2002年03月

02年03月31日 土曜日  映画「卒業

礼服を買いにいった。太った為だ。
洋服店は、親子連れであふれていた。卒業のシーズンなのだ。
店の光景思い出してか、帰路を急ぐ私の頭に「サウンドオブサイレンス」が流れてくる。
30年以上前の青春映画「卒業」を私は4回観た。4回も観た映画といえば他にはステーブ・マックイーンの「大脱走」しかない。

キャサリン・ロスが不本意に他の男と結婚式をあげているさなか。
窓ガラスたたき、わめきながら教会に闖入したダステイン・ホフマンはキャサリンの手をとって、どんどん逃げる。ふたりは通りすがりのバスを停めて街からトンズラするのだ。いわゆる恋の逃避行というやつやね。
「ウーン、私も大きくなったらぶんどり婚というものをしてみたい」とため息をついたものだ。(どんぶり婚じゃないよ。)
20才の頃、同下宿の男とこの映画の話しになった時、男・仁多見クンはこう言った。
「確かにふたりはエキサイテイグや。幸せや。だけどそのあとにあるものは何だ?退屈な日常が待ってるだけやないか。だから俺は30までに死ぬのだ」。その説得力ある意見に私はただうなづくだけだった。
その彼の最近のHPは「90才まで生きぬいてやる」といきまいている。
それが可笑しい。
---------------------------------------------------
●奈仁茂さん、掲示板に書き込みました。

02年03月30日 土曜日  高校野球

甲子園ミーハーのぼくは昨日の第一試合・福井商業vs松江北をTVでみていた。福商ナインご苦労さん、2回戦も頑張ってください。

第三試合は明徳義塾vs金光大阪。明徳・馬渕監督の顔がとても柔和にみえた。
10年ほど前の甲子園夏季大会。確か8月15日だった。
明徳義塾vs星陵戦の明徳僅少差リードで迎えた9回。
星陵の4番・松井秀喜が馬渕監督の敬遠指示で歩かされ1塁にたった。
たったままじっと目をつむっていた。
全打席敬遠されて、松井は何を思っていたんだろう。
明徳ベンチ馬渕監督の目は鋭かった。
星陵ベンチ山下監督は憮然とした表情だった。

02年03月29日 金曜日  シェー びっくりした

手話サークル定例会を終えて帰宅。
4,5日ぶりで掲示板をクリックしたら、珍しくようけはいっているので、きょうはそれらの返事を書いてから、グーグー寝ます。

02年03月28日 木曜日  アフガニスタンの地震

昨晩11時、打ち合わせを終えて事務所に戻ったら、ラジオが「アフガニスタンで地震発生、死者ニ千人以上か」とのニュースを流していた。

ぼくは、死者三千数百人をだした福井震災発生の年に生まれた。
周囲の大人達からその惨状を聞かされて育ち、長じて建築設計の立場で耐震設計に手を染め、去年は議員の立場で東海地方の対震災施策を視察してきたものとして、地震にはナーバスなほうだろうと思う。
遠い異国で発生した地震ではあるけれども、その悲惨は言語に絶するものだろう。
そう思いながらもぼくは被災者そのものには勿論なりきれない。
悲惨の情報を耳にしつつ、現実のぼくは黙祷したあと、食わんが為の仕事にいそしんでいる。
マスメデイアの発達で世界の情報を瞬時に耳にする時代に生きていながら、アフガニスタンより神戸により強いリアリテイを感じたし、神戸より福井により強いリアリテイを感じてきた。空間的な距離は絶対的な壁なんだろうか。
一昨晩の寝床の友は、あるルポライターが書いた文庫本だった。
「我々は、悲惨の当事者の内面とは絶対に同化できない。しかし近づくことはできる。近づく武器は意識的な想像力である」と彼は語っていた。
ルポライターの思いは現場密着のなかでだした結論であるような気がする。
日常にどっぷりつかっている自分だと思ってしまった。



02年03月27日 水曜日 辻元議員辞職

多方面に動きまわったり勉強したりで金のかかる国会議員の報酬が、その割に安いのは知っていたが、政策秘書や公設秘書の給料明細は全然知らなかった。第一、第二、第三秘書の間に格段の差があって、第三秘書に至っては町会議員の報酬より安いのだから大変だ。

夕飯時、TVが辻元代議士の議員辞職記者会見を流していた。意外にさばさばした表情で言葉も澱みがない。
ただ、記者会見のなかでの「他のふたりを道連れにしたい気持ちです」は余計な言葉だったと思う。
袖の下・鈴木、金庫番管理不行き届け・加藤、秘書問題・辻元と揃い踏みした三役のなかで辻元氏だけが辞めたのは所属する党の違いによるものではないだろう。
そりゃあ、国民の多くは疑惑の鈴木vs正義の辻元という構図のなかで、釈然としない思いを持っているだろうが、辻元氏のとった行為はその違法性が実証され、鈴木氏の場合今だ実証されていないという厳然たる違いがある。
違法なことをしたに決まっていると思われることと、違法なことをしたと実証されることの間には千里の距離があるのだ。
容疑者が容疑者でいる間は容疑者でしかない。それが法治国家の基本だ。
でないと、予断と偏見が横行し冤罪があとをたたないということになるのじゃないか。
------------------------------------------------------------
ここ数週間、事務所で諸仕事終えるのはいつも夜の2時だ。
目と鼻の先に自宅があるのだが、夜は危険という理由で12時には玄関戸がロックされる。
よって、事務所のベッドで眠る日々が続いている。
そう、ぼくはシンデレラなのだ。
もっとも、本を読まないと眠れないたちなので、蛍光灯のまぶしさが妻に敬遠されているのかもしれない。


 02年03月26日 火曜日 偶には俗世間忘れて森へ行こう

4月6日から5月10日まで、「中嶋潔が描く金子みすず・まなざし」展が、金津創作の森アートコア・ミュージアムで開かれる。
中島さんがどのような画家なのか、ぼくは皆目知らないのだけれども、目の前の前売りチケットに印刷された挿絵をじっと見ていると不思議な感覚に襲われてくる。
横を向くほつれ髪の少女というオーソドックスな静の構図と、沢山の魚の群れによってつくられた動の構図との両極混在による落差感からくるのかなあ。
下半身が魚の群れにとけこんでいる。緑のひらひらは海草とも見てとれる。
しからばわかめ酒かと思うのは早計で、これは少女Aの海への回帰のイメージではなかろうか。
少女の横顔が実にいい。ぼくの9千円のスキャナーでは顏が青まだらになってしまっているが、実際は透き通る無垢の白肌なのだ。
少女は鼻・口を持っていない。
そのことによって一点の目やほつれ髪が生彩を放っている。
ぼくはこういうのをこそ画龍点睛というのではないかと思った。


02年03月25日 月曜日 深夜ラジオはプレスリー特集だ

4日間帰省していた上の息子が、夜汽車で東京に帰るという。
時間に追われっぱなしでろくすっぽ顏も見ていなかったぼくは「珈琲おごったる。30分程付き合えや」と息子をサテンに連れていった。
「きょうは特別や、ケーキ頼んでもいいぞ」と言ったら、串カツを注文したのだからちょっと変わっている。
「真剣に学問したいと思ってる」と殊勝な台詞もはいていたが、実情は、いろんなバイトしていろんなところへ旅行しているみたいだ。
聖域なき構造改革路線で追放の対象にあげられるひとりがぼくの息子なのかと思ったが、いいのだ許す許す、数年くらいモラトリウム人間でいたってかめへん。第一、若かった時の自分思い出したらなんにも言えんがな。

「お父さん、賄賂もらってるんか」と息子は唐突に言う。
のぼくに、「だって親父が議員してるんなら賄賂もらってるはずやと友達が言ってたぞ」とたたみかけてきた。
呆れてしまったけれど、考えてみれば金にまつわる紛糾ばかりの国会の現状が国民の目にきっちりと焼き付けられつつあるんだろうなあ。

02年03月24日 日曜日 忙中閑あり

午前6時起床。
昨晩は、久し振りに39会が開かれた。
この会は、金津中学校を昭和39年に卒業した有志10数人の会、つつましい食事をしながら、亡くなっていった友のありし日の姿を偲ぶ会である。
会参加の新顔は(あぶないと言われてはいるけれども)某大手ゼネコン工事課長のS綿谷だった。
幻の料理長と噂されているチーフコック・D汐見、サブコック・G丸岡が揚げる天麩羅に舌鼓うつ静寂の時間が流れていく。

「もう何年も開かれていなんや、学年の同窓会をしようじゃないか」という声が誰からともなくあがり、座は一気に盛りあがった。
満場一致で実行委員長を指名されたサッカーおじさん・スリランカ住田が立ちあがり議事を進行する。
大幹部ソーピスト羽根が白板に決定事項を書き込んでいく。

窓越しに山桜が白く咲き誇る弥生三月の一夜はこうして更けていった。

敷島の 大和心を ひと問わば
          朝日に匂う 山桜花      本居宣長

02年03月23日 土曜日 もう土曜日か

午前7時。きょうはどんよりと曇っています。
きのうは午前3時が就寝時刻でした。
昔使っていたパソコンにウインドウズ95を再インストールする為の格闘をしていたのです(ぼくの使っているフリーCADソフトは95で十分対応可能)。コンピューターの基礎原理・基礎操作がよくわからないので失敗ばかりでしたが、なんとか成功したみたい。
この件に関して、素人質問浴びせ御迷惑をおかけしてしまった何人かのかたがた、どうもありがとうございました。
眠い。もうしばらく寝ます。

02年03月22日 金曜日 落ち込んでなんかいられないなあ

午前1時である。

深夜のNHKラジオ(ぼくはNHKが大好きなのだ)が、18才の時交通事故で記憶喪失した坪倉青年のその後のドキュメントを流している。
坪倉さん自身の肉声によって語られる、一切の記憶がないままに存在することの焦燥・不安にぼくはぎょっとした。
いわゆるアイデンテイテイというやつだ。
故岡本太郎の口癖は「俺には過去がない」だったそうだが、勿論それは比喩であり、、過去がないと思う自分の意識自体が歴史であるのだから、記憶喪失によって断絶してしまった自分と現在の自分との間の格闘はすさまじいものであったはずだ。
現在31才の坪倉さんは、京都で染色作家を目指しているのだが、人間の持つ潜在力というのはつくづく強いもんだと思った。

-----------------------------------------------------------------
友がみな 我よりえらく 見ゆる日よ
   花を買い来て 妻としたしむ   啄木

きょうは妻の誕生日なのだ。
そこで
妻に与ふる唄を書いてみた

02年03月21日木曜日 落ち込み気分

昨晩、まちネット招待の某TV報道製作局次長と市町村合併についての論議のさなか、S羽根から「みんないるぞ、飲んでるぞ、でてこいや」コールが入った。
かけつけカウンターに座ったぼくは、久し振りによくしゃべった。

きょうの午前中は市姫荘にいた。金津町身体障害者連合会総会での手話通訳を依頼された為だ。手を動かしつつ一時間たち続けていると、持病の腰痛が顏をのぞかせてくる。老若男女を問わず、なべてのひとは潜在的身体障害者であることを肝に命じなければならない。
通訳終え、社協局長・福祉保健課課長と一服しつつの懇談中、J丸岡から「だいとら駐車場の建築資材が強風で道路まで飛んでってるぞ」の携帯コール。早速役場に電話し善後策を依頼した。 

帰宅した。郵便ポストに知合いの女性から次のような和歌が入っている。
川風に 吹かるる二人は 手話なりき
    聞き手は 当選はじめての 町会議員

ウーン、どこで誰に見られているかわからないのだ。身繕い・立居振舞いには気をつけなければならない。


ものごとがうまくいかず、落ち込み気分になっている。
昨晩もそうだったが、落ち込み気分になると、それを隠す為、陽気に振舞おうとする癖がぼくにはある。悪い癖だ。
きょうからは自然体でいくことにしよう。



02年03月20日水曜日 NHKさん きょうの私はナショナリストなのだ

きのうは、久し振り県庁に出向いた。用事終えた後、庁舎の周りを歩いた。
ここはかってお城のあった場所なのだ。
お堀を見下ろす石垣のなかに、高層ビルデイングが屹立する姿はおよそ不調和の構図だと思うのだが、設計担当者は「歴史と現代を融合させました」とかなんとか言ったんだろうなあ。

1583年、宿敵秀吉に攻められた柴田勝家・お市夫妻は、ここ北ノ庄城の天守閣で自害した。
母により助命嘆願された娘三人(ちゃちゃ・おはつ・おごうだったか)は足羽山の頂上から炎上する城をじっと見詰めていた。
石垣脇の雑草に正座しその時の三人の心境を偲ぶ私の目にみるみる涙があふれていく。
徳川家康の嫡男・結城秀康が福井藩の創業者として、ここ越前に入った。
福井藩最後の殿様は、幕末四賢候のひとりとうたわれ、政事総裁の座にまで上りつめた松平春嶽侯である。京から馬で駆けてきた坂本竜馬にポンと五千両寄付した心のひろいひとだ。
九十九橋の袂に住んでいた赤貧の在野歌人・橘曙を厚遇しようともした。
(それを固辞した橘曙はもっとえらい)。

私はNHKに対して、突然に猛烈に腹がたってきた。
NHKは日曜大河ドラマのなかで、十数年前、南の彦根藩埋れ木舎出身・井伊直弼を「花の生涯」で描いた。
今年は北の加賀藩の殿様夫婦「利家とまつ」を放映している。
(それにしてもまつを演じている松島なんとかという女優はかわいい。
信長を演じているなんとかという男優も目を細める時はわざとらしいけど、ナカナカにりりしい。)

何故、大藩福井藩を抜かすのか。
そもそもが、井伊直弼は、安政の大獄で春嶽侯のブレーン・橋本左内の首を刎ね、隣藩勤皇の志士・梅田雲浜を獄中で病死させたのである。
前田利家は秀吉の幼馴染であったことを巧妙に利用し保身をまっとうし、結局は学歴偏重社会のシンボル・東京大学の赤門を残しただけではないか。
幕末の福井藩にこそ憂国の人材が数多居たのだ。
福井新聞「伝言板」に投書しようかとも思ったが、投書規約に「特定の個人・組織の名をあげての誹謗は駄目です」と書いてあったので諦めた。
今宵も私は、晩酌のあと、仕事にいそしむしかないのである。
-------------------------------------------------------------
ヘヘ NHK福井にメールしてしもうた

 02年03月19日火曜日 鈴木⇒加藤⇒?

夜、飲みにでた折り、JR芦原温泉駅前をぶらつくことが偶にある。
人通りが少ない。
モータリゼーションの世になってしまったことが原因だろうが、駅前というのは人体でいうと臍みたいなものだからやっぱりさみしいね。
駅舎から吐き出された国鉄利用の通学通勤者が、帰りの買物をすることで駅前商店街が賑わうという構図が数十年前迄は確かにあった。
私のこども時代、八日区から新富区までの駅前メインストリートに家のある同級生たちはシテイボーイとしてまばゆい存在だったのだが、今や高校通りや縦貫道路沿いのほうにネオンが多いやね。

エコロジーの観点から21世紀は鉄道復権の時代でなければと私は思う。
駅前に屋台通りをつくったらいいというひともいれば、空き店舗をお年よりによる伝統民具製作即売の館にしたらいいというひともいる。
昔のように映画館がほしいというひともいれば、若者向けのライブ酒場がほしいというひともいる。
私は、駅前駐車場の一画をビオトープにしたらいいと思っている。
どのみち緊縮財政行政の昨今だ。夢持つひとたちが行政に頼らず金知恵汗出し合い、ボランテイアグループとしてとにかく一歩踏み出すことが大切だ。
もっと大切なことは脇道にそれようが退歩しようが挫折しようが続けることだ。継続は力である。

--------------------------------------------------------------------
●坂ノ下八幡神社の「絵馬」です
●夕刻、サカノシモ夫人来訪。「ぼかし+白黒」画像のネガ見て「きれいなひとね」と言っていた

02年03月18日 月曜日 月曜日の夜明け前

はやく目が覚めた。ただいま午前5時30分、夜明け前である。
ラジオが、「昭和59年のきょう、江崎グリコ社長が誘拐されました。いわゆる怪人21面相事件の始まりです」と流している。

既にグリコ関連事件の全ては時効となり、いまは闇のなかだ。
発生当時ぼくは35才、長男はまだ3才だった。
月給とりを辞め、マサカと思った結婚もできて、いい未来が待ちうけていると思っていた頃でもあった。
結局、変わり映えしない日常の連続で、生活の重みだけが日に日に増していくあっという間の18年間だった。
しかし、いろんなひととの出会いのあった18年間でもある。
何人かのひととの永遠の別れがあったことも含めて、これからは出会いを大切にしていこうと思う。
------------------------------------------------------
ある愛の詩を書いてみました。


02年03月17日 日曜日 無題

日曜日の朝がきた。
坂ノ下八幡神社境内の清掃作業、捻り鉢巻での図面作製、建設委員会での説明がきょうのスケジュールだ。
まずは始動前の一服と、熱い珈琲で喉を潤している。
きのうは土曜日ということで昼から夜にかけて3ヶ所で痛飲してしまった。
節度を保ち、カラダを大切にしなければならない。
------------------------------------------------------
八幡神社で清掃中、妻から突然の携帯コール。
友人夫婦の子供さんが亡くなったという。
享年18才、言うべき言葉がない。
終日そのことばかりを考えていた。

-

02年03月16日 土曜日 卒業式のシーズンだ

きょうは金津幼稚園・金津小学校の卒業式だ。
屈託のないこどもたちの笑顔をみるのが楽しみである。

その後、幾つかの打合わせがある土曜日曜こそが忙しい生活をかれこれ20年続けているが、
仕方ない、自営業の宿命やね。
夜は、人類の幸せを目指す私的結社による会議が予定されており、おいでおいでコールが入ったのだがどうも行けそうにないなあ。
----------------------------------------------------------
自民を離党するにあたって、鈴木代議士が記者会見でみせた心情の吐露と涙をどうとるかによって、とる側の性格が分かれると思う。鈴木そのひとのひととなりの実体は周辺のみが知る。
或る人にナカナカ正直そうやがねと言ったら「そう思わせるほどにしたたかなワルなんや」と反論されてしまった。
ただ、ぼくは正義vs悪とか、純粋vs汚濁とかは観念上の言葉の組み合わせでしかなく、現実の人間は例外なくこの両極の間の帯のどこかでうごめいている悲しい存在に過ぎないと思ってしまうのだ。
あらっぽく言えば、見える部分の全てがそのひとのその時その時の真実だということになるか。
国会が清きひとたちの集まりだとも思わないし、汚職の巣だとも思わない。逆にいえばどっちでもあるといえるのかなあ。
議員を選ぶのは国民なのだから、国会とは有権者のさまざまな思い(これを民度といってもいいだろう)が注ぎ込まれた濃縮ジュースである。。代議士が選挙で選ばれるというのはそういうことなのだと思う。

 02年03月15日 金曜日 無題 

昨晩は確定申告書つくるのにおおわらわ。
そのさなか県議さんから「近くの店で同級生と飲んでるんやけどでてきまへんか」コール。
合併と京福のこと聴きたかったのでヨシシバラクイコウと出向いたら同級生とはなんと妙齢の女性だった。考えてみると不思議でもなんでもない。、議会関係即男性社会の先入観にぼくが汚染されてしまっているだけのことである。

帰宅し仮眠に入ったら、S大下久々の来訪。
社会制度のさまざまな改革は勿論必要だけれど制度はひとによって支えられている。結局ひとひとりひとりが変わらなければ、というのが四方山話の結論だった。
-----------------------------------------------------------
ぼくの嫌いな作業のひとつが通帳みることだが、この時期だけはみなければならない。
我が身の細腕ぶりの再確認だもんなあ。
保険料の引き落としみて「人生に保険なんかかけんでもええんじゃないか」と妻に愚痴ったことがある。
「そんなこと言うても、お父さん、死なん自信あるんか?コドモ大きくなるまでの辛抱や」が答えだった。

はつなつの 夕べ額をひからせて 
          保険屋が遠き死を 売りにくる     塚本 邦雄

02年03月14日木曜日 ホワイトデイなんてぼくは知らない

目が覚めたらいつもとは違う布団だ。ソーカきのうの晩は飲み会だったのだ。記憶が蘇ってくる。
男ってみんなそうなんだろうけど、酒がはいると多少は猥談をする。
猥談のできないぼくも、聞くのは嫌いでない。
しかし昨晩はそげな話しいっさいなく
、ひたすら
議会の、町の、行政のありうべき姿を求めて口角泡を飛ばす議論に終始した5時間だった。

その最中に知人より携帯コールが入った。
「きのうの日記読んだけど、議員って人事に口だしするんか。ムネオちっくやなあ」と半ば冗談で言われた。
ぼくは、街の灯見下ろすテラスに出た。満月を見上げた。
手摺にひじつき葉巻くわえて考えた。
ちがうのだ。役場がおぞいからなのだ。役場は全ての町民の為に在る。
であるならば手話通訳できる職員がいてしかるべきだが現実にはいない。
いきおい、いつも顏つきあわせ雰囲気慣れたひとに頼りたい心情がでてきて当然だろう。
結果としての人事それ自体はどっちでもいい、その背景にあるものを首長に知ってもらいたいと思ったわけだ。
ぼくら健聴者にとっての言葉が、ろうあ者にとっての手話であるという意味で通訳できるひとが必要だ。

 02年03月13日水曜日 ジンジ 

議員をしているせいで、、知合いのろうあ者から「あの課のあのひとを人事移動させないように頼んでの」と言われた。人事権は首長=町長の手にあるのでとりあえずその意向を町長に伝えた。
きのうの総務委員会で、議案第17号「金津町副収入役設置条例の制定について」が審議された。先だっての全協でも聞いたのだが、収入役不在で何故副収入役なのか腑に落ちないぼくは再度質問した。答弁を聴いたあとも釈然としない思いは残っているが、とりあえず人事の季節が近づいているのだ。

夜、「ウーン、ジンジか」とゴロ寝で一日を振り返っていたら、尻の穴が痛い。薬指で肛門を押してみた。そっと押してみたのだが左側が部分的に突起している。ぼくは、明らかに痔となってしまった。ジなのである
某医院院長(升味=仮名、推定年齢53歳)に電話した。
「風呂に入って肛門を柔らかくすることや」という指示に従い、患部をマッサージしつつ本日2度目の入浴を終え事務所に戻ったら、間髪いれず某医院院長があらわれた。手には座薬があった。
------------------------------------------------------------------------
久し振りにこの表紙の模様替。
春の色を美しくデザインしてみました。

 02年03月12日 火曜日 節度ある生活 

きのうの昼、金津町役場。
総務委員会の合間に、ロビーで血圧を測った。
高い。
数値を書くと「心配なの」コールの殺到が予想されるのではぶくが、ともかく高い。
真面目な私の、委員会で緊張する性格のせいかとも思ったが、念の為、某医院にて精密測定をしてもらった。
院長(升味=仮名、推定年齢53才)も高いという。しかし最高・最低ともにロビーでの測定に比べて10づつ低いのだ。勿論私としては低い方を信じる。
それでも高いのである。

2年前まで私は献血の常習者だった。
日赤病院献血車の採血係りから「なんて密度の濃いきれいな血でしょう」と言われるたびに「ひとはそれを心血一体と呼ぶのです」と答えていたものだが、酒・煙草による不摂生で血圧が高くなってしまったのだろう。
しかし、例えばきのうの総務委員会で、町収入に繋がる煙草税のことなど聞かされると禁煙にふみきるのをためらってしまう。
あしたからは、せめて節煙・節酒で節度のある日々を送ろうと思う。


あしたが定例議会最終日。週末に頑張って報告を載せたいと思います。
-----------------------------------------------------------
53歳といえば立派な中年だ。
もうちゃんではないだろうさんだろうということでさんにした。

 02年03月11日 月曜日 血圧

6時半。
窓越しに見える裏山の竹薮が朝日に輝いている。
豆砕き珈琲がおいしい。
又一週間が始まったのだ。頑張ろう。

-----------------------------------------------------------
タイトルバー日付に02年がくっついた理由は、ホームページビルダーが日付を自動表示してくれるからです。
最近のキカイというのは本当に便利だ。


2年3月10日 日曜日 明日は総務委員会

TVのワイドショーが朝っぱらから鈴木宗男のことを流し続けている。
マスコミがそんなにようけの情報持っていたのならば、田中元外相とのバトル⇒落ち目⇒転落の前に何故流さなかったのかい、どうせ権力恐れてたんだろうよとおじさんは斜めに構えてしまう。付け加えるならばワイドショーの女子アナが何故ああも美人顏ばかりなのか、あれが諸悪の根源だとおじさんは思うのだ。
インターネットで自治体別世帯毎の所得指数を検索してみた。
全国平均を100とした場合に根室市は76.9だ。鈴木宗男をおしだす背景、公共事業にすがる背景がここにあるのだから、もしもマスコミが正義の味方を標榜したいのならば焦点をそこに据えるべきだった。

てなことをブツブツひとりごちていた昼下がり、達川クンがひょっこりと顔をだした。
缶ビール飲みつつ「牧田はん、企業は人間の集まりや。しゃばはリストラリストラいうてるけどリストラって首切ることではないんや。優秀な社員は優秀ではない社員がいてこそ優秀でいられるんや」と社長・達川は相変わらずの饒舌を展開し「あ、いけねえ。息子が帰ってくる。家の鍵かけたままや」で風のように消えていった。
というわけで「まきぽん会」の諸君、又集まりましょう。

02/03/09(土) 鴨の消えた竹田川 
昨晩は、夜9時過ぎて「打ち合わせしよう」コールがはいった。
施主宅にお邪魔し打ち合わせ終えたのは11時半頃だったか。
新装なった居酒屋に行こうと誘われ、真夜中の談議が始まった。

施主は金津生まれではないので、金津の特徴がよりわかるのだろう。
「もともと金津は職人の町やった。いろんな職人がいて小さな大衆居酒屋に夜な夜な老若がたむろしていた」
「けど、まちうちはどんどん空洞化している。どこでもそうなんやろうけど、金津の場合大地主がようけいる。借地が多いのが、活性化できない理由のひとつやと思う」等々と語っていた。
図面職人のかたわれであるぼくは、
「職人の町」という言葉の響きにちょっと酔いしれてしまった。
---------------------------------------------------------
昼飯のうどんすませ、食後の運動にと竹田川べりを散歩して、鴨家族のいないことに気がついた。
今頃はもうシベリアなのだろうか。來年又会いましょう。

02/03/07(木) ひとは何故生きているのだろう 

熊坂より帰りて

夕餉のあとの一服に
窓うつ雨音もの悲し
月のものこそきたるべし
うつという名のまれびとが
月に一度はおとづるる

よふけて みめよきおみなごの
元気ですかの 電話にも
われの こころは
はれぬぞや

---------------------------------------------------------
昨日の議会・一般質問で市町村合併に関する質問がふたりの議員からでた。
ひとりの議員の「合併するかしないかは町民が決めることだ。何回かアンケートをとったらいい。先ず白紙でアンケートをとる。次に時期をおいて、合併した場合、しない場合のコストバランスシートつまり判断の為の資料を提出してしたらいい。」という質問に対する町長答弁は
「白紙でアンケートとっても判断がむつかしいだろう。十分な資料提出してからのアンケートあるいは住民投票で民意がわかる。加えて合併したら例えば金津という名が消えてしまうということもある。」というものだった。
町長答弁は日頃ぼくが思っていることでもあったのだが、ややこしいのは国や県が補助金・交付税をちらつかせて合併をせまっているというところにある。
例えば3町合併がいいか6町合併がいいかの選択ならばこれは算盤勘定の問題なのだが、合併するかしないかの選択となると地名も含めた固有の歴史・風土という要素が入ってきて簡単には算盤勘定できない。
いずれにしてもこの問題は今年最大のテーマだと思うなあ。

注 答弁のやりとりはおよそ上記のようなものであったと思うのだけれども、なにぶんにも速記していたわけではない。間違っていたらコンテンツ・掲示板に即書き込んでください。

注の注 先日の全員協議会で、某議員からぼくのHPに言及されたが、ぼくは昔も今も聞いたことは正確に書こうと心がけている。

02/03/06(水) あら 忙しや  

きのうは議会初日。
27件の提出議案の町長による理由説明と各議案付託先の議長による割り振りで初日が終わった。詳細は後日書き込む予定。

ウーさんが掲示板に載せた件、担当課長から現在の進捗状況と今後の展望についての詳細を聴きました。数日以内に書き込みます。
さすらわないギャンブラーさん、どこのどなたか存じませぬが一度お手合せしたいものです。
Yukyさん、フィリピンのNGOからエアメールが届きました。転送致します。
-----------------------------------------------------
●何ヶ月ぶりかで町役場の掲示板覗いたら「金津町民」さんから、レスなし!の御叱責メールが入ってましたがに。このひとの言うように、速やかなレスポンスは税金で動く公的掲示板のいのちやと思います。
(ぼくのような私的掲示板の場合は該当しないのだ)

●金津東小学校PTA母親部会の皆さん
、先日はご苦労さんでした。
来たる3月7日(木)PM7:30から手話サークル会員による反省会が私の事務所で開かれます。
寄せ鍋つつきおでんぱくぱくの反省会です。よかったら御参加ください。
但し、参加費千円が必要です。

02/3/05(火) きょうから議会

昨晩、相談したいことがあったので三国町町議の家に行った。
居間中央にアンデルセン社製の薪ストーブがどでかんと置かれている。
住宅で設計におりこんだこと何回かあるが、薪ストーブはいいもんだ。
こどもの頃風呂焚きが日々のノルマだったぼくにとって、薪の炎は郷愁であると同時に人生の応援歌でもある。
はてさてきょうからは第353回町議会定例会だ。新年度を控えて、予算審議が中心になるだろう。収益に四苦八苦の民間と違って自ずから税金の集まってくる行政機構だからこそ厳密にチェックされなければならない。

町村議会ならばともかく、国会というエライ方々の集まりのなかに、鈴木宗男のようなひとがいるとは知らなかったが、その実態が明るみに出たのは田中元外相のおかげというよりも、情報の裏表を隔てる壁が溶解し始めたということではないか。
公開条例といった法的な措置も含めて、情報のグローバル化進行中の社会状況が背景にあるという意味で一歩健全化したと逆接的に言える。
但し、マスコミワイドショーが彼の顔をあげつらうのを聴いていると「おのれら何様のつもりじゃい」と腹がたってくる。
節度のない顔とはいえようが、根っからの悪人顏ではない。義理人情に裏打ちされた愛嬌顏なのだ。地元を愛したって構わないじゃないか。
法治国家だ。マスコミが法に抵触したことの詳細をどんどん流すのは当然だ。
しかしその他の部分は床屋談議という我々庶民の領域である。


きのう午前中は仕事。といっても日曜日ということでTV画面横目に多少は楽な気分での仕事だった。
妻が風邪で寝込み、やや心配。
午後、CADを習得したいという建築専攻の娘さんを連れて友人が来訪、臨時のセンセをしてしまった。
夕食後数時間の睡眠。目が覚めたらNHKサンデイスポーツが阪神新監督・星野仙一を特集している。監督といえども人気稼業だ。渋面野村より破願星野に気分は明るくなるやね。
浮気性のぼくが例外的に一途であり続けているのが阪神タイガースだ。
野村に嫌われていた坪井がレギュラー復帰するだろうと、開幕を楽しみにしている。
夜も更けてきた。さあ、頑張ろう。

02/03/04(月) 星野阪神


きのう午前中は仕事。といっても日曜日ということでTV画面横目に多少は楽な気分での仕事だった。
妻が風邪で寝込み、やや心配。
午後、CADを習得したいという建築専攻の娘さんを連れて友人が来訪、臨時のセンセをしてしまった。
夕食後数時間の睡眠。目が覚めたらNHKサンデイスポーツが阪神新監督・星野仙一を特集している。監督といえども人気稼業だ。渋面野村より破願星野に気分は明るくなるやね。
浮気性のぼくが例外的に一途であり続けているのが阪神タイガースだ。
野村に嫌われていた坪井がレギュラー復帰するだろうと、開幕を楽しみにしている。
夜も更けてきた。さあ、頑張ろう。

02/03/02(土) 仙坊幸治さん きのうはご苦労さんでした

昔ぼくが勤めていた建築設計事務所の同僚が先先月亡くなった。
昨晩、当時の所員10数人が片町に集い「偲ぶ会」が開かれた。
所長の挨拶で始まった思いで話はそれぞれの近況報告も交えて尽きることないままに夜は更けていく。10数年ぶりで再会のひとも多かったのだけれども、みんな全然変わっていなかった。

20年以上前、ぼくが毎日通ったその事務所は、福井市の大歓楽街・片町のど真中にあった。今は勿論そういうことはないだろうが、当時は昼飯のラーメンを4分30秒で胃袋に詰め込み、昼休みは半チャン2回(レート5、裏ドラあり赤ウーピンなし)の日々をひたすら送った。夜は半チャン4回だったか。
麻雀にいそしんだ世代というのは、ぼくら団塊の世代までだろう。
亡くなった出村さんと卓を囲んだ日々をおもわず思い出してしまった。


02/03/02(土) 仙坊幸治さん きのうはご苦労さんでした

昔ぼくが勤めていた建築設計事務所の同僚が先先月亡くなった。
昨晩、当時の所員10数人が片町に集い「偲ぶ会」が開かれた。
所長の挨拶で始まった思いで話はそれぞれの近況報告も交えて尽きることないままに夜は更けていく。10数年ぶりで再会のひとも多かったのだけれども、みんな全然変わっていなかった。

20年以上前、ぼくが毎日通ったその事務所は、福井市の大歓楽街・片町のど真中にあった。今は勿論そういうことはないだろうが、当時は昼飯のラーメンを4分30秒で胃袋に詰め込み、昼休みは半チャン2回(レート5、裏ドラあり赤ウーピンなし)の日々をひたすら送った。夜は半チャン4回だったか。
麻雀にいそしんだ世代というのは、ぼくら団塊の世代までだろう。
亡くなった出村さんと卓を囲んだ日々をおもわず思い出してしまった。