2003年12月




03/12/31 (水) グッバイ2003

「レット イット ビー」がビートルズ最後の作品と聞いて、ああなるほど、と思った。
良寛が友人にあてて書いた手紙「災難に会う時節には災難に会うがよろしかろう」に通じる。
この手紙には逆説がある。
人災も含めての災難に寄せる思いが同情である限り、相手は悲嘆にくれるばかりだ。災難を災難として甘受するところからしか出発できないという意味がある。
同情より手助けだ。阪神淡路大震災や三国海岸重油流着で、日本の若年壮年層の奉仕精神も組織化されていると思うし、よくわからないけれど、イラクへもイランへもどしどし行っているのではないか。
ぼくも、定年後はそういう仲間に加わっていきたいと思っている。

「こまわり君」38歳に 「がきデカ」復活 金沢在住の山上さん、コミック誌に
一九七〇年代に「死刑!」「アフリカ象が好きっ!」などのギャグが社会現象になった漫画「がきデカ」が、二十三年ぶりに、中年ならぬ「中春こまわり君」のタイトルで復活。・・・・ 主人公のこまわり君は三十八歳になって、往年のギャグを連発して周囲を困惑させる。作者の山上たつひこさん(56)(金沢市在住)は「こまわり君は自分の中で生身の人間としてずっと生き続けていた」という。 ・・・・・ 「がきデカ」は一九七四年から八〇年まで少年雑誌で連載され、九〇年に特別編も短期連載。だが、山上さんは「絵がパターン化し、流れ作業に追われているようで描くのが苦痛になった」と、この年、小説家に転身した。 今回の復活は、約十年前に交わした担当編集者との約束がきっかけ。「年齢を経て変わるものもあれば、永久に古くならないものがあることを・・・」←読売・北陸版より抜粋」
という記事を読んだ。
そうか、こまわり君も38歳になってしまっていたのか。
30年以上前、「あしたのジョー」「巨人の星」と共に読みふけっていた漫画が復活するのはとても嬉しい。

03/12/30 (火) 年末年始

年末年始。
今晩は、下の息子の友人ふたりが泊まりに来ている。大晦日には上の息子と娘が帰省してくる。
喧騒家族だった数年前の日々が戻ってくるわけである。
ぼくはといえば、事務所で粛々と仕事をこなしていくだけだけれども、一応、羽織袴になりました。

あと一日で今年も終わります。
喜びはすぐに逃げていき、苦しみはなかなか去っていってくれない、つまり意のままにならない一年でした。
が、人生とはそんなものだとも思います。
一杯の手づくり蕎麦がおいしかった時、深夜にいろんなひとを想う時、ラジオから流れる名曲を耳にした時、あるいは木漏れ陽をうけて自然のなかを歩く時、たまにではありながらも感じる明日への英気を大切にして、来たる2004年を頑張っていきたいと思います。
今年一年間、駄文にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

〇酒類販売コーナーのレジで会った奥さんに「来年はよろしくお願いします」と挨拶したら、相手から「え?再来年でしょ?」と怪訝な顔をされてしまったよ。
一瞬ののち、意味のとり違いに気づいた双方は顔を見合わせて笑ったのだが、この笑いの意味は金津町のひとだけが了解できると思う。

03/12/29 (月) 地震

イランで発生した地震による犠牲者は空前の数に上るみたいで、大変痛ましい。
崩壊した住宅の殆どが日干しレンガ構造ということだが、その耐震性がどの程度のものなのかと思っていた矢先、「国土交通省は、来年度から新耐震以前施工の既存住宅の補強を補助金交付で推し進める」とラジオニュースが流していた。いいことではあるけれども、広い濡れ縁を持つ田の字型の伝統的和風住宅などは果たして補強が可能なのだろうか。ああいう型の美しい住宅はぼくらが持っている共有財産なのだからなくしてはならないと思うのだ。
ということを考えていたら、某準大手ゼネコンの工事課長が来訪。話は公共建物の耐震性に移った。
「制震」という補強工法があるそうだ。コンクリート建物柱梁の内側に鉄骨柱梁を入れ込み、油入りのパイプを片筋交風に差し込む。地震力が働いた時、パイプ内油圧が収縮し、揺れを吸収するという理屈の工法で、相対的にローコストで済むという。
「耐震」補強はわかる。「免震」は基礎がらみなので、新築を前提としなければならない。しかし選択肢は他にもあるのだ。合併後でてくるであろう公共施設改修問題に備えて、ぼくはきっちりと勉強しておきたいと思っている。
〇自己嫌悪でなんとなく欝期に入ったようだ。
正月に、京都の冬景色で、心を洗ってくるつもりです。

03/12/28 (日) 二学期制

「二学期制」導入が教育に関するトレンドな動きである。平成17年から、坂井郡内で共通に実地される予定だそうだ。実地しようとする理由を聴いたけれども釈然としない。
教育委員会によると、「二学期制」導入は、低下したこどもたちの学力の再向上に力点が置かれているという。
数年前、国は「こどもたちにゆとりを」ということで、週休二日制を導入した。勿論これはその裏面として教師の負担軽減の意図があると思うし、教師を労働者として捕えるのであれば時代の趨勢だろう。
だけど、「子供たちにゆとりを」の指針を打ち出した文部省のエリートたちは、結果としての「学力低下」をその時点で予見していたはずだ。相対的に学力が低下しても、教育の方向は別のところにあると考えたはずだ。
その文部省が、今ここで「学力向上」を打ち出すことは、朝令暮改じゃないか。
親としてのぼくは、我が子から「何で勉強しなあかんのや?」としつこく聴かれた時、説得力を持って答えることができなかった。結論として、勉強したいかどうかは本人の好みにかかっていると思った。

ゆとりというのは、モラトリウム人間であることの保証だろう。ひとは退屈しなければならない。
退屈することが、将来の自分を見据える重要な期間なのだとぼくは思う。
どのみち、本当の教育現場はしゃば自体にある。

〇来年3月にあわら市が誕生すると、50日以内に市長選挙をしなければならない。今のところ、4月11日(日)が投票の予定日である。ぼくら議員の改選は再来年6月の予定だから、新市施行から一年数ヶ月の間、暫定的市会議員となる。その間の議会議長あるいは副議長に誰を押すかというナマグサイ話が、ぞろ出始めていると仄聞した。ぼくの一番苦手な領域だ。
議会議員は、行政に対するチェックマンorチェックウーマンとして、有権者から選ばれた。
議員必携に「首長と議会は車の両輪である」と明示してあるのは、議会が首長に対する追随者であってはならないという意味である。
新市に於ける議会議長は、是々非々の態度で首長に対して苦言を呈することのできるひとでなければならない。

昨晩の飲み会は、金津町議会における議員個々のシナ定めが、酒のつまみとなった。
議会に主流派と反主流派という色分けがある。砕いて言えば、町長派vs反町長派か。そんな色分け自体くだらないことだと思ってはいるけれども、ぼくは反主流派に属しているとみなされているみたいだ。
それでいいのです。「反」はぼくにとって永遠にチャーミングな言葉なのです。


03/12/27 (土) 無題

正月用にと思って買い込んだ数冊の文庫本。
昨晩、ページを開いたらそのまま読み続けてしまったのが、「約束された場所で」だ。
’99年に、オウム真理教の信者・元信者に対して行ったインタビューの記録で、著者は村上春樹(’49年1月生まれだから全くの同い年)。副題はunderground2とある。
地下鉄サリン事件直後の狂熱的なマスコミ報道とは裏腹の、クリスチャンでいう「神への告白」のような静かな語り口のこの本を読み進むに連れ、5年後のこんにちの日本社会を暗示している本だと思った。
著者自身が前書きで語っているように、オウムは無くなってもオウム的なものは社会全体に拡散し浸透している。
2004年を、ぼくたちはある種の覚悟をもって迎えなければならないと思う。
〇夕方は、三国町陣ケ丘のおけら牧場に居た。
敷地内に建てた椿庵の図面を引いた関係で、庵主と四方山話をしていた。
「私はずーっと太平洋側に住んでいたの。だから朝日が海から上がってくるのですよ。三国で初めて海に落ちる夕陽を見た時には、とても感動しましたよ」と相手がいう。
夕陽は海に落ちるものとだばかり思っていたぼくには、新鮮な驚きだった。
考えてみれば、ぼくたちにとっての日の出は、海からではなくて白山山系の頂きから上がってくるんだもんなあ。

03/12/26 (金) 正月間近

頭蓋骨を杖のアタマにひっかけたいでたちで市中を歩き回りながら
正月は 冥途のたびの一里塚 めでたくもあり めでたくもなし と唄ったのは、風狂おじさん・一休宗純だ。
青老の中間=壮にいる54歳のぼくなどは、この辺りが微妙である。
80を超えて盲目の女性・森女との愛を謳歌した一休にとっての54歳はまだまだ若造だったろうが、そういう能力のないぼくにとっての正月は、来し方を振り返る「あの頃はよかったなあ」的溜息吐息と、やや近い将来を思う「どういう死に方をするんだろうか」的躊躇狼狽が交錯する節目の時である。
ひとは何故死を恐れるのだろうか。
若かった頃のある夜、パリで買ったダーバンのコートに身を包んだくわえ煙草のぼくは、雄島の橋のたもとに立ち、潮騒のなかで冬の暗い海を眺めていた。
かたわらの女性が、突然こう言った。
「牧田さん。私は死ぬのを怖いとはちっとも思わないわ。怖いのはみんなから忘れ去られることよ。年月が経つに従って思い出としての私が消えていってしまうのよ。それが怖いの」

日頃能弁のK子の口から、寡黙にぽつりぽつりとでてくる言葉には、なにかしらん説得力があった。
ところで、彼女は今頃どこで何をしているのだろうか。

〇各職場は仕事納めになりつつある。
仕事納めにしろ仕事始めにしろ、ぼくは挨拶まわりというものを殆どしたことがない。
年賀状は妻に代筆してもらうし、儀礼的なものに対して大変弱い男です。

03/12/25 (木) 来年末、国の借金は719兆円だと

朝型人間を目指しての早朝起床が高じて、最近の起床時刻は午前二時前後だ。これではやっぱり夜の男である。
新鮮な空気を吸う為に竹田河畔を散歩した。怖い
目を近所のお寺墓所に転じたら、墓陰からなにかが今にも現れてきそうで、もっと怖い。

むかしむかし、夜は魑魅魍魎が跋扈する世界だった。戦国大名にはお伽衆という仕えの者がいて、寝所の枕元で殿に向かってなにやらいろんな話しをする。その言霊の力が魑魅魍魎を追い払い、殿のココロの安泰に寄与したという。お伽話の語源はここにあるんじゃなかろうか。奥方に言う「伽を命ずる」もその習いだろう。通夜を夜伽というのも、親類縁者うち集いて故人を偲びつつ夜を明かすのだから同じことだ。
うん、夜は幻想の世界である。

しかし、「歴史は夜つくられる」という諺だけは死語になったほうがいい。あれはいけん。密談で政治が動くということやからね。情報公開に逆行する。
〇 「年末の大掃除してるんや。要らんようになったもんがようけ出てる。見に来んか」という知人からの電話を受けて出かけた。3点予約した。
牧田事務所の備品は、どうやらおさがりの品で占められてきている。その分、ぼくは議員活動に邁進しなければならないことを肝に銘じた。

03/12/24 (水) しみじみと考える夜

昨晩及び今晩のNHKラジオ深夜便「こころの時代」は大庭みな子の介護をする夫へのインタビュー再放送だった。静かで落ちついた語り口はいかにも深夜にふさわしい。
お互い健常者どおしでいる時に気づかなかったもの見落としていたものが、介護者・被介護者という関係になった時に見えてくる。それが夫婦というもんじゃないかとぼくは思った。

介護保険が制度化されたけれども、やっぱりその核を自立支援に置かなければならないのじゃなかろうか。
施設をどんどんつくれば当然保険負担が大きくなる。介護はビジネスじゃなくて福祉だろう。敢えて気障な言い方をするならば、福祉はこころの積み重ねだ。自立の状態で死んでいくのが理想であるとしても、現実は年を経るに従って介護される側になっていく。近親者に介護されたいと思うのが情というもんだ。

ところで、ぼくはどういう死に方をするんだろうか。その場になってみないとわからないなあ。

〇今朝、ぼくは某保育園にいた。クリスマスイブということで、役場関係某氏とともにサンタクロースになったのである。真っ赤な衣装と付け髭付け眉毛のいでたちで、まだ戦争も犯罪も詐欺も差別も知らない純真無垢なこどもたちに、お菓子のプレゼント(ぼくが買ったわけではないが)をして歩き回ったのである。
ぼくも少年のような気分を味わうことができた。Aさん、お招きありがとうございました。
きりんぐみのよいこちゃんたち。おてがみありがとう。


〇大相撲。いよいよ「黒海」が入幕するという。多民族力士時代の始まりだ。
この際、部屋を再編成すべきではないか。
亜細亜部屋・欧州部屋・阿弗利加部屋・北米部屋・南米部屋・濠太剌利部屋という六大陸別の部屋割りに加えて相撲発祥の地の特典ということで日本部屋を加える。
相撲人気が復活すると思う。

03/12/23 (火)  無題

深夜ラジオが「今年、猥褻な行為で処分を受けた教師の数は去年よりずっと多くなっています」と言っていた。ぼくの知り合い教師にそういう輩は勿論居ないとは思うが、それとは別に、ラジオのそういう言い方がぼくはいつも気になる。猥褻という言い方がいかにも猥褻なのである。

性的行為を猥褻と言うならば、世の夫婦は全て猥褻な行為をしていることになってしまう。性的行為というのは、言ってみれば本能に基づく愛の営みだろう。
この言葉は、感覚表現語だ。個人的な会話のなかでならともかく、ラジオという公共の電波が感覚語をひとからげにして流すのは間違っている。

03/12/22 (月) 本


新聞に、今年発刊された本の書評が百花繚乱的に出ていた。しかし、紹介されていた数十冊の本の題名すら、ぼくは全然知らない。考えてみれば、ここ7、8年殆ど本を読んだことがない。
昔は、本屋や図書館での並べられた背表紙を眺めることが、至福の時間帯だったのになあ。
読まなくなった理由は
①老眼になった
②読む時間が無くなった。
③買った本は読んでしまえば紙くずだし、金津町立図書館は2FLにあるので行くのが億劫。
の三点だ。
しかし、想像力を刺激するのはやっぱり本だ。
正月の京都で、関西在住の友人ふたりと会おうと思っている。
とりあえず、年末に数冊の文庫本を買い込み、車中で読むのだ。汽車の旅は、即ち読書の旅なのだから時間の流れはゆったりのほうがいい。その意味では、ぼくにとって新幹線問題は興味の埒外だ。

興味の埒外というと語弊があるかもしれない。新幹線が出来ると、大阪までの所用時間が50分弱になると聞いた。そうすると、関西の奥座敷と呼ばれている芦原温泉は玄関脇の応接間ぐらいになってしまうのではないか。ラクラクの日帰り圏では、宿泊客が減ってしまうのではないかと、素人ながら懸念するのです。

〇昨日昼の牧田事務所。
包丁で猪の生肉を切り刻んでいたMくんが「ダンコンがある!」と叫んだ。
傍らでCAD製図にいそしんでいたぼくは、「そりゃあ雄ならあるだろう」と思ったのだが、男根ではなくて弾痕だった。肉に入り込んでいた散弾は径3mm、長さ15mmくらいだ。
なんとなく西行法師のような気分になってしまったよ。
生あるものをどんどん捕まえ殺し際限なく食べていくぼくら人間は、総理大臣から一般庶民まで全て煩悩の徒といわざるを得ないなあ。しかし、脂身がのっていてうまかった。

〇朝一番、ひるがのに電話をしたら、積雪50cm、どんどん降っているそうであります。
設計した建物の建方後の現場になかなか行けないのは残念。

〇今朝は朝飯抜きで福井市へ妻を送り、そのまま空腹をこらえて町役場へ直行した。
事務所に戻ったら、町議山下氏来訪。
おにぎり(ふたつだけだけど)とウーロン茶の入ったビニール袋を携えていた。
偶然とはいえ、大変恐縮しながら、おいしく頂きました。

03/12/21 (日) 達人たち

昨晩、自宅で夕食を終えたあとうつらうつらしていたら、TVが「日本人大リーガー2003年特集」を流し始めた。
野茂・松井・イチローが主にとりあげられていた。
インタビューで「スランプになると苦しいのです。出たくないのです。呼吸困難になるのです。でも我慢して出続けるのです」と答えるイチローは、さすが修道僧と呼ばれる男だ。

出たくなかったら、辞めればいい。既に巨額の財をなし、ビバリーヒルズ、芦屋、ニースなどなどどこにでも居を定め悠々自適の一生を送ることが保証されているのになあと我々凡人は思うのだが。
常に進化しその道をきわめようとするのだろう。

名横綱・双葉山は69連勝でとまった時「いまだ木鶏たりえず」と言った。
空手家・大山倍達は「金や名誉はどうでもいい。信を失ったら生きている価値がない」と言った。
元巨人のスラッガー・篠塚は「アタマは変化球を、カラダはストレートを待つ」と言った。
プロレスラー・ジャイアント馬場は「実生活でひとを殴ったことがない」と言った。
達人と呼ばれるひとたちは、みんなすごい。

03/12/20 (土) 初雪

午前2時半、起床して外に出た。闇の天空から初雪が舞い落ちてくる。
事務所に入った。熱々珈琲を飲みながらラジオのスイッチを入れたら、おあつらえむきに「ホワイトクリスマス」が流れている。

自然は美しい。地面に積もった雪だけが純粋の白である。
翻って人間社会はどろどろの灰色だ。
宇治で小学校へ刃物男が闖入するとか、千葉で気分がむしゃくしゃして連続放火をするとか、福井で内縁の妻の娘の相手を刺し殺すとか、熊本でホテルが元らい患者を締め出すとか、明るい話題といえばキンマウラさん仮放免くらいではないか。
新聞社会面犯罪記事は、同時代人として我々ひとりひとりのココロを映し出す鏡である。社会面を賑わす者も解説する者も読む我々もの深層心理に何が共有されているのかを考えなければならない。
冬は動きの鈍くなる季節だ。雪の永平寺で座禅をしながら考えてみようかとも思うのです。

と思ったのだけれど、永平寺は底冷えがする.。
そこで、エアコン完備の事務所・長机の上に座って、座禅に挑戦した。

一時間半の苦行瞑想でわかったのは、この世が差別に満ち満ちているということだ。
二日前、数人の有志議員集まっての論議・「差別とは何だろう」を思い出したので紹介いたします。



〇午前3時。携帯をみたら伝言メモが入っている。
まきちゃん・・1時くらいで寝てたらいかんぞな・・今からタクシーとばしていくけんの・・・ピー」が再生ででてきた。横から女性たちの声が漏れ聞こえていた。どこぞの酒場からだろう。酔っ払っているみたいで、誰の声かよくわからない。語尾から察するに四国のひとかもしれないが、四国産の知り合いはいない。
推測をやめ、降り積もる雪を見ることに専念した。
「雪やこんこん あられやこんこん 降っても降っても・・・」の唄がよみがえってくる。
幼年時代。顔も可愛くココロも純粋だったあの頃の私は永遠に戻ってこない。それが人生というものだ。

03/12/19 (金) 夜明けの雷で目が覚めた

昨晩は、納会がふたつ重なった。
肝臓のことを考えてずっと禁酒していたのだけれど、長時間酒席の場に居れば、ついつい手が出てしまう。
深酒はいけないが、少量の酒ならば、気分がほぐれる。
ということで、禁酒を節酒に切り替えることにした。
〇 昨日、役場ロビーにある血圧測定器で、同僚のM議員が血圧を測っていた。
「最低血圧が高すぎる。この機械壊れてるんでないか」というのでぼくも測ってみた。
ウーン、最低血圧数値が除夜の鐘をはるかに超えているのだ。
それだけ、ぼくの煩悩が多いということかもしれない。しかし、先日主治医正味医師(推定年齢=55歳)に測ってもらった数値+20なのだぜ。
機械が正常に動いているかどうかの維持管理を行政がしているかどうかが問題だ。

03/12/18 (木) 古いものが好きな私

昨晩は、住職が旧知の三国町某寺院にいた。
お御堂改修の話が持ち上がり、その建設委員会にアドバイザーとして来てほしいという電話を受けてのものだった。一時間以上のしゃべりずくめで疲れてしまった。
建設委員は総勢14人。皆、ぼくより年上つまり老人たちだ。(最近は高齢者という呼び名が流行だが、老人は老人だし老人という呼び名が自然だ)。
爺さんも婆さんも顔に皺が浮き出ている。
皺は年輪だ。人生の辛酸を物語る。
若い女性の化粧べったりよりも、婆さんの皺のほうに色気があると思うなあ。
ところで、そのお御堂は200年前の建立だと聞いた。200年前というと1800年前後で江戸後期だ。

今、深夜ラジオで石川某が江戸期循環経済社会の特徴を挙げている。
徳川幕府が長期安定政権を続けることができたのは、灌漑の整備で稲作の収穫安定を維持していたこと。
勃興してきた町民が豊かになっても武士は質素であり、つまり権力と財力の所有者層が分断されていたこと。なによりも、農工商がお上だのみなどせずに、生活向上の基本を自力更生においていた。
過度な豊かさが実はひとを苦しめるという真実を江戸期の先祖は知っていた。
というような話を聞きながら、ぼくらの生活意識をせめて昭和30年代後半まで、逆ネジすべきではないかと思った。

03/12/17 (水) 三者面談

「ワタシは仕事やから、お父さん代わりに行っての」という妻の依頼を受けて、息子(高校二年)・担任教師との三者面談に、福井市へでかけた。こういう面談は、何となく気恥ずかしいもんやね。

帰途、坂井町・関の「振袖地蔵」に立ち寄った。石碑は、江戸期の飢餓地獄を綴っている。
いまの若者たちの殆どは、とにかく食えればいいという状況に身をおいたことがない。
とにかく食えればいいという状況に一度身をおかせることが、教育であるとぼくは思うのだが。

03/12/16 (火) 冬だ

金津町としては最後となる定例議会が終わった。
二月に臨時議会が予定されてはいるが、これは合併協の解散等々、手続き的なものの承認議会となりそうだ。やっぱりあわら市としての初議会が、今後の焦点になる。
新市ができてもスムーズにいかない部分が随分あると思うし、一般質問に備えていろいろ勉強しておこうと思う。
閑話休題
昨日の議会での紛糾。書こうかなあと思っていたところ、山下議員が書いていました(12/16日記)。

〇 昨晩は芦原で納会。ひと眠りしたら午前3時半だ。
もう眠れそうもないので自宅まで歩いて帰った。所用時間は約40分。腹ごなしにちょうどよかった。

「青春のパリ」
シャンゼリゼで買った靴の底から
歩道の冷気が俺の体を貫く
セーヌ河畔の専門店「ラ・セーヌ」で買ったダーバンのコートの肩先を
冷たい木枯らしが吹きぬける
パリジェンヌ誰の贈物だったか手編みのマフラーの襟先に
マロニエのあかい葉が舞い落ちる
若かったあの頃 俺はいつもパリの雑踏を歩いていた
そう
俺を青春という名の孤独の淵に追い込むのは
いつもいつもパリの雑踏だった

40分の道中は、青春を振り返るのに十分な時間でした。

03/12/15 (月) 本日は議会最終日

昨日は、午前9時から坂ノ下区理事会。
本年度の行事報告や来年度の行事予定案のレジュメを見ながらいろいろ話し合っているうちに、今年も残り少なくなっていることを実感。年末年始で生活が変わることはないけれども、とにかく景気がよくなってほしい。

午後1時半、三国町社会福祉センターに行った。でこぼこ会・第三回公開講座みくにの障害者問題を考える=「住民が選択した町の福祉」映画フォーラムでの講演の手話通訳を頼まれた為だ。
講演者は福井県立大学の久常良先生。
この先生に対しては、なつかしい思い出がある。10数年前、建築設計者の集まりにパネラーとして来なさった際の四方山話で、(当時の)県立短大手話クラブへの指導を頼まれ、二年間、週一回のペースで通ったことがある。
通訳しながら聴いていた講演の中身については、いろいろ共感できる部分がありました。
後日、議会報告に書き込みたいと思います。
 
午後4時過ぎ。三九会のひとたちが事務所に来訪。
少しだけビールを飲みながらの話題は、芦原との合併、市長選、従来の地名を保存すべきだ云々エトセトラだった。
うたた寝している間に何人かが帰宅していた。残った三人での話題は「嫁姑」。
話題が段々小さくなってきたところに、「フセイン拘束」の最大級ニュースが飛び込んできた。
ぼくらは、大小ないまぜの状況のなかで生きている。

閑話休題
化学物質過敏症のクライアントから関連URLがメールで入ってきた。ごらんください。



もしよろしかったらこれも

〇主治医から、肝臓の数値が高いといわれた。
健康が一番大切だ。付き合いもあるので全面禁酒はむつかしいが、基本的には日々を休肝日にするつもりです。


03/12/14 (日) 銭湯 

先日のラジオが銭湯の効用を説いていた。アルファー波が出るからいいのだという。
土曜日だ、ということで昨日の昼、近くの銭湯に行った。
二時半だ、誰もまだ来ていない。
泡がぼこぼこしている部分にゆったりとカラダを沈めて壁の模様タイルなどを眺めていた。
内湯が普及しても、気持ちの良さはやっぱり銭湯に軍配があがるね。
アルファー波が何なのかはわからないが、カラダとアタマが軽くなった。
軽くなって思い出したのが先日の芦原町公共施設視察でのセントピア芦原。係員は「造語・セントピアの語源はセイント(聖なる)+銭湯の掛け言葉です」と言っていた。全然知らなかったなあ。

03/12/13 (土) 雨夜の品定め

七時半に、事務所で目が覚めた。机の上に缶ビールが散乱している。
昨晩は友人集まっての忘年会だったのだ。
話題は、合併のこと・子育てのこと・市長選のこと・議会のことエトセトラだった。
夜に弱いぼくは途中うつらうつらしてしまったけれども、中年男女が床屋談義ふうに、ときのひとたちの品定めをするのを聴いているのは楽しいもんです。
さあ、週末を頑張ろう。
〇最近、井戸端会議に書き込みがいろいろあります。

03/12/12 (金) きょうは教育厚生委員会なので青少年にひとこと
JRというくだらない名前は誰がつけたんだろうか。
福井市の高校に通う息子の、自宅から旧国鉄芦原温泉駅までと旧国鉄福井駅から高校までの交通手段は自転車だ。
一ヶ月程前、前者の自転車が盗難にあった。幸い向ケ丘のひとから自転車放置発見の電話をいただき、あの地区には親切なひとが多いんだなあとぼくはココロで感謝した。
ところが、きのうは後者の自転車が盗難にあった。どちらもキーロックしていたにも関わらずだ

経験のある青少年諸君(と思うのだが偏見かな?)! もう盗みはやめなさい。亡国につながるぞ。
親がこどもに自転車を買い与える→盗まれる→親は仕方なく又買い与える→又盗まれる→親は、もうイヤ!今度は輸入品の安物にするわと決意する→リブのしっかりした国産品が売れなくなる→国内メーカー・代理店に不況の風が吹く→自治体・国の税収が減る→債務が又増える→その債務を将来背負わざるを得ないのが君達今の青少年諸君ということになるのではないか。

〇教育委員会に出向き、疑問に思うことを聞いてきた。
ぼく・「公共施設のテッキン建物によってはクラックが散見される。勿論老朽化にもよるだろう。けれどもそれだけじゃない。年度末というか、寒い時期にコンクリートを打つ物件が多い。温度補正をして強度を上げればクラックの可能性がでてくるよ」
担当課長・「そうかもしれない。だけど国からの補助金交付が決定するのは春先だ。県での審議は夏だ。交付認可の決定は秋口になるのだから、建物施工が冬場に向かうのが多いということになる」
実際はお互いもっと丁寧な言葉使いだったのだけれど、ぼくは技術屋のはしくれとしてしゃべっているのだと思ったよ。

国vs自治体の間にある年間スケヂュールはその通りかもしれない。
しかし建物はひとと同じだ。
建物ごとに、幼年期・少年期・青年期・壮年期・老年期があり、時々は手入れをせねばならない(芦原町も然りだ)。
いとしい建物が、最良の時期最良の環境で産声をあげてほしいと、ぼくは思うのである。

03/12/11 (木) 豆砕熱々珈琲ブルーマウテインを飲みながら

午前三時。深夜ラジオはペギー葉山の「南国土佐をあとにして」を流している。そういえばぼくは土佐の国へ行ったことがない。
乱世だ。国の政治家たちは、月の桂浜に出向き、坂本龍馬の銅像に簪ひとつも備えて参拝したらいい。
背後霊が今後を指南してくれるのではないか。
というようなことは冗談として、戦後歴史の分岐点に我々がいることだけは間違いない。

閑話休題
本日は、芦原町公共施設視察に行ってきました。


03/12/10 (水) 反省

六華苑の設計者は、ジョナサン・コンドルではなくジョサイア・コンドルのようですよ」という正味医師(仮名=推定年齢55歳)からのメールを読んで、ぼくは二日前の議員日記を思いだした。有名な鹿鳴館の設計者・コンドルのファーストネームを誤ってジョナサンと書いてしまったのである。
ぼくは、何故そう書いてしまったのかと自己検証をしてみた。

コンドルと言えばサイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んでいる」である。
しかし、飛んでいるのはコンドルだけではない、カモメも飛んでいるはずだ。
カモメといえば、忘れてならないのは「カモメのジョナサン」だろう。という連想で、ぼくはジョナサンと書いてしまったのだが、これを短絡的思考と言う。
要するにぼくは軽いのだ。こんな人間になってはいけないと思う。

昨日の一般質問で、向山議員は「行政のコーデイネーターである職員の能力アップが必要と思うが、これまで以上の専門の技術・技能のレベルアップと必要な技術・技能のために・・・」と町職員に対する鼓舞・激励をしていた。
実直に研鑽を積み重ねて、重い職員になっていただきたいとぼくは思うのである。

〇尊敬と軽蔑は対概念だ、よってひとを尊敬しないことを信条としているぼくだけれども、会えば「ホトケさんみたいやなあ」と自然にこうべの垂れてしまうひとが武生にいる。
某大手病院で心理カウンセラーをしているそのひとから「病院でしゃべってくれないか」という電話があった。
「何故こんなぼくに?」という問いに対するそのひとの答えは「ためにはならないけど、楽しいからや。ウン千円の薄謝やけどね」だった。「ウーン、私なんかがコーエンをするのか。しかし、あのひととあのひととあのひとを焼鳥屋に連れていける」という皮算用で即受諾した。
ところが、その日が「町議、芦原町の公共施設視察」の日と重なってしまい、仕方なく断りの電話を入れた。
「合併を控えているんやから仕方ないね。でも来年は大丈夫やろ?」と言われつつ受話器を置いたがちょっと残念だった。

〇「赤旗の記者が女性のスカートの中身を盗撮して逮捕」という夕方ラジオのローカルニュースを聴いていて、先日、日本共産党・田島女性議員とバスのなかで交わしていた四方山話を思い出した。
「筆坂さんは料亭でいったい何をしたんやの?」というぼくの問いに対する答えは「わたしらは全然知らんのや」だった。「福祉と暮らしを守る」を党是とする共産党の理念は、小さなボランテイアをしているぼくなどにも共感できる理念だ。だけど、不始末ではあるとしても、せめて党内での情報公開はあってしかるべきだと思うがなあ。

03/12/09 (火) 決意 
この日記は議員日記だ。
どうもこのところ私的なことばかり書いていたのを反省し、削除。
きょうから定例議会なので、新たな気持ちで書いていきたいと思います。

午前9時半から定例議会本会議。議案委員会付託のあとは一般質問だ。
二番手・林田議員の「来年のあわら市市長選に立候補する意思はあるのか」という質問に対して、松木町長は「出る」と明言した。
午後、傍聴席にはまちうち区長会の面々が集まってきた。
「そーか、12月議会恒例の傍聴なのか。うーん、ぼくも一般質問すればよかったなあ」と一瞬後悔してしまった。
本会議終了後は広報編集委員会が開かれ、町として最後となる「議会だより」編集のあれこれを討議した。
終了後某喫茶店へ。有志議員集まっての四方山話でリラックスしてから、午後5時半帰宅した。
友人からの「ワタシの家のポストにお土産いれといたよ」という携帯コールを受けて頂いた上州・忠治漬をサカナにして、焼酎「いいちこ」をちょっとだけ飲んでいる。


〇 午前4時。激しいあられが地面をたたきつけている。北陸の暗い冬がついに来たのだ。
ドンマイドンマイ。「冬来たりなば 春遠からじ」ということで、議員活動にせいを出す所存であります。

〇 午前6時。消防車がサイレンを鳴らして走って行った。消防緊急センター・テレフォンサービスの録音は「熊坂で火事発生」を繰り返している。そこで、在熊坂山下町議宅に電話して詳細を聞いた。
火災場所はFKメタルだ。つい3週間程前にもゴミが燃えたところではないか。
早くなんとかせねばならない。

03/12/08 (月) 昨日

昨日の夕方、煙草を買おうと立ち寄ったスーパーマーケットで、若葉台団地の人妻に呼び止められた。
ちぢめたら団地妻である。
「県の住宅供給公社が団地内売地の値段を下げたのは、おかしいと思いません? だって3年前に土地を買った私たちは損したことになってしまいます。買った時、公社は、今後値下げも値上げもしないと言ってました」と言われた。
夜、飲み会で同席の若葉台住人男性にその話をしたら、「資本主義の世の中や。値下げ値上げのリスクがあるのは当り前でしょう」と言われた。
ウーン、これは値下げ値上げをしないと言った公社があかんのではないだろうか。

閑話休題。
先日、桑名市にある「六華苑」を見る機会があった。
文明開化の象徴ともいうべき「鹿鳴館」を設計したジョナサン・コンドル晩年の作品だ。
鹿鳴館のきらびやかさは陰をひそめ、墨絵的色合いが基調になっている。東洋の精神が垣間見える。
思うに、ひとの精神は決して固定化せずいつも動いている。コンドルは飛んでいるのである。
そこでやね。
誰かに「アナタの会心作はどれですか?」と聞かれたら、これからのぼくは「ネクストワンです」と答えようと思うのである。

03/12/07 (日) 無題

昨日の午前11時、奥さんと井上さんの外務省葬をTVで見ていた。志半ばにして倒れた両氏の心中を思ううち、涙が出てしまった。
しかし、とぼくは思う。
それは外務省葬という大業な儀式故のものでもなんでもない。TV画面に映った故人の配偶者・家族がみせていた涙がそれをはっきりと物語っていた。その涙は国の為に殉死したこととは無縁のものだ。
ただただ愛するひとを失ったことでの悲しみの涙であって、それ以上でも以下でもない。
国家が個人を超えることなどありえない。
敢えていうならば、両氏が優れた外交官であったかどうかなどどうでもいいことだ。優れていようがいまいが、ひとの命の重さは一律絶対的なものであり、涙の源泉はそこにしかないとぼくは思う。

旦那が大蔵省勤めをしている関係で、ぼくの妹から、現地でボランテイアNPO法人が井戸を掘ったりの無償汗まみれ活動をしている状況を詳さに聞いたことがある。
それらの組織が自衛隊派遣に対して、危機意識を持っているという新聞記事を読んだ。つまりNPOと後方支援の自衛隊が反米組織には同等なものとしてうつり狙撃の対象になるのではないかという意味での危機意識だ。
話はぐんと小さくなるけれども、ぼくも小さなボランテイアをしている。十年以上前、四国かどこかで介助の対象者が池でおぼれて亡くなるという事故が起こり、その責任を道義的に問われた結果、ボランテイアの参加数がぐーんと減ったことがある。ボランテイア組織は、基本的に国家や行政からの補償とは無縁の場所にいるのだ。
外交上の複雑さはぼくにはよくわからない。しかし、上述のようなことを思う時、自衛隊派遣に関しては、やっぱり慎重を期すべきだとぼくは思う。

03/12/06 (土) 昨晩

夕方、今度の議会ででてくる請願内容のひとつに対して同意してほしいという一団のひとたちが来訪。
賛否を考えている途中だったので「じっくり考え自分なりの納得をして、態度を決めます」とぼくは答えた。

夕食時、妻から夫としての未成熟な部分をいろいろ指摘されていた。
腹もたったが、敢えて苦言を呈するのがパートナーの大事な役割なのだと思った。

午後八時半、電話でケンくんに来てもらい、妻とともに気を入れてもらった。謝謝 体調良好。

夜遅くの電話でぼくは、某大手病院の医療処置に対する不満を長時間聞いていた。
思わずこの欄に経過を書こうかと思ったのだが、固有名詞に対する批判をしてはならないのがHPの不文律だ。
ウーン、手書き秘密日記との違いがこういうところにあるのである。



〇 雨降りの土曜日だ。ということで事務所を掃除していたところに、わーさんから「不要品要らんか」の電話コールがきた。倉庫まで同行した。ブラインドとカーテンレール及びA4書類綴じ4冊を譲りうけた。
ブラインドを取り付けたところ、高さが15cm足りない。いいのだ、もらいものに不足はない。
ということで、究極の模様替えが完成しました。


〇 あしたは、加賀の国へ行ってくる予定です。

03/12/05 (金) もう週末か

一昨日の夜は桑名市内のホテルに泊まった。
旅館の夜だと対同僚ワイワイガヤガヤであるのに対して、ホテルの夜は静謐である。
ベッドに座りナイトランプを消して窓外の夜景を眺めながら、この一年を振り返っていた。
いつも時間に追われていた。今からもそうであるような気がする。

昨夜は帰宅してから、留守テル・メールをチェックしHPを書き込んだ。しばらくCADに励み11時過ぎ就寝。
起きたら7時だ。8時間寝たことになる。さあ、又頑張ろう。

〇店を開いている知り合い女性との電話で「今日はお店の戸を開けて私の顔を見てすぐ閉めた男の人がしばらくうろうろしていて、怖かった。頭の毛は薄いが顔は30代と思います」と言われた。
ウーン、歪んだ愛が社会に蔓延しつつあるのかもしれんなあ。

〇今朝は所用で某建設会社に行った。
四方山話相手の設計部長が、「町など公共の施設にクラックが多いのは、老朽化していることもあるけど、施工時期が冬場に向かう物件が多いということが大きい理由のひとつやろ」という。
冬場はコンクリートを温度補正するのでかたくなり過ぎるのである。
これは大切な指摘だと思う。無断拝借して、今度の教育厚生委員会でしゃべろうと思うのである。

03/12/04 (木) 太平洋側はいい天気だった

ということで、三重県東員町での研修を終えて帰ってきました。
東員町議会及び担当課の人たちから、この町を含めた1市8町の生活圏が平成12年3月に制定した環境条例の条文を下敷きにしてこれまでの成果をいろいろと説明してもらったし、ぼくもいろいろと質問した。
印象に残ったことを列挙してみると
①廃棄物を公共の場所等に不法投棄、放置、散乱させた場合、10万円以下の罰金を明示していた。
(ただし罰金を課した例は今のところ無いそうだ。二年程前、九州で同じような条例を持つ役場で聞いた時も罰金を課した例はないという説明だった。これはなかなかむつかしい問題で小さい町で通報者として自分が特定されるのがイヤということだろう)

②汚染監視に町が年間1300万円の予算を持っている。
水質汚染 河川     16箇所  年間10回
       ゴルフ場         年間10回
       3事業所排水      年間10回
       農業廃水         年間2回
土壌汚染 町内4箇所        年間2回
大気汚染 町内2箇所        年間2回(1週間連続)
その他、神戸製鋼との間で公害防止協定に基づく検査も行っているとのこと。
 (環境の世紀だ。あわら市もこういう方向性を持つべきだろう)

③町内を流れる員弁川のコンクリート垂直護岸を廃止、法面勾配にして川の浄化を図っている。
(金津町役場建設課課長によると、竹田川でもその動きがあるそうです。)
川底数箇所に竹炭を置いて、浄化させているという説明が面白かった。
公共下水道の進捗状況を聞いたら、95%とのこと。すごいね、川がキレイになるはずだ。金津町は確かまだ70%に達していないのではないか。
ただしこの差は両町の地形の違いに起因しているとぼくは思う。
東員町の面積は金津町の1/4でしかも平坦地である。多くの山間地を持つ金津町に比べて、下水道の敷設単価がずっと安いはずだ。

④東員町には産廃処理施設はない。しかし隣町と境を接するところにあるRDF発電所が爆発事故を起こし、みなさんがたにご心配をおかけしましたという環境委員長(公明党女性町議)からの説明で、前に読んだ新聞記事を思い出した。そういえば、この問題で北川元三重県知事が、県議会特別委員会に近々出席することを今朝の新聞で読んだ。
RDFというのはいろんなゴミをいっしょくたにし、固形燃料としてリサイクル発電を行うシステムをいう。
けれど、やっぱりそういうことよりきちっと分別することの方が大切ですという、委員長からの反省を踏まえた説明がありました。

〇よわった。スキャナー取り込みがうまくできない。

03/12/03 (水) 視察研修

環境保全特別委員会視察研修で、三重県に行ってきます。明晩帰宅の予定です。

03/12/02 (火) ちょっと暖かい朝

夜明け前。12月議会の予定をせっせと書いています。ごらんください。

閑話休題
昨晩は熱燗を飲みながら、妻にぼくのトラウマを分析してもらっていた。
「お父さん(ぼくのこと)は立派な感じの人って苦手やろ?」と言われて、当たっているような気がした。
ある人の人格を立派と感じる前提は他の人のそれを立派でないと感じることだ。煩悩具足の我々に立派もくそもあるもんかだ。
だけど肩がこる人とかこらない人とかで親近感の差はでてくる。
てなことを考えていて、30数年前を思い出した。
学生時代同宿だった友人(リンクの仁多さん日記の人で今英語の先生をしている)からある晩、「牧田。気質(インクリニテイ)と性格(パーソナリテイ)とはちゃうねんで。気質が瞬間の対応をいうのに対して、性格は考え方も含めた総体を指す。ま、人格みたいなもんやねん」と言われた(言った本人は勿論忘れているだろうけど)。
ウーン、スルドイとは思ったが、女性に全くもてないぼくがひそかに嫉妬していたムチャクチャもてもて男の口から人格という言葉がでてきてちょっとおかしかった。