2004年08

04/08/31 (火) 8月最終日
昨晩、6時過ぎから風が強くなる。こういう時、自宅よりも設計した家や設計監理中の家のほうが気になる。仕事をしている者として当然だ。
雨の伴わない強風だと、火事の心配が出てくる。
夜半から雨も降り始めた。腹の底に響いてくる風の音を聴きながら就寝。今朝は5時に目が覚めた。


きょうは全協(全員協議会)が開かれる。

04/08/30 (月) 男子マラソン
昨晩、眠さをこらえながら観ていた男子マラソン。35km付近で信じられない光景が
TV画面に映った。ダントツ首位のブラジル・デリマの走りがコースに闖入した男によって妨害されたのだ。
再び走り出した彼はペースを乱し、みるみるうちに抜かれてしまった。
「悔しかったろう。悲しかったろう。頭にきただろう。・・・わしゃなんのために苦しい練習をしてきたんや。みんな無駄になってしもたやないか。ギリシャがアテネがなんぼのもんや。あんたらヨーロッパ白人が南米大陸を発見したってどういうことや。勝手に来ただけやねえか。わしらの御先祖様は侵略者コロンブスがくるずっと前から大陸で平和な生活してたんやぞ・・・そういう思いのなかで今に警備のバカヤロー、五輪ふんさーいと叫びながら棄権するだろう。」とその心中を探っていたぼくは、しかし競技場に入ってきた彼の両手水平満足表現的投接吻的笑顔蛇行走行にすごくココロが和らいだなあ。あなたは間違いなくアテネ五輪最大の主役となった。


今回のアテネ五輪。TV画面を実況で観たのは男女マラソンだけだったが、両方ともよかった。これで喧騒の夏が終わった、静謐の日々が始まった。

〇夕刻、松岡町の工事現場からの帰りの農道。一面たわわに実った稲穂が揺れている。
台風接近による影響なのだろう。
子供の頃、台風一過の翌日の稲刈りを手伝った時は大変だった。水浸しの田圃に腹ばいになり、寝た稲穂を起こしながら刈っていくのだが、子供であることを差し引いても重労働だったと思う。
日本は豊原葦津水穂の国だ。養老猛司が随筆で再三語っているように、ひとは農村と都市を行き来したらいい。物見遊山ではなくて生活者として行き来したらいい。そうすれば、厳しい自然と向かい合いつつ黙々とカラダを動かすことによってご飯が食卓に出ることの全体がわかる。わかることは共感を感じることである

04/08/29 (日) 温泉
昨晩の北潟湖畔祭り。ぼくは、例の芦原温泉・温泉成分不当表示問題について市の幹部の人からいろいろ聞いていた。


・新聞に載った県の調査結果によると問題にからむ旅館は2件+4件。当然旅館名が公表されると思っていたのだがされていない。
・温泉の定義は、温度が25度以上であるかもしくは冷泉でもしかるべき成分を持っているかのどちらかであるとのこと。
・旅館によっては、成分はちゃんとあるのだが手続きをしていなかった。そういう旅館がパッシングにあうのを避けたのかもしれない。
・確かに不当表示は命に関わることではないが、例えば規模は違うがぼくが建築士の資格を県に登録せずに設計の仕事をしているようなもので、不法である。
・多分内部告発からこの問題が明るみにでたのだろうが、不法がわかった場合の処方箋は検査結果を全てさらけだすことだ。全ての情報公開が信頼回復への第一歩である。
・市の幹部は「調査主体である県が公表せんものを、市が公表するわけにはいきませんわ」と言っていたが、確かにそうかもしれない。
・でも、ほんとどこの旅館なんだろう・・・とぼくも思うし、そういう疑心暗鬼の拡がりが信頼回復をより困難にさせていくと思うのである。

04/08/28 (土) 今朝のこと
夜中の二時に目が覚めた。寝付かれない。インスタントポタージュスープを買うために近くのコンビニへ出かけた。
裏手駐車場にでっかいバイクが並んでいる。十代と思われる少年少女数人がアスファルト路面に座り込み菓子類を食べながら話し込んでいる。ちょっと異様な光景だ。
事務所に戻ったらラジオが五輪陸上女子10,000mを実況中継していた。中四日で出場したラドクリフは何周目かでリタイアしてしまった。10,000m出場が自分の自由な決断ならそりゃ構わないが、マラソンリタイアを観た英国国民の強いパッシングによるものだとしたらおかしい。彼女がかわいそうだ。


だいたいやね。
五輪出場の派遣費は協会が負担するのであって税金ではない。協会が彼女にいろいろ指図するのは自由だが、我々TVウオッチャー(ぼくはラジオだけど)はただみをしているのだから「ほうかほうか」と思いながら観ていればいいだけの話しだと思う。


午前5時、伊井方面をドライブ。農道から見える稲はたわわに実り始めている。道端でランニング・ステテコ姿の知り合いに会った。世間話をして帰宅。
〇本日は観月の夕べです。あかりばやしすえつけボランテイアの手伝いを頼まれたのではやめに行こうと思っています。

04/08/27 (金)  いい夜明けだ 山麓の朝陽が輝いている
モノが豊かになり物理的にも精神的にも飢餓感が薄れ情報が複雑になり価値感が多様化した現在の日本で一直線の人生を歩むことのできる若者というのはとても幸せなんだろう。
しかしそれは特殊例だ。
右往左往試行錯誤的日々が続いたところでそれがおかしいとは全然思わないし、その経験が実は長い人生のなかで必ず生きてくる。あせらずロングスパンで人生への取り組みを考える。それが長寿社会における若者の生き方ではないかとぼくは思うのである。


閑話休題・反省
きょうひとから言われたのだが、ぼくはしゃべり続けていると早口になるそうだ。
自分で自分のしゃべりというのはよくわからない。が、大いに反省すべきだと思った。

〇細呂木地区のAさん、通信へのご批評電話ありがとうございました。
〇金津地区のBさん、議員日記中高一貫への感想メールありがとうございました。
〇福井市のCさん、実家通信配布に対するお電話ありがとうございました。

04/08/26 (木)  段々日が暮れていく
昨日午後5時半のあわら市金津庁舎某会議室。20人弱の小さな講習会が開かれて、1時間半程しゃべった。相手は殆ど女性である。
ぼくは元々建築設計畑を歩いてきた人間で、そこは全くの男性社会だった。とてもおかしいと思うのだが、のちに入ったあわら市議会も又殆ど男性で占められている。
つまり男性社会に居るぼくは、女性の集まりに対してはどうしても気恥ずかしさを感じてしまう。男女の数は半々なのだから、そういう感情を持ってしまうぼくは不幸だ。
男性社会特有の言い回しをして、女性に不愉快な感情を抱かせてしまうのではないかという生来的にぼくが持っている謙虚な態度が、気持ちをかたくさせてしまうのかもしれない。


昭和24年1月生まれのぼくは、「男女7歳にして席を同じうせず」という戦前の教育理念から解き放たれたいわゆる戦後民主主義の申し子世代として育ってきた。しかし女性たちに対してある種のぎこちなさを感じてしまうという現実を考えると、制度の改革イコール即社会意識の改革ではなく、意識は制度のあとからついてくるという証しがそこにあるのかもしれないなあ。


閑話休題
工事現場の測量を終えて事務所に戻ったら、もう午後5時を過ぎている。えーい、きょうの昼の仕事はもう終わりじゃということで、バーボンウイスキー「アーリータイムズ」をロックで飲みながらキーボードを叩いている。
「本日、自動車の燃費の良さを競う全国高校生エコカー大会が開かれます。エコカーはスタートが大切です」と今朝のラジオニュースが報じていた。
スタートが大切なのならば・・・、とぼくは考えた。
審判競技員は競技開始のピストルを「よーい、すたーと!」と言ってうつのではなくって
「さあ、えこかー!」と言ってうつべきなのではないか、それが競技の趣旨に基づいた合図なのではないかとぼくは思うのである。

〇先日、花乃杜の某所で一年ぶりにカラオケを楽しんだわたし

04/09/25 (土) 北部丘陵

早朝、北潟湖方面をドライブした。朝陽が湖面にきらめいている。雨降りの昨日とはうって変わっての快晴の日となりそうだ。
帰路、眼下に街をみながら北部丘陵地を走る。丘陵地には遮るものがないのだ。
しかし
先日の定例議会一般質問のテーマのひとつでもあったのが、この丘陵地だ。
360億エンもの巨費を投じて開発されたこの地・延1000haのうち実に300haが遊休地となっているのである。
農業をやっているどのひとと話しても「あわん」の答えが返ってくる。支配者がおてんとさまだけの農業は国の根幹であるはずなのに、自由化による廉価作物の闖入で疲弊した日本農業の打開策はあるのか。
ぼくは今後、二極化していくのではないかと思うんだ。
①例えばかってのソ連のソルホーズ・コホーズみたいに集落ごとに田畑を共有し大型機械導入で輸入作物の値段とはりあえるようにする。(同僚議員がよく言う)
②大規模農業ではなくても、作物購入者と提携しつつ有機農業の姿勢を徹底し、値段が高くてもその理由を納得してもらえるようにする。(知り合いの何人かがやっている)

一般質問者に対する行政側の答えは「牛山地区の選果場横にファーマーズ・マーケットを計画している、地域農業水田事業ビジョンを作製する、新規就農者は7名いる」エトセトラだったが、とにかく農業が活性化することが全ての基本だとぼくは思う。

04/08/24 (火) わからないなあ 
昨日は教育厚生常任委員会が開かれた。メインテーマは中高一貫教育の是非だった。
行政側の経過報告を聴きながら同僚議員の意見を聴きながらあるいは自分でしゃべりながら教育ってなんだろうと考えていた。
優秀な生徒をつくるというのは、優秀な社会人予備軍をつくることに他ならないのだが、優秀ってなんだろう。優者概念の対極にあるのは愚者だろう。あるひとに対する優者という意識はどこかで愚者を措定してのみ成り立つ。生憎とぼくは愚者をみたこともないし会ったこともない。ということは優者をみたこともないし会ったこともないということになる。人間はみなぼちぼちでしかないのだ。自らを愚禿と称した親鸞聖人・歎異抄の「善人なをもて往生を遂ぐ いわんや悪人をや」は近代文明によって汚染された現代を見事に予言していたという他ないのではないか。
中高一貫教育は「骨太のエリート」育成を目指しているというが、純粋培養のようなカタチで育つのは「骨太」ではなくて「骨細のエリート」じゃないのか。
ぼくは、めざさなければならないのは教育じゃなくて共育だと思うんだ。健常者障害者利口者馬鹿者ないまぜているいわば社会の縮図に生徒の身を置かせることが共育に繋がる。だけど現在の教育社会は閉鎖的だ。
ぼくの友人ケンくんは県教委にエヘラエヘラする学校トップやそれに追随する同僚教師たちに愛想をつかし、50歳を目の前にして教師の座を去りぼくと変わらない貧乏暮らしを余儀なくされているが、そういう奴にこそ「骨太」を冠していいと思う。

04/08/23 (月) 本日は教育厚生常任委員会
女子マラソンで野口みずきが優勝した。
金メダリストは、何かしら心に残るコメントをするものだが、記者から「今の気持ちはどうですか?」と聞かれた野口の「幸せです」と答えた涙声はとてもよかった。


閑話休題
きのうの夕方思ったことだけど、議員というのはいろんなひとからいろんなことを言われる存在で、いわば「言葉のサンドバッグ」なんだなあ、ふうう。

04/08/22 (日) 本日は区の納涼祭
騒がしいところが嫌いなぼくだが、それでも年に数回くらいはカラオケのマイクを握る。
昨晩は、男性数人でマイクを握っていた。
ぼくは、布施明の「そっとお休み」を唄った。
思い出の歌だ。
新潟のスキー場に長期滞在したのはもう随分昔のことである。昼間のスキーに疲れたぼくたちは、夜毎コタツを囲んで野沢菜をツマミに熱燗を呑みながら人生を語り合った。頬がほんのりとあかくなると、ぼくはギターをつまびきながらこの唄をよく唄ったものだ。
しんしんと降り続く窓外の雪とぼくの静かで甘い歌声は程よく調和し、聴いている女の子たちの表情はうっとりとしていた(と思う)。Y子、君は今どこで何をしてるんだろう。


うーん、夏真っ盛りなのに、冬のことを思い出してしまった

04/08/21 (土) もう土曜日か
昨日の午後4時、金津神社で金津地区の戦没者慰霊祭が行なわれた。
奉賛会会長が最後の挨拶で、「やっぱり慰霊祭は忠霊塔の前で挙行してこそ慰霊の実感がある」と語っていた。先だって、旧芦原町の観光会館で合併あわら市としての合同慰霊祭が行なわれたが、各地区の慰霊祭はそういう意味で続けられる。


これは慰霊祭に限ったことではないだろう。
今後自治体行政の広域化が進んだとしてもあるいは進むだろうけれどもそれは制度上の合理化であって、字(あざ)名に代表されるお互い顔のみえる地域の風土性が解消されることは先ずない。現に、かなり前に旧金津町が施行した新住居表示が、住民の間に定着したとは思えない。地名には精霊が宿っているのである。


閑話休題
昨日、「10万カウント目のかた、メールください」とこの欄に書いたところ
花乃杜在住男性からの「99999番目は私でした」と春宮在住女性からの「残念ながら100001番でした。100000人目の人は何か特別なことがあったのですか?」のメールを頂いた。100000目の人からのメールはない。
そこで、前後賞としておふたりを越前おろし蕎麦屋に招待するつもりであります

04/08/20 (金) 昨日思ったこと
夕方、妹から「どう思う?」という電話があった。
東京都心部に住む彼女の宿舎近くの公園のベンチの中央に手摺が設けられた。そうなるとベンチでは座ることしかできない。ホームレスのひとが幹線道路中央の分離帯で寝ているのを偶々見たことがあるが、それはベンチで寝ることができなくなったからではないか。それは危ない。都はホームレスのひとたちに社会復帰の為の住居入居を勧めているが、そもそも彼らはこの社会に嫌気がさしてホームレスになったのだから、入居を拒否するひとが多い。
ざっとそういうことを聞かされた。


ベンチは公共のものだから誰が座ってもいいし、他にひとがいなければ横になって青空を眺めていても、眠っていてもそれで他人に迷惑をかけるということにはならないだろう。
例えばぼくがあわら市・河川敷公園のベンチで夜な夜な寝ていたとしたら「あの変なおんちゃんどこの誰やろか」という詮索が始まるだろうが、都会はお互いに知らないひとどおしの集まりだからそういう詮索もなく、つまりそういう意味での様々な暮らし方を許容する場所だと思うのだが。
〇昨晩は有志議員が某所に集まっての意見交換。
中高一貫教育のこと、芦原中学校改修のこと、芦原温泉2旅館の温泉不当表示、某議員の区費問題、倫理条例制定のことなどがメインテーマだった。
次回9月定例議会が近づいてきて、委員会や全協などがスケヂュールに上がってきている。

04/08/19 (木) 蜂について
きのうは、殺生が嫌だと思っていたが、近所迷惑になったらなおのこと嫌だ。
仕方なく、早朝、殺虫剤を使って蜂を退治した。お盆が過ぎたばかりなので後味が悪い。

今その蜂の巣をじっくりみているのだが、巣穴のひとつひとつが六角形だか八角形だかの幾何学模様で形成されている。(蜂だから八角形だと思う)。まことに美しい。しかしやね、あいつらはデザインしてつくっているのではないのだ。


19世紀の有名な哲学者に次のような言葉がある。
「蜂は人間の手では及ばないみごとな巣をつくりあげる。しかし彼らはDNAに従って本能のままにつくっているだけである。ひるがえって人間は、先ず意匠を意識的に考える。意識的であるかどうかが、蜂と人間の違いである」
ということで、私は貧乏建築設計者であってよかったなあと思うのである。

04/08/17 (火) モントリオール以来28年ぶり  
午前5時起床。東の空が白み始めてきた。
夏至の頃と比べて数十分日の出が遅くなってきている。とまれ、山の端から昇る朝陽に向かって礼拝するのはいわゆる一日の幸せというやつで、得をした気分になる。

お盆が終わった。
こどもたちが小さい頃は、ワンボックスカーで名古屋東山動物園に行くのが毎年の恒例行事だった。こどもたちはコアラに夢中だったが、ぼくは駱駝に夢中だった。背の高い駱駝はいつも静止して遠い一点を見詰めていた。高村光太郎の詩「駱駝」によれば彼らは遠い祖国・アフリカ大陸を見詰めているのだそうだ。
いつも熱田区の木造素泊まり旅館に荷物を置き、ファミレスに出かけた。キシメンつまみつつのビールは美味かった。歯に自信を持っていた私は苦もなく大量の肉を食べていた。家族はココロを安定させる静謐の場であった(今はひとりひとり離れそれぞれに個性的になりつつある)。こどもたちの私への呼び名が「とうちゃん」から「お父さん」に変わったのもあの頃だったと思う。
その名古屋行きの時に持って行った本のうちの一冊が、二ヶ月程前に亡くなった中野孝次著「清貧の思想」だった。良寛・宮沢賢治・橘曙などの清貧ぶりを紹介していたが、確かに清貧を徹底させるとひとつの思想になる。というわけで、お盆ちゅう焼酎を飲むときの私のつまみは岩塩だけだった。これがなかなかにうまい。そしてタマシイが浄化されたような気分になるのである。

しかし今はそういう恒例行事もなく、墓参りをしたこと以外は普通の生活でお盆を終えた。
猛暑がすんで、体力は回復してきている。私の一番好きな季節・秋が近づいている。
頼まれごとがいろいろ重なっていて、せわしない日々がこれからも続くのだろうが、頑張るのみである。


閑話休題
ラジオ中継を聞きながらこれを書いている最中に体操団体日本チームの優勝が決まった。
おめでとう、体操ニッポン。
〇先日の環境対策特別委員会管内視察場所です

04/08/16 (月) 無題  
100m平泳ぎ決勝で北島康介選手が優勝した瞬間、ぼくは嶺北縦貫道路を車で走っていた。
あれだけのプレッシャーのなか、たいしたもんです。

04/08/15 (日)  涼しい日曜日の朝
朝起きたら、五輪女子柔道で谷選手が優勝していた。これで「田村で金、谷でも金」がかなった。決して美形とは思えないが、あの笑顔はいいねえ。


「五輪で優勝する為に強靭な体力は勿論必要だが、より必要なのは素直さ・従順さや」と誰かが言っていたが、五輪出発直前父親から叱咤激励をうける女子レスリング浜口選手の顔に私はそれを感じた。
私の3人のこどもたちもちょっとくらいあああってほしいと思う。

04/08/14 (土) 携帯メール 
三日前のあわら東京間普通電車乗継旅行で感じたことは幾つかある。
そのひとつが若者携帯文字読込的風景で、これには驚いた。満員電車のなかで相当数の若者達が真剣なまなざしでメールチェックをしているのである。
福井市片町あたりに飲みに出る時以外殆ど電車に乗らないぼくの目には異様に映った。

翻ってぼくの携帯に入ってきたメールは、ここ二年間で8件しかない。
でもまあ、会議やらなんやらで携帯電話に出られない場合が多いことを考えると、もっとメールを活用したほうがいいかと思い、アドレスを短いものに変更した(してもらった)。
〇本日の甲子園高校野球第三試合・京都外大西vs横浜はいい投手戦だった。
汗流しながら北潟方面を徘徊しつつラジオ中継を聞いていたのだが、ゼロ対ゼロの進行に興奮し、急遽自宅に戻りTV画面を楽しんだ。
京都外大西監督=三原さんは64歳。福井高校監督時代と比べて横顔に年輪がみえてきている。
うん、高校野球はいい。
薬物疑惑で聖火最終ランナーが突然変更となったり、まさか私財で派遣しているわけでもあるまいに「長島ジャパン」とサッカーまがいの名称を冠したりのオリンピックも、契約前の選手に二百マンエンの小遣いを与えたアホな巨人軍も、受け取ったバカな一場某も関係ない戦いの場が甲子園なのだ。

04/08/13 (金) 福井がいつも全国誌に出る 
昨日の新聞に載った木内計測社長の「胸がはりさけるような思い。私たち下請けは一部分を担うだけで全体を掌握できない。でも関電さんには永い間ずっとお世話になってきたし・・・」という、関電に気を使ったコメントに大企業の元請vs下請孫請の体質の構造が表われているし、下請側の悲哀は体験的によくわかる。
点検を続けていた三菱なんとかという会社が申し送りとして異常部分の補修必要を報告したのにも関わらずそれが無視されたという事実には、命と経済性を天秤にかける微妙さが現れている。

巨人軍オーナー渡辺某の「たかが選手」発言のような尊大さが関電中枢にあったのは間違いないしもともと大企業とはそういうもんだろう。いや、経済不況の打撃を受けてリストラを重ねた結果、優秀な熟年技術者が現場を去り、テクノロジー大国日本に陰りがでているのは各業種共通のことなのだから、管理監督者である国のシステムが機能していなかったということだ。
「もう二度とこういう事故は起こさない」という関電側声明にもはやなんのリアリテイもなくしらじらしさだけが残る。
西川福井県知事が今後どういう対応をするのか、新聞を毎日読んでいこうと思う。

04/08/11 (水) 涼しい夜  
一昨日、タウン情報誌のひとが来て、話題が坂井郡内隠れた名所旧跡に移った。
「金津は旧跡の沢山あるところやけど、例えば春江町などは福井市に隣接した平地やから旧跡は段々少なくなっていくでしょうね」と相手は言う。
地名「金津」がたたら鉄と河戸に由来し山と川が関係しているのに対して、「春江」は確か「春近の庄」と「江留の庄」がくっついてできた地名のはずだ。もともと庄園だから当然のぺっとした平地である。

何年か前には、有志数人で神社仏閣地蔵石仏探索的古道ぶらぶら歩きを楽しんだものだ。その時の師匠も今は既に亡くなり、時の移ろいを感じる。


閑話休題 =昨日の東京鈍行旅行の明細
07:26芦原温泉発-09:01敦賀着 乗り換えて09:08敦賀発-10:02米原着(ここでの待機時間7分間に月見うどんを食う) 乗り換えて10:09米原発-10:43大垣着 乗り換えて10:55大垣発-12:46浜松着 乗り換えて12:53浜松発-15:35熱海着 乗り換えて15:40熱海発-17:27東京着(ここでぼくの対面座席に年の頃は25,6かものすげえいろっぽいミヂアムスカートの女性が座った。好みだ。意識しているのだろうわたしの顔を微苦笑でちらちらと見つつしかしそのうちうつらうつらし始めたのでぼくはバッグからデジカメを取り出したのだが写しどころによっては騒ぎになるやも知れぬかりにもわたしは議員だとシャッターおろすことなくデジカメをバッグにしまいこんだ)


息子と約束した待ち合わせ場所・高田馬場駅にははやめに着いた。宵闇雑踏の駅前広場では日本人白人ないまぜ3人=サキソフォーン・ギター・ドラム奏者によるモダンジャズリズムセッションだ。そのまわりをベレー帽ひげ面のちょっとおかしいおっさんが「バカヤロー」と叫びながら歩き回っている。こういう都会的光景をぼくはとても好きだ。


そのうち到着した息子の「お父さん、きょうは何個食べても〇〇円の寿司屋へ行こうと」いう提言を「だめや。大衆焼鳥酒場や」で即座に退け、我々は生ビール飲み鳥皮・ケイを食べながら二時間に渡って人生を語り合った。
「御前のアパート泊めてくれや」と言うと「駄目や。スペースが無い」と息子が答えたので、世田谷の妹のところに行って泊まった。

04/08/10 (火)  お盆間近
午前4時半起床。
昨日来訪した同僚議員山下氏が「うまい!」と感嘆しなさったインスタントアイス珈琲を飲んでから、トレパン白ズックに着替えた。
東山・後山・清滝地区を徘徊した。徘徊と言っても、歳を考慮するとまだ老人性徘徊ではない。敢えて言うならば熟年性早足配達的徘徊だ。
6時に帰宅して裏の山へ行き、先祖の墓所を掃除した。鬱蒼と茂った樹木に囲まれ、蝉の抜けがらや鬼百合や名も無い雑草や銀ヤンマの飛び交いやなんやかんやがいいのである。
母親は、「もすこし開けたところに墓を移したい」と言うが、先祖はこういうところに逼塞するのが自然だ。「俗生は便利と共に、死後は巨木と共に」が定番だろう。


もっとも、私自身は墓に入りたくないなあ。三国海水浴場(今はサンセットビーチと呼ぶらしい)に散骨してほしいのである。
衝撃だ。美浜原電3号機での蒸気漏れ事故で何人もの死者が出た。亡くなった下請け作業員は全て地元の人である。何年か前、高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故の現場に入った時のおぞましさを思い出した。
ぼくの母は敦賀の出で、妹の旦那の実家は美浜町にある。原発タンクに定期的に溶接検査に入っていたぼくの友人は40代の若さで亡くなったが、その原因はいわずもがなだと思っている。当たり前のことだが、ひとごとではない。
ちょっと前、県会自民党は新幹線誘致の処方箋として「原発カード」なる言葉をちらつかせた。何が「原発カード」だ、何が「新幹線」だ。
明日ぼくは上の息子と飲むために東京へ行くのだが、新幹線は止め、鈍行で行くことにした。
妻が時間表を繰ってくれた。そのメモによるとJR芦原温泉駅午前7:26発で、6回乗り換えて午後5時27分に東京駅に着く。
それでいいのだ。
池澤夏樹著「静かな大地」を持っていく。鈍行列車は地元の方言飛び交う図書室なのである。

04/08/09 (月) 無題 
草刈機をとりに畑へ行った。早朝の畑は風が涼しい。
ラークマイルドをすいながら、昨晩の金津夏祭りを思い出していた。
知り合いのひとたちからビールをすすめられ相当飲んだ。このところ禁酒中なのでほろ酔い加減になるのがはやかった。うーん、何かあばさけたことをしゃべっていたような気がするなあ。


ひとはぼくのことをかたいという。根が真面目すぎるのだろう。生きることの矛盾と真摯に取り組んでいる。日常生活は実直だ。愚直といってもいい。
必然の結果として、知らず知らずにストレスがたまる。
ぼくのストレス解消法は加賀の海を見にいくことと、自然の草花を愛でること。そして、グラス片手にみんなとワイワイしゃべることだ。
たまにあばさけてもそれはそれでよし。さあ、今週も頑張ろう。

04/08/08 (日) 昨日の土曜日
昨日は、あわら市戦没者追悼式が開かれた。
追弔法要最後のあいさつで、あわら市遺族連合会会長が「現在、70%が戦争を知らぬ世代として、日本の平和と繁栄を享受している。我々戦争体験者は、戦争の愚を悲惨さを自身の体験を通じて語り部として伝えていかねばならない」と語った。


体験者としての語り部はいつか必ず死んでいく。実体験が無くても継がれていかねばならないのが、語り部だと思う。

04/08/07 (土) 昨日
午後からは、旧芦原町。
砂利採取現場5ケ所、産廃・焼却施設1ヶ所、産廃・中間処理施設1ヶ所を廻った。

昨日の午前・午後で廻ったこういう施設は、それまでの県に対する届出制が、二年前から許認可制に変わり(自治体には許認可の権限はない)、例えば砂利採取(砂利の定義は粒子φ0.074mm以上とのこと)であれば段切、焼却施設であればダイオキシン規制、中間施設であれば保管期間等に対する規制が厳しくなった。
しかし、旧芦原町の砂利採取現場のひとつなどは届出をせずに動いており、県が行政指導の為の調査に入っている。
旧金津町熊坂の産廃施設の場合は、当事者である組合が既に倒産解散しており、堆積物の処理には今後数年を要するとのことである。


夕刻、庁舎に戻ってからの会議ではいろんな意見が出た。
旧芦原町と旧金津町の条例をすり合わせてよりきっちりとした環境条例をつくらなければばらない、担当課は問題となっている現場を密に調査せねばならない、職員議員双方どしどし勉強せねばならない、等等だった。


閑話休題
夜は何故か芦原湯の街。何故か浴衣姿で民謡踊りの行列に加わっていた。「金津音頭」は何回か踊った経験があるが「芦原音頭」は始めての経験なのでとまどった。
しかしともかく、ニッポンの夏の一夜を楽しませていただきました。

04/09/06 (月) 気の滅入ることがあったので表紙を変えてみました
奄美諸島を北上中の大型台風は、わが思い出の地・沖永良部島で瞬間最大風速46.7mを記録したと、深夜ラジオが伝えている。
奄美諸島→九州は台風のルートになっていてそれへの備えは怠りないと思うし、例えば平坦で東西南北、風を遮る山の無い沖永良部島の場合だと、アダン・ガジュマロなどの木々が住宅の敷地を囲んでいた。いわゆる防風林である。
南の島の住宅は、木の建具を大きく開放的にし、風をできるだけとりいれて涼を得る。しかし強風に対しては、防風林がこれを遮るというわけだ。


20年程前だったか、そういう場所へアルミサッシュメーカーが「より強い建具を」を合言葉に進出した。結果として台風による被害が大きくなったという話を聞いたことがある。開口部だらけの柔構造的南方木造住宅の一部分だけを強固にしたことの安心で防風林の手入れを怠ったことが原因だそうな。
なんというか
これはメーカー戦略が悪い。「木を見て森を見ず」というやつだ。先祖が営々として築いてきた住生活に対する知恵をないがしろにしてはならないのである。


04/08/05 (木) 久し振りの雨
朝起きたら、雨が降っている。しとしと雨だ。冷気が部屋に入ってくる。
ということで、アイスではなくホット珈琲を呑みながら、本日の段取りを考えています。


昨日、手話のことで社協から電話があったので、豪雨被災ボランテイア受付のことを聞いたら、5日あるいは6日あたりで、それぞれの地域の受付をひとまず閉じるという。あとは未定ということだが、要するに専門業者が入る段階になってきたということだろう。


閑話休題
きょうは所用で金津庁舎・社協・芦原庁舎といろいろ渡り歩いていた。
同じテーマに複数の課が関係していれば自然そういうことになる。うーん、なんつうか、やっぱり庁舎はひとつのほうが便利だ。
04/08/04 (水) ありとキリギリスじゃなくて ありとバッタ
昨夕、道端に車を停め、新鮮空気を吸うために外へ出た。
見上げると、知り合いの素敵な女性の家の屋根が見える。
「あら?牧田さん、ワタシの家の近くに来てたのね」とうなづく女性読者が沢山居るような気がするので、場所は書かない。


地面を見下ろすと蟻の行列だ。これを見ると必ず思い出すことがある。
昔、小学校の教師がぼくに語ったこと。
「夏休みの宿題としてこどもに書かせた作文にこんなのがあったざ。
・・・わたしの家の横で、ありさんの行列を発見しました。ありさんはとっても働きものです。さむい冬にそなえていっしょうけんめいです。ありさんのお手伝いをしたくなったわたしは、バッタを捕まえてきました。石でつぶして、行列の横にそっとおきました。・・・」


動物愛護協会は怒るだろうが、こどもってこんなもんじゃないかと思う。

04/08/03 (火) 新しい発見
昨日の昼は福井市内にいて敷地を測量していた。
一緒にいたひとから、豪雨被害のことを聞いた。
「江戸期に城下町だった福井市の城を中心とした町並みは足羽川右岸にあった。左岸は荒地かせいぜい畑地でしかなかった。よって右岸は相対的に左岸より強固につくられていた。それが今回の左岸決壊の一因だという噂がある。」
ざっとそういうことを聞いた。もしそれが本当ならば、士農工商の時代が終わって137年経ったのにも関わらず、インフラの平等性が保証されていなかったということになる。


炎天下、「うーん、税金は危機管理に対してこそ平等に使われるべきなのだが」と思いながらの帰路、クーラーの効かない車は暑い。汗がだらだら出る。よって酒屋に寄りそば焼酎を一本買い事務所に戻った。
午後5時、仕事を切り上げ、久し振りにオンザロックで冷焼酎を飲んでいたら、P・K氏来訪。世間話でもりあがったあと帰宅し夕食。そのままほろ酔い気分で寝てしまった。


ところできょうも暑い・熱い・あつい・アチイ
炎天下、窓を閉めネクタイを締めて車を走らせていたが、クーラーの効かない車はまさに動くサウナ風呂である。そこで、「ええい、毒を食らわば皿までよ」と暖房のスイッチを入れたら、驚いたことに涼しい風が出てきたのだ。
考えてみると40度を越える密閉空間に対しては、いかなる暖房機もかなわないのだ。最高温度設定でも、噴出する空気はもはや暖気ではない。冷気でしかないのだ。
暖房機くん、わかったかね。井の中の蛙でいてはいけないよ。
「へええ、まいりました、お代官さま」の反省を込めて、世間の広さを認識すべきなのである。


閑話休題
朱里英子が亡くなってしまったなあ。「北国行きで」の歌唱力はものすごかった。
一部の方に時々披露させて頂いている私の持歌・「港町ブルース」「そっとおやすみ」[「ラノビア」は、森進一でも布施明でもトニーダララでもなく、ジュークボックス(なつかしい言葉だ)から流れてくる朱里さんの唄い方に学んだものだった。
合掌。

04/08/02 (月) 昨日の日曜日
早朝の消防訓練視察が終わり、帰宅してから睡眠。昼はCADと通信誌清書に時間を費やした。


午後4時、芦原開湯120周年祭記念式典ということで会場の有楽荘跡地へ。帰路、有志議員4人で喫茶店に行き、祭りの是非を話し合っていた。(注・今回の夏祭りイベント費用は、市税ではなく国からの交付金だ。合併・飴と鞭政策のうちのいわゆる飴部分やね)


夕刻は六日町の竹くらべ祭り会場へ。ここからは歩いて帰ることが出来るので、ビール飲みあるいは枝豆焼き鳥食べつつのダベリングとなった。老人施設に勤める人から、国の指針の矛盾をいろいろ聞かされていた。官僚のデスクワークだけではなくて現場の生の声が大切というその人の意見はもっともである。


午後7時半、ちょっといい気分で坂ノ下区区民館へ。8月下旬に予定されている納涼祭の打合せだ。10時半に終わった。
うーん、なんとなく祭り祭りの一日だった。

04/08/06 (金) 無題
つけたまま眠り込んでしまったラジオから流れてくる老女のひとり語りで深夜に目がさめた。
広島で被爆した女性が、今日までの辛酸をしかし静かに語っている。
あの一瞬にどれだけの尊い命が奪われたことか。原爆症との戦いそのものがその後の人生であることを宿命づけられたひとのひとり語りは万感の思いをぼくの胸にきざませる。


原爆が、米軍の犯した最もおおきな愚挙のひとつであることは間違いない。


〇本日は、環境対策委員会管内視察。
ということで、午前中は柳原興業㈱→㈱吉勝重建→エフ・ケイ・メタル㈱→坂井森林組合→
土本完爾と旧金津町内の施設を廻り昼前に庁舎に戻った。
昼休みは手持ち無沙汰なので、事務所に一旦戻りこれを書いている。
午後は、旧芦原町の施設を廻る予定です。