2004年01月

04/01/31 (土) 嗚呼五十五歳(副題 きのうは誕生日だった) 
敗戦後復興の槌音高かりし昭和24年1月30日
名勝気比の松原を持つ敦賀市川崎町でぼくは生まれた
舞い降りた天女の羽衣に包まれていたと噂されるほどに色白く 
髪は金色を帯びそれはそれは可愛いたまのようなあかちゃんで
生まれた時に後光がさしていたとひとはいう
長じて少年となり容姿の崩れはじめたぼくは無口の牧田とからかわれ
しかし秘めた想いは戦後日本の行く末で 愛と平和は必ずくる夜明けは近いと
竹田川の堤防に寝転び流れる雲に語りかける日々 ただそれだけだった
あれから幾星霜
友人知人の沢山沢山の死をみながらついにゾロメの55歳を迎えてしまった
不思議な気がする

04/01/30 (金) Oさん怒る
昨日の昼。春江町からの帰路、縦貫道路沿いの某タイヤ商会になにげなく寄った。社長は知人だ。
「一週間前、タイヤ泥棒が入ったんや」と話し始めた。「ムチャクチャやでえ。鍵やら太いチェーンやらを専門工具で切って入りよんねん。道路向かいのあの店なんか四回も入られたんやぞ」と自衛隊で鍛えたこのレスリングおじさんは興奮して言う。
「警察はなあ、盗られたタイヤでグループわかるんや。ロシアのグループらしい。盗ったもんは富山の新湊へもってく。新車なんか盗むとやなあ、別のグループがすぐボデイ塗り変えてしまうんや。ほんで極東ロシヤへ直行や。わしらのような不景気な会社の商品盗んでどうすんねん。飲酒運転の取り締まりするのもいいけど、警察は真夜中の犯罪びしびし取り締まらなあかん」と続けた。
口調は東京都知事のようになってきてしかし都知事とは似ても似つかない顔を見詰めながら、私は複雑な気分になった。
例年夏に極東ロシアの少女たちが私の家にホームステイに来るのである。環日本海経済文化交流に微力ながらも尽くしているのである。インターナショナルのひとつも一緒にうたいたい気分になるのである。
ま、別々に考えるべきなんだろう。

注 こういう風に書くと誰のことかわかる金津のひともいるだろうと思い、このお方に「HPに書いてもいいか?」と聞いたら、返事が「かめへんかめへん」だったので、書きました。

04/01/29 (木) 冬来たりなば春遠からじ なのだろうか 
昨日の昼、福井市の某零細電設会社社長が来訪。長い時間、よしなしごとをしゃべりあった。
「仕事がない給料が払えないボーナスなど論外や仕事がきても元請にたたかれる見通しがつかない八方塞りやどしたらええのや」の溜息波状攻撃は私自身と重なり合い、見交わす顔はお互い鬱陶しいものであったに違いない。
膨大な借金を抱えてしまった国が、箱物交付金ばらまき行政を反省し小さな政府を目指すのは基本的に正しい。しかし、公共がしてきたことを民間に委譲するがスローガンであれば、民間が担うものは増えこそすれ減らないのではないか景気がよくなってしかるべきではないかと、そのからくりに無知な私は単純に思うのである。住宅建設などでもそうだけど、景気の動向は無味乾燥な数値よりも「景気がようなったようや」という気分に支配される。気分がなえたらもう駄目だ。
そこで苦しい戦いを強いられている中小企業のおじさんたちは、車寅次郎を偲びつつ、「顔で笑って 腹で泣いて」いるのである。私はそう思うなあ。


04/01/28 (水) 55歳間近 
連日マスコミを賑わせている民社党古賀議員の学歴詐称疑惑の問題は、なんとなく滑稽な気がする。
卒業だろうが中退だろうが、あの若さとあのマスクで当然当選していたはずだのに、何故詐称なんかしたのだろう。
贖罪として報酬を受け取らずに議員活動を続けるというのはおかしい。足らない単位をとる為に米へいくことで活動に支障をきたすから、ということだろうか。報酬があるからこそ、それに見合うぶんがんばらにゃと思うのが普通だろう(給料は生活費全体への支給を意味し、報酬はその活動をする為の費用限定を意味するそうです)。支持者への釈明で泣いている場面をTVで観たけれどみっともない。悪かったと思うのならば、さっさと辞めて、笑顔で一から出直すほうが、周囲を納得させることができるだろう。

とは言え、古賀議員に対するマスコミの正義派きどりの弾劾の貌に、そもそもこんなものを誰がリークするのか或いはマスコミが逆らえない黒幕があるのではないのかという匂いを感じ、レッテルなど吹けばとぶよなものを例えそれが法違反であろうとあるいはそれゆえに手にとるようにわかる小さなものの報道は一回こっきりにしておくのが報道屋の節度であるとも思うのである。

04/01/27 (火) うーん 
平均寿命
年代
縄文期
室町時代
明治24-31年
大正15-昭和5年
昭和10-11年
昭和22年
昭和25-27年
平成3年

約31
約36
42.8
44.82
46.92
50.06
59.57
76.11

約31
約37
44.3
46.54
49.63
53.96
62.97
82.11
五木・斉藤「漂泊者のノート」→近藤四郎「ひ弱になる日本人の足」より

昔梅原猛、今五木寛之というのが、縄文文化支持の有名人だと思うけど、上の表をみると、縄文から江戸期までの寿命の上昇と生活環境の変化がきわめてゆるやかだったことがうかがえる。
死に際、「自分ら生きてるうちに、しゃば、こげに変わってしまいよったか」と溜息でふり返るのは、我々現代人だけではないだろうか。
〇介護福祉士Rさんへ 掲示板の返事、今晩書きます

04/01/26 (月) 又一週間が始まった 
今年は少し本を読もうと心に決めて、町立図書館に行った。二年振りか。
職員や偶然出会った同級生と歓談のあと10冊ランダムに借りて帰宅。夕食後すぐに寝床にもぐりこんだ。
ランダムに借りりゃ当たり外れがある。面白ければのめりこむし、面白くなければ眠り薬となる。
どのみち、寝転がって読むのが一番だ。

ところで、図書館というのは老若男女ないまぜての知のオアシスである。誰でもいらっしゃいなのである。
その金津図書館が2FLにあるのが、どう考えても不可解だ。7年前腰を痛めて一ヶ月程車椅子生活者だったことがあるが、勿論行けなかった。自治体として恥ずかしいことだし、障害者に対する差別である。
以前、一般質問したことがあるが、議会事務局によると同じことをなんべんしゃべってもいいらしいので、くどくどしゃべっていこうと思うのである。

〇 妹の中学時代の友人の御主人が亡くなったというメールが入った。
昔、JR福井駅の裏手でしゃれた喫茶店をやっていた林さん。享年57歳。若過ぎる。
合掌

04/01/25 (日) Mさん 今年はカヌー復活です

昨晩は、7人集まっての三九酒少々的新年会含本年度行事計画報告会が開かれた。
酒のつまみ話が税金滞納になった。
「滞納する法人なんて倒産させなあかんが」
「小額の個人滞納だろうと、法は法や。丸岡町はびしびしやってるぞ」
「芦原は金津より滞納がもっと多いと聞いてるぞ」エトセトラの意見が出た。
確かに法は法だ。払えるのに払わないのは許されない。だけど払えないのに払えといってもむつかしい。
そういう意味では、血も涙もある税務課であってしかるべきと私は思うのだが。

6時に事務所で起床。昨晩の降雪量は20cmくらいか。
しばらくぼーっとしていたら又雪が降り始めたのたので、昨日に引き続いて雪かきを始めた。
通りすがりのひとたちがいろいろ話しかけてくる。
「坂道の融雪水が出てないぞ」といわれたので役場に電話したら「ポンプの電気系統が故障したんです。すぐに復旧します」が答えだった。そういえば昨晩は、雷がゴロゴロなっていたなあ。
「山の上の道や。三日前、クルマが三台、側溝にはまってたぞ。フタしなあかん」といわれた。
側溝が開渠だと、冬にこういう問題が起こるのだ。

飽き性の私は適当に雪かきを切り上げて事務所に戻った。
パンツまで濡れていたので、全裸になって鏡をみた。50代とは思えない肉体である。
熱いシャワーを浴び、真新しい白の下着に着替えた。昨晩の残り酒を熱燗にして、ひとり、雪見酒を始めた。

白玉の 歯に染み透る 冬の朝
   酒はしずかに 呑むべかりける   牧水もじり

04/01/24 (土) 昨晩の寝床は寒かった

十分に睡眠をとり7時半に起床。雪はしんしんと降っている。
事務所駐車場桜の木の枝には白い花がさいている
心当てに 折らばや折らむ 初霜の
  置きまどわせる 白菊の花  
新古今の誰だったかは忘れたが、こういうのを大げさうたという。

昨日、町役場に行ったら、建設課は空っぽだった。除雪でおおわらわなんだろう。
これが何日も続くと我々は雪を「白い悪魔」と呼び、太平洋側や南国に住むひとたちをうらやむ。しかしうらやむだけでは面白くないので「雪とのタタカイがあるからこそ北陸に住む我々は粘り強いのだ芯が強いのだ」と当たっているかどうかは知らないがともかく斜に構えた自負を持つのである。
ところで、きょうは集まりが3度予定されているが、大丈夫なんだろうか。
〇午前11時、夫婦そろっての駐車場雪かきがやっと終わった。
一生懸命雪かきしている近所のおばあちゃんとこへ行って「大変やの」と声をかけた。
「大変や。ほやけどの、タカオちゃん。主人が寝込んでるんやで、ワタシがせなあかんがし。でもの。としとってても、せなあかんとおもうたら何でもできるもんやざ」という答えが返ってきて、私はほのぼの気分になった。
見上げたら、雲間に青空が見え始めている。

04/01/23 (金) 飼ってる金魚の水槽に氷がはってその上に雪が積もって何もみえない。             大丈夫なんだろうか 
厳寒の昨日の昼、某寺で委員会があり出席した。お寺の集まりというと、何故か御老人ばかりである。
会議が終わってから、しばしの四方山話。
「暖冬暖冬というてたら、突然のこの寒さや。確かに暖かいほうがカラダはらくや。けどな、本当は冬は寒なきゃあかんのやぞ。たんぼの害虫が寒さで死ぬんやからな」と言われた。

石油エネルギーの9割を中東に頼っているこの国は、中東との間に軋轢が生じた場合、化学肥料を供給できなくなる。循環経済に戻ることを余儀なくさせられる。
下肥と堆肥というニッポンのなつかしくただしい農村風景が戻ってくるとしたら、「勉強が大切や、スポーツでカラダをきたえなあかん云々」と学校で言われている現在の子供たちに、堆肥からミミズをとりだして、さかな釣りに行くという第三の選択肢がみえてくるのだけどなあ。
しかし、てなことを書いている私の傍らのエアコンはフル回転している。

閑話休題
本日の福井新聞に「あわら市人事異動」が載った。うーん、沢山の職員だ。
当たり前の話だけど、半分のひとしか知らない。
人事は施策ではなく行政内部のことなので、我々議員がどうのこうのと言うことではない。
しかし「出世したひと、しなかったひと、まあまあのひと」といろいろいるらしい。
役所での地位は所詮地位でしかないのだから、おごらずくさらずあきらめず、職務を誠実に粛々とこなしていっていただきたいと私は思うのである。
〇昨日の夕方。電話をしている時「もうすぐ誕生日ね」と言われた。自分でも忘れていることを覚えてくださっていて、とてもありがたい。
55歳である。ゾロメである。考えてみればゾロメの年はいつも節目の年だった。
11歳の年に、片想いの初恋をした。
22歳の年に、琉球列島沖永良部島で青春を謳歌した。
33歳の年に、会社を辞め独立した。
44歳の年に、PTAの世界に入った。
55歳・・・・・・・ことし、何かが起きる。

04/01/22 (木) ヨコモジばっかりになってしまった 
腕時計オメガは午前一時をさしている。仕事の手を休め外へ出たら、辺りは真っ白だ。
ダーバンのコートの襟をたて天空を見上げた。漆黒の闇から舞い落ちてくる白い雪はまるで妖精の乱舞だ。
両切煙草ゲルベゾルテにダンヒルで火をつけた。肺に思いっきり吸い込んだ時、二度と戻らない幼かった頃の冬の日々が溜息と共に蘇ってきた。アンニュイだなあ。

閉ざされた冬の日々の私にとってのキーワードは囲炉裏だった。
囲炉裏端で、死んだじいさんのわらじつくりを、なんせ器用な私は毎日手伝っていた。後年、建築設計というモノヅクリを職として選んだ原点はここにあったのかもしれない。
ペギー葉山は、「♪かあさんは よなべをして 手袋編んでくれた 木枯らし吹いて 冷たかろうに せっせと編んだだよー 」と唄った。
しかし幼少に戻った私は、「♪じいさんは どこへも行かず わらじを編んでくれた いろりのはたは あったかそうで  せっせと 編んだだよー」とついついくちずさんでしまうのである。

〇所用で吹雪の中を歩いたんだけど、猛烈な寒さやね。特に川べりがすさまじい。
夕方、大雪警報がでたし、皆さん、気をつけてください。

04/01/21 (水) 一日一善 
朝の4時に煙草が切れてしまったが、手持ちの銭がない。
いろんな引き出しを捜したら10円玉が6個出てきた。
1円5円専用金庫に5円玉42個がぎりぎりあったので、しめて270円也を封筒に入れて、コンビニへと急いだ。
レジで「マイルドセブンちょうだい」と言って封筒の中身をあけた時、私はちょっと格好悪かったのだが、係りのお兄さんはにこにこ顔で「構いませんよ」と言ってくれた。コンビニにとっては、釣り銭としての5円玉が重宝なのかもしれない。

〇「下の息子がの、自転車をの、JR福井駅迄運ぼうとしたけどの、芦原温泉駅改札口で断られたんやと」と妻が言うのを聞いて感慨深いものがあった。
確かにあんなものを車内に持ち込んだら、他の乗客の邪魔にはなる。
しかし30数年前私が学生だった時、もっと大きな製図台(足つき)を、友人の協力を得て電車で運んだし、二度の下宿引越しはいずれも電車を利用した。右の肩に布団、左の手に文庫本ダンボール包みといういでたちだった。
私が電車で引越しできるほどの清貧の徒であったともいえるし、昔は乗客や職員が鷹揚だったともいえるのだろう。

〇午後6時、建築の設計をナリワイとする男4人が事務所に集まった。
当事務所としては珍しく、アルコール抜き珈琲オンリーの会議となった。
テーマは「あわら市の街づくり」。
我々が担わなければならない課題は、単に箱物を相手とするのにとどまらず、環境・バリアフリーなどいろいろあることを、お互いに確認した次第です。

04/01/20 (火) 都市計画 
昨夕、某スーパーマーケットの前。雨の中で知り合いの老人とばったり出会った。
足をひきずって歩いていたので、「どしたんやの?」と聞いたら、「脳梗塞のせいや。足だけでない。体じゅうや」と言う。「あぶのうて自転車にも乗れん。大変やわ」と続けて言う。
カラダの専門家でない私が言えることは「大事にしてんでの」だけだったが、別れてから考えた。

北潟湖畔のサイクリングロードを整備することも悪いことではない。
しかし、車運転免許非取得者(私も町内に限っては冬以外サイクリストだ)・車椅子生活者・歩行障害者・視覚障害者等等にとっては、交通量の多い場所での歩道・自転車道の整備こそが急がれる。
新市あわらの都市計画にこの視点が抜けていたら、駄目な計画だとしか言えないのである。


 04/01/19 (月) 新聞を読んで 
きのうは、歳もわきまえずに徹夜仕事をしてしまった。
耳鳴りがする、頭がぼーっとしている。
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〇昨日の福井新聞「越山若水」の記事。
「先日ラジオで新人歌手がいっていた。「デビューさせていただいた○○です。歌わせていただきます」。このほか「ご報告させていただきます」「拝見させていただきます」などというのもよく聞く▼間違ってはいないのだが妙に引っかかる。気を付けていると、政治家の演説や会合のあいさつ、買い物の途中などいたるところで「させていただきます」が飛び交っている。度が過ぎるから耳に障る▼この「させていただきます」は浄土真宗の教義から出て、近江商人が全国へ広めたものだという。司馬遼太郎さんが「街道をゆく」に書いている。真宗では、人はすべて阿弥陀如来によって生かされている、と説く▼つまり絶対他力の教えである。ここから「おかげ」という観念が生まれ「させていただく」という言葉になる。近江商人には真宗門徒が多い。司馬さんによると、京や大阪、江戸へ出て商いをするときに自然に口から出て広まった▼東京を舞台にした明治の文学には例がみられないので、東京で広く使われるようになったのは昭和になってからではないか―これも司馬さんの説である▼このようにへりくだった丁寧な言葉が、どうして引っかかったり耳障りなのか。わかったことは、心底から「おかげ」を感じていないのに乱用するからだ。・・後略・・」

「・・させていただく」の言い回しが真宗の教えからきているとは知らなかった。確かに耳障りだ。
昔からそう思っていた。
だけど、心底から「おかげ」を感じていないのに乱用するからだとは、思わないなあ。
「・・させていただきますか?」という許可をもらう為の意味が込められているのならば丁寧な言い方だと思うが、自らの意思を伝達するのにすぎないのだから、「・・・致します」で十分丁寧だろう。しかし、そうすると自分の意志が全面にでてしまう。もし拒否されたらかっこわるい恥ずかしいなあということで、このような言い回しにしてるんじゃないかと私は思う。

 04/01/18 (日) 忙しくなりそうな日曜日 
いろんな集落を歩いていると、金津町は懐の深い自然を持った町であることを実感する。
きのうは、中間山地集落の敷地内に、たわわに実った柿の木を見つけた。その実の色あいの見事さに思わず見とれてしまったよ。敷地入り口から玄関までのアプローチの距離も、集落毎に違う。屋根の形は様々でも、エントランスポーチの型は集落毎に共通性があるように思う。
私自身は一応市街地に住んでいるので普段実感することはないのだけれど、郡部集落の夜は暗いところが多い。性犯罪が日々マスコミに登場する昨今だ。婦女子のために、防犯灯をもっともっとつけなければならない。

〇、昨日は土曜日だということで一年ぶりに大相撲をTV観戦していた。
四股名がバラエテイに富んでいると思ったなあ。「昔の相撲取りの四股名は、〇〇山、〇〇川が定番だった。しかし、郷土の山河が乱開発で荒れてしまったので、その類が減った」という説を新聞記事で読んだことがある。
そうすると今の四股名はどういう法則でつけられているのだろう。
黒海は大きすぎる、垣添は意味がとんとわからない。霜鳥はエアコンメーカーがタニマチのように聞こえる。
とまあどうでもいいことをいろいろ考えていたのだが、私が相撲取りだったら、四股名を「里ノ秋」にしたと思う。

〇きょうの昼事務所に戻ったら、4人の男たちが酒盛りをしていた。午前中は蕎麦打ちに興じていたという。
節酒中の私だけれども、みんなが陽気に飲みかつしゃべるのをみているのは楽しい。
話のテーマは、数日前突然福井新聞に載った「蓮如の里構想」をどうみるか、だった。

04/01/17 (土)  午前5時46分
あの阪神淡路大震災から9年が経ちました  黙祷
〇地震は、いつ襲ってくるかわからない。わからないからこそ備えて憂いをなくすことが必要だ。

先日、米の建築設計業界に詳しいひととの歓談中、「牧田はん。世間は金持・中産・貧乏人とさまざまや。完璧な耐震住宅を求めれば当然コストが高くなる。そこで米の建築設計者は耐震性にグレード別の総工費リストを見せてやね、どのグレードにしますか?と聞くらしいぜ」と言われた。
近い将来、道州制となれば建築基準法が国直轄ではなくなり、設計委託者自由採択型のこういう動きがでてくるかもしれない。
しかし、例えば公共施設は一律安定した耐震性を備えていなければ防災の拠点になり得ない。
個人住宅にしたところで、今までに沢山の構造計算をしてきたわが身の立場で言えば、どんな地震であろうと自分が関わった建物はひとつも崩壊してほしくないと、強く思うのである。

04/01/16 (金)  ネバー ギブアップ
「早起きは三文の得」というコトワザが真実を伝えていると私が思うのは、夜明けをみることができるからである。
熱々の珈琲を飲みながら東の空の白みはじめるのを見ていると、新しい時代がきたような気分になるのである。
きのうまでの失敗や悔恨やその他諸々のマイナスイメージが払拭され、「七転び八起きだ。さあ、仕切りなおしだぜ」という不屈のココロが胸の奥からふつふつとたぎってくるのである。

〇 昨晩の事務所での集まりのうちのひとりが20代の女性で、今年結婚するという。いいことである。
20代のわが身をふりかえってみれば、周りに異性など皆無だった。
どこへ行くのも集まるのもいつもいつも男だけだった。しかも少々変わっている男が多かった。
男どおし、安酒とスルメで訳のわからないことばかりしゃべっていた。
結婚して寡黙になり、男としての渋みがでてきた。
結婚するのも人生、しないのも人生だけれども、結婚することが自分を見つめなおす機会になるとだけはいえる。

04/01/15 (木)  一月も中旬だ
「明治期日本に永住し活躍した米人建築家J・モーガンの自邸が山中で発見された。開発の波のなかで自邸の存続が危うくなり、その保存運動がボランテイアの手で進められている」とラジオが報じていた。一夜明けて本日の福井新聞には、「滋賀県警・豊郷町長を書類送検」という記事が載っている。豊郷小学校保存運動に対する妨害を町長が指示したからであって、法的には当然の措置だと思う。
一時代を築いた建築家の作品には、骨格であれデイテールであれ、時代精神との闘いの跡がはっきりと刻まれている。古典が遺産といわれる所以だ。私たちは先人の遺産を守っていかなければならない。
例えば豊郷町町長という行政トップに建築専門家的な資質を求めるとしても、そりゃ無理な話だろう。しかし文化遺産の保存を求める声に対しては、素人なりに虚心坦懐の姿勢を持っていなければならない。
首長や議員を雇っているのは住民である。シモベと呼ばれる所以はそこにある。

閑話休題
一月も中旬になったというのに、事務所での新年会がひとつもない。
そこで、電話して今晩することにした。若い女性も来るそうなので、トイレを掃除した。土鍋も茶碗もコップもきれいに洗った。
年度末から節酒体制に入っているので酒自体が吸引力とはならない。しかし何人かの顔付き合わせての雑談でやっぱり気分は高揚する。
生きているはりというのは、何のかんのといってもやっぱり人間関係の切り結びにあると私は思う。

〇昨晩は、久しぶりに妻と寝床のなかで、〇〇のついでに話をした。テーマは、「少子高齢化社会の弊害及び団塊世代の女性蔑視」だった。世の中、変えなければならないことは沢山ある。
けれども、自分を変えることが一番難しい。


04/01/14 (水)  寒修行
体と心を軽くするために、はやあし散歩を始めた。毎夜、励行している。
昨晩は粉雪舞い散り寒風吹きすさび、手も顔もかじかむなか二時間歩いた。信念やね。
ついでに、鎮守の森の中の神社に寄って賽銭5円也を入れてきた。静まり返った闇のなかの拝殿というのは、不気味ではあるけれども、心を清浄にする。
先日TVで見た、小浜禅宗雲水の苔衣裸足草履的雪中托鉢行脚を思い出してしまった。

〇昼過ぎ、来訪者あり。家族の介護のことで相談を受けた。
介護度としては要支援なのだけれども、家族の配偶者も入所中なのでとても困っているという。
介護度の判定というのは、本人の肉体的諸条件だけが基準ではなく、家族環境あるいは住宅環境が判定の要素にからんできてしかるべきだと思う。

04/01/13 (火)  今朝は荒れ模様
午前8時起床。インスタントのポタージュスープがおいしい。
今朝は、きのうまでの晴天とはうって変わっての荒れ模様である。土砂降りで、時折雷も響く。
年末に坂ノ下区に雷が落ち、沢山の世帯が電話やらTVやらコンピューターやらの被害を受けた。そういう場合は器具のコードをコンセントから抜くのが安全策だそうだけれども、それではコンピューターを使えない。
仕方ない、粛々とやるだけです。
閑話休題
先日の地区総会。2/1予定の地区消防出初式が話題になったとき、議会での話を思い出した。
金津町内の上水道の有効水量は88%である。12%がメーターに還元されていないということだ。
主な理由は、古い石綿給水パイプの取り換えられていないところが沢山あって、給水にロスが生じていることによるのだが、その他に消火栓の無断使用があるという。近くの栓から畑に水をまいたり、駐車場清掃や洗車に使ったりということやね。これは盗水になるから止めるべきである。

〇「最近、HPの表紙がずーっといっしょだぜ」と言われたので、ちょっといじってみた。
自分の写真をモノクロにして貼り付けた。顔が白色になったので気にいった。
斜に構えた私の目線に映るのは、世の希望だろうか、絶望だろうか。よくわからない。

〇久しぶりに、金津小学校・幼稚園に行った。自宅から歩いて3分なのに一年ぶりである。
世の中どんどん変わっている中で変わらないのが子供たちの溌剌笑顔だ。
遊びをせむとや 生まれけむ
戯れせむとや  生まれけむ
遊ぶこどもの 声聞けば
わが身さへこそ 揺るがるれ
  (梁塵秘抄)

04/01/12 (月)  深夜にアーリータイムズを飲みながら
寝転がって娯楽系週刊誌を読んでいた。「国内に於ける殺人事件・傷害事件の件数は年々減っている」という記事が目に入った時、10数年前に読んだなだいなだの随筆を思い出した。
「毎日新聞が中心になって若者の自殺を特集している。読者は若者の自殺がこんなにも増えているのかと溜息をつく。しかし、総理府の白書を読むと実数のピークは既に過ぎていた。つまり、我々読者はマスコミがはるキャンペーンにのせられている部分がある。」が趣旨だった。
これを現在のマスコミに置き換えて深読みすれば、例えば政治家の汚職が日々の紙面を賑わせているのは、汚職が増えているということでは必ずしもなくて、昔からはびこっていた汚職がフリーにリークされるようになり、情報がどしどし公開されるようになってきたのだと考えれば、社会が進歩してきているともいえる。

〇NHK大河ドラマ「新撰組」が始まった。長谷川一夫主演の「赤穂浪士」以来大河ドラマを観たことのない私だけれども「新撰組」はじっくり観ようと思っている。
小学生の頃、私がいつも口ずさんでいた唄が「月光仮面」と「新撰組」だったのだ。

鴨の河原に 千鳥が騒ぐ
又も 血の雨涙雨
憂しとみし世ぞ 命をかけて
新鮮組は きょうもゆく

04/01/11 (日) 出初式・成人式・地区総会
午前9時半、中央公民館で嶺北消防組合の出初式が開かれた。
頂いた資料パンフに目を通した。
昨年一年間の管内(金津・坂井・春江)に於ける救急車出場件数は1137件とある。
内訳は、急病(607件)→交通事故(193件)→転院搬送(169件)→一般負傷(134件)→労働災害(14件)→自損行為(12件)→運動競技(5件)→加害(1件)の順である。
一日の出場回数は、1137/365=3.1回となる。
日々健康を維持することと、運転マナーを守ることの大切さが、この資料にあらわれていた。

午後一時半、創作の森で成人式が開かれ、私達町議も出席した。
その成人式のさなか思い出したのが歌手の郷ひろみ。
人気絶頂の頃成人した彼は、TVのインタビューで感想を聞かれ、「きょうから僕には弁護士がいません」と答えていた。それが彼自身の言葉だったのか、マネージャーによる指図だったのかは知らないが、成人することの意味の全てを伝えている。
私の成人式での感想はというと、式のあとに出されたぜんざいがうまかったことくらいの記憶しかないけどね。ところで、私が成人した年にはやった唄は東京ロマンチカの「君は心の妻だから」だった。

成人式のあとは地元地区の新年総会に出席して挨拶をさせて頂いた。当たり前のことだけれども、みんな知ったる顔・顔・顔だ。懇親会が終わって帰宅したのは午後7時。
忙しい一日でした。

04/01/10 (土) きょうからぼくは私になった    

この道ひとすじの一貫人生より、ふたすじみすじの曲折人生のほうが面白い。味がある。
そう思っている私は、「中高一貫教育」のメリットがどこにあるのかよくわからないので、きのう中学校に行っていろいろ聞いた。けれどもやっぱりよく理解できない。「アタマが段々保守退嬰化してきてるのかなあ」と思いつつ事務所に戻った。
午後6時、一日の仕事を終えたところに現れた知人が携えていたのが清酒「越の鷹・しぼりたて」だった。
節酒だ、禁酒ではないのだということで天麩羅をサカナにしての歓談中、金津町民に名を知られている某氏(HPに名前をださんといてくれと言っていたのだ)から「ビールとつまみの差し入れを持っていくざ」の電話が入った。
うーん、節酒が深酒になってきたが偶にはいいだろう、ということで昨晩は三人でようけ飲んでしまった。

閑話休題
階段脇に置かれた洗面器にうっすらと氷がはっているのを見て思い出した。
以前、「氷が解けると何になりますか?」を入社試験の問題に出した企業があるそうだ。
殆どの回答が「水になります}のなかで、「春になります」と答えた少数を、発想が斬新という理由で優先的に採用したという。しかしなあ。
例えば南極の氷が解けると「大洪水になります」だし、死体保存の氷がとけると「腐乱になります」だ。ココロの氷が解けると「おだやかになります」だし、歯の悪い私なんぞの立場ではアイスキャンデイの氷が解けると「たべやすい状態になります」だ。
そういう問題をだすひとって、何となく意地悪おじさんみたいな気がする。



〇 妹よ 誕生日おめでとう

04/01/09 (金) 節酒励行中    
新聞編集ソフトがうまく動かないのであせったり、息子の悩みに等身大で付き合うことのできないぼくは父親失格なのかと悩んだり、「女性参画」を標榜する現代においてぼくら団塊の世代は女性差別者なのかと反省したりしていた昨夕、友人が「鮒のぶつ切り」をもって事務所に現れた。
うまい。共通の知人の噂をサカナにして一杯の缶ビールを飲みつつしゃべっているうちになんだか朗らかになってしまった。
酒が百薬の長であるかどうかは知らないが、人間というのが単純な存在であることだけは確かだ。

04/01/08 (木)  昨日の一日  
昨日の午後1時半からは、金津町議会として最後の広報編集特別委員会が開かれた。
編集された計11頁の字面の細かいチェックなので、とても時間がかかる。結局、委員会が終了したのは4時半だった。ぼくの場合、編集委員としては、約半年間という短い在任期間だったけれども、いろいろ勉強になったような気がします。
夜は、積立金で委員会の納会。場所は三国町安島の民宿だった。
病み上がりなので、ビールと焼酎各々コップ一杯でぼくはこてんと寝込んでしまった。

深夜に目覚めて、起きていたひとたち4人でのウーロン茶座談となった。
話のテーマは、議会に於ける全協の意味→自衛隊のイラク派遣→共産主義→日米関係と、段々町議に似つかわしくない話題にエスカレートしていって終了、再び眠りに入った。
早朝目覚めたぼくは、ひとり浜辺へ。
冬の日本海から聞こえてくる海鳴りというのはすごいもんやね。堀田善衛の小説に「海鳴りの底から」があるが、まさに海底から腹にじわっとひびいてくる。
戦国武将になったような気分で雄島に向かって手を合わせ、「艱難辛苦を我に与え給へ」と祈ってから宿に戻ったのであります。

〇福井市で打ち合わせをする予定だった相手から「風邪や。すまん。延期してや」の電話が入った。
そこでしばらく窓の外に舞い散る粉雪をみているうち、30数年前に人気歌手だった奥村チヨを思い出した。
今、鹿児島市で新聞販売店を営んでいるふたつ年上のひげもじゃOさんがぼくに言った「このひとをみよ。無知の知や。理想的女性や」のこのひとこそ奥村チヨだったのだ。哲学青年みたいなOさんのオーラの入ったつぶやきに、若き日の私は、訳のわからないままに感心してうなづいていた。

粉雪舞い散る 停車場は
よく似た女の 声がする
あああ きょうもひとり あすもひとり
過去から逃げてゆく
一度愛したら 二度とつかめない
恋という名の あたたかい・・ とくちずさんでいたのだけれども
そこから先がどうしても思い出せない。
うーん、一日一日脳細胞が破壊されているのだ

04/01/07 (水) 小松空港  

ラジオニュースが、「きょう、上海-小松両空港の定期便就航を求めて石川・福井の県議団がチャ-ター機で上海へ。」と言っている。栗田前知事の失政ともいうべき福井空港頓挫を受けて、小松空港が石川福井両県をカバーしつつあるのだから、福井の県議団が同乗するのもなるほどと思う。
今後は、坂井郡から小松空港へのアクセス道路の整備が大きな声となっていくだろう。
しかし
ぼくは嶺南の生まれなので、以前から嶺南のひとと福井空港について何度か話し合ったことがあるが、「地理的に言って、福井空港なんて全然興味ないぞ」とよく言われた。小松ともなるとなおさらだ。
気候風土からみて、越前は北陸だが、若狭は関西だろう。近未来の若狭は近江とくっつくのではないか。
翻ってこちら坂井郡は、六町合併どころか北部三町の合併も実現しなかった。春江町と坂井町の合併も頓挫した。
となると、あわら市市制施行の次のステップは、県境を越えての加賀市との合併が選択肢となるのではないか。最近そういうことを思う。


〇 「牧田さんのホームページをね。ぱっとクリックしてぱっと読んでぱっと消してしまうのよ。ウイルスが怖いの」と電話で言われたが、ご心配なく。ウイルスバスター2004できっちりとガードしています。

04/01/06 (火) 体調不良  

昨晩は、悪寒と咳と吐き気と激しい頭痛に見舞われたので、熱い風呂に二度入り厚着でこんこんと眠った。
一夜あけ、事務所で熱い珈琲を飲んだがアタマはぼーっとしたままだ。
きょうは、どこへも出ないでおこうと思います。

04/01/05 (月) 仕事始め

あさって1月7日には広報編集特別委員会が開かれる。金津町としては最終号となる「議会だより」の更正だ。二月に入ると、臨時議会・閉町式・閉庁式などが予定されている。
というようなことを考えていると、確かに本日は2004年始動の日ではあるけれども、議会の人間としては3月1日が始動日であるような気分にもなる。
閑話休題
神社で柏手を打ちながら
イラクへの自衛隊派遣、ビンラデインのビデオによるメッセージ、景気の行く末、火星着陸、市町村合併、自販機あらし、イラン大地震、少年犯罪の増加、教育制度、テポドン、拉致問題、原発、胃の痛み、仏教は葬式宗教でいいのか、友人の悩み、自分の悩みのことなどなどを考えていた。
大中小いずれの状況にしろ、明日何が起こっても不思議ではないという日々がぼくらを待っている。
であれば、とにかく今日を後悔しないで過ごしていこうと思う。


〇正月にバラエテイ番組を見る機会がしばらくだけあった。芸人たちの駄洒落応酬や馬鹿騒ぎも全てギャラの為なのだからそれはそれで仕方ないとしても、台詞の断片的字幕化がとても気になる。
ろう者の為の字幕多重ならば、断片では駄目だと思うのだ。

〇ラジオニュースが「県名の長野を信州に変えたい」という、田中知事のメッセージを伝えていた。
面白いんでないかい。とすると、福井は越前若狭だ。
だけれども、ものの本で読んだのだが、「越前」の名の由来は京の都から見て峠を越えた手前にある場所くらいの意味だという。勿論「越中」はその中程の場所であり「越後」となるとずーっとうしろの場所ということになる。ミヤコビトがミヤコを中心に考えて名付けたという思い上がりをぼくは感じて、ちょっと逡巡するのである。

04/01/04 (日) 昨日の一日
阪神間在住の友人二人と共に、京都の名所旧蹟を散策してきた。
三十三間堂→清水寺→六波羅蜜寺→建仁寺→河原町と歩き回り、京都駅構内レストラン街での飲食歓談で最後を閉めた。
正月の古都はまるで静かではなく、歩き回ったいずれの場所も押すな押すなの行列だった。
しかし楽しかった。人間、たまには楽しみを持たなければならない。今年はこういう機会を何回か持ちたいと思った。
午後7時7分京都発の特急に乗ったが、サンダーバードははやい。一眠りする間もなく、福井駅に着いてしまった。二の宮の義兄宅に行き、新年の挨拶がてらの飲食歓談。11時過ぎに帰宅し熟睡。

早朝起床で珈琲を飲みながら思うのだが、合併後の名所旧蹟は、金津町のほうにより多くあるような気がする。今までに訪れた名所の幾つかに土地土着のガイドがいた。ガイドの語り口によって名所の印象が濃くなったり、薄いままであったりする。金津町の場合もボランテイア「語り部おじさん語り部おばさん」を登録することが大事なのではないか。人材は沢山いると思うし、所詮町興しとは人興しだ。

04/01/02 (金) 元日の高速道路は空いていた

昨日は京都の宇治で息子娘と落ち合い、連れて帰ってきた。車中は息子の独演会だった。

午後6時、自宅に到着したら妹の旦那が来ていなさった。現在、山形の財務局にいる。
焼牡蠣をサカナに自治体財政の講義を受けた。
一部の中核都市を除いて地方都市の駅前は疲弊しているそうだ。例えば山形の場合も交通の足の整備で、仙台の商圏に入りつつあるという。
「芦原との小さな合併では効果はなかなか出ないでしょう。行政の謳い文句が美辞麗句でも、えてして中身は空疎ですよ。特例債頼みではなくて地域を考慮した独自の施策が不可欠です。その為には議員たちが頑張らないとあかんですよ」と言われた。
うーん、きょうは正月返上で私家版「菜の花通信」を書いていようと思う。


〇美浜町町議・松井明彦さんから議会報告「かたろうや」が送られてきた。是非、御一読を。

04/01/01 (木) 元旦
あけまして おめでとうございます
実際、年があけたからといって何がめでたいのかよくわからないが、こういうもんきり型の言葉は世に沢山ある。
すれ違った知人に「どこへおでかけですか」と聞いたり、通夜の席で「ご愁傷さまです」と頭をさげたり、探せばきりがないだろう。
しかし、初詣でで出会った知人に「なんで正月がめでたいんや。わしなんかずーっとめでたくなかったぞ。今年もどうせいっしょや」と言ったならば、それが素朴な思いであるとしても、やっぱり変なひとだと思われる。
若かった頃ならばともかく中年にさしかかった今のぼくは、「もんきり言葉は便利だし社会の潤滑油なのだ」と思うのである。豆砕き熱々珈琲キリマンジャロを飲みながら、除夜の鐘を聴きながら、もんきり言葉をつくった昔のひとは偉かったと思うのである。

〇年賀状を読んでいたら、こういうのがあった
「深いと思うな浅い教養 浅いと思うな深い欲望」

〇さあ、きょうは京都行きだ。