2001年10月

10/31(水) 電話

長い東京生活で今やシテイおばさんとなった妹との長電話。
ヨワイ50を目の前にして医療関係の専門学校を受験するという。
「年とってから勉強したい意欲つよおなってきた。記憶力競う科目は不利や、若い人に負ける。だけど思い書く科目は有利や、なんたって人生の積み重ねあるけんね」と弁は滑らかだった。
そういえば、わしの妻は、30過ぎ子持ちとなってから、看護婦辞めて短大に入った。
勉強したい時期がきたときに勉強するのが損のない人生であるような気がする。


10/30(火) 決算審査特別委員会

きのう午前9時半、委員会室。決算審査委員会の初日だった。
対象課は、総務課・企画広報課・出納室・議会事務局。
感じたことについては、いずれ細かく書き込んでいくつもりです。
終わったのが午後4時で少々疲れました。

雑事こなす時間に追われ、事務所(といっても自宅前だけど)での泊まりが数日続いたので、夕食時「きょうは家で寝ようかなあ」と呟いたら「ワタシャひとりのほうが鼾きこえんからいいのに」との妻の表情垣間見えたのでありました。



10/29(月) 求む広告主 求む記者

ただ今午前4時。
月刊新聞[マンスリータイムズ」9月号が完成しました。A3裏表カラー摺りです。
議会中心(Aタイプ)と、日記中心(Bタイプ)で種類分けするつもりです。
ペイント貼り付けでここに載せようと思ったのだけれども、重くてうまくいきません。

郵送もしくは手渡しで配布しようと思っています。
(といっても誰に送っていいのかわからないのですが・・)
紙面拡充の為に広告掲載主求めています。
紙面拡充の為に記者求めています。


10/28(日) きのう土曜日の一日

きのう午前中は、設計稼業の同業者N氏来訪。
阪神大震災の経験踏まえての、木造建築物耐震強度検討に関する基準法施行令が大幅に改正されつつある。お互いの情報交換が大切だ。孤立せず、連合すべきところは連合すべきだと、なにやら市町村合併のようなトーンでよもやま話しは終始した。
午後は、関係議員集まって、決算審査特別委員会に備えての予備学習。
補助金に無駄がないか、公平の原則が貫かれているか、創作の森の経済的効果はどうか、議員視察研修の在り様は今のままでよいか等々様様な意見が輩出した。
補助金というのは、要らないところには要らないし必要なところには必要だ。
行政の存在意義を考える時、ぼくは福祉インフラの整備を軽視したら駄目だと思った。
夜は、町ネット例会。次回清掃、蕎麦収穫及び蕎麦会のスケデュール云々がテーマだった。

ただ今午前零時。きょうは早朝より「こせじ」フィールドワークで行き先は坪江・剣岳地区だ。
サントリーホワイトほどほどにして早めに寝よう。
布団のなかのつれあいは、もうすぐ読み終える石川好「ストロベリー・ボーイ」。
ひさびさのおもしろ本で、著者の1960年代後半におけるイチゴ畑ファーマーとしてのアメリカ体験が、既に今日のアメリカを予見している、とぼくは思った。

10/27(土) さあ頑張るぞ

きのう夕方のラジオで、運動生理学専攻の先生がイチローを語っていた。
「イチローの高打率は足の速さ故とよく言われますがそれは間違い。
足の速いバッターは他にも沢山います。
バッターというのは、普通、打ってから走りますがイチローは違います。
打つ瞬間にもう走っているのです。打つ・走るの意識が同時に作動しているといえます。イチローの反射神経フロー測定してそれがよくわかりました。
世界に二人といないでしょう」

哲学者的な風貌でただものではないと思っていたが、やはりそうだったのか。
イチローはながら族だったのである。
ぼくら子供の頃、ながら族はあかん、専念が大事やと親や先生からよく言われたが時代は変わってきているのだ。

そのイチローが、国民栄誉賞を辞退したので、ぼくはますます嬉しくなって「しまった。


10/26(金) であるのである

錯綜した思いかかえ、行かないつもりだった昨晩の手話サークル。
ゴロ寝で近鉄vsヤクルトTV観戦のさなかのサークル呼出しコールに、試合の進捗状況気にしつつ出かけてしまった。ぼくは優柔不断だ。
手話ボランテイアが嫌なのでは勿論ない。、寄る年波でなにせ疲れるのである。
手を染めたのが昭和51年だから、キャリアだけでいうと20数年も経過してしまった。
マッカーサー元帥のように「老兵は死なず、消え去るのみ」と言いたいのである。
しかしいつだったか「あなたたち健聴者はボランテイアやめても差し支えないでしょうが、わたしたちは死ぬまでずっと手話通訳ボランテイアが必要なんです」と某ろうあ者から言われた言葉が耳にこびりついている。

この言葉を真摯に受け止めなければならないのは、ぼくら一介の民間人ではなくて、行政関係者・教育関係者なんだがなあと、偶には愚痴のひとつも言いたい気分になるのである。


10/25(木) 盗み
郵便局で1円玉1000コと千円札1枚だけを盗ったひとでも、その手段がひとを威嚇しての強盗であれば大々的に報道されてしまう。

40年程前、小学校高学年の時だったか、講堂壇上で先生が「鼻紙(テッシュとは言わんかった)一枚盗っても泥棒やぞ」と言っていた。
その頃竹田川堤防沿いで、煙草「しんせい」一箱を拾った正直者のわしは、金津警察署に持って行った。
警察のおじさんは「ぼうや、いい子やな」と言いつつわしに確か40円くれた。
あのおじさんは「しんせい」吸ってしまったんじゃなかろうか。そんな気がする。

てなこと考えつつの昼休み、議会報告新聞編集ソフトのこなしが、かなりスムーズになってまいりました。
午前4時だ。昨晩は、ひさしぶりの39会だった。場所はジェントル丸岡宅。
しかし、体調不良のぼくは少しのお酒でソファーに寝こんでしまった。その結果の早い目覚めである。
こなさなければならない諸々目の前にして少々うっとうしくなるのだが、とりあえず起床後1時間は、熱々珈琲飲みながら、キーボード叩いたり、白み始めた東の空見上げたりする定番の時間帯だ。
日に一度訪れるシアワセやなあと思いながらINの新聞開いたら、下記の記事。

【北京24日=杉山祐之】中国の華僑向け通信社「中国新聞」インターネット版は24日、「日本の消息筋」の話として、「ウサマ・ビンラーディンとタリバンのオマル師が今月16日に、側近に撃たれ死亡した」と報じた。ただ、「この情報はまだ、各方面から確認されたものではない」としている。 同電によると、アフガニスタン時間の16日午前11時過ぎ、オマル師らが同国南部カンダハルの地下基地に戻り、洞穴に入ろうとした際、側近の者が背後から発砲した。オマル師は胸に1発、ビンラーディンは胸と左肩に各1発の銃弾を浴び、その場で死亡した。 一緒にいたビンラーディンの息子夫妻も胸や腰、肩などを撃たれて死亡。オマル師の二男は右腰に弾を受け、その場を逃れたが、翌日死亡したという。(読売02.219)


米軍はこの記事の真偽当然確認しているだろう。真ならば即戦闘停止に入ってほしい
10/23(火) 敬老会
 

午前10時30分、トリムパークかなづで敬老会が開かれた。
金津町18000人強の人口のうち70才以上は2800人だそうである。
88才以上の長寿リスト253人の住所をみてみると、長寿者のいわゆるまちうちに少なくそんぶに多いことが一目瞭然だ。
去年も同じこと思ったのだが、畑もち、とれとれの野菜自給で日頃体動かしていることが長寿の秘密なのだろう。
喫煙のためロビーに出た折り、80数才の見知らぬおじいさんから問わず語りをいろいろ聞かされたが、日本の人口は確実に減少しそして高齢化していく。

だけれども、昨日開催された市町村議会議員研修会の席上、行政学の権威である講演者・佐藤先生は、今後世界人口は増え続け、20年~30年後には、世界じゅうに人口ニ千数百万の都市が20くらいできるだろう、そしてそれらの都市の過半がスラムしているだろうと予測していた。
人口の爆発的増加・経済格差・地球温暖化は人類存続の為に乗り越えなければならない課題である。偉い学者諸先生は解決のために、叡智絞ってかんばって頂きたい。
ぼくら庶民はつつましやかな生活のなかに、つつましやかな幸せを求めるように、軌道修正していこうではないですか。


10/22(月) 無題
 

研修会で感じたこと書こうと思ったのだが、腹たつことがあったので研修会の内容は「議会報告FILE」へ。
午前10時頃、確かめたいことあって、ぼくは福井県庁の友人に電話した。

電話口にでた課の女性 「はいこちら○○課です」
ぼく 「すみません。□□さん御願いします」
課の女性 「□□は移動しました」
ぼく 「そうですか。どこに移動されたのですか?」
課の女性 「□□とあなたとどういう関係ですか?」
ぼく 「友人です」
課の女性 「友人なら移動先知っているはずじゃないですか」
ぼく 「もうええですわ」

知らないから移動先聞いているのに、この対応はないだろう。
○○課が県消費者センターなので、変な苦情攻撃とでも思われたのかもしれないが、県庁職員は全ての県民に対して誠意ある態度で接しなければならないと思うがなあ。

10/21(日) ありがとうございました
 



愛用自転車「ナショナル・バナナ号」が10日ぶりに戻ってきた。捨てられていたバナナ号の発見者は知人の柴田さん。
それにしても低床黄色の派手車体でも盗難に会うのだ。盗んだほうも少々勇気が要ったろうに。

てなこと思いつつの夕食時、デンテイスト坂野来訪。
沖縄土産=泡盛焼酎「浅波」を持ってきてくださった。
陶芸家・プロパニスト小泉の手になる作品・夢幻猪口に「浅波」を注ぐ。

金中PTA時代、頼りない会長だったぼくをしっかりと支えてくれた二人だ。
ぐい飲みするのは失礼と思い、透明な液体に舌先をつけた。
攪拌された液の一部が玉となってぼくの舌先を転がる。
青春時代の一部=沖永良部島のありし日々が走馬灯となって蘇った。
年とったからこそ、青春の日々が蘇るのだろう。
それでいいのだとぼくは思った。


01/10/20(土) 夕陽恋 


三国土木事務所での打合わせ終え、海岸に出た。
落ちる夕陽に染まる水平線からの風は冷たい。

パリで買ったダーバンのコートのえりをたててのくわえ煙草。憂愁の気分で岩畳にたたずむ私を横ぎろうとするひとつの影がある。
年の頃は42,3か。利休ねずみの鼻緒の草履、浅黄色の地に濃紺紋様の西陣、白いうなじ、島田髪の和服女性は、軽く私に会釈し去って行く。

遠ざかる彼女の細い背中は夕陽の逆光でシルエットと化した。
岩畳を散策する足取りおぼつかなく、不意の波しぶきよけようとした彼女の体が反転しよろけた。
かけつけ、「大丈夫ですか、奥さん」と声かける私に「おおきに、大丈夫どす。それにうち、今は奥さんあらしません」と彼女は言う。

うちとけ、肩並べつつ砂浜を歩いた。いつの間にかふたりの指はからみあっている。
彼女の胸の激しい鼓動が聞こえてくる。抱きしめ口づけを、と思わないでもなかったが議員なので我慢した。
別れた亭主のこと、今彼女にいいよっている幾人かの嫌な男たちのこと、そのうちのひとりが某市の議員だということ、にも関わらず自立し孤高に生きていこうとする思いききつつ、「この人にしろ私にしろ、美男美女の人生につきまとうのは、やはり悲しみと憂いなのか、それが宿命というものなのか」と私はココロでつぶやいた。

気がついたら辺りは既に闇だ。
それでは、と背をむけた私を「りりしいおかた・・・たくましいおかた。うち、貴男様のお名前まだ聞いてしません。今晩のお宿どこですの?教えてくださいな。うち、行ってもかましませんでしょ?ねえ、かましませんでしょ?」と彼女の涙声の懇願が追う。
私は「奥さん、いやもと奥さん。私は名のるほどのものではございません。貴女は私をいとしく思っているのかもしれないが、それは本当の私・裏の私を知らないからだ。どんな男でも、私よりましなのです。恋に恋してはならない。恋に恋したところでなにものも生まれはしない。貴女はいつの日か必ず真実の男性にめぐり合います。ここでさようならすることだけが、お互いを幸せにする道なのです」と答え、歩きはじめた。
背中見続けているであろう彼女の視線に耐えきれず、私はゆっくりと、しかし止まることなく歩き続けた・・・・。


こんなことを岩畳の上で夢想したのだが、こんなシチュエーション、52年のわしの人生に一度もなかったなあ。悔しいなあ。


10/19(金) 居酒屋 

最近のぼくには、夜の巷の飲屋で酒酌み交わすという習慣が殆どない。面倒くさいこともあるが、事務所二階がちょっとした溜りとなり、酒場兼用の雰囲気にもなってきたからだ。
先だって数人の議員との話しの席上、「居酒屋おまきをつくりたいなあ」といったら「呑みに行くぞ」と返事してくれた人もいる。酒濾布でつくったサックリに捻り鉢巻のいでたちで「らっしゃい」なんつうのも楽しいではないか。
看板名は「おまき」より「居酒屋・ぎかいうらのしんじつ」がいいだろう。
しかし資金持ち合わせていないぼくは、当分の間今の場所をこぎれいに維持していくことしかできない。


10/18(木) 水俣病 

総務委員会と環境特別委員会の視察研修が相前後して、昨晩が久し振りのマイ枕だったが、妻は出張中、娘は修学旅行中で家は静かだ。娘の旅行先は九州。
そういえば、ぼくの高校の修学旅行先も九州だった。生まれて初めての寝台列車は興奮で眠れず、窓あけて見ていたのが、瀬戸内工業地帯のまばゆい光に照らされる夜空だった。
東京オリンピックを成功させた日本が高度経済成長の波に乗り始めた頃だった。

経済成長の裏面・闇の部分であった水俣病がクローズアップされたのは、その数年後か。
きのう視察研修のバスが、第二の水俣病をだした新潟阿賀野川の橋を渡る時、脳裏かすめたのは、熊本水俣病患者の衝撃的な映像だった。

ゆりから見れば、この世もあの世も闇に違いなか
うちは死んであの世にいっても、あの子に会われんよ・・・
あきらみゅう あきらみゅう
ありゃ なんの涙じゃろか
ゆりが涙ね
心はなあんも思いよらんちゅうが
なんの涙じゃろか ゆりがこぼす涙は
とうちゃん
        水俣病41号患者杉原ゆりの母親


10/17(水) 環境 
注 左下のブラックフェースがぼくです。かっこええでしょう?)

きょうの視察研修先、高畠町は、明らかに環境行政先進地でありました。
環境良くする為の施策云々もさることながら環境教育が徹底されているという意味で先進地であるわけです。
そういうところでは、必然的に公害にたいする住民運動もきっちりとした連携がなされており、環境条例を定めることも含めて、我々が範としなければと思った次第です。
しかし、疲れた。長旅に疲れた。こういう研修先も隣県近県に限定すべき時がきたと思います。

というようなこと考えつつ帰宅。仮眠ののちインターネット開いたら、「米議員スタッフ29人炭疽菌陽性反応、科学兵器の専門家関与!」とある。
我々は、環境云々など全くの微細事たらしめる領域に入りつつある。
人類存亡の危機・エポックであります。虚しさが胸に広がります。
しかし、そう感じながらも、我々は大状況と小状況の間を揺れ動き、重層的に生き続けていくしかないのだろうと思います。

10/15(月) 視察研修

このところ、毎日数十分づつ、新聞紙面つくりに励んでいる。インターネットでダウンロードしたフリーソフト利用してのものだが、タテに並ぶ文字列見ているとほっとする。
考えてみると、ぼくら、本はタテ列文字で慣れ親しんできたのだ。IN接続でヨコ列文字に顏突き合わすようになったのは、ほんの数年前だもんなあ。
ヨコ列で読む日本語とタテ列で読む日本語の違いは読み手の思考パターンになんらかの違いをもたらすのだろうか、もたらさないのだろうか。

きょうから、環境保全特別委員会視察研修
行き先は、福島県猪苗代町役場及び山形県高畠町役場。
45頁に渡る予備資料読んでいたら、目が痛くなった。疲れてしまった。
後日、研修内容を報告致します。
できたら、意匠こらした新聞のかたちで報告したいと思っています。


10/14(日) 合掌


ょう午前中は商工会主催の町内史跡巡りだった。「こせじ」会員のひとりとして、ぼくは伊井応蓮寺・太子搭の説明を担当した。
太子搭は聖徳太子の供養搭である。

搭に対する畏敬からか、しゃべる自分の卑怯・怠惰・傲慢・エトセトラの煩悩が見透かされているような気分になってしまった。
不義理やなにやかにやで、一体どれだけの人に迷惑かけてきたことか、かけていることか。
搭に向って合掌しつつ、余生は誠意を尽くそうと思った。

10/13(土) 恥

お袋から、「○○さんへのお祝いつくっといたで渡しての」と言われた。
○○さんに「おめでとうございます」と言いつつ渡したら「いいんですか?」の返事。

ぼくには懇意にしている○○さんがふたりいて、偶然ふたりに慶事が重なったので相手を間違ってしまったことに、あとで気がついた。穴があったら入りたかった。

10/12(金)はてしなく広がる伊井地区のコスモス畑なのだ

久し振りに自分のHP覗いてみたら、一日に何十人かのひとからのカウントがある。
ありがたいことだと思ったら元気がでてきた。ウツになることあっても、前向いて歩いていこうと思った。
ということで午後3時、金津町住居表示審議委員会。北金津の一部を住居表示変更で花乃杜三丁目とするものだが、ここに限って言えば変更は当然だろう。

ただし、そもそも平成5年に始まった新住居表示事業全体について言うなら、釈然としないものは今でも残っている。地名には精霊が宿っているのだ。
当時不愉快になったぼくは、FM福井で豆砕き珈琲呑みながら不満をしゃべった。
後日、役場の某職員から「ラジオで行政批判するようなもん、役場来させたらあかんつうてる議員いるぞ」と耳打ちされた。誰かは知らない。現職組かリタイヤ組かも知らない。金津町にはジョークのうまい議員サンがいるもんやと感心したが、そのうち自分が議員になってしまった。

役場101号室で椅子に座りながら、そんなことを思い出していた


10/08(月)無題

空爆開始を受けて、昼のローカルニュースが福井県内原発周辺警備の強化を報道していた。
考えてみれば、国内がテロに遭うとしたら、政治の中枢・経済の中枢・米軍基地と並んで原発も選択肢のひとつなのだ。少なくとも可能性皆無とはいえないのだろう。
今年の春先に高速増殖炉「文殊」の奥の院・ナトリウム漏れ事故の現場をみてきたが、あんなに巨大で堅牢な構造物(工費¥6000億という)がやられるとしたらそら恐ろしいことである。
しかし、原理主義をイスラムにだけ冠するのもおかしな話で、例えば江戸時代初期の島原の乱などもキリスト教原理主義によるジハードだったといえるんではないか。
カースト制有するヒンズー教の教義VSアラーの神の下一切平等イスラム教の教義の確執の結果できたパキスタンに後押しされたタリバンが容疑者をかくまうという構図みるにつけ、テロの火種は経済・宗教の混沌のなかに渦巻いているのだと思う。

今、世界は恐ろしい局面に入りつつあるのだが、もっと恐ろしいことは(恐ろしくないことかもしれないが)、そう思いながらも明日のくいぶち求めてし奔走し、現場の職人と軽口たたく日常そのものの自分が存在するということじゃなかろうか。


10/07(日) 新聞を読んで

「夫婦別姓」の民法改正案、今国会提出は困難
09/06読売
この記事読んで、31年前を思い出した。
知合いがあるひとと恋仲になり、結婚を決意した。相手の女性が、「結婚によって慣れ親しんだ姓変わるのは嫌や」という。知合いは「ボクも嫌や」という。
勿論、結婚=姓の同一化が当然の時代だったから、どちらかが折れなければならないのだが、双方譲らない。
丁度正月前だったので、サイコロ持ちだし丁半勝負で姓を決めたそうである。
金銭賭けていないので、賭博法違反にはならなかったと思う。

夫婦別姓志向は、ひとはそれぞれや意識の顕われだろうし、あるいは万一の離婚に対する配慮ともいえるだろう。
そう言えば、もう10年ほど前、我が家にホームステイした米女性・ウエンデイさんが「アメリカの小学生の通知簿の家庭通信欄にはマルつけるとこありマース。
①同居 ②別居 ③離婚のドコカにマルつけなさいと書いてあるのデース」と言うのを聞いて身構えたもんだ。
既にその頃から、ぼくは夫失格ではないかの反省的人間になりつつあったようだ。

10/06(土) CATV

昨晩、立派な「るせー」反抗期少年となった我が息子に頼まれ、漫画買いに連れていったあと、某議員宅に行った。
「議場にTVカメラいれなあかんのや」との力説聴いていて、先日の視察研修を思い出した。
徳島県長尾町の場合、5年前にCATV導入したという。行政は週間ニュースなるものを放映し、議会の様子も各家庭に流れる。衆目にさらされる各議員、身なりに気をつけ発言に力いれるようになったそうだ。
議会・委員会の傍聴稀有の現状みるにつけ、CATVは必要だと思う。
丸岡・春江両町は既に動き出している。
10/05(金) これからのこと

昨晩遅くの来客に、キミは議員として、住民にむかってもっと広く発信していかなあかん、と言われた。
きょう午前中は某議員から、キミはもっと議員職に専念しなあかんと言われた。

確かにぼくたちは、何百名かのひとたちに支持されて議員となったのだから、その思いを真摯に受け止めなければならないし、議員として勉強しなければならないことが、山ほどあるのは事実だ。こんな駄文書いてる暇あったら、報告会開いたり、新聞つくりにいそしむべきだという思いもよくわかる。
そこで、あるひとに相談したら、もらう報酬に見合うと思う分だけやってりゃそれでいいんじゃないかとも言われた。要するにさまざまなことを言われるのだ。
しかしとにかくひとは食っていかねばならない。現実は厳しいもん。時間に追われる余分のことは切り捨てにゃどないもこないもならんねん。

午後じっくり考えて、手話通訳やいくつかの趣味からバイバイすることにした。
ぼくなりに議員としての活動を発信する方向を模索していこうと思う。

ということで、神妙に気を引き締めた今、ぼくの耳にNHKラジオの女子アナの「大リーグ、バリー・ボンズが70号ホームランをヒダリウデ○○投手から奪いました」という声が聞えたので、しばらく考えたのだが、サワンのことだとわかり、ほのぼのとした気持ちになった。


10/04(木) 視察研修

午後7時、総務常任委員会視察研修先から帰宅。
新調のスーツたたみ、長旅の疲れ癒すため、スーパードライを飲んでいる。
視察研修は徳島県長尾町及び岡山県真備町の2ヶ所だった。
長尾町のテーマは「市町村合併」、真備町のテーマは「行政改革」だった。
質疑応答それぞれに活発で、収穫多し。ぼくもようけ質問した。
資料ともども、近日中に「議員日記」で報告します。

ところで、瀬戸大橋渡っての徳島から岡山への移動は、ぼくはにとって初めてだった。
半月ほど前は、英仏海峡海底トンネルを掘った日本人苦闘の記録をテレビ映像でみて技術者魂に共感した。おとつい読み終えた立花隆「宇宙からの帰還」で、最先端宇宙科学技術のすごさにうなったぼくは、ここでダイナミックな構造物みて又も優秀な技術者の誇りを感じたのだが、自分も技術屋のはしくれとして生きてきてよかったと思った。

10/02(火) ミッドナイトは肌寒いのだ

午前3時半、外はしとしと雨。
徹夜を決意したのだけれど無理だった。12時過ぎると瞼重たくなり、2時間仮眠した。既に若い頃の体力はないんやね。
総務委員会視察研修に行ってきます。テーマは「市町村合併」と「行政改革」。
近日中に報告致します


10/01(月)
 尚子さん がんばったね


きのう4時半、仕上げてしまわねばならない仕事に熱中していたら、隣の詰所がなにやら賑やかだ。フリーマーケット終えた「まちネット」のひとたちが反省飲み会を始めたみたいだ。
詰所覗いたらみんなTV画面・ベルリンマラソンにくいいっている。
ぼくもマラソンを最後までみてしまった。高橋尚子すごいね。
手が痛くなるほどの拍手を送りたい。

しかし、高橋が昨年国民栄誉賞をもらった時はちょっと嫌だった。たかが20代であんな賞もらったら、彼女の人生手枷足枷になるんじゃないかという、おじさんの心配がひとつ。
所詮セレモニーにしかすぎないのが賞というものじゃないかという、もらったことのないおじさんのひがみがひとつ。
ひとは賞などもらおうがもらうまいが、生きることにおいて真摯であるべきだと思うし、自分を一番知っているのは自分自身だという意味で、ほめるもけなすも自分ですりゃあそれで充分だと、おじさんは思ってしまうのだ