2004年05

04/05/31 (月) 昨日の日曜日は久しぶりの焼肉談議だった
風薫る5月もきょうで最後、明日はもう6月だ。
6月は鬱陶しい梅雨の季節。イラク問題のような大状況からわたしたち庶民の日常をとりまく小状況まで、晴間の見えない日々がこれからも続くのだろうが、亡くなった友人の「苦しみは連続楽しみは断続が人生や」という言葉を枕元に置いて、しこしこと生きていこうと思う。

閑話休題
午後、友人からの電話で「走るのに疲れました」という唄をうたっていたフォークシンガーは誰でしたけね?」と聞かれ「知らない」と答えたのだが、いわゆる故円谷幸吉の鎮魂歌なのだろう。
受話器を置いたあと、ダーバンのネクタイをゆるめ洋モク・ゲルベゾルテにダンヒルで火をつけ、イタリアンロッキングチェアをリクラインイングモードにして40年近く前の東京オリンピックを思い出していた。
最終日の男子マラソン。「走る哲学者」と言われたアベベ・ビキラがダントツでゴールインし悠々と体操をしていた代々木陸上競技場トラックに苦悶の表情で飛び込んできたのが円谷でしかし後続の英半ハゲ・ヒートリーにあれよあれよという間に抜かれてしまったのである。
後年自殺した彼の遺書にあった「昨日のとろろおいしゅうございました云々」は同じく自殺した故三島由紀夫に絶賛されたなあ。
「黒い猛牛=ボブ・ヘイズ」「世界一速い車=ヘンリー・カー」「白い妖精=ベラ・チャスラフスカ」「女大鵬=タマラ・プレス」「金メダルポイントです!=日本女子バレー」「赤鬼=アントン・ヘーシンク」などを筆頭に、80m障害の依田・100mの飯島・重量挙げの三宅などをTV画面で一生懸命応援したもんだ。
その前のローマオリンピックは全く記憶になく、その次のミュンヘンオリンピック以降は興味が無くなってしまった

04/05/30 (日) 深夜にブラックニッカを飲みながら
ジェンキンスさんが「訴追免除の確約をしてほしい」と語ったという。曽我ひとみさん一家を取り巻く状況は大変に複雑だ。
日朝会談終了後ジェンキンスさんと会った小泉首相は「身柄を保証する」と紙に書いたそうだが、日米身柄引き渡し条約を破棄しない限り現時点での保証は無理だと思うのだが・・・。
拉致された立場の曽我ひとみさんが一家で日本に住みたいと思うのは当然であるとして、ジェンキンスさんの真意はどうなんだろう。
自力更生を標榜した金日成体制当時の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は大韓民国よりも輝いていたような気がする。わたしも福井県民会館でプロパガンダ映画を見た記憶がある。
しかし創業者社長が仮に立派な人であったとしても二代目は苦労知らずだからなあ。
例えば山口組の場合も二代目は世襲ではないし、それがいいのだ。(国会議員にも多いけれど)地縁血縁バトンタッチは受手を駄目にし、ひいては社会を国家を駄目にする。
ん?わたしは何を言いたかったんだろう。
そうかそうか。
ジェンキンスさん脱走の背景には厭戦と同時に当時の北朝鮮の政治体制に対する賭けがあったと思う。脱走後幾つかの映画に出演したということは、それなりに満足できる生活を送ってきたとも思える。だとするならば、日本に来るかどうかは先ずもって夫婦間協議に委ねられることになる。
麻生太郎の「日本に来たくないというのがジェンキンスさんの真意ならば、無理に連れてくること自体が拉致ではないか」という発言は言い得て妙である。

閑話休題
今朝のわたしは青壮年団担当のドブ掃除を手伝っていた。前日までに各戸がさらい道路脇に置かれているドブを搬出トラックに載せる仕事である。
どこでもそうなんだろうけれども、排水溝にはU字溝などの開渠と門型、コンクリート蓋押さえ及びグレーチング蓋押さえなどがある。置かれている量は開渠脇が圧倒的に多い。裏をかえせば、整備された排水溝程掃除がしにくいということか。

04/05/29 (土) ぼーっとしている土曜日の朝
昨日の朝、所用で福井市内の福井県視力障害者福祉協会に行った。去年完成したきれいな建物だ。知り合いの職員から構造をいろいろ説明してもらったその建物は「情報提供施設」と呼ばれているという。無知なわたしは「情報提供施設」=聴力障害者の為の施設とだけ理解していた。
障害の程度方向は千差万別だが、文字画像情報に関しては視力障害者、音声情報に関しては聴力障害者がそれぞれ情報障害を持っているのだから当然といえば当然である。
ウーン、余生(というものがあったとしたならばだが)をひとさまのお役にたつことをやらせて頂いて、今までのワガママ人生に対する帳尻あわせにできればしたいと思う。


04/05/28 (金) 夜明け
東の空が白み、小鳥がさえずり始める。これが夜明けだ。
夜明けに熱々珈琲を飲みながら、新聞の社会面を眺めていた。毎度のことだけれども社会面は犯罪による死亡記事満載だ。昨日晩飯時での妻の言葉「お父さん、あと10年は生きなあかんざ」を思い出した。至極当然のことだが、亡くなるということは次の日の朝を迎えられないということだ。

閑話休題
午後7時、有志が集まっての私的懇談会。テーマは「幼稚園・保育園及び幼児園」だった。
周知のように、旧金津町に幼稚園と保育園があるのに対して、旧芦原町はそのふたつを一体化させた幼児園制度を採用している。いわば幼保一元化の一形態だ。
何年前だったか金津小学校のPTA会長をしていた時に、学童保育の問題にとりくんだことがあるので関心を持って臨んだ。いろんな意見が出た。とても参考になった。

閑話休題
昨日の日記で、「わたしの車は動くサウナ風呂」と書いて思い出したことがある。
数年前の夏の盛りだった。ドライブの最中同乗の女性から「牧田さんの車には何でエアコンがついてないの?」と問われたわたしは「この車は走っているんだぞ。窓をあけりゃいい風が入ってくるぜ」と答えた。そしたら「でも日焼けするのがわたしイヤなの」とのたもうたのだ。
わたしに言わせれば小麦色の肌が素敵なんだがなあ。

04/05/27 (木) わたし
昨日の昼はプレカット工場に居た。プレカット工法というのは木造住宅の柱や梁の仕口(取り合い部分)をコンピューター制御による巨大自動鋸でつくっていく工法をいう。この工法の歴史は浅いものだが威力はすごい。以前ならば木場で数人の大工が鋸鑿鉋駆使しつつ一ヶ月以上かけてやっていたものが、数日でこなせるのである。
工場内には物件毎に沢山の柱梁が平積みされていたが、集成材が意外と多い。集成材とは33mm厚の板を糊でくっつけた柱梁のことだが、選別できるのできれいだ。でも、多少節があろうと色あいが不統一であろうと自然木のほうがあったかみがあると、わたしは思った。
閑話休題
午後はぐんぐん気温が上がった。わたしは幾つかの場所を窓を閉めた車で走り回っていた。汗がだらだらでてくる。いわゆる「動くサウナ風呂」やね。カラダが少しだけしぼられたようだ。
夕刻、事務所に戻ったわたしは塚本邦雄の短歌を思い出してしまった。
はつなつの ゆふべ額を光らせて
      保険屋が遠き死を 売りに来る


04/05/26 (水) 暑くなりそうな朝
昨日の昼、合間をみて西武デパートに行った。新館3階で和紙を買った。60cm×90cmで¥420円だったが、駐車場料金は¥300円だった。帰りしなDIY店で竹ひごとセメダインを買った。
夜、購入した和紙と竹ひごで裸電球を包む照明器具をつくった。もう誰も来まいと思い、うすめた焼酎を横にして手作業に没頭したのだがなかなかむつかしい。
江戸末期、没落した武士が内職でかさ張りをしている姿に自分が重なった。しかしともかく出来上がった。
和紙を通した柔らかい灯りを眺めていると、決して戻ることのない過ぎ去った日々が走馬灯のようによみがえってくる。


04/05/25 (火) きょうは久しぶりの快晴だ
携帯電話が普及したからか、留守TELにメッセージを入れるひとが極端に少なくなった。
そこで、外出の折には携帯電話に直接転送できるようにしたのだが、ワン切りコールや非通知設定コールまでもが転送されてくるのには困る。今までもこのての電話には一切出なかったのだが、こういうものの転送は無駄そのものだと思うなあ。
閑話休題
昨日の昼警察からの帰りに所用で金津庁舎に寄ったら、知り合いのろう者が社会福祉課で障害者割引制度についての窓口相談に来ている。よってわたしの立場は急きょ通訳ということになったのだけれども、相談の内容は主に文字多重放送アダプター購入に関するものだった。例えば衛星放送のNHKニュースなどは100%文字多重放送に対応していると聞いて「ヘえー、科学技術は日進月歩やなあ」と思ったよ。
通訳しながら、二日前に読んだ高村真理子著「アメリカ手話留学期」を思い出していた。なんたってその方面の先進地はアメリカだそうです。

04/05/24(月) 昨日の一日
いろいろ忙しい日曜日だったけれども、けさの寝覚めはすっきりしている。阪神vs巨人戦延長10回、阪神のサヨナラ勝ちはわたしに健康効果をもたらせてくださったわけです。


よくやった 赤星くん!
〇昨日わたしは某寺院改修工事で、設計者として感謝状を頂いた。
55年の人生で恐らく初めてのことだ。ありがたいことです。
逮捕状と脅迫状と離縁状はまだないが、駐禁による裁判所からの呼出状と何だったかの督促状ならもらったことがある。いろんな状があるんだろうなあ。

04/05/23 (日) 深夜に素麺を食べながら
 おおかたの予想通り、地村さん蓮池さんの子供5人が帰国した。喜ばしいことである。 しかし、帰国は本当に首相再訪朝の成果だったんだろうか。成果の有無の焦点は、8人全員の帰国及び10人の安否不明者の情報取得にあったはずで、5人の帰国は既定路線だったという。
 10人安否不明者の再調査を総書記に約束させたと首相は語っていたが、そんなことは当然していて首相の任務はその報告を聞くことだと思っていたのだが。
 ジェンキンスさんの意思を首相が直接確認したというが、記憶によれば1年7ケ月前、3家族の北朝鮮への戻りを翻意させたのが政府外務省筋なのだから確認すること自体が妥協なのではないかと思う。
 拉致は誘拐だ。奪還は本来警察の仕事だろう。政治的な取引とは無縁であるべきという家族会の主張はもっともだ。
 先方がはしにも棒にもかからない状況からみて云々という首相の言葉には首をかしげる。「外交官というのは自国の利益の為に平気で嘘をつくひと」という定義集もあるくらいだから、友好先行では弱腰外交と言われても仕方ない。
〇散歩の癖がついてしまいけさは3km程歩いた。歩いてみるとこの国は車優先の社会であることがよくわかる。運転中にみえる歩道は並木や花々などでそれなりにこぎれいだけれども、いざ歩道を歩けば脇の排水溝や草わらにビニール製品などが捨てられているのが一目瞭然だ。川原などはひどいもんだ。きれい好きのしかし恥ずかしがりやのぼくが隠れるようにしてゴミを拾っていたら、知り合い二台の車に呼び止められてしまった。このてのゴミ拾いはやっぱり夜がいい。

04/05/22 (土) もう土曜日か
昨夕は、警察に居た。とはいっても罪を犯した訳ではなくて、友人のろう者が信号交差点内で当て逃げされたことによる手話通訳である。
一昨日の晩、友人が青信号になってゆっくりと入った交差点につっこんできて友人の車の左側面にぶつけた相手はそのまま逃げていってしまったという。当日の現場検証では通訳が居なかったので、より詳細の補足説明の為に通訳として同行したという訳である。夜間雨中の事故で、目撃者無しという状況下で、気が動転もしたであろう相手はとっさに逃げてもわからないと判断したと思える。
ぼくも卑怯な人間に属するけれども、その立場になったら例え躊躇してもやっぱり逃げないと思う。金を失うのが些細なことであるとしても、信を失うのは些細ではないからだ。
ろう者は聴こえない分だけ目がいい。夜間雨中のなかで咄嗟に見た車の特徴、運転者及び助手席者などなどの特徴は既に情報として警察にインプットされている。信を少しでも回復する為に自ら届け出たほうがいいと思うけどなあ。

04/05/21 (金) 今晩は あわら市文協設立総会です
昨晩の手話サークル。新婚旅行から帰ってきた会員女性がアルバムを携えてやってきた。タヒチ島へ行ってきたという。20数年前のぼくたちの新婚旅行も同じ南国・沖縄だった。
そこでぼくは町議として思うのだが、芦原温泉に来る新婚旅行カップルの年間の数はどんなもんだろう。温泉街でそういう雰囲気のひとたちを見た記憶はあまりない。
芦原温泉の場合、ホテル側が内部に土産物売場を取り込んでいるので、夜の街への客の散策が相対的に少なくなる。よって街自身の景観も乏しくなってしまったのだと思う。
源泉噴き出す求心力のある広場やそこを囲む屋台街があれば活性化すると、ぼくは思うんだがなあ。

〇齢を経るということは、記憶力が減退するということである。
きょう町でばったり出会った人と笑顔で挨拶しつつ四方山話をしているうち「ワタシのこと、必死で思い出そうとしてるんでしょ?」と突然言われたので、間髪いれずに「勿論覚えてますよ。淳二のお母さんですがね」と答えたのだが、よく考えてみると淳二は私の息子だからその人は私の妻ということになってしまうしそんなはずはなく、なんとなく訳のわからない会話をしてしまったなあと、反省した次第です。

04/05/20 (木) 肌寒い朝
ある人から電話があって昨日は鯖江へ行った。同業者のその人は、数年前に脳溢血で左手が不自由になっていて、リハビリと製図の日々を送っている。
「片手でコンピューターキーボードを叩くのはナカナカ難しい」と言う。毎週末には同様にリハビリに励むひとたちが集まって情報交換をしているそうだ。
月並みな言い方しかできないけれど、頑張ってください堀さん。
〇久しく無かった読書欲が回復してきたので、図書館に行って10冊どどお-んと借りてきた。とはいっても十数年の読書中断的試行錯誤的人生のせいで、ナウい書き手をぼくは全く知らない。ぼくのアタマにインプットされた歌謡歌手が西郷輝彦・舟木和夫・三田明あるいは敬愛する森進一の世代で止まっているように、小説家は村上春樹・村上龍の世代で止まっている。自然高齢者世代の著書に目がいってしまう。
てなことを思いながら図書棚通路を歩いていたら背表紙の永倉万治が目についた。
以前ラジオで、この人の未亡人が語る生前の永倉の波乱万丈の回想を聞いたことがある。早速借入れ10人衆のなかにいれたので、今宵はワンカップ片手に読書にいそしもうと思う。

04/05/19 (水) 深夜ラジオでは ビリーバンバンが「白いブランコ」を唄っている
もう15年以上も前のことだが、当時国民年金手続き事務のパートをしていた友人から「牧田さん、正直に年金払ってるひとたちは損やざ。どのみち崩壊するもん」と言われ、高齢化が進めばむつかしくなる制度ではあるなあと思ったものだが、いやはや集めた金で全国に関係箱物がどしどし建てられていりゃ、運営側が制度維持の為に任意を強制にしたり受給年齢を引き上げたりを余儀なくされるのも当然で、だからその制度の複雑なところがいかんとお上がのたもうても、複雑の複雑たる所以がよくわからないぼくには、福田官房長官辞任によって始まったいつまで続くかわからない年金ドミノ合戦は既に自民vs民主の党利党略的あらさがしデスマッチと化しているとしか思えず、国会議員のセンセイ方の次から次への釈明を聞くにつけ、あんな低レベルの内容ならばぼくら町議でもしゃべれるのではないかとついつい思ってしまう。
さて、参院選はどうなるのだろう。

04/05/18 (火) 曇天の朝
きのうぼくはあるひとと老人社会のことについて話し合っていた。その時に思い出したことがある。
数年前、友人の祖母が高齢で亡くなった。亡くなる時の臨終の言葉が
「うらはなあ、80何年も生きてきたが、一日たりとも生きるのを休んだことはなかったざ」だったという。これを聞いたぼくは、しばし名言だと思ったなあ。

04/05/17 (月) 寝て過ごした週末
体調がよくないのか、ちょっと疲れ気味である。
日曜日だということで昨日は昼過ぎ布団に入り、熟睡。「ご飯やざ」の電話で時計を見たら7時だ。てっきり朝飯だと思っていたのだが、食卓に座りTV画面を観た時、夕飯であることがわかった。
食べているうち坂ノ下区の会合が開かれているのを思い出して、急きょ区民館へ走った。
(この会合でのぼくの役目はみんなの意見を黒板に書くことつまり書記である。この上に総がつくとすげえ権力者となるのだが、書記は単なる記録係やね)
終了後帰宅し就寝。目が覚めたら6時である。十分な睡眠をとったのだ、さあ今週も頑張ろう。
〇昼、昔の事務所時代の同僚と食事を共にして、楽しかった。
「あのひとは今どうしてる、このひとは今どうしてる」の思い出話に花が咲いたのだが、「建築設計事務所のひとって、変人が多いよねえ」と相手はいう。確かに、ぼくくらいしか普通のひとは居なかったような気がするが、しかし議会というところも癖のあるひとが揃っているとぼくは思うのである。
ウーン、何十億かの人間が住むこの星で、変人癖人のレッテル貼られたひとはようけいるだろうが、しかし猫や犬がそのひとたちを見ても決して変人だとは思うまい。動物種人間科の行動様式にちゃんと収まっているように見えるはずである。つまりどのみちみんな普通ということだ。

04/05/16 (日) 雨の日曜日
昨日の昼は土曜日ということで事務所のインテリアを変えていた。気分が一新されると仕事もはかどる。
そして昨晩は4人のひとの来訪があったが、酒を酌み交わしつつ一新された事務所の雰囲気を楽しんでくださったのではないかと思っている。
閑話休題
小人(しょうじん)は同して和せず 大人(たいじん)は和して同じず は論語だ。
何でこんなこと思い出したかというと、昨晩は事務所で雨夜の品定めをしていたからである。
〇後山の友人宅での茶のみ話。
「通信網の発達で、きちっとしたコミュニケーションのできない時代になってきたような気がする」と通信産業に勤める彼が言う。これは至言だ。
例えばぼくが誰かある人のことを思い浮かべるとしますがね。その人の笑顔・真面目顔・怒顔やなめらか声かすれ声といった抑揚あるいは立ち居振る舞いなどを即座に思い浮かべても、会った時に話し合った内容つまり言葉の部分は最後にしか浮かんでこない。
「相手に対する印象の75%は言葉以外のものだ」と、ものの本で読んだことがある。
情報網の発達は偽コミュニケーションの拡がりを促しただけで、相対的に乾いた社会がつくられつつあるということなのだろうか。
・・・というようなことを書いているさなか、「福祉バス路線配置の再考を行政に訴えてほしい」との電話が入った。ウーン、議員として頑張らねばと、ぼくは思ったよ。

04/05/15 (土) 昨夜は10時間も寝てしまった

昨日の朝は、頼まれごとで金津庁舎に居た。
担当課が金津庁舎と芦原庁舎に分かれたことで、始めのうちは相当とまどいがあったけれども最近やっと慣れてきた。住所が坂ノ下区で両庁舎の中間あたりにいるぼくにとっては分かれていることがそんなに苦痛ではないけれども、全体を俯瞰した場合、どうなんだろうか。

二年ほど前、視察研修で堺市の隣町を訪れたことがある。
その町では全ての公的施設(スイミングプールまでもだ)がひとつの建物の中に詰め込まれていて、その中に庁舎があるという状態を見てびっくりしたことがある。面積小さく人工密度の高い都市化された町だからこそ可能だったのだろう。
節税の観点からは、モータリゼーションと情報網整備の進行で統合が促進されるのはいわば世の流れだ。けれども、福祉の観点からは、そうとも言えない部分が細かく言えば沢山ある。

04/05/14 (金) ちょっと疲れ気味

小鳥のさえずりで目が覚めたら、外はしとしと雨が降っている。
梅雨間近のような気持ちになってしまうなあ。
閑話休題
昨日は早朝から夜遅くまで出ずっぱりで、喋る聴くの繰り返しだったが、本日はじっくりとCAD画面に向かっている。午前中の来客は一名のみ、電話は二本のみ。晴耕雨読的姿勢で椅子に座っていると、ぼくのこれまでの人生はこれでよかったのだろうかという反省的気分と、いいのだいいのだこれでいいのだどのみち空になるのだという無反省的気分が交錯する。
傍らの鏡をひさしぶりに覗いてみた。
耳元あたりには白髪がめだってきた。しわが多くなってきた。無私の精神がもたらすいわゆる苦悩のしわなのだろう。
閑話休題
夕方に来訪したふたりの営業マンとの歓談中、ひとりが「いい事務所ですねえ」と言う。
「?」のぼくに相手は「だって、小鳥が巣をつくっています。ヒナ鳥の足が天井裏の隙間から見えますよ」と更に言う。「ソーカ、だから今朝は小鳥のさえずりで目が覚めたのか」と思いながら、ぼくは先日帰郷してきた妹の「ジュンケイって鳥のどこを言うの?」という質問を思い出した。
あとで調べて、ジュンケイとはヒナ鳥ではなくてヒネ鳥をさすことがわかった。
というようなことを書いている最中に3羽のヒナ鳥が、ドスドスドスと天井裏から落ちてき
て、ぼくは大変困っているのである。

04/05/13 (木) 女性の皆さんはやかずに読んでください

ちょっとややこしい話
昨晩、匿名の女性からメールが入った。その女性の友人が、昔ぼくの勤めていた建築設計事務所の同僚Tさんであるという。そしてその彼女の電話番号が書いてあったのだ。
彼女は職場での独身女性社員美貌ナンバーワンを誇っていた(もっとも独身女性はひとりだけだったが)。
今の市議会でもそうなのだけれど当時十数人居た男性社員のなかで美男ナンバーワンのレッテルを貼られたぼくとの間で密かにロマンスの噂ががささやかれていたことをぼくはあとで知った。勿論何もなかったのだよ。
ウーン、20数年ぶりかと思いつつ、きょうの昼、電話をかけた。
「近いうちに昼メシでもくいに行こうや」とかなんとかをしゃべっているうち、「ワタシ、毎日朝一番に牧田さんのホームページを読んでるわよ」と言われて、ぼくは大変嬉しかったのである。

閑話休題
去る5月11日(火)に臨時議会が開かれた。
議案は、①専決処分の承認を求めるものと、②各種委員会委員の任命に関わるものだった。
こういう臨時議会は普通、人事議会と呼ばれている。
委員になられた皆さん(山下さんのホームページに出ています)、
月並みな言い方になりますが、町政発展の為に頑張ってください。

04/05/12 (火) 怒涛の阪神タイガース

昨日は、午前中に全協、午後は臨時議会が開かれた(詳細は一両日中に書きます)。d040512

終了後、有志議員が某喫茶店に集まっての反省会。ぼくは途中で座を辞し、事務所に戻った。夕刻には、建築の打合せがあり、その後某町の施主宅へ。
玄関のチャイムを鳴らし、通された居間では、施主がナイター中継巨人vs阪神のTV画面をくいいるように見詰めていた。7回表で6対6だ。
施主から突然、「牧田はんは、どっちのファンですか?」と問われたぼくが「モチ、タイガースでんがな」と何故か関西弁で答えたら、隣の台所でお茶を沸かしていた奥さんが「ああーよかった。うちに来るお客さんがタイガースのファンでないことがわかったら、おひきとりくださいと言ってますのよ」と言う。
ウーン、これは「平家にあらずんば人にあらず」の清盛ではないか、恐怖政治ではないかと一瞬思ったがしかし、「花と阪神の好きな人に悪人はいない」という何かの本で読んだコトワザを思い出し、まあいいかと思ったよ。
帰途、ぼくの事務所にはTVが無いのを思い出し、新町の道路に車を留めて、ラジオ中継に耳を傾けていた。
アリアスの適時打で勝ち越した1点を、リガン・ウイリアムス・安藤で締めくくり7対6で我がタイガースが薄氷の勝利を得た。サッカーの日本代表監督ジーコに対してもそうだが、放任主義阪神監督・岡田に対して批判の声があるという。いいのだ、いいのだ。人は放任されてこそ能力を十全に引き出す。少なくとも引き出そうとする。

04/05/11 (火) 昨日はどしゃ降りでした

殺人・強盗・詐欺事件が日々満載の新聞社会面は、なるべく読まないようにしているのだけれども、どうしても目についてしまうのが子殺しだ。
江戸時代にあった大飢饉による口減らしや身売りはいわばゆるがせない事情であり、少なくとも食うことだけは保障されているこんにちの社会における子殺しは、メンタル面例えば親のエゴが原因であるに違いない。一般的な殺人・強盗・詐欺にはその容疑者の動機が見え隠れしている。だからこそ、裁判という制度のなかに情状酌量なるものが取り入れられている。
しかし、子殺しはそういうものとは別に我々を覆いつつある社会病理現象だろう。子は親の所有物ではなくて一個の独立した人格なのになあとつい思ってしまう。

04/05/10 (月) こぬか雨で緑のきれいな朝

年金未納発覚で福田官房長官が辞任し、きょうにも民主党・管代表の辞意表明があるという。身からでた錆とはいえ続投意思が抹殺されるわけで、もう一歩で頂点だったはずなのにという思いにハラワタは煮えくり返っているはずだ。権力の頂点あるいはその周辺にいなさるひとは身辺をきれいにしておきなさいという謂いだろう。
しかし権力といえば、例えば小泉首相などもののかずではないほどの圧倒的な権力で我が世の春を謳歌したあの豊臣秀吉は、次のような辞世の句を残している

つゆとおち つゆと消えにし わが身かな なにはのことは夢のまた夢

権力による栄華など砂上の楼閣みたいなものではかないことこの上なく、そういうコロモを脱ぎ捨てりゃひとりの庶民がいるだけさ、というふうにとれるとぼくは思う。
〇岐阜県からかかってきた電話の女性とよしなしごとをしゃべっていて話題が子育てのことにうつった時に思い出したことがある。
7or8年前だったか、某小学校のPTA会長をしていたわしはPTA総会に於いて、数百人という若いお母さんがたを前に、演壇で子育て論を展開したことがある。
「お母さんがた!貴女たちのお子さんはこの世に生まれたいと思って生まれてきたのだと思いますか?・・・そうじゃないでしょう。胎児がこの世の善悪を判断できるはずないですよ。お子さんがたは一重に貴女たちのあるいはわたしたちの性の快楽の結果として生まれてきたのです。だからこそ我々は、他律的にこの世に産み落とされた子供たちの教育環境をよりよくしなきゃあかんのですよ、云々云々・・・」としゃべったら、あとでひんしゅくをかったなあ。でもわしの言葉に間違いは無かったと今でも思っている。

04/05/09 (日) よく歩いた昨日

目に青葉 山ほととぎす 初鰹
野外が気持ちの良い季節である。昨日は野外で二度珈琲を飲んだ。d040509

千束で熱々珈琲を飲み、創作の森で冷珈琲を飲んだ。どちらもおいしかった。
昔から珈琲が好きで、日に4杯は飲んでいる。35年間飲み続けているとして、35×365×4=51100杯飲んだことになる。一度十二指腸潰瘍で入院して26日間は飲めなかったが、それを差し引いても、51100-(26×4)=50996杯だ。50000という数字は大きい数字で、植木等も
♪ガッコウでてから15年 今じゃ会社の大社長 通いなれたるパチンコで とったピースが50000箱 と唄っていた。
煙草がカラダに悪いのはわかっていて、何度か禁煙を試みたのだけれども、珈琲タイムにはどうしても煙草が呑みたくなる。どちらも死ぬまでのお付き合いということになるのだろう。

04/05/08 (土) もう週末か

午前二時半に起床、窓外は静寂だ。見上げれば漆黒の闇である。
湯を沸かし豆砕き熱々珈琲を飲む。ラジオは「松尾和子とマヒナスターズ」の唄を流している。一週間は本当にはやい。光陰矢の如しだ。忙しくなりそうな週末を頑張ろう。
閑話休題
養老猛司が小沢一郎との対談で平成版参勤交代制を唱えている箇所を読んで、ぼくは中国の文化大革命を思い出した。
「ワイルドスワン」や「上海の熱い夜」などによって、大新聞特に庶民の味方を標榜する朝日(朝日新聞については、イラクでの人質解放に関する報道でぼくはとても腹がたっている)などが隠蔽していたあるいは当時の中国政府によって隠蔽を余儀なくされていた文革の裏面の赤裸々な部分が世界中に報道されたわけだが、しかし故毛沢東が指示した「裸足の医者・裸足の教師」路線だけは少なくとも理念としては正しかったとぼくは今でも信じている。我々にとって一番大切なことはくうことだ。くうことを保証するのは農業だ。都市生活のエリートたちは、彼らの食生活を保障している農業を(少なくとも年間の数ヶ月だけでも)実体験せねば、啓蒙者としての彼ら自身の言葉が空洞化するのである。ぼくは、日本の社会にエリートは必要だと思う。しかし、我々庶民には及びもつかない報酬を得ているエリートたちは、その故に加害者としての自覚を持たねばならないとも思うのだ。加害者としての自覚を待たぬエリートは即ちニセエリートであり、社会の不要物であるといえよう。

04/05/07 (金) 捕虜虐待
英BBCが、写真の信憑性に疑問符を投げかけているものの、イラクでの米兵による虐待事件に対しては自民党橋本派でも批判が相次いでいるという。第2のベトナムになるのではないかという懸念もでてきているという。
昔、「世界拷問史」を読んだことがあるが、そのおぞましさといったらなかった。
捕虜と兵士との関係は弱者vs強者の典型だ。拘束官のささいな行動ささいな言動すらも捕虜に対しては微妙な心理的影響を与える。そうさせない配慮が即ち人道というものだろう。
戦場が狂気の場になるのが致し方ない人間心理であるとしても、捕虜収容所は戦場ではないのである。
いじめの極地が捕虜虐待であるとして、
一見平和なこの社会に住んでいる我々は、いじめの被害者になっていないだろうか、いじめの加害者になっていないだろうか。
閑話休題


福井市内での打合せの帰り、嶺北縦貫道路沿いに蓮華の花が一面咲き誇っていた。
いわゆる日本の春のタダシイ風景なのである。
十数年前、三人の子供達が幼かった頃、権世の蓮華畑によく連れて行ったものだ。

04/05/05 (水) 連休をささやかに楽しんだ
友あり 遠方より来たる 又楽しからずや
ということで青春時代を共にした友人2人が一昨日来福、敦賀で落ち合った。
これはもう中池見湿地だということで現地へ車を走らせたのだが、生憎と休館日だった。管理者・大阪ガスさんも連休中くらいは休館せずに開けていてほしい。
その足で向かったのが気比の松原だ。コウノトリが天女の羽衣に包んでぼくを運んできた場所がここで、それはそれは可愛い玉のような赤ちゃんだったと母方の祖母から聞いたことがある。
近くの水戸天狗党墓所に寄った。友人のひとりが「尊王攘夷はどのみち数年後には実現していたのになあ」と溜息をついていたが、明治維新前夜は、ある意味で狂気の時代だったのだろう。
今庄の宿場街を散策した後、三国若えびすへと急いだ。日本海に落ちる夕陽を観る為である。
若えびすはぼくの処女短編「夕陽恋」の舞台となった場所でもある。
一旦事務所に戻り、妻の運転で再び三国へ。
老舗の居酒屋で政治談議・教育談義に終始した。友人ふたりはともに高校教師で年齢からいうと管理職なのだが、ヒラだ。そのことに自負を持っている気配を感じたが、どのみち振舞言動に問題があるゆえのヒラどまり持続だとぼくは思ったよ。
サウナ経由で事務所に戻り、ひとりは布団にひとりは寝袋に寝て頂いた。
あけて昨日。
目指したのは朝倉遺跡だった。武家屋敷を歩きながら、復元を担当した元勤務先設計事務所の同僚・Kクンは元気なのだろうかと思っていた。

武家屋敷を抜けて、一乗滝経由で今立町「和紙の里会館」へ。500エンなりの越前和紙を購入しているところに、西川福井県知事がお供を連れて入ってきた。ウーン、文堂さんのライバルだった人なのだ。「ボンみたいな顔してはるなあ」と友人がぼくに囁いたが、ぼくにはこの関西弁の意味がよくわからなかった。
午後1時半、武生駅で友人ふたりと別れ、帰宅。購入した和紙で行灯製作に没頭、今やっと完成した。

04/05/02 (日) 法事
昨日は、30数年前に亡くなった祖父母の法事が家族だけで開かれた。いわゆる33回忌だ。飾られている祖父母ペアの写真は若かりし頃のもので、とてもなつかしい。
だけれども
住職の読経聴きつつ経本のルビふり漢字を目で追っていたが、意味が殆どわからない。
印度発中国朝鮮経由の仏教経本が漢字で固定化されているのは中華思想によるものではないか。いや、中華思想への迎合ではないか。意味がわからないからこそありがたいという解釈もあるが、やっぱりわかってこそ仏道が身近になる。
閑話休題
寝転んで久しぶりに読んでいた司馬遼太郎の本にボスの語源が書いてあった。
信長の時代、ポルトガルから日本に来てキリスト教布教を開始した宣教師たちにとっての競争相手は当然仏教だった。その仏教の宿坊の主を表す言葉=坊主・ボウズを彼らはボンズの発音で記録して故国に送った。ボンズが英語圏に入る時、ボスに変化したというもので、ひとつの説に過ぎないのかもしれないが面白いね。

04/05/01 (土) 昨日の一日
午前9時半、三国町の某工事現場にいた。
知り合いの設計事務所から配筋検査を頼まれたのである。組まれた鉄筋の上をあっち行ったりこっち来たり上ったり下ったりしていたのだが足元がどうも覚束ない。体が太めになってしまったのだ。腹をひっこめなければいけない筋力をつけなければいけないことを実感し、事務所に戻ってから腹筋腕立て伏せそれぞれを数十回こなした。日課としよう。
午後はしばらくの読書したあとCADにいそしむ。
夕刻、コンピューターの達人Kさん来訪。パソコン二台のネットワ-ク接続をしてもらった。
夕食をはさんで、接続が完了したのは午前零時だった。旧型パソコンなのでなかなかうまくいかずご迷惑をかけてしまった。