2001年03月

2001/03/31(土)
■広沢虎造
名前知っているだけだった浪曲師・広沢虎造。このところ毎日聴いているのだが、
いいねえ。実にいい。
リズムがいい。抑制がきいている。本質美声の喉元でダミのおとをころがしている。こぶしのまわしはひばり級だ。
国定忠治が男なら、演じる虎造、男のなかの男だ。
「みんな、俺みてえなものによく尽くしてきてくれたなあ・・・
雁がとんでくぜえ。赤城の山も今宵かぎりか・・・」。泣かせるねえ。

男はタフでなくては生きていけない 優しくなくては生きていく資格がない 
                            レイモンド・チャンドラー
男はタフでなくては生きていけない 泣かせなくては生きていく資格がない  
                            広沢虎造

2001/03/30(金)
■午後1時、雨もあがり気温が上昇している
1点ビハインドの9回裏、勿論福商vs浪速戦だ。
なんで、1アウト1、2塁からバントさせにゃいかんのや、あれはヒッテイングやったぞというズブの素人の談議が、実は福商・北野サンのような名監督にとって、はなもちならん雑音であることは充分わかっている。
にもかかわらず書くことにはわけがある。
福井県高校球界の勢力地図が変わりつつあるのだ。ウ・コンガクの愛妻、彼女のいとこが監督として率いるチームが実力急上昇中で、来年は優勝候補の筆頭との下馬評が広がりつつある。だからこそ、今年に限っては、北野サンに勝ち進んでいってほしいと思ったのだ。
とはいっても、高校野球甲子園大会は全国村祭りトーナメントの夕べで、福井編はとにかくもう終わった。昼からはCDで「日本のわらべ歌」静かに聴きながら仕事にいそしむこととしよう。

追 きょうは教職員の離任式。金津小転任される先生方が挨拶にきなさった。
どうか、新天地で頑張ってください。

2001/03/29(木)
■きょうの夜は仕事をしないのだ
世の中でいつが楽しいといって、仕事に区切りのついたときに優るものはない。きょうの夕方5時がそうだった。
今晩は一切図面にむかわないと心に決め、久し振り風呂に入った。頭のてっぺんから足指の先まで、まえうしろ丁寧に洗った。事務所に戻り赤ワインを口にふくんだ。ほてりを感じたぼくは裸になり、等身大の鏡の前にたった。
色白の肌がピンクに染まってあやしくなまめかしくみえるのも、52才とは思えない筋肉と下腹部と骨格のなせるわざなのか。
かれこれ3週間、家で寝ていないことを思い出した。どのみち明日から時間刻みの日々が続くのだ。つかの間の解放、今晩は家の布団で熟睡しよう。

しかし、その前に「議会報告」を書くことにする。このようなぼくの生真面目さは死ぬまで続く習性なのだろうか。

2001/03/29(木)
■きょうの夜は仕事をしないのだ
世の中でいつが楽しいといって、仕事に区切りのついたときに優るものはない。きょうの夕方5時がそうだった。
今晩は一切図面にむかわないと心に決め、久し振り風呂に入った。頭のてっぺんから足指の先まで、まえうしろ丁寧に洗った。事務所に戻り赤ワインを口にふくんだ。ほてりを感じたぼくは裸になり、等身大の鏡の前にたった。
色白の肌がピンクに染まってあやしくなまめかしくみえるのも、52才とは思えない筋肉と下腹部と骨格のなせるわざなのか。
かれこれ3週間、家で寝ていないことを思い出した。どのみち明日から時間刻みの日々が続くのだ。つかの間の解放、今晩は家の布団で熟睡しよう。

しかし、その前に「議会報告」を書くことにする。このようなぼくの生真面目さは死ぬまで続く習性なのだろうか。

2001/03/28(水)
■高校野球
選抜高校野球ということで、たまにTVのスイッチをいれると若い青少年がグラウンドを走りまわっている。
最近の青少年、やさしく可愛い顔が多くなってきたように思う。
星陵の松井などは例外中の例外だろう。

三沢VS松山商の決勝戦にしびれた。報徳学園・奇跡の大逆転は金津小学校校庭でその結果を知った。あの星陵VS箕島の時、ぼくは名古屋の雑踏を歩いていて、どこからともなく流れてくる中継に興奮した。
しかし白眉は福商-浜松商決勝戦、ぼくは福井市内の喫茶店でTVにかじりつきだった。
浜松商の3番か4番によく打つ憎らしい男がいて小沢という名だった。そしてぼくが好きだ好きだと思っていた女の子の名が小沢だった。(=今の妻の旧姓)。
小沢はとっても憎たらしくって、とってもいとしかったのだ。
愛憎共存・アンビバレンツという、心理学的心の在り様は世の中に多く存在するに違いない。

2001/03/27(火)
■町役場のホームページ
金津町役場HPの掲示板「傍聴人A」さんの意見(3/26付)になるほどと思った。
「役場批判でもなんでも、匿名ではいってくりゃ、始めから勝負あったと同じじゃないですか。…役所の苦情処理口だけのシリアスな内容じゃなくて、思いつき程度の政策っぽいことを気軽に書き込んで役所のひとも気軽にそれにこたえていく。そうすりゃ、この掲示板、書き込みが増えるんじゃないですか」

議員しているので、役場のひと結構知っている。みんな真面目でいいひとたちだ。個々にビジョン持っている。
役場の職員(トップでなくてもいいのだ)が、掲示板で気楽に答え、気楽に投稿できる雰囲気があったら面白いだろうなあ。
町トップはそういう雰囲気つくるのに尽力すべきじゃないか。
ぼくは、掲示板に書き込む名前、匿名・本名どっちでも構わないと思っている。しかし、町掲示板に本名書き込んだひとがひとりもいないというのもちょっと不思議だ。
ずうっと読んできて、警察に捕まるような内容ひとつも無かったと思うよ。
マア「あの野郎」と思われるものがあったかもしれない。しかし「あの野郎」と思われることは存在感のアピールなのだ。いいことじゃないかなあ。

追 友人から「教師について」の論文メールがきたのでフリートークに無断掲載しました。


深夜に写真添付のメールがはいってきた。
謙虚なぼくは、ゴミ拾いしている自分を通行自動車からみられるのが嫌で、奥まった窪みでひとり黙々と作業していたのだが、ウ・コンガクに隠し撮りされてしまったのだ。

そういうぼくが敢えて写真載せた訳は、ぼくの帽子に注目してほしいからである。
4年前、オーストラリアはブリスベン郊外の大きな牧場の中にあった土産物店で買った帽子でカンガルー製だ。
年の頃ははたちくらいか、ブロンド・豊かな胸・すらっとした美人店員に、この帽子試しかぶりしつつ「ハンサムにみえるけの?」と聞いたら、「ノー」という断固とした口調。ムッとしたぼくが「じゃあな」とココロでつぶやきつつ去ろうとしたとき次にでた言葉は「ゆう るっく セクシイ」だった。
日本人は世辞をいう、欧米系は本音をいうという噂を実体験できたぼくは、大枚¥4500-払ってこの店をでたのである。

きのうの全協。某議員が「だめなことはだめときっちりいう先生たるべく先生方を指導してくださいヨ」と教育長に申し入れしているのをきいているうち、幾つかのことが頭をよぎった。

●若い頃教師になりたくてなりたくて、先輩に相談したら「オマエがなると生徒の道徳荒廃する。やめとけ」といわれてなくなくあきらめた。
●数ヶ月前、東京に住む妹から「こどもがどの先生のクラスにはいるか、自身の自主性にまかそうという動きがあるんやけど、お兄さんどう思う?」との電話があった。
●議員になる前、べつの目的で傍聴した町議会。
某議員の「こどもをしつけるための教育理念は?」との問いに「儒教の精神で望みたい」と、当時の教育長は答えていた。
●偶々訪れてきた教師。「なんやかんやいっても夏休みや春休みやがあるし生活保障はあるし、民間と比べて教師はらくや」と言っていた。
●昔の女友達、自分のこどもらを義務教育にいかせず、帯同してヨーロッパやアジアを放浪していた。
●関西で高校教師している友人(本人も問題教師の部分もつみたいだ)。
「東京都が、問題教師を合法的に辞めさせることのできる方向に動きはじめた。このことがどれだけ危険な事態を生むか、世間が気づくころには既に手遅れになっているだろう」と書いていた。

建築畑の(つまり教育門外漢)のぼくにすらいくつかの声が聞こえてくるのだから学校の先生というのは大変ご苦労さんな仕事やなあと思う。
いろんなことしゃべれそうな気がするがここは日記欄。
学校の先生がた、こどもたちの未来のために頑張ってください。

2001/02/27(火)
■郵便局にて
午後4時、某郵便局局長との、ほんの数分の立ち話的会話。「わたしは、市町村合併絶対反対ですよ。合併になったら、サービス低下する。郵便局もそうですよ。田舎のおじちゃん、おばちゃんに対しての外務員サービスできなくなりますよ。どうするんですか。」「ほんなら、次の首相、小泉純一郎になったら困るねえ」「当然です。あんなんどもならん」
結局リストラというのは競争原理の導入で、競争原理というのは儲からないところには手をださないということだ。社会的に弱者とみなされているひとたち(ぼくはそういうひとたちのなかにツワモノもようけいるとは思うが)に対してのサービスの公平性がそこなわれるのは確かにあかんことなのだ。

2001/03/26(月)
■全協
午前9:30全協(議員全員協議会)。
協議事項は「福祉バスについて」。
試験的運行期間を経て、4月から正式にスタートすることになる。
利用者数については、当初の予想よりも多かったみたいでそれ自体は結構なことだ。
しかしこの福祉バスがカバーし得ない地域もあるのだ。
「路線バスのラインとだぶらせることができないのです」という担当課長の説明もあった。
陸運局がいろいろと法的規制をしてきているみたいである。
詳細は、近日中に「議会報告」でホームページ発信するつもりだが、協議会資料眺めつつのキーボードたたき発信より、資料スキャンしてのjpg発信がずっと手軽ではやい、手がかからない。しかるにプアー牧田はスキャナーを持っていない。
仕方がないので、知り合いのスキャナー持ちのところから添付ファイルメール送受信でとりこむつもりだ。
こういうとき、誰よりも頼りになるのはプロパニスト小泉である。

全協・番外編で、理事者(町長)より課長補佐以下の人事異動についての説明があった。
去年の課長級人事異動のときには「??」だったが、今回も{?」くらいはある。
マア人事に議会は無関係、よって「そうか、そうか」なのだが・・・。

追 jpg発信試みたけれどずっと手重で遅いみたいだ。やっぱりキーボード発信にしよう。

2001/03/25(日)
■空缶拾い
午前中、「わたしたちのまちネットワーク」が小雨に煙る創作の森周辺の道路沿いを空缶ゴミ拾い。
今回が5回目で30人くらいの人が集まったとのこと。
済んでから、陶芸家・大森氏の講話をみんなで拝聴した。
陶芸作品は楽しまなければいいものができないという、氏の言葉に納得。
陶芸のみならず、ものをつくることをナリワイとしているひとたちが共通に感じていることだと、図面職人のぼくは思ったなあ。
陶芸のカマは電気・ガスよりやっぱりマキだ、マキには力があるというくだりでは、そういう名前をいただいている者として照れを感じてしまった。

閑話休題
ここのところ、ホームページビルダーで自分のHPのスタイル・字体・色さまざまに変えてみたけれど、所詮素人の悲しさ。なかなか「お気に入り」にならない。
しかしいじるのに飽きてきた。当分の間このスタイルでいこうかナと思っていますんでよろしく。

2001/03/24(土)
■つくし


午後5時、愛用自転車・ナショナルバナナ号で堤防沿いひとはしり。
一面つくしの野原にいずかった。立って一枚、這って一枚撮ってみた。
事務所で写真編集。子供のころこいつをゆがいて醤油で浸したのがうまかったなあと思っているうち、貴乃花・魁皇戦が始まった。貴乃花が勝ったがいい相撲だった。
つくしたからだ。力をつくしたからいい相撲だったのだ。

変に鬱にこもらず、微力でもとにかく力をつくすのが大切だと思った。

10日ほど前か、深夜のNHKが日教組今年の闘争方針を報道していた。
幾つかの方針のなかの「教師にそぐわないひとを他の職種に転換させようとする政府の方針に断固反対する」というスローガン聴いて、先ず笑い、次に考え込んでしまった。
教師が聖職でない、労働者であるというのは当たり前の話しだ。
誰がどういう労働に向いているかは、経験してわかってくることが確かにある。
PTA時代、お母さんたちから「今度のクラス替えであのセンセのクラスに私の子供入ったら悲惨やなあ」という声幾つか聴いた。
この問題の解決はとっても簡単で、辞めてもらうことに尽きると思うがなあ。

ちょっとしたごたごたで沈み込んだ気分のまま午前1時半起床。
朝型生活とはいえ、いくらなんでもはやすぎる。
疲労困憊人生無為。ただぼうっとしている。
熱い珈琲で目が覚めはしましたけれど、後退した気分で手は進まない。
しかたないので開高健の南米大陸釣紀行写真文「オーパ」をながめていた。
とてつもない広がりと奥の深さを持つ最後の秘境アマゾン。
体長2mのミミズ、ピラニヤの獰猛、鉄砲でしとめる巨大魚。
圧倒的なスケールはぼくをワクワクさせたのだが、アマゾンには雨季・乾期があるだけだというくだりで悲しくなった。
ぼくには躁期と鬱期があるだけで、今、鬱期に入ってきたみたいだ。
やっぱり寝よう。

2001/03/23(金)
花束
昨日昼、「きょうは奥さんの誕生日よ」と言われた。ウーン妻の誕生日か、しばらく顔を合わせていなかったなあ。
結婚して21年、甲斐性なしのぼくは、ダイヤもバッグもネックレスもドレスも要するにかねめのものを絶えてプレゼントしたことがない。
いつかプレゼントできると思いつつ、歳月だけが通り過ぎてきたのだ。
よし、と花を買いにいった。
妻の部屋のドアをあけた。右手に花束携えて「誕生日おめでとうよ」と言った。
こころで(来年こそはリッチになって真珠の指輪くらい買ってやるさ)とつぶやきながらピンクの花束を妻に手渡した。妻は笑顔でうなずいた。最高のお返しだ。

確か啄木ではなかったか
   友がみな 我よりえらくみゆる日よ 花を買い来て 妻としたしむ
     この歌の意が少しわかったような気がした。

懇意にしているひとから「図書館を1階に下ろすのにいくらかかるんやろか」という電話。
図書館というのはどこの町でもまず、1階にある。
バリアフリーを考えた時、1階にあるのが当然だ。
当然だという声はとっても多い。
町財政から考えて図書館の新築当分無理であるならば、1階2階の総入替えは選択肢だろう。
工事費はせいぜい内装模様替、多額にはなるまい。要は何を大切にするかだろう。

2001/03/22(木)
黒坂さんちの白梅が咲き始めている
坂ノ下区にあったスーパー・コドウ。先月倒産して近所の年寄連中は不便や、不便やといっている。運転免許持っていないと遠いところまで行けないのだから、確かに大変だろう。
しかし、あとがまが決まったもうしばらくで開店や、という風の噂もある。

だいぶ前、カナダにホームステイした。トロントの郊外をドライブ中、コドウやユースみたいなのが幾つか目についた。
「スーパーって日本とおんなじやなあ」と呟いたら「ああいうのスーパーとは言わないのよ」と運転者Mrsグレイがいう。
「じゃあなんて呼ぶんやの」と聞いたら「単なるマーケットよ。スーパーがつくのは、もっともっと大きい店よ」と言われた。
ウーン、国土と建物のスケールは正比例するのだ。

2001/03/21(水)
樹はなくのだ
昨夕、ぼくは金津小学校校庭の雑草にひとりねそべっていた。
校庭は家から徒歩2分。小さかった3人のこどもたちを、散歩がてらここによく連れてきたもんだ。

隣・大鳥神社の樹木が風に揺れている。
何年前だったか、某幼稚園のセンセイがぼくに言ったことがある。
「牧田さん、大鳥神社の樹ってなくんやざ」
「そりゃあ、樹も人間もごぶのいのちや。泣くこともあるやろ」と答えるぼくに「違う。鳴くんや。枝と枝がすれあって鳴くんや」と彼女は説明攻勢をかけてきた。
そうか、こすれあってなくとはますます樹も人間も一緒やなあと思ったが口にだせない。
「なんてすてきな表現や。心の豊さが目に見えるぜ」とぼくは答えた。

2001/03/20(火)
ファンタジックな夕陽をみたぜ


起床時、プロパニスト小泉が昨日コンピューター接続してくれたCDで初代広沢虎造「名月赤城山」をたんのう、「赤城の山も今宵限りか、サア出入りだぜ」とつぶやきながら市姫荘に行った。
町社協より依頼された「金津町身体障害者連合会・定期総会」の手話通訳である。
若い頃は通訳依頼でいろんなところ頻回に行ったものだが、寄る年波でめっきり減った。
でもこの定期総会の通訳だけは随分前から引き受け続けていて、列席のおれきれきの顔顔結構記憶袋に入っている。
総会終了後福祉保健課課長平田サンと話した時の話題でもあったのだが、公的な総会に手話通訳たてることは、福祉行政標榜するなら不可欠となっていくだろう。ならば、行政職に手話できるひといることが必要だ。養成することが大事だ。

2001/03/19(月)
謝謝
なんやかんやでひたすら時間に追いまくられ、何をどうしたらええのかチヂに乱れる心鎮めるために一服。
合間に自分のホームページ開いたらクリックカウントが10000を超えている。
去年は2月のなかごろか、内向する思い字面にしてのストレス発散目的でつくったHP、自身を癒すための勝手気ままなふみ読んでくださっているみなさん、どうもありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。

2001/03/18(日)
ドラゴンリバー
ドラゴンリバー(笹岡一彦代表)のグループが竹田川べりを清掃するというので、行ってみた。
行ってみたとは変な言い方だが、諸々の用事あって清掃済んだ頃に行ったのである。
空缶はじめいろんなもの沢山捨てられていたとのこと。集まったひとたちの顔活き活きしていたのはゴミ清掃が心の清掃に通じていたからなんだろう。
清掃奉仕したわけでもないのに親睦会に誘われ、恥ずかしかったけど遠慮しながら、しばらくだけおじゃまさせてもらった。
町ネットのひとたちも今度「創作の森」周辺を清掃するそうな。いろんなひとたちがいろんな場所でいろんなことしてひとの輪広がっていくのは楽しいことやと思います。

何ヶ月ぶりかで金津町役場の掲示板のぞいたらいくつかのメール入っている。
共通のトーンは「寂しい掲示板です。何故回答がないのですか?」というもの。仮に民間会社だとしたら、商談で窓口来たひとに応対せんのと一緒やから、入れたほうは寂しいやろうし腹たつかもしれない。以前管理職の何人かに「?」ときいたところ、掲示文は週毎の課長会議で配布しているという返答だったのだが・・・。

IT事業の一環として計画されている、行政主導によるパソコン講習会は年寄世代への普及がねらいときく。ぼくら年寄は手書き育ちで、パソコン前にしても、どのみち原理習得しての多様な展開望むべくもない。
ならば「文字打込と町役場掲示板へのクリック方法」習得に講習を限定するのも一案だ。年寄は暇人陰口たたきが多いから「いよいよわしらが、おかみに文句言えるときが来たぜ」とパソコン向かうに嬉々とする。
行政のリアルタイム回答で住民との距離近づき、即ち町活性化の構図少しみえてくるんじゃなかろうか。

2001/03/17(土)
友人僧侶久振来訪 四方山話 
ホームページをあれこれいじっているうちに1日が終わってしまった。
あんまり有意義ではなかったなあ。
今午前1時、しばらく寝てから仕事にとりかかろう。

2001/03/16(金)
水の話し
同僚議員と水についての話しをしていて思ったこと。
雨水はコンクリ側溝に流し、汚水は塩ビパイプで公共下水道に流すのが現代生活の主流になりつつある。コンクリ側溝が敷地・道路排水をスムーズにし、下水道が河床汚染を食い止めるのは確かだ。けれども水の流れを全て人工的に管理することで本当に全て良しとなるんだろうか。

以前、給排水設備設計所長がぼくに語ったこと。
「ドイツで排水設備の状況みてきたら、結構土管が使われてる。日本みたいに塩ビパイプ使えば漏水無いのになんで土管使うんかドイツ人技師に聞いてみた。
(漏れる数%の水が長い年月かけて地層で濾過されて到達する地下水脈豊富にするんや。わしらの子孫たちへのプレゼントや)が答えやった」 
ぼくらはもしかしたら、金銭のみならず自然の公債をも発行し続けているんではなかろうか。