その時はうちにも燃え移ると観念した。小屋組がどどっと崩れ落ちるときの光景はすさまじいものである。火の粉の体への降りかぶりで、自分の上半身が裸であることにはじめてきがついた。
すごく恐ろしいけどすごく美しい光景でもあった。


2000/08/15 盆中日

「大分で15才高校生が一家6人を殺傷、風呂場をのぞいたという濡れ衣を両親に告げ口されたことを恨んで」のラジオニュースを聞いて、今の教育のおかしさがここにもでてるんじゃないかと思った。PTAの役員時代、教育現場はこどもたちに「明るいことと優しいことが正しいこと」と教え続けているように感じられたのだ。でも明るさは暗さや陰鬱さがあってこそだし、優しさは強さとか恨みとかの反対概念を伴ってのみ存在できる。子どもであれ大人であれ人間感情はポジもネガも正しく存在するとしかいいようがないのだ。
しかしペーパーエリートの多い教師群に、挫折や恨みと体験的にむきあわさせるのは酷なのかもしれない。となると、学校も又ボーダーレスにしていくべきか。


2000/08/14 雨が降らないといろんなことがある

おとつい夜、近所のひとが洗面器に水を入れて持ってきた。どこぞの夏祭りで金魚つりしてきたんかなと思ったら「水道の水が濁ってるんや。近くで水道工事でもしてるんやろか?」。早速役場へ行ったけどロックされている。仕方ないので吉村上下水道課長に電話した。
水道工事はしていない。恐らく消火栓を開けたことによるものだろう。点検のために開けるだけでなく、私的に使おうとするフトドキのヤカラが偶にいるんですよ、という答え。確かにじききれいな水に戻った。
金津町の水道料は高いとよくいわれる。町の面積が広く集落毎の距離が長い、小さい河川にはばまれている、高低さがある、よって本管敷設の金額の量があがるというのが主な理由。
みなさん、水道は大切に使いましょう。


2000/08/13 未熟な父親や 

子ども3人は2階で寝ている。昨晩深夜ちょっとした異変。妻が体調を崩して安静にしてるというのに、2階で息子と娘の口論が始まった。階段下から「静かにせーよ」と注意。一旦おさまったが又始めやがった。頭にきたぼくは階段をどどっとかけあがり、娘をドア越しに叱ってから上の息子の部屋のなかに紙くず籠を投げつけてやった。
けさ起きてきた息子に「どや反省したか?」。・・ところが息子「岩石が頭の上におちてくる夢をみたんや。目がさめたら枕もとにくずかごが転がってた」。
口喧嘩は、<娘vs下の息子>だったのだ。仔細を話したら「相手をぼくと決め付けるんは偏見や固定観念や」としかられた。
おおいに反省しながら、でも兄弟の声って似ているもんやなと思った。

〇2900円で若者向けの水泳パンツを購入、温水プールでひとりはしゃいできた。2年ほど前腰を痛めていたときは、リハビリの為によく通ったが今回はさほどの意味もない。
陸上の動物が普段水と接触するのは、例えばぼくら人間の場合、洗面と入浴くらいのものだろうが、ぼくの起床時の目覚ましは、熱いコーヒーであって、洗面ではない。
水は地上を支配する「重力」という桎梏からぼくたちを開放する。浮いているとからだとこころが軽くなる。もぐれば静寂の世界が訪れる。
昨晩、丸岡くんとこのベランダ。三国花火をみながらの飲み会ということでいつもの数人が集まった。所用で遅れたぼくは花火をみることはできなかったが、会場から帰る車の渋滞がつくる光の帯の美しさを楽しめた。田んぼの水面に映り揺らいでいる月も乙なものだった。
ところで、酒である。
酒はひとのこころに微妙な影を与える。適度な酒は本来無口のぼくを快活にさせ、進むにつれて陰鬱をふきとばす。
しかし適度から過度までいくと現実が非現実になり、非現実が現実になってくる。ありもしなかった過去が事実であったかのような思いにかられ口をつく。潜在的な願望を酒が押し出すのだ。
これでは駄目だ。50を超えたら人間いつも折り目正しくなくてはならない。
これからは自戒する。



2000/08/11 盆間近

きのう夜、竹田川河川敷。かなづ夏祭りということで女のひとたちによる踊りは金津音頭。浴衣の連なりがライトアップされて季節の風物詩になっている。

ものの本によると、盆踊りとは無縁仏を鎮送する儀礼。
盆は梵語・ウランバーナの略。又、単なる器の意味でも使われているが、もともとは精霊の供物を盛る器を意味していた。
踊りは和語・オドリでオトコトリ(男取り)が語源だという。
そう考えれば、清楚でありながらも手の独特な動きの中に招き寄せの媚態が確かにあるような気がする。


2000/08/10 ぼくは水泳でもしようかな

高校野球甲子園大会が始まった。あの福井商業VS浜松商業の決勝戦はぼくが29才の時だった。・・そこでスポーツマン語録。

「金を失うことは小さなことである。信を失うことは大きなことである。勇気を失うことは自己を失うことである」 極真空手・大山倍達

「私の土俵入りは1分15秒。同じ雲竜型でも、栃錦関・若乃花関は1分40秒。でも25秒はやかったから32回優勝できたと思います」 大相撲・大鵬幸喜

「イマダモッケイタリエズ」 大相撲・双葉山

「私は、明治大学島岡学部野球学科出身です」 プロ野球・星野仙一

「私が涙を流したあの場面で外野フライを打たせた工藤さんに感謝しています」 プロ野球・清原和博

「すみませんすみませんで世界チャンピオンになりました」 ボクシング・柴田国明


2000/08/07 太鼓

10日程前の三国未来館。ピアノ・バイオリン・クラリネットの共演「カメレオン・コンサート」でプロってのはぼくのような音楽音痴をもひきつける凄腕を持ってることに感心したが、昨晩は六日区の「竹くらべ祭り」で太鼓を楽しませてもらった。
音に高低の変化がない分迫力がある。西洋のドラムが耳から入ってくるものなら、和太鼓というのは、直接腹に入ってくるもんやね。ボデイブローの連発なのだ。清浄の印しである白いさらしの若者が額に汗しながら体内のエネルギーの限りを神に奉納する図式だと思う。
そういえば全国をみると、ろうあ者による和太鼓集団がいくつかある。 鼓膜を通さずに強弱を感じさせる媒体としての和太鼓の特性に依るものだ。


2000/08/03 深夜のロビーでひとり文庫本を読んでいた

昨晩。よく話をし合う議員どうしの集まり。一献傾けながらの座なのでフランクな言葉がでてくる。
ぼくは視野狭窄的だといわれた。直情的すぎるといわれた。もっと全体を察知せねばといわれた。…確かにあたっている。
ひとはひとりひとりちがう。個人主義とはそのちがいを大切にし、お互いをそのままに認めあう主義だ。しかし議会は主題ごとに全体意思を固める必要がある。多数を意識することは、自分のトーンをどこかでダウンさせる局面を意識すること。「水面下での裏工作」という議会用語が死語にならない所以である。
そしてそれが自分にとって最も苦手な領域であることを痛感している。


2000/08/01 猛暑がつづく

山口の少年の母殺しで思い出したのが10数年前の一柳辰也(だったと思う)。金属バットによる家族殺しの初出として世間の耳目を集めたが、あの動機もわかりやすいものだった。
16,7才という、こどもでもいれない大人にもなれない端境期の揺れ動く心理は、米映画で故ジェイムス・デイーンによって描かれている。
いつも思うのだが、立派な親とは、どもならん親のことを指すのではなかろうか。世間的な立派さが壁として屹立し、しかし同じ共同体の成員だからその裏を感じ取ってしまう、という構造だ。

一切の条件を付けず、子どもをあるがままに認め受け入れること。自分にとって役立つかどうかではなく、いま共にいること自体を楽しむこと     上田紀行

上田さんの文章にぼくは惹かれる。学校の先生は最近「学校だけで子どもは育てられない、家庭や地域の協力が必要」とよく言うけどそもそもこどもを育てるってどういうことなんだろう。例えばこどもが(うちのこに限ってはそういうことないが)試験で100点とって帰ってきたとしようや。そんときに答える「よかったね」との整然さよりも、零点とって帰ってきたときの「バカやの、おめは」との乱暴さが親としての正しいありかただと思う。言葉が持っている意味性、というかホメルケナスということ自体よりも情緒を濃く発信しているかどうかという肉声表情の問題に帰一すると思うのや。これを推し進めていくと親子の間で、極端に言えば無口でもコミュニケが生じるということになる。なんか、そんな気がする。


2000/08/01 猛暑がつづく

山口の少年の母殺しで思い出したのが10数年前の一柳辰也(だったと思う)。金属バットによる家族殺しの初出として世間の耳目を集めたが、あの動機もわかりやすいものだった。
16,7才という、こどもでもいれない大人にもなれない端境期の揺れ動く心理は、米映画で故ジェイムス・デイーンによって描かれている。
いつも思うのだが、立派な親とは、どもならん親のことを指すのではなかろうか。世間的な立派さが壁として屹立し、しかし同じ共同体の成員だからその裏を感じ取ってしまう、という構造だ。

一切の条件を付けず、子どもをあるがままに認め受け入れること。自分にとって役立つかどうかではなく、いま共にいること自体を楽しむこと     上田紀行

上田さんの文章にぼくは惹かれる。学校の先生は最近「学校だけで子どもは育てられない、家庭や地域の協力が必要」とよく言うけどそもそもこどもを育てるってどういうことなんだろう。例えばこどもが(うちのこに限ってはそういうことないが)試験で100点とって帰ってきたとしようや。そんときに答える「よかったね」との整然さよりも、零点とって帰ってきたときの「バカやの、おめは」との乱暴さが親としての正しいありかただと思う。言葉が持っている意味性、というかホメルケナスということ自体よりも情緒を濃く発信しているかどうかという肉声表情の問題に帰一すると思うのや。これを推し進めていくと親子の間で、極端に言えば無口でもコミュニケが生じるということになる。なんか、そんな気がする。