2001年09月

09/29(土) 寝床で読んだ本

毛唐の書いた本は殆ど読んだことがないのだが、「シカゴ・トリビューン」コラムニストのボブ・グリーンは寝床でよく読む。
平明で淡々としていて、文章に余韻がある(とぼくは思う)。
昨晩読んだ「アメリカン・ドリーム」の項「東京発」は一ヶ月の日本滞在記だ。
「日本は全くアメリカナイズされている。世界中どこででも嫌われている我が国が、何故日本でだけもてはやされるのだろう」・・米軍の広島・長崎への原爆投下引き合いにしつつのこの言葉が奇妙に印象に残った。
聞いた話の寄せ集めでいうと、貴族制残すヨーロッパにとっての米は歴史浅い新興国として睥睨の対象で、アフリカの民にとっては先祖を奴隷として連れ去った国になり、ロ中言うに及ばず、アラブ世界では、石油資源を金でまきあげ、イスラエルを後押しする国ということになるんだろうか。テロ発生の底流は確かにあるのだ。
勿論あるからといって民間人標的にしたテロは人類への挑戦であるという意味において永久に決して許されない。

「自由と民主主義」を標榜するアメリカの国家理念に何の文句もないし、テロリストを逮捕することも国家としての当然の責務だろう。
その一点において多国籍が協働するのもわかる。
けれど、2年前の大旱魃で疲弊し、食料を国連からの補給に部分的に頼っているアフガニスタンのひとたちにとって国境封鎖は食料補給ルートの遮断を意味することになるそうだ。
隣国に脱出する余力ない多くのひとたちがいるという。
最大限に見積もって600万人が飢餓に襲われるのではないかという記事を読んでおぞましい気分になった。
米政府が要請した、オサマ・ビンラデイン有する350億円という巨額の資産凍結による手段で、彼を逮捕することはできないのだろうか。

 09/28(金) 起きたら晴天だ

昨晩は夜通し雨だった。深夜ラジオが「小沢昭一、童謡を唄う」を特集していた。
「あめあめ降れ降れかあさんが 蛇の目でおむかえ うれしいな・・・」と唄っていた。
こういうのをタイムリー企画というのだ。
最近とみに童謡聴くのが好きになってきた。しきりに子供時代を思い出す。
古い時代に戻りたいという回帰・後退現象がいよいよ顕れてきた。
冥途がみえてきたのだろう。
というわけで、いちど削除した、昔を忍ぶコンテンツ「石仏・石塔」の内容を少し復旧してみたので、暇な折、ご覧ください。

追 午後4時23分、ラジオのニュースが、ジャイアンツ長嶋監督今シーズン限りでの退任を速報した。後任は原ヘッドコーチとのこと。又してもハンサム路線だ。
ぼくは甘いマスクの持ち主が権力の座につくことを快く思わない。
「色男 金と力は なかりけり」という、人間の平等をうたった昔からの諺があるではないか。
先人の謂を大事にしたい。次期タイガースは川藤か江夏でいってもらいたいとぼくは思うのだ。

09/27(木) 手話翻訳機

日立製作所は26日、手話の動きを入力し、パソコン上で日本語文に翻訳する技術を開発したと発表した。システムは手や指だけでなく、頭の動きも入力することでより確実な文法解析を行うようにしたのが特色になる。独立行政法人の産業技術総合研究所が開発に協力した。  手と指は手袋型の装置、頭の動作はビデオカメラで入力する。手で表現される単語に、うなずく、あごを上げる、頭を振るなどの頭部の動きが加わり、単語の役割や文の種類を決定する役割を果たしていることに着目し、新たな手話文法ルールを作成した。 聴覚障害者と健聴者のコミュニケーション支援する技術として期待される。今後、情報キオスク端末に手話での入力が可能になるよう搭載の検討を進めるとしている。 09/26毎日HP

こういう記事読むと、大手企業の研究所というのはまさにシンクタンクやなあと思う。
白衣着て、深夜もこうこうとあかりつけて、寡黙に研究し続けている姿が目に浮かぶ。
手話にかかわっている者としては、ハイテク技術の成果がこういうかたちで顕れてくるのはただただワンダフルであるのだ。

けれど、技術の発展には光の部分と闇の部分があるのも一面の真理であるらしい。
家庭でよく使われている電子レンジは、第二次世界大戦のさなか、ナチスドイツが開発にいそしんでいたレーザー殺人光線のノウハウがいかされていると、何かの本で読んだことがある。
科学者・技術者が仕事に信念・理念もっというと哲学持っていなかったら、地球滅亡の日も近くなるということだろうなあ。


 09/26(水) ひとは必ず死ぬのだなあ

知合いのお父さんが亡くなったので、通夜に行った。廻り焼香だったが、大層に盛大な通夜で、幾つもの受付が人でごったがえしている。
一般的に言って、通夜の客が多いということは、生前の故人が名の通っていたひとであったとか、人柄でみんなに愛されていたとかの理由によるものだろう。
しかし、とぼくは思う。
ひとは、死ねば死にきりで一切平等。なのに、死後の扱いに派手やの質素やのと現世的差がでてくるというのもおかしいといえばおかしい。
通夜とは文字通り、よどおし親族が故人の生前をしのぶ場だろう。

10数年前に亡くなった、とってもこい付き合いのあった徳の人は親族身寄り無く通夜は葬儀社会館で営まれた。
参加者十数人。あちこちのしのび泣きが閑散とした会場に漏れ伝わり、通夜の原型をみたような思いだった。

09/25(火) 3ケ月ぶりにみたTV中継

ヤクルトスワローズ若松監督はなかなかの役者で、対巨人3連戦を3連敗することでパリーグの熱気をセリーグに運んできた。
3連戦全て前半先行し、後半逆転されるというお膳立てで巨人ファンを熱狂させ、奇跡的逆転優勝への期待を抱かせた。
しかし、そこには深謀遠慮があるとわしはみる。期待をながく持たせることによって、結果的に味わわざるを得ない巨人ファンの落胆をより深いものにさせようとの魂胆だ。
「人間あきらめが肝心だ」の格言を巨人ファンに最後にプレゼントするつもりなのだ。
ヤクルト・釈迦の手のひらでむなしく飛びまわる巨人・孫悟空という構図はいささかも揺るがないのである。
33年來タイガースファンのわしはそう思う。

09/24(月)太陽エネルギー

総務委員会で太陽光発電に対する補助金承認の審査があった。
6月施行で、現在までに2件の申請があったという。家庭で使う電気は平均4kw/hで、太陽光発電機のイニシャルコスト390万円くらい。県・町それぞれ1kw/hにつき10万、つまり計80万円の補助金ということになる。そのほか、太陽光発電促進組合から1kw/hにつき12万円でるというから、補助率は1/3くらいか。

そういえば、昨晩のラジオが循環経済を論じていた。100万都市江戸が理想的な循環経済であったのは、食い尽くすだけの化石燃料に手を染めず、エネルギーの全てを太陽光に委ねていたからだという。農本主義で作物肥料人糞にたよればそういうことになるんだろう。勿論汗水たらしての日々の労働が不可欠だったのだが、その時代の人々はそれを当然と思っていたはずだ。
しかしもっと重要なことは、江戸期には戦争がなかったことだという(島原の乱が最後じゃなかったか)。犯罪が殆どなかったことだという。余計な出費がなかったわけやね。
生活水準の向上曲線も緩やかだったのだが、だからこそ「ひとの一生は重荷を背負うて歩むが如し」の精神が生きていた。
平成の世にカラダを置いているぼくだけれど、江戸期のココロで地道に生きていこうと思う。

 09/23(日) 秋ふかし となりも 酒を飲む人ぞ

午前8時起床。
昨晩は久し振りの飲み会だった。
まきぽん会。会員は中年女性3人、中年男性4人。
会の規約をどうするかについての真摯な討議終わって、親睦会にうつった。
議員になってからの親睦会は男性ばかりなので、女性と一緒だと、慣れない為かぼくは緊張してしまう。でも楽しかった。
うん、飲んで笑っている時って無条件に楽しい。

午後1時半、坂ノ下観音堂。修復されて戻ってきた観音像の供養ということで、区民が集まった。僧侶の講話聞きながらアラーの神と日本の神々との違いを考えていた。
供養式典終了後、久し振りに観音堂界隈を歩いた。
江戸期の風景がそのまま残っている、町内唯一の場所である。
楊枝くわえたぼくは木枯紋次郎になったような気分だった。

 09/22(土)無題

松木町長から「牧田さんのHPに異常なかったけ?。全国の自治体のHPにウイルスがはいりこんでるんや」と聞かれた。そういえばおとついからきのうにかけてぼくのHPが開けなかったので、サーバーに電話したら、「パンクしました。復旧を急いでいますねん」という返事だった。
この非常時に、いわし雲だのなんだのアホなこと書いているんでないというお咎めウイルスかと思ったがそうではないみたい。

空母キテイーホークの登場は、湾岸戦争時・米軍のピンポイント攻撃の映像をどうしても思い出させる。10年のタイムラグ、情報化社会の進展で、世界は一層劇場化している。一億総評論家の我々は茶の間で珈琲のみながら、悲しみの表情で、しかしえげつない興味で事態を見守り、悪vs正義の構図を評論していくことになるのだろう。
中東問題が解決されない限り、テロがなくなることはないだろうとは思うが、遠く離れた島国のぼくらにはあまりにも複雑だ。わからない。

民間人をまきこんだ、同時多発テロが人類にたいする挑戦であることは確かだが、もしかしたら既にラデイン脱出したかもしれないアフガニスタン国土攻める根拠があるんだろうか。
ラデイン追跡の為の義勇兵募ったらどうか。生きることが次世代によりよい世界を受け継いでもらうことであるとするならば、ぼくら50代・もう死んでも仕方ない世代で構成したほうがいいだろう。きのう、「戦闘に参加できるか」と聞かれぼくは一昼夜かんがえた。
死んでアフガンの星となる。少なくとも茶の間で珈琲飲んで事態の推移見詰めているより、ずっと意義のあることだ。
妻子いて、それができないのなら、やっぱりいわし雲か。

09/21(金)いわし雲

きのう午後5時41分30秒、煙草買いに外へ出たわしは、思わず目を見張った。

いわし雲や、いわし雲が秋空一面に広がっている!



これを感動といわずして何の感動か。
すぐさまデジカメのシャッターを押した。
親孝行のわしは自宅の玄関戸あけて、お袋に「空、いわし雲でいっぱいやぜ」と言った。
言ったついでに、「きょうの晩酌のつまみに、いわしの缶詰あるか?」と聞いたら「ない」というそっけない返事だった。しかたないので、「きょうの晩飯のおかず、サンマの焼いたのがいいなあ」と言ったら「炊込み御飯や」と、やっぱりそっけない返事だった。

多少不愉快になったぼくは、しかしいわし雲のひろがりに、創作の森の芸術を超える自然の造形美を見たのでちょっぴり興奮したのである。


09/20(木) おばけがでても構わないのだ

テロや犯罪ばっかりの新聞読んでると、彼岸での解説記事の字面がむなしくおどってみえる。
さりとてこういう時のスポーツ欄が癒しであるはずもないだろう。
すがりつかなければならないのは神仏である。
深夜、八幡神社の境内に行った。人の気配はない。
鳥居を照らす裸電球のぽつねんとした灯かりだけが遠くにみえる。
背後の森に吸い込まれるような闇の世界なのだ。
御存知近松門左衛門「曽根崎心中」の名調子を思い出した。

この世のなごり 夜もなごり
死にゆく道をたとうれば
あだしが原の道の霜
一足づつに 消えてゆく
夢の夢こそ あわれなれ
あれ数うれば暁の
七つの時が六つ鳴りて
残る一つが今生の
鐘のひびきの ききおさめ
寂滅為楽とひびくなり
鐘ばかりかは 草も木も

心中する相手もいないぼくは、結局シコシコと生きていくのだろうけど、長生きするということは、我々人類がいかに愚かであるかをながく見続けるということなんだろうなあ。

09/19(水)  議会初日

午前9時30分、町役場。
きのうは、第351回金津町議会定例会初日だった。(全体については、近日中に議員日記に書くつもりです。)
伊藤監査委員が報告した「平成12年度・金津町各会計審査意見書」にはなるほどなあと、うなづくところが沢山あった。
「・・予算又は補助金等を使用して、視察・研修に名を借りた慰安・観光旅行は厳に慎むべきであり、真の研修については、おおいに奨励し、金津町の明日の発展に備えるべきである。町財政の厳しき折から、原則として2泊以上の遠方への研修旅行は住民の理解するところではない・・・・」
これは議会に対するメッセージでもあるだろうし、当然のことと思う。

 09/18(火) あき 

きのう、三国土木事務所で打ち合わせを終えたら、もう夕方だ。
ひとり「三国サンセットビーチ」を歩いた。
秋の夕日を背にうけ、拾った木の枝マイクにみたて、「今はもう秋 誰もいない海 たったひとつの・・・」と、小声で唄い続けながら歩いた。
唄いながら、某君からのきょうのメールを思い出していた。
 「季節の中でビールの一番美味い秋です 食欲の秋 読書の秋 スポーツの秋 水沢アキ 八代亜紀 失礼こきました ・・・」
もともと訳わからないのが人間なのだから、訳わからないメールほど楽しい。

秋はぼくの一番好きな季節、どんなに過酷な夏であろうと、秋は必ずくる。
そう思いながら、しかし、こない秋もあることに気づいた。

ぼくと妻とにあいだに、あきは永遠に来ないのである。

 09/17(月) 無題

午前4時起床、勿論外は闇だ。
昨晩、デフラグでコンピュータープログラムの最適化施したらえらい時間かかるので早めに寝てしまった結果の早起きである。
きのうの日曜日は、朝からいろんな用事に奔走し、昼飯のあとは39暇クラブ幹事長ソーピスト羽根、ドクター汐見による階段手摺オイルステン塗装及びジェントル丸岡加わっての昼下がりの酒宴と、つまり午前・午後で様相が一変した。

その午前中、車走らせていた縦貫道路沿い、某タイヤ会社社長が社屋前でひとり黙々とタイヤを転がしている。熱いコーヒー飲みながらの歓談になった。
「日曜日も働くなんて仕事あっていいのう」と羨ましがるぼくに「ちゃうわ。どっか遊びにでたら金かかるだけや、こやってシャッターあけときゃ誰かひとりでもお客さんくるかもわからん、その可能性にかけてるんや」「公務員やら議員やら、仕事せんでも金入ってくるんとちゃうぜ」という。

「汗水たらして地道に勤勉にという日本人の美徳どこいってしもたんや。できるだけラクして遊んでいたいというやつばっかし増えてしもうたが。」の雄弁社長に「暗い顔してたってあかんぞ。苦しいかって笑顔や、笑顔が一番や。」とたたみかけられた。
きょう月曜日から、みんなと笑顔で接しようとぼくは決心した。

 09/16(日) 天気

午前6時起床。白山連邦に昇った朝陽を背に受けての小雨模様だ。
何故そう呼ばれるのかは知らないが、いわゆる「狐の嫁入り」というやつやね。

ものの15分ほどで陽は雲隠れして激しい雨足となってしまった。
きのう・きょうと、町内の小学校で運動会が予定されている。微妙な天気模様で一日が始まる時、運動会に限らず、屋外行事を挙行するかどうかの主催者側の判断はとってもむつかしいだろう。
きのうの金小運動会の場合、午前中雨の気配は全くなかった。テントのなかで隣席の林PTA会長は「雨男といわれんでよかった」とほっとしていた。にも関わらず、昼前突然降り出した雨で、昼の部のスケヂュールが延期を余儀なくされてしまった。
マ、技術がどれだけ進歩しようがコントロールできないのが天気なのだし、天の気まぐれくらいが語源だと思っていたほうがいいんだろうなあ。

 09/15(土) 運動会

昨晩。
35度の焼酎飲みつつ読みはじめた立花隆の対談集に、人類の終末を暗示する箇所が散見される。
思いあがった人類の当然の帰結やといううなずきと、未知の地求めて脱出しなあかんのではないかといううろたえが交錯するうち、柱時計が午前3時を告げてぼくは深い眠りにおちた。

あけて早朝、窓越しの朝陽見詰めるうち、「ハテ、きょうは何かあったよーなきいする・・ウーン確か金小運動会ではなかったか・・忘れてしもたなあ」と?の気持ちで金小に電話し、運動会がきょうであることを確認した。
ネクタイ締めつつ、キーボードたたいているのだが、町議会議員というのも、いろんなところからお呼び出しかかって結構忙しいのである。

09/14(金) 金津町社会福祉大会

午前9時15分、金津町社協主催・町社会福祉大会が市姫荘で開かれた。
議員としても招待されていたのだが、手話通訳の立場で司会者の橫に立った。
今年は、登録ボランテイア各グループ代表が新たに加わったことで、参加者も例年以上に多い。
表彰・来賓祝辞といったセレモニーがすんで、本日のメインエベント、浄土真宗本願寺派西宮寺住職・三崎霊証氏による講演「心にオ・ア・シ・スを」が始まった。
手話通訳しやすい語りだ。ぼくは通訳しやすい人こそが、話しの上手なひと、心と言葉に乖離のないひとだとかたく信じている。
講演終了間際、氏は、15才で生を閉じた脳性小児マヒ少年・土屋くんとそのお母さんとの間での交換の詩を紹介した。

皆を泣かせるような迫力だがぼくは通訳だ、泣くことは許されぬ。
橫にいる司会者・片山嬢のすすり声が聞えてきた。
中学生の時裕次郎に似ていると言われて以来、ずっと内ポケットに赤いハンケチをしのばせているぼくは、思わず「涙をお拭き このハンケチで・・」と囁きつつ彼女の細い肩に手をかけようと思ったのだが、衆目監視だ、まして議員の立場でのそういう行為はそしりを免れまいと思って、あきらめた。

09/13(木) 無題

繰り返し映し出される、世界貿易センタービル倒壊の瞬間は確かにすさまじいショックだけれども、悲劇の映像が遠景であることで、何か別の世界・夢の世界のできごとのような錯覚をもたらす。
現場から数千km隔たった安全な空間で、椅子に座りながらモニター映像を受身的に擬似体験するというぼくたちの姿勢にもよるのだろう。

超高層ビル火災の惨状現場をリアルに描いた、ポール・ニューマン、ステイーブ・マックイーン共演の映画「タワーリング・インフェルノ」のラストシーン。
鎮火した現場を去っていく消防隊長役のマックイーンの「人間て愚かだぜ」というつぶやきを思い浮かべていた深夜、突然事務所を訪れた客との話しのテーマは当然テロのことになった。
「民族・宗教・国家の枠を乗り越えていくことが人類の進歩であるはずやのに現実は逆や。もともと人類ほど愚かな動物はいないのではないか」という意見を聞きながら、月並みな意見やけどやっぱりその通りやなあと思った。
午後9時55分、日頃嫌煙権に押されて肩身の狭い思いをしているぼくは、最近味わったことのない香りのなかにいる。
葉巻のゴージャスな甘い香りに酔いしれている。
ジェントル丸岡の娘・千織さん、イタリア洋行帰りのお土産だ。

しんせい⇒ショートピース⇒ロングピース⇒ハイライト⇒チェリー⇒セブンスター⇒ゲルベゾルテ⇒セブンスター⇒マイルドセブンと紙巻煙草の世界で浮気をくりかえしてきたぼくだけれども、開高健の葉巻・パイプに関するエッセイに触発されて、葉巻ひと筋だった一時期がある。匂いがきついと周囲からたたかれ、止めてしまったのだが・・。

イタリアといえばマフィアだ。
孤独に葉巻くわえているぼくは、もしかしたらゴッドファーザーのような横顔なのかもしれない。
いい気分なのだ。千織さん、ありがとう。

10/12(金)はてしなく広がる伊井地区のコスモス畑なのだ


久し振りに自分のHP覗いてみたら、一日に何十人かのひとからのカウントがある。
ありがたいことだと思ったら元気がでてきた。ウツになることあっても、前向いて歩いていこうと思った。
ということで午後3時、金津町住居表示審議委員会。北金津の一部を住居表示変更で花乃杜三丁目とするものだが、ここに限って言えば変更は当然だろう。

ただし、そもそも平成5年に始まった新住居表示事業全体について言うなら、釈然としないものは今でも残っている。地名には精霊が宿っているのだ
当時不愉快になったぼくは、FM福井で豆砕き珈琲呑みながら不満をしゃべった。
後日、役場の某職員から「ラジオで行政批判するようなもん、役場来させたらあかんつうてる議員いるぞ」と耳打ちされた。誰かは知らない。現職組かリタイヤ組かも知らない。金津町にはジョークのうまい議員サンがいるもんやと感心したが、そのうち自分が議員になってしまった。

役場101号室で椅子に座りながら、そんなことを思い出していた。


09/09(日) HP 

きのうHPのカウント數をみたら、18000を超えていた。18000というと金津町の人口だ。
この数字が個人のHPとして大きいのか小さいのかぼくにはわからない。
前回金津町議会議員選挙の際、HP管理者に勧められてカウンターを設置したのだが、この数字を見ているうちに去年の冬を思い出した。

HPに書き込みを始めたのは去年の2月だった。
ちかばで見たこと聞いたことを感じたままに書いてきた。肉眼肉声でしか感じないたちなので、系統だった主張や抽象化された文章はぼくの最も苦手とするところである。
稀にセーギカンめらめらすることあっても、じゃあオマエどうなんやというおのが腹からの囁ききこえて筆が進まない。
結局等身大のカガミ以上でも以下でもない、いわばぼくの筆すさみに付き合ってくださったみなさん、ありがとう。


09/08(土)

雨だったきのうの夕方、竹田川べりを散歩した。
晴の日ならばみえるウオーキングするひとたちも、きょうは影もない。
傘を右手に、川面に腰を下ろした。雨滴によってつくられた水面の波紋が放射状にひろがっていく。流れてきた木の葉は、嵐のなかの難破船だ。

雨があがった。雲の合間から光がさしこみはじめた。
昭和34年頃潮来笠でデビューした橋幸夫は、小首かしげ半開きの口で「雨が小粒の真珠なら 恋はピンクの薔薇の花・・・」と唄っていたが、木の葉にたまった雨滴の玉は光に反射して白く輝き、確かに真珠なのだ。

09/07(金) 外務省汚職

外務省役人の汚職で又逮捕者が出たとラジオが報じている。役人と議員はそんなことしたらあかんぞな。
まだまだイモヅル式にあがってくるだろうから、省トップは録音テープのような「まことに申し訳ない、以後腰を据えて刷新します」の謝罪、もうせんでええと思う。熱帯夜は過ぎ去ったが、センセンキョウキョウとして夜毎眠れぬおっさんたちどれほど居ることやら。
わしが警察庁長官だったら、外務省玄関前に赤文字の看板たてて自首呼びかけるなあ。


  「あんさん吐きなはれ」 ●神につかえる身としてのひとこと 

神にひざまずいて、全てを告白なさい。人が悪いのやない、罪が悪いのどす。
電卓で生涯賃金わかるよなエスカレーター人生退屈で悪いことしたろか思うのはひとのさがどす。カネみつぎゃバーの女も媚態ふりまくでっしゃろ。よおわかりまんがな。
しゃあけど一時の享楽がなんでんねんアナタ。・・・大切なのは愛どす。
神は、おのれの愚かさに気づくことが大切だとゆうてはります。
ケーサツショにも神だなありますよってに、自首し汚職の罪を洗いざらい告白なさい。
退職金もらえへんで首になるくらいなんでんねんアナタ。既にええめみてまんがな。
ムショでてからの就職先は私にまかせなはれ。
神の思し召しで赴任した極東の島国ジャポンやけど今や犯罪汚職列島どす。アナタのような汚職裏面熟知有ムショ経験的前途多難のモロビトを私は必要としてるのどす。罪つぐなったあかつきにはケーサツに就職なさい。私と共に悪根絶の為に戦おうやおまへんか。
生活のこと心配いらしません。3割負担になってしまいましたが、健康保険もついておます。
アーメン

追信 標準語やのうてごめんやす。私はジャポンきて初めていったとこが、京都の祇園やったんどす。駒子いう名の舞妓に惚れて、くる日もくる日も駒子駒子で、とうとう水揚げしましたんや。
ほんまええオナゴやったなあ。
水揚げにようけカネ使いましたわ。いやいや、やばいカネやないどす。ちゃんと、本国にある私の土地売ってつくったカネどす。ジャポンに骨うずめる決心したのもそないな理由からどす。
毎夜毎夜枕元で駒子の祇園コトバ聞かされてアタマんなかしみついてしまいましたんや。
気い悪うせんといておくれやす。


ウーン、書きながら思ったのだが、舞妓言葉では不正をただすことができないような気がする。
警察庁長官が、西郷竜馬だったらどうなるんだろう。
  
   「敬天」 
●天につかえる身としてのひとこと

天にむかいて、おはんのすべてを投げ出してみしゃんせ。おはんは悪うなか、まっこと悪いのは心の奥に潜む何かじゃきに。
新政府できたはいいが、賢いやからばかりのさばりているぞなもし。奉行のおいどんすら薩摩の地でひとはたあげとう思うてもおかしゅうなか。
金銀はたいて芸妓抱えるもよし。痛いほどわかり申す。
ばってん、うつしみの淫蕩に何の意味がごわすか。いつくしむべきはまごころよ。
天はおいどんら庶民の愚昧充分御存知でごわす。己の無知を無知と知る、これ知るなりと孔子さまもいうちょりますきに。
奉行所の御同輩も神仏敬いていますばってん、おはん、おはんのした汚なかこと全て申すべし。
扶持米頂戴能わず浪々の身となりぬる、よかよかおはん。淫蕩快楽もう充分じゃろが。
牢いでてのちの扶持米につきましては不肖おいどんにおまかせあれ。
海舟殿の力で無血革命成就の新政府じゃが、盗人・だまくらかし・袖の下まかりとおっているのが新生日本、今の在り様ぞなもし。おはんのごとき悪のひと、牢内水責め経た浪々のひとこそわしらの同士であるべし。
牢いでたのちの扶持米、奉行のおいどんがだし申そう。共に手携えて人間の道つらぬくのがおはんの宿命ぞなもし。
妻子共々心配御無用。おはん、病に倒れなば金子3分でおいどんが医者連れ申す。約束じゃきに。
南無阿弥陀仏


ウーン、薩摩土佐弁のほうが誠実を感じるなあ。

09/06(木) 騒音

深夜になってしまったので、ぼくは、事務所
で布団かぶって橫になった。
静寂のなか、時折道路を通りすぎる車のエンジンフカシ音でなかなか寝付かれない。
羊を数えようかと思ったが、先週食べたマトンがまずかったのでやめた。

県内大手ゼネコンで今はエライサンになっている男が、北陸高速道路沿いに新居を建てたときぼくにこう言った。
「牧田はん、東京に1年いて首都高速道路沿いの飯場で寝泊まりしてた時は、はよう寝れたんやが、今はなかなか寝られんなあ。音が静かになったり、やかましなったりで不安定やからや。」

確かに首都高速沿いが喧しくてもそれが恒常的ならば、安定した環境と言えるのだろう。

09/05(水) 火事

県内外で火事による死者があいついでいる。とっても悲しいことだ。

もう15年ほども前、高校修学旅行のメッカ・京都市の旅館が生徒の対応策で揺れたという話しを聞いたことがある。
当時既に相当数の高校生が隠れ喫煙にいちゃんだったそうだ。
火事の原因寝タバコにもあるということで、京都市の消防署は旅館組合に対して、高校生ら寝る部屋に灰皿置くよう指導した。
が、これを聞きつけた警察署が烈火の如く怒り、灰皿案は立ち消えになったそうだ。
遵法説く警察vs現実的対応重視する消防署という双方の意見、正論どちらかで比較すりゃ、そりゃあ警察寄りきりの勝ちだろう。  しかし、今はどうなのか。


09/04(火) ニュース

ニュースといえば、耳はラジオから目は新聞から入ってくるのが殆どなのだが、偶にはテレビで見ることもある。
テレビ見ていていつも?と思うことがふたつある。
アナウンサーが男女ふたり並んで座っているのは何故だろう。ひとの書いた原稿読むのにふたりというのはおおげさだ。ひとりで充分できるじゃないか。男女共同参画社会反映させる姿勢なら、時間帯毎に交代すりゃいいだろう。構造改革はマスコミにも及んでしかるべしと思う。

女性アナに美形多いのもおかしい。そんなんに見とれていたらニュースの内容二の次だ。
ミス○○コンテストがおかしいという女性側からの意見はよくわかるし、女性美形アナも似たようなもんだと思うがなあ

09/03(月)

おとついから、インターネット接続ができなくなっていた。
そうしたら、仕事に集中できることに気がついた。
HPに書き込みしたり、ネットで新聞みたり、メール読み込んだりするのに結構時間がとられていたのだ。
こういうのが昂じていくと、いわゆるオタク症候群になっていくのかもしれんなあ。

今朝復旧したのだが、例えばこの日記も行数少なくして、シンプルイズ ザベストを心がけようと思った。


09/02(日) 新宿歌舞伎町

30年前、入社試験というものを一度だけ受けたことがある。
落ちた。
大坂の大歓楽街十三に本社のある中堅工務店だった。
スリランカ住田がいた佐藤工業のような上場企業では勿論ない。

受験者はぼくひとりだった。
試験用紙がだされたので、「こういうものは、入社し実務を経験するなかで覚えていけばいいものだと思います」とだけ書き、白紙で提出した。
面接担当者から「最近面白かった本は?」とプライバシーを聞かれたので「オストロフスキーの{鋼鉄は如何に鍛えられたか}を読んで、ボルシェビキ革命に邁進する主人公パーペル・コルチャーギンの不屈の精神に心うたれました」と答えた。

ひとがひとを、たかが紙で判断するのは、傲慢というものだろうし、ロシア・ボルシェビキ革命のような精神こそが、中堅工務店にとっての範とすべき道であるとぼくは言いたかったのだ。
「わかってくれただろう、十三ソープランド界隈にはよう下宿決めにゃあかんなあ」と思っていたら、不合格通知がきたのである。

しかし、とぼくは思う。
もしあの時その工務店から合格通知がきたとしたら、おとつい惨事となった新宿歌舞伎町のような大都市過密歓楽街でのビル建設にぼくはせっせと携わっていたはずだ。ソーピスト羽根を超えるソーパーにはなっていたかもしれないが、愛妻とめぐりあうこともなかっただろう。
建物は3階建て以上になると、途端に危険度を増す。火事の時2階からは飛び降りるだろうが3階だと恐怖が先行するのだ。建築基準法にしろ、消防法にしろ、3階建て(特に不特定多数出入りのビル)以上になると規制は格段に厳しくなっている。
しかし、厳しい法規制うけたビルであるにしても、法の精神にのっとった使われかたしていない場合は意味がない。惨事のニュースみながらつくづくそう思った。

ところで、こまめに新宿界隈に足はこぶ息子のことが気になって電話したら、「二日前、惨事火災ビルの前の建物でメシくっていた」という。
道徳的で、アタマかたい親からは、いろんなことに好奇心もやす子ができるとよくいわれるが、やっぱりぼくには、心配かけさせる息子なのだ。

09/01(土) みなさん ありがとう

ようやく引越完了。
昨日昼間、激励に来てくれたデンテイスト坂野ありがとう、プロパニスト小泉ありがとう。
昨晩8時、ソーピスト羽根・ジェントル丸岡という強力スケットコンビが顕れた。片付ける速度がいやはや早かった。「3人寄れば文殊の力」という格言は現代にも通じることを実感した。

作業完了し、夜も深けた頃、用事終えたドクター汐見が合流。新装あいなった会議室は「さようならニッポンの夏、こんにちはニッポンの秋」冷え冷え缶ビールつまみなしミニパーテイの会場となった。
「建築設計士の仕事部屋としては、以外ときれいではなかったなあ」という意見がでてきたので、
「建築設計とは夢を追う仕事なのだ。その仕事場があまりにもきれいでは現状に満足してしまう。少しだけ汚れているという環境が、美しいものを求めるぼくの欲求を育て、仕事の質を高めていくのだ」という持論で答えた。