2003年03月

03/03/31 (月) 住居表示   

昨晩、千束のあたりを徘徊していた時に、住居表示変更のことを思い出した。
金津町の旧町内で住居表示が変更されたのは七年程前だった。
そして坂ノ下は花乃杜一丁目、千束は花乃杜五丁目となった。
ぼくが保守的なのか、言葉自体が保守的なのかよくわからないが、当時ぼくはFM福井のスタジオで、「ウーン、なんで変更しなあかんのか」とぶつぶつしゃべった。
例えば坂ノ下は、八幡神社を鎮守する友平山からのだんだら坂を降りきったところにあるから坂ノ下と呼ばれてきた。
千束の名は太閤検地に由来する。メジャースケールとして使った沢山のわら縄を、一箇所に集めて燃やしたからだという。
地名にはルーツがあり精霊が宿っているのである。



・3/30現在、タイガースは2勝1敗(勝率0.667)
 ジャイアンツは1勝2敗(勝率0.333)
 ゲーム差は1、勝率差は3割3分4厘でげす。

03/03/30 (日) 推薦  

今、水上勉の長編「故郷」を読んでいる。
若狭の冬の浦という数十軒の小集落が舞台だ。近くに原発ができたことによる暮らしぶりの変化の功罪に対して、著者の姿勢は微妙である。
それをも含めて、描かれている住民の日常生活の悲喜こもごもを読んでいると、いわゆるゲマインシャフト的世界が,全国の津々浦々のひなびた寒村にはまだまだ残っているのだろうなあと思った。
そしてぼくは全くべつのことを考えた。
町村議会議員選挙につきものの地区推薦の原型がここにあるのではなかろうかとね。
現在の議会制民主主義という制度は、投票者個人の自由意志に委ねられ、なにびともこれを妨げることはできないとうたわれている。
しかし、閉鎖的な集落で、相互扶助の精神で肩よせあって生きていれば誰が立候補しようと、そのひとが村人の共同利害の体現者であることに誰も疑いをはさまないということになるのだろう。
良し悪しは別として、自治体を超えた広域の例えば県議・知事・国政選挙との質的な違いのひとつがここにあるような気がする


  • 若い頃、淡路島のバンガロー村アルバイトでひと夏を過ごしたことがある。雇い主のおじさんは温厚を絵にかいたようなひとだった。ある晩月明かりの浜辺で一緒にビールを飲んでいた時、日中戦争の話になった。「満州でなあ、わしはなあ、何人ものちゃんころをなあ、青竜刀で試し切りしたもんよ。」とのつぶやきでぼくはドキッとした。ちゃんころが中国人に対する蔑称であることもその時のぼくは知らなかった。同胞が殺られれば相手への憎しみは増す。狂気の世界に入り込む。平時にどんな温厚なひとをも狂気にさせるのが戦争だ。・・バクダッドの地上戦が近づいている。


03/03/29 (土) 出生率  

箱物行政がもう必要ないことの大きな理由として、今後の人口減少が挙げられる。
現在の出生率は1.3人強くらいじゃないか。
先日、自治体毎の諸統計をビデオでみていた。
出生率全国最高は懐かしの沖永良部島和泊町で3.5人、最低の東京新宿区は確か0.7人くらいだったと思う。
少子高齢化社会が五十年続いたあと、日本の人口は7000万くらいで落ち着くと聞いたことがある。需給の関係からいって、土地の急騰はもうあり得ない。経済の活性化という観点からいえば、穏やかな上昇が望ましい。

  • 正午、知事候補・高木さんの坂井郡内での出陣式に行った。いかにも手作り草の根選挙という感じで、若い人たちの顔も多い。もうプロの選挙屋の指示や組織の締め付けで票を稼ぐ時代ではないと、ぼくは思うのだ。中核を素人が担うと必ず追い風が吹く。
  • ぼくがにらんだとおり、巨人のペタジーニ獲得は大正解だった。

03/03/28 (金) あかるいまちづくり  

午前5時半の東の空は、雲がたなびいている。朝焼けでとても綺麗だ。
阿弥陀仏来迎図の背景色と似ている。
空がこんなに綺麗なのは、雨上がりだからだろう。
ということで、昨晩の金津町雨中ドライブを思い出した。
同乗者は珍しく妻だった。
金津町は中山間地にある。まちうちはともかくとして、郡部の道路は暗いところが多い。集落と集落をつなぐ道路にしろ集落内幹線道路にしろ暗いところが多い。
いつだったか、闇のなかをひとりランドセルしょって帰宅する少女をみかけたことがある。世の中にはわけのわからんおじさんがいることを考えると大変に危ないのである。
近年、ドブイタ議員が揶揄の対象になっているけれども、それは都会もんの論理であるという一面もある。

・知事選告示。うん、新しい福井が誕生するかどうかだ。
・プロ野球開幕。エース井川の先発だ。阪神の開幕戦勝利は間違いない。
 むしろ焦点は、中日のエース川上が巨人を完封できるかどうかだろう。

03/03/27 (木) 久しぶりに読んだ新聞    

・例えば外科医が手術できるのは他人だからであって、自分の家族だったらとってもできないという話をよく聞くが、記事の見出しが「誤爆で市民十数人死亡」といった乾いたものであるのもよく似た話だと思う。
一回きりの生が理不尽に砕かれる事実に量は関係ないはずだ。

・「ピア五月閉店へ」とある。商調協がらみで、地元組合と大手スーパーが共同運営する全国でも先駆けとなったこの建物に対する思い入れは深い。
20数年前、設計事務所勤務の時、監理のサブとして一年間をピアの工事現場で過ごした。当時一緒だった様々な職人達の相当数が多分ご隠居になっているだろう。

・「元レスリング欧州ジュニアチャンピオン=メラフ・ラバンくん(四股名・黒海)が十両に昇進」とある。
元来相撲取りの四股名はふるさとの美しい自然を語った。黒海もその例に漏れない。今「・・山」「・・川」が日本人力士に少ないのは、それだけ自然が少なくなったからである。
しかし世界には大自然が残っている。今後相撲の国際化が進めばどのような四股名がでてくるだろうか。
例えば
揚子江・南十字・五大湖・大凍原・喜望峰・極東嵐・絹乃道・白夜・印度象などが予想できる。
なかなかロマンチックだと思う。


03/03/26 (水) 町議選説明会    

昨日の午前中は、金津町役場政庁にて町議選の説明会が開かれた。
参加者は20人。このままで固定だとすると、18人の定員に対して2人オーバーということになる。
ポスター掲示箇所の一覧表が配布資料のなかにあった。数日前、某知事候補事務所から「坂井郡内で、金津町だけが掲示箇所の地図をつくっていない。」という連絡があったので、説明会席上で確認したのだけれどやはりそうだった。午後、住宅地図を持って再び役場へ。選管で確認しつつ、場所を地図に落とした。
夜は有志が集まった。「推薦という言葉の意味について」がメインテーマとなった。散会後、残った妻とふたりで封筒の宛名書き。気がついたら1時半を過ぎている。そのまま毛布をかぶって寝てしまった。

○二日前の日記に載せた京都近郊都市の公園の写真画像をみた友人から、「物見遊山で優雅やのう。」と言われたが、とんでもござんせん、娘の付き添い・親の務めをこなしていたのであります。


03/03/25 (火) 電子投票    

午前6時半の朝は曇り空だ。
しょぼしょぼ雨が降っている。ちょっと肌寒い。
ブルーマウンテンあつあつ珈琲を飲みながらTVのスイッチをつけた。
「鯖江市が7月の地方選挙で電子投票導入を議決。東海北陸地方で初めてです。」と報じている。
昨年秋の町文化祭で電子投票のデモンストレーションを体験した。
何よりも簡便だ。自筆ではないので、候補者への思い入れがのりにくいのが欠点といえるが、税の節約になる。住基ネットと絡ませた将来的な在宅投票への布石でもある。視力障害者が投票しやすい。
はやく実現すべきだ。

03/03/24 (月) 無題    

昨日、京都近郊の都市でみた街角の公園。
高いフェンスに囲まれた猫の額のような土地に、ブランコや滑り台が置かれている。隣地の高層ビルによって陽射しがさえぎられ、なんというか、閉じ込められた公園という気がした。
思うに、狭い土地に敢えて遊具を置く必要はないだろう。
土肌の拡がりがあるだけで、こどもたちは、釘さし、けんけん、ビー球、八の字といった伝承遊びをするのではないかと、ぼくは思う。


03/03/23 (日) 総括    

昨晩、東山のひとと話をしていたら、「牧田さんのホームページを、会社の昼休みに毎日読んでいます。応援しています。頑張ってください。」と言われて照れてしまったのだが、と同時にぼくのは身辺雑記が多くて「議員日記」に値していないことを自戒したのである。
光陰矢の如しで、もう四年間が終わろうとしている。議会に対する入る前の印象と、入ったあとに定着した印象との間にはだぶりとへだたりがある。経験して初めてそれが峻別できた。
曲がりなりにも四年間の総括をすべきだろうと今思っています。


03/03/22 (土) 市姫荘    

昨日午前中は
、老人福祉センター「市姫荘」にいた。
金津町身体障害者福祉協会総会の手話通訳を、社協から頼まれた為である。
冒頭、県議候補S氏の挨拶があった。選挙近しやね。
「うーん、わしもしゃべりたいなあ。」と一瞬思った。
しかし勿論粛々と通訳をこなし続けたよ。
総会での議事が質疑応答にうつった時、友人のろう者が手を挙げた。「町役場に手話通訳者を置いてほしい」と言う。確かに、県は手話通訳奉仕員派遣制度で通訳の保障をしているが、リアルタイム対応ではないので困るとのこと。
町職員は即ち公僕なのだから、役場内に手話サークルをつくったらいい。
この金津町内には、手話通訳のベテランが何人もいなさる。喜んで教えにきてくれると思う。
というようなことを、総会終了後、担当課長さん達と話していたのだが、いずれ募集があったら参加してください。
なお、サークル「かけ橋」も活動しているので、興味のあるかたは、津谷留美さん(0776-73-2499)までご連絡を。

○午前中でひと仕事を終えたので、気分がゆるんだ。きょうはどこへも出かけないので、アサヒスーパードライ500mlをひとりで飲んでいる。BGMは「日本のわらべ唄」だ。昭和の30年代に戻ったようないい気分だ。昼間からビールを飲むなんて二年と三ヶ月ぶりだと思うが、偶には構わないだろう。

○山里を歩くと梅の花が綺麗だ。
雪降れば 木毎に花ぞ 咲きにける
       いずれを梅と 分きて折らまし
誰の歌だったか忘れた。木毎に梅をひっかけた、典型的な駄洒落の歌だ。


03/03/21 (金) 自己嫌悪    

所用で徹夜中。この歳になるとなかなかにえらい。
TVは、午前1時過ぎに始まったバグダッド空爆二日目を流している。
赤外線カメラが捕らえているからなのだろう。映像が緑色を帯びていて、閃光が奇妙に綺麗だ。
ひとがひとを殺すという、およそ地球上で最もあさましい行為が展開されている映像にそういう気持ちを感じる自分が嫌になる。


03/03/20 (木) 無題     

夜、あることで家々を廻っていると、犬にほえられることがある。
臆病者のぼくは、突然ほえられるとびっくりする。気が動転する。
最近の住宅では、来客をセンサーがキャッチしポーチの灯りが自動的につくようになっているのだけど、番犬住宅は日本の伝統を踏襲しているわけだから、文句を言えまい。

○ついに開戦となってしまった。
フセインの声明にシオニストという言葉が使われていた。
歴代の米大統領を最終的に決めているのは米国経済界に君臨するユダヤ資本だ。
よって米はどうしても親イスラエルとなる。
ヒトラーによって、徹底的なホロコーストを受けたユダヤ人は、「シオンの丘へ」を合言葉に昭和24年、イスラエルを建国した。その地にいたパレスチナ人は、その日から難民キャンプ暮らしを余儀なくされた。ユダヤ教の聖地がシオンの丘であったことで、宗教の問題がからんでいる。フセインがいうシオニストは侵略者というほどの意味だろう。解決はパレスチナ国家の建設にあると思うのだけれども、歩みは遅遅としている。


03/03/18 (火)  桜     

世の中に 絶えて桜の なかりせば
       いかにこの世は  楽しからまし

を歌ったのは誰だったっけね。
桜が嫌いだからではなくて、好きだからこその歌として有名だ。
桜ははかない。蕾から7分咲きへ、7分咲きから満開への変身が早いので、すぐに散り際をみなければならないのがつらいという、いってみりゃ恋文なのである。
しかし、ぼくにとっての桜の散り際は神経をそんなには繊細にさせてくれない。
昨年4月、八幡神社境内で催された花見の宴は強風の日だった。
豪快な桜吹雪のなかで、ぼくは中島さん手作りのタラノメてんぷらを一心に食べていたのを
思い出す。

03/03/17 (月)  きょうはネクタイの話なのだ     

「これを使ってね」というメッセージと共に届けられた5本のネクタイを眺めているうち、4年前の選挙を思い出した。
別の女性からだったけれど、暮れなずむ頃、ぼくの事務所の庭先で絹のネクタイの贈呈式があったのだ。
もともとスーツとは無縁の日々を送ってきたので、ネクタイ着用開始の頃の我が首は大変に窮屈だった。しかし、慣れてくるとむしろ気が引き締まるような気分を味わうようになったのだから、不思議なもんだ。
イラスト顔をダブルクリックしてください。似合っていると思いませんか?


ま、姿はともかくとして、最近ぼくはよく批判される。
前回選挙の時の提言「定期的に議会通信を出す」を何故途中で止めてしまったのかという批判です。確かに1年半ほど前から休止状態で,全く仰せのとおりです。俺は意思が弱いと反省をするのですが、ホームページのような瞬間無方向発信媒体に慣れてしまうと、紙に書いて、印刷して、折りたたんで、あちこちでかけてというのが億劫に感じることがあるのも事実です。
が、この点については、初心にかえらなければと、今改めて思っています。

○昨日、春近しを感じさせる陽光のなか、所用を終えて福井市から帰ってきた。
西の空を眺めたら、向ケ丘あたりに黒い雲が湧き上がっていた。
この季節の天気は安定しないんだねえ。

03/03/16 (日)  日曜日の朝     

ちょっと前の新聞・金沢支局版に「毎日、香林坊広場にたたずみ続ける名物おじさん・高さん」が載っていた。
20年以上前、重度の脳性小児マヒ車椅子障害者の高さんと話した折、言葉がよく聴き取れず「もういちど」と言うと、「それはあなたたち健常者がおごりに浸っているからだ。だからあなたたちは駄目なんだ。」と何度も叱られたのを思い出す。
30年前、ぼくが沖永良部島北端の牛小屋2階に数十日間住んでいた時お世話になった平さん夫妻の長男も又重度の脳性小児マヒで、夫婦は毎朝毎朝耕運機に長男をのせて海辺に連れていくのが日課だった。日がな一日夫婦が畑仕事にいそしむ傍らで、砂浜に座った長男がじっと海を見続けているのは、当時のぼくにはとっても不思議な光景だった。

でもじってしていることのなかに、豊かな世界が広がっていたんだろうなあとぼくは思う。
健常者が世間の波のなかで生きる知恵を狡猾に身につけていくことを発達などとは呼べまい。発達とか停滞とかとは無縁なところに、ぼくらの日々の営みがあると思う。
高さんの「ぼくの仕事はとにかく生き続けることなんや。街に出ていくことなんや。」というつぶやきは、それだけで一回きりの生の重さを十分に語っているのではないかなあ

03/03/15 (土) 夜の熊坂     

昨晩、熊坂で高木さんの「ぶんどう塾」が開かれたので、行ってみた。
個人の住宅が会場だ。
ポイントを幾つかに絞ってしゃべっていた。
ハードよりもソフト、中央依存よりも地方分権、業界型よりも市民型、推薦よりも草の根、消費社会よりも循環社会といったところがキーワードだったが、とにかくせいぜい数十人の車座的な雰囲気が感じよかった。

○3/14付やまさんの議員日記(リンク)の心中がわかり過ぎる程わかります。

03/03/14 (金) 無題     

確定申告締め切り日が近づいている。書類をみていると、年々の収入ダウンに、生きていく気力もそがれる。
とまれ全部終えてしまおうと、昨日は捻りハチマキで頑張っていたのだが、そういう日に限って来訪者多く、かつ話が長かった。
そこできょうは玄関をロックして頑張っております。


午前中は幼稚園、小学校の卒業式に出席した。
幼稚園の卒業式でなにより驚かされたのは後部保護者たちの席、デジカメわが子撮りの放列だった。
ウーン、何かの記者会見のように思えたよ。

○確定申告の為にレシートの整理をしていたら、アジフライ○○円がいやに目に付く。
ウン、ぼくがこの世で一番うまいと思うツマミはアジフライだ。
ラーメンだったらY食堂で、手打ち蕎麦だったらY師範の手になるものだと思う(両Yは別々).。蕎麦のゆがきかただったら、蓮ケ浦のM氏だろう。
こういうのを「ゴマをする」という。
そういえば、あつあつ白米にゴマ塩かけたのも又天下の一品といえるのである。

03/03/13 (木)  デジカメは進歩している    

午前11時、K氏来訪。S氏所有のデジタルカメラ(すごい!320万画素である。)でぼくの肖像写真を撮った。
4年程前、ぼくが昔買ったデジカメは30万画素だったのだから、この世界も日進月歩なんだろう。デジカメをコンピューターに取込めば、編集も自在になる。ということは、プロアマの境界がうすくなり、印刷業界が大きな痛手を蒙るということだ。プロがプロとして生き残っていく為には、小手先技術の提示ではもうむつかしい。アマには絶対にできない何かを提示するのが不可欠だ。
もっとも、今の時代、どの業界ででもいえることですが。

03/03/12 (水)  議会最終日  

きょうは議会最終日。
付託された案件に対する各常任委員会からの審議内容報告のあと賛否が問われ、閉会となる。
今議会で配布された圧倒的に分厚い資料をみていると、この四年間で自分はどれほどのものを獲得できたのだろうかと、いささか懐疑的になってくる。
でもまあ、とにかく頑張ろう。

これから、各議員は、選挙モードとなっていくわけやね。

○昨晩は、10人集まっての対策会議が開かれた。いろんな意見が出て、ぼく自身は頭んなかが殆どパニックになってしまった。
そういえば、以前有志議員でお茶を飲んだ時もそういう話がでて、「でるのに賛成する家族なんて絶対いないわなあ。」が結論だった。



03/03/11 (火)  ちょっと悪寒がする 

午前3時。
見上げれば、天空の闇から牡丹雪が舞い降りてくる。
冬来たりなば春遠からじ
というけれども、うーん、なかなかに遠いのだ。


きょうは金津中学校の卒業式。
プレゼントされたネクタイは曲がっていないか、シャツの襟は汚れていないか、ズボンの折り目は大丈夫か、笑顔はカワイイか、先ほどから鏡をみている。
○ところで
社協だより三月号をみてください。

03/03/09 (日)  三行日記

そとは、霰が降っている。
きょうは真冬並の寒さになるそうだ。
風邪気味だし、外出は控えて雑務をこなすつもりです。


○数日前のTVが、イラクの病院を映していた。
湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾によって、ガンが多発している。
ことに、子供たちの奇形は正視に堪えられぬほどにむごい。
フセインが査察で全てをさらけだすことは、もはや無いだろうし、新保守主義ブレーン三人衆によって理論武装された石油利権追求的警察国家アメリカが国連決議如何に
関らず、待機する20万の若き兵士達を動かすことも確実だ。
戦争を避ける唯一の道はフセインが亡命することだ。アメリカもそれを保証している。

イスラム教にしろキリスト教にしろ唯一絶対神の世界の教義はよくわからないが、要するに神が相対化されればいいとぼくは思うのだ。
大和朝廷つまり天つ神の天孫降臨によって征服された国つ神=産土神の世界の復権である。それは、梅原猛が言うところの縄文の神々につながるのかもしれない。
ともかく人間はおごってはならない。たかぶってはならない。
ひたすら大自然の運行の前にひれ伏すべしなのである。

03/03/07 (金)  身だしなみ

午前3時の金津の夜は、全くの静寂の世界で、自分の息遣いのほかはなんにも聞こえてこないのである。



○ふた昔も前、パリのシャンゼリゼで買ったスーツがダーバン(¥49800・消費税込)だった。当時のぼくには22歳のパリ娘・カトリーヌがいた。
買ったそのスーツで夕暮れのセーヌ川沿いを腕組みつつ歩くのが日課だった。
シャンソン「枯葉」や「雪が降る」を一緒にくちずさんだものだ。くちづけは決まってルーブル美術館の裏だった。そして、カトリーヌは、ぼくと同じく黒い瞳だった。
と言いたいところだが、実は金津町内某洋品店で買ったものだった。

町議会議員となったぼくが、四年間そのダーバンを着たきり雀とした為にズボンの折り目がなくなってしまった。
もうブランド品は要らない、大衆品を買おうと決意したぼくは某デパート「紳士服売り場」に行った。購入したジャケットは\7000-消費税別だった。
帰宅し、そのジャケットでタートルネックの身を包み、町役場にでかけた。所用をこなし、ついでに議会事務局に寄った。
ミセス小林がいたので、「似合うかい?」と聞いたのだ。
「似合うわ、でもそのセーターまえうしろ逆じゃない?」と言われた。
こういうのを、画竜点睛を欠くというのだろうと、ぼくは自戒した。



03/03/06 (木)  昨日の一般質問 

昨日の一般質問者は8人。

「金津町のメイン通りである水口通りや十日町通り、八日町から坂ノ下、天王通り、東区通り、新町通りなどの歩道は側溝蓋を利用しているため狭く、大変歩きにくいので、これを道路面と同じ高さのグレーチングに改善し、老人や車イスの方が歩きやすいようにバリアフリー化する考えはないか。」という野田議員の質問があった。

6年程前か.。ヘルニアで腰を痛め、二ヶ月程車イス生活をしたことがある。
立居動きが座位動きになることで、公的施設や街の構造が、まるで違ったものにみえた。
段差ありの狭い歩道に、突き出た電柱あるいは自販機などが行き来を困難にしている。そこで、車道に出てしまう。ところが車道は排水勾配がある為にまっすっぐ進むのがむつかしい。結局車道ど真ん中が直進の為に一番いいことに気がついたが、勿論一番危ないのである。
グレーチング使用してのバリアフリー化は確かに問題解決に役立つ。
しかし、車イスはグレーチングを縦断もし横断もするので、リブが一方方向ではよくない。チェック模様のリブが望ましい(なかなか無いがね)。
段差を無くした為に、歩車道境界を識別できず事故にあい死亡した視覚障害者の悲惨な例もある。
とまあ、こんなことを一般質問休憩時に、傍聴席の区長さんがたと一緒に話していたのだが、障害者がどしどし街にでることが、微妙な問題を解決することになるとぼくは思うなあ。
そういえば、田島議員たち共産党のグループが、昨年、障害者用街マップを作製していたのではなかろうか。

03/03/05 (水)  粉雪の朝 

きょうの本会議は一般質問だ。通常は議会初日を一般質問の日とするのだけれど、今回は日を分けている。
任期最後の議会なので質問者も多いからなのだろう。
じっくりと聞いて、メモをとるつもりです。
四年間議会にいて
??と思ったことはいろいろある。
俗に「役所の常識は民間の非常識」という警句があるが、そのでんで言えば「議会の常識は住民の非常識」という側面をいろいろ感じた。「議会はどもならん」というお叱りを直接間接に何度頂いたことだろう。拝聴し頷き自戒してきたつもりではあるけれども、一方で「待てよ」という小さな思いがあったのも事実だ。
議員の雇い主は町長ではなく有権者であるのだから、図式的に言えば有権者の思いの反映体だ。気障な言葉を使うならば、議員の民度は有権者の民度ということになる。「どもならん」と思うひとこそがどしどし選挙に出るべきだ。
そういえば、例えば金津町議会の場合、男女の比率は19対1である。
男女共同参画社会が標榜されているこんにち、この比率はおかしい。
どう考えてもおかしい。


○しばらくぶりに「掲示板」を覗いたら何人かのかたから入っていました。
うーん、毎日覗くのがエチケットなのだと自己批判をしました。
返事書きます。
○いわゆる統一地方選挙の年だ。町議選も近くなってきた。誰それが出るだの出ないだのという生臭い話が聞こえてくる。
雑音に耳をとられず、粛々として
頑張ろうと、ぼくは思うのである。

03/03/03(月) きょうは雛祭り・耳の日 

昨日の朝。
某県知事候補事務局から頼まれて、金津東地区の一部をポステイングで歩き廻った。
こういうことをしていると、この町も広いということがよくわかる。
庭先には色とりどりの花が咲き始めている。春がきたんやねえ。



○不覚だった。訳のわからないメールを開いたら、又もやウイルスめが侵入してきやがった。
危機管理に敏感なわしは、すぐさま最新迎撃機ウイルスバスター2003で、やつらを退治した。徹底的に壊滅させた。
ウイルスよ。わしを甘くみないほうがいい。役場電算室には、ウイルススナイパー・ゴルゴ13がいるのだよ。わしに無差別テロは通じない。


03/03/02 (日)  越後

昨日は土曜日だということで、藤沢周平著「密謀」を読んでいた。
上杉藩主景勝とその知恵袋直江兼続のありし日を描いている。
秀吉亡きあと、機を見て敏なる大名諸侯が、追従諂いで家康へ家康へと草木もなびくなか、上洛して私のとこに来なさいという家康からの使者に対しての返書は「・・別心なければ上洛せよなどと乳呑み児あしらいのことを申されるが、心中別儀ないものを、そういわれて頭を撫でてもらいに行くのは、上杉の家風に合わぬ。かく申す景勝罷り違い候か内府さまご表裏か、世上の沙汰次第に候こと・・・」だ。勿論これは死を覚悟しての返書である。
しびれる。
ウーン、こういう越後の風土が、てんてんてまりの良寛を産み、36文キックあるいは脳天からたけ割りのジャイアント馬場を産んだのだ。紅白歌合戦の目玉小林幸子を産んだのだ。そういえば、学生時代の私の親友も越後の産で、追従傲慢謙遜謀略とは一切無縁の男だった(但し色好みだったが)。

越前加賀越中越後でいわゆる越の国をつくったらいい。
将来の選択肢のひとつだ。

○地区の親睦団体・四十路会役員引継ぎ式のあと、6人で芦原へくりだした。
スナックバーだ。こういうところへ来るのは2年ぶりか。カラオケセットをみて、ひさしぶりに「港町ブルース」を唄った。決して美声の持ち主ではないぼくは、しかし一生懸命唄った。
そのせいだろう。となりのボックスにいた8人くらいのグループ(金津町内の有名企業社員)のうちの何人かが、ぼくに握手を求めてきた。
下手でも構わない。恥ずかしがらず誠実に唄うことが大切なのだとぼくは思った。

○メールが開けない日々が続いている。
下さった方、おられましたら、ごめんなさい。

03/03/01 (土)  きょうから3月

昨晩、どてっと横になってみていたTV画面は「NHK北陸スペシャル・武生介護タクシー奮闘記」だった。車椅子対応介護士付で運賃が普通タクシーと同じとなれば採算がむつかしいのはよくわかる。けれど、タクシーを運転する55歳脱サラ社長玉村さんの横顔はいきいきしていてとても素敵だった。生きがいというのは、ひととの交流のひろがりと密度だということだろう。行政はこういうひとたちをサポートする義務がある。
合併して市制を敷けば、今まで任意設置であった福祉事務所が必置となる。行政の窓口には当然手話のできるひとがひとり必要だ。
そういえば、確か社協で手話講習会を開くと言っていた。
町役場の職員諸君、誰でも構わない、是非積極的に参加してください。


○金本と伊良部が今年の阪神タイガースの命運を握っている。
金本の怪我はもう治ったのだろうか。
独裁者星野が、伊良部を二軍に落としたのは極めて賢明な措置であり、チームワークを自覚した伊良部にぼくは期待するなあ。