2001年11月

11/30(金) コンピューター ウイルス 

午前中、珍しくリストカット増田から電話が入った。
「コンピューターウイルス大丈夫か?」という心配コールなのだが、そういえばここ2、3日、ぶんどう事務所・デンテイスト澤井・スレンダー大下といろんなひとたちから同種のメッセージがあったなあ。
インターネットの原理よくわからないぼくだが、リストカット増田の説明聴いていて、これは立派なテロではなかろうかと思った。
テロに対しては、断固たちむかわなければならないのだがしかし、その方法がわからない。

きのうは、夜の焼き鳥屋が4人雑談の場となった。隣席の体育教師志望女性が、今年も採用試験に落ちたという。来年は福井と横浜で受験するつもりだそうだ。
一定地に留まらずの人生のほうが面白いんじゃないかが話しのテーマになった時、向い席の男性が「ぼくは何回も転職してきた。転職の際書き込む履歴書には前職の全て書ききれないので、最後の職しか書かんかった。でもいろんな職種経験して、ものごと多様にみれるようになった」という。
ひとつの職わきめもふらずの人生、それはそれで尊いのだろうが、例えば2年前から二股稼業になったぼくは、しんどさ倍増、けどはりあいも倍増したような気がする。

11/29(木) 携帯メール 

○携帯メールで119番というニュースがありました。聴覚障害者にとって携帯電話のメール機能は本当に活用されています。インターネット接続端末のトップがアイモードですよね。・・後略 (後藤さんからのメール)

建築現場には電話がないという理由で、携帯電話購入したのは早いほうだったが、携帯メールに関しては一貫して「何のこっちゃ?」だった。
しかし、上述の文章になるほどと頷き、ジェントル丸岡にメール申し込みを依頼した。

聴力障害者からの個人的な通訳依頼は、本人の場合はファクシミリであり(ファックスというと顏あからめる外国人がいるそうだ)、携帯へは健聴者を通して入ってくる。
健聴者にとっての携帯電話の手軽な便利さを聴力障害者の場合、携帯メールで味わえるという構造やね。


11/28(火) ついにあられが降ってしまった

きのうは久し振りに大都会福井市で午前中を過ごした。
スタッフを何人か抱えている某建築設計事務所所長との四方山話し。
「設計料は完全に価格破壊やぞ」という。
公と違って、民間の場合は価格が市場原理で揺れ動き、仕事が欲しかったらその値段に従わざるを得ないという構造やね。
設計も、図面が「成果品」という名の商品として、市場経済に組み込まれている。
設計屋だからということで自己弁護して言うのではないが、図面量はいわば結果であり、ああでもないこうでもないという沈思黙考のなかにこそ仕事の質を問われる部分があるはずなのになあと思ってしまう。
そう思っても、無駄省く為の構造改革は必要なんだろうし、総論賛成各論反対では進むものも進まないだろう。妻子抱えた身の上だ。臥薪嘗胆だ。日は又昇るだ。
フランソワーズ真由美にもらったバンダナしめてきょうも頑張ろう。


11/26(月) 煙草

きのう、夕飯後ひと眠りして目が覚めたのが10時。再度の就寝試みたが眠れない。
そうこうしているうちにもう4時だ。起きていても構わないのだが、問題は煙草がないことだ。
煙草自販機は深夜動かないので、購入できない。もう6時間我慢していることになる。
これを機会に禁煙しようか。しかし楽しみというものを持たないぼくのひそやかな楽しみなので迷ってしまう。
きょうは、決算審査特別委員会だ。とりあえず寝て体調整えよう。

11/25(日) 快晴の日曜日

午前中、まちネット草刈り終了後、御簾尾区民館でコーヒータイムだ。
前教育長・龍沢寺住職川内氏より講話拝聴。
ボランテイアを売名行為ととられるのではないかと懸念すること自体おかしいというくだりに頷いた。
午後、マンスリータイムズ広告担当・ハニー氏来訪。
コンピューター画面みて、お互いあれやこれや言っているうち、39会のメンバー何人かが集まって結局飲み会となった。
飲むと世の中楽しくみえる。
どのみち日曜日、「なにしょうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」である。

11/24(土) 我輩は牛である

わしは昭和24年に、福井震災自宅倒壊再建期間限定バラックで産まれた。
巣鴨プリズンのA級戦犯が処刑されたり、中華人民共和国が成立したのがこの年。三国町に疎開していた三好達治が帰京したのもこの頃で、いわば戦後の混乱まだくすぶり中の頃だった。
昭和24年のエトは丑(牛)である。
エトが牛であったこと・小学校の学芸会「猫と鼠は何故仲が悪いか」で牛の役をしたこと・つぶらな瞳を持っていたことで、小中の同級生からは「牛(ぎゅう)さん」と呼ばれてきたし、女生徒にももてた。

そういうわしにとって狂牛病は同胞の問題である。
何故わしら草食動物が肉骨粉を食わせられなきゃならんのか、不思議でしょうがなかった。あくなき味の追求し、食えるものなんでも食ってしまう人間どもと違って、胃を四つ持つわしらは、わら草だけをひがな一日ゆっくり反芻していりゃそれで幸せだったのだ。

先日バスに乗っていたら、隣席の人間どおしの会話「九州のなんとかいう特別種養豚農家、注文殺到値上がりドンドンでほくほく顔だってよ」が聞こえてきた。
損するひとが得するひとを生み、得するひとが損するひとを生むのが混乱期のキーワードなのか。


11/23(金) 一通の手紙

ポストに入っていた一通の手紙が目をひいた。。
ろうあ者A君が永年勤めた会社辞め、夢だったファッション関係の専門学校に入ろうとしたところ、学校には通訳つける予算がないと拒否された。その後交渉をへて、本人が通訳つけるなら入学OKということになった。そこで通訳依頼文書が郵送されてきたというわけである。

十数年前、三国や金津の手話サークルに顏だしていたセッド・チャップマンさん(米ロスアンジェルス産)は「ハンデイキャプトパーソンという言葉はもう死語や、禁止用語や。ハンデイは環境整備によってハンデイではなくなるんや。大学入ったろうあ者には専門教科なんであれ傍らに通訳ついての情報取得保証されるんやざ」とお国自慢をしたことがある。
聞いていたぼくは、そういう面に関して米は先進国やなあと思った。

11/22(木) 公団

深夜のラジオが、道路公団・住宅金融公庫廃止路線走行中の小泉首相を牽制する亀井国会議員の談話を流している。
亀井さんの「なんでも競争すればいいというものではない。公的な補助で生活インフラ整備しなければならない面もある」という主旨はわかる。
しかしぼくは、何年か前に読んだ新書本「道路公団の実体」で、その無駄ぶりに驚き、その前年に載った文芸春秋だったかの「諸々公団天下りリスト名簿及びその甘い汁」にあきれかえり、そのまた前年だったか、某福祉法人所長から、建設省天下り官僚支配ナントカ特殊法人からの横暴・しめつけ聞かされて辟易したのを覚えている。
競争原理が正義とも、身粉にしての勤勉が美徳とも思わないが、そういうこと余儀なくされる人びととされない人びとが同国土同時存在というのは、差別・不公平というものではないかと思ってしまうのだ。
インフラ見直しについて言うと、嶺南貫く高速道路が無いのは確かにおかしい、住民の足として必要だろう。空港は要らない、京福電鉄は存続させるべきとぼくは思う。

しかしこんなこと書きながらふと思うのだが、公であれ民であれ、所詮ひとがつくった組織だ。ひとによって動かされる組織だ。組織が「自分は飯さえ食えればそれでいい、仕事の報酬は仕事をする喜びそれ自体で充分なのや」という無私の精神の持ち主によって支えられる時代が来なけりゃならんのだ。

 12/21(金) 学期末

きのう、高2娘の保護者会に出席する妻に代わって、中3息子の学級会に参加した。
帰り際、もう来ることがないかもしれない金津中学校の鉄筋コンクリート造りの威容を今一度眺めかえした。
ぼくが中学生だったころ、校舎は木造だった。恥ずかしがりやで、ひとと交わるのが苦手だったぼくの中学校生活にあまり楽しい思い出はない。みなが帰ったあとの教室にひとりぽつねんと座っているのが好きだった。
窓ガラスを通してさしこんでくる夕陽はぼくの横顔に孤独の陰を与えていたことだろう。

今、運動場を駆けまわる少年達少女達の表情は驚くほど屈託がない。あかるいということは基本的にいいことだ。
しかし少女達の青色のショ-トパンツはいただけない。黒いちょうちんブルマーのほうにより風情があったとぼくは思う。

11/20(月) 洞窟

昨晩は7時に就寝。目が覚めたら午前2時だ。再度の睡眠試みたが、もう若くはない体だ、眠れない。ならば仕事だと、豆砕きあつあつモカ珈琲飲みながらとりあえず深夜の静寂を楽しんでいる。
ひきこもり症状解けたのか、きのうは三国・丸岡・金津の三都を往復していた。
丸岡町で戦争vs平和の資料閲覧し、三国町知人宅でバブル崩壊後の日本経済の功罪拝聴。戻ってきた金津町のスーパー・ユース駐車場で、知人から駅前活性化のプランを聴く。町役場駐車場では教育談議。事務所戻ったら客人来訪、市町村合併の話しで盛りあがった。
疲れたなあと思いながら眺める新聞記事に「米英特殊部隊、ビンラデン潜む洞窟絞り込む。数日内に拘束か」とあった。

建築設計ウン10年のぼくは洞窟に興味がある。こども成人し、諸々の呪縛から解放されたあとの最後の住居として洞窟が最適なのではと思うのだ。
後世、「山中洞窟で原人発見さる。すばらしいカナヅタミラの壁画!」と新聞記事に載ったらおもしろいではないか。

11/19(月) 生涯学習推進大会 

きのう午後1時半。中央公民館で平成13年度金津町生涯学習推進大会が開かれた。
挨拶・表彰・実践発表のあとは講演会で、講師は芸能人・越前屋俵太さんだった。
福井TVの「見廻り日記」は今年が8年目。福井県内35市町村訪れた回数は300回を超えたという。TVを見る癖がないので、この番組一度もみたことがないのだが、舞台スクリーンに映し出された再生ビデオで、このひとのキャラクターが少しわかったような気がした。
京都生まれで福井県に縁の無い俵太さんが福井県人より福井のことを知っているというという自負は多分当たっていると思う。
ぼくらは、ちかばのいろんな場所を以外と知らないもんだ。外からみるからこそよくわかるという例は沢山ある。


11/18(日) 腰は人体の主人である

きのう夕方はラッシュアワーだった。
福井市まで
四苦八苦で娘を迎えに行ったぼくは、帰宅後セントピア芦原会議室に向った。
高木ぶんどう実行委員会。
さなかにデンテイスト坂野から携帯「おいでおいで」コールが入る。委員会終了後「おいでおいで」会場・北潟へむかっていたら、ドクター汐見から「飲みにこいや」コールだ。無視して着いた北潟会場、9人のメンバーがわきあいあいだった。
女性が3人いたので緊張してしまったぼくが、寡黙にサカナつまんでいたら、プロパニスト小泉が腰の痛みを訴えたので、ドクター汐見に連絡。
彼の自宅では、リストカット増田が待機していた。彼の整体うけて、復調したみたい。
よかったよかった。バタバタした土曜日の夜だった。

11/17(土) 坂井郡社会福祉大会

ぼくは、行政が担わなければならない重要課題は社会福祉・障害者福祉の充実・増進だと思っている。
先だって
、福井県三国合同庁舎福祉課から「坂井郡社会福祉大会の会場で手話通訳していただけませんか?」という依頼の電話があった。声がチャーミングだったので、即座に受諾した。

きのう午後1時半、金津町中央公民館でぼくは手話通訳者として舞台にたった。
松木町長や杉田議員挨拶の手話通訳も一生懸命した。
通訳の合間、Mrs渡辺と交代して舞台裏に佇むぼくと、県職員のふたりのお嬢さんとの間で話しがはずんだ。20代としゃべるなんて、何年ぶりだろう。
大会は前半・式典で後半・講演会。
式典での被表彰者に,永年手話通訳者の辻川さんがいなさった。久し振りの再開だったが、地道一途のひとを、ぼくは無条件に尊敬するのである。辻川さん、おめでとう。

親類の法事があったので式典終了後三国へ。帰宅しての夕食は三国で頂いたイッパイのセイコだった。セイコさかなにスコッチウイスキーぐびぐびでこってりこん。けさ6時に起床したら携帯に沢山の着信が入っている。電話してくださったかた、ごめんなさい。

11/16(金) 鴨よ

きのうのことだ。
ジェントル丸岡が「竹田川河畔・重義の鉄塔のあたりを、鴨撃ちとったおっさんが
歩いていたぞ」という。
あそこは禁猟区ではないか。シベリヤからはるばる飛んできた我が友人に対してなんということをと、わしは早速偵察にでかけた。
おっさん鉄砲持っているとのことのだが、わしには武器がない。もしもおっさんに会っても「こんにちは」というだけにとどめようと思いつつ、とにかく現場に行ってみた。
既に誰もいなかった。
「狩猟禁止区域」と、赤い字で書かれた看板がそらぞらしい。

禁猟区域で狩猟するのは法律違反だし、第一人間にとってもあぶないではないか。
鉄塔際の土手はぼくの憩いの場。嬉しい時、悲しい時、ぼくはあそこに寝っころがえって、青空を見詰め、流れる雲を見詰め、そして戯れる鴨家族を見詰めているのだ。

11/15(木) なんで?
プロパニスト小泉来訪。
話しの合間に「人間はなんで生きているんやろかのう」と呟いたので、
わしもベッドで考えた

人間には生への意志本能がある、死ぬのが怖いから生きているとひとまずはいえるだろう。
昔、友人の女性が「私は死ぬのは怖くない。怖いのは、死んで歳月経つにつれ、みんなから忘れられていくことや」と月明りのなかで語っていたのが妙に印象に残っている。

しかし、生と死の間に在る壁が絶対的だと思っていたのは、若い頃のことで、最近はちょっとちがう。生のなかに死が少しづつ浸潤することが、即ち生きていくことではないかと思うのだ。心停止とか脳死とかで人間の死に対する法的な定義にぶれがあるということを拡大して考えると、ぼくらのなかで既に部分的な死が始まっているように感じられるのだ。
既に死後の世界を歩みはじめていると思えば、どのみち連続し円環する世界にいるのだから、深刻になる必要なかろうと、ココロが少しやすらぐ。



11/12(月) 決算審査特別委員会  

午前9時半、決算審査特別委員会。
きょうは、
教育総務課・生涯学習課・福祉保健課
詳細は近日中に書き込む予定。
寝ようかと思っていたら,ニューヨークで飛行機事故発生のニュースだ。

誰もがテロを連想する。頭がボーっとしている。
又いろんな解説が飛び交うのだろう。


町職員某様より、委員会名についての間違いの指摘を頂きました。謹んでお礼申し上げます。

11/11(日) 福井駅前屋台ラーメンはひさしぶりだった  

昨晩午後5時半、ユアーズホテル。
学生時代の校友会総会に、何年ぶりかで出席した。
議事終了後の講演は、元トヨタ自動車工業副社長・岩崎正視氏「私の心の歴史」
50人内外のこじんまりとした聴衆相手の淡々とした話しぶり、饒舌ではないぶん耳にここちよい。

講演終了後、親睦パーテイに入った。聞き足りなかったぼくは、常山酒造の地酒飲みつつ、個人的インタビューを楽しんだ。
トヨタ時代に舐め尽くした辛酸を聞いた。ピンチこそがチャンスなのだそうだ。
プロサッカーチーム・名古屋グランパス、6年間の社長時代、「サッカーは基本の反復と、最後には自由な判断力にかかっている」というベンゲルの監督哲学に惚れたと言っていた。自由な発想こそが大事なのだ。
現在、名城大学理事長。国民が教育に何を望んでいるかを問うことなく大学再編をしようとする国の無策を嘆いていた。

トヨタ自動車工業副社長と言えばトップエリ-トなんだろうけど、悩みや苦労はぼくら庶民と同じように持っている。どのみちみんな悩みを持っているのならば、悩みを愛していこうとぼくは思った。
まちネット蕎麦刈り
斎藤新緑県議、京福線の扱いにこめかみぴくぴく
 http://www4.ocn.ne.jp/~sinryoku/

11/10(土) 土曜日の朝 

いい天気だ。仕事の手を休め、窓あけ、冬の陽射浴びながら豆砕き珈琲を飲んでいる。

議会に入って、もう2年半が経過した。
当たり前だが、生活スタイルが変わったなあ。職種超えたいろんな人達と会って、いろんなこと言われて、いろんなことしゃべって、ぼくの気質がちょっと変わってきたような気がする。
うまく言えないけど、そんな気がする。
建築設計は黙々の職人作業だ。自分の右腕でなにができるかが勝負、シャバのことなど知らんというのが職人の職人たる所以である。
そのような職人稼業20数年の人生が、ある日突然、軌道修正されたということだ。

議員になったことの功罪はいろいろあるだろうけれど、振返っての反省しないのがぼくの主義だ,前むいて歩いていこうと思う。


11/09(金) 蟹 

ラジオがズワイガニの解禁を告げている。
てっきり12月6日だと思っていた解禁日は11月6日だったのだ。
ズワイは総称。新潟ではタラバ、鳥取では松葉と呼ばれているが、なんといっても福井の越前ガニがブランドだ。

昨年末、教師稼業をこの世の仮の姿としている阪神間のふたりの友人(新潟産及び鳥取産)と共に、三国の民宿で食べたセイコの味はかれらを驚愕させた。
沖合い一泊をせず、その夜のうちに帰港し水揚げするのがブランドの所以なのである。

ものの本によると
●俗称ズワイの語源は、甲羅大きく相対的に頭が矮小であることによる。
●雄(ズワイ)は24年間に17回脱皮して成長がとまり、雌(セイコ)は10年間に10回脱皮して成長が止まる。故に雄の図体が大きい。
●水深220-230mで集団交尾をする
(高水圧なので性器をふたつ持つと京野氏が言っていた)。
●成体雌ガニは、水深240-270mへと移動して集団生活をする。
 成体雄ガニは、水深300m-400mに散らばって生活する。
●昭和30年代後半における水揚高は日本海全体で15000t、福井県で3000tであったものが昭和60年代前半には、日本海全体で3000t、福井県で300tと落ち込んだ。

ぼくの眼中にズワイはない。ひたすらセイコを愛している。セイコの卵は最上級キャビヤの味を超えるのだ(食べたことないが)。
はがした甲羅逆さにし、あかこ小指でほじくり、注いだ熱燗口に含む時、至福の時間が訪れる。
去年は一度だけ訪れた。

11/08(木) グローバリゼーション 

おとつい、総務委員会の「CATVについて」の行政側の説明にグローバリゼーションという用語がでてきた。IT関連用語としていうのだから、情報格差の解消・平等化というくらいの意味だろう。
この言葉世にでた頃は経済用語ではなかったか。例えば米の巨大企業が国家の枠を超えて、多国籍企業となって世界の津々浦々に活動を展開する様乃至はその展望をさした用語だったと思う。
しかし、その展開はどうも持てるものと持たざるものの格差をより大きくし、地域経済の腰を弱くしているのではないかと、ものの本に書いてあった。
その構造はよくわかる。

情報グローバリゼーションに関しても同じようなリスクがあると思う。ITの魅力が発信受信相互可能にあるとしても、個々の自治体が独自に精力的に発信する努力を怠ったならば、より大きな発信力持ったメデイアの媒体として受身的にしか機能し得ないだろう。

11/07(水) 金津大橋はカモノハシだ

合間みて、スコップで池掘りをしている。汗ぬぐうぼくの目にうつる池周囲の雑草はもはや枯草だ。冬が近づいている。
そういえば自宅裏竹田川では、数世帯の鴨家族が悠然と泳いでいる。

あの小さな図体がシベリア大陸・日本海の数千キロをはるばる越えて今年もやってきたのだ。
敬意を表さずにはいられない。「友遠方より来たる 又楽しからずや」である。
心身共に厳しくなるであろうぼくの今年の冬のパートナーは鴨くんだなあ。

11/06(火) 総務委員会

午後一時半,総務委員会

テーマは、「CATV導入について」と「行政改革」。そういえば、きょうは春江・丸岡CATVの開局式だったのだ。
興味のあるテーマなので、感じたこと沢山あるけれど、きょうのぼくは分刻み。
あした書き込みます。

 11/05(月) 無題


身に覚えのない口内炎痛と格闘のさなか、伊井小学校の先生から「こども達に手話教えてあげてちょうだい」コール。舌と歯の接触回避でふがふが声のわしは「同級生の頼みや、ものかは」とトコトコでかけた。
下の息子中3で来年は卒業だ。議会では、教育厚生委員会に所属していないので、学校に行く機会は来年からめっぽう減るだろう。そう思うと教えるのが楽しい。
先日は、社協依頼で細呂木小のこども達を教えたが、こども達というのはかわいいもんだ。次世代をになう彼ら彼女らに大きな負担与えない為にも余分な長生きはすまいと思ったね。

仕事場に戻ったら、郡社協から「福祉大会の通訳頼みます」コール。当日は親類法事とバッテングするので断ったが、こういう依頼が時々ある。
農業普及員という職業があるのだから、手話普及員という職業があってもよかろうにと、建設不況及び口内炎痛にあえぐわしはココロで呟いた。

 11/04(日) きょうは何の日?

午前5時15分の仕事場。
足元が寒い、冬が忍び寄っているのである。
NHKラジオが「きょうは何の日?」を流している。

●1921年のきょう
 原敬暗殺さる
●1980年のきょう
 王貞治引退 ホームラン868本、満塁ホームラン15本、7試合連続ホームラン
●1995年のきょう
 イスラエルのラビン首相暗殺さる

ところで、日記ひもといてみると、去年のきょうはアメリカ大統領選挙3日前だったのだ。
ブッシュ政権は、こんな局面に遭遇するとは思いもよらなかっただろう。

11/03(土) 町民文化祭


中央公民館で開かれた町民文化祭は正午過ぎてから、本降りになってしまった。
そういえば観月会もそうだった。小学校の運動会もそうだった。
今年は雨にたたられるイベントが多かったような気がする。
各バザーテントの間を動き回る元気な老人たちをみていて、先月親類宅で開かれた法事を思い出した。
福井市月見町の親類宅にお袋を連れて行った折り、車中で「きょうは東京の兄さんと10数年振りに会うんや」と言う。
法事会場でお袋を出迎えた兄さんは開口一番「小そうなったねえ」と驚きマナコでため息ついた。
お互い抱き合いながらのしぐさで、お袋の目には涙が浮かんでいた。歳月隔てての再開による嬉し涙だったんだろう。

この光景目の当たりにしてちょっとだけ胸ジーンのぼくは「両親と同居し、常日頃顏つきあわしているぼくには、気のつかんことやなあ」と思った。

11/02(金) 木曜日の一日

きのうは午前9時30分から、委員会室で決算審査特別委員会だった。
対象課は税務課・監理課・住民環境課。
前の日の晩、委員長からの電話で「突然やけど急用で出席できんようになったんや、、かわりに委員長やってや」といわれて困ってしまった。
けど、マアなんとか頑張りました。

4時に役場を出た。
工事現場行って、メジャーで現況測っていたら、知らないひとからの携帯コール。
「牧田さんの知合いのろうあ者と会っています、すぐに来て手話通訳してください」という。
通訳一時間程か。プライベートなことがらなので詳述できないが、要するにトラブルだ。トラブルの通訳は正直言ってしんどい、単なる第三者の立場的通訳でしかないぼくもココロが重くなる。以心伝心というやつだろう。

事務所に戻ってぐったりこんのぼくに娘の「迎えに来て」コールが入ったので、そのついでにサントリーウイスキー「膳」を買った。
夜はちびちびしてからぐっすりこん。疲れた一日だった。


11/011(木) 満月の午前3時


師走の前月ということで、11月の声聞くと今年も終わりなのだという思いが強くなる。
「激動の時代」という言いまわしが陳腐に聞えるような混沌の世界だ。終わるのは果たして今年だけなのか。