2000年11月

2000/11/30 村社・坂ノ下八幡神社

午後4時、生涯教育課から電話があって坂ノ下八幡神社に行った。
この界隈は江戸期の風景がそのまま残っているところといわれている。
観音堂・題目塔・名号塔・青楼無縁塚・子安地蔵・不動明王がいわゆる旧北陸道をはさんで鎮座ましましている。観音堂内にある33体のうちの殆どは現在、京都の仏師の手によって修理中。2年後くらいを目処に帰ってくる予定だ。友平山の紅葉も美しかったし、いつものことだが境内に入ると気持ちが凛とする。
明治から敗戦までの期間を除けば、神道にイデオロギーは無かったと思う。神主の奏上は「祓えたまえ、清めたまえ」だ。
清浄であること、これ以上でもこれ以下でもないとぼくは思うなあ。


2000/11/29 ことし最後の議会が近づいている 

12月の定例議会は11日(月)から始まるが、あしたは全体協議会が予定されている。全体協議会というのは本会議に提出される案件の事前説明会みたいなもの。案件の付託先がどの委員会になるのかもこの時点でわかる。
よって各委員会に所属する委員は、案件の内容にわからない点があれば予習して何を質問すべきか、整理しておくことができるわけだ。
金津町議会が委員会中心主義をとっている所以でもある。
本会議では、これとは別に一般質問がある。何人の議員が何について質問しても構わないのだけど、通常7,8人くらいか。きょう夕食を共にした友人たちから、なんか質問せいやといわれた。


2000/11/28 あしたお返しにあがりますばい

金津町社協さん、どうもありがとうございました。おかげさんでバリアフリーの建物ができあがりました。
工事現場に車椅子を置いておくと工程に応じてドア巾や廊下・WCの広さやの課題を体感できます。バリアーフリー住宅の条件をクリアーする数値上の規準はありますが、数値は数値でしかありません。生身の体を車椅子にのせて動きまわって初めて、広さや巾に心理的なゆとりがあるかどうかがわかったような気がします。
社協さん、すべてのひとたちの心がバリアフリーになるように是非頑張ってください。


2000/11/27 あしたからしゃきっとする 

ねぼけまなこで郵便受けをあけたら、知合いのひとからの厚い封筒が入っていた。中身はいろんな新聞の切り抜きが5枚。
見出しを列挙すると「山田芦屋市議・しきたり無視強み」「家庭の植木・公園で再利用」「手話で注文OK・障害者に優しいパブ人気」「自給自足で治療するケズンハイト建設中」「エコ・トイレを考える」である。
内容はいずれも興味あることばかりで、つまりは町民の為にしっかり働く議員になんなさいよ(酒ばっかり飲んでいたんではあかんえ)という叱咤激励だと思う。読み終え一服したのち、まずは体力回復だと腕立て伏せ10回、腹筋20回をこなした。健康は大事だ、運動を性に限定するのは人生の後退なのだと思った。


2000/11/26
 ビール・チュウハイ・ウイスキー・ワイン・冷酒・銘酒・ジュース・お茶

午前8時、少々の頭痛を伴っての起床。ウーンよく寝た。きのうの事務所は今年はじめての忘年会の場だったのだ。夫婦3組+男性=Σ7人でよく飲み、よく食べのワイワイガヤガヤだった。妻の横顔を見つつのウイスキーも久し振りだった。
一年間を振り返ってみると、議会でアタマにきたこともようけある。
仕事で眠れなかった日々も続いた。子供に対する親の態度で妻と悩みを共有もした。将来に対する漠然とした不安におののいたこともある。
いってみりゃ人生に苦労はつきもんだ。
けどか、同性異性を問わずひととのあるいはひとたちとの飲食を共にした団欒を経るたびに生きているっていいことやなあと思う。


2000/11/25 空き缶のポイ捨て

北野天満宮で有名な福岡県北野町役場が、今回の環境保全特別委員会の視察研修場所のひとつだった。人口は金津町とほぼ同じ。数年前、全国にさきがけて空き缶ポイ捨て者に罰金を課すことを条例化したことでマスコミの脚光をあびた町である。なんでも先代の町長が、訪問したシンガポールで道路のきれいさに「ムムこれはいい」と惚れこんだ結果の条例化だそうだ。報告-美化推進委員会-協議会での審査-警察-警察庁というちょっと怖いような一連のながれがある。罰金はなんと3万円。
しかし、実情は警告にとどまっていて罰金を徴収した例は皆無だとのこと。
じゃあ条例の意味はないやんかと思ったが、しかし日本的な風土ではそうなるんやろうなとも感じた。


2000/11/24 おいぼれる

50を過ぎた頃から記憶力が日増しに減退している。きのう何をしていたのか、誰と会ったのかを瞬時に思い出せないことがしばしばだ。若いころは考えられなかったことなのだが。
しかしこれが生きるための本能だという説もある。人間は年をとる分だけ死に近づくのだから、増大する死への恐怖感を軽減させる為に忘却本能が働くのだという説である。
辞書によれば、オイボレルのホレルは「心ここにない状態で放心する」と書いてあるが、それならばホレルは惚れるだろう。老いに対して惚れるのは、他人からどうみられるかはともかくとして、本人にとっては幸せな状態だといえるんじゃなかろうか。

2000/11/23 そういえば下の息子は勤労感謝の日に生まれたんだ

勤労感謝の日である。ということで午前中はかりんて祭、午後は坂ノ下八幡神社の新嘗祭に出席した。かりんて祭は大鍋による芋や大根のごった煮をメインに、とれとれ野菜・蕎麦・焼き鳥のあきないだ。
語源辞典によれば、「あきない」は「あきのおこない」からきているとのこと。つまり、農民が米をはじめとしたさまざまを収穫する季節である秋を迎え、やっと換金できるときがきたというくらいの意味だろう。
総じてすべての秋祭りは農耕民族の祭りだと思う。特に田舎ではそうであるはずだ。農業は国のかなめだ。なるたけメイドインジャパンの農産物を食べようよ。だれかが「茶碗いっぱいの米とコーヒー豆の値段がいっしょなんは腑に落ちんぜ」と言っていたがまっことそう思う。


2000/11/22 なんともいいようがない

昨日未明、福岡市中州のホテル。内閣不信任案否決のニュースをTVでみた翌朝、ぼくら議員のあいだはこのニュースでもちきりだった。
国と町村ではレベルや規模にうんとこさ差があるとしても、案件の採決の前に虚虚実実の駆け引きがあることは体験的にわかる。
ただ、加藤サンの場合は鳩山サンにラブコールされながら、TVメデイアで頻回に自分の信念を語り続けてきた。このことは首相決定を自民党内の密室談議からステップアップさせようとする態度の国民に対する表明であったと思うし、、その分だけ「賛成」が「欠席」に変わったことが不思議でならない。加藤サンの涙よりも、山崎サンの口をヘの字に曲げた苦渋の表情にぼくは誠実を感じたなあ。


2000/11/20 視察研修

この「議員日記」を書き始めたとき、駄文日記だけどとにかく毎日書こうとおもいました。
けれど、きょうから議会の視察研修で福岡にいくので、明日だけ書けません。
視察研修で恐らくいろんなことを感じてくると思いますので「議会通信NO:06環境保全特別委員会」でBCC発信したいと思います。


2000/11/19 戦争は本当にむごいものだ

天の橋立への物見遊山からの帰り、舞鶴引揚記念館に立ち寄った。ビデオ・写真・絵・文章で構成されているシベリア抑留の展示記録を見て、胸がつかえるような気分で入った喫茶室。
コーヒーすすりながら手にした展示本が「前田美千雄追悼画文集・戦場から妻への絵手紙・妻絹子に」だ。
新婚間もなく兵士として戦場に赴き、敗戦10日前に戦地で亡くなった画家の沢山の淡彩画と軽妙な文章が遠くの妻への思いであふれている。
本の巻末にあった妻絹子のあとがきに愛情の絆のかたさを感じた。
「モチーフを語る夫の目は同時に私の目でもありました。絵を通してお互いを見つめ合っていたのでしょう。庭先の椿を描いた私の返信の向こうにも一緒に見ている彼がいました」


2000/11/18 お知らせ

やまぐち まさえ「草花心経」展が開かれます
期間 平成12年12月6日(水)~12月10日(日)
   9:00AM~5:00PM(日曜4:00PM迄)
場所 福井県立美術館
   福井市文京3-16-1  TEL0776-25-0451
 お誘い会わせのうえどうぞ    

     山口 政江さんの住所は下記のとおりです 
    〒919-0633 福井県坂井郡金津町花乃杜1-3-29
                 TEL0776-73-0862


2000/11/17 深夜だ 晩秋の雨音は無料コンサートなのだ

CAD画面にむかっていたら、客人あり。よもやまばなしのなかで話題がNPOにうつった。そこで思い出したのがメール「コスモス通信34号」。武生市議・大久保さんが書いているものだ。それによると、武生市は9月補正予算で市民活動費として30万円を計上し、市民運動にむかって動き出した、とのこと。市民活動といってもいろいろあるだろうし、ひとからげで語れるものではないと思うけど、どこの自治体でも経済が青息吐息の昨今、住民が積極的に行政に働きかけないことには21世紀はこないのではないか。
市民運動の「市民」は市の住民と定義されるのではない。個人意識を持ったひと、くらいの意味だ。組織のエライサンとかなんとかじゃなくて市井に生きるひと、くらいの意味だ。

2000/11/16 事務所の壁に防犯灯をつけたらあかるくなった

田中長野県知事が、知事室を3階から1階ホールにおろす断を下したというラジオニュースで思い出したのが、今秋の議員研修で訪れた静岡県韮山町役場。「1階に助役の席があるんです」と係員から説明を受けた。
「助役が1階やったら町長も1階でないとあかんのでないんけの」というぼくの福井弁の問いに「町長が近くにいると職員が嫌がるんです」というきれいな東京弁の小声の答え。
仕事に集中しているのなら、誰がどこにいようが全然関係ないと思うのは、ひとり仕事うん十年のぼくの浅薄なものの見かたかもしれない。
だけど、それをさしひいても役場トップが公務にいそしんでいる姿をみんなにみてもらうのは、とってもいいことだと思う。


2000/11/15 明かり 

昨晩10時、いとこの家にいる娘を迎えに福井市内を車で走った。繁華街の赤い灯、青い灯がきれいである。昔勤めていた設計事務所が片町のド真中だった。ネオンを目にするとココロとカラダがうずくのだが・・。
人工衛星で地球を見下ろすと日本列島が一番明るいという話を聞いたことがある。町会議員の選挙の際、金津町津々浦々を廻って防犯灯の必要性を強く感じたが、享楽のための過度な明かりによる電力の消費は、将来のエネルギー資源の確保に影をなげかける。夜はやっぱり夜なのだから、家の中があかるけりゃそれでいいじゃないですか。
おてんとさまが沈んだら「きょうも一日生かせていただいてありがとうございました」と念仏唱え・コーラン読み・十字きり・エトセトラでまぶたとじ、小鳥のさえずりで目をあけるのが健康にいいと思うがな%8


2000/11/14 この頃 すごく子供の頃に戻りたい

「あきまへんなあ 
 競争や 競争や ゆうて
 みーんな
 めが ちばしってる
 ぼくらぼうっとしてるもんは
 もう それだけでのけもんや 
 
 足がいたいんも
 血圧がたかいんも
 雨が降るんも
 みーんな こないな世の中の せいなんや」と、誰かが言っていた。


2000/11/13 もっと若いひとが、もっと女性が議員になるべきだ

酒傾けつつ某区区長から「いろんなこと、議会報告していかなあかん」と言われた。巷間、議会が訳のわからんところやと囁かれている部分は一年半の議員生活で多少わかるようになった。「委員会の傍聴原則許可・請願」却下というおよそ時代錯誤的な議会判断がまかり通る背景もちょっとみえてきた。  自分の知っていることはなんでもしゃべりたいと思うけれども、発信方法がよくわからない。身近なひとたちだけへのしゃべりに終始してしまうとしたら、選挙で投票してくださったひとたちに失礼だ、給料泥棒になってしまう。メール送信といっても、コンピューターにむかうひとの比率はまだまだわずかだろう。場所設定しての議会報告・通信郵送・手渡し・エトセトラ・・徐々に試みようと思います。


2000/11/12 春江空港 

春江空港期成同盟の模様がTVにうつっていた。6町の議会議員も集まったようだがぼくは行かなかった。春江空港ができた場合金津町上空で機体が降りてくると聞いている。ぼくの友達が伊丹に住んでいて、鉄のかたまりを近距離でみあげることのおぞましさを知っているからだ。新幹線と空港並存では採算もとれないだろう。空港の無い後進県というレッテルが貼られることの懸念をいうひともいるが、自治体やひとはレッテルで生きるもんではない。将来の活性化への投資だというひともいる。だけど投資の回収力の展望を具体的に語ってもらったことがない。第一、わざわざ街並み周辺の平野部を空港にしなくても、やまあいとか海辺とかいろんな選択肢があるとおもうんだがなあ。 ぼくは間違っているんやろうか。


2000/11/10 今夜の夜汽車で旅立つオレだが・かまやつひろし

塩田丸男の「死語読本」がE電に触れていた。昭和62年4月1日の国鉄民営化に伴って「国鉄」が「JR」に、「国電」が「E電」になったのだが、「E電」はほぼ一年後に死語の烙印を押されたとのこと。学生時代ぼくは関西にいたが、関西で国電は「省線」と呼ばれていた。「省線」の省はなんと、鉄道省時代の省からとったものであることを、この本で初めて知った。それほどに固有名詞は保守的なのである。国、地方自治体を問わずハイカラなヨコ文字をつけたがるのが行政であるとぼくは密かに思っている。トリムマラソンやトリムパークのトリムがどんな意味なのかぼくは知らない。ハローワークと職安に意味としての互換性があるんだろうか。
「ヤングミセス」より「若妻」のほうがよっぽど色っぽいぞね。


2000/11/09 昭和の大合併は昭和29年だった 

恐らく来年度から市町村合併の論議が高まるであろうなか、町発行の金津町合併25周年記念冊子「対話と講演」を友人から貸してもらった。ガリ版刷りであることが、冊子をとっても貴重なものに感じさせる。・・達川金津町長の冒頭挨拶「大いなるふる里づくりをめざして」に始まり、坪田町議会議長「新しい金津町生誕25周年を迎えて」、山口中央公民館館長「志田尚元町長・天野秋男前町長を尋ねる」のいわば回顧録のあと、昭和54年現在、合併後25年を経過しての町民アンケートが載っている。詳述のスペースはないが、合併に対する賛否のなかに、「役場と住民の疎遠」「公共施設の中央移行」「地域性の喪失・こどもの遊び場や素朴さの消失」「保・幼一元化」などのこんにち的な課題が既にうたわれていることが目についた。

〇 フロリダ州の開票、その差が千票弱=0.0なんとかパーセントという
まさに「事実は小説より奇なり」の結果をうけて、州票の再チェックが開始されたという報道。不在者投票の結果が未確定だったとか、開票に不審な動きがあったとか、投票記入の方法にわかりにくい面があったとか、投票時刻締め切り後も長蛇の列だったとか、まるで選挙法制定後まもない国が持つ混乱ぶりを、民主主義の牙城を自認する米国が露呈しているのも、つまりは未曾有の大接戦だったからだろう。
もしも再チェックの結果、ゴアの逆転勝利となったらどうなるんやろか。  どうもならんのだろうが、天国と地獄がこの世にあるのだという証しにだけはなるやろうね。

2000/11/07 昔はもみじの葉っぱをよくしおりに使ったもんだ 

愛用のジープ「ロッキー」で町を離れ山道を走った。紅葉が美しい。赤い葉が谷あいのせせらぎを流れていた。
先だっての日曜日、友達がグループで郡上八幡に行き、町のたたずまいが素晴らしかったと異口同音にいう。町に小川が流れていて鯉が放流されているんだそうだ。
5年前、PTA連合会で行った滋賀県高月町もそうだった。道は白砂利で敷き詰められ半割の孟宗竹が小川をまたいでいる。竹に盛られた黒土に可愛い草花が咲いている。点在する小さい水車がコトコト音をたてている。清流を間近に見ると、気持ちが凛とする。煙草を吸う気分にならない。我が金津町も水路の走る町にしたらええのや。


2000/11/06 ベンチでコーヒーを飲む王監督の姿はさまになっていた

ONシリーズとかなんとかで、民放とはいえ読売系TVが公共電波で馬鹿騒ぎをしている間に、杉山が江藤が醜態をさらけだし、西武の免停男松坂は駐車違反の罪をあるいは球団のさしがねかもしれぬがともかくひとになすりつけ、そうこうしているうちにイチローが毛唐の国への脱出を表明、阪神の看板選手新庄の横浜行きはホントかなと心配してたら、監督野村と選手達が一触即発という記事、阪神に明日はなくなり、パリーグの灯は消えていき、セリーグの金持球団スター達の私的行動におよそ推察がつきはじめたこんにち、政治倫理を求めての政党再編さながらに、日本プロ野球機構をいったん解体から再出発させるか、しからずんばアメリカ大リーグのファームチーム機構とさせるのが賢明な選択肢だと思う。

〇「三国の昔話」(町文化財保護委・編)第6話が「まじない」だ。子供の頃、親や近所のひとに聞かされたいくつかがそのなかにあった。
●ミミズに小便をかけると、チンポがはれる。
●カラスがひどくなくと、人が死ぬ。
●蛇の皮を財布に入れておくと、お金がたまる。
●ミョウガを食べると、ものおぼえが悪くなる。
●冬至にナンキンを食べると中気にならない。
●ごはんを食べてすぐねると、牛になる。
●夜、茶碗をたたくと乞食がよって来る。
●茶柱が立つと、いいことがある。
●耳の大きい人は大金持ちになる。
●ヘソのゴマを取ると、腹がいたくなる。
●三人で写真をうつすと、まん中の人が早く死ぬ。
●米一粒に仏様三体がいらっしゃる。


2000/11/05 2000年米大統領選の投票はあさってだ

米の大統領選挙。つい先日は、ブッシュ・30年前の飲酒運転逮捕がリークされた。まさにデッドヒートです。
クリントンが予備選挙で脚光を浴びはじめたころ、若いお嬢さん・ウエンデイさんがぼくの家にホームステイし「ワタシハ、カレヲイッショウケンメイオウエンシテマース」といっていた。国のNO1の選出に自分の力が発揮できることの誇りがあるのだ。日本と全然違う。
首相公選制の唱え手は確か中曽根康弘だったと思うが、小沢一郎は政体を変えて大統領制をとらない限り直接選挙は無理だとTVか新聞で言っていた。制度的なむつかしさはいろいろあるんだろうけど、今の首相選出の在りようがぼくらにとって訳のわからないものだということだけは言える。


2000/11/03 プライバシーとは心に鍵をかけることなのだが

金津町HP10/02でtokuさんが職員モラルに言及。職務上知り得た秘密を他人に漏らしては駄目だ、剛毅粛正を求めるというトーン。勿論原則正しい。 ただ、議員は諸々の情報を耳にしやすい。例えばH11年度・納税していない件数は1200に達したという。真面目な納税者にとっては腹のたつことだ。そいつらは誰じゃい、せめて悪質法人個人の名前くらいゆうてくれよと委員会で議員が質問しても「プライバシーの保護」の下に行政は口を閉ざす。議員が特権を利用して圧力を課にかけたとしようや。その圧力がいつどういうカタチであったのかをぼくが聞いたとする。ゆうてくれるかどうか。お茶をにごして終わりかもしらない。要は、「プライバシーの保護」が「公益の侵食」に繋がる局面があることを、心に銘記しておくことじゃないか。

2000/11/02 キーマン吉崎 

昨晩、酒の席。市町村合併に話題がうつったとき、「何故国の都合だけで合併しなあかんのか。合併するとしても文化風土を考慮した自治体主導の合併のカタチがあるはずや」「加賀市と合併したほうがいい。吉崎を中心地にするといい」という意見がでてきた。
加賀国は養老2年(718年)に越前国より分国したが、文明3年(1471年)から文明7年(1475年)までの5年間吉崎を根拠にして真宗を布教し根付かせた蓮如の頭のなかに越前・加賀の境界線の意識はなかったはずだ。
当時の水呑百姓の末裔としてのぼくは御山や鹿島の森を歩くとき、(もしかしたら)先祖がこの地で味わった法悦を思う。
県境を固定化して考える必要もない。それが広域に対するありうべき捕らえ方だろう。門前町・吉崎の復権。いいじゃないですか。

〇後1時30分、福井県自治会館。市町村議会議員合同研修会だ。講演その1は石原信雄氏(地方自治研究機構理事長)「地方分権と市町村合併」。その2は美濃部武則氏(NTT西日本福井支店・マルチメデイア推進担当課長)「IT活用でまちづくり」。
石原さんは竹下内閣から村山内閣までの7内閣にわたって、内閣官房副長官を勤めたひとだ。真面目なひとがらみたいで1時間30分の講演中、ジョークがひとつもでなかった。こういうのも珍しい。酒の席で裏話でも聴いたらおもしろいんだろうな。
美濃部さんの話は携帯・Iネットの今後の動向、魅力的なHPの紹介などなど。面白かったけどいかんせん市町村議員は年よりが多いのだ。若いひとたちがもっといればなあ、と思った。
詳しくは「議会通信NO6」に載せたいと思います。

〇夕方電話をしていたら「最近、事務所の電気が消えるの早いのね」と言われた。
そうなんや。夜が深けるとあくびがおおくなる。目がショボショボする。議員になって付き合い酒がおおくなったけど、二次会にはまずいかない。だけど早く寝るといっても睡眠時間がながくなるわけではない。目が覚めるのはいつも闇のなかだ。よっていつも白山連邦からおのぼりなさる太陽神を拝んでいる。
世がしらみ始める瞬間というのはまことに気持ちのいいもんで、おおげさじゃなく世界の始まりをみる気分にさせる。日本に「早起きは三文のとく」の諺があるように、アメリカにも「早起き鳥は二倍の餌を捕まえる」という諺があるそうだ。
ただいま午後10時、さあ寝るぞ。


2000/11/01 座敷小唄  

ちょっと前、貸切バスのなかでのできごと。マヒナ・ヒターズ(古いねえぼくも)の「お座敷小唄」を鼻唄で楽しんでいた。「富士のたかねにふる雪もー京都先斗町にふる雪もー雪に変わりがないじゃなしーとけてながれりゃみなおーなじー」・・。横槍が入った。「みなおなじなんなら、<変わりがないじゃなしー>でのうて、<あるじゃなしー>でないんけの」。言われてみれば確かにそうだ。確かにそうなんだけど歌詞は<ないじゃなしー>だったと思うんだ。そして作詞者の隠された意図がそこにあると思うんだ。ガイドさんにカラオケ本で調べてもらったけど載っていなかった。御存知の方、教えてください。おねげえしますだ、おだいかんさま。

〇スーザン・小山著「大草原の小さな旅」を一気に読み終えた。題名で察せられるとおり、TV放映された「大草原の小さな家」のもじりで、ロウラが転転としたアメリカ西部の著者自身による追体験記。百数十年前の西部大平原の開拓史。 ぼくも数回観たことのある「小さな家」は少女ロウラの視線に基づいたもので、自然の優しさ怖さ、家族共同体の結束、愛・正義などがテーマであったのに対して、大人の女性=小山の視線にはインデイアン(今はネイテイブ・アメリカンというそうだ)に対する白人の迫害、農民に対する鉄道大資本の収奪、食いっぱぐれ無法者集団による暴力性の描写が上乗せされている。
生きるうえで、つつましさや正直さがなによりも大事な道徳であった時代はアメリカでも日本でもついこの間まであったはずなのになあ。