2004年07

04/07/31 (土) 静寂の夜明け
昨晩は帰郷した娘と共に食卓にいた。特にしゃべることもなく、漫然とTVを眺めていた。
バラエテイ番組で、数人の芸人が高級料理を一口食べては、その値段のあてっこをしている。本まぐろを使った料理あるいはフカヒレを使った料理エトセトラだ。
くだらん、実にくだらん。
例えば私なんかには生涯縁のない料理を賓回に食する身分であることを何故誇示したいのか。この世が、金持ちと中産と貧民で構成されているのはいかんともしがたい事実だ。
しかし、天下のまわりものである金の再配分がうまく機能しない結果としての事実だともいえる。金持ちが高級料理を食べるのは勿論構わないが、食べる事に気恥ずかしさを感じつつひそかに食べるのが金持ち的モラルというものだろう。

04/07/30 (金) 虎勝利は久し振り
合併したことで、知り合いの知り合いが旧芦原町のあのひとだったこのひとだったとわかることが時々あり、要するにひとの垣根が少しずつ崩れている。
生活する上での面白さのひとつに、ひとと知り合うことがあるのは確かだ。
第一印象が次に出会った時あるいは次の次に出会った時に裏切られることがよくある。表層と中層と深層は違うのである。
裏切られることが面白い場合もあるし不愉快な場合も当然ある。だからこそ八代亜紀の演歌が私たち大衆の胸をうつのではないかと思う。


閑話休題
昨日、友人との電話でボランテイアに行こうという話しになった。一応日どりを決めた。恐らく若い人たちが多数を占めるなかでの作業になるだろう。Go for breakである。

04/07/29 (木)  久し振りの加賀
石川県能登は、風光明媚な土地柄で海の幸がどっさり採れるところだ。
しかし例えば門前町の場合、昭和31年の町人口19033人が、平成16年現在8305人と激減した。富来町の場合も減少傾向が続き、来年には隣志賀町との合併が予定されているという。
政府の飴と鞭政策で、合併しないところは交付税削減が目に見えてきたからで、そういう意味では丸岡・春江・坂井・三国四町合併の足早なしかし不可思議とも思える動きも同様だ。
金が舞った時期に、政府は全国津々浦々の自治体に身丈にそぐわない箱物をつくらせ、結果として各自治体はそういう箱物の維持管理に汲々としている。
人口の集中している都市部は高等インテリ遊民が集う場所だから仕方ないのだろうが、農漁村つまり鄙が鄙のままでい続けることが許されない状況をつくった主体は、国の施策とそれを無批判に受け入れた自治体及び便利さと快適さの平等性を求め続けてきた住民自体と重層的に在る。
合併がうまくいかなければ、地方主権は空念仏となり、大きい地域のなかでの中央集権が促進され、もともとの鄙は空洞化し、結果として日本の原風景がますます失われていくことになる。
〇久し振りに、加賀の国をドライブした。山裾を走りこじんまりとした感じのいい喫茶店に入った。焼き具合申し分のないサンドイッチと苦味のあるホットコーヒーで私は幸せを感じた。
出口の見えない日々が続いているけれども、一生懸命やるだけだと思った。

04/07/28 (水) 午後5時帰宅 
一泊二日の教育厚生常任委員会視察研修ということで、初日の昨日は石川県能登の門前町・富来町役場、二日目のきょうは羽咋市にいた。

初日門前町・富来町における質疑のテーマは中高一貫教育、二日目羽咋市における質疑のテーマは保育所の公設民営化だった。
先ず、初日の中高一貫教育。当地の形態も今あわら市で研究課題となっているかたちと同じ「連携型」である。しかし地域性というかバックグラウンドがあまりにも違うことを痛感した。
二日目の羽咋市における質疑のテーマは公設民営化。当地では統合に会わせて民営化をこなしている。その分だけ、節税効果が大きい。あわら市細呂木・金津東両保育所の場合とそこが違う。
いずれにしても、沢山の資料を持って帰ってきたので、後日じっくりと書き込むつもりです。

04/07/26 (月) 水 
昨日は富山が集中豪雨に会い、多数の家屋が床上床下浸水の被害を蒙ったという。新潟→福井→富山と北陸地方に被害が集中しているのは何故なんだろう。
太平洋側と比べて山からの水の流れの勾配が急なのか、治水ダムが不整備なのか、河川断面積が少ないのか、本来住宅として不適な地が宅地化されているのか、山々が保水力を失ってきているのか、そのいずれなのかいずれでもあるのかよくわからない。


私の住んでいるところは坂ノ下地区で、その名の通り坂の下にある。強い雨の時には、坂の上から流れ込んだ水が側溝からあふれ、場所によっては噴水状に水が噴き出すこともある。そのことで役場に行くこともしばしばだ。道路がアスファルト化され敷地がコンクリート化されれば地表水は全て側溝に流れ込む。地表自体が水を吸い込めないのだ。よって排水溝はより大きい断面のものを必要とすることになる。


時代錯誤を承知で言えば、家の前の道路がまだ砂利道で、打ち水しつつ近所の人に挨拶するのが日課であったあの頃がなつかしい。
〇ここ数日、被災地への行政支援の体制を何人かのひとに問われたので、総務課・社協・市長室の三ヶ所をめぐって聞いてきた。
・ウイークデイの場合、朝に職員を乗せたマイクロバスが市庁舎を出発。支援の長期化を予想してバスをマイクロバスに切り替えたが、ボランテイア同乗の要請があれば、バスに切り替えるとのこと。
・個人で行っても駐車スペースはなく有料駐車場に入れるしかないらしい。
・義捐金と救援物資は社協で受け付けている。但し、物資に関しては、本当に必要なものが何なのかを県本部に問い合わせてから決めたほうがいい。
・学生と違ってサラリーマンの場合は土日にしかいけない。社協バスの場合、ウイークデイは年寄り送迎に使っているので無理だが、土日ならば要請があれば動かせる。
・芦原開湯120周年祭については、合併と10年に一度という節目が重なったので中止することは出来ない。但し、前宣伝として予定していたスポット広告は取りやめた。
等等が答えだった。

04/07/25 (日) 蝉時雨で目が覚めた日曜日 
本日はこの猛暑のなか、以前区民総出で刈った河原の干草を燃やす日だ。棒の先端に灯油をしみこませたボロ布の塊をつけて、次々と点火して歩くのである。
考えただけで、カラダが熱くなってしまう。

閑話休題
焦熱地獄のような干草燃やしを終えて帰宅。
とりあえず冷蔵庫にあった水をがぶ飲みしカラダを横たえていたら、知人から電話が入り「あわら市は豪雨被災地への義捐金や物資を受け付けているの?」と聞かれた。
明日朝一番で調べようとは思うのだが、この週末、ぼくはいろんなひとたちから被災地へのボランテイア派遣のことに関するお小言や御意見やを聞かされたのでとりあえずボランテイアってなんやろかと考えてみた。
ボランテイアの語源は、スペイン内乱戦争当時フランコ独裁政権打倒の為に他国からやってきた義勇兵士のことをいう(あのE・ヘミングウエイも入っていた)そうな。その行為によってスペイン国内で評価されることは先ず無くよって無償の行為という邦訳がついたのだという。
そう考えるとボランテイア活動を正義とマスコミが喧伝する風潮はいかがなものかと思う。川の堤防が決壊し住民が多大な被害を蒙ったことの責任の所在は、本来、国や当該自治体にあるのであってそのアフターケアは国を含めた行政が背負わなければならないことである。
その不備を見かねたひとたちがボランテイアとして参加するのは勿論いいことなのだが、あくまでも自発的な意思による。ボランテイアとして参加し補填活動をしたことの意義は、全体を自分のなかで完結させること以上でも以下でもないはずだ。社会が助け合いで成り立っているのは当然であるとしても、少なくとも組織による上意下達的行為をボランテイアと名づけるのは、言葉本来の意味からしておかしいと思うのである。

〇昨晩、某所での納涼祭。清滝・東山などの地区のひとたちが手打ちおろし蕎麦を出している。注文して食べたらうまいのだ。
ほろ酔い気分も手伝い、蕎麦うつひと、切るひと、出すひとたちに「うーん、うまい。・・・わたしは、この清滝の蕎麦のようにかめばかむほど味の出る男をめざしている牧田であります・・」とかなんとか演説口調でしゃべっていたら、横にいる清滝のKさんから「ちがうちがう、蕎麦はようかんだらあかんのや。かむより流し込むもんや」と言われた。
いわゆるTPOの間違いというやつである。

04/07/24 (土) 介護保険
・昨晩は、坂井郡介護保険広域連合議会でもらった資料を読み返していた。
平成10年にスタートしたこの制度にはプラスマイナスがある。そこはこれから勉強しなければならない課題だが、資料2「介護保険業務の現状」に拠ると、居宅・施設双方共サービス受給者数が年々増えてきている。私たち団塊の世代が被保険者になる頃に、その数値は山のてっぺんになるのだろう。
全協で、予防介護が必要だという声が議員のなかから出た。丸岡町と坂井町は予防介護にとりくんでいるみたいだが、その他の組合構成自治体は広域連合に下駄を預けてしまっているという。これではいかん。行政サービスの原点は、健康と福祉の町づくりである。


・市制が敷かれたことによって福祉事務所が設置された。自治体が独自に福祉政策を講じることが出来るのだから良いことだと思うのだが、サービスが落ちてきたという声を聞いた。県からの支援が減ったからだそうだが、これではいかん。福祉ボランテイアグループ等とのしっかりしたネットワーク構築が不可欠なのではないか。


・市でも8月下旬から手話の勉強会をシリーズで開くことになったと聞いた。市職員も、仕事は仕事ボランテイアはボランテイアと峻別して沢山参加してほしいと思う。


・私も自立を維持する為に健康に留意している。
歯を磨くようになった。風呂もできるだけ毎日入っている。昨晩は縄跳びを50回した。晩酌は焼酎コップ二杯+缶ビール一本に控えている。日に60本吸っていた煙草も最近は40本にまで落とした。草花に愛情を注ぐようになった。道端の地蔵には必ず合掌をしている。ひととの出会いあるいはときめきを大切にしている。たまには三国の海岸に行って「おーい海よー」と叫んでいる。手話で手を動かすのはぼけ防止でもある。落ちる夕陽に向かっては「念ずれば花ひらく」とつぶやいている。


〇昼過ぎ、あわら市民から「芦原開湯120周年祭ということで、行政がイベントに金を出す。それ自体悪いことではないが、豪雨災害の直後です。イベントを止めるかあるいはその規模を抑えるなどして、災害復旧に協力したほうがよいのではないか。大阪から大挙ゴミ回収車が来てくださるのだから、より近いところの自治体としてイベントを再考してほしい」という内容の電話を頂いた。

04/07/23 (金) 思い出したこと
豪雨の影響で三国港の突堤辺りに大量の流木やゴミが漂着し、そのサマが連日TV画面に映し出されている。風向きが変わると流木群が動くので、漁船の運転には十分注意してほしいと、港湾事務所のひとが注意を呼びかけていた。難儀なことだ。
だが、思い出したことがある。


十数年前、夕方になると自宅裏・竹田川の堤防で息子たちとよくキャッチボールをしていた。小学校高学年の上の息子はピッチャー、ぼくはキャッチャー、使い道のない下の低学年息子は審判兼球拾いだった。
球がそれて川にどんぶらこすると竹棹で球を呼び戻すのだがさいならする球もある。
そして週末には三国港突堤に息子ふたりを車で連れて行った。川からの漂着ゴミ群のなかに球が混じっているのだ。「よーいどん」で探させると5.6個の収穫はあった。
ある時下の息子が「とうちゃん、球みつけたけど死んだ犬の腹の横に浮いてるんや」という。ちょっとおぞましい光景で逡巡したが「それも捕れや」と言った。
あの頃ぼくは確かにお父さんを演っていた。


04/07/22 (木) 昨日の一日
午後一時半、丸岡町役場。
全協に続いて、第15回坂井郡介護保険広域連合議会定例会議が開かれた。
日程第1 議席の指定
日程第2 会議録署名議員の指名
日程第3 会期の決定
日程第4 副議長の選挙
日程第5 議会運営委員の選任
日程第6 行政報告と提案理由の説明
日程第7 一般質問
日程第8 議案第7号 坂井郡介護保険広域連合監査委員の選任について
日程第9 議案第8号 坂井郡介護保険広域計画の一部変更について
日程第10 議案第9号 平成16年度坂井郡介護保険広域連合一般会計予算(第1号)
日程第11 議案第10号 平成16年度坂井郡介護保険広域連合介護保険特別会計補正 
       予算(第1号)
広域の議員になって初めての議会だった。


午後5時前に帰宅。
今立町の友人宅に電話して、豪雨被災の状況を聞いた。事務所や自宅は無事だったけれども田畑が水に浸かり、小学校は床上浸水したと言う。
「きょうは、共同で排水溝の泥上げしてたんや。しかし、暗渠化も考えもんやぞ。いろんなもんが流れてきてつまってるけどなかなかとりだせんのや」と続ける。
門型側溝は車道幅を拡げる意味では確かに有効だけれども、維持管理にむつかしさがある。


午後7時から地区本陣の片付け。理事全員集まっての作業だったが、ここでも話題は豪雨被災だった。
午後8時過ぎ、帰宅し妻と晩酌。福井市生まれの妻は市内に知人が沢山おり、どこそこの地域はあんなんやこんなんやという情報をいろいろ聞いた。下の息子は明日鯖江市にボランテイアに行くらしい。うん、高校生の体力はこういう時にこそ使用されるべきだ。


いろいろ疲れを感じて午後9時過ぎに就寝。
〇宮本輝書「星宿海への道」を読み終えた。
十数年前、「蛍川」を読んだ時の終章=滝のような蛍大乱舞の描写に魅せられて、このひとの本を次から次へと読んだものだ。その後生活がせわしくなり読書からとんと御無沙汰していたので久し振りの逢瀬だった。
中国黄河の上流の町で消えた主人公・雅人の生きてきた軌跡を妻の視点、弟の視点で語らせるという小説構図。うまく言えないが、人間の業の深さとはかなさが心に残る本だった。

04/09/21 (火) 無題

先の議会で、「市民参加条例の制定が必要ではないか」というテーマでの一般質問があった。全国にはそういう条例を制定した自治体が幾つかあるそうだが、ぼくは寡聞にして知らなかった。
この場合の「市民」は行政用語を超えている。単なる市の住民ではなくて政治意識を持ったひとたちくらいの意味だと思う。
独断偏見でいうと、市民という言葉が定着したのは、1960年代後半に発刊された羽仁五郎著「都市の論理」以後ではないか。読んだ当時はこの言葉を眩く感じたものだが、歳を経るに従って、市民は優越意識内包概念のような気がしてきた。しゃばを構成している本拠本元は庶民やとぼくは思っている。
それはともかくとして
旧金津町時代、判断の分かれるおおきなテーマ毎に行政側は「〇〇を考える会、〇〇を聞く会」をセッテイングしてきた。議員のぼくは勿論蚊帳の外だったが、聞くところによれば、会のメンバーはアテ職が多く女性が少なく公募はいつも殆ど同じメンバーだったそうな。
これでは通過儀礼といわれても仕方ない。自治体の活性化に繋がらない。
条例制定も大事だろうが、現状の制度をより実りのあるものにする為の方策を行政側は考えるべきだ。それは簡単で、アテ職を少なくすればいいのである。
それと
先の議会中に開かれた「教育厚生常任委員会」に傍聴者があったのはとても嬉しかった。何故なら当議会は「委員会中心主義」を採っているからである

04/07/20 (火) 祭りを撮ろうとしたがデジカメ行方不明で残念
昨日の金津祭りは雨にたたられなくてよかったね。
ところで、山車巡行はやっぱり帰り山車につきる。
六日区の山車が坂ノ下区八幡神社に到着したのが午後6時50分。境内での夕食を終えて帰り山車が出発した午後7時50分には、既に夕闇がたちこめていた。各地区から迎えに来たたかはり提灯の行列を先頭に、ライトアップされた太鼓囃子と山車が続く。太鼓囃子はラストステージの気分でいよいよ威勢よく、宵闇のなかで巡行する側も脇で見物する側もアドレナリンを分泌するのだ。


昔、織田主演原田三枝子共演の映画「祭りの準備」を観たことがある。祭りのシーンがあったかどうかは覚えていない。むしろ、若者たちの倦怠的日常が描かれているだけの映画だった。
日常というのは予定調和だ。繰り返しの生活を強いられる我々は、ココロのなかに自分だけの祭りの日を持っていて、その日の為の準備として日々があるというメッセージ映画であったような気がする。


せんじつもあったこと
閑 話 休 題
所用で芦原庁舎に向かって車を走らせていたら、対向車線を走ってきた車の運転席窓がやや下がり手が出てきた。その手をこちらに振っている。
なんせ、すれちがいざまだ。
腕のしなやかさと髪型から若い女性であることはわかるのだが、日焼け防止の為か窓に黒いシートが貼ってあって、顔がよくわからない。
ひるがえってぼくはクーラーをつけず窓を開けて走っている。相手には一目瞭然なのだろう。
とにかく手を振り返したのだけれども、相手のかたが誰かわからずごめんなさい。

04/07/19 (月) 無題
CADのステップアップと読書にいそしんだ週末が終わった。
心機一転の月曜日です。

本日の新聞に福井豪雨被災の様子が大きく出ている。死者行方不明者も出て、避難世帯は2万1千だという。親類知人の安否が気になる。福井市からわずか20kmの地に住んでいて被災状況が違うのは堤防決壊の有無に拠る。

数週間前、消防団による土嚢積み訓練を見たばかりだ。消防団のひとたちは本当に偉いと思う。

04/07/18 (日) 雨
昨日の夜は地区の本陣つくり。金津祭りに備えてのものだが、終了間際に雨がぽつりぽつりと降り始めた。
事務所に戻り布団に入ったのだが、夜半は大雨となった。鉄板屋根なので雨音は激しく、時折雷鳴がとどろく。梅雨前線の影響だから当然なのだけれども、明日本番の天気はどうなんだろう。
そういえば、カヌーポロあわらトーナメントも北潟湖で開かれる予定のはずだ。

ということで
閑話休題
福井県嶺北地方一円特に福井市内の一部は足羽川の堤防決壊による床上浸水はなはだしく二万世帯だかに避難勧告が出たのだが、あわら市内は早朝に雨もあがったので、午前中北潟湖へ。
カヌーポロ主催者の話によると米英豪伊日などからの選手百数十人の選手が集まっているとのこと。あるチームは試合をしあるチームは地元特産越のルビーハヤシライスを食べていた。
体格のいい若者たちをみているうち、ウーンこれはいわば国連軍ではないかと思ったよ。

午後は坂ノ下八幡神社で秋の大例祭。終了後、日本酒のコップ片手に理事どおしで区保有地の扱いについての打合せをした。そのあとは、新富区と六日区の山車区内巡行を見に行き祭り前日の気分を味わっていた。

04/07/17 (土) 快晴の朝
起きたら8時半だ。
うーん、外で飲むことの殆どないぼくにとっては珍しいことだが、昨日は飲み屋のハシゴをしていたのだ。
飲むにつれて変わるひとのサマを形容する言葉は、泣き上戸・笑い上戸・怒り上戸あるいはしゃべり上戸といろいろあるが、ぼくの場合は無口上戸である。
美空ひばりじゃないけれど酒は涙かためいきなのだ。
つまみは食べない。煙草の煙の流れを見詰めながら相手の話に耳を傾けていると人生いろいろだと思うのである。

午後は、珍しく読書。清水義範著「みんな家族」を読み終えた。
著者の自伝的半生記で、同世代の読者として、描かれている世相をなつかしく思い出した。生きるということは、実にさまざまなひとたちとの出会い及び別れを積み重ねることである。
裸電球のような温かみが読後感として残った。

04/07/16 (金) もう週末か
昨夕、庁舎から帰宅してCAD情報を整理していた。
若い頃、製図はT定規使用の手書きだった。幾星霜でT定規はドラフターに変わり、10年程前CADに変わった。
インターネットが配信する無料ソフトCADは、大別してJWC-CAD、JWW-CAD、HO-CADの三種類があり相互に互換性を持つ。ちなみに、ぼくはHO-CADを使用している。


いつも思うことがある。
行政の文字書類は全て電子ファイル化されている。しかし図面情報は電子化つまりCAD化されていない。公共建築物の平面図くらいは電子化すべきだ。はじめの入力は大変だけれども、一旦入力したあとの複写・変更・移動が容易だし、ということは建物が仮に部分改修された時、リアルタイムでの図面管理が可能ということになる。図面は大きいものかさばるものというのも既成概念で、CDやフロッピーに収まってしまう。必要な部分だけをその都度出力すればいいのである。図面収納の為の倉庫も縮小できるのではないか。


注 CAD=コンピューター エイシッド デザイン だそうな

04/07/15 (木) 設計屋として思うこと 
笹岡地区に行った折、湧銘水を飲んだ。旧金津地区三大銘水(笹岡・熊坂・滝)のひとつである。炎天下、蝉時雨のなかで一息に飲み干す水のうまさは極上ワイン・ロマネコンテイを凌ぐ。バーボン・アーリータイムズも沖縄洞窟古酒もワンカップ大関ももうどうでもいい気分になる。昔、三人のこどもらが小さかった時は、車のトランクにポリタンクを積み込み、旧金津町のみならず大野や敦賀まで銘水を汲みに走ったものだ。


ところで、日本の水は大丈夫なんだろうか。
従来、事務所ビルなどの基礎下の杭はハンマーで打ち込まれていたのだが、騒音及び振動を誘発し近隣に迷惑をかけるということで、現在はセメントミルク工法に変わってきている。
アースオーガー(巨大な錐)で地中に穴をあけ、セメントを流し杭を落とし込む工法である。
杭長は普通数十メートルなのだから、真下に水脈があれば水脈が破られそこにセメントのあくが入り込むのではないかとぼくは懸念するのである。

それはさておき
閑話休題 きょうの一日
昼前。襟なしノーネクタイシャツにダーバンのスーツ姿、つまりハイカラと重厚が同居する粋ないでたちでぼくは福井市に出た。旧知の女性と昼食をともにした。話題は多岐に渡った。
男の世界に住んでいるぼくは女性と話をする機会が殆どない。くわえて相手がすごく素敵な女性なのでドキドキした。でもとても楽しかった。


彼女と別れてから、下の息子(高三)の三者面談に行った。ガッコという聖域に行くのはぼくの最も苦手とするところなのだが、妻は「お父さん、行ってよ」といつもぼくに言う。仕方ないのだ。面談直前、息子は「お父さん、俺は言いたいことを自分の言葉でしっかりと話すからお父さんは黙っててや」と言う。うーん、息子はたくましくなったなあと感動したぼくは、「勿論黙っているぜ。これ小遣いや」と息子に千エン渡したぜ。ところが、面談に入ってからの息子の言葉はたくましくない。仕方なくぼくは口を挟んでべらべらしゃべってしまった。
自戒自戒。

04/07/14 (水) 介護保険
深夜ラジオから橋幸夫の「子連れ狼」が流れている。

しとしとぴっちゃん しとぴっちゃん
しとぴっちゃん
寂しく冷たい 雨すだれ
幼い心を 凍てつかせ
帰らぬちゃんを 待っている
ちゃんの仕事は 刺客ぞな
涙隠して 人を切る
帰りゃいいが 帰らぬ時は
この子も雨んなか 骨になる
この子も雨んなか 骨になる
あーあーあーあー 大五郎
まだー みっつ


二晩も三晩も父・拝一刀の帰りを待ち続ける大五郎。
人生待つことだ がこの唄のメッセージだろう。
最近のこどもはすぐにケイタイで連絡をとろうとするが、それで失うものは沢山ある。
待つことは希望と不安の交錯だ。そして、希望と不安はいわば実人生である。
55年間、ぼくはいつも何かを待ち続けてきたような気がする。



〇ぼくは、坂井郡介護保険広域連合の議員になっている。きょうの午前中、坂井町にある事務局に行って、介護保険の現状を聞いてきた。
今月21日に議会定例会が予定されているので、その結果をこの欄で報告するつもりです。
〇こんなメールが入ってきて恐縮しています。

今日の議員日記、いつになく心に響いた。(KM)

04/07/13 (火) 無題
真夜中のメールに訃報が入った。若いひとだ。ウイスキーグラス片手に諸々を語り合ったのがついこの間のような気がする。その時の笑顔は鮮明に残っている。
若いひとの死はやっぱり重いです。


昼下がり、久し振りに鴨池を見ていた



鴨池を見ているうちに、旧芦原町某女性市議がぼくに語ったことを思い出した。
舞い降りてきたトンビが鴨を捕まえた。広げた大きい羽で鴨の体を包み込み、内臓をついばみ始めた。内臓から血がほとばしる。食べ終えたトンビは、悠々と大空に舞い上がり消えていった。・・・・その一部始終を見ていたそうだ。
うーん、動物界の掟の場面である。ぼくも見たいと思う。

04/07/12 (月) さあ 一週間の始まりだ
昨日の参院選の結果は、自民党の下降民主党の上昇、共産党・社民党の凋落とほぼ予想どおりだった(ぼくの入れたひとはひとりがあがり、ひとりが落ちた)が、目についたのは公明党の堅実さである。
政教分離のかけ声とは裏腹に宗教法人創価学会のトップダウンで動くこの党は、それ故に一枚岩の強さを持っている。政党政治が一枚岩を目指すのは当然であるとしても、55年体制崩壊後の政党は離合集散を繰り返してきたし、自民と民主の間にも議員の行ったり来たりが沢山あったと記憶している。しかし、公明党議員の他党へのあるいは他党からの行き来は聞いたことがない。この点は、共産党とよく似ている。だからこそ両党がねちっこく反目しあっているのだろうがなあ。
福島党首の弁によれば社民は民主に吸収されないだろうし、されてはいけないと思う。しかし分裂による部分的吸収の可能性はある。

昨晩遅く、わさび入り冷麺を妻と一緒に食べながら開票速報のTV画面をみていたら、福井選挙区・山崎氏(自民党)当選の弁がアップされた。地道に誠意をもって語っている。内閣官房副長官として拉致問題で動いたのが追い風の一因になったのだと思う。
それにしてもひきがえるのような声やなあと思いながらアップ顔を見詰めているうちに、ぼくのように黒くて顔もひきがえるに似ているのではないかと思ったよ。
うん、ほめ言葉なのだ。
ハンサムはあかん。悩みを背負ってきたが故の年輪が出ていない。甘っちょろい声や甘っちょろい顔あるいはパフォーマンス口調にぼくは興味がない。
無所属無党派である地方自治体議員のひとりとしてのひとりごとでした。

04/07/11 (日) きょうは参院選投票日
昨日の昼は、三国町のお寺に居た。
書院で、建物修復のことについて話していた。200年前にできたその部屋に居るといつものことながら心が落ち着く。
住職が「まわりの人らがこういう古い部屋は残さなあかんと言うんです。自分らは新しい便利な家に住んでいてね」となかば冗談に言う。でも、設計屋としてのぼくは、まわりのひとの意見に賛成だ。
最後の宮大工と呼ばれた故西岡常一さんの講演を聴きに行ったことがある。
「法隆寺屋根瓦の修復をした時にですねえ。軒先瓦をはずしたらですねえ。ヒノキの軒先タルキがですねえ。ぴーんと跳ね上がったんですよ。つまり1000年間木が生きていたということですよ」で始まった講演だった。
古民家は、幾星霜の歳月で太い柱や梁を十分に乾燥させている。既に精霊が宿っているとみていいだろう。柱梁を残したままでの今風生活形態容器への改修は十分に可能だと思う。
それはともかく
閑話休題
きょうは参院選投票日。投票所の金津小学校へ妻と一緒に行った。
妻と連れ立って歩くのは何ヶ月ぶりだったのか、思い出そうとしたけれども思い出せなかった。

04/07/10 (土) 久し振りの雨
昨夕、飲み屋のカウンターに座っていたら、稲妻が数度走った。夕立とまではいかなかったけれども少しぱらぱらときた。ちょっといい気分でぱらぱら雨のなかを歩いて帰宅した。


雨を呼び込む稲妻の稲の字は、夏場の雨が稲の実りに必要なことを表しているのだろう。
細呂木滝地区の小高い山の頂きに、雨請堂がある。旧金津町発行「ふるさと手帖」には、江戸期旱魃の時、雨請の儀式として女相撲が開かれたと書いてある。田の神が男性神であるのに対して山の神は女性神だから女相撲なのかなあ。
雷は神鳴りだ。稲作に励むひとたちよ今から雨を恵み与えるぞよ、というくらいの意味の神の声と理解すべきだと思う。

藤沢周平著「刺客」(昭和58年)を読み終えた。
主人公が武士や十手持ちというのが藤沢の本の特徴だ。
江戸市中の背景描写が細かく、主人公も取巻きも屈折していながら人情味があって、ぼくはこのひとの大ファンです。
国元から脱藩というかたちで江戸に潜入し、用心棒稼業で日銭を稼ぎながら、藩の密命をこなす剣の達人・青江又八郎。つぎつぎと敵を倒していく。その陰には密かに思いを寄せる嗅足・佐知がいる。
いいなあ、男はやっぱり寡黙で強い奴が魅力的だ。顔ではない。
わたしもまだ55歳、老け込むにははやい。
最近の早朝あちこち散歩で下半身は鍛えられてきた。あとは上半身だ。
目の前に、以前吉崎御坊で買った木刀がある。きょうから素振り30本を日課としよう。

04/07/09 (金) 反省日記
つまらないミスをして相手に迷惑をかけてしまった。なんでそんなミスをしてしまったのだろうと思えば思うほど自分が情けなくなって、もう全く自己嫌悪の世界であります。
それはともかく
閑話休題
梅雨だのに雨が降らない。毎日暑い。
配布中の通信誌のイントロは「7月に入り今だ梅雨の真最中。あちこちの紫陽花が雨に濡れてとても鮮やかですが・・云々」となっている。
原稿を書いていた一日だけが雨降りだったのだ。少しでも降ってほしいなあ。

04/07/08 (木) 無題
突然の召集通知で、昨日午後一時半から全協(全員協議会)が開かれた。
協議案件は、勿論、新聞記事となった「公金着服疑惑議員」の件である(当事者は欠席した)。
先ずは議長報告。
記事の出た当日、当事者から産業建設委員会委員長を辞任したいという申し出があり、副委員長がこれを受理。議長は「疑惑を招いたこと自体が公人としてあるまじきことであるのだから、真摯な態度で臨まねばならない」と説いたと言う。「急きょ午前中議員運営委員会が開かれ、午後は所属の産業建設委員会が開かれた。その過程で副市長をトップとする調査委員会が設けられた」と言う。
次に議員運営委員長からの報告。
出席した当事者の弁は「やましいところはない。それが証拠に会計監査委員三人の印鑑も押してある」だったという。
次に産業建設委員会副委員長からの報告。
「当時者は欠席した。経過を事務局から聞いた上で新委員長を互選した」という。
三人の報告のあとは質疑。
ぼくは議運委員長に「やましいところが無いのならば新聞社を名誉毀損で告訴するのが当然ではないか」と聞いたが「告訴はしないけれども、ひとつひとつ問題を解決していくが当事者の弁だった」と委員長がいう。
産建委員から「当時者は議運に出席して、産建委員会には出席しなかった。これは委員会軽視の態度である」との声があがった。
他の委員から「委員長のみならず議員自体を辞職する考えはなかったのか」という質問がでた。

公金着服疑惑のなかの殆どは区費がらみのものだが、中にゴミステーション及び区民館改修補助金に関わるもの数十万円があるので行政による調査委員会が設けられた。
議会には調査権がないのだから、我々は単に経過報告を聴くことしか出来ない。現在の段階では敢えていえば噂に過ぎないのである。噂を既定事実としてしまうならば人権蹂躙につながる。
仮に告訴あるいはそれを受けて司直の手での処分が決定するならば、議会としての動きもあるだろうが勧告はできても罷免権はない。議員は投票権を持った支持者によって議員となったのだから、当事者のけじめは支持者あるいは支持者代表との協議によることになる。

04/07/07 (水) 不謹慎な話
数日前、P・鯉墨氏が事務所にふらっと来訪。
「牧田はん、通夜席での女性の喪服姿には色気があるざ。昔夕陽恋を書いたんやさけ今度は喪服恋を書いたらどうやの。」と言う。
不謹慎な話だが、通夜席で前に座る喪服女性の襟足にぞくっとする気分を感じた男たちは多いと思う。喪服の黒が襟足の肌をより白くみせるからだろう。
若い時に福井市内の映画館で観た日活ロマンポルノのワンシーンを思い出してしまった。

親類縁者集う通夜の夜も更けた。回顧話の付き合いに疲れ四畳半控えの間にひとり戻り、亡夫の遺影眺めつつ偲び泣く美貌の妻。その時襖がすーっと開き、これも喪服姿の亡夫の弟が入ってくる(チョビ髭で名前は確か俊二だった)。
「義姉さん、俺も悲しいよ。でもなあ。兄貴はもう戻ってこねえぜ。今からはなあ。俺を頼ってくれよ。俺、義姉さんのためならなんでもする。義姉さん、実は俺は義姉さんのことを前から・・・」とかなんとか言いながら映像が動く。
うーん、これを文字化するとどうなるかと一瞬思ったがやめた。
ただでさえ少ない票がもっと減るだろう。

注 夕陽恋

04/07/06 (火)  レイコーを飲みながら
朝のラジオでどこかのお医者さんが「インフォームド・コンセプトが進んで、患者と医者の知識量の差が少なくなっている。情報を共有しての話し合いはとても良いことだ。けれどもアタマで知ることと、経験知には彼岸があるのであって、やっぱり相互信頼が必要です」と言っていた。
建築設計をしている立場のぼくとしては共感するなあ。
米野菜生育カレンダーをいくらアタマにたたきこんでも、大地密着汗流的試行錯誤なくして立派な百姓にはなれない。
商人の店先での笑顔饒舌に少しはおべんちゃらもあるかもしれないが、やっぱり永年の経験による客巻込的話術習得がものをいっている。
教育は観念的教育論で支えられているのではなくて、子供引込的人格蓄積が教師のなかでできていることにある。
餅は餅屋で、そうなると年寄の経験知はすごいはずだ。
少子高齢化社会成功の可能性のひとつは、人生先達的年寄のオーラ発揮がある。最近年寄と話すことの多いぼくはそう思う。江戸期の徳川幕府は政治体制に「若年寄」「老中」「大老」といった名称を冠していたが、これは年寄の人生経験の重要性を説く時代精神のあらわれだったのではないだろうか

04/07/05 (月) きょうも暑くなりそうだ
午前5時半の空は夏空だ。
昨夕、散歩先で高校の先生と世間話をしていた時、今こどもたちが期末試験の最中であることを知った。夏休みが近づいているのである。
一昨年の夏、事務所に来訪した養護学校の先生から「夏休みにはこどもたちを地域へ、ということを私たちは目指しているのよ。金津町は例えば学童保育事業などで障害児の受け入れをしているの?」と言われ、一緒に役場に出向いて説明を受けたことがある。
町長や教育長の説明では「今はそういう要請が無いけれども、あれば善処したい」ということだった。
健常児にとっての夏休みは野外遊び満喫月間だろうが、障害児にとっては家族あるいは地域のサポートがどうしても必要になる期間だと思う。

04/04/06 (火) きょうは幼小中入学式
今朝、入学式の風景を見ながらぼくは給食のことを考えていた。
記憶で言うのだが、ぼくたちの学年が中学に入った年に、給食が始まった。
給食時、担任のセンセが「みなさーん、好き嫌いしてはいけませんよー。残さずたべましょーねー」と大声で言うのが大嫌いだった。「ひとはそれぞれ好き嫌いがある。それでいいじゃないか。嫌いなものを残すのは構わないじゃないか」とぼくはいつもココロで反抗していた。
今と違って大食いだったぼくは自分へのアテぶちだけではとても満腹になれず、左机・右机・前机・後机の隣人たちに「おい、嫌いなもんなんでも食べてやるぞ」と囁きつつ頂いていたのだが、これはこんにち風に言えば、僧侶の乞食道といったところだろうか。



白熱灯が好きである。
コンピューター机の上から、布製コード・黒ソケットで裸電球をぶらさげた。今度、今立町に行って和紙フードを買ってこようと思うのだが、とりあえず今は裸電球のままである。
クリア球なのでフィラメントが見える。友人の電気屋Qくんによると、白熱灯は落ち着きを与える色ではあるけれども、落ち込んだ時には、より落ち込ませる効用があるそうだ。
だからなのか、机の前に座っていると、妙に反省的な気分になる。

閑話休題
遠藤周作の小説「沈黙」の構想日誌が発見されたとラジオニュースが流している。
この本は10代の終わり頃ぼくが読んだ初めての懊悩小説だった。
その頃まで好きだった本といったら、コナンドイル・松本清張・江戸川乱歩・高木某らの推理もんで、いわば180度の転換本だった。
江戸期、弾圧下で捕まったキリシタン教徒が転向を拒否し玄界灘の海岸で逆さに吊るされる。
満ち潮が徐々に呼吸を困難にしていくなかで、「神はいるのか」と問い、問うた自分自身を又責めるというラストシーンが強く心に残っている。

閑話休題
昨日のHPを読んだ人と街中でばったり出会っての立ち話。
「議員が受講する事業に関して、もっと現場の声を聴かなければならないのではないですか。例えば幼保一元化のことでも、現場の先生や保護者の生の思いを、行政にぶつける場がなくては、全てが上意下達になってしまうし、それでは町の活性化に繋がらない。ここはひとつ牧田さんがその仕掛けをするべきです」と言われた。
ちょうど、某保育園にて園長から保育の現状を聴いての帰り道だったので、ナルホドと思った。
町のいろんな施策に対してそういう場が必要だとは、以前から思っていた。しかしセッテイングの方法がよくわからない、逡巡する。
しかし、考えるより行動せよである。きょうはそれを肝に銘じた。

04/07/04 (日) 本日の行事
・午前6時から、竹田川河川敷の一斉清掃。
清掃終了後愛用チャリンコ「ナショナル・バナナ号」で金津中学校に向かった。

・午前8時半、トリムマラソンの開会式だ。
シドニー五輪7位の天満屋・山口衛里さんが特別ゲストとして挨拶した。以前のゲスト・谷川真理さんが淑女の雰囲気を持っていたのに対して、山口さんはどこにでもいる普通の女の子といった感じだった。でもさすがに贅肉は全然ないわなあ。走っている時の横顔はきりりとしまっていて素敵だった。
十数年前、ぼくは京都の市民ランナー(ろう者)越前海岸道路ひとり走りを車で伴走したことがある。彼はフルマラソンの自己記録が2時間47分だと言っていた。ハンドル握りつつ無駄のないフォームに見とれていたら峠付近で突然立ち止まった。「町へ降りて股擦れ防止のクリームを買ってきてほしい」という。
最速の走りを維持する為には、左右の股に空隙を設けてはならないということだろう。シビアだと思ったよ。

・「本日は福井県嶺北地方に降雨。雨足激しく、福井地方気象台は12時00分に大雨注意報を洪水警報に切り替えた。管内竹田川は前日からの増水で13時00分には警戒水位を越え、更に水位は上昇し越水の恐れが生じたため、直ちに消防団及び消防署は第2、第3警戒体制に入った」
以上の想定で、13時30分、平成16年あわら市水防訓練が市姫一丁目地係・河川公園で開かれた。
土のう作製訓練工法として
(1)釜段工(土のう300袋)
(2)釜段工(土のう300袋)
(3)月の輪工(土のう150袋)
(4)月の輪工(土のう100袋)
(5)積土のう(土のう100袋)
(6)積土のう(土のう100袋)
(7)シート張り工(土のう8袋)
以上の工法を見せて頂いた。
参加された嶺北消防組合あわら消防団・嶺北金津消防署・嶺北芦原消防署・あわら市役所(土木部建設課)の皆さん、ご苦労様でした。

04/07/03 (土) みだしなみ
昨日の昼。
大溝地区の解体予定建物のなかにある荷物をせっせと運び出していた時に、ズボンの太股部分が裂けてしまった。事務所に戻り、履き替えたズボンで金津中学校へ。
話しを終えて事務所に戻った夕刻、坂ノ下区長が来訪。役場のひとが来ているので近くの側溝を一緒にみてほしいとい言われて行った。
坂ノ下区長及び下八日区長とで現況側溝の不備を行政職員に訴えていた。坂ノ下は字のとおり坂の下にある。断じて花乃杜ではない。もともと坂の上は畑地だった。大雨が降っても畑地が水を吸い取っていた。後年そこに団地ができた。坂の上はアスファルトとコンクリートで覆われ、新設側溝が坂ノ下区内既存側溝に繋がれた。大雨時、これらの側溝から水が噴き出し近隣住民が迷惑を蒙るのも当然の話しなのだ。
行政職員に「坂の上が団地になったのは、悪いことではない。だけれどもその時に調整池をつくらなかったのは悪いことだ。都市計画がなってない。これは町の失政以外のなにものでもないぞ」とかなんとかどしどししゃべっているうちに近隣の明善寺住職夫婦がでてきて、伊藤さんの奥さんがでてきて、桑原兄弟さんがでてきて、ウーン多人数井戸端会議になってしまった。
その時、「牧田はん、そのズボンなんやの。尻が破けてるざ。パンツまるみえやざ」と下八日区長が言う。何着かのズボンを持っているぼくだけれど、たまたま捨てようと思っていた破れズボンを履いてきてしまったのだ。
伊藤さんの奥さんは顔をあからめ下を向いてくすくす笑っている。恥ずかしかったなあ。

04/07/02 (金) 恐怖
昨日の午前10時29分、その事件は起きた。
ぼくは庁舎にむかって金津高校前大通りを愛車で走っていた。時速は49km/hだった。
左手横道でぼくの車が通過するのを待っていた(はずの)大きなジープが右折すべく突然飛び出してきたのである。結果として正面衝突のようなカタチになった。恐怖が全身を走り、55年の人生が走馬灯のように蘇った。寸前、急ハンドルで衝突を避けたぼくの車はセンターラインをとびこしてとまった。対向車線が偶々空いていたのでぼくは死なずにすんだ。

バックミラーに映る相手の車は、信じられないことに、逃げていくではないか。
路上に下りたぼくは(恥ずかしかったのだけれども)、「まてえー!まてえー!まてえー!まてえー!」と大声で四回叫んだ。しかし行ってしまった。一部始終を目撃していたひとのひとりから「ひでえのう。逃げてってしもたのう」と言われた。ぼくは怒るよりも悲しかった。

相手は多分ぼおっとしていたのだろう。それは仕方ない。ミスは往々にしてある。
しかしぼくに極度の恐怖を与えたことの代償は、停車し下りて「すみませんでした」と一言謝ることにあったはずだ。
恐怖で運転者を識別することはできなかった。老若男女いずれかもわからぬ。
しかし・・・・。不思議といえば大変不思議なのだが、クルマのナンバーだけははっきりと覚えている。

04/07/01 (木) 本日の福井新聞
朝5時半からのポステイング散歩を終えて帰宅。久し振りに新聞を開いた。びっくりした。
「あわら市議240万着服か」の大見出しが福井新聞に載っている。(あわら市議全体で)と読みとるひとが居るかもしれぬ。やっぱり「某あわら市議240万着服か」が妥当だろう。
名前のでた当事者は旧芦原町在住の市議であるし、合併後間もなしということで当事者の考え方もひととなりもよく知らない。思うのは区長議員兼任だったことだ。

ぼくが町議に初当選した時「牧田はん、区長は十手持ちやけど議員は博打うちや。行って帰る程ちがうんやぞ」とよく言われたもんだ。
区長あるいは〇〇協会長などが行政長からの委嘱状をもらうのに対して、我々議員は住民から票を頂く。一票一票には「行政をちゃんと監視してくれよ。言うべきことはちゃんと言ってくれよ。」の思いがこめられているはずなのである。
そりゃあ当事者の潔癖性が云々されもするだろうが、「公金横領か」の疑惑を招いた背景の本質は区長議員兼任の実態にあったとぼくは思う。