2002年08月

02/08/31 (土) 巨人-ヤクルト=5.5

昨日来訪した同業者との間で、身のまわりにモノがありすぎることを話しあった。
とにかく要らないものを処分することにした。
要るものより要らないものがずっと多い。
過去の記録ファイルはもういい。俺には過去がないといえばそれでいい。
本類は図書館に持っていく。
CDを使いはじめたら、沢山のFDはごみでしかなくなった。
くずかごのダイレクトメールの殆どは目を通さずじまいのものだ。
暮しの贅肉を削ぎ落とそう。シンプルイズザベスト。

将来は庵を営みたい。
作努衣姿で二畳台目の茶室に客人を招きいれる。
茶器の底を眺め、この逸品はP小泉作ですな、などと呟くのだ。
ああ、しかしぼくはお茶の作法を全然知らないのだった。
いいのだ。庵の名前は牛庵としよう。


02/08/30 (金) お遍路さん

ぼくの友人には山登りの好きな奴が多い。今度の日曜日には赤兎山にグループで登るそうだ。
山は確かに素晴らしい。
昔女子高校ワンゲル部の代理顧問をしていた時にそれなりの山を制覇したぼくではあるが、今は額汗黙々徒歩前進の忍耐力衰え、せいぜいが里山デジカメひとりぶらり旅を趣味としている。

歩くといえば
きのう、街なかの立ち話で「お遍路さん、しませんか?」といわれた。
イスラムにとってのメッカ、江戸期庶民にとっての伊勢神宮がそうであったように、ぼくにとっての白装束四国巡礼は死ぬまでに是非実現したいことだ。
しかし、徒歩巡礼だと二ヶ月かかるんだとね。
老いてからだなあ。


 最近掲示板への書き込みがばったり途絶えてしまいました。
   ぼくはちょっと寂しいのです。

02/08/29 (木) 秋空を眺めつつ

昨晩は、中年男五人が正味医院(仮名)に集まっての雑談だった。
傍らのTVが高橋健に完封された金持巨人を映しだした。
10連勝のヤクルトがひたひたと追ってきている。
奢れるもの久しからず ただ春の夜の夢の如し
盛者必衰だからこそぼくたちは明日を信じることができる。貧乏に耐えることができる。


なにをかな まいらせなくな思えども
       達磨しゅうには いちもつもなし

いちもつも なきをたまわる心こそ
       本来空の 妙味なりけり

確か、一休庵を訪れた客人と一休との間で取り交わされた歌一対だ。
公も個も耐乏を余儀なくされているこんにち、何も無いことこそが人間の本来のありようだと説くこの一対がぼくには輝いてみえる。
何かしらほっとする。元気がでてくる。


02/08/28 (水) 無題

ウーン、落ち込みが激しい。
こんなことではいかんと思うのだが。


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○ 来年のNHK大河ドラマが「武蔵」で、そのロケが来月越前一乗滝で行なわれるとラジオが流していた。武蔵のライバル小次郎がこの滝で「燕返し」を編み出したというのは有名な話だが、郷土史家の小次郎越前生まれという話を聞いて、ぼくはびっくりした。
しかしなあ。
燕は確かに速く飛ぶけれども、図体がでかい。
飛んでいるハエを割り箸で捕まえた武蔵のほうが、指先の運動神経において優れていたのではないか。
「巌流島の決闘」での武蔵勝利はいわば歴史の必然だったといえよう。
てなこと書いていて思い出したのが、だいぶ前に読んだフラナガン著「ちはやぶる奥の細道」です。
稀に見る武道家・宮本武蔵は武道の真髄「五輪書」を著した。それをフランスのクーベルタン男爵が偶々読んで感動し、オリンピックの五輪憲章を草案した。勿論、五輪のマークも武蔵先生から無断で拝借した云々。
こういうばかばかしいことが延々と書かれていてようけ笑いました。
人生で一番大切なのは、ばかばかしいことをしたり、ばかばかしい本を読んだり話を聞いたりすることではないかと、ぼくは時々思います。

○ 区報等で既に御存知かと思いますが、市町村合併住民説明会が開かれます。全て午後7時30分からです。

9月1日〈日) 中央公民館
9月2日(月) 伊井公民館
9月3日(火) 坪江コミュニテイセンター
9月4日(水) 剱岳公民館
9月6日(金) 細呂木公民館
9月7日(土) 蓮如の里会館


02/08/27 (火) 夫たるもの

保険金目当てに夫の心臓に縫い針をさした殺人未遂事件の報道記事を読んだ。
そのおぞましさを妻に話したら「そういう夫になったらあかんよ」と言われた。
「一緒に生き続けてほしいと妻に思われる存在感ある男であってこそ夫たる資格がある」と妻は言うのだ。
「そのためにはもう少しひとに気配りができるようになってほしい。もう少し清潔になってほしい」との補足説明が続いた。

ぼくは、知らないうちいろんなひと達に迷惑をかける人生を送ってきたのだろうと思った。

02/08/26 (月) 100円ショップ

買物に全く興味が無いぼくだけれども、付き合いで初めて「コパ」に行った。
豊富な商品と沢山のひとの行き来をみていると、何故この国は不況なんだろうか、という不思議な気分になる。

帰途、100円ショップに寄った。
売れ筋からはずれた商品の在庫一掃戦略が背後にみえる。そうはいっても価格破壊やね。
ぼくもジャズCDを2枚買った。しめて210円也だった。
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○ロシアとの民間外交も終わりましたが、おもわしい成果もなく、わたくしはどうやら鬱期に入ったようでございます。


02/08/24 (土) 芦原 観月の夕べ

昨晩、プーチン大統領と金正日総書記がウラジオストックで極東アジア経済隆盛に向けてのトップ会談をしているそのさなか、福井県国際交流会館で牧田町議会議員はロシアウラジオストック18才娘クリスチーナと赤ワインを飲み交わしていた。これも外交なのだ。

あけて本日。ぼくら夫婦はクリスチーナを養浩館⇒丸岡城⇒金津創作の森⇒大森さんとこへと案内した。
どこか行きたいとこあるか?と問うたら「泳ぎたい」との答え。
早速浜地ビーチに連れていった。
目元パッチリ美形身長173cmのナイスビキニボデイ。
聞けばキックボクシングをしているという。
彼氏は極真空手チャンピオンだと誇らしげにいう。
ぼくはただウーンだった。


夜は、妻所用につき不在。
ぼくはロシア娘を、芦原町北潟湖畔「観月の夕べ」に連れて行った。
湖のなかに設けられたステージ、一対のかがり火、薪能、無数のろうそく灯火のひろがり、そしてひとひとひとに感動した。
VIP乗せた屋形船がどこからともなくあらわれステージに接岸。
県知事・県会議長の次に挨拶した芦原町長の「来年のきょうは金津町長及び近隣町長お招きしての合併前夜祭になるでしょう」にぼくは合併近しを感じたね。

最後は湖面からの打ち上げ花火。
ファンタステイックな世界なのだ。
傍らの美穂(仮名・27才)、ぼくの横顔を見つつの「もう夏も終わりなのね」という哀愁を帯びた言葉に、ぼくは「うん」とうなづいた。


02/08/23 (金) 日記風の昨日

朝、そよ風に誘われノートパソコンを裏庭の野外テーブルの上に置いた。気持ちはいいのだが、CAD画面が陽光の反射でわかりにくい。仕方なく片付けていたところへ、創作の森のひとがビアマグランカイ4のポスターを持ってきた。「議員日記読んでますよ」と言われ、ぼくは嬉しくなってしまった。

昼食後、高見順の「敗戦日記」に読みふける。
本買わず・図書館行かずのぼくが手にとるのは、部屋の片隅におかれた古い文庫本ばかりだ。
こういうのを「在庫一掃読書」というのだろう。

午後、所用で役場議会事務局へ。
プレゼントしていただいたデジカメで窓外を撮った。
「写真を撮ろうかなあ」と呟いたら、何を勘違いしたか、小林さんが構えたのがおかしかった。

夜、建設関係のひと3氏来訪。今後の展望を語り合った。土木建築はこの御時世でもっとも厳しい状況に置かれている。
置かれていても食っていかねばならぬ。

客人と別れたたあと、遅れて手話サークルへ。
西田さん広島実家から持参の土産・紅葉饅頭がうまかった。
合併のことを聞かれたので、靴下脱いでどこどこどこっとしゃべった。

帰宅し、「きょうは電話がなかったなあ」と思いながら珈琲をすすっていたら「電話がつながらんぞ」という携帯コール。電話機が故障していたのだ。早速プロのまーるくんに電話したのだが、犬連れて散歩中と奥さんがいう。原因わからないままに回線を繋ぎ変えたりしていたら、回復した。
夜まで気がつかなかったのだから、情報のやりとりは、メールや携帯にとって変わられつつあるのかもしれない。

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○昼飯食っていて思い出した。
ホームステイにくるロシア人の歓迎レセプションが今晩あるのだった。
女性・18才ということしかわからない。名前もわからない。
アンナ・カレニーナをニックネームにしようかと思ったが美しすぎるので、バンチャモ・デバーナにしようとわしは思う。

02/08/22 (木) 日記風の一日

昨日朝、ぼさぼさ頭をなんとかせねばと散髪にいく。
短髪にしたら気分もすっきりした。

事務所に戻ると同業の友来訪。個人でやるのは大変苦しい時代になってきた、ということで提携にむけての模索が始まった。

午後1時、全協。会議室に入るとFBC・TVカメラが入っていたのでびっくりした。「町長挨拶部分だけの撮影を許可した」との議長説明。カメラ退出のあと質疑応答。

午後2時半、有志議員が福祉保健課課長を講師に招いての勉強会。内容は「福祉保健制度マニュアル」と「伊井保育園の民営化」について。後日、報告に書き込みます。

6時、親睦飲み会。部屋のなかの喧喧諤諤の熱気に比べて、外の風が気持ちいい。秋近しなのだ。

9時半帰宅。10時友人来訪。
新聞発表された合併の経過を聞かれたので、全協の内容も含めてのいろいろをしゃべり合った。

12時就寝。ひさしぶりの熟睡だった。
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○山下様、デジカメの扱いがだいぶ慣れてきました

2002/08/21 (水) 月夜

昨晩は、妻が出張中なのではやめに帰宅した。
ノートパソコンの手を休めて縁側に寝転んだ。
月夜だというのに雨が落ちてくる。雲が棚引いている。空気が肌にひんやりとする。
もう秋なんだなあ。
女性からの電話を受けたあとだったので、秋は愛の季節だと思った。

幼少の頃。
冬は、雪合戦、竹スキー、竹ぞりに興じたり、囲炉裏端でじいさんのわらじづくりを手伝ったりしていた。
春は、蓮華畑でお弁当を食べたり、四葉のクローバーを集めたりするのが趣味だった。
夏はべとぞうけもって竹田川に入りフナやメダカをようけ獲ったもんだ。
30過ぎた頃から秋が一番好きになった。
減反政策で米をつくらなくなった我が家だが、つい数年前までは、収穫の秋・実りの秋を体で経験していた。
工業も商業も大事だが、第一次産業こそが国の背骨だとどうしても思ってしまう。
中国だ。中国が脅威である。先日、中国滞在経験者から有り余るひとの多さを聞いた。ガット加盟で世界の工場を目指す中国の戦略で日本は空洞化を余儀なくされるのだろうか。
ウーン、今度ホームステイにやってくるロシア人から「ロシアが見た中国」を講義してもらおうと、ぼくは思うのである。
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○ 月月に 月みる月は多けれど
          月みる月は この月の月
                    
                   読み人忘れ(誰やったけね)

2002/08/20 (火) たびたび合併のこと

坂井郡六町の町長サミットが金津創作の森で開かれ、芦原金津両町の先行合併を県知事に上申したというニュースを、昨夕のラジオが流していた。
ぼくは六町が無理でも、三国芦原金津三町合併が最低ラインとして望ましいと思っていたので、釈然としない思いが残る。
数日前、金津芦原三国JCが三町合併への陳情書を提出したというニュースもラジオが流していた。

三国町町議会の過半が三町合併に反対したという議会筋の情報が確かなのならば、合併は結婚と同じだから仕方ないのかとも思うし、平成16年3月が連たんクリア市昇格のタイムリミットであり、数千項目のチェックに時間的ゆとりがないというのも確かなのだろう。
けれども絶対的障壁ではないとぼくは思う。
行政側の人間でないぼくは、合併の為の事務処理の煩雑さをうまくイメージできない。しかし、人手が足りないのならばパート雇う手もあるだろうし、都市計画コンサルタントにある程度委託するという手もあるのではないか。
微妙な部分残しつつの決定で本当にいいのか。
将来に禍根を残さないか。

先日の夜、ぼくは三国のひとと、合併に関する話をしていた。三国町の首長は合併に反対しているわけではないと言う。議会で合併派が多くなってきたとも聞いている。
仮に一緒にやろうという基本的な姿勢が同じであるならば、細目の調整くらいどうってことないはずだ。
「門戸を開いての合併」だ。その門戸の開きの部分をぼくは信じたいのである。

2002/08/19 (月) お盆も終わった

捕虜人体実験の極秘文書展示。福井・悪魔の飽食展 
捕虜 一九三六年に中国東北部に創設された旧関東軍防疫給水部(通称七三一部隊)の捕虜人体実験に関する極秘文書を展示した「悪魔の飽食」展が十八日、福井市の県民会館で始まった。秘められてきた過去の事実に、訪れた人々は真剣な表情で見入っていた。十九日まで。後略         (福井新聞HP)

随分昔この本を読んだのは冬の夜だった。
極寒の地で生きたまま野ざらしにされた捕虜はマルタと呼ばれた。毒ガス実験室に親子で入れられたロシア人の母親が、苦しまないようにと我が子の首を絞めるシーンが脳裏に焼きついている。
なんらかの大義名分を持つ戦闘行為とは全く別のこの種の行為は、ぼくら人間がどこまでも愚かになり得ることの証明だろう。
「悪魔の飽食」を読んだその夜は、いいようのないやりきれなさだけが残った。


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○きょうは三国町新保で現場測量をしていました。
感じのよい路地がありました。



○武生のひととの長電話。
「金津町の将来はこうあるべきや云々」を懸命にしゃべっていたら「牧田さんは最近本読んでるの?」と唐突に問われた。
「全然読んでない。」と答えたら、「あかんあかん本を読みなさい。隠遁本を読んだらいい。西行が一番や。貴方に似合ってるよ。」と言われた。

年たけて 又越ゆべしと 思いきや 
  命なりけり 小夜の中山    

が、西行では昔から一番好きだった。
百人一首掲載「・・かこち顔なる我が涙かな」の甘っちょろさが微塵もない。
隠遁は生きる上での美学なんだろう。
そうはいっても俗世捨てることもままならぬ。
みんな振り子のようにあっち思いこっち思いしながら暮しているのではないかなあ。

2002/08/18 (日) 防災訓練

午前8時、金津町東部運動場で町防災訓練が実施された。
平成10年から始まった防災訓練はブロック持ちまわりで今回が5回目だという。
訓練終了しての閉会式。
松木町長が挨拶のなかで、地震に備えての防災訓練の重要性を訴えているさなか、大地が揺れた。
こんなことははじめてだ。
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○電話で、メールで、酒の席で、市町村合併が芦原金津に決まりつつあることの経過をよく聞かれる。
行政も議会も、単町の枠を超えて他町との協議を進め情報を公開し、民意を問うていかねばならない。
微力ながら、僕も努力するつもりです。

2002/08/17 (土) 連夜の飲み会

朝帰りである。
昨晩、8年ぶりの金中同窓会が芦原温泉で開かれた。
北は青森から、南は沖縄まで、参加者は80人弱。
初めに10数人の物故者に対する黙祷があった。
どの会であれ、この年になって参加する会は一期一会だ。
30数年ぶりの再会者も多かった

飲んだ。しゃべった。笑った。
「昔と全然かわらんな」と言われるたび、喜ぶべきか悲しむべきか思案した。
とりとめもない話で夜がふけていった。   
うん 楽しかった。
実行委員長のスリランカ住田くん、司会のくみちゃん、ぼくの紹介をしてくれたマーラゲーニャーくん、会計のまーるくん。受け付けをされた皆さん。その他もろもろさん。本当に御苦労さんでした。
ぼくは駄目な人間で、なんにも手伝えませんでした。
ごめんなさい。

2002/08/16 (金) お盆

お盆である。
家の墓だけが墓参りではなかろうと、友達の墓に参ってきた。
15年前に自殺したひとだ。
死の前前日彼女から電話が入り、二時間にわたってこの世に対する呪詛をきかされた。生前最後の電話相手がぼくだと後日わかったことも含めてやりきれなさが残る。

世の中って矛盾だらけだし、しんどさに耐え切れないこともママあるけれども、でもやっぱり苦楽ないまぜが人生だと思う。
一杯のおろし蕎麦で世の中楽しくなることが本当にあるもん。
苦は持続的、楽は断続的とおもいつつ、ぼくはもうしばらくこの世を生きていたい。


2002/08/15 (木) 終戦記念日
8月15日である。
ぼくら団塊の世代の多くは太平洋戦争終結による復員兵の子として芋の子のようにこの世に放りだされた。
野坂昭如・開高健といった焼跡闇市派のように戦後の混乱を幼少期の原風景として記憶にとどめているわけでもなく、大人たちの話を通して混乱を感じてきた世代である。
一昔前までは、戦場の悲惨を記録した書籍が本屋にあふれ、何冊かを読んだぼくも、国家とは戦争とはというテーマで友人たちと語り合った記憶がある。
フィリピンに出征した親父は戦場体験を殆ど語ったことがない。
もともと無口なせいもあるだろうが、言葉にだしたら平板化されてしまうほどの極限を味わった証なんだろうとぼくは思う。
しかし、そこにもいわゆる人生があったはずだ。

私的なことなのでオブラートにかけるが
先日帰郷した妹の「お兄さん、私らにスペイン人の兄姉いるかもしれんって話覚えてるか?」で、はるか昔、今は故人となってしまった隣のおばちゃんがぼくにそっと話したことを思い出した。
親父がフィリピンで捕虜をしていた頃、スペイン人の若い娘と恋仲になり、恋敵の米兵と決闘したという。
ことの顛末は知らない。真偽もわからない。

もしもそうであったとしたら、とぼくは遠い国スペインに思いを馳せる。
鬼才ガウデイの建築作品をみたいと思っていた。
闘牛場へは絶対に行かない。
兄姉が姉であるならば、黒い瞳をもっているのだろうか。フラメンコの名手なのだろうか。
姉をたずねて三千里。
姉がぼくら弟妹にフラメンコ踊り「セビリアの理髪師」を披露する。
ぼくは永遠の名演歌「港町ブルース」を姉に披露するのだ。
死ぬまでに一度行ってみたい国我がこころのスペイン。

2002/08/14 (水) 無題
六時半に喉の渇きで目が覚めた。
そーか、昨晩はひさしぶりの飲み会だったのだ。
節酒を励行しているせいか寝覚めが気持ちいい。

カーテンをあけて外をみた。
日差しに盛夏の強烈は既にない。
秋が近づいているのだ。

桜の木の枝に一匹の蜻蛉がとまっている。
不況で悩むことのない蜻蛉は泰然自若としてとまっている。
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○今年夏の甲子園高校野球をはじめてTV観戦した。
勿論、福井vs旭川工だ。
福井のエース藤井のスライダーはよう曲がっていたなあ。
しかしスライダーより、にこっとしない顔つきに感心した。
不屈沈着闘魂不遜つまり男の表情をズームアップ画面で感じたね。


02/08/13 (火) 海牛
ここ2・3日、三国の某寺院の縁の下にもぐりこんでいる。
暗闇を投光機で照らしながら、這いずり回っている。
基礎床梁構造の補強改修の検討を住職から依頼された為だ。
縁下が寺院にしては窮屈なので、かがみこむことすらできない。
涼しいだろうと思っていたが、どっこい、暑くておまけに全くの無風だ。ひと仕事終えて外にでたら、午後2時だ。灼熱の太陽の下とはいえ、このほうがよっぽど気持ちいい。
きょうは、三国運動公園温水プールへ直行しようかと思ったがやめた。
砂だらけくもの巣だらけのからだでプールに行って「気持ちの悪いひとね」と若いおなごに思われるのが嫌だったからである。
そこで雄島に行った。
海パンいっちょうで体を洗っていたら、海中を海牛がねとーっと動いている。紫色の血を流す、でっかいなめくじのような海中動物だ。

20代の始め、琉球列島沖永良部島でこれを食べたことがある。フライパンで揚げたのだが、焼肉屋でいうセンマイのような味でなかなかいけた。
ついでにいうと熱帯魚はだめだ。バスタオルですくい獲ったエンゼルフィッシュをよく食べたが骨と皮と棘だけだった。

美しいものには刺がある。
ぼくのからだにも刺がある。

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●三国海浜公園の岩場で、ねじりハチマキくわえタバコでじっと海を
みつめている牧田を知人が見たと、「悪魔のマーブ」くんが某掲示板に
書き込んでいた。
誰がどこで見ているかわからない。
立居振舞には気をつけようと思った。

02/08/11 (日) ひさしぶりの生ビール

案内がきていたので、昨晩は金津夏祭り会場・新富河川敷公園に行った。

二日前の新聞に「金津芦原先行合併」の記事がでたので、何人かのひとからそのことについての意見をジョッキ片手に拝聴した。意見はひとの数だけあるのだから当然多岐にわたる。
「なんで六町合併にしなかったんや」という詰問調が多かった。

坂井郡六町はそれぞれに特有の顔を持つ。一体化すればパワフルになっただろう。けれども、合併というのは結婚と同じで相手が嫌がったらできない。現在までの経過が、それぞれの町民の総意による動きであるならば甘受しなければならないだろう。
しかしそうとは思えない節がある。
行政理事者側相互の思惑が水面下で動いたということを仄聞した。
民間企業ならば、会社は社長のものだろう。
けれども自治体の長は雇われ社長に過ぎないのだ。
「合併したら、それまでの町長は市長選に立候補しないという条例をつくるべきや」と言ったひとがいるが、卓見だと思う。少なくともそういう気持ち=無私の精神でのぞまないと、ことの方向は捻れてしまう可能性がある。

とまれ金津芦原合併が(門戸をひろげつつ)動きだした。
グローバリゼーションが世の流れであるとしても、図体のおおきさだけが能ではないという意見もある。全国俯瞰すれば、小さくても輝いている町がいっぱいある。

街づくり構想が大事だ。歴史風土の保存と未来社会への対応という両輪の模索だ。なによりも大切なのは人材発掘だ。人材ネットワークの形成だ。米100俵だ。
行政に対する諮問機関をアテ職+若干名公募での通過儀礼だけで終わらせてはならない。旧弊をうち破らなければならない。

力道山光浩を祖とする日本プロレスは全日馬場派と新日猪木派にわかれたあと組織の離合集散を繰り返し、今はK1に小川直也が登場する時代だ。今度は吉田秀彦がグレーシー柔術と対決するという。こういうわけのわからない混沌・暗中模索の先に時代の光明がみえてくるのである。

02/08/10 (土) 合併
今朝の福井新聞に「芦原、金津 先行合併へ」の記事が大きくでている。
昨日は午前中に合併特別委員会、午後に全協が開かれた。
その折、新聞記者の姿がみえたので?と思ったがやっぱり記事として出た。
経過は概ね記事の通りだ。
周知のように、六町合併の案は、任意の合併協議会への三国町の参加拒否によって壊れ、続いて春江町の不参加表明によって残り5町での合併という可能性も消えた。
坂井郡北部3町での合併という案も、新聞報道どおり三国町の動きによって事実上不可能となった。
先日発足した金津町合併特別委は、再度六町合併の可能性を模索するため議長・委員長を中心に他五町に出向き議会中枢との協議をした。
その結果、ほぼ確かな合意が芦原との間で確認され今朝のみだし記事となったのである。なお記事の「郡内の他町への門戸を閉ざさない前提で」というのは、三国・春江・坂井町に、ある程度流動的な動きのあることを示していると思われる。

2004年3月が連たん率をクリアできる市昇格へのタイムリミットであることを考えると、六町合併が廃案となった大きな理由のひとつとして、金津町も含めての六町行政側の住民への説明ビジョンの提示が遅れたことが挙げられる。
ここには町長どおしでのいろんな思惑が働いていたともいえるだろう。

とまれ金津芦原の枠組みが9月の定例議会にむけてスタートする。
金津町民のなかには「貧乏町どおしがなんで結婚せにゃあかんのや」という意見も多いだろう。しかし、国は交付税22兆から18兆への減額という措置をとる。合併による特例債を有効に利用しつつ町財政の健全化、自立への模索、街づくりへのビジョン構想を推し進めていかなければならないだろう。

対等合併である。
芦原町がとか金津町がとかいった主導権争い・ドブ板的地域エゴは一切無し。いわばゼロからの出発だ。
貧乏人は金をだすことはできないかもしれないが汗を流すことができる。
困難には慣れているのだからねばり腰を発揮することができる。

02/08/09 (金) 蚊帳(かや)

「悪魔のマーブ」くんは牧田の持病のうつが又始まったと、某掲示板に書いていたが、だいじょうぶマイフレンド。普通に戻りつつあります。

ということで所用で三国まで二度車を走らせたのだが冷房のない車は暑く、途中森の木陰で一休み。
傍らに昔の週刊誌が落ちていた。めくるとグラビア写真は日活映画永遠の青春スター石原裕次郎だ。
日活といえば、ロマンポルノシリーズの列島席巻が30年も前か。シリーズ映画一本のあるシーンを思い出した。

蚊帳ですね。
若妻独り寝の家にギラ目男が縁側から忍び込む。
蚊帳のへりあげ息ひそめつつ匍匐前進するギラ目に映る若妻の、浴衣はだけあらわとなった太ももの白さと蚊帳の濃緑のコントラストがいい。
からだ熱くなるほどになまめかしく、蚊帳をしかけに選んだ監督の才能は出色だと思った。

子供の頃、8月の夜というと就寝前の蚊帳吊りが日課だった。
鴨居にうちつけられた金物に紐をひっかける作業に、妹とふたりおおわらわだった。
失われた夏の風物詩はたくさんあるけ
れど、ぼくは蚊帳をいの一番に挙げたい。
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●きょう午前中は合併特別委員会。
昼食休憩になったので事務所に戻ってきました。
午後は全協の予定です。

02/08/08 (木) 本

きのうの昼、町立図書館に行った。夏休みなので子どもが多く活気にあふれていた。
記憶でいうのだけれど、議員になって初めての一般質問が「図書館が何故2階フロアーにあるのか、1階におろせないのか。どこの図書館でもそれが普通だ。」というものだった。
財源の問題もあるし、又合併とのからみもあるだろうから、早々にというわけにはいかないだろうが、是非実現すべきだ。

それにしても本を読まなくなったなあ。1年ぶりの図書館だもん。
あわただしい日々やから仕方ないけど、偶には文庫本尻ポケットにいれての旅をしてみたい。琵琶湖のほとりを歩いてみたい。

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●夜空の星を見上げていると涼しくなる。
しかし、ここ数日の晩は暑かった。
寝室にクーラーがないので寝苦しいし寝覚めやすい。
首筋が汗でにじんでくる。
よって上半身裸下半身短パン右手手拭い回転悶え寝がぼくの就寝作法となっているのだが、マア人生そのものやね。

02/08/07 (水) 昨日は8月6日だった

所用をこなすために、町役場の幾つかの課で昨日の午前中を過ごし、午後は一心不乱の製図稼業だった。

夜、国際交流会館で開かれたロシア人・民泊説明会から帰ってTVのスイッチを入れたら、NHKスペシャルは「目撃者が絵で綴る被爆の惨状」を流していた。
そのうちの一人・加藤さんの1枚は、校舎の下敷きになった少女が腕を梁にはさまれている絵だった。

迫ってくる炎を鎮めるために防火用水を必死でかけても炎の勢いをとめることができず、最後に少女の名を聞いてその場をたち去った加藤さんは、そうせざるを得なかった自分に対する悔恨の日々から、57年後にその絵を書くことによってやっと解放されたという想いを切々と語っていた。
割と身近なひとから、福井地震の際の似たような体験を昔聞いたことがある。そのひとは「腕を切ってくれ」と懇願されたけれども結局は切れなかったという。

TV映像でこのような悲惨をみる殆ど全てのひとは少なくともその瞬間には絶対平和主義者になっているはずだ。

問題は平和が平和主義者によって守られるのではなく、平和を守ろうとする力の行使によってであったことを、少なくとも歴史が証明しているということだ。

02/08/06 (火) 涼しい朝やね

先日ある女性と話をしていたら、放浪のひとになりたいと言う。
なると決めているひとはなりたいと言う前にとっくになっているだろうから、このての話は眉唾だとぼくは思うことにしている。

が、
「第一、税金払わなくていいでしょう?」と言うので、果たしてそうだろうかと思った。
税務課円道課長に聞いてみなければならないが、払わなくて構わないのではなくて、請求先がわからないということじゃないだろうか。
「保険ないと、行き倒れになっても病院行けんぞ」と言ったら「だって倒れていたら必ず救急車が来て私を運んでくれます。それが憲法にうたわれている日本国民としての最低限の生活の保障というものでしょう?」と言われて、なんかよくわからないままに帰宅した。

煙草を吸いながら目をやった本棚に、林芙美子「放浪記」(新潮文庫)を見つけたので昨晩から寝床で読み始めた。
老眼進行し、文庫本の小さい活字が苦手になって久しいのだが、昭和初期とは思えない、リズムのある文体なので引き込まれる。

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●デジカメを壊してしまったぼくは、てなぐさみに自分の顔をスキャンデイスクにとってみた。
凶悪犯みたいにみえるけど凶悪犯罪の経験はありません。
鼻がつぶれてみえるけれど、鼻をデイスクのガラスにくっつけた為です。
ぼくの素顔は左上の手書き画像をクリックしてみてください

02/08/05 (月)  ラフテイングとカヌー

昨日はグリーンウエルが主催したゴムボートラフテイングの手伝いに行った。
10捜のゴムボートに子どもたち及び保護者40数人がのりこみ、新富河川敷公園から芦原地籍までくだるというもの。
途中、「川岸のあの木の名前なんでしょう?」クイズコーナーなどもあったという。
ラフテイング終えたあと河川敷公園でのバーベキューは、こどもたちや若いお母さんがたの行き来あるいは新聞記者・役場職員の取材などが雰囲気を華やいだものにしていた。
こどもたちよ、立派な大人に育ってくれ明るい未来をつくってくれよ的正しい姿をぼくはそこにみた。

ひるがえって一週間前の日曜日。
39会会員による竹田川カヌーくだりは、およそこれの対極だった。
桑原の堰から出発したカヌー連隊を見送るもの皆無。
くたびれた中年男たちが、妻ともうまくいかず(いくものもいる)楽しくなかった人生のせめてもの思い出にと計画されたこの探検は今年が3回目だった。

ゴムボートラフテイングは、川くだりのさなか「あの木の名前はなんでしょうね」の会話で親子のあるべき姿を展開していた。
一週間前のカヌー連隊は、2捜が転覆し、眼鏡・時計を水中に沈め、デジカメを壊し、ある男は上流から流れてきたエッチビデオやエッチDVDを回収していたのだから、椎名誠流にいえば「怪しい探検連隊」であるとぼくは思ったね。

建築家としてのぼくは来年までには屋形船を設計したい、
三味線の音色で三国湊までくだりたいと思う。
施工監督・施工業者及びその妻・電気業者・軍医・軍歯科医・裁判関係者・福祉関係者とスタッフは充実しているのだから。


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●昨夜遅くまでかかった坂ノ下区の役員会を終えてからの某夫婦宅。
共に60才前後の御夫婦が、ものごころついた頃に味わった空襲体験・震災体験を語るのに対してぼくは双方の体験なく語りを聞くだけだった。
ほんの7才のちがいであるというのに。


02/08/04 (日) 昨日の土曜日

けだるい土曜の昼下がり、ここちよい昼寝の最中にソーパー羽根来訪。「三国までサザエをもらいに行くんや」というので同乗した。車が芦原地籍から三国地籍に入るとき、別の国に来たような気分になった。ウーン、不思議なもんだ。

夕刻、ひさしぶりに達川氏の会社に寄り、スポ少金津剣道教室の様子を問わず語りできいた。
スリランカ住田にしても達川氏にしても、少年たちにスポーツを教えつづけている早老の男というのは背筋がピンとはって、爽快な感じをひとに与えます。

春江・坂井町経由で向ケ丘へ。
「納涼祭や、おいでや」という区長のお誘いをうけてのもの。
ずっと、隣区若葉台の区長と話をしていた。
若葉台の戸数もいつの間にか150を超えたという。ぼくの住んでいる坂ノ下が典型的なムラ社会であるのに対して、向ケ丘・若葉台といった新興住宅団地は将来への枠組みをみんなで一緒に考えていこうという気概にあふれているように感じた。

帰途、G丸岡の庭に寄った。田圃の蛙の鳴き声ききながら、39会大幹部連中6人が、牛肉とサザエを焼いている。かたいものを食べることのできないぼくはじっとみているだけだった。
話が住基ネットセキュリテイのことになったので、会話に加わろうとぼくは焼酎を一杯あおった。そこでぼくの記憶は途絶えた。

禁酒もよしあしだ。急に飲むのは体によくない。
節酒に変更し、日頃少しだけはお酒に親しんでおこうとぼくは思った。

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●8月4日付けの山下氏の日記がとってもいいなあと思いました
        やまさんの議員日記

02/08/03 (土) もう土曜日か

昨日は、ばたばたした一日だった。
午前中いっぱいは図面突合せの電話で追われ、結局は
昼飯とれずに町役場委員会室に直行した。

午後1時半から始まった市町村合併特別委員会。
委員会所属議員9名・町長・助役・収入役・教育長・総務課長及び担当課職員の面々で始まった喧々諤々は延々と続き、終わってみれば時刻は既に4時を過ぎていた(詳細は議会報告に載せます)。
議会事務局に残った有志議員で今後の対応を検討し、5時
に帰宅。

「県庁から電話あったざ。ロシア人ホームステイの歓迎レセプションについての問い合わせやって言うてたざ。おまえの携帯に何度電話してもつながらんのやと」とお袋が言う。
「当たり前や。議会のときゃ携帯切ってる。第一、ロシアより金津が大事や。そんなごちゃごちゃ言うんなら、もっかい日露やぞ。
白人列強植民地帝国主義に、世界史上はじめて敢然とたちむかったのは日本やぞ」といいかけたが「ほうかほうか」でやめた。

6時、坂森のおばちゃんのお通夜に出席。
ご子息の「母は、来年の町会議員選挙、牧田さんの応援で頑張らにゃと言っていました」でいろんな思いが胸をよぎった。

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●こんなのもあります  合併相談コーナー

●福井弁エトセチラ
問い合わせやって言うてたざ=問い合わせだと言っていたよ
電話してもつながらんのやと=電話してもつながらんのやそう


02/08/02 (金) 日記風の昨日

午後
東京の息子より電話あり。
会話のさなか、息子の態度にいい加減さを感じ、思わずどなってしまった。
息子は父親に似てしまうものなのか。
しかし、どなった自分を後悔し、横浜にいる妻に電話をかけ、フォローを頼んだ。
30分後、「電話して話きいたよ。誤解もあったみたいや。あのこにはいいとこも沢山あるよ」との妻の電話にぼくのこころは落ち着いた。げに息子は父親に似るものなのだ。

夕刻
坂森のおばちゃんが亡くなったことをお袋から聞く。
三軒隣の、お袋とは大の仲良しのひとだった。
                    合掌

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●「金津町の主婦」さんへ
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02/08/01 (木) 真夏の未明

柱時計が午前4時をうった。
窓をあければ闇の世界がひろがっている。。
真夏とはいえこの時刻の風は肌にここちよい。
豆砕きあつあつモカ珈琲を胃に流しこんだ。
さあでかけよう。
嶺北消防署・消防総合訓練視察が坂井町であるので、きょうは午前4時半に金津町役場集合なのだ。

嶺北消防署は一部事務組合として昭和44年に設立された。
金津・春江・坂井の三町で構成されている。単町ならばそれぞれ揃えなければならない諸々も共用することによって経費節減が図れているはずだ。
火事は境界を考えずに発生するのだから、広域でカバーするほうが合理的な対応ができると思う。

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●訓練終了後の閉会式で、中島県会議員の「消防署は自衛隊・警察と並んで国民の生命財産を守る三本柱のひとつです」という来賓挨拶をききながら、十数年前に発生した隣家火災を思い出した。
3人のがきんちょ青少年となった今も、あの時のパニック気分は生々しい。