2001年08月

08/31(金) 床柱


毎日こつこつと孤独に元事務所の不要物を搬出している。
片付き、きれいになるにしたがってがらんとした空虚な空間が顔をのぞかせてきた。
そこで、空虚を埋めるインテリアになるのではないかと、波松の海岸を流木求めてさまよった。
暮れなずむ夕陽のなかでぼくはシルエットだった。
床柱が砂浜に流れついているのを見つけたとき、江戸川柳が頭をよぎった。

楽しみは うしろに柱前に酒 左右に女 ふところにかね

昔、PTAの会長していた時の親睦宴会で床柱背中にして座ったことは何度かある。
しかし、左右は女ではなかった。校長・教頭だった。
ふところにあったのは若干の硬貨で、札束ではなかった。

ひとは、それぞれに夢を持ち、実現のために日々を送るのだが、その過程で世におさらばする。
結果より、過程なのだ。宿命といってもいいのではないか。
さあ、鉢巻しめて頑張ろう。


08/30(木) 捨てる


空いた時間利用して、事務所を整理する日々が続いている。
チェックしながら捨てているのだが、その量が膨大だ。
知らずにたまってしまったカタログ・書類の大半が不要物。
書類処分すりゃ本棚も不要物だ。
捨てるという行為は精神的な営みで、過去の自分と決別して、新しい自分に向かい合うことなのだ。
気持ちが凛とする。

ということで、過去を捨てつつあるぼくだけれども、完全には捨てきれないもののひとつに手話がある。
今、電話の会話で考えた。
世の中いろんな講演会があるけれど、「ろうあ者お断り」の看板みたことはない。であるならば通訳常についているのが平等というもんだろう。だけれども、いない場合にはパフォーマンスになってしまって嫌味にみえるという意見もある。いるかいないかで判断すればいいのかもしれないが、判断できない場合もあると思う。


08/29(水) 彫師伊之助捕物覚え


初秋の夜、雨音BGMに藤沢周平「ささやく河」を一気に読み終えた。
御存知、彫師伊之助捕物覚えシリーズ。大江戸八百八町舞台のハードボイルドだ。

藤沢周平にとって、江戸の町は人間交差点である。
伊之助は、江戸の町をひたすら歩く。橋を渡り、川面を眺め、蕎麦屋の暖簾をくぐりながらひたすら歩く。歩くことが推理することで、推理することが人間を分析することになっている。
善であるような悪であるような強いような弱いような、つまり化粧されていない人間関係が醸し出す人情話しの側面持ちながら、冷徹な推理駆使してホシを挙げるというストーリーに、毎度のことながらぼくはしびれてしまうのだ。

旅行という趣味など更々ないぼくだけど、江戸の町へタイムトラベルしてみたいとだけは思うなあ。


お盆の時か、愛車ロッキーの後部シートに息子ふたりを乗せて走りだそうとしたら、下の息子が「お父さん、窓ガラス落ちかかってるぞ」という。ビスの殆どがとれてブランブランしているのだ。
「えーい面倒くさい、はずしてまえ」とわしが言ったら「だってお父さん、そうしたら雨降ったとき、くるまんなかビショビショになってしまうが」と息子はいう。
このあたりがわしとの違いだなと、息子の冷静さに感心しつつわしはガムテープで窓ガラス四周を外側から固定した。
ところが、だ。
この2週間に「牧田はん、窓ガラスにガムテープ貼って走ってるのなんでや?」と4人から聞かれた。
わが娘からは、「冷房もない、ラジオもつかん、車体バンソウコウだらけのクルマなんてはじめてや、はよ買いかえねや」と悪態をつかれた。(ゼニがありゃあ、買ってるぜ)
聞くのが4人なら思うのはその何倍かだろう。
プライドのたかいわしは黙して語らずだった。

しおとつい日曜日の朝、ジェントル丸岡とソーピスト羽根がぶらっとわが事務所にやってきた。コンクリートブロック階段の手摺を木製につくりかえてくれるという。
クルマの窓ガラスのことを話したらふたりは迅速に窓ガラスをビス止めしてくれた。

感極まったわしは、持つべきものは友達やと、ココロで涙流しながらふたりに缶ビールをふるまったのだが「冷えていんのは要らん」といわれたので、わしが3本とも飲んでしまった。

08/28(火) 光と闇


昨晩、何故か沖合いの烏賊釣り船をみたくなり、三国の海岸を1時間あまりドライブした。
昔、沿岸パトロールの人から、沖合いの釣り船には越境・違法がようけあると聞いたことがあるがそれはともかくとして沖合いに列をなす白色の輝きはこの季節の風物詩だ。
浜地の海岸で花火を楽しむ家族をみた。夏の残り香である。なんとなくうら寂しい。
帰路、芦原丘陵道路を走行中、助手席が「きれいやねえ」とつぶやいた。
何故なのか、梨畑のなかでオレンジの照明がランダムに輝いていた。

光というのは、まわりが闇であってこそ、美しい。


08/27(月) 坂ノ下八幡神社周辺


やっぱり書くことにした。

坂ノ下八幡神社周辺は、旧町内で唯一江戸期の風景が残っている場所だそうだ。
題目塔は文政2年、名号塔は天保12年の建立だ。観音堂及び安置されている34体の観音菩薩像は江戸中期の作といわれている。
応永元年、金津の地頭溝江氏が、三州鳩の峰から坂ノ下八幡神社に神像を勧請したとの言い伝えがある。

この周辺が町文化財としての価値があるのではないかということで町役場・生涯教育課に出向き、いろいろ話しをした帰り、改めて神社境内にたたずんだ。
歴史の悠久の流れに身をまかせていると、うつでちぢこまっている自分がバカらしくなった。
とりあえずスリッパを新しいものに買いかえようと出向いたホームセンターの入り口でS夫人と出会った。
ほんの数分の立ち話で心が軽くなった。


 08/26(日) 無題

町内会活動の是非を特集しているラジオを聞きながら、いろんなことを思った。
昨年だったか、ある区の区長が「若い人達に区費納入拒否のムードがあるんや、行政の下請みたいなこと、なんで区がしなあかんのやといわれるんや」と、ぼくに言ったことがある。
行政も自治組織だけど、区も自治組織だ。行政の運営はプロの手に、町内会の運営はアマチュアの手に委ねられている。
しかし、区長手当てを筆頭に、幾つかの委員の手当てが行政から支給されているのは区が行政の代行を部分的に行なっているからだ。区に頼まざるを得ないこともあるだろうけど、行政が直接に処理できることもあるはずで、それが町内会にとっては、構造改革になるんだろう。


 08/25(土) ガーデンパーテイ


ガーデンパーテイというものに参加した。高木文堂さん主催。
ジェントル丸岡のガーデンで飲んだことは幾度かあるが、おおがかりなものは初めてだ。総勢200人くらいか。
水銀灯に照らされた芝生のテーブルで地ビール片手に見知らぬひとたちと徐徐に打ち解けていくのも偶には悪くない。
きょうはいろんなひととしゃべったなあと思ったが、帰宅して思い返してみるとせいぜい10数人だ。
ひとは一生涯にはたして何人のひとと知りあうのだろうか。
きょうのようなハレの日は別として普通はたかがしれている。顔見知っていても言葉交わさないままの死別も無数にあるだろう。
結局、どんな有名人であっても、自分が知合ったひとというのは、社会を構成する人数のなかのまさにひとしずくでしかないんだろうなあ。


 08/24(金) 男の顔


最近顔に興味がある。
レイモンド・チャンドラーは「男はたくましくなくては生きていけない。やさしくなくては生きていく資格がない」と言った。
ウーム、めざすべし。

であるならば悲しみの陰りがあってこそ、しぶい男といえる。
てなことを考えながら、鏡見つつこのキーボードを叩いていたら、客人来訪。
お土産は下の写真である。
あまりにも嬉しかったので載せてしまった。


08/23(木) 引越し


引越しをした。遠くへ行ったわけではない。コンピューター及び周辺機器を隣・コンクリートブロックの建物に持っていったのだ。
プレファブの事務所が会議・懇親の場となりつつある状況なので思いきって決意した。
仕事情報の殆どはハードデイスクに収納されている。書類を処分しても差し支えない。コンピューターさえあれば仕事はこなせる。
ジェントル丸岡に電話線を延長配線してもらった。
きれいに片付いた。余計なものは何もなくなった。
余計なものがなければ出るゴミの量も少なくてすむ。
シンプル イズ ザベストなのだ。
鴨長明「方丈記」の方丈は、記憶では3m×3mだったと思う。このCBは2.6m×5.2mだからちょっと贅沢だけど、将来のことは、ちゃんと考えている。

職寝分離ならぬ職飲分離体制の確立、あとは頑張るのみだ。


 08/22(水) そういやあ昔授業参観に行った


東京に戻るという上の息子を、喫茶店に連れていき400円也の高級コーヒーをおごってやったのが昨晩だ。
父親が息子と対座するのは多少照れるもんだ。
息子、今の生活が必ずしも本意なものではなく、方向転換を考えているみたいだ。
みんな悩んで大きくなったんだ、悩め悩め、わしなんぞ50過ぎてから悩みはじめたんだぞと訳のわからんこと言いつつ帰宅した。
引き続きの座談に下の息子が加わった。

息子ら幼少の頃に話題がうつった。
上の息子小学生の時、授業参観にわしが来たそうだ。
トレンチコート、シルクハット、サングラス、アタッシュケースのいでたちで腕を組み粛然と女教師を凝視するわしをみて、クラスメートのガキどもは「おめのとうちゃん怖いひとやなあ」と言ったそうだ。
下の息子小学生のときの授業参観のわしは普通のいでたちだったはずだ。
しかしクラスメートのガキどもから「おめのかあちゃんしわないのに、とうちゃんやくざやなあ」と言われたそうだ。

ひとの顔を輪郭で判断してはならない。
色で判断してはならない。
ぶつぶつで判断してはならない。
眼だ。
眼が大事だ。
眼に輝きがあるかないか、この一点だ。
最近はないなあ。


08/21(火) 道具


道具を奴隷のように扱う時代が、行き詰まってきたと栄久庵氏は指摘する。共に生きる同伴者としての道具を生み出せれば、より高度な欲望、そして消費を喚起できるかもしれない。
                                      (8月19日読売)


何十年も前に書かれた栄久庵憲司の「道具考」は
、ぼくにとって不朽の名著だった。

道具と身体との間に有機的な連続性がなかったら、道具は奴隷となるほかない。
最後の宮大工と言われた西岡常一は柱を削る際、タテノコを使わずチョウナを使った。チョウナで正角をとることは勿論不可能だ。しかしチョウナによる仕上がり面の微妙な曲がりは柱内部導管と平行に削った結果で、導管を切断しないという配慮がそこに働いている。
道具が身体感覚から離れたとき、衰退が始まるのは眼にみえている。
建築設計をナリワイとしていたぼくは、いろんな職人から、いろんな現場で、道具への愛情エトセトラを聞かされた。
机も椅子もなく、汗と槌音と埃が飛び交う野外の現場は、しかしぼくにとって最高の教室だった。


08/20(月) 優性劣性


保育所の橫を散歩していたら、母子二人組とすれ違った。
可愛い女の子から「おんちゃんの顔くろーい」と言われて苦笑したぼくはしかし、その子を「そんなこと言うたらあきません」と小声でたしなめる母親の態度に異和感を感じた。
事務所に戻って考え込んでしまった。

母親は、作法の問題として子をたしなめたのだろうが、黒=劣性を潜在観念としていることでの発語であったことは想像できる。
しかし、子は黒い顔に何の価値づけもなく、ただ黒いから黒いといっただけなのだ。

昔、福井市内の脳性マヒ車椅子のおっさんと珈琲飲んでいた時、おっさんがぼそっとぼくに言うた。
「福井駅前の歩道を車椅子で動いていると、行き交うひとが目線さける。なんとのうよそよそしいんやなあ。けどなあ牧田はん、そんときちいさい女の子がわしに近づいてきてよー、おんちゃんなんでそんなかっこうしてるんや?ときかれてわしはすごい嬉しかったぞ」。

ぼくは、盲人を視力障害者と言いかえても、ろうあ者を聴力障害者と言いかえても、そんなんただの言葉狩りで、行政・あるいは教育関係者の無難志向トレンドでしかないと思う。
「障害」という言葉が内包する負の価値感についての議論が絶対必要だ。


 08/19(日) 泡盛古酒


きのうの晩、我が事務所は賑やかだった。沖縄からの遠来の友もあり、10人参加の39会特別版といったところか。
その友が持参した泡盛焼酎はいわばぼくの青春の酒で30度。
周囲の盛りあがりを目で楽しみつつぼくは泡盛古酒を寡黙に味わっていた。

久し振りの参加者リュウコさんが「金津町の歩道は全然駄目やが。車椅子で動けるような歩道にしなあかん。駅前にも歩行者天国設けたらいいんや。そういうことギュウさんが、率先して議会で言うていかなあかんのや」と叱咤激励された。

ギュウさんというのはぼくの小中学校時代のニックネームで、例えばソーピスト羽根がつかうのとリュウコさんがつかうのではやっぱりおもむきが違う。
そうだ、福祉というのは大切なことなんだ。民間だけではむつかしい分野がここにあるのだと、ぼくは改めて気をひきしめた。


08/18(土) ピースサイン


夕方、竹田川川べリであおむけになっていた。
死んだら魂はあそこまでゆらゆらとあがっていくのかなあと、遥かな雲に見とれていた。雲の流れに、死んでいった友人・知人のいろんな顔が垣間見える。笑い顔泣き顔さまざまだ。

雲白く遊子悲しむ物憂げのぼくを、土手の上から誰かが呼んでいる。振り向いたら自転車女子高校生ホットパンツ二人組だ。「センセー」と叫びつつぼくにピースサインを送っているのだ。2年前に手話を教えていた子らだった。遠ざかる彼女らに「おまえら、元気で生きていけよー」と手を振ったら「ウン、センセもねー」とピースサイン再びだった。
あのサイン、やにさがった感じで嫌いだが、ぼくにしてくれるのなら話は別だと思った。


08/17(金) ビオトープ(2)


お盆も終わった。
朝の陽射も幾分柔らかくなってきた。
お盆によって1年間がニ分割されると思っているぼくにとって、きょうは下半期スタートの日である。
沈み気分の上半期だったが、そういうものはうっちゃって日々生きていこう。



所用で三国町へ行った際、三国町社協に立ち寄った。昔は週に一度づつ来ていたところだが本当にひさしぶり。
北野さん、山本さんの知った顔もあってしばらくの間雑談。

帰路、細呂木小学校に立ち寄った。昨晩ドクター汐見から、ビオトープがここにあると聞いたのだ。
校庭裏にみつけた。
ビオトープは、あるがままの生態系の場所といった意味だ。
写真を撮った。夏休みだ、ひとっこひとり居ない。
蝉時雨のなかに、しばらくたたずんでいた。


08/16(木) ビオトープ


お盆だ、墓参りだということで、昨晩は福井市ニの宮で海老・蟹・鋤焼に舌鼓うち、ビール・焼酎飲みつつ義姉の話しを聞いていた。
義姉は福井市中心部の小学校で教師をしている。
その小学校敷地にロータリークラブの寄付でビオトープがつくられた。
「管理は全て学校側の手で」ということで、教師・児童が相談した結果、雑草は全て伸びるにまかせよう、そしてどの雑草がどの程度の速さで生育するか記録してみよう、ということになった。
ところが生い茂る雑草がロータリークラブによって刈り取られてしまった、という。

管理が大変なんだろうという善意からでた行動なのだが、善意が結果として相手に不本意を与えてしまうという例はシャバには沢山あると思う。


 08/15(水) 気比の松原


お盆だ、墓参りだということで、きのう昼は敦賀にいた。
お袋の実家は市内川崎町。有名な気比の松原があるところだ。
ぼくはここで産まれた。
天女の羽衣が産着だったといわれているぼくは、それはそれは可愛らしい玉のような赤ちゃんだったそうだ。


デジカメ片手に松原を散歩した。
白砂と松の緑のコントラストは風景として絶品なのだが、松原裏手には悲惨な歴史の跡がある。
幕末、武田耕雲斉率いる水戸天狗党が投降し大量に処刑された場所だ。徳川体制堅持という水戸史学に対する、いわば忠実な体現者だった彼らが、その徳川家によって葬られてしまったのだ。
近いところでは、2・2・6事件決起将校たちの悲しみを彷彿とさせる。

いつの世でも、信念のひとというのは時代から背かれるのだろうなあ。


08/14(火) 丸山浩ニさん


早朝、民放ラジオで丸山浩ニさんがしゃべっていた。
NHK教育TVで手話ニュースを担当している有名なひとだ。とくに青年会議所のひとたちに人気があるみたいで、今は手話パフォーマーと呼ばれているらしい。

ぼくが手話に懸命だった一昔半前、何故かこのひとの講演の手話通訳をしたことがある。場所は芦原観光会館だった。
一幕とニ幕の幕あい、楽屋で「芦原町長が町長になる前の仕事は何やったんですか?」と聞かれて、ぼくは「大学教授でした」と答えた。

ニ幕の冒頭、丸山さんが「芦原町長が町長になる前の仕事は・・」ときりだしたので、傍らのぼくが「大学教授」のコトバを手話表現すべく身構えていたら「サナギでした」といいなさった。
会場はこのジョークにどっと沸いたが、もちろんろうあ者には笑いの意味がわからない。
このジョークの面白さは町長から蝶々を連想させることにあるのだが、手話コトバのひとつひとつは音声から離れたイメージ概念なのでジョークとしては成立し得ないのだ。
ぼくは冷や汗をかきながら、「ある言語世界の特徴は他の言語世界に翻訳・通訳できないものの中にこそある」という有名な警句を思い出していた。


08/13(月) きょうは寝坊してしまった


昨晩、上の息子が帰省。途端に家の中がやかましくなった。
布団の上で橫になっているぼくの傍らで3人の子らの会話の耳障りなこと。
おかげでぼくは深夜1時半まで眠ることができなかった。

「隣室に ふみ読む子らの 声きけば 心にしみて 生きたかりけり」
という有名な歌があるが、雰囲気が全然ちがうんやね。

あけてきょうの昼、新しく金中に赴任してきたAETの住まいに妻同行で娘を連れていった。
どうも嫁はんが先生で旦那は無職みたいだ。
高ニ娘夏休み・英語の宿題でネイテイブに英語で質問する故のものだが、最近の高校は変わったことを宿題に出すもんだ。

娘はとってもシャイでモジモジしながら話しかけていたが、その姿が初々しかった。
もしかしたらぼくよりシャイかなあとも思った。
もうひとり別の女性がいた。
その女性から「福井市内のジェイホーン専門店どこか知りませんか?」と尋ねられた妻の「日本語とってもお上手ですね」という感嘆に、「わたしは日本人です。岐阜生まれです」と答えていたのが面白かった。

そういえば15年程前、夜の福井市北の庄飲み屋街をいい気持ちで歩いていたぼくは、近づいてきた外人二人組みに「アナタ、ニホンゴデキマスカ?」と質問されたことがある。


きのうの午前11時、わしは坂ノ下区民館で酒を飲んでいた。金津祭りの慰労会だ。
国の借金666兆円が話題になった。
果たして1兆円というとどれくらいの金額なのかが皆目わからない。
利子はどれくらいか。
年利2%として1兆円×2%=200億円だ。1日の利子がいくらかというと200億円/365日=5470万円だ。どんなドラ息子・ドラ親父でも小遣い一日5万円は使えまい。そうすると5470万円/5万円=1094日間、無駄飯を食える。しからば666兆円の一日分の利子で1094日×666/365日=1996年間、放蕩の限りを尽くすことができることになる。

家に帰って酔いが覚めてから、わしは算盤をはじいてみた。
地球ができてからの45億年を1年間にしてみると、
恐竜が滅びた6500万年前は、365日×6500万年/45億年=5、27日つまり5日と6時間前のことだ。
アフリカ峡谷で最古の原人イブが生きていたのが450万年前だから、365日×450万年/45億年=0、365日つまり8時間45分前のことになる。
源平合戦は365日×24×800年/45億年=0,002時間つまり7秒前だ。

わしの誕生日は365日×24×3600×52年/45億年=0.36秒前なのだ。
そうかそうだったのか、鼻かんでる間にわしの人生は終わってしまうのだ

08/12(日) 無題 


TOTO営業のひとが来訪。あんな代表的な企業が既に2000人の首を切ったという。
目標は3000人だそうだ。リストラなどという横文字を使わず、首きりという伝統的日本語を使わねばなるまい。
例のセーフテイガードに対する中国側の報復措置が影響しているそうだ。

加工貿易立国として日の出を迎え繁栄してきた日本(ぼく自身は全然繁栄しなかったけど)の行く手に日の入りがみえてきたんだなあ。
狩猟から農業へ、農業から工業へ、工業からハイテクへと重心をうつしてきた日本は今再び鎖国をし、木綿・薪・草鞋の地味な生活、循環経済に戻らなければならないのではなかろうか。
ぼくたちが子孫に残さなければならないものは、預貯金でも、負債でもなく、あるがままの自然と共生できる知恵だと思う。


08/11(木) 金津夏まつり 


昨晩は金津夏まつり。
町会議員のグループがダンボートレースに出場し、金中同窓会がお店をだして、あっちこっちいったりきたりの結構忙しい夜でした。
朝の豪雨が功を奏してか肌涼しく、夏祭りが夏の終わりを告げる催しであるような気がしたね。

金中ブラバンの音色が夜空にこだましていた。
役場、商工会、実行委員会のみなさん、御苦労さんでした。
福商野球部のみなさん、ご苦労さんでした。
読売ジャイアンツのみなさん、無駄な抵抗ご苦労さんです。

帰り、自宅裏河原の草むらでスズムシの声音が聴こえてくる。
ぼくの一番好きな季節である秋=実りの秋、読書の秋がその気配を仄かにあらわしてきたのだ。いいねえ。
きょうからは、ひとり静かに夜を重ねていこう。


08/10(金) 掲示板から 


     明日があるさ 投稿者:瀬戸内弱長

成功者よ おごることなかれ。
脱落者よ 悔やむことなかれ。
いいことも、悪いこともそう長くは続かない

        
何事もなかなかうまくいかんもんだとシュンとした気分で下向きつつ事務所に戻り、
HPの掲示板あけたら眼に飛び込んできたのが、瀬戸内さんのこの言葉。

そうなんや、本当にそうなんや。盛者必衰のコトワリなんや。
おかげで勇気づけられました。
ぼくも、60過ぎてからだけど、アナタと同じように剃髪し仏門に入りたいと思っています。


08/09(木) 無差別殺人 


昨日昼、来客と話しをしていたら、「北海道広尾町でこども2人刺殺さる」の臨時ニュースがとびこんできた。
世の中いったいどうなっているんだろう。
新聞紙上を賑わす連日の女性殺しこども殺しは、21世紀初頭の現在が既に人類終末の段階に入っていることを証明しているように思えてならない。

昨晩もそうだったが、飲食集まりの席の話題に「こんなん即死刑や」の怒りの声が当然でてくる。
犯罪には必ず動機があり、動機によって罪刑が左右されるとぼくは思っていたが、しかし動機なき、あるいは常人にはわからない動機の無差別殺人が今後増えていくのならば、我々老人予備軍、婦女子は自分で自分を防衛する必要がある。
小型ピストル所持を国が認めなければならないときがいずれ来るのかもしれないなあ。


08/08(水) お盆 


お盆が近づいている。
芦原町に行った帰路、知人の墓にお参りしてきた。15年前、昭和60年に自殺した女性だ。
死の2日前に2時間の長電話を交わした。世の中に対する呪詛が、「死にたい」という言葉の頻出にあらわれていた。その理由も繰り返し聞かされた。

どのみち生きることに絶対的な意味はないのだから、生も死もたいしてかわらないだろう。
しかし、とぼくは思う。
隣の芝生の例えにあるように他人の人生が輝いてみえるとしても、一皮めくれば悩みがいろいろ渦巻いているのが実情だ。
けれど、みんなでおいしい蕎麦を食べているとき、好きなひとたちと束の間の会話を交わしているとき、美しい花にみとれているとき、生きていてよかったと感じる瞬間は誰にでもあるはずだ。
楽しさは断続でしか姿をあらわさない。決して継続的ではない。
そう思うととっても残念だ。


08/07(火) ミニ手話講習会


午後2時20分、市姫荘。金津社協に頼まれてのミニ手話講習会だった。
いろんな要因重なっての鬱が続き、実は腰がとっても重かったのだが、行ってよかった。
細呂木小学校の4年生20数人の屈託ない笑顔みていたら心が晴れてきた。

5、6年前おなじように細呂木小で教えたことがある。
あの時は手がアトピー性皮膚炎で包帯を巻いていた。橫で、NHKやら民放やらのTVカメラが廻るので「ヤバイなあ」と思ったが、終わったあとは同じようにモヤモヤがなくなっていた。

事務所に逼塞していたのでは先細りなのだ。いろいろ動いてこそひらけてくるものがある。
金津社協さん、きょうはありがとう。又どこへでも呼んでください。


08/06(月)無題


昨日昼1時、学生時代同宿だった親友が来訪。夕刻より一緒に痛飲した。
彼は、例の大坂池田の小学校闖入殺人容疑者・宅間守を直接知っていたひとだ。
具体的なことを書くのは憚られるが、背後のいろいろを聞いて考えさせられてしまった。

明けてきょうは環境特別委員会で町内視察。いろんな場所をみてきた。
全体については、議員日記に詳しく書くつもりだが、宮谷元石切場周辺風景の変化にはびっくりした


08/05(日) 観音


今朝のラジオが「福井県の技術研究所で、雪をつかったクーラーの開発が進んでいる」と報じていた。
冬の雪をヒムロにいれておいて、配管をヒムロからの冷気でつつむことによって消費電力を従来の5分の一程度に減らすことができるそうだ。
ソフトエネルギーパスの新たな展開やね。
ヒムロは氷室で、既に死語だと思っていたが今蘇ろうとしているのである。
逆に、薪ストーブ暖房の配管を水槽に通して風呂の湯にしている住宅もある。
床下に備長炭敷き詰めて空調しているうちなど結構多いんじゃなかろうか。

昼休み、坂ノ下八幡神社境内・観音堂に行った。京都で修理されていた観音像が戻ってきたのだ。
地区のお年よりたちが像を丁寧に並べている。全部で34体。古色蒼然としていて、修理されたようには見えないのがいい。合掌して、南無阿弥陀仏と唱えてきた。


08/04(土) 渥美清


きょうは渥美清の命日だ。
「わたくし、生まれも育ちも葛飾は柴又。帝釈天で産湯をつかい姓は車、名は寅次郎、ひと呼んでフーテンの寅と発します。行くさきざき土地土地のおあにいさんおあねえさんがたには、とかくご迷惑をおかけしがちな若造です。
以後、見苦しきめんていきょうこうばんたんよろしゅうお頼んもうします・・」の名調子仁義きりで始まる映画「フーテンの寅」シリーズをよく観にいった。
腹かかえて笑ったもんだ。

4・5年前、オーストラリア簡保旅行に行った時のことだった。
旅行最終日の夜、シドニー湾内巡行100万弗夜景観察豪華客船ツアーの甲板上で、ワインほろ酔いのぼくは「津軽海峡冬景色」[港町ブルース」を唄った。
その際、カウボーイハット片手にこの仁義をきった。
行き交うしろいおあにいさんおあねえさんがたくろいおあにいさんおあねえさんがたが、足を止めてぼくをじっと見つめていた。
注視されて気分はよかったが、
「オー ワンダフル Ken Takakura!」と思ったかどうかは疑問だなあ。


08/03(金) 里山


昨日昼休みどき、町役場ロビーに座っていたら、なんとなく遊び人ふうの、めもとパッチリジーパン青年に声をかけられた。ロビー脇の廊下で掛軸を売っているという。
もらった名刺には「歌手・前崎某」と書いてある。
「TVドラマ水戸黄門にでているんですよ」というので「ギャラはいくらけの?」と聞いたら「ぼくは2万エン、でも悪代官役は一回30万エンです」という。
名が売れてナンボの典型的な世界なのだ。
「生まれは高知、東京新宿でスナックの店持っているけど、住所は新潟です。TVドラマで生活しながら、でも本業は歌手です。こうして掛軸売り歩く仕事もしてます」と言われてアタマ混乱したけど、楽しい会話だった。

昼一番、コンポストを取り入れている事業所の所長から、いろいろ面白い話しを聞いていた。
里山の復権が話しのトーンだった。サトヤマの語韻で、昔NHKTVがやっていた講義「里山」シリーズを思い出した。
奥山と平地の接点である里山は生活・風景双方に魅力の原点だ。
3人のこどもら小さかったときは、握り飯持ってそういう場所でよく遊んだものだ。

ニッポンの正しい春、正しい夏、正しい秋、正しい冬の風景を持っている場所こそが里山だと思うなあ。


06/02(土) 久し振りに口笛を吹いてみた

ゼネコン直と一緒に酒場で飲んでいた。したら右隣に座っていたおっさんと口論になってしまったのだ。ミギドナリ親父は巨人優勝してこその日本経済回復やという。
ぼくは「タイガースの勝利こそが反体制の結集や」と言ったら
「タイガースはむこう100年優勝でけんぞ」と反論されてしまった。

あたっているだけにつらいなあと思っていたら、ソーピスト羽根から携帯がはいった。
そろそろ例会終わるぜ、はよう牧田事務所に戻ってこいやという。
口笛吹きながら事務所に戻り、ソーピスト羽根・ジェントル丸岡・ドクター汐見で酒盛が始まった。

08/01(水) 蟻


きのうの晩、寝つかれないぼくは事務所裏の駐車場でひとりウイスキーを煽っていた。
チェアに座るぼくの目の前の月は赤味を帯びてそれはそれはきれいだった。
かぐや姫が降りてこないかと期待したのだがなかなか姿をみせてくれない。

そのうち気分が悪くなり、草地に少しだけ吐いてしまった。
明けて早朝、嘔吐物のまわりは蟻だらけだった。
夕方再度見にいくと、草地には何の痕跡もなくなっていた。
炎天なにするものぞの信じられない勤勉さなのである。

知合いの小学校教師が昔ぼくに言ったことを思い出した。
こどもらが夏休みに感動したことを作文に書かせたなかにこんなのがあったそうだ。
「私は蟻さんの行列を観察しました。蟻さんたちはとっても働きものです。
私は蟻さんたちを応援したくなりました。
そこで近くのバッタを捕まえてきて、石でつぶして行列の横においてあげました」

ウーン、子供の純朴さも残酷さも諸にあらわれている。