2002年12月

02/12/31 (火) 大晦日

本年中はいろいろと ありがとうございました
   来年も又 よろしく お願い致します

02/12/30 (月)十行日記

恒例の餅つきが終わり、事務所の大掃除も一応は終えた。
坪内兄弟も、長年の私の指導で、キネの降ろし方に風格がでてきた。
CADを始める前に。
このところ、この日記の文章を、こう変えたらああ変えたらというありがたい御意見を何人かのかたから頂き、恐縮しつつちょっと考えこんでいる。

日記というのは、日々の想いのメモみたいなもんで、考えを整頓して載せる場ではないと思っていたし、第一、そういう力量とは無縁のものなので、ひとの目とは無関係に、自分に対しだけ、気軽にしゃべってきたような気がする。
だけど、であるならば大学ノートに書いていればことたりるので、やっぱりHPに書くのであれば、それなりのたたずまいをしなければ失礼になるのかもしれない。


・昨晩のNHKTV「利家とまつ総集編」をじっくりこんと観ていた。
本能寺の変。
「人間50年・・」と謡いながら反町信長が燃え盛る炎に向かって悠然と歩んでいく。そのカッコよすぎる場面に、ぼくは一昨日の妻の言葉を思い出した。
「お父さん、牧田家のルーツを調べてみての。」と言われたのだ。
これを来年度の仕事にしようと僕は思ったのだが。
顔相からみて、牧田家の先祖は武士ではなかったはずだ。
足軽くらいではあったかもしれん。あるいは一向一揆で、信長に殺戮された水呑百姓真宗門徒だったかもしれん。
信長・秀吉・家康が日本の歴史をつくったというのは一面の事実だ。
しかし、怨念のなかで非業のなかで死んでいった無数のもの言わぬ民のなかのひとりにぼくの先祖はいきつくはずだし、歴史はそういうひとたちによって下支えされていたと、僕はどうしても思ってしまうのである。


02/12/29 (日) 二行日記

というような悲観は体によくない。
とにかく何も考えずに、すべきことをすべきなのだろう。

○マーブくん、昨晩は途中退出で申し訳ありませんでした。眠気激しく、隣室でしばらくだけ横になるつもりが、目が覚めたら7時でした。
恐らくは、仮眠をとらなかったためと思われます。
山下様
昨晩、当医師より、聞きました。
どんどんセキをしたので、私はすっかり回復しました。
誰かに、うつしてあげてください。




02/12/28 (土) あしたはあるか

昔NHKTVで「あしたこそ」というタイトルの連続ドラマがあった。
頑張ればあしたに未来が開けてくるという内容だったと思うが、この3,4年の僕は結局、よりよいあしたを感じることができずじまいだった。
公私両面に渡ってそうだった。

・ソ連邦解体による冷戦の終了は、僕達に明るい未来を感じさせたはずなのに、実は二極体制で支えられていた均衡が崩れたことで、世界における地域紛争を顕在化させる結果を招いたといえる。
・米国という世界の警察国家に対するテロリズムが無差別化されたことで、個人テロが本来もっていたある意味での正当な根拠を既になくしている。
・拉致で明るみにでた北朝鮮の実態は、マスコミに拠る限り、共産国家と呼べるしろものではなく、単なるアンビリーバブルな独裁国家であり、その暴走による脅威は増大している。
・しかし、我が日本国は先代がつくったハコモノ過剰主義により、あるいは、何故かといわれてもようわからんが、とにかく経済の無策により抱えてしまった負債処理に頭を抱えている。
・市町村合併は、一応自主的なものと銘打ってはいるものの、地方交付税削減のために国が用意したアメとムチ政策のひとつであるのである。
・カネがまわらなくなれば、福祉に絡む施設も又民営化へと動きを始める。本当にそれでいいのだろうか。公・民それぞれに功罪があるのであるのである。
・中小零細業者の悲哀は深刻化し、今年の自殺者は昨年に比べ倍増しているという。昨日の来訪者は「太いロープを用意しなあかん」と言っていた。
・僕達は「あしたこそ」という未来希求的思いのなかで、一過性の現在的困難に耐えているのだろうか。それとも終末への道をぞろ歩いているのだろうか。


02/12/27 (金) 昨晩

昨晩、僕達有志議員は、某スナック喫茶に居た。
鍋をつつきながら、今後の議会についてのいろいろな話をしていた。
来年は統一地方選挙の年ということで、話題は選挙のことにも及んだ。
午後9時、外に出た。
見上げれば、漆黒の闇から真綿のような雪が音もなく降りかかる。
やっぱり福井は雪国なのだ。
ぼくは一面真っ白の帰り道を急いだ。

あけてきょうの昼、ハチマキしめて仕事に没頭中、歓声が聞えてきた。
窓を見下ろすと、事務所の駐車場で3人の子供達が、雪合戦に興じている。
一心不乱に雪玉を投げあっている。

遊びをせんとや 生まれけん
戯れせんとや  生まれけん
遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそ 揺るがるれ
                 というのが、梁塵秘抄にありましたなあ


「牧田少年の日々」

嗚呼紅顔の 少年の 
冬のその日の 思ひ出が
走馬の如く 蘇る

貧しかりしも あの頃は
山紫水明に いだかれて
自由気侭が 友たりし

雪降りしきる 冬の日の
木造校舎の 教室に
赤々燃える 炭火鉢

隅に置きたる 弁当の
唾飲みながら 口にする
梅干煮干 たくわんは 
おふくろの味 つまりしき

夕闇せまる 放課後の
ほの暗かりし 階段に
すれ違ひたる おとめごの

恥じらふ頬の 紅潮を
恥じらふまなこの 激しさを
光源氏の あざなもつ
我は久遠に 忘るまじ

これぞまさしく 黄金の
日々といわずに なんといふ


02/12/26 (木) 昨晩

寒波襲来だ。今晩は雪になるだろうと、とりあえず熱燗で体を温めていたら、知合いのろう者夫婦来訪。
「通訳にきてほしい」というので「ちょっと酒が入ってるぜ、構わんか?」ときいたら「構わん」という。行き先での通訳内容は契約書のことだった。
書類みながら、懸命に通訳したけれど、それでよかったんだろうか。
正直者の僕は飲酒運転とは無縁の人生を送ってきたが、飲酒通訳については前科がある。
数年前、友人のろう者が交通事故に遭遇した。警察が来て現場検証をしているので、すぐに車で来てほしいという。土曜日の夜だったので、ぼくは瓶ビール3本を既に飲んでいた。あの時は大変困った。

・午前6時半の金津。甍の波がうっすらと雪化粧している。空気が冷たいと気持ちが凛とする。とにかく頑張ろう。
・S住田くん。昨日はご苦労さんでした。

02/12/25 (水) 昨晩

イブの晩飯。
鶏の燻製をガツガツと食べる子供達をみて、「俺もかってはあれ以上の食欲を誇った時期があったなあ。残さず食べて大きくなれよ。」とココロに感慨が走る。
某医師よりお土産に頂いた銘酒「おやじ」を猪口一杯口にしたあと布団に入った。
2時間の仮眠で目が覚めると、傍らで息子がスヤスヤと眠っている。
隣室に 文読む子らの 声きけば
        心にしみて 生きたかりけり
      という有名な歌があるが、彼はいつでも眠っている男だ。

事務所に戻り、雑務を開始する。仕事はないのに、頼まれものはワンサとある。
外は雨だ。
午後11時、山下達郎の「雨のクリスマス」がラジオから流れてくる。
サイレントナイト・ホーリーナイトは、何事も起こらずただ時間だけが過ぎていく。
つまるところ、平平凡凡の繰り返しが人生というやつなんだろうなあ。

  • 携帯にP小泉より、忘年会のお誘いコールが入るも先約あり。残念。

02/12/23 (月) 何年ぶりかの風邪

昨日は昼過ぎから頭痛。夕方には、腹痛が始まり夕飯終えたころには咳がでた。
   
ふらつくので7時に就寝、起きたら6時だった。実に11時間眠ったことになる。
おかげですっきりした。げに、睡眠は百薬の長である。
きょうは、地区の役員会なので、忙しくなりそうです。

○きょうは、終日区民館に居た。午前中が理事会、午後は理事・班長合同会議で
午後3時過ぎに終了して、あとは親睦会だった。
病み上がりなので、即帰ろうかとも思ったが酒ビールの誘惑に抗うこと
いと難く、最後まで居てしまった。意思薄弱なんやね。
でもまあ、中年のおっさん9人程で、いろんな話ができて楽しかった。

帰宅し夕食をとり2時間仮眠した。さあ今から頑張ろう。

02/12/22 (日) 無題

行政と議会が捩れ現象をおこしたあの長野県の県議が常設型住民投票制度設置のことを新聞で書いていた。確か1/10以上をもって可とするじゃなかったかな。
基本的にはいいことだ。
制度としていうならば、僕自身は議会制よりも住民投票云々よりも直接制民主主義が一番いいと思うんだけど、人口が数百人を超えたらもう無理だ。
だから行政の執行に対するチェック機能を議会に付託するのが、議会制ということになるのだが行政も議会も、住民の声を吸い上げていない、どうもならん(と感じられた)時に、住民投票が選択されるというわけだ。
ここで思い出したのが、郡民会議による今回の合併署名運動だけれども住民発議による合併の為の住民投票可能の署名数は1/6。しかし、これは合併特例法で定められたものである。常設型云々の場合の比率は各々の自治体によって個別に数値が条例化されるということかもしれない。

12/21掲示板を読んで

ああそうか。士には男性を思わせるニュアンスがあったのか。
それで、看護士ではなくて看護師だったのか。
無知なぼくがカンゴシを看護士と誤解した理由はふたつある。
まず、ぼくたちケンチクシは建築士である。カイゴシは介護士と記憶している。
でも師というと、なんとなくエライひと、近づき難いというひとという気がするなあ。
・思いつくまま
師というと、教師・医師・看護師・薬剤師・技師
士というと、介護士・税理士・維新の志士・公認会計士・建築士・代議士・力士・策士
やっぱり、師は聖職あるいはそれに近い世界を思い起こさせる。


02/12/21 (土) 定期検診

「有明夏夫」死亡が新聞に出ていた。
福井に縁の深いひとで、福井新聞に時評を連載し、僕はいつも読んでいた。
享年66歳、死因は肝不全。

僕が体の定期健診を最後に受けたのはもう何年前だろう。
はるか昔のことのような気がする。
家族からやいのやいのと言われながらも、酒・煙草をたしなみ続けている。
検診が必要とは思うが、検診で異常が出たとしても生活は変わらない変えれないのだから検診不必要という、理屈とはいえない理屈で日々を過ごしてきた。

しかし、即おさらばならばまだいいとしても、若いみそらで自立生活不可能となれば、これはもう介護保険料引き上げに一役買ってしまうことになる。
やっぱり検診受けて病気障害の予防に心がけるべきかとも思うのだ。

掲示板12/19を読んで
なるほど、寮母はケアワーカーと呼ばれているのか。男女共同参画社会だもんなあ。
せんだって、あるひとから聞いたこと。
僕は配偶者のことを妻と書いてしまうのだが、妻(ツマ)は刺身のツマと同じで、傍らにあるものというのが、語源だとのこと。僕は知らないうちに女性差別主義者だったのだ。
姑(シュート)は女へんに古いだけど、語源はシヒト=仕人=仕えるひとだそうです。嫁(ヨメ)は女へんに家だけど、語源はヨイメ=良い女だそうです。

従来、女のひとの職場であったものがそうでなくなり、名称の変わった代表例は看護婦→看護士だろう。士で性を消すわけやね。
のうふは農夫又は農婦だけれども、いずれ農士となっていくのかな。
しかし、そうすると売春婦が売春士になってしまうのも、なんかおかしい。



02/12/20 (金) ゴミのこと

豊橋市の産廃処理施設建設に絡む汚職のニュースをTVでみていて「三井造船」という会社名がでてきたので「?」と思った。
国が指定した焼却炉からのダイオキシン排出許容数値大幅規制のタイムリミットがせまるなかで、この手の公共工事だけは、全国至るところでホットに展開されている。不況風吹く造船業が新参してきても不思議ではないのかもしれない。
豊橋市は、廃棄物を焼却ではなく溶融するという、独で開発されたシステムを提供した三井造船と契約したのだが、裏でいろいろな金の動きのあったことが露呈したわけだ。
僕は、「環境保全特別委員会」に属しているので、この4年間にこのての施設を幾つもみてきた。いづれも、ダイオキシン排出を抑える為に、ハイテクが導入され巨費が投入されている。近隣対策費も勿論あっただろう。
要は、都市部が札束ちらつかせつつ山間部に建設を迫る図式が根底にあるということだ。

先日、生態学専攻の大学のセンセから「我々は江戸時代に戻らなあかんのや。自然循環システムのなかで細々と生きていかないことには、なにも解決せんよ。」と言われた。
そのこと自体に異論はない。
しかしやね。債務はどうなる。国・自治体・法人・個人が抱えてしまった債務を凍結させるような超法規的措置を国家が強権発動させるなど既に不可能な時代だと思うがなあ。

02/12/19 (木) 昨日の一日

朝、知人来訪。「小学校の通知簿もらいなので、車を停めさせてね。」という。
そうか、もう冬休みなのか。ぼくはそういう習慣とは無関係に生きている。

午前11時。昔設計した住宅のテラスが雨漏りするということで、施工業者による、水ぶっかけ試験に立ち会った。ぼくら建築の技術者にクライアントからお呼びの電話がある時というのは、こういうトラブル発生の時くらいのもんだ。技術屋の悲しいサガか。

昼過ぎ、図書館に行った。読書癖を無くしていたので、久し振りの図書館だ。開架書庫の並びが変わっていた。5冊借りた。
以前一般質問したことでもあるのだが、図書館が2階フロアーにあるのは、解せない。バリアフリーが当然だ。合併後の課題だろう。

ロビーで、町外の特養施設に通う寮母と遇ったので、数十分の雑談。ユニットケアという、聞きなれない用語をいろいろ解説してもらった。

夕方は、福井市内の某建築設計事務所。打ち合わせかたがた最近の設計事情を話し合い、6時30分帰宅。とりあえず、晩酌を楽しんだ。

晩酌時、どたどたと帰ってきた妻息子娘たちに「お帰り」と言って事務所に戻った。
知らないうちに、子供達はおおきくなっている。


02/12/18 (水) 東部団地

議会最終日であった昨晩は芦原温泉で慰労会。
酩酊気分で、9時半にはやばやと布団に入り、目が覚めたら7時半だった。
実に10時間眠ったことになる。今年の最長睡眠記録ではなかったか。

バイキング朝食で一緒だった、議員の嶋さんの車に同乗して帰宅した。
議会初日、「東部団地大型保留地の扱い」について一般質問した嶋さんは
車中、「町長の答弁の姿勢はおかしい。東部団地組合結成については、当時の町長からの依頼があったんやぞ。建設委員には助役も課長もいるんやぞ。」としきりに言っていた。
ぼくも同感、なるほどなるほどとうなづいた。


今朝、芦原温泉某旅館でバイキング朝食をとりながら、
温泉街の客入りはどんなもんだろうと考えていた。
合併し、ひとつの自治体になると思うとついそういうことを
考えてしまう。
帰宅し仕事の準備をしていたら、役場の職員が来訪。
「温泉街の水道は町の上水道となっていない。あの地区だけで
水道管理組合をつくっている。」という。
上水道は敷設困難で経費のかかる地区がいたるところにある。
だからこそ、上水道は公共インフラであってしかるべきと、ぼくは思うんだが。


02/12/17 (火) 無題

昨日の昼間は雑談だった。相手は「今の農業環境は江戸期より駄目や。」と言う。
夜は、零細企業店主の嘆きを聞いていた。
「中小零細はバタバタ。もう倒れるしかない。」と言う。
失業率は増える。受け入れ先が無ければどうなる。
保険もらえないひとたちは、即、路頭に迷う。
「路頭に迷う」ことがどういうことか見えている。


・金津中学校3年某組のみなさん、きょうは、(行けるかな?と思ってたんだけど)手話を教えに行けなくてごめんなさい。おじさんにとっては、議会が一番大切な仕事場なんです。後日、又行きます。

・きょうは、議会最終日だった(議会報告に詳述します)。
もはや、来年の3月議会を残すのみとなってしまい、議場席に座っている時、過去四年間が去来した。
議員になったことの功罪はいろいろあるけれども、功で言えば沢山のひとと知り合いになったこと。異業種交換ができたことやね。
そして、多少は見方が多角的になったかな?とも思います。
しかし、一期生議員では全てに於いて未熟でした。
経験が全てとは思わないが、経験が必要とされる局面は随所にありました。
この日記も続けたいし、二期目にだけは、是非ともチャレンジしたいと思っております。

・「悪魔のマーブ」くん。2002年7月ー11月の、月別新聞(A2裏表版)がほぼ完成しました。


02/12/16 (月) 続・注連縄つくり

注連縄はD13mm鉄筋芯棒入りが9尺ものが4本。芯棒なし3尺ものが3本、6尺ものが1本だ。
芯棒入りは、6人一組で縄をなう。
ひとりが芯棒の先端を持ち両手の力を込めて左回転させる。
相向かう姿勢で、それぞれ藁束を持つ3人が中腰となって両手で束を捻りつつ精一杯右回転させる。後方の二人が、イージス艦の立場で藁束を3人に補給する。
「せーの・どっこいしょ・どっこいしょ・どっこいしょ」の掛け声が農舎に威勢よくこだまする。
できあがった注連縄に純白の御幣を貼り付けた時、「神様、とにもかくにも今年一年間命を永らえさせていただきました。来年もまたよろしくお願いします。」とぼくは、こころでカシワデを打った。
坂ノ下区は、まちうちといってもはずれの地区。村社会だ。
村社会であることの功罪はいろいろあるが、この時ばかりは村社会に生きていてよかったと思ったよ。

笠原師範、斉藤師範、御指導の程ありがとうございました。
四十路会の皆様、ご協力の程ありがとうございました。
役員の中島様、G丸岡様ご苦労さんでした。
四十路会会長として、厚く御礼申し上げます。

02/12/15 (日) 注連縄つくり

本日は八幡神社鳥居に架ける注連縄を一生懸命つくっていた。
「こういうことやってる地区はもう少のうなった。希少地区や。エコーメイトを呼んできて取材させなあかんが。」と言われたよ。
エコーメイトはラジオだから面白くない。やっぱり画像入りだ。
もうしばらくしたらCATVが入ってくるのだから、その時、いの一番に取材して頂きたいと思うのである。
20人くらいでの共同作業だ。終わったあと、車座になっての酒がうまかった。
チーズかまぼこがうまかった。

02/12/14 (土) 忙しくなりそうな週末です

昨日の午前中は、総務委員会が開かれた。
午後、デスクトップとノートパソコンを別々の部屋に置いたので、LANケーブルを接続した。「さあ、これでいつ仕事がきても大丈夫や。仕事よ、はやく入ってこい。」と思いつつ煙草を燻らしていたら、駐車場に赤い車がとまり、(年だけれども)妙齢のサカノシモ夫人が運転席からでてきて、ぼくに「おかあさんいる?」と聞く。「妻は今晩は帰ってこないぜ。」と答えたら、「違うのよ。あなたのお母さんのことなのよ。」と埼玉弁でいうので、感のいいぼくは、きょうがお袋の誕生日であることを思い出した。早速、スーパー・ユースに出向き、赤いシクラメン(\1200也)を買ってきた。
「真綿色したシクラメンほど うつくしいものは無い」と布施明は唄ったが、ぼくは赤が好きだ。

友がみな 我より偉く 見ゆる日よ
   花を買いきて 妻としたしむ     石川啄木
赤い靴はいたおんなのこ 異人さんに連れられて いっちゃった   
                        文部省唱歌(だったかな?)
あかねさす 紫野行き 標野行き 
  野守は 見ずや 君が袖振る     額田王


02/12/13 (金) きょうは総務委員会

昨晩は、和室で養護学校の元教師及び現役教師の3人で話をしていた。
障害者をめぐる環境は昔と比べて相当変わってきたという。インテグレーション(統合教育)が進んでいるみたいだ。
確かに最近の住宅設計事情で言うと、バリアフリーが普通になってきているし
不特定多数が出入りする建物の場合、確認申請書提出の段階で福祉事務所のプリチェックを受ける。学校などの公的施設でも、わずかではあるけれども改修がなされてきている。
「肢体不自由児の場合はそういう対応でカバーができるけど、言語などの重複障害の場合はなかなかむつかしい。」と、元教師が言う。
「教師が手話を覚えればいいのにねえ。」と、現役教師が言う。

ぼくは聞きながら十数年前を思い出した。
当時、三国や金津のサークルに193cmのっぽカリフォルニア青年チャップマンくんが時々出入りしていた。
(そういやぼくの初対面挨拶は、アイ ドント ライク アメリカンケトー だったなあ。)
「米西海岸には、ギャロデットというろう者の為の大学があるし、普通大学に入学したろう者の席の傍らには教科毎に専門の通訳がつく。よって、障害者という言葉は死語やざ禁止語やざ。」と青年は言っていた。
ぼくは米に行ったことがないし、行く前に死んでしまうだろうから、その言葉だけで判断するしかないのだが、きさくで素朴な人柄ゆえに本当だったろうと思う。

町村レベルでの福祉事務所設置は任意だが、合併して市となれば必置だ。
ここはひとつ、設置される福祉事務所に頑張ってもらわねばと思うのである。


02/12/12 (木) 無題

早起きし、薄暗がりのなかで窓の外を眺めると、昨晩降り積もった雪が屋根に白く浮かんでいる。今年の雪が見納めの雪かもしれんなあと思いつつしかし、口にする珈琲の香りで、気持ちは凛とする。布団のなかで内向する気分が、目覚めの珈琲で払拭されるという生活の型がすっかり定着してしまった。
とにかく一日の始まりなのだ。陽は又のぼるなのだ。

ところで、昭和43年のきょう、故川端康成が、ノーベル賞受賞記念講演「美しい日本と私」をしたそうです。当時19歳の紅顔牧田少年にとっての日本は美しくもなんともなかったけれど、幾星霜を積み重ねた今、あの頃はよかったなあという懐古気分が時々訪れます。なんせ、今と違って純粋でした。


・昨晩8時、ぼくは議会のありうべき姿について、同僚議員と、とっても真面目な電話をしていた。
電話終了後、妻から「はよ、晩御飯食べにきねま。」という電話が入った。
自宅に戻っての晩飯中、ぼくはその真面目なテーマについて、妻に一生懸命語ったよ。しきりとうなづいていた妻は「うーんようわかる。けど、お父さんちょっと酒臭いざ。真面目な電話の時の酒はあかん。」とぼくをたしなめた。

けどなあ。
飲酒運転が御法度だから、夜のわずかな時間、自宅や事務所にこもって少しばかりの酒を飲む。そのさなかにかかった電話でも、やっぱりでないわけにはいかないだろう、飲酒会話くらい構わないだろうとぼくは思ったよ。

注 きねま=来なさいよ(金津弁) 映画のよこもじではありません。

02/12/11 (水) きょうは寒いです

昨日の本会議終了後、議員仲間でお茶を飲みに言った。
町議会の場合、例えば県会とか国会のように政党色を全ての議員が持っているわけではない。
金津町議会の場合は、田島さんが共産党議員だけれども他は所属なしである。マ、烏合の衆なのだけれどもしかし、気が合う合わないあるいは意見が合う合わないはやっぱりあるわけで、合うものどおしは自然一緒にお茶を飲みに行ったりする。しゃばそのものなのだ。
そこででてくる話がいわゆる水面下の話ということになる。
きょうの町長の答弁はどうだったとか、あの議員は表でああだが裏ではこうだとかのタグイもあれば、もっと本質的な話題になることもある。
ぼくはこの種のアンテナに関しては全く鈍い人間なので、だからこそ聞いていて楽しいし、ここにも書きたくなるのだが、まさか実名挙げて詳述するわけにいかない。
ホームページの宿命やね。

なーんてことを書いているうちに、金津中学校から電話が入った。
「昼から生徒達に手話を教えてほしい」という内容だ。
こども達こそ、未来の財産だ。米100俵だ。
仕事の手を休め、髭を剃り、スーツをブラッシングし、
歯を磨いてから金中に行って教えたよ〈写真)



02/12/10 (火) きょうから定例議会

昨晩8時、昔のクライアントから「家の配電盤が故障しているみたいだ。」という電話があったので、すぐに車を走らせた。懐中電灯をたよりに配電盤を回復させて、ことなきを得たのだが、よく考えてみるとこの時間帯は晩酌の余韻を楽しんでいる時間帯だ。
昨晩はたまたま晩飯抜きで仕事にいそしんでいたのでよかったなあと思ったよ。
きょうびの飲酒運転による罰金はケタがまるで違うのだそうだ。
罰金のことはともかくとして、飲んだら乗るな 乗るなら飲むな であります。

ところで、県警が集めた罰金は市町村に按分されるのだけれども、各各の自治体が持つ道路の長さ×巾・即ち道路面積の総計で比例配分されるそうです。

○東京世田谷でシテイおばさんとなっている妹からこんなメールが入った。
「昨夜遅くから降り続いた雪も 夕方からやんでいます。雪に弱い都会はあたふたです。
私も バイトについて あたふたしています。今夜の夜食はおやきです。」

・確かに積雪数センチなんてのは、ここ福井では、雪降ったうちに入らない。

02/12/09 (月) 昨日の日曜日

昼。
所用が思ったよりはやく終わり事務所に戻ったら、蕎麦会が開かれていた。
見知らぬ客人も二人いて、総勢11人。
おろし蕎麦に舌づつみうちつつのメインテーマは、「保育所の民営化問題について」
及び「竹田川に河戸を復活しよう」だった。
スルドイ意見の交換に、もっと勉強せねばとぼくは思ったよ。
夜。
打ち合わせ終えて帰宅したのが9時半。
疲れをもっとも強く感じる苦手な時間帯だ。とにかく明日やと思いつつ早々に寝た。

○あけて本日。
午前9時半から合併特別委員会、午後1時から全協が開かれた。
午後3時、ただ今事務所に戻ってきたところです。
・林田合併特別委員長からの前回合併協議会での協議内容の報告は
①意識調査アンケートの回答について。
②新市の戸籍上の場所は金津町役場に決定。
③新市の名称については、金津町側・芦原町側双方3人づつ(議長・区長会長・婦人代表)を出して、審議の末、決定するとのこと。

・全協で、田島議員からΣ240億円の負債の明細を問う質問がでた。ここは一番肝腎なところだ。ぼくたち議員はこの数値の全体とデテイールを知っておかねばならない。
・合併特別委員会及び全協では、新市議員の任期及び議員定数がテーマとして出た。
いろんな意見がでた。
これに関するぼく自身の思いについては、議会報告12月にながながと書こうと思います。

・最近ぼくがおかしいに思うこと。
「さかいぐん民会議」が金津町ホームページ等に主張を載せなくなったこと。声が聞かれなくなったこと。署名1/50以上を達成したから安堵したのかな?安堵は停滞だ。



02/12/08 (日) 久し振りの新聞・久し振りの読書

「道路民営化委 最終報告」の新聞記事を読んで、分裂の経過を考えた。
要するに「全国ハイウエイネットは公共の福祉や」派と「血税注いで採算見込めないハイウエイつくってどうするんや」派の相容れない主張の結果といえる。
関連記事で、鳥取商工会議所の猛反発を載せている。全国で唯一高規格道路が県庁所在地を通っていない県故の反発だ。数年前鳥取に行った時、道路インフラ整備の遅れは感じた。
どちら派にも十分に言い分はあると思うが。
道路に限らずの交通網は、地域と地域を結ぶ血液みたいなもんだから、整備の遅れるところは過疎化が進むということになるだろう。採算至上でいけば、太平洋側は便利、日本海側は相対的不便を甘んじて受け入れなさいということになってしまう。
この意味を考えていくと、脱中央集権⇒道州制を将来の選択肢にせねばとなるだろう。

・昨日は土曜日だった。
仕事の打ち合わせ終え来客の帰ったあと、横になった。
本棚の開高健「花終る闇」をめくった。
開高を読む時にはウイスキーが必要なので、コンビニにレッドを買いに走った。
そういえば三島由紀夫の時は純米冷酒、椎名誠の時は焼酎、宇野鴻一郎の時はピンクレデイ、辺見庸の時はウオッカと傍らに銘柄を置くのがぼくの読書癖だ。

何度も読み返して、文庫本はいわば手垢本と化したけれども止められない。
男ざかりの58才で他界したひと。独特のリズムと豊穣な語彙で肺腑をえぐる。
読み手をシニックにからかい、存在の意味を体で問うたこういう小説家はもう現れないんだろうな
あ。


02/12/07 (土) 大きな古時計

仕事の合間にTVのスイッチをいれたら、「♪おおきな のっぽの ふるどけい  おじいさんのとけい♪」という
、昔私がよく口ずさんだ歌が聞えてきた。
画面にテロップで平井某という歌手名が流れた。
いいねえ。いまどき、こんな歌手がいるんやねえ。
声量あり情感ありルックスに渋みありの好青年だ。若いときの私と比べて遜色がない。
ルックスはともかく、声量情感は私以上といっても過言ではない。

晩酌どき、妻に「平井某という歌手知ってるか?」と聞いたら、フルートたしなむ音楽好きの妻は「何言うてるんや。前から有名や。お父さんは古いねえ。」ときり返された。
世間から取り残されたらいけない。時々、歌謡番組をみようとぼくは思った。


・昨晩は花の金曜日だったので、夜の竹田川河川敷を散歩した。暗闇のなかに白く丸いかたまりの幾つかが浮かびあがっている。よくみたらススキの穂だった。
「幽霊の正体みたり 枯れ薄」やね。



・帰宅し、先日撮った夜明けの写真を眺めていたら、鯖江の見知らぬ主婦からながい電話がはいった。旦那さんがろう者の学生なので、「支援する会」をつくり、講義通訳の保証を県に対して求めていくという旨の内容だった。
ぼくたちは、社協とか福祉事務所から通訳を依頼されることが、単発的にはママある。
しかし、学校講義通訳等の継続的行政保証というのはまだまだ先のレベルなんだろうと思った。

02/12/06 (金) 顔

昨日、合併協議会傍聴が終わってから、健康センターに寄った。ついでに血圧を測ってもらった。
「上は低いけど下がちょっと高いです。」と言われた。
「無理を続けなさるから、しんどいんじゃないですか?いつもと違って笑顔がありませんよ。」と言われた。うーん、最近、確かに笑いがないなあ。
帰宅してから、鏡を見た。笑わないぼくの顔は確かに陰険だ。
色は黒い。肌が艶やかだとは誰も思わないだろう。首をやや右に傾ける癖もある。
良いのは造りだけだと思う。
楽しかろうが楽しくなかろうが笑顔を忘れないようにしようと思ったよ。


・協議会傍聴者が十数人と意外に少なかった。反対派というか絶対3町派もドンドン傍聴すべきと思うんだが。
・配布された資料を読む限り、負債の数字を眺める限り、合併が夢を与えてくれるものではない。やっぱり次へのステップとして捉えるべきだ。
・事務局が1000人アンケートの結果を報告した。
不安としては、①行政サービスの利便性が落ちるのではないか①公共料金があがるのではないか・・の2点が最多だった。予想されたことである。三国町の金津・芦原町との合併のむつかしさが②にあることはいうまでもないだろう。
・帰宅したら、署名運動した三国のひとからのながいFAXが入っていた。最後に三国町長の声明文「合併に対する今後の対応について」が添付されていた。
ぼく自身3町合併がいいとは思うけれども、やっぱり問題は可能かどうかだ。


・昨晩は某おじさんのお宅にお邪魔し、体の障害の窮状をいろいろ聞いていた。
そのあと手話サークルに直行し、若おなご(仮名=推定年齢27歳)から男女共同参画社会の展望についていろいろ聞かされた。
若いおなごと一緒にいるほうが楽しいと、ついつい思ってしまうぼくは利己主義者なのかもしれん。
よく考えてみると、
若いおなごも熟年の私もそしてあなたもみーんな老人予備軍、障害者予備軍なのである。


02/12/05 (木) 猪
昼のラジオ番組に「家庭医学相談」というのがある。
昨日は骨折をしたおばあさんが医者に相談をしていた。
夫婦ともどもが猪と正面衝突をしてアバラを数本折ったという。
すごい話やねえ。猪突猛進だもんなあ。

以前から大相撲幕内力士の四股名に「猪山」がないのは何故だろうと思っていた。
大相撲人気回復の決め手は四股名にあるとぼくは思う。
ついでに、「牛王」・「月乃輪」・「北海熊」・「虎獅子」・「大百足」なあーんてのもつけたらいいんじゃないか。名前には精霊が宿る。強い名前が力士を強くする。

議会で、今年は金津東部地区に猪の被害が多いという話を聞いた。猪のみならず鹿・猿も出没したそうだ。今年の夏、清滝でぼくも農道を躍動する鹿をみたが、農作物に対する被害は鹿よりも猪のほうが大きいという。
足の長い鹿による農作物の被害は点である。
しかし、走る猪は体全体で農作物をなぎ倒す。おまけに転げまわるそうである。

○午前4時だというのに暖かい。
豆砕きあつあつ珈琲に牛乳をたらしてみた。胃の淵への刺激が柔らかだ。
ジッポーライターで火をつけたマイルドセブンがうまい。
こういうのを束の間の幸せというのだろう。

○今回の本議会での一般質問通告の締切は本日12時。
どうしようかと思いながら12時前に議会事務局に行った。聞きたいテーマが他の議員によって既に通告されていたので、止めた。
ところで
金津町議会は本議会中心主義ではなくて委員会中心主義を採用している。
議案の審議が議長によって、三つの常任委員会(教育厚生・産業建設・総務委員会)に付託されるということです。
時間があったら是非傍聴してください。各委員会の日程は「議会報告12月」に載せてありま
す。

02/12/04 (水) 昨日は全協
昨日の朝、建築支持杭の専門家と打ち合わせをしていたら、電話が鳴った。
女友達が「牧田さん、今、事務所に行っていい?」
と電話口で言う。
「今は仕事中」と無表情で答えて、ぼくは電話を切った。
「牧田さんはツメタイひとね」とぼくはひとからよく言われるが、こういう対応をするからだろう。
専門家が思いのほかはやく帰ったので、彼女に「おいでよ」と電話した。
「牧田さんはアタタカイひとね」とぼくはひとからよく言われるが、こういう対応をするからだろう。
閑話休題。
午後からの全協は午後1時半開始、終わったのは午後5時だった。全協は全員協議会のことで議会前には必ず開かれるものだ。
内容概要は「議会報告12月」に書きました。

○前日コンコンと眠ったので5時に起床。はやい起床のときだけぼくは新聞を読む。
朝日35面に「竹内浩三未発表作品を発見」とある。
20年ほど前「竹内浩三伝」を読んだ時の詩(骨のうたう)の1節
・・ 事務や能率が がらがらどんどんと流れていく・・を強く覚えている。
戦後世界が日々のこなしに終われ、戦死者は忘れられていくということへの警鐘だが、確かにぼくらは日常にかまけて、ものごとを想うことを軽視してきたような気がする。
少なくとも経済優先社会の負の一面がそこにあったような気がす
る。

02/12/03 (火) リストラ日記
うーん、元気がでない。鬱の神様が訪れてきたのか。
きのうはあさくちに訳のわからん電話があって、いわゆるゲキロンというのをしてしまったので、その疲れも残っているのだろう。

こういう時、一切の係累から逃れて、浮雲のように生きていたいと思います。


○去年のきょうの日記を覗いてみたら、ぼくは西岡常一のことを書いていた。
最後の宮大工と言われたひとだ。
木組みはひと組み
ひと組みはひとのこころ組み・・
という文章は確か教科書にも載ったのではないか。

山を歩いたり神社境内にたたずんだりして、木漏れ日を浴びあるいは匂いを嗅いだりしていると俗臭がなくなる。体内に健康が宿る。
建築技術屋としてのぼくは、立ち木をそのまま利用し小枝藁がけで屋根をかけ筵敷き土間の庵をつくったら、それこそが最高のエコハウスになるのではないかと思うのだがな