2000年10月

2000/10/31色のことには奥行と深みがある

きょうの朝焼け、帯状の雲がいいようもなく綺麗だ。

昔幼なかった娘は「オトウサンオトウサン」といつもぼくになついていた。おててつないで通りすがった花畑で娘「赤い花や」と叫んだ。赤かピンクか?のぼくは「ちゃう、赤ではないんや」と言ったら「先生はあんな色、赤やって言ってたざ」とセンセの権威で反論されてしまった。
ものの本によると、人間が識別できる色は約6千、色自体は観念でしかなく鉄とか木とかどの素材に塗られるかによって色合いは無限に別れるそうな。あの花の色はあの花の色でしかないのだ。ひとは情報交換を便利にするために、例えば色の類型化を教育過程で覚えていくのだろうが
花は「ワタシの色はワタシだけの色よ」とぶつくさ言っているような気がする。


2000/10/30 石川 啄木

工事現場で職人のおっさんと話をしていた。「不景気や、仕事ないぞね。おまんまのくいあげや」というこの頃定着した嘆きぶし。
何年前だったか、わが身の置かれた状況にいたたまれず、公務員の友人への手紙のなかで世を恨み、「・・・働けど働けど わがくらし楽にならざり じっと手をみる 啄木」と最後に書いた。

後日きた返事の最後にこう書いてあった。
「・・・こすれどもこすれども わがせいよく楽にならざり じっと手をみる」。
ウーン、世の中には馬鹿なことを書く奴がいるもんだと思ったよ。

〇後山区広報誌「おっしゃま」

午前4時20分。そとは雨だ。
豆砕きコーヒー「キリマンジャロ」を飲みながら、後山区広報誌「おっしゃま」を読んでいる。川崎雅一郎さんが送ってくださった。イラストがふんだんに入って素敵です。「後山区国勢調査結果」の欄に地区人口の変遷が記してあって過去40年間で55人減っている。
地域の人口というのはそんなに増えなくてもいいと思うけれど、やっぱり減るのは寂しいもんじゃないかな。町議会議員選挙の時何回かいって地区の風物の魅力を見たし、こういう広報誌配布が地域コミュニテイの精神的核になっていると思うんだけど、やっぱり少子化現象の結果なのかなあ。


2000/10/28 ボリビア最高のフォルクローレグループ「ムシカ・デ・マエストロス」とちらしに書いてあった

昨晩6時30分、三国未来館。ボリビアの民族音楽を楽しんできた。聴衆はせいぜい70人くらいか。もうアットホームな雰囲気なのだ。演奏には打・吹奏・弦楽器が多様に使われている。ケーナという笛が特に印象に残った。風のような音色。アンデス山中をふきぬける風を彷彿とさせる。民族音楽は世界中どこでもそうなんだろうが、唄いながら楽器を操りながら体を動かしている。肩を斜めにし、脚踏みし、手をふりあげ、行進もする。
カーテンコールでの曲は「コンドルは飛んでいく」だった。30年前、擦りきれる程にレコードを聞いた。ケーナの音色が孤独の悲しみをギターの旋律が王者の風格を表わしていた。「サイモンとガーファンクル」よりよかった。
知人から下記のEメールを受信、件名は「安心してください」。
「こんばんは。今日(10月5日付け)の新聞の三面記事に「福井市内の県立高校教諭(38歳)がセクハラ」という記事が載っていましたが、見ましたでしょうか。私は、福井市内の県立高校教諭で、おまけに38歳、部活も、女子部の顧問ですがこの記事の当事者ではありません。」

新聞は、したことの軽重や、他のなにがしかの理由で当事者の名前をださなかったのだろう。人権の配慮か。しかし職場や年齢を付記すれば、読者には「ひょっとしたらあのひとか?」の疑念が生じるのは当然といえば当然で、これも迷惑なはなしやね。


2000/10/26 草木国土悉皆成仏 一切衆生悉有仏法 

午後10時帰宅、やっと晩飯にありついた。仕事だけではないんだけど分刻みの一日だった。若い頃はへっちゃらだったいろんな部分が少しづつしんどくなってきている。画面・キーボードに向かっても、どのキーを叩いたらいいのかよくわからない。頭がボンヤリしている。年に応じて気力がなえてきているんだろう。
一日24時間のなかで何が楽しいかって眠っている時程楽しい時はない。眠っていて楽しさが自覚できるんかと反論されそうだが、ともかく楽しいのだ。ここ数年続けている毎日40分間の昼寝もカラダを楽にさせる。単に横になっているだけでも楽になる。きょうはもう寝よう。熟睡ではなく、楽しい夢のみれるようなねかたにチャレンジする。

〇昨日3時半は総務委員会。テーマは「情報公開について」。10月の人事異動で新たに作られた行政改革室から「案」の説明があった。たちあげとして懇話会をつくるという。懇話会委員は10名程度と公募若干名。
ある議員から「委員をあて職から人選するだけではよくない。公募をもっと多くすることが活性化につながる」との意見があった。
本当にそう思う。「案」を一読しただけでいろんな疑問点が生じた。懇話会で徹底した審議をしてほしい。通過儀礼にしてはならない。
町の広報で公募をしたとかするとか言っていた。作文と面接があるそうだがみなさん応募しませんか。行政が依頼するひとより、積極的に応募するひとのほうが熱エネルギーがあるとぼくは思う。


2000/10/24 ハーブ園 

午後3時の福井市。車で走っていたら雄キジが農道をふさいでいた。飛びたたなかったので久し振りに綺麗な羽をじっくりと見ることができた。金津大橋下流北側の堤防沿いで以前はキジをよくみかけたもんだ。

その堤防北側(坂ノ下地籍)の畑地の一画をハーブ園にする計画が着々と進んでいる。名付けて「ハーブガーデンSHELL」・命名=小泉藤秀氏。畑地提供者=貝吹氏の「貝」にちなんでのもの。代表は西山政信氏=西山建築デザイン事務所所長(73-5313)。年会費¥5000で会員募集中とのこと。会員になって一緒に苗を植えましょう、収穫しましょう、収穫パーテイに参加しましょう。


2000/10/23 深夜、外はしとしと雨が降っている 

新人議員が集まり、役場職員を講師に迎えて、金津町の歳入・歳出を講義してもらった。平成11年度の経常収支比率(低い程ゆとりがある)は87、9%で町村平均85%を超えているとのこと。箱ものを沢山つくったことによるつけをいろいろ数字で見せつけられた思いだ。
緊縮財政は当分続かざるを得ないだろう。
国が減税策をとっても、思うように消費が伸びないのは庶民の将来に対する不安感のなせるわざだと思う。経済というのは数字を扱っていながら心理学のような側面を持っている。バブル崩壊はぼくたちに対する天の警鐘・神の啓示だったと言えるのかもしれぬ。ことさら悲観しても仕方ないが、楽観・享楽・傲慢的もののみかたのいく末には強烈なしっぺがえしがあるということだ。


2000/10/22 ボランテイア

「私たちのまちネットワーク」で金津高校前大通りの草刈奉仕に参加した。ユースに面した通りでもあるので車はひきもきらない。目立つのや。恥ずかしいのでずうっと下むいて作業をしていたんだけど、やっぱり「やってたのお」との電話があった。
昔手話通訳を始めたころ、病院や職安でのろうあ者個人の為の通訳は意気に感じたが、芸能人・文化人の講演通訳で舞台の袖に立つのはとっても嫌だった。性格的に地味なのである。

草刈奉仕終了後、大溝神社でコーヒーのみながらの休憩。国鉄OB斎藤さんによる神社沿革についての話が面白かった。


2000/10/20 人口のこと 

I・アシモフの「西暦3000年の人類」を読んでいたら、今の人口増加率でいくと西暦3000年の世界人口は75兆になるだろうと書いてある。すごいことだ。農業エリアの拡大・産業革命・新大陸発見・医学の発達などがこの1世紀の爆発的人口増加の要因としてあげられているが、なんとか歯止めをしなくてはなあ。人口密度の高い都市集約型の生活はその享楽性・利便性とひきかえにさまざまのストレスをもたらす。きょうびハイテーン犯罪がマスコミを賑わしていて、親の育て方とか教師の対応のまずさとか、そらいろいろ理由があげられているが、静かに潜行している根本原因は人口過密にあるのではないか、とぼくは思うのだ。
ちなみに世界人口はBC8千年=460万、BC3千年=1400万、BC1年=1億7千万、AD1千年=2億6千万、AD2千年=60億人だそうだ。


2000/10/19 市町村合併 

きょうの福井新聞に県内の市町村合併に関する検討懇談会の提示案がでていた。つい数日前、シンポジウムを聴きにいったところなのに・・。結局あのシンポジウムは通過儀礼に過ぎなかったんだろうか。基調講演の講師が「外堀も内堀も埋まっている」と言っていたのは本当だったのだ。なんかむなしいなあ。
提示案はAとBのふたとおり。 
A案○県内を7市に統合する B案○県内を8市4町に統合する。
ちなみに、A案の場合坂井郡6町でひとつ、B案の場合芦原・金津・三国町でひとつの市を構成することになる。検討懇座長・小林巌とあったが確かこのひとは福井新聞の論説委員をしていたと記憶する。
みなさん、「読者の声」に賛否の意見をドシドシだしませんか。


2000/10/18 屋形船

去年の今ごろ(だったと思う)、中年男5人で竹田川をカヌーで下った。メンバーは丸岡・坪田・羽根・汐見・牧田。桑原の堰から出発し、金津大橋下流でゴールした(ぼくはゴールインできなかったのだが)。中年アドベンチャーというのはなかなかに楽しくてわくわくするのだ。ぼくはこの欄で去年のメンバーに呼びかけたい。
趣向を変えて、月見・屋形船なんぞどないなもんやろ。酒は黒龍、某銀行員桜井クンが持ってきてくれるだろう。船内ススキと団子の配置は小泉クンに頼もう。自家発の照明は丸岡の担当。どどいつは羽根の独壇場。きれいどころの斡旋は坪田。(なんでも南金津に2人、北金津に3人きれいどころがいるそうだ)。緊急の病気の時は汐見が汗を流す。いいねえ。


2000/10/17 あしたは寒冷前線が日本列島に降りてくるそうです

設計した建物の施主から「照明器具はソケットだけの裸電球にしてくれ。ガイシ配線にしてくれ。うすぼんやりの明るさがちょうどいいんや」といわれた。
今、夜の10時。事務所の蛍光灯を全部消して、あかりは頭上の裸電球ひとつだけ。白熱灯の赤味はなにやしらんレトロ調で安心する。
数日前の飲み会で残っていたウイスキー・アーリータイムズ(汐見医師持参だったかな?ごめんなはいね)を飲みながらの煙草を一服。
秋の夜はひとりざけに尽きるなあ。

白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の
  酒は静かに 飲むべかりけり   若山牧水「路上」


2000/10/02 しかしNHKも結構わるのりするもんや

晩飯くってるときお袋が「ギリシャ五輪では規模を縮小するそうや。
あんまりプロがでてきたら商業主義や」とい、のを聞いてちょっと考えてしまった。シドニー出場選手にアマチュアはひとりでもいたか?
プロ契約しているのだけがプロではない。実業団で3ケ月も高地訓練にでかけれれば立派なプロだ。アマチュアとは、毎日8時間事務やら経理やらをきっちりとこなし、その上で余暇を練習にあてるひと。五輪選手はプロアマ混在じゃなくて全てプロなのだ。
最高の技術は各々のワールドカップで競えばいい。
五輪アマチュアリズムの復権は、町内運動会万国交流会祭典を五輪と定義することだ。メダルも金銀銅以外に翡翠・御影石・大理石・アルミ・ステンレスと五つをたして入賞者全員に渡せばいいがね。

〇日曜日や、ということで夜7時頃既に床につき安部譲二の辛口本片手に寝入った。目が覚めたら午前零時。事務所に戻ってきたところだ。
ラジオからオリピックの喧騒が消えたのが大変いい。秋の夜長の深夜放送は童謡やぼそぼそ会話が一番似合うと思う。

もう10月に入ってしまった。20世紀もあと2ヶ月で終わりか。戦後の混乱期に生まれて51年間、よく息をしつづけてきたもんだ。計画性に乏しい人間だったので、結婚なぞできるはずもないと思っていた。けどひとりだけだがしてくれる相手もいた。3人の子も末子が中ニ。親が親であるべき時期もあと5,6年だろう。はやく隠居じいさんになってシュラーフかついで日本一周、金毘羅サンまで徒歩旅行をするのが、地道に生きてきたぼくのささやかな夢。


2000/10/01 人事異動

県会議員のSさんから、県議会報告「ホットラインNO30」が送られてきた。B4版見開き8頁。フォーク・クルセダーズの「イムジン川」をイントロにして空港問題・観光政策を主軸にずっしりと政治一途なのだ。さすが、県議はちがわーな。
ぼくのEメール通信・A4版見開き2頁とは質量ともにダンチであることをみせつけられるとガックリくる。けどか、ぼくもへこたれないぞ。
今から一生懸命勉強して、少しでも近づくように努力したいと思います。
それにしても、今回の金津町役場の人事異動でぼくのところに「?」の電話がかかってくるが、一介の議員や,わしゃしらん。