2002年02月

02/28(木) 夜鯖江往復 福井市大和田の夜景はフクイの御台場だった

一学年上のひととの四方山話で中学生時代を思い出した。
近所の同級生・島津クンが校内弁論大会にでた。
当時、高校への進学率は70%弱だったと思う。
就職予定だった島津クンは壇上で「就職組を差別するな!」と強烈な教師批判を展開した。千人を越える在校生徒万雷の拍手に、うろたえおさえようとした教師の像が今も脳裏に焼き付いている。
心臓を悪くし、会うたびにしんどさを訴えていた島津クンは3年前の大晦日に逝ってしまった。
同級生意識の比較的希薄なぼくだが、そういう同級生の居たことには誇りを感じる。
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きょう昼からぼくは、三国町新保・某寺院の縁の下を物差し片手にはいずりまわっていた。
下記高札はその寺院入り口に掲げられていたもの。
人生こうでなくっちゃ。





02/27(水) 全協 

きのう昼からは全員協議会。町役場までナショナル自転車バナナ号で竹田川堤防を走った。
牧田宅⇒加納病院裏の間で実に36羽の鴨家族が春の陽射を浴びたむろしていた。愛情空間なのだ。

全協では、今回定例議会で提出予定の議案=平成14年度予算書が配布され総務課長より説明を受けた。分厚く膨大な資料前に「ウーン、予備チェック頑張ろう」と文房具屋にでかけ蛍光ペン3本300円也を購入した。

夕刻喫茶店で歓談中、某君より「建築専攻学生の娘にCADを教えてやってくれないか」の携帯コールが入った。ぼくが学生だった30数年前は専らT定規三度笠だったのを思い出し隔世を感じた。時代は進歩している。

夜は金中で同窓会役員会。隣席から「車で牧田さんとすれちがう時、手あげるんやけどいつも無視される」と囁かれた。何人かから同じことを言われたことがある。
勿論ぼくは気がついていないのだ。視神経前方集中のタダシイ運転者だからなのかなあ。

夜半気がついたら何人かでスナック、傍らには女性だ。殆ど外で飲まないぼくには珍しい。
どうでもいいことだけど、自分が歌っていないときのカラオケはやかましいもんやねえ。
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近頃はこんな写真投降掲示板があるんやね。ハートブレーンの小川秀夫氏が入れてくださいました。

02/26(火) 平家物語 

昨日午前10時半、坂ノ下八幡神社拝殿。
志田弥広画伯から、一対の絵馬についての講義を受けた。
畳1枚半くらいはあろうかという源平合戦絵馬の1枚はひよどり越え、1枚は屋島だ。
江戸期の作、京都土佐派の高名な絵師の手になるものだろうとおっしゃる志田先生から、表情諸共数多細かく描かれた武者の、これは義経これは弁慶これは与一これは池禅尼と説明受けるうちぼくは既に若武者の気分だ。

昔古典に親しもうと「源氏物語」に挑んだがこれはすっかりブンガクで訳わからず三頁でさいならした。しかし「平家物語」は語り物なので面白かった。
平清盛の嫡男・重盛の「孝たらんと欲すれば忠たらず、忠たらんと欲すれば孝たらず」に日和見を感じ、源氏に捕まった後義経に命乞いする宗盛に醜態を思ったが、なんといってもヒーローは平資盛だ。
壇ノ浦で敗北覚悟した平家の武者・女房ども次々と海に飛び込み、最後に安徳天皇抱えた建礼門院も海底に沈む。
ひとり残った資盛、粛々と船底を掃き清め「見つべきことは見つ。はっはっは。」で海の藻屑となる。
平家の最後のみならず、盛者必衰・諸行無常の全てを見たということなんだろうなあ。


 02/25(月) 贈収賄 

TVが流す下妻・多摩両市長収賄容疑で逮捕のニュースをみていて、昨年開かれた町村議会合同研修会を思い出した。
講師いわく、贈収賄容疑で逮捕される率は議員と比べて首長がはるかに高いとのこと。これはよくわかる。
我々議員は首長提出の議案に対して賛否の意見を述べることはできても、執行権はない。執行権を持つのは首長だという理由によるのだ。
とまれ、逮捕された政治家の横顔に漂う渋面も又男の履歴書やね。
この世に金を欲しがらないひとはいないだろう。いるとしたらそりゃ煩悩解脱者で面白くないひとだ。
何年か前、宮本輝の小説を読んでいたらこんなくだりがあった。
「この世で本当に大切なことは金なんかでは実現できない。しかし、金なんかで実現できないことを実現する為に金を必要とすることもある」
レトリックだけれど、言い得て妙な言葉だと思う。

けれども贈収賄は許されない。
政治家に求められるものは潔癖な心だと言いきったら、なり手がいない。政治家なしで国や自治体が機能するかといえば多分NONだろう。
であるならば求められるのは、己が心に巣くう対誘惑脆弱性・ドロドロ・ギラギラに鉄蓋かぶせる我慢力であり、それが権力行使力受託に対してのチケットだと思うことのできる資質だろう。


 02/24(日) アナクロニズムかな? 

クレーム相次ぎ、審判の権威地に落ちたソルトレーク五輪だが、開会式入場行進が印象に残っている。
イタリアのなかにある人口2万くらいの独立国(名前は忘れた)が紹介されていた。

昨晩、事務所に9人集まっての某会例会。おでんに舌鼓うちつつの話題が市町村合併に移った時、金津町を独立国家にしたらどうなるやろかの喧喧諤諤が始まった。
国の基本は外交と通貨と国防だ。昔の北陸道の北端・吉崎、南端・榛の木原に税関を設け麻薬犬を置く。迎賓館は千束1里塚に建設する。
通貨名称は「レンニョ」だ。
メンバーのなかの自衛隊員から銃の種類についての講義を受けた。
国防総省本部及びスクランブル発進基地は刈安山頂上以外にはないだろう。
蓮如の町なのだから、聖徳太子偲びつつ「17条の憲法」を制定する。
蓮が浦から吉崎御坊へ北潟湖横断する渡し舟を復活させ観光収入の基礎堅めをする。
境接する超大国ニッポンの減反政策を尻目に増反を奨め、食料自給率70%をめざそう。独立国であるから「コシヒカリ」ブランドは詐称できない。「ムネヒカリ」がいい。

半ば冗談であるにしても、広い日本列島にこのような小国がひとつあってもいいと思うのだがなあ。

02/23(土)さあ 忙しい土日になりそうだ  

昨晩、高ニの娘が事務所に来た。
パソコン占領されて仕事のできなくなったわしはサントリーレッド飲みつつの部屋掃除。
動画を覗いているのではと少々気になったわしが脇から画面垣間見ると横文字でメールを書いている。ソーカ英語の宿題かと納得した。

けさのメールチェックで娘あての返信が入っている。渡してやらねばとプリントアウトした。
「コンド アナタノクニヲ ホーモンシタイデース ナンタラ カンタラ・・・」と書いてあるので、改めてメールの時空間飛び越えマジックを実感した。インターネットメールとは如意棒担いだ孫悟空なのだ。
土着おじさんのわしが出すメール宛先は先ず全てが金津町内、超えても坂井郡内だのになあ。
娘が大人になる頃はどんなシャバになっているんだろう。



 02/22(金) 熟睡の翌朝はこぬか雨だ  

昨晩の手話例会に某小学校PTA母親部会の若いおふたりさんが来なさった。今度のイベントの打ち合わせと見学を兼ねてのもの。
会員みんながいつもより華やいだ気分になっているのが如実にわかる。こういうのをいま風に出会い系サイトというのだろう。
夕方来訪したP小泉から「牧田さんとこっていつも人が来てる。夜でないと仕事できんやろのう」といわれたが仮にそうであるとしても勿論構わない。

かってさすらいのギャンブラーと呼ばれたぼくが麻雀漬けの世界からきっぱり足を洗ったのは29歳の時だった。
以後一貫して無趣味であり続けているのだが、世の中で博打よりも面白いものといったらこれはもうひとだ。ひとと知り合うこと、なかんずく第一印象が壊されていくことが快感だ。
ぼくがこざっぱりした身なりを維持し、事務所をいつも清潔にしているのは、いつ誰が来るのかわからない故に自らを律していることの顕われだ。
ここに道徳面での効用もある。人生は出会い系サイトなのだ。
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本日の日付=2月22日をみて、昔、妻がぼくに言ったことを思い出した。
「わたしは22才と2ケ月と2日で結婚したんや。荷がとっても重いんや
笑ったなあ。

02/21(木) きょう半日は休日だ 

頼まれごとに追いかけられて作業を終えたのは明け方の6時だった。
いっそのこと徹夜しようかとも思ったが、もう若くはない体だ無理すまいと床についた。しかし何ヶ月ぶりかの「おはよう」配偶者コールで目が覚めてしまった。

自営業の特権で、きょうの半日を休日にしよう。
床掃除、廃品処理、デジカメ携えての地藏巡り、身づくろい等々やりたいことはいっぱいある。


02/20(水) 午後9時半起床 まだちょっと眠いなあ  

壊れたパソコンをプロに修理してもらっている最中に、金津サッカー界の重鎮・スリランカ住田が来訪。
顔同色的唯一安堵的男性の登場だ。

木造住宅を建てる場合、柱や梁の端部を金物で補強する為の建築規準法の規制が大変に厳しくなったと言う。
多分、阪神淡路大震災の被害を教訓にしてのものだろう。ボルト・金物をばんばん使って建物を丈夫にしなさいということやね。気持ちはよくわかる。
ただし、最近でまわっている集成材構造や合板構造に関しては効果を十分発揮するとしても、日本の伝統的な在来工法の全てにまで規制が及ぶことについては、ちょっと?が残る。
日本の、特に福井のような湿気の多いところでは、経年で金物がさびつきやすいのではないか?。
金物と木とでは堅さが違いすぎるのでボルトのゆるみなどによって局部破壊を起こすことにはならないのか?
のみでほぞ穴つくるという大工技がすたれていってしまうのではないか?

最後の宮大工と呼ばれ、「木組みはひと組み ひと組みはひとのこころ組み」と唄った故西岡常一は、草葉の陰で渋面をつくっているような気がする。


 02/19(火) 雪だ雪だ  

午前2時15分、端麗原酒「ボストンクラブ」を飲みながら昨晩を反芻している。
夕方、ライトバンの拡声機「イーシヤーキイモー」が香ばしい香りを運んできたので、時間に追われまくっていたぼくは、しかし千円札1枚を持ってライトバンを追いかけた。ダミ声だけれども好青年の石焼芋親父は、風雪のなかを小松から売りに来たのだという。
芋で暖まった体をトップギアにして、晩飯抜き一点突破全面の集中力で図面を書き終え、深夜の嶺北縦貫道路を福井市へと向かった。
吹雪だ。
このような日に、当時小学生だった下の息子を春江のバッテイングセンターに車で連れていったことがある。
フロントガラスに叩きつけてくる雪みながら、「とうちゃん、空からごはんつぶがようけ落ちてくるざ」とマナコ広げて驚いていたのを懐かしく思い出した。やつも4月から高校生だ。
時は、あっという間に過ぎていくのである。

02/18(月) 小谷さんの疑問  

昨日、旅館の朝食終えロビーで新聞を読んでいたら、元シンクロ選手・小谷さんの記事が眼に止まった。ソルトレーク五輪、例のフィギュアペア採点不正疑惑についてである。
小谷さんは、もしもロシア組がアメリカ組であったならばあのような大々的な報道になっただろうか、もしもカナダ組が日本組であったならばあのような大々的な報道になっただろうかという疑問符を投げかけていた。
前段はいわゆる地元びいき、後段は人種差別の可能性を示唆している。
第二次世界大戦でアメリカが原子爆弾をドイツにではなく日本に落としたことに関しても、白人系のアジア系に対する人種上の優位意識があったと囁かれてきたし、小谷さんの意見はあたっていると僕は思う。
虫眼鏡で探してみれば、この世の中には差別がゴマンとあるし、好むと好まざるとに関わらず僕らひとりひとりは差別者でありつつ被差別者でもあるという重層性を担っている。
それは間違いないのだが、人種問題は別格だろう。

人種による肌の色の違いは、気の遠くなるような悠久の時間に裏打ちされ、その過程で同胞意識とその裏返しとしての排他意識が形成されてきたといえる。
ものの本で
「もともと人類はアフリカ大陸の峡谷で発生した。ニグロイドだ。ニグロイドが中央アジアに進出したのち、北上して変異したのがコーカソイド、東行して変異したのがモンゴロイド、更にインド大陸から船団移動して変異したのがオーストラリアロイドだ」と読んだことがある。
なべての人類の御先祖様は白人種コーカソイドではなく、黒人種ニグロイドなのである。その意味では、モハメッド・アリが「ブラック イズ ビューテイフル」と叫んだのは正しいし、なんとかというじいさんが「人類みな兄弟」のポスターをべたべた貼って歩いたのももっともなことなのだがなあ。

02/17(日) 飲んだ しゃべった  

昨日夕方6時からは芦原温泉某旅館で坂ノ下区関係の新年会だった。
大坂勤めサラリーマンとの酒酌み交わしのなかで、ぼくは零細企業主の窮状を一生懸命話した。
相手から「俺が会社辞めたら退職金いくらもらえると思う?」と聞かれ、退職金と無縁のぼくがあてずっぽうで「そうやなあ、30数年間も勤めりゃ1000万くらいもらえるんか?」と答えたら「バーロ、そりゃ大企業の世界や、俺の場合400万から700万のあいだや、アンタは庶民感覚知らなさすぎる、体制の補完者や。議員は中小企業勤め人の悲哀知らなあかん。」とお灸を据えられてしまった。

「ソーカわしは体制の補完者か」と苦虫つぶしつつ入った二次会のバー。
入り口で「牧田さん」と妙齢の美女に呼びとめられた。美女の知リ合いは沢山いるが盛り場の赤いライトの下で呼びとめられたのは初めてだ、よくみれば昔手話を教えたことのある女性だった。
「赤ちゃんがいるんです、ここで働いているんです」と言う。
不況ものかは、みんなたくましい。頑張らなくっちゃ。


02/16(土) ぼくは冬季五輪というと 「白い恋人たち」を思い出す 

ソルトレーク冬季五輪。
女子スピードスケートの日本人選手たちをもし近くでみたとしたら、勿論筋骨隆々なのだろう。しかし、TVで競技シーンをみる限りでは欧米選手との体格の差は歴然としてある。顏隠しての並走だもんだから男女レースのようだ。
500mで優勝したドーンの腕ふるしぐさなど男そのものだぜ。
まさる要素が日本人にあるとするならば、走る姿勢の優雅さだろうか。タイム+姿勢点で優劣を決めることにすれば優勝候補だ。審判団にフランス人を加えれば優勝だ。

などと考えるにつけ、男子の清水はすごいと思うなあ。
なによりもインタビューでのあのぶっきらぼうぶりがいい。

 02/15(金) 夜明け前 

午前6時。
しらみ始めた天空から舞い落ちてくる雪に、一昨年末札幌での初雪体験を思い出してしまった。夜明け前なのである。
昨晩は久し振り、上の息子から電話で焦燥を聴いた。
悩める社会だからみんな悩んでしまうのだろうけれど、「みんな悩んで大きくなった」と、かって野坂昭如は唄っていた。「夜明けは近い」と高石ともやは唄声をフォークギターにのせていた。

必ずくる夜明けの時まで、頑張ろう。


02/14(木) 人間の一生は永遠の中の一瞬だ

きのうの朝、知合いの中小企業社長が久し振りに来訪した。
この3年間に友人6人が自殺したという。首吊り・荒海飛び込み・割腹・クスリと手段はさまざまだったとのこと。
全て零細企業主で負債を死で償ったのだという。
その社長の愛娘が、交際相手の学校教師と縁を切ったのだそうだ。
いまどき唯一の安全パイや、是が非でも結婚にこぎつけてほしいと願っていた社長の落胆は相当なもので、娘になんでやと問うた。
娘は、相手の教師とデートの最中に「今の世の中不景気なんか?」とノーテンキなことを言われ、呆れてものも言えんかったのが原因だと答えた。

厭世感いっぱいの、4才年長社長の話しは「牧田はん、生命って何やと思う?」と宗教論・宇宙論に広がり、気がついたら2時間が経過していた。
しかしぼくは、図面作成時間2時間の欠損を決して惜しいとは思わない。



02/13(水) 無題

自分が情けなくて、自分のことを嫌になってしまい、消えいりたい気持ちになったとき、後ろから蹴っ飛ばしてくれるのが、この詩です。

     自分の感受性くらい

ぼさぼさに乾いていく心を
ひとのせいにはするな
みずから 水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのは どちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのは わたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいには するな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいには するな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ          茨木のり子

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夜の仕事にとりかかる前の珈琲タイム。
NHKTVのプロジェクトXが河相・塩屋のコンビによる、盲導犬チャンピイ育成の苦闘の記録を放映していた。いろんなことを考えさせる映像だった。

ぼくがろうあ者を障害者と意識することが殆どないのは日常の付き合いのなかで壁がとれているからだと思う。
障害というのは、ある客観的な落差を指すものではなくて落差に付着している意識を言うのではないか。
それを差別感といってもいいし、情といってもいいし、あるいは連帯感と言ってもいいのだが、ともかく相手のひととなりを見る目に余計なプラスαがとりつけばその分だけ思いはこわばってしまうものだ。
こわばりは付き合いのなかでしか融けていかない。
融ければ人間みんなチョボチョボやということになる。
ぼくがろうあ者との付き合いのなかで殆ど感じない「大変だなあ」という思いを盲人・河相さんの苦闘に改めて感じたのはそういう理由によると思う。

02/12(火) ちょっと荒気味の夜

きのうの昼間は、なんだかいろんなことでの疲れがでて、事務所内寝室コーナーでぐうぐう寝ていた。
某小学校先生の来訪で目が覚め、よもやま話しのあと捻り鉢巻で仕事にとりかかった。
夕刻、知人が、要望書携えて来訪。
要望書の中身についてはあちこちで聞いていたし、由々しいことだと思っていたので、署名してもらおうと、自慢の四駆ジープ・ロッキーで夜の雪道を走りまわった。
きょうはもう寝よう。

02/11(月) 弔電

昨日、隣家の葬式準備手伝いをしていた時のこと。
喪主の、葬儀関係者に対する弔電の扱いについての弁である。
関係者の「どういう順番で読みますか?」の問いに「県議からであれ町長からであれ詠まないでください。内容も名前も一切詠まないでください」と答えていた。
議員しているのでそういうひとたちをよく知っているぼくは、しかし横でこのやりとりを聞いていてふと考えた。

このての弔電には、名前覚えてもらう為の義理電が結構含まれる。殆どかもしれない。しかしなかには生前の付き合いを彷彿とさせる弔電もあるだろう。
問題は、弔意が故人に対してささげられるものであって、葬儀会場来訪者に対して聞かせるのが目的ではないということだ。
喪主がその文面を胸に刻み付けておけばそれで十分だろう。

02/09(土) ウン

本日の福井新聞社会面に「炎上寸前女性救う・事故車の出火目撃・中に人が」という見出しが載った。
9段ぶち抜き、顏写真いりの大きな記事だ。
・出火した車の中から女性を助け出し、名前も告げずに立ち去った男性がいたことが、八日までに分かった。・・・丹生署は、この控えめなヒーローに感謝状を贈ることにしている・・・」
昨年末、焼鳥屋「秋吉」での忘年会で一緒だったこのろうあ青年・わしの若い頃を彷彿とさせる端整顏の持ち主尾田くんは、義をみてせざるは勇なりの精神の持ち主でもあったのだ。
偉いね、尾田くん。
ただし、名前も告げず云々には、マスコミの美談記事仕上的志向が見え隠れしないでもない。事故現場での健聴者vsろうあ者のコミュニケーションの状況思い浮かべるとそんな気がしないでもない。

ま、そんなことはともかく34才尾田青年のとった立派な行動を範とし、おじさんもまた公の為に頑張る所存であります。


02/08(金) 無題

昨晩、金津町内にふたつある手話サークルをひとつにしようかという話しがでて盛りあがっている席に、娘から「早く帰ってきて」携帯コールが入った。
帰ったら、「学校の宿題ででたテーマをインターネットで調べたいんや。パソコン使わせて」という。
仕事ができなくなってしまった僕は
パソコンを 娘にとられて ゴロ寝かな(加賀千代男)字余り 
とつぶやきながらTVのスイッチをオンにした。

漫然と眺める画面では、歌手というのか、ギャルというのか、タレントというのかともかくそういうひとたちが、グルメ料理の味見競争をしている。大口あけてげらげら笑っている。
こんなアホなふうたい人目にさらしたくないやろうに、全てはギャラの為なのだろうと妙に納得したのだが、考えてみると公共の電波発信体を自認するTV局のデイレクター紳士諸君も、こんな番組つくっている自分自身を惨めと思っているはずだ、全ては視聴率の為なのかと2度目の納得をしたあと、しかしスポンサーによって支払われる高額の放映料は商品の代金に上乗せされて僕らの生活を侵蝕してくるのだと思うとやっぱり納得できないなあという結論に落ち着いた。

02/07(木) アンケート

ぼくのHPの製作者(ファースト・バージョン)は福井市在住の高塚大先生だ。
おととし、大先生御来訪の折り、「こういうのどうか」とつくって頂いたのが、コンテンツ・アンケート(議員に何を望むか)だった。
いろんな要望項目が入りカウント数も増えたのだが、議会入りたてゆえ内情に疎かったぼくには、答えみつけるのも難しくそのうちコンテンツをはずしてしまった。
注 あの時笑ってしまったのは、○毎日歯を磨くべし ○事務所を掃除すべし ○畑仕事すべし・・等々だったなあ。

今は内情もそれなりにわかってきて、答えることもできると思うのでコンテンツ・アンケートを復活することにしました。
いま旧バージョンのデータを探しているところなのだが、有るかなあ。
もし無かったら、高塚大先生、ごめんなさい、もいちどお手数煩わせることになります。  草々

02/06(水) 富山

某量販店敷地のレベルを測量する為、ひがな一日富山にいた。
富山は立山にたいする外山(とやま)が語源だという説をどこかで聞いたことがある。
老人ろうあ者の手話「富山」は手のひらに薬指をのせ次に山を描くのだが、語源は勿論「越中富山の薬売り」からきている。
建築士のぼくにとっての富山はなんといっても散居村だ。

一面真っ白な雪に覆われていた時期に訪れた3週間前とはうって変わり、、快晴の立山連邦は銀色に輝いていた。
散居村の周囲にはさまざまの草花の芽生えがあった。

芽生えを見ているうち、啓蟄を思い出した。
帰宅し辞書を開いたら、
「けいちつ=啓蟄 二十四節気の一。太陽の黄経が三四五度になったときをいい、現行の太陽暦で三月六日頃。二月節気。また、このころ冬ごもりをしていた虫が穴から出てくることをいう。[季]春。《―の土くれ躍り掃かれけり/吉岡禅寺洞》」とある。

青年の頃、啓蟄耳にするごとに膣を連想し赤面したが、熟年となった今のぼくにとっての啓蟄は自然界の節目を司る日としてコウベを垂れる対象となっているのである。
たまの遠出もわるくない。

          立山連邦                       散居村

02/05(火) ウーン

午前9時半から全員協議会。
協議事項最後の項目「その他」で、(多分ぼくのことだろうと思うのだが)ホームページでの、全協も含めた議会内容発信についての否定的な意見がでてきたので、(多分ぼくのことだろうと思った)ぼくは、即反論したのだがいささか消化不良気味なのだ。

ことは、議会の公開性という本質的な課題を背負っていると思うので、2,3日じっくり考えて、マンスリーファイルに原稿用紙5枚分くらい書いてみようと思う。

いろんなこと考えるとなかなか寝つかれないので、夭折の小説家・中上健次を久し振りに読んでみた。
自分のふやけが嫌になってしまった。
地面はいつくばって生きているぼくらも森も木も、うらみもつらみも時間すらもがいずれ巨大なブラックホールにのみこまれ一切の記憶が無に帰すのだと思うと、予定調和先行のこの時代は青少年にとって息苦しい時代であるはずだ。
若者のなかから、第二の中上健次がでてこなければならないとぼくは切実に思ってしまった

02/04(月) 静かな夜だ 

昨日夕方4時30分、臨時39会ということで、5人が事務所に集合した。
話題が来年四月の統一地方選挙に移った。
月日の流れは早いもので、町議会議員として残された任期は一年と四ケ月を残すのみとなった。総括が必要だ。
この2年8ケ月の期間に感じたことを、折に触れこの欄で発信していこうと思う。
思い起こしてみるに、2年前日記書き込みを始めた動機こそがそれだったのだ。ぼくは初心に帰ろうと思った。
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かっての勤務先で机を並べていた同僚が亡くなったという電話が入った。
ぼくと同い年。疲弊した団塊の世代がそろそろその領域に入ってきたといえるのかもしれない。
とっても優しいいい人だった
合掌。

02/03(日) 春近し 

起きたら快晴。
自宅玄関をあけると春のような風が体をつきぬける。これが福井の冬かと思われるくらいに暖かい。
事務所でキーボード叩くぼくの目の前に空の「大吟醸」がひとり鎮座ましましている。昨晩は10人参加の手造安上的寄鍋宴会的反省会だったのだ。
三日前にも全く同じスタイルの集まりがあったので、「同じことはニ度続く」という格言を記憶袋から引き出してしまった。

さて、きょうは今からお寺の総会。親父の代理での出席だ。済み次第福井市の住設機器メーカーへ直行する予定。日曜日なんて関係あらへんなあ。
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外相更迭の件で面白かったのはブンブン日記2/1でした。

 01/02(水) 失業

おとつい町内を車で走っていたら、ジョッギングしている知合いのろうあ者とばったり。
去年から失業中で、再就職先がなかなかみつからないという。
工場生産ラインの器械設備はハイテク音の信号をだすものが増えてきていて、聴力に障害もっていると採用がむつかしいのやという説明をうけた。
この問題は現在が不況だからということだけでは片付かない。
工場長・経営者は音を光に変えるシステム採用で個別の対応を可能にすべきである。
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箱根駅伝。法政を応援していたのだが、学生長距離界のエース徳本が途中でリタイヤしてしまった。アキレス腱に異常がでた為という。
責任が人間になったような彼は近づく監督はらいのけ、天を仰ぎ踵さすりながらふらふらになりながら泣きながらひたすら走り続けた。
結局リタイヤしたが、痛みこらえた数kmの走りにぼくはすごく感動した。
徳本は人生通じて最高の財産を手に入れたと思うなあ。
走る哲学者といわれたアベベ・ビキラ、代々木競技場でヒートリーに抜かれた円谷幸吉、朦朧の意識のなかでゴールしたアンデルセン・・・印象に残っているランナーはみなひたむきなのである。

01/01(火) 元旦

   あけまして
        おめでとうございます


年越し蕎麦食べたあとの熱燗でうつらうつらしていたぼくは除夜の鐘で目が覚めた。
教順寺に出向き鐘をついた。
本堂に佇み、志田弥広先生の襖絵「釈迦十大弟子」と屏風絵「瑠璃光世界」をみて、気持ちが凛とした。

帰宅し就寝、6時起床。
竹田川堤防にたち、白山連邦からの初日の出を待ったのだが、シャッターチャンスは来なかった。やや残念。
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年賀状エトセトラ
■ぼくからの年賀状を読んだひとに「毛筆がお上手ですね」といわれたので告白せねばなるまい。
宛名・文面全て妻の手になるものであります。

■賀状読んでいてげらげら笑ったのは、「今年は清潔第一に・・」(某電気店からのもの)
■「又お会いできる日を楽しみにしています」の添え書きある賀状の殆どは女性からのものでした。
■たおやかな和服美人のイラストに添えて「この女性だれかわかりますか、私の身近な人です」との添え書きの賀状・・本人とは思えない。わからない。
■小4の時のセピア色になった自身の写真に当時の思い出が白抜き文字で綴られた賀状 (某プロパンガス会社理事長から)を読んで可愛らしかった少年時代を思い出してしまいました。