2002年11月

02/11/30 (土) 明日から師走

来客の相次いだ昨日は疲れてしまって、午後8時に布団に入った。
起きたら午前2時だ。
ラジオは開高健著「ロビンソンの末裔」の一部を朗読している。
とりあえず豆砕きあつあつ珈琲を飲んでいるのだが、さてどうしたものか。
仕事態勢にはいるか、引き続き寝ようか、ここが思案のしどころだ。
午前2時というのは、実に中途半端な時刻なのだけれども、なんつーか、殆どのひとが寝ている時間帯に起きていることで、得した気分になるのは確かだ。

○議会事務局から郵送されてきた12月の予定表を眺めていたら、12月27日(金)=仕事納めと書いてある。
仕事らしい仕事もできないうちにそういう時期が近づいている。
しゃばはなんでこんな風になってしまったんだろう。嫌だねえ。
「ひとの一生は 重い荷物を背負うて 歩むが如し」の家康家訓を座右において耐えていこう。それしかないやね。

02/11/29 (金) 初冬の朝

午前7時半。2階からみる東の空は曇り空。
そのあわいに朝陽がきらめいている。
じっとみていると、いまにもお釈迦さんが現れてくるようだ。
いわゆる来迎の図です。
道路に目を転じれば、集団登校なのだろう、黄色い帽子の幼稚園児たちがセーターに身を包んでせわしなく歩いている。
通勤途上なのだろう、モスグリーンのコートに身を包んだひとりの人妻が伏目がちに歩いている。
真向かいの家、庭先の木々はすっかり葉を落とし小枝があらわになっている。
うーん、初冬の朝はぼくをセンチメンタルな気分にさせます。
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02/11/28 (木) お経考

髪がボサボサになってしまったので、昨日の昼、床屋に行った。
いわゆる床屋談議だ。「今度の合併問題で坂井郡内の県議さんたち、黙して語らずやね。選挙が近いから黙ってるほうが得なんや、というのがチマタの噂やざ。」と店主が言う。
帰ってから考えたのだけれど、選挙が近いのなら自分の思いを存分にしゃべったほうが顔が見えてくるぶんだけ有権者への訴えになるはずだ。合併は市町村の問題だから、その自主性を重んじるべく、口をつぐんでいるということだろう。あるいは、議会人のしゃべる場は議会にのみあるということかもしれない。
そう思いながらの晩酌時、福井新聞こだま欄に寄せている武生市の奈良県議の文を読んだ。丹南地区合併住民発議の経過報告だ。丹南地域の子細については不案内なので、ことの是非はよくわからない。しかしともかく発言している。
高齢化社会といったところでせいぜいが7,80年の人生だ。すぐだ。
立場立場で自由に発言していけばいいのかなとぼくは思った。

○ろうあの友人のお母さんが亡くなり、昨晩はお通夜だった。
友人は加賀市の手話サークルに所属しているので、通訳が加賀市から派遣されて来ていた。
読経が始まると通訳の手はぱたりととまった。横に座っていたぼくの「お経の通訳はせんのけの」という耳うち質問に対する答えは「だって、意味がわかりませんもの」だった。
通夜客が座っている時間帯の殆どは読経でしめられる。お経を漢語読みから和語読みに変えたらいいのではないかと思った。

注・せんのけの=しないのですか?(金津弁)

02/11/27 (水) 女性考

昨日の昼は、改修工事予定の敷地を計測。
帰路、町役場に行き所用をこなし、ついでに総務課に寄った。
新聞記事にでた「合併についての県の調整云々」を聴いたのだが、今の時点では連絡なしということだった。
総務課にはちょうど「創作の森」女子職員が来ていたので、ちょっとだけ話をした。「年は幾つですか?」のぼくの問いに対する彼女の答えは「22歳です」だった。
本庁と違って、「創作の森」には若い女子職員が多いみたいだ。
勿論他意はない。
帰宅しCAD画面に向かっていたら同業者来訪。お互い世の不景気を嘆いた。
夜は、雨足が激しくなるなか、男女6人が当事務所に集まっての「まきぽん会」が開かれた。
もう何年も続いている会だ。幅2.6mのテーブルに男女3人づつが集団見合いのように相向かいに座り、ワイン日本酒ビール酌み交わしつつの座談で、座談の主は例によって田津川氏(仮名=推定年齢50歳)だった。

ぼくは寡黙に3人の相向かい女性達を観察していた。
彼女達と初めて出会った頃は、若くて溌剌としていた。
歳月はそれをなくした。しかし一層に美しい。
ぼくは、就寝時、布団のなかでその意味を一生懸命考えた。
「誠実・懸命が美しい顔をつくる」・・これが結論だった。


02/11/26(火) そば

昨晩は、午後9時に帰宅。
そば会のちらしが玄関に入っていた。
そういえば、今年はそばの収穫がわるいそうだ。収穫前の雨風で実がとれてしまったという。なんとも残念な話である。
蕎麦河戸神社の神様も嘆いておられることだろう。

農業をしている友人の口癖は「わしらは、おてんとさま以外誰にも頭さげる必要はないんや」だが、そのおてんとさまがきまぐれなのであれば大変に困る。
農産物というのは、地場のものが一番いい。ハイカラなものなど食べなくていい。そして粗食というとやっぱりそばだろう。
11月30日は事務所でそば打ち会が予定されている。しかしそれにもめげず、ちらしの翌日そば会にも行こうとぼくは思っている。
正座して食べる越前おろしそばが一番うまいのだ。

○本日の福井新聞記事。
越前焼陶芸作家・福嶋伸彦さん(45)の作品展「ほたる窯展」が、12月1日まで、美山町大久保のギャラリー翔で開かれている。


もう20年以上前、福井市福祉会館での手話講習会やサークルでいろいろ教えてくれた聴力障害のひと。プロ野球選手の形態模写が抜群にうまかった。ずっと会ってはいないけど、記事から察するに元気そうだ。奥越美山まで四駆ロッキーを走らせてみようかなあ。
記事には「鉄釉を用いた重厚で個性的な作品云々」と書いてあったが、鉄釉の意味がよくわからない。大森氏あるいはP小泉氏に聴いてみようと思う。

02/11/25 (月) 午前3時起床

昨晩7時の事務所。
四十路会役員3人が集まり、八幡神社鳥居の注連縄つくりについての打ち合わせをしていたら、区民館から呼出しの電話が入った。理事会が開かれていることをすっかり忘れていたのだ。
以前はスケデュール手帳を持ち歩いたものだが、どんなに気をつけても紛失した。意味のないことだと思い、持ち歩かなくなったのは2年ほど前からだ。
しかし、記憶力がどんどん衰えているんやね。

○終日雨。
「♪雨に濡れながら たたずむ人がいる
・・」 と唄った歌手がさて誰だったか。
それも記憶袋から消えうせてしまった。

02/11/24 (日) 午前4時に目が覚めた
02/11/24 (日) 午前4時に目が覚めた
昨日会って話をしたうちのひとりは失職おとうさん。
働き盛りであるにもかかわらず職安を行き来するひとが
身近にいることが何の不思議でもない時代だ。
ひとは何の為に生きているかというと、やっぱり食う為に生きている。
食うことの保証されない社会が、新聞の三面記事をにぎわすのだ。
みんな疲弊しきっている。顔にだすかださないかだけだ。

合併で首長や議員の数を減らすことはできても、職員削減は当面無理なのだから、シンクタンク集団をつくるのだ。民間若手との交流を活発にし起業家を育成してもらいたい。和歌山県のリッチな梅づくり村に行ったとき痛感したが、全国を俯瞰すれば成功した自治体は沢山あるはずだ。


○午後は、三国町社会福祉会館にいた。
ボランテイアサークル「でこぼこ会」が主催する公開講座の手話通訳を頼まれたからだ。
若かった頃はしょっちゅうここに来ていた。
タイトルは「みくにの障害者問題を考える」で、講師は北岑武夫氏。
30年來ハンセン病患者の支援運動をしてきたひとだ。
1時間半の講演内容は専らハンセン病患者の受けた偏見と差別だった。
国が敗訴しその施策の誤りを認めたのは昨年5月だったが、患者が受け続けた人権侵害の実態は想像を絶するものだった。
北条タミオ(漢字忘れ)の「いのちの初夜」を思い浮かべながらの手話通訳だった。

ぼくの場合差別というと、先ずろうあ者差別を考える。
町役場がワンストップチャンネルを標榜しながら、窓口に手話通訳のできる職員のいないことが既におかしい(金津芦原三国共通みたいだがね)。意識するしないにかかわらずそのこと自体が差別であることを行政は認識すべきだ。

講演終了後、参加していた知合いの三国町議としばしの談笑。合併論議をしようかとも思ったが、1時間半ぶっ続けの通訳で、53歳
のおじさんは少々疲れた。
よって、ハイさよならをしてしまったのである。

02/11/23 (土) 又土曜日がきた

午前5時起床。そんなに寒くはない。
昨晩は、椎名誠の「でっかい旅」TVドキュメントをみていた。
大自然紀行なのだが、この手の画面をみるとぼくは釘付けになる。
アマゾン河口の川中島が九州とほぼ同じ大きさだという解説を聞いて
その桁外れの壮大さにウーンと唸っていたら、突然の来客。
スイッチを途中で切ったのが残念だった。

午前9時、かりんて祭の式に出席。
豚汁で体を温め、新そばに舌鼓をうったよ。
偶然、郡民会議のひとと出会い、いろいろ話をきくこともできたし、いろいろ話すこともできて大変よかった。これが、きょう一番の収穫かな?

まちネットの草刈にも参加しようと思っていたのだけれど、結局参加できなくてごめんなさい。
昼一番は、坂ノ下区八幡神社での新嘗祭。気持ちがりんとした。
今、事務所でひとりウイスキーを飲んでいる。


02/11/22 (金) あしたの分の日記

午後11時20分、事務所に帰宅。
今までぼくは三国のあるお寺に居た(このところぼくはお寺づいている)。
住職の帰りが遅れるというので、熱い茶をすすり菓子を食べながら、書院での奥さんとの世間話を楽しんでいた。
ちょうどいい機会だと思い「奥さん、合併のことどう思います
?」と聞いたら
「そんなことどうでもええことどす。殿方や仕事持ってはるおなごやったら、政治に関心あるでっしゃろ。けどわたしらみたいにいえんなかにいる大多数のもんは、日々平穏であればそれでいいんどす。」という答えが返ってきた。

故開高健のエッセイに「いい政治とは、政治を感じさせない政治である。」という言葉がある。ぼくは、これこそが民意なのではないかと思った。
今度の合併問題を考える原点は、ここにあるのではないかと思った。
ウーン、書けばながくなるなあ。
午後11時55分だ。ぼくは近所でシンデレラボーイとささやかれている。
午前0時になると自宅玄関がロックされてしまうのだ。
先日は妻から「やすい寝袋を買ったら?」といわれたよ。

そういうわけで、おやすみなさい。

○三九会会員へのお知らせ。
竹田川べり朝の散歩で、沢山の鴨家族に出会ったぞ。金津大橋東方120mの位置にたむろしていたぞ。数日うちに加納医院裏手まで東上すると思われる(汐見医院裏手まではいかないかもしれない)。
遠い遠いシベリア大陸から帰ってきてくれたんだねえ。
雨や嵐や雷やらに負けないで帰ってきてくれたんだねえ。
ドン川、アムール川、アマゾン川、ミシシッピー川と比べたら、ちっぽけなちっぽけなこの竹田川だけど、ふるさとを忘れることなく、帰ってきてくれたんだねえ。

去年は鴨鍋を食べたけど、今年はもう食べない。

02/11/21 (木) 午前8時のリストラ日記

きょうは終日雨になりそうだ。
軽トラに息子と自転車を載せて、福井まで往復してきた。
雑用多くして、諸々のこと手につかず。
駄目だなあ。


○きのうきょうと、手話関係の電話ばかり入ってくる。
ナヤミの長電話を聞いていたら、どうやらナヤミが伝染してしまったようだ。
もう少し寒い季節がきたら
寝袋かついで、三国の海岸へ行こう
潮騒を耳に満天の星空を眺めよう

○掲示板の返事が遅れていて、大変申し訳ありません。

02/11/20 (水) 昨晩0

夜、来客と仕事のことについていろいろ語り合っていたら、妻から電話が入り、「お客さん帰ったら、ちょっと来て。話がある。」といわれた。
来客帰宅後、妻の部屋へ。
「おとうさん(ぼくのこと)は、3人のこどもら小さい頃はいつも一緒に遊んでくれた。でも、大きくなったらほったらかしや。相談ごとみんな私に言うてくる。おとうさんは他人とはいつも会話してるがね。こどもに対しては、おおらかなんか、めんどくさいんかどっちやの。思春期の父親の役割って大切なんやよ。」とお叱りをうけた。
妻に抗弁をしても口では負けるので「わかった。もっとコミュニケーションもつようにする」と答えた。
しかし、ぼくの態度にはぼくなりの理由がある。こどもら幼少の頃いつも一緒に遊んだのは、単純に面白かったからだ。ぜんまいのいらないおもちゃだと思ったからだ。しかしやね、ぼく自身のことを思えば、思春期になって親父と相談ごとしたことなんてないなあ。開嵩健だったかは「親があっても子は育つ」とすら言っている。
放ってこその自立ではないかと思うのだが、前にそういうことを妻に申し上げたら「今は時代が違う。今の子どもらは幼児化してるんや。」と反論されてしまったが、そうかもしれないなあ。


○「みんなの会議室」に載った町民さんの「許さないだろう」という怒りの声がぼくの掲示板にまで入ってきた。
返事を、きょうあしたのうちに「掲示板」に書きますので、御回答ください。


02/11/19 (火) お寺
昨晩午後6時、あるお寺に行った。委員会に技術屋として来てくれといわれた為だ。
檀家メンバーばかり10数名のうちの殆どが70代、80代だ。
60代が2,3名だったかな。
議会でのぼくは若いほうから3番目なのだが、この委員会ではダントツに若かった。しかし、手話サークルやまきぽん会では老人だし、三九会は同い年の集まりだ。
ようするに年齢なんてものは、場によって相対化されるということやね。
昔のぼくは信仰心のかけらもなかったし、今もあるほうだとは言えないけれども、老人どおしの意見の交換をじっと聞いていると、寺が単なる葬式の場ではなくて、共同の規範のよりどころとして機能していた時代が確実にあったということがよくわかる。
週休2日制となって、公民館での生涯教育が喧伝されているが、そういう制度によりかかるよりも、寺を利用したほうがいい。寺ならば老若男女ごちゃまぜの異業種交換サロンを形成する基盤を備えている。
缶ビールで酩酊気分のぼくは、そう思った。


02/11/18 (月) 近江
昨日は、区の理事会秋の日帰り慰安旅行で近江の国に行った。
司馬遼太郎が「あわあわとした近江」と形容した国。
壬申の乱や額田皇女や柿本人麻呂を思い出して、古代びとになったようなロマンを少し味わいはしたが、同行者みんなが農業をしているので、話題は終日田地田畑をみての作物談議となった。

衣食住のなかでの根幹はそりゃ食うことだ。農業が経済として自立できないとしたら当然やばい。
グローバリゼーションは貨幣価値が同等であってこそ健全だと思うのだけれども、実情は国内生産者を圧迫するだけだし、畑に足を踏み入れることのない都市の消費者は作物の見目のよさと低価格にとびつく。イヤなしゃばだ。
今更鎖国もできまい。新天地を求めてのかっての満州国建設のような計画も夢だろう。
かと言って終末感だけで生きていくのもかなわない。
子どもが手を離れたら(まだしばらくあるなあ)、深山幽谷に洞窟をみつけ、せせらぎで体を洗い、木の実と一汁一菜のダイエットで体調を維持し、自然の神々に祈りをささげる日々を送る。
そういうひとに私はなりたいと、時々思う。


02/11/16(土) シーズンオフ

プロ野球シーズンオフの主役は、松井でも中村でもない。伊藤智だとぼくは思うなあ。かって、ヤクルトのエースとして高速スライダーを駆使し三振をほしいままにした男。確か神宮球場で日本最速を記録した瞬間の観衆のどよめきをぼくはラジオで聴いていた。

肩を壊し、球団から戦力外通告を受けたのだが、現役にしがみつき、90%ダウンの年俸で再契約したという記事を新聞で読んだ。
収入が一割になるのにも関わらず、評論家というらくな道があるのにも関わらず、自分の意志を貫いた。
嫁はんには反対されたことだろう。こどものことを思うと苦しかったことだろう。偉い、実に偉い。
FAなどという制度を利用し、マスコミにもてはやされて有頂天になり、億単位の金で動くスターたちよ。
あなたがたは、プロ野球人としてこどもたちに夢を与えるためといっているが、本当に夢を与えた選手は伊藤智そのひとなのであるのだぞよ。

○土曜日の昼下がりだということで、久し振りにぶらりと街にでた。
週刊誌を読もうと思って入った喫茶店のボックス。ひとりの御婦人が前の席にきて「ホームページ毎日見てますよ。来年の選挙頑張ってくださいね。」という。
嬉しくなったぼくは「ウーン、ありがたい。ならばもすこし知性的なこと書かなあかんなあ」と思い、本屋に直行した。

書棚眺めて、政治経済本にしょうかプロレス本にしようかと思案するぼくの横にきたひとは、南金津のヒトヅマM夫人だった。
「お久しぶりですね。何年ぶりかですよね。でも、ホームページ毎日みてますから、ちっともそんな気がしませんわ」といわれた。

帰宅して考えたのだが、このHPを読む主流はどうやら女性のかたがたみたいだ。
これからは、あばさけたことを書かないでおこうと、ぼくは思ったよ。


02/11/15(金) ホームページってなんだろう

昨日の全協で、「コンピューターなどで議会のことを書く議員がいるが、決まってもいないことをあたかも決まったように書くのは問題だ。誰とは言わないが。」という意見が某議員からでた。
何回か前の全協でも同じような意見がでた。
ウーン、ぼくも該当する議員のうちのひとりなのかと思ってじっくりと考えてみた。
当たり前の話だけど、議員にならなかったら、こういうHPをたちあげるつもりは全然なかった。
日記をつける癖は以前からあったけれども、自分だけの日記帳に、あることないこと罵詈雑言を秘密裏に書いているほうが、固有名詞もドンドンだせるしそのほうが圧倒的に快感だもん。
しかし、議員になって1年を過ぎた頃から、やっぱり発信することが義務じゃないかと思い始めました。決まったことを結果報告として書くだけではなくて、未決定の部分についてその経過を書くことも大切なのではないかと思ったわけです。その時、自分自身に対して約束したことはふたつあります。
①嘘は書かない。
②個人の誹謗中傷はしない。
上記のニ項目が手枷足枷となり、ウーン優等生的な意見しか書けんなあ、イヤやなあと思いつつも、しかし上記ニ項目は絶対守るぞという、いってみればヤクザなぼくと紳士のぼくがタタカイをし続けてきたわけですね。
そしてですね。ストレスを溜めてしまいはしたけれどですね。
「決まっていないことをあたかも決まったように」書いたことは一切なかったと自分では思っているし、来年の4月までは書き続けるのが義務やと思っています。

昨日の委員会内容についてはやまさんのきまぐれ議員日記をクリックしてください。


02/11/14 (木) 無題
きょうは合併特別委員会及び全協があります

○「みんなの会議室」をひさしぶりに覗いた。
行政が郡民会議の動きに対して補助金などをタテに圧力をかけていると書いてあったが、それが本当ならば由々しいことだ。⇒議会報告11月


02/11/13 (水) やっぱりぼくに戻ろう

知合いの方から「御両親を那谷寺へ連れて行って親孝行しなさったら」というメールが入った。
ぼくは、中学生の時秋の遠足で一度、数年前に地区の理事会旅行で一度行ったことがある。
今の季節が旬で、境内の紅葉又紅葉がダイナミックだ。
類をみない。
あのお寺の宗派が何なのかはしらないが、順路をたどっていくと、たしか洞窟みたいな場所があったはずだ。たてられていた蝋燭の炎のちろちろが目に焼き付いている。

生まれてからこのかた親孝行というものをしたことがない。親不孝は幾度もした。付け加えると、妻孝行も子孝行もしたことがなく、もっぱら自分孝行しかしてこなかったなあ。
ぼくはメールをみて、うーん計画してみようかと思った。

○そういえば、生まれて初めての接吻も、秋の日のお寺の境内だった。もみじのにしき神のまにまにしてしまった・・。遠い昔の思い出です。

○53歳にもなったのだからと、第一人称を「私」に変えてから気分が内向してしまったような気がする。「私」といういいかたはガラにあわないのだろう。
ぼくのことをぼくと書き戻したら、なんとはなし気分が軽くなった。
考えてみると、ぼくは公僕だったのだ。

02/11/12 (火) 元気がでてきた私

昨晩、友人からの電話があった。事務所に来るという。
きれいなところを見せなければ失礼になると思い、部屋を掃除した。
ついでに歯を磨き、何日ぶりかで郵便ポストの中身もみた。
そういう作業をこなしているうち、ちょっと元気がでてきた。

来訪した友人と合併の話になった。今、コンピューターを修理中だという。役場のHP掲示板「みんなの会議室」が合併話満載やぞといったら、友人は画面をクリックして見始めた。しかし、量が膨大なので、しからばと紙にうちだした。
A4版しめて48枚になった(もっとも4月からだったみたいだが)。

これはコンピューターによるペーパーレス社会の到来を暗示しているぞと私は思った。


02/11/11 (月) 憂鬱な私
持病のひきこもりが出てまいりました。
家族以外の顔をみることが殆どない日々です。
たてのものをよこにするのも億劫で、煙草吸いながら天井をみているだけの私は、はたして生きているのかしらん。
昨晩は布団のなかでじっと砂漠のことを考えていました。
若い頃ならば、駱駝に乗って月の砂漠を歩く王子に自分をなぞらえる夢をよくみたものですが、中年が思い描く砂漠は無彩色の荒涼とした風景でしかありません。
人工的なものの一切を無化する力の根源が砂漠にはあります。ひとは死んだら土に帰るとよくいわれますが、砂漠に横たわる白骨化した死骸は乾燥しきった風にさらされ散逸しやがて砂粒のなかに埋もれていく。
行ったことないけれども、アラブの唯一神崇拝は、砂漠という荒涼とした世界からきているような気がします。

02/11/10 (日) 新しい私
もやもやとした気分をちょっと整理したり、掃き出したりするために、この日記を書きはじめ、事実そういう効用は確かにあったのだけれども、曇天気分が抜けきらない。何故なのだろうと考えた結果、最近の私の心が花鳥風月に向いていないからだということがわかったよ。
真面目なたちなので、例えば議会のことなど、義務的にできるだけ多く書こうとしますがね。どうもこれがいけないみたいだ。肩が窮屈になる。
窮屈になるとトラウマがでてくる。

そこで、肩肘の力を抜いてゆったりとした余生を送ることにしました。


02/11/09 (土) きょうは土曜日

夕方の4時半に起きた。ラジオは「五木の子守唄」を流している。
1時過ぎに帰宅してずーっと寝ていた。こんこんと眠っていた。
眠っている時にだけ、全てを忘れる。
活動の為に睡眠が必要だとひとは言うけれど、実は眠るために起きているのではないかと最近思うようになってきました。これはあながちレトリックではなくてですね。
永遠の眠りが死なのだから、人生とはいかにして死を迎えるかのウオーミングアップなのだと思うのです。



02/11/08 (金) 無題
無茶苦茶あわただしい日々を送っているうちに、もう金曜日だ。
私は生活のスタイルを徐々に変えることにした。
昔のひとはおてんとさまが沈めばふとんにはいり、たまにはナニをし、夜明けと共に目を覚まして仕事に励んだという。
心身健康の秘訣はやっぱり早寝早起にこそあると思う。

歯磨励行日中仮眠日没入浴即布団
十分睡眠時折夢見早寝早起日々平穏
南無阿弥陀仏


○というわけで、「のんぽり」さん、「郡民」さん、しばらく時間をください。
一両日中に返事を書き込みます。


○Aさんよりのメール
坂井郡民さんと郡民会議さんは投書が別ではないですか。
坂井郡民さんは 単なる個人の人のペンネームでしょう。
まきさんの対象がちがうのでは。
○私 
Aさん、アンテナがすごいですねえ。
本日、彼から誠実な文章のメールが入り、単なるペンネームであることがわかりました。
今返事を書いているところです。匿名さんへということで、載せたいと思います。


02/11/07 (木) 蟹解禁
昨日、出張する妻を駅まで送った。妻は「あしたが越前蟹の解禁日やね」といい残しつつホームに消えた。
私はといえば、午前中は決算特別委員会。昼は合併協議会を傍聴して、夜は細呂木公民館での合併説明会に参加した。今帰ってきたところだ。
寝不足で午後9時半の私の頭はぼーっとしている。
去年のきょう私は何をしていたんだろうかと日記ファイルを覗いたら蟹解禁を書いていた。
ウーン、解禁日が毎年同じなんやから書くことが毎年同じでも不思議ではないだろうと思い、去年の日記をコピー⇒貼付けした。さあ、もう寝よう。
おやすみなさい。


ラジオがズワイガニの解禁を告げている。
てっきり12月6日だと思っていた解禁日は11月6日だったのだ。
ズワイは総称。新潟ではタラバ、鳥取では松葉と呼ばれているが、なんといっても福井の越前ガニがブランドだ。
一昨年末、教師稼業をこの世の仮の姿としている阪神間のふたりの友人(新潟産び鳥取産)と共に、三国の民宿で食べたセイコの味はかれらを驚愕させた。
沖合い一泊をせず、その夜のうちに帰港し水揚げするのがブランドの所以だ。
ものの本によると
○俗称ズワイの語源は、甲羅大きく相対的に頭(ズ)が矮小であることによる。
○雄(ズワイ)は24年間に17回脱皮して成長がとまり、雌(セイコ)は10年間に10回脱皮して成長が止まる。故に雄の図体が大きい。
○水深220-230mで集団交尾をする
(高水圧なので性器をふたつ持っているそうだ)。
○成体雌ガニは、水深240-270mへと移動して集団生活をする。
 成体雄ガニは、水深300m-400mに散らばって生活する。
○昭和30年代後半における水揚高は日本海全体で15000t、福井県で3000tであったものが昭和60年代前半には、日本海全体で3000t、福井県で300tと落ち込んだ。
ぼくの眼中にズワイはない。ひたすらセイコを愛している。セイコの卵は最高級キャビヤの味を超えるのだ(食べたことないが)。
逆さにした甲羅のあかこを小指でほじくり、注いだ熱燗をすする時、至福の時間が訪れるのだ。
辛いことばかりのこの世だけれど、やっぱり生きていてよかったと思うのである。


02/11/06 (水) 疲れた
昨晩はべつのことを書いていました。


○ 「みんなの会議室」で意見を問われましたので、議員のひとりとして、返事を書きました。
 よろしければ、議会報告11月をクリックしてください。

02/11/05 (火) 生涯学習推進大会
昨日は公民館で生涯学習推進大会が開かれた。
「地域のおじさんおばさん運動実践活動・吉崎地区」の報告をした山本さんの話には
すごく惹きつけられた。
地域の崩壊がささやかれ始めて久しいけれど、ある程度意識的な努力をすることで、世代を超えた交流が維持されるわけやね。
合併のことひとつ考えても今後行動エリア情報エリアは拡がりの一途をたどるだろう。
しかし、私たちが生きていることのはりは、やっぱり生身の顔生身の声での付き合いなのだということを改めて実感しました。

講演会講師の千葉紘子さん。とても綺麗なひとでとても歌が上手でとても上手に真面目なお話をされていた。ただ敢えて言えば、一律真面目が私はちょっと苦手。夜、事務所にきなさったひとから「牧田さん、千葉さん講演の時、3回程こっくりしてなさったの」と言われた。
ウーン、もっとしっかりせねばと、私は自戒しました。

○「みんなの会議室」への投稿の量が最近すごく多いね。
読んでるうちに、私も会話に加わりたくなってしまった。
みんなペンネームだ。加わる為にはペンネームを決めなければならない。
「悪魔のマーブ」くんに相談しようと思う。


02/11/04 (月) 冬来たりなば
午前6時半起床。
肌寒く、みあげればもう冬空だ。一面灰色でどんよりとくもっている。
木枯らしが吹きぬける畑には、掘り返された大根のしなびた残骸が点在している。これが福井の冬、にっぽんの冬のただしい姿なのだろう。
この陰湿な季節が私は昔から好きだった。

遠い昔、子供の頃の冬休み、私は死んだじいさんと一緒に囲炉裏端のむしろに座り、わらぞうりをつくる手伝いをするのが日課だった。ペギー葉山の「かあさんは夜なべをして・・」が流行るはるか以前のことだったなあ。

町の文化祭に行くと毎年必ず寄るのが勤青ホームの体育館。書画陶芸パッチワーク諸々の作品群が展示されていて、みるひとにいっぷくの清涼感を与える。けれども、作者名をみると知らないひとが殆どだ。創作の森のアーテイストもものかはの隠れた達人(この言葉を私は好きやねえ)がこの町にはようけいなさるのだ。
年1回の展示ではもったいない。
市町村合併すれば、用途の重なるハコモノもでてくるだろう。用途の変更が課題としてあがってくる。町の達人たちの作品を常設展示するフロアー・コーナーを設けるべしだ。まちの活性化選択肢のひとつだと思う。

○全くどうでもいいことなのだが・・。
昨日の朝、仕事をしていたら、背中のTVがグンミンイッタイという言葉をリフレーンする。
市町村合併の話かと思って振り向いたら、画面は北朝鮮の実態をレポートしていた。
郡民一体を思い浮かべたグンミンイッタイは即ち軍民一体だったのだ。郡民会議さんの言う郡民一体が民を主人公にというボトムアップ運動であるのに対して、軍民一体は軍主導民従属のトップダウンである。いわば対極概念だ。
日本語は同音異義語の宝庫なんやなあとつくづく思った次第です。


02/11/03 (日) 文化の日
日曜日の朝だ。きょうは文化の日ではなかったか。
文化の日の意味がわからないのだが、とりあえずTVをみていたら、世界最高齢71歳でエレベスト(ん?エベレストだったかな)に登頂した内田敏子さんが特集されていた。

登頂の秘訣を問われての「一歩づつ足を出すことです」というごく当たり前の答えを聞いて、当たり前の言葉にこそ揺るぎの無い真実があることを実感した。
きょうこそ、事務所を整理整頓しよう、部屋を綺麗にしてこその文化の日だ。

○と思っていたのだけれど、「出ておいでや」という議員仲間の呼び出しで、喫茶店へ。合併を中心テーマとした大変真面目な話を終えての別れ際、町文化祭の「うどん券」「茶席券」をいただき一路中央公民館へ。
知合いの保母さんから「幼保一元化についての話をしたい」と言われてのながい立ち話済んだあと、寄った野外テントでの婦人会てづくりうどんもうまかったが、食の次は飲やと入った公民館内茶席で頂いた煎茶大変おいしくおかわり2杯。
腹くちて帰ろうとした公民館の玄関先で初老紳士に呼びとめられ「議会報告を聞きたい」と言われたので再び喫茶店へ行った。話終えたら既に夕闇せまり、結局事務所の整理はできなかったが、私は真面目なのだとつくづく思った。
トルコ共和国に、「あすできることはきょうするな、あすにのばせ」という諺があるそうである。



02/11/02 (土) 又三町合併のこと
午前9時。やっと手があいたので日記を書き込もうと机に向かったのだが、さてきのう何をしていたのかが思い出せない。
煙草吸ってぼーっとしているうちに、きょうが土曜日であることに気がついた。今の今まで日曜日だと思っていたのだ。
理由はふたつあるだろう。
①私には曜日感覚がない。
②年をとってもの忘れが進行している。
そこで、「議員日記」を「どわすれ日記」にタイトル変更しようかと思ったがやめた。
一年半程前、タイトル一時変更して「からたち日記」としたところが、議員として不真面目だとのお叱りメールが入ったのを思い出したからである。


○どのみち土曜日の昼だ。ということで、昨日市町村議会議員合同研修会の講師山口教授の合併にふれた部分「合併は帰属意識の形成が不可欠。特例債に必ずしもすがらんでええ。そして住民運動が大切。」をしばらく頭で反芻していた。

市昇格で確かに巨額の特例債は出る。しかしそのうち30%は借金になる。特例法にこだわるならば、時間的なリスクを伴うと私は思うものの、一時しのぎの金にこだわらず、三町町民のお互いの気持ちを確認し、無理のない帰属意識が形成できるのならば、市昇格に向かう三町合併でなくても、なんというか簡素質素を町是とする自治体をめざすのもいいのかもしれない。そういう大きな枠組みで考えると、郡民会議さんの主張が100%わかる。

よのなかで たいせつなもの そりゃこころ
  それにつけても 金のほしさよ
   問題は下の句を省略すべきかどうかだ

02/11/01 (金) 雨が続く日々
6時半起床。事務所のテーブルの上には、紙コップ・焼鳥・寿司の残りが鎮座ましましている。
事務所で、手話の親睦集まりがあったわけやね。

昨晩は合併に関する意見交換会が伊井公民館で予定されていて、行きたいと思っていたんだけど、結局行けなかった。というより親睦集まりのほうに引っ張られるのが私自身のたちということなのだが。
なかに名泉郷のひとがいて、区へアクセスする坂道についての問題をいろいろ聞かされた。
山下議員の以前のHP日記を思い出しながら聞いていた。

高速道路公団の民営化問題が、国のテーマとしてかますびしいが、
こと日常的に使われる生活道路に関しては、行政側が最重要点課題として捉えていかなければならないと思う。