2003年02月

03/02/28 (金)  2月最終日

昨晩は事務所に7人集まった。うちひとりが「こんなのがあるのよ」と言って持ってきたのが越前米焼酎・ほやってだった。うーん、なかなかのネーミングだ。味も悪くない。しかし、飲むのは福井県人だけだろうなあ。

ところで、このHPのカウンターが50000を超えていました。
「何行でも構わん。とにかく毎日書こう。」と自分に約束していたので、大変ありがたく思っています。これからもお付き合いのほどをよろしくお願い致します。

・ほやって(福井弁)=そうですよ→強いうなずきのニュアンス

03/02/27 (木)  晩酌で思ったこと

こんなことを書くと、夕暮れの波松海岸あたりからサルグツワかまされて拉致されるかもしれないが、構わない。強制労働を強いられても、日本の国家機密は断じて吐かない(もっとも、なんにも知らんが。)

この情勢下で、地対艦とはいえミサイルを日本海へドボンと落としこむ金正日体制の神経が全くわからない。かって自衛隊のひとから、仰角の高いミサイルの迎撃はむつかしいという話を聞いたことがあるが、日本海沿岸に住むものとしてテポドンだかノドンだかが頭上に落ちてくる汗じっとりの夢を、昨年は何度みたことだろう。
きのう、晩酌しつつのTV画面は、「金正日側近美女喜び組10人」特集だった。要するに下世話週刊誌三面記事を、アナが真面目顔でしゃべっているだけの話なのだけれど、それはそれとして独裁権力は必ず腐敗する。
中国文革の裏面での悲惨は、革命家毛沢東が獲得した政治権力を手放さなかったことによる。民から批判され揶揄されてこその政治家であり政治体制であるとぼくは思うなあ。


○午前中、所用で三国町へ。ここは町議選の真っ最中だ。カラー鉢巻しめた立候補者が握手求めて走りまわっている。あれって傍目には迷惑かもしれないが、本人の気分は高揚して、結構快感なんやね。
ウーン、4年前を思い出してしまった。農村部で人が見当たらない時には、追分地蔵・辻地蔵に手を合わせた.。動くものとみれば、犬猫烏雀に手を振った。

03/02/26 (水)  ちょっと不眠症気味

深夜に目が覚めた。もう眠れそうもないので、事務所に来た。
仕事開始だ。
時報が午前2時をうち、深夜ラジオはビリーボーンを流し始めた。

今朝は金津東小学校へ手話を教えにいく予定なので、ちょっとうきうきしている。
そういえば、昨日の朝は某寺院で、じいさんたちのなかに若者ぼくひとりという構図だった。異年齢交換が続いている。ジェンダーフリーがはやり言葉だが、こういうのをジェネレーションフリーとでもいうのかなあ。

○ここに子供たちの表情を載せようとデジカメに撮り、帰宅し編集していた午前11時、不手際で画像データが消えてしまった。うーん、大変に残念である。

○三国町の工事現場から帰ってきたら、大溝のMさんからファックスが入っていた。「・・・新聞に載っていた合併協議会設置の議会決議における賛成唯一の票が牧田さんと後日知った。これからも頑張ってほしい・・・」が大意だった。
あの件に関しては、徹底して考えた末の賛成討論であり賛成起立だったし、誰に対しても説明責任する自信はあります。
ま、それとは別にぼくの半生というのは、いつでも少数派に属していたんだなあとつくづく思った次第です。Mさん、励ましのファックスありがとう。

03/02/25 (火)  昨晩は物思いにふけっていた

妻と娘が帰ってこない昨晩、早く帰宅せねばと、「議会報告02月」の書き込みを早々に終え、アロマチックフィルター珈琲で喉元を潤し、煙草を口にくわえた。
窓外に遠く芦原温泉の灯がみえる。

そういえばその昔、親父とお袋の新婚旅行先は、歩いてでもいける芦原温泉だった。親父は初夜に麻雀をしにでかけ戻ってこなかったと、確かお袋が言っていた。私の新婚旅行先は沖縄だった。これもまあちょっとあったが、しかし自分のことを語るのは恥ずかしい。
明日は親父の誕生日だ。花でもプレゼントしようか。

午後3時、後山の河佐木氏(仮名=推定年齢47歳)がぶらりと来訪。
一緒に坂ノ下八幡神社境内・子育て地蔵・不動明王・石塔等をみた。ぼくの心の風景です。
河佐木さん、さっきぼくが思い出せなかった小字名は「古戦場」でした。


昨日の午後は全協。
3月議会の資料を「議会報告02月」に書き込みました。
○ケータイに「選挙の準備積極的にしなあかんじゃないの。誰某はこんなことあんなことしてるのよ。」  コールが入った。
うーん、一回経験しているとはいえ何をどうしていいのかよくわからない。とりあえず折り目のついたズボンを履き、笑顔を忘れない日々を送ろうと思うのだ。


03/02/24 (月)  昨日の日曜日

陽光の朝、久しぶりに竹田川の堤防を散歩した。
沢山の鴨家族の水中散歩をみながら、4年前を思い出していた。
選挙に立候補した際、福祉会館で数十名の前で挨拶をした。
あの時、ぼくは地区推薦のことで悩んでいた。
そこで「ぼくは地区推薦のことで胸が痛い。どういうふうに痛いと思いますか?」と聴衆のひとりに問うたのだけど、「わからない」という答えだった。
そこで、「ちくちく痛いのです。」と言ったら、みんなが笑った。
真面目ななかにも駄洒落ありというところやね。


03/02/23 (日) 努力で克服できないものはない

ととしの5月、某情報掲示板に載った私への苦言メモがでてきた。
勿論現在の私は、以下の事項を全てクリアしています。
昔の自分にはこういう部分もあったんだなあと、苦笑してしまいました。
なお、公共電波放送規定に抵触する部分は管理者の責任で削除しました。


複数男性からの苦言エトセトラ
・誉め言葉が続いたので 苦言を少々 
・散髪しなさい 歯を入れなさい 
・事務所の内外の要らない物を捨てなさい 事務所の掃除をしなさい 
・顔色を白くしなさい ん? これは無理 
・物を食べたら口の周りを拭きなさい 
・こぎれいにしなさい 
・髭を毎日剃りなさい 
・議員日記を休むな 
・新聞をA4でもB5でも良いから作りなさい 
・50歳を過ぎていることを自覚しなさい 
・公人であることを自覚しなさい 
・自分でできることは自分でしなさい 
・靴を磨くこと 
・話題が自分のことでなくても傾聴すべし 
・時間約束を守るようにしなさい 
・犬ネコ鳥虫にも挨拶をしなさい

○開けなかった1月のぼくのメールに、見知らぬ方から、次のようなお手紙が入っていた。大変ありがたいことなので、コンテンツ「金津町の歴史」・小字一覧を復活させました。

03/02/22 (土) 夕暮れの越前海岸は凪いでいた

数日前の夜、ぼくは越前海岸の民宿で蟹を食べていた。
BGMは勿論潮騒だ。
同席のひとりが、中国人留学生娘・夏(カ)さんだった。
今年所用で上海を時々訪れる予定のぼくは、場を借りて中国語を習ったわけやね。
我名漢語的発音如何と聞いたら「牧田孝男はムーツエン・ショーナンです。」という。香港映画ムエタイアクション俳優みたいでなかなかかっこいいではないか。
謝謝と答えながら「中国は大きすぎる。台湾はすぐ独立させ、大陸は4つの国に分割させたらどやろか。」と石原慎太郎みたいなこと言ったら「それは内政干渉です。」としかられてしまった。
ところで、蟹を食うときのグシュグシュや甲羅味噌酒をすする時のズルズルは中国社会ではマナー違反だとのこと。
ぼくの知り合いはマナー違反人ばかりのような気がする。

○マーブくん、散髪に行ってきました。

03/02/21 (金) 昨日の臨時議会

議会で意見陳述をした笹岡さんは、とってもさわやかだった。
郡民会議議長・南さんの誠意も十分わかっている。
採決の時、署名運動に対して賛成起立をしたのはぼくひとりだけだった。

ぼくは、合間をみつつ、今までの気持ちの流れとこれからの思いを、原稿(アクセサリーのなかのメモ帳やね)にしたためている。
数日うちに、議会報告02月にコピー>貼り付けするつもりです。

03/02/20 (木) 久しぶりに「掲示板」をみて思ったこと

・「掲示板」に、すねたりするなと書いてあったけれども、全然すねてなんかいないのであります。むしろあなたが言うように、HPなんて意味ねえなあと思うようになったからです。

・山下議員のHPにあった「三国町様・三国議会様云々」は勿論本当のことですが、それが非公式な動きである限り、デイテールを書くことなどできるわけないし、ぼく自身も以前複数の三国町議と会って話し込んだ結果の印象をもって、三国町議会の傍聴にi行ったものですからその落差にとまどったのですが、これとて誰それがなどと書けるものではありますまい。

・ようするに、こういう欄はどうしても水で薄めた書き方になってしまうし、結果、誤解もされましょうし、ならば書かないほうがいいかなあと思ったわけです。ジャブが嫌なわけでは勿論ないよ。

・舌たらずの自分の文を補足するには、電話でのサポートが一番だと思うのですが、全て匿名なので、それも適わない。

・「元支持者」さんの、リコール解散云々についてもちょっと誤解されているような気がする。
(わかりませんが)仮に今回の署名が否決されたら、当然1/6署名に向かうべきだし、そこで対立の構図がでてきても全然構わんでしょう。
町が開かれた町であるためには、いつでもリコールや解散を望む民意の気概とそれを保証する制度がちゃんとあるということを、ぼくは言いたかったのだし、(これはみんなの会議室に書いてあったけれど)それで町が二分されることを恐れる必要もないでしょう。
二分されたところで、済んだら、はい又仲良くしましょうが大切なのだと思います。

03/02/17 (月) 4行だけ書いてしまった

夕飯終えて、竹田川を散歩。お月さんがとっても綺麗だった。

月月に 月みる月は おほけれど
       月みる月は この月の月
確か「新古今」収録だったと思うけれど、作者は忘れた。


03/02/15 (土) 寒くなりそうな週末

きのうの朝、工務店主と工事現場で打ち合わせをしていた。
傍らに大きな一本の柿の木があった。足元に目を遣ると、落下した実の黒い残骸が点在している。
こどもの頃、ジャガイモの塩ゆでとともに好きだったのが裏庭で採った甘柿だった。スナック菓子づけの今のこども達は見向きもしないのだろう。
農業の退潮が、こういうところにもあらわれている。

・三町合併の可能性は先に船出した二町合併協をボートで追いかけてきて「乗せてくれ」という以外にないと思うのだが。
・昨年の金津町9月議会、合併問題がかますびしかった時、合併のがの字もでなかった三国町議会が三町合併協設置を圧倒的多数で可決した。「白紙からの出発」とは先行二町合併協に「港まで戻ってきてくれえ」と叫ぶことだろう。個々の議員はその不可能さをわかっているはずだ。
・「選挙が近いから民意に反対できんぞ。絶対可決する。」と金津町の議員の間ではささやかれていたが、果たしてそのとおりになった。
・そうであったとしても、そりゃみんな我が身可愛さがあるからいいのだが、ならば昨年までの三国議会の沈黙はいったい何だったんだろう。
・ぼくのような単細胞頭ではよく理解できない。

03/02/14 (金) 三国議会

昨日、午後1時半、三国町議会最終日を傍聴。
3町合併協議会設置に関する住民発議による1/50署名は、可決された。
えーっと、議員20人のうち、欠席2名・賛成15名・反対2名。
但し、審議を付託された委員会内部では賛否いろいろあっただろうが、委員会の意思としては賛成なのだから、付託された委員会のメンバーは、議場では個人意思に関らず全員賛成したはずだ。

・三国町長は「進行中の二町合併協を白紙に戻しての三町合併協設置をしたい。三月いっぱい待つ。」と言った。しかし特例法一年間延長の議員発議審議は(恐らく)通常国会終盤になるのだから、行政通達が三月までに出されるとは思えない。三月の意味がよくわからなかった。

傍聴後、廊下で郡民会議の代表とばったり。いろいろ聞き、いろいろしゃべった。
(郡) 行政議会は住民説明会などで、予め民意を問うことを怠った。それ故の住民発議だ。住民の99%は賛成していない。
・99%の意味はよくわからないが、予め云々に関しては、確かにいえる。遅れがあったことは否めない。
しかし、昨年の夏、町議会合併特別委員会は6町合併をめざして郡内他五町の議会にでかけ、結婚を申し込んだ。厳密に言えば、こういう動きも民意無視だったということになる。民意は勿論大切なのだけれども、合併の必要性はスケールメリットにあるというのがぼくの基本認識だ。
(郡) 住民サービスの違いなど、些細なことだ。もっと大局の見地で歩みよってもらわねば困る。
・合併すれば住民サービス一律は当然だ。留保期間はせいぜい2年だろう。
等々、いろんなことをしゃべりあっているうちに、時報が4時を告げたので、急いで家に帰った。

03/02/13 (木) 充実した一日

昨日は、北陸の冬にしては珍しい程の青空だった。仕事の手を休めて、石川県方面へドライブした。海岸線の松林を歩いた。
松の木があちこちで伐採されている。昨年の議会で林田議員が質問したことでもあるのだが、松くい虫による被害が近年顕著なのである。
寒風すさまじい。
某君から頂いたブレザーコートに身を包んだぼくは、怒涛の白波を見遣りながら、これぞ冬の日本海だと思った。
気持ちが充実した。頑張って生きていこうという気力が、腹の底から沸いてきた。

○きのう、噴き出してしまったこと。
・あるひとが結婚披露宴でスピーチを頼まれた。
そのひとは「えー、スピーチとスカートの丈は・・」と切り出したので、「短いほうがいいので短く申し上げます・・・」とでも言うのだろうと聴衆がかたずをのんだ時、「無いほうがいい。」と言って座ってしまった。一瞬、座がしらけたそうだ。

○午後1時半、三国町議会最終日を丸谷氏と一緒に傍聴。
3町合併協議会設置に関する住民発議による1/50署名は、可決された。
えーっと、議員20人のうち、欠席3名・賛成15名・反対2名。
但し、審議を付託された委員会内部では賛否いろいろあっただろうが、委員会の意思としては賛成なのだから、付託された委員会のメンバーは、議場では個人意思に関らず全員賛成したはずだ。
帰りしな、廊下で郡民会議代表とばったり。いろいろ聞き、いろいろしゃべった。
気がついたら4時だ。よう考えたら、今晩は「手話の会」がぼくの事務所で予定されているのだ。
飛んで帰って事務所をきれいに掃除し終えたところです。

○帰りしな(金津弁)=かえる時

03/02/12 (水) 風のない夜明け

昨日開かれた県農政連金津分会通常総会で、ぼくは議長を仰せつかった。
議事に入る前に、S県議候補の挨拶があり、町助役・農協会長・国会議員など来賓の祝辞中身も又統一地方選挙に関るものが多かった。
「ウーン、わしも選挙の挨拶したいなあ」と一瞬思い口が開きかけたが、勿論そういうことはせずに、議事進行を粛々と努めたよ。
夜の懇親会で。
「議員さんが議事進行すると厳粛になるかとおもたけど、ちごたのう。」と言われた。
粛々ではなかったらしい。
集落営農・法人化という言葉が頻回に宴席を飛び回る。俗に「衣食住」というが、いの一番は当然食だろう。食料の自給率をあげねばならぬ。地場産を大事にしよう。
まがったキュウリ、穴のあいたキャベツこそが美味なのだ。

○ちごたのう(金津弁)=ちがっていたね

03/02/11 (火) 静かな夜明けだ

ナントカという投資会社から「イラク戦争が始まれば、灯油が値上がりしまっせ。一口のりませんか。」という電話が入った。
「あなたは戦争利用しての儲け話を進めてるのか。正気なのか。」と答えたら「ぼくだって戦争好きじゃありません。でも背に腹はかえられない。」という。
零細個人企業ねらっての無差別電話なのだろう。
とにかくしつこいのが特徴だが、反論の練習をするのにはちょうどよいので、この種の長電話が嫌いではなかった。
「いくら話したところで平行線は目にみえてる。先ずは資金力ある相手を選んで電話すべきだ。」で電話を切ったが、ぼくは段々と面倒くさがりやになってきている。

さて
昨日の朝、町議会林田合併特別委員長の自宅にお邪魔し、ぼくのなかで整頓できない部分をいろいろと聞いていたら、きのうのぼくの日記を読んだひとから、会いたいという携帯コールがあった。
会っての話。
片山総務相談話「平成17年3月までに意思一致あれば財政優遇延長」の意思一致をぼくは法定協議会設立とふんだので「ならば、二町法定合併協議会粛々進行と並行しての六町法定合併協議会設立も可能ではないか。」と思ったのだが、意思一致は県議会での承認を意味するという。つまり県から総務省に提出された書類審査に2、3ケ月かかるぶんを大目にみようというものらしい。そうであるのならば、記事大見出しにする程のことでもないと思うのだが。


03/02/10 (月) 夜明け前・午前4時

昨日の日曜日は、時間刻みのスケヂュールだった。
午前9時半、事務所では蕎麦うちが始まり、宴たけなわとなっていたが、ぼくは一顧だにせず
隣室で仕事にいそしんでいた。
午後一時半、某県知事候補の
年賀会に行った。受付で事務局スタッフのひとたちからいろいろ声をかけられ、最近さぼりがちで申し訳なさを感じていたぼくは嬉しくなってしまった。
立錐の余地ない会場で、某三国町議とばったり。
市町村合併に関する三国議会の現状を聞きたかったぼくは、彼と隣室に行き、じっくりと聞いた。有意義な時間だった。
事務所に戻り、身だしなみを整えてから寿司屋へ。昨年までの区長・平橋さんの送別会だ。
宴のなか、飲みたい酒をじっと我慢すること30分。場を抜け出したぼくは京都に向かう妻子を、車で駅まで送った。
戻り、やっと酒を口にすることができたぼくは、久しぶりにいろいろしゃべった。


○本日の新聞の片山総務相談話「合併、意思一致あれば財政優遇を延長したい」見出し記事で、これは三町合併可能への追い風になるのかと思ったら、「早ければ来秋の臨時国会にも改正案を提出したい」が明細記事なので、ぼくの貧弱な頭は混乱している。
○記事に「特例法は10年間の地方交付税現状維持保証」とあったが、先日の全協で、実際にはそうではないのではないかという論議があった。
○電子メールが使えないので、最近はファックスを利用している。そこで思うのだが、俗称ファックスを正式名称ファクシミリに戻すべきである。俗称を聞いた英語圏外人女性が、顔をあからめたという話を聞いたことがある。
○ウーン、外国人よりやっぱり外人がすっきりくる。
○そこで、昨日の新聞「ジェンダーフリー」特集欄を読んでうなってしまったことを思い出した。
何故男の子をクン、女の子をサンと呼ぶのがいけないのか、さっぱりわからない。
現役であれ退役であれ、世界が男と女で構成されていることを疑うひとは居ないだろう。
そう思ってしまうぼくが保守的なのか、それとも言葉自体が保守的ということか、これもよくわからない。

03/02/09 (日) 昨日の土曜日

いとこの息子の結婚式に出た。結婚式は十数年ぶりか。
代表のひとが簡単に祝辞を披露し、夫婦のありかた心構えを述べた。

「えー、夫婦だからといって阿吽の呼吸が通じるというものではありません。日頃の徹底した会話で夫婦はわかりあえるのです。」のフレーズで、隣席の妻は「そうやざ。黙ってたらあかんのやざ。」とささやき
「えー、夫婦の愛は無償の愛です。見返りを求めてはならないのであります。」のフレーズで、
隣席の妻は「そんなことないざ。わたしは求めるざ。」とささやいた。

媒酌人なし、肩肘はらない雰囲気でなかなかに楽しかった。
ご両人 お幸せに。


・求めるざ(金津弁)=求めるよ


03/02/08 (土) 午前零時起床さあ徹夜だぜ

ケーサツに行った.。人格者の私だ、逮捕されたわけじゃなくて免許証書換えの用件でである。ケーサツのおっさんたちというのはどうも目つきがちがう。ギカイと似てる。
おっさんと話してるうち、壁のポスターが目に入った。「アルコール0.15mg以上で罰金ウン十万」の字面をみて「ノンアルコールビール0.1mg以下ラベルなら飲んでもええんやろ?」と聞いたら「体質の問題や。ひとによっては0.15以上になる。」と言われた。
飲酒運転をしたことのない私だが、昨年10月にノンアルコールビールを飲んだ後、車で帰宅したことがある。自戒せねばと思った。

さて、球春である。
金本の入団で打線に厚みがでたが、伊良部の入団により和の乱れが促進されるであろうわがタイガースは五月いっぱいもつかどうか。最近のプロ野球に乱闘シーンが少なくなったのがつまらない。今年は是非復活してほしい。
選抜大会で、福商ではなく福井高校が選ばれたことにはびっくりしたが、福井高エース藤井くんの面構えはいいね。
金小スポーツ少年団野球チーム、今年の活躍はどうだろうか。
保護者としてうろうろついてまわっていたのが、5年前か。光陰矢の如しやね。

「改修工事でアパートをつくりたいんや。設計頼む。」という、知人からの依頼電話で嬉しくなったぼくは、久々にゆったりした気分でこの日記を書いている。

・悪魔のマーブ様、本日は部屋掃除。02/09蕎麦会準備OKです。夕方には宇宙飛行猛理が、部屋の点検に来ました。
・山下様、来週までにメール機能を回復しておきます。

03/02/06 (木) 昨晩

昨晩は十数人集まっての会議「ザ・町議選に向けて」だった。
いろいろ貴重な意見を拝聴し、最後のひとが帰った時には午前零時を過ぎていた。
残った妻とぼそぼそ会話。
立候補者本人の意思とは無関係に、配偶者・家族はその流れにまきこまれる。本人じゃないのだから一番迷惑を蒙るとも言える。この一点において、「本人はウイルスの感染源みたいなもんだ。ココロに銘記すべし。」と思

03/02/05 (水) 無題 

降る雪や 明治は 遠くなりにけり  中村草田男やったけね?

昨晩、創作の森某邸で中年男3人による統一地方選挙に関する雑談を終えて帰宅.。
塩昆布で晩飯食らい布団に入ったぼくはなかなか寝付かれない。
詮無く事務所に戻り、司馬遼太郎・「坂の上の雲」最終章を読み終えた時に浮かんだのが上の句だった。

ぼくら戦後団塊の世代にとっての戦争とは太平洋戦争であり、ベトナム戦争を始めとするその後の局地戦争を含めての反戦意識対象の原点はやっぱり太平洋戦争にあったはずだ。
だけど、偶々手にしたこの本を読み終えて、日清日露という明治の戦争が、昭和の戦争とはその質において明らかに違うのではないかと思った。
遼東半島をめぐるツアーリズム・ロシアの現実的な脅威に対して、幕藩体制からわずか30数年の弱小新国家日本が、その存亡をかけての叡智を結集した、やむを得ざる戦いであったという気がする。
世界世論をリードする立場にいた当時の英国が南進膨張主義をとり続けるロシア皇帝・ニコライ二世を牽制し、当時の米大統領セオドア・ルーズベルトが日本に有利に働くように講和を画策したことを考慮しても、敢えていえばこの戦争の不可避性というものが、そこにはあったといえる。
秋山兄弟というのは、明治青年国家精神の象徴なのだろうとぼくは思った。


03/02/02 (日) 晴天の日曜日 

午前9時半、区の出初式が開かれた。嶺北消防署のひとが三人来て昨年度の管内消防車の出動状況及び救急車の出動件数についてを報告した。自殺者が増えていると聞いて、どきっとした。ぼくは選挙に関する挨拶をさせていただいたあと、檀家の寺院へ。同じ時間帯に新年総会が開かれていた為である。
総会が終わって、親睦飲み会となった。座で、議会のこと選挙のこと合併のことをいろいろ聞かれた。
午後二時過ぎに飲み会終了。晴天のなか、長靴コートで家路を歩いた。
帰宅し布団に入りぐうぐう寝た。午後6時半、今起きたところです。

03/02/01 (土) 名も無く貧しく   

土曜日だということで、午後は事務所の引越しにいそしんだ。引越しといってもパソコンと机をブロック造建物から隣り合うプレファブに移動させるだけだけれども、これが気分の風通しをよくするので、四季折々の行事としている。d030201

完了し、珈琲を沸かし、TVのスイッチをつけた。
NHKが「新日本紀行・特集号」を放映している。昭和40年代後半・高度経済成長以前のまだ貧しかった日本の各地の若者たちの表情がアップされていた。
漁業や農業や集団就職やらの場にたつ彼らの表情は、てらいや泥臭さも含めての野性味で凛としていると、同年代のぼくは思った。

「衣食足りて礼節を知る」は、富裕層支配階級にのみ通用する格言であって、我々庶民は、やっぱり「名もなく貧しく美しく」を座右の銘としなければならないなあ。
しかし、あの映画にでていた高峰秀子は大変に綺麗だった。