2002年01月

 01/31(木) きのうもウーン

410000人×¥400/人=¥1億6400万
というかけ算で410000人は先の選挙での大橋巨泉投票獲得数。¥400円は行き帰りを含めた投票に要した平均時間=0.5時間×時間給¥800とした場合の一人あたりの投資額。よって、あっというまに¥1億6400万がどぶに捨てられてしまったことになる。裏切られたという精神的苦痛代を加味すると数値は級数的に増すだろう。

「約束を実行できないから」といってもその約束にタイムリミットはなく、エンドレスの努力が唯一の道であったはずだ。
良くも悪しくも素人の、例え立板に水の饒舌発揮したところで、四捨五入が常態の世界である国会で思い通りにいかないことくらい予想できなかったはずないだろう。
外野席で書いている分には自由闊達たりえても、内野席に座れば摩擦だらけになるくらい当たり前で、それによる落胆こそが出発点だ。
人気キャラクター故仕方なかったのかもしれないが、肺活量100%使っての孤軍奮闘よりも、70%に押えての地道なマラソン代議士のほうがよかったのではないかとぼくは思うのだ。
ついに53を迎えてしまったぼくはそう思うのだ。

01/30(水) ウーン

晩飯のさなか、民放TVが流すニュースで、きのうの新聞記事を思い出した。
鯖江だったかの小学校で伝染病が広がったのだが、広がった原因は、学校側が始めに全校生徒を対象にした調査をしなかったことによる。理由は感染経路が露わになると、人権侵害になる、いじめの対象になる、という記事だ。

何ヶ月か前、某ドクターから似たような話を聞いていたぼくの中枢神経を?!マークがスルドクかけめぐった。
感染源と特定されることでなんで人権侵害になるんやねん。なんでいじめの対象になるんやねん。
現実にそんなことがあるんだったら、体をはってその非理を説くのが学校現場というところで、それが教育というもんだろう。

そんなこと言っていたら、ぼくは黒い顔色隠すためにほおかむりしなあかんのか。
病気もちは健康人にみせかけなあかんのか。
とまあ、とにかくぼくはそう思うのだ。
大相撲の千秋楽・千代大海vs栃東の本割はよかったねえ。手に汗を握った。
やっぱり大相撲こそ国技だ。相撲(スモウ)の語源は素舞(スマイ)という説もあるくらいだから伝統芸能的国技なのだ。
日本のプロスポーツは米民主主義代表の野球と、大地の怒りを鎮め豊年万作祈願の儀式をルーツとする相撲を二大潮流とする。
他の競技はいってみりゃ成金だ。
ついでながら野球は金権巨人が負けると気持ちいい。相撲は、毎週読んでいた週間ポストの「つくられた国民栄誉賞」シリーズを真実に近いと思っているぼくにとって、千代一門が負けると気持ちいい。
よって栃東の優勝はめでたしめでたしなのである。

01/28(月) TV観る日曜日は久し振り


きのうの朝、何ヶ月ぶりかで久しぶりにサンデープロジェクトを観た.。
アフガン支援会議にでることを拒否されたNGO法人代表・大西氏が、司会者・田原某に対して、拒否された経過を淡々と語っていた。

淡々とした語り口の奥に、大西氏自身を会議から下ろすべく外務省に対してごりおしを通した代議士・鈴木某に対する嫌悪と、ごりおしに対して弱腰になりきっちりとした対応をとることができなかった外務省に対する落胆が見え隠れしていた。
弱腰になる理由は鈴木某の、族議員としての腕力にある。
どこぞの町議会でみた場面の拡大版ではないかとぼくは思ってしまった。

議員の求められるべきモラルは勿論厳然としてある。
と同時に行政が行政たる所以は理を守り、理を通すことにあるとぼくは思うのだ。


01/27(日) 雨の日曜日


昨晩はまちネット例会が事務所で開かれた。終了解散のあと残った数人で四方山話し。久しぶりのビールのつまみは来年予定されている金津町町議会議員選挙の話題だった。
散会後ひとり残された事務所で、金津町・決算報告書(平成13年度版)のページをめくっていた。予算書にしろ決算書にしろ時々目を通すのだが、膨大な資料・数字の羅列を眺めていると、議員一期生にとってはてごわい相手だと痛感する。一期生というのはヒヨコみたいなもんだ。議員に限ったことではないが、任期はニ期してこそ、モノゴトがわかってくる。

通るにしろ通らないにしろ来年の選挙には再度立候補しようと改めて思った。

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市町村合併に関する資料を書き込みました。ご覧ください。


きのうの昼、スレンダー大下から「今晩、まちネットの例会やりますよ」という電話が入ったので、真面目なわしは、来訪者に不快感与えないようにと事務所内を掃除した(二日続きだぜ)。
したら、本棚の背中から4枚の写真がでてきたのだ。
男ぶりがいいなあと思って眺めているうち、5年前のわしの自画像であることに気が付いた。
是非ご覧下さい。



01/26(土) 午前5時の道路はてかてかだ


田中外相・野上事務次官・鈴木衆院議運委員長の「言った」「言わない」論争は、こんな茶番に我々は国税を払っているのかという呆れと、国会議員も我々も所詮煩悩具足の身であるという大衆性確認的安堵と、じゃあどちらが本当なんだという疑問を我々に提出したが、これはもう「言った」に決まっている。
とぼくが思うのは田中外相の弁が涙ながらであったことによる。
「女の涙は最高の雄弁である」という有名な格言があるではないですか。


きのうの夜は、某小学校の教師とPTA母親委員が打ち合わせの為来訪の予定だった。
そこでぼくは夕方早めに仕事を打ち切り事務所清掃にいそしんだ。
珈琲カップを洗い、床を雑巾がけし、WCの便座カバーを新調し、本棚を整理しついでに歯も磨いた。
いつもは男ばかりの来訪なので一向に頓着しないのだが、女性来訪となると、こぎれいにしなければという義務感が生じてしまう。男の見栄なのか。


女性達帰宅のあとメールチェック。

個人的な想いを綴った文章が入っていた。内容は記せないけれども、誠実な言葉に切々とした想いがこめられている。
胸がつまった。生きていくって素晴らしいことだと思った。



01/25(金)昼の3時に雪見風呂という最高の贅沢を味わってしまった


きのう、老人憩いの家・市姫荘で開催するパソコン講習会の手話通訳に行く準備をしていたら、手話上手のひとから電話が入り4時間の通訳時間を半分づつ受け持つことにした。前半終了予定時刻に市姫荘に赴いたのだが「わたし、次の休憩時刻までします」と相方は大変に真面目なのだ。

ロビーで待っているのも手持ち無沙汰なので風呂に入った。こんこんと沸いている風呂はとっても素敵だった。全面アルミサッシュ透明ガラス越しに見える庭園は雪化粧。通訳を控えていたので雪見酒というわけにはいかなかったが、雪見風呂で十分堪能した。露天があれば言うことないのだが・・・。
脱衣室で「ひとりでは入らないでください」という貼り紙を見た時、昨年風呂場で亡くなったふたりの知り合い老人を思い出してしまった。

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手話サークル「かけ橋」の皆さん、来週木曜日の7時半から牧田建築事務所でお誕生日宴会パーテイが開かれます。
誰のやって?・・・・。決まってますがに。


 01/24(木) 寒いせいか体調がよくないなあ 

きのう昼1時半から、三国町福祉会館で坂井郡6町議会主催「市町村合併の基本理念について」の講習会が開かれた。ところが飛行機が飛ばないので講師・高嶋氏が東京から来れないという。勿論雪のためである。
県の課長が代理講師となっての講習会終了後、金津町役場にもどるバスのなかで京福線存続のことが話題になった。三国町民にとって、京福線存続が生活の死活問題であることは確かだろう。しかしこの際長い路線整備するよりも三国とJR芦原温泉結ぶ電車走らせたらどうやろかという意見がでた。昔の気動車の復活やね。
合併が進むのならば、なにも顔を福井市へ向けてばかりいる必要はない。新幹線芦原温泉駅設置はすでに決定している。北の玄関口になるのだから、選択肢のひとつとして考えるべきではないか。金津町の地域エゴ的発想とは言われないと思う。


 01/23(水) きのうの富山は雪だった 

何日前だったか、福井新聞こだま蘭で「福井総合病院が障害児リハビリの部門を閉鎖するのは何故ですか」という投稿者の訴えを読んでウーンとうなったことがある。
数日後、当の現場関係者からその詳細を聞く機会を得た。

昔から聖域とよばれるのは教育界と医療界だったが、聖域をなくし民間と同様に構造再編を推し進めるのは当然だろう。
ただしその意はみんなが汗を流して自助努力をしなさいということだ。
障害児リハビリの意義は、自立の為の自助努力の道を開くことにこそあるのだから、内部にさまざまな問題があるとしても、簡単に閉鎖する筋合いのものではないと、ぼくは思うのだがなあ。


01/22(火) 最近、睡眠不足だなあ 

きのうの昼は某建物の建設委員会だった。
疲れて事務所に戻ったら、東京の妹から「悩んでるんや」コールが入った。
娘が通う世田谷区の中学校のPTAの役員してくれないかと頼まれたとのこと。
「おもしろいがな」といったら「私には意見というものがないもん」という。
ぼくは「今求められているひととは、徹底してひとの意見を聴くひとや、自分をころせるひとや」と反論した。
ひとの悩みを聴くさなか「自分はこう思う」と頻回に言ったのでは相手の信頼そこねてしまうだろう。
聴くに徹する態度を持つひとが、これから求められる人間像だと最近よく思うのである。


01/21(月) 深夜ラジオから流れる宮城まりこの唄声はとっても素敵
         なのだ 

理学療法士の友人から電話があった。
障害のあるお子さんを持つひとが自宅のWC・浴室を改造したいので現状をみてほしいというもの。
きのうの昼見に行って在来壁撤去で空間広げる必要があると思いその旨を説明した。
木造住宅の場合、一般的に自宅の図面を保管していない家が多い。図面が無いと、撤去したい壁のなかの柱や筋交の有無がわかりにくいという問題が残る。そこのお宅も同様だったのだがなんとか調査してみようと思いつつ事務所に戻った。

事務所の駐車場に焼肉の匂いが流れている。集会室を覗くとトリオロスチュウネンが宴会を開いているのだった。所用が残っていたのだけれどもしばらくだけと思い場に座った。
遅れて来たりストカット増田の手に鯵フライがあったので焼酎を少しだけ飲んだ。サカノシモ夫人がラジカセを持ってきて、村下こうぞうの「初恋」が流れた。純粋だった青年期がよみがえってきたので焼酎が進み寝てしまった。
眼が覚めたら午後11時半だ。真面目なぼくは今から徹夜するのである。
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追記
何人かのひとに言われてしまった。ちょっと誤解されているみたい。
現在接続されていません云々は、ぼくが書いた文です。

 01/20(日) トップページはやっぱり単純素朴がいい

熊坂のひとから「メールとHPの操作方法を教えて」の依頼コールが入ったので自宅にお邪魔した。
そのひとのパソコンはノート型で画面が比較的小さい。
ついでにぼくのHPを覗いたら、ぼくのパソコンのプレビューでは1段であるはづの行が2段になってしまっているのだ。
トップページのフレームを分割するのはよくないと思って1フレームに戻した。

閑話休題
熊坂の棚田が好きだ。町議会議員選挙で町内の津々浦々を廻った際「金津にはいいところがようけあるんやなあ」と感動した風景のひとつである。
79.08k㎡のあちこち歩いてりゃ退屈しない。遠くまでの物見遊山は金がかかるだけだろう。リストラの時代の選択肢だと思う。

01/19(土) 顏

四方山話しての別れ際、来客に「牧田さんは怖い顏とは逆に優しいひとだと女房が言っていましたよ」といわれた。
改めて鏡を見て、いや違うなと思った。
30代、40代までの顏の造詣は、程度の差こそあれ親の影響を受けている。しかし50代の顏の造詣は人生の積み重ねを映し出す。
顏は年輪だ。
ぼくの顔がハードであるのならば、ぼくはハードなハートを持っていることになる。
多分、軟弱社会に嫌気がさしているのだろう。

きのう夕方のことだ。
芦原町内森の小道をひとり歩いていた時、若い男女抱擁歩行をみてしまった。
道徳が荒廃している。3歩離れて歩くべきだ。


01/17(木) 前にパソコン、後にパソコン  

使っていなかったPC98パソコンにフリーソフトHOCADを組み込んだ。OSにウインドウズ98と95の違いはあるが構わないのだ。
PC98はインターネット接続をしていないのでウイルス感染の心配もない。
試しに動画を観たのだが、あとは仕事が入ってくるのを待つだけである。

閑話休題。
きょうの福井新聞によく知っているひとふたりの名前があった。
金津町伊井地区白山神社改修調査に携わった国京氏は、ぼくがもと勤めていた設計事務所の同僚。
福井市の自宅に県内初の太陽電池をとりこんだ林氏は昔の遊び仲間。
ふたりとも若いのに頑張っているんだなあ。
かなづ社協だより・今月号に載っていた「高齢者、障害者対象パソコン講習を開催します」の記事読んで、社協からろうあの受講者の通訳依頼されていることを思い出した。
パソコンに関するぼくの先生(プロパニスト小泉)の先生にあたるインストラクターから、ろうあ者を対象にした講習会に関する相談受けたのがおととしだったのだから、こういう講習会は各自治体に浸透してきているのだろう。

と書いている最中に早朝ラジオの「7年前のきょう午前5時46分に阪神淡路大震災が起こりました」という声が聞えてきた。
全国から神戸に集まったいろんなボランテイアのなかに手話通訳ボランテイアの一団がある。その立場で参加した森瀬さんに状況を当時聴いた。
「ろうあ者の場合情報が遮断されている。大混乱のなかで情報が遮断されるくらい怖いことはないんです」と言っていた。
その意味ではインターネット接続のこういう講習会も大事なんだろうと思う。


01/16水) 去年の今頃はひどい雪だった  

時報が午前2時をうった。外はどしゃ降りだ。
去年のきょうの日記を覗いたら
男手のない家から「誰か雪かきしてくれるひと知らんけの」といわれたわしは、町役場に情報を聞きにいった。シルバー人材センターも除雪は引きうけていないそうだ(なんとなくわかる)。
除雪ボランテイアというのがあるというので、わしは社協にいった・・・云々
と書いてある。
毎日が雨というのもうっとうしいが、雪よりはいいですわなあ。

時報が午後5時をうった。ひと仕事終えてリラックスのコーヒータイム。
忙中閑ありと言えば格好いいのだ。
昨晩、金津東小のA先生からの「PTA親子の集いの件での打合せ、今週中にどうですか」の依頼コールに「今週は忙しいので来週にしてください」と答えてしまったなあ。
ごめんなさいA先生。ぼくは自分が忙しいのか暇なのかよくわからない人間なのです。

一昨日の晩は陶芸家・大森氏のギャラリーでくつろいだ。
集まったメンバーは旧知の間柄。
新潟産・幻の濁り酒「五郎八」のあまりのおいしさに感動した。酔ってひとり森の歩道を歩いた。歩道に規則正しく配列された庭園灯の黄色はなまめかしいほどに素敵だった。
雑草を枕に星を眺めていたら、デンテイスト坂野がぼくを探しにきてくれた。ぼくには坂野氏・澤井氏と、仲のよい歯科医の友人がふたりいる。ふたりの愛称をどうしようかと悩んでいたところだった。

01/15(火) 人口内耳  

仕事の合間、TVのスイッチをいれたらNHKが「ドキュメント地球時間」を放映している。ろう者世界と聴者世界の確執を描いたドキュメントだ。
ろう者として生まれた我が子に人口内耳をつけるべきかどうかの確執だ。
聴者であるおじさんおばさん夫婦は聞える世界へ赤ちゃんを誘うため、つけることを推す。ろう者である両親は手話の伝統的豊さに固執し、つけることをためらう。
結局内耳をつけることで終わったが、ろうを単なる障害としてではなく、聴者とは別の独立した世界の構成者としてとらえているという意味で、考えさせられるドキュメントだった。

 01/13日) 冬の夜  

3連休の間にやってくれという頼まれごとが重なっておおわらわ、時間との闘いが続いている。
そういうわけできょうは4時起床。とりあえず30分間の休憩をしようと熱々の豆砕き珈琲をつくった。
深夜の静寂のなかで美味しい珈琲を味わいながら本をぺらぺらめくっていたら次のような川柳に出会って思わず微笑んでしまった。

冬の夜や いやです だめです いけません
                  井伏 鱒ニ

01/12(土) 「市民」  

正月前後にいろんな郵便物が入っていた。なかに市民派議員の活動報告というのも何通かあった。
正直なところぼくはこの言葉に弱い.。
かなり前のこと。あるひとに頼まれ、そのひとの文章を掲載してもらおうと、県庁お堀傍らの朝日新聞福井支局にでかけたことがある。
支局長みたいなひとがでてきて、背景をいろいろ聴くので「検閲しなるんけね?」と質問した。
そしたら「朝日新聞には朝日のボンセンサスというものがあります」と標準語で言う。
「ボンセンサスってなんですけね?」と再度質問したら「市民的良識というものですな」といわれてしまったのだ。

(くそー、サンゴのにせ写真捏造したくせに)とココロで怒ったのだが、なんせ相手は標準語しゃべるし、顏は芦田伸介みたいに眉目秋冷でエリートっぽい。その頃のぼくは身なりがきちっとしていなかったのでただ黙ってうつむくだけだった。
そおか、新聞社っていうのは良識の府なんかと、県庁のお堀みつめながらため息ついたのだが、待てよ良識というのは他人が判断して言う言葉だぞ、自分で自分のこと良識だというひとシャバにいるか?、いても絶対付き合わんぞとぼくは思いなおした。
「社の目指す方向性があります。社の規範があります」とだけいえばよかったのだ。それが良識かどうかは他人が判断するのだ。

要するにぼくは過去の体験から「市民」という言葉に啓蒙者のニュアンスを感じてしまうのである。高みからの目線を感じてしまうのである。(郵便物送ってくれた人達ひとりひとりはいい人達ですよ)
シャバには老若男女の庶民がいるだけだと、ぼくは思ってしまうである。

 01/11(金) 暖かい午前5時  

きのう、今年最初の手話サークルが終わって勤青ホーム玄関先での数人による立ち話し。
親類の子が通う某高校の先生がどうもならんので生徒たちが困っているという。どうもならんてなんやって聞いたら、こどもたちに嫌がられる変な先生やとのこと。保護者が学校に言いに行っていいもんやろうかねと問われたので、ちょっとびっくりした。
ひとはそれぞれに変人なのだから、生徒以外からどうみられるかは瑣末事だ。
一部の保護者が不満を持ったところで当事者が変人たることの説明責任を果たすことができればそれでいい。問題は対生徒であって、先生が先生であり続けることができるかどうかは、生徒達に信頼されているかどうかにかかっている。
信頼されていたら生徒は親に対して変人ぶりを魅力として語るだろうう。
状況がそうでないのだから、保護者は学校に出向いて監理責任を問うのが当たり前だと思う。
前述のような敷居の高さが、今のような時代にでもあるんだろうか。

01/10(木) 東山の大堤  

昨晩、新聞を配達するためにあちこちをまわった。剣岳地区に行った折、東山の大堤に立ち寄った。
昨秋ドクター汐見の引率で「こせじの会」会員数人が訪れた場所だ。
落ち葉舞い散る晩秋の堤の夕暮れに中国の水墨画を感じたぼくが再び引き寄せられたというわけである。
しかし、今回はなんせ夜の9時で一面真っ暗闇なのだ。寒い。
おまけにひとりなので怖かった。

突然あたりが暗くなり(もともと暗いか)さざ波がたって咆哮とともに龍神が姿をあらわしたとしたならば、ぼくは間違いなくショック死していただろう。
53才の誕生日を3週間後の1月30日に控えた男ざかりの無念の死だったと、友人達は嘆いてくれたであろうか。

01/09(水) あさま山荘 

きのう夜、仕事にとりかかる前にしばらく休もうと、TVのチャンネルまわしたら、NHK・プロジェクトXが、30年前の「あさま山荘事件」を特集していたので思わず見続けてしまった。
事件は昭和47年に起こった。
その2年前の昭和45年には、よど号がハイジャックされ、三島由紀夫が自決している。

1、7トンの鉄球が山荘を砕いた2月28日当日、学期末試験の最中だったぼくは、トランジスタラジオを机の上に置いていた。勿論、試験官にとがめられたが、ものかはだった。
数名の殉職警官を出しながらも牟田泰子さんは無事救出された。けれどもその後、雪の山中での連合赤軍の目を覆いたくなるような残忍なリンチの全貌が明るみにでた。
永田洋子が逮捕され、森恒夫は留置場で自殺した。
家庭支出のうち、衣食住にかける金額=必要経費額が、それ以外にかける金額=恣意的消費額に追いつかれたのが昭和49年だと、ものの本で読んだことがある。要するに日本が消費資本主義に突入する前夜という節目の時代だった。
政治的暴力や狂気の噴出は、今の時代にもある。
けれども、剛構造社会であったあの時代の雰囲気はある程度読めたような気がするが、高度経済成長謳歌壊滅価値多様化柔構造社会の今日、どう考えても理解できないような事件が頻発し過ぎるのではないかと思う。

01/08(火) 重油流出事故から5年 

きのうの福井新聞に「三国町沖の重油流出事故からきょうで5年」という見だしがあった。
あれから、もう5年も経ってしまったのだ。
事故直後の海岸は見た眼も匂いも油まみれで、海の生態系が壊れるのではないかとさえ思った。大人たちは「昔は大地震で今度は油か。福井というとこはひでえとこやのう」と噂していた。
阪神淡路大震災時に形成・蓄積されたネットワークが功を奏したのだろう、流出直後から全国のボランテイアが集まって油取り除き作業が始まった。
目だつのが嫌で、共同作業が苦手で、ひとり地道こつこつ大好き人間のぼくも、バケツリレー作業に一応汗をかいた。

ボランテイアの言葉が飛び交うなか「今はいいのう。今度の油でも、神戸の地震でも、全国津々浦々からすけっとがきてくれる。福井地震の時の復興は、わしらみんな自助努力やったんやぞ」と近所の古老がのたまうのを聞いて、果たしてそうやろうかとぼくは思ったね。
ボランテイアという横文字を竪文字に直せば奉仕だ。福井震災で倒壊した家屋の復旧が近隣の奉仕の手になったところが沢山あると、ぼくは聞いている。
要は戦後の混乱期か、高度情報化社会以後かで労働奉仕の手数に差がでてきたということではないだろうか。ひとの心は今も昔も同じだと思うなあ。

01/07(月) 傷 

帰郷していた上の息子が帰京するので、昨晩、駅まで送った。
こちらに居る間にとりとめのない話をした。いろいろ悩んでいるみたいだ。
悩む力を持つのは青年期の特権だ、悩め悩め。

椎名誠は言っている。
「若い頃は体の傷はすぐ癒えるが心の傷は治りにくい。
歳をとると心の傷はすぐ癒えるが体の傷は治りにくいのだ。」(モンパの木の下で)

01/05(土) 眼鏡 

きのうの昼、芦原町で「高木ぶんどうを囲む年賀会」立食パーテイが開かれ、ぼくは歓迎の挨拶をした。
会が終わってから、打ち上げということで芦原町内の居酒屋に10数人が集まった。
焼酎片手の座談のさなか、隣席向い席のひとから「牧田さんの顔はいかつい黒い、サングラスして壇上でしゃべっていると、組のもんがしゃべっているようにみえる」といわれた。
「色ついているのはコンピューター用やからや」と返事しつつ眼鏡はずして素顔をみせたら「やさしい、可愛い、素顔のほうがいい」とみんなが反応したので、これから外に出るときには眼鏡をはずそうと決心した。
帰宅しての晩飯時、おふくろにその話しをしたら「そんなことない。オマエは眉毛が薄いんやから眼鏡で眉毛隠したほうがいい。議員は顔がきりりとしていたほうがいい」といわれた。

たかが顏のことなのだが、迷ってしまう。

01/14(月) 無人販売  

昨晩は数人連れそってスナックでの痛飲だった。
無農薬野菜無人販売コーナーを道端に設置しているひとと一緒だった。
「野菜1束につき100円です」と書いたのだけれども、10円や1円が多いと嘆いていた。
これは由々しいことだ。無人コーナーは信頼関係で成り立つはずなのに、それを裏切られたのではやる気がなくなってしまうだろう。

人間不信で酒すすみ酔ってほてった体を川風で冷やそうと金津大橋を歩いた。
白い犬が横たわっていた。首輪つけた飼い犬だが既に死んでいた。
南無阿弥陀仏。
偶然というかなんというか、役場のひとから携帯コールで、その犬に関する問い合わせがはいり、ぼくはムクロみながら状況を説明した。

酩酊帰宅で妻の不在に気がついた。出張中だ。
なんとなくさみしくなったので女友達に電話しようかと思ったがやめた。
誰にかけたらいいのかわからないのだ。
ペーソスがいっぱいつまっている浅田次郎を読みながら早めに寝てしまった。

001/03(木) ビオトープ 

昨晩は福井市二の宮の義兄宅で両家夫婦子供全体参加の恒例年賀食事会だった。
銘酒「雫」を呑みながら聴いた義姉の話しが面白かった。
義姉は市内の小学校教師で専門が理科である。校庭脇につくられたビオトープの、子供達による克明な観察記録・観察写真貼付A3版を何枚もみせてもらい、解説してもらった。
今世紀は環境の世紀といわれている。例えばビオトープつくりに関わったこどもたちのなかから、将来、生態系についてのオピニオンリーダーが育っていくんだろうと思う。

この小学校のビオトープつくりに関わった当時のPTA会長、ロータリークラブの会長それぞれが、昔勤めていた設計事務所の同僚と聞いて世間の狭さも感じた。

01/02(水) 失業

おとつい町内を車で走っていたら、ジョッギングしている知合いのろうあ者とばったり。
去年から失業中で、再就職先がなかなかみつからないという。
工場生産ラインの器械設備はハイテク音の信号をだすものが増えてきていて、聴力に障害もっていると採用がむつかしいのやという説明をうけた。
この問題は現在が不況だからということだけでは片付かない。
工場長・経営者は音を光に変えるシステム採用で個別の対応を可能にすべきである。
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箱根駅伝。法政を応援していたのだが、学生長距離界のエース徳本が途中でリタイヤしてしまった。アキレス腱に異常がでた為という。
責任が人間になったような彼は近づく監督はらいのけ、天を仰ぎ踵さすりながらふらふらになりながら泣きながらひたすら走り続けた。
結局リタイヤしたが、痛みこらえた数kmの走りにぼくはすごく感動した。
徳本は人生通じて最高の財産を手に入れたと思うなあ。
走る哲学者といわれたアベベ・ビキラ、代々木競技場でヒートリーに抜かれた円谷幸吉、朦朧の意識のなかでゴールしたアンデルセン・・・印象に残っているランナーはみなひたむきなのである。

01/01(火) 元旦

   あけまして
        おめでとうございます


年越し蕎麦食べたあとの熱燗でうつらうつらしていたぼくは除夜の鐘で目が覚めた。
教順寺に出向き鐘をついた。
本堂に佇み、志田弥広先生の襖絵「釈迦十大弟子」と屏風絵「瑠璃光世界」をみて、気持ちが凛とした。

帰宅し就寝、6時起床。
竹田川堤防にたち、白山連邦からの初日の出を待ったのだが、シャッターチャンスは来なかった。やや残念。
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年賀状エトセトラ
■ぼくからの年賀状を読んだひとに「毛筆がお上手ですね」といわれたので告白せねばなるまい。
宛名・文面全て妻の手になるものであります。

■賀状読んでいてげらげら笑ったのは、「今年は清潔第一に・・」(某電気店からのもの)
■「又お会いできる日を楽しみにしています」の添え書きある賀状の殆どは女性からのものでした。
■たおやかな和服美人のイラストに添えて「この女性だれかわかりますか、私の身近な人です」との添え書きの賀状・・本人とは思えない。わからない。
■小4の時のセピア色になった自身の写真に当時の思い出が白抜き文字で綴られた賀状 (某プロパンガス会社理事長から)を読んで可愛らしかった少年時代を思い出してしまいました。