2004年10

2004年10月31日(日) 日曜日の朝 
先日、同業者から電話があった。
「普通の木造住宅を免震構造にするという動きがあるらしいですよ」と言う。
ここ数年、木造住宅強化のための筋交配置や補強金物取付規定が細かくなってきている。耐震性能向上の観点からそれはいいことだが、既存住宅をそのように構造改修するのはなかなか厄介だ。ならば基礎下での揺れが建物自身に伝わらない構造つまり免震構造にするほうが現実的なのかもしれない。資料をとりよせてじっくり勉強しようと思う。

2004年10月30日(土) 介護 
昨日の視察研修先はふたつ。ひとつは、ユニットケア型施設。ひとつはデイケア型施設。
ユニットケア型は、介護要支援から介護度5までのひとたちがないまぜになり、10人程度でコミュニテイタウンを形成していた。
明けて今朝の9時半から第一回のあわら市福祉大会が開かれた。記念講演の講師は木原さんというひと。
木原さんは、介護は双方向的なものであることを力説していた。ぼくは、手話通訳をしながらだけれども、なかなか示唆的だと思ったよ。

介護を制度化したことには功罪がある。制度化で介護のプロが続出した。プロは被介護者というアマに対して、与える立場としてのみふるまう。それは職業倫理からいって当然なのだが、実はそのことが深層心理で被介護者を圧迫する局面があるのだ。ひとは裸になれば老若男女健常者障害者みんなちょぼちょぼだろう。ぼくはいつも思うのだが、「あのひとは偉い」といわれるひとは、その程度に応じてどこかで馬鹿だ。それが人間平等ということだと思う。
換言すれば、ひとは好むと好まざるとに関わらず他者に対しての影響体となる。そして社会生活を営んでいる限り、誰もがこのアプリオリな命題から逃れることはできない。木原さんはこの深層心理をついた話をしていたぞ。
詳述する紙面はないけれども、被介護者が実は介護者になり得るし、そのことで生きるはりが生まれてくということを訴えていたのである。

昨日・今日と、介護に関係することばかりの見聞きだったが、とても収穫があった。

04/10/29 (金) パソコン 

本日は広域保険連合一部事務組合議会の視察研修です。

○例えばこの日記を書く時、ぼくは二台のパソコンをLANでつなぎ連動させている。二台はともに年代もので、しかも一台はもらいものだ。CD保存もMO保存もできない。
寿命が終わりに近づいてきたのか、一台は日本語変換ができず、別の一台は写真がでてこない。
そこでやね。お互いのパソコンの残存能力駆使協調路線でやっとアップロードしている。
当然時間がかかる。
思うに、この二台はいわば老夫婦じゃないだろうか。老いてくればお互い肉体も精神も弱まる。しかし気心知れあった仲なので阿吽の呼吸でささえあえるわけです。
そう言えば、昔のひとは幸せ仕合わせと書いたが、これはつかえあうことが幸せを呼ぶという謂いでしょう。

04/10/28 (木) 無題  
午前5時半、坂井平野から見る朝陽は強烈だ。朝陽で今日一日の生を確かめることがわたしの日課となってしまった。
天変地異や事件やらがこれだけ頻繁に続く御時世だ。人生をロングスパンで考えるのではなくて、とにかく今日一日を悔いなく生きようと、東方に向かって礼拝するのである。

昨日の中越地震で埋もれた母子三人の救出中継をラジオで聞いていた。感動的でもあり悲惨でもある。奇跡的に救出された男の子が看護士に向かって「ママ」と叫んだそうだが、それを聞く父親の心中は察するに余りある。まだ二歳だ。前向きに生きていってほしいと思う。
○イラクで捕まった香田という青年の行動の軽率さには不愉快を感じる。しかしその家族のもとへ夜通し非難叱責の電話がかかってきたのにはあきれる。未成年ならばともかく、れっきとした青年の行動の全責任は青年個人に帰することであって、親は関係ないだろう。


04/10/27 (水) 深夜に反省するわたし  
昨夕かかってきた長電話で自分の卑怯さ加減を思い知らされたよ。歳をとることに功罪があるけれども、アンテナの鈍くなることは罪のひとつだ。
ということで、茨木のり子詩集をひっぱりだした。

 自分の感受性くらい

ぼさぼさに乾いていく心を
ひとのせいには するな
みずから 水やりを怠っておいて

気難かしくなってきたのを
友人のせいに するな
しなやかさを失ったのは どちらなのか

苛立つのを
近親のせいには するな
なにもかも下手だったのは わたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいには するな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいに するな
わずかに光る 尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

       茨木のり子

04/10/26 (火) 肌寒い朝  
「朝日新聞の大研究」というタイトルの文庫本をそれなりにナルホドと思いながら読み終えたあと、福井新聞を開いたら「朝日の男を逮捕」という見出しの記事がある。
福井新聞が朝日新聞に何かの恨みを持っていて「朝日新聞の記者を逮捕」⇒「朝日の男を逮捕」となったのかと思ったのだが、これはつまり朝日町在住の男を逮捕したという記事だった。
新聞を読むひとの姿勢や心的状態はさまざまだ。故に誤解を招く可能性のある見出しであってはならない。
この記事の見出しは「朝日町の男を逮捕」が当然だと思った。

早朝ドライブで北疋田の集落を通った。
村内八幡神社の鳥居一対柱前面には鮮やかな青白ペインテイングが施してある。近づいてみたら鯉の滝登りだった。しばし不思議な気分におちいった。

角川日本地名大辞典にこの村の由来が載っている。
「権世川と竹田川の合流点付近の自然堤防上に位置する。中世に疋田村があり・・・(中略)・・・一方用水は権世川の萩の下堰から揚げた水を主とし、竹田川から揚げた水、瓜生村の余り水も利用した・・(後略)」
つまり疋田は引田であり、引田は田の灌漑のた

04/10/25 (月) 地震 
昨夕偶々会って立ち話をしたひとは、ぼくより数歳若い。「わたしは戦争も地震も知らない世代です」と言っていた。
三千数百人の死者を出した福井大震災は昭和23年6月に発生した。ぼくは昭和24年の
1月、つまりはや生まれなので学年としては23年生まれと同級になり地震っこ世代と呼ばれてきた。母親の腹のなかでではあるけれども、自身体験したことになる。
小学生の頃、朝礼での校長挨拶に「きみたちのお父さんお母さんは戦争と地震というふたつの困難を乗り越え不死鳥のようによみがえったのです」が再三あった。近所や同級生の兄姉で亡くなったひとも沢山いるし、その際の惨状も幾度となく聞かされてきた。
あれから56年が過ぎ、建物の耐震性や山際の法面あるいは道路鉄道などの強化は随分と進んでいるはずだが勿論完璧ではない。今回の中越大地震でも被害状況の調査が進むにつれて、人災的側面と天災的側面が峻別されるだろう。しかし、亡くなったひとは戻らないし体験したひとの恐怖感が取り除かれることもなかなかむつかしいと思う。

江戸初期。柏崎の禅僧・良寛は、地震で被災した友人あての手紙に「災難に会ふ時節には会ふがよろしかろふ」と書いたが、この反語は、現代でいうメンタルカウンセリング的ニュアンスを持っているのではないか。

ともあれ閉じ込められている被災者の救出を急いでほしいし、被災者のひとたちには、これからの困難を乗り越えて頂きたいと思います。

松岡町で六地蔵に出会った。六地蔵は冥界への入り口でその先にはサンマイがあった。
サンマイは梵語で①墓所②一生懸命の意味を持つ。
六地蔵は六つの道を表す。
①人間道②天道③餓鬼道④修羅道・・ええっとあとふたつ何だったっけな。
日に日に忘れがひどくなってきている。



04/10/24 (日) 無題 
今度は地震だ。震度6強が3度も繰り返されたというのは被災者にとって、とてつもない恐怖であったに違いない。暗くなってからの地震発生なので、被害の実態は一夜あけてから明るみに出ると思う。天変地異がこれだけ続いた年は珍しいが、しかし恒常化していくという専門家の意見もある。
とにかく被害が最小限であることを祈るばかりです。

○今朝、田中々近辺の竹田川堤防を歩いた。川幅広く流れもゆったりしている。護岸がないので水際植生が目にここちよい。
一昨日の台風による増水の影響もこの辺りでは少なかったはずだ。

しかし、北潟湖西側湖岸道路では冠水が数カ所あったという。潮の干満ともからむのだから、観音川流域もその影響を受けることになる。政治において治山治水は終わることのないしかしもっとも重要なテーマのひとつだと思う。

04/10/23 (土) もう週末か
巨人のみならず阪神・横浜からもカネをもらっていたことが発覚して、一場という明治大学元野球部ピッチャーは大変に有名になってしまった。
百戦錬磨の老練スカウトが、違法とわかりつつ純朴(かどうかしらんが)な若者をカネで釣ろうとしたわけで、基本的には3球団が悪いし、ある意味で現代の子育てに通じる。
子供に、過度な小遣いを与えて満足させるというその場しのぎの安易な方法と同じである。

とはいうものの、一場というひとは青年だ。子供ではない。
意中の球団だけからカネを受け取っていたのならば、まだわかる。
しかしその場合でも、監督や親に「受け取ったんやけど、かまわないのだろうか」と相談するのが普通だろう(いや、してるのかもしれないが)。
それが3球団ということになると、同情される余地はないだろうなあ。
とまあ、そんなことを書いたあと、読書にいそしんでいた昼休みに「ホントに同情の余地ないですねえ」という知人からの電話が入った。
一場くんに同情はしないが、考えてみるとキミはわたしの息子より若いのだ。再起できる。
世辞追従とカネがらみで、キミのたぐいまれな才能をとりこもうとする大人たちなどけっとばしてしまえ。

極真空手の総帥・故大山培達はこんなことを言ってるぞ。
金を失うことは 小さなことである
信を失うことは 大きなことである
覇気を失うことは 自己を失うことである



宇根市野々の清流

04/10/22 (金) 快晴の朝

「泰然自若として生きる」「何事にも動じない」がわたしにとっての生きる理想であり、そうできる年齢になってきていると、思っていた。
しかしだね。やっぱりちょっとしたことで妙に嬉しくなったり妙に悲しくなったりする。まだまだ若造なのである。昨晩がそうだった。ただし、ちょっとしたことで嬉しくなったのだからよしとする。

今朝は快晴だ。隣家の屋根の上に沢山の鳩がとまっている。不思議な光景だ。
しゃばがこれだけ猛烈なスピードで変わっているのだから、自然界も又しかりなのだろう。

○仕事の合間をみて、隣・コンクリートブロック建物の模様替えを始めた。昔の写真アルバムがどどどっとでてきた。それを開いた息子が、「お父さんの顔は昔も今も変わらんなあ」と、ナカナカいいことを言う。
わたしのアルバムの場合、殆んどの写真の脇に女性が写っている。この世は男と女でできあがっているのだ。女性の友人を持つことは大切なことで、そのことによって顔が若くあり続けるのではないかとわたしは思った。

04/10/21 (木) 昨晩の台風
講習会を終えて午後7時に帰宅。晩飯のあと、自宅裏の竹田川河畔に出た。
増水し濁流となっている。
市域全体の状況がわからないので、市庁舎へ行った。対策本部は金津庁舎2階に設けられていた。黒板にはそれぞれの避難指定施設に集まった人数が掲示されている。
午後8時半過ぎに、上流ダムが放水されたと聞いた。コーナーで善後策を打ち合わせする職員、県本部が発信する詳細情報のコンピューター画面を見つめ続ける職員、電話応対に走り回る職員等々、対策本部というところは臨場感いっぱいだ。
午後11時過ぎが、峠を越した頃ではなかっただろうか。庁舎を出て町を走ったが、雨脚は弱まっていた。
あけて今朝5時半。樹木倒壊、建物破損等の有無を確かめようと又、車を走らせた。
気がつかなかったのだが、ガソリンほぼゼロで走ったのでカス欠でとまってしまった。停車場所が運良く某議員の自宅前だったので、玄関の戸をたたき、ガソリンをわけてもらった。

夕方、庁舎に行った。
○ものしり職員が「牧田はん、昨晩の場合、ダムを放水するから川がよけい増水する。台風来るのはわかってるんや。数日前からこだしに放水してダムをカラにしておけばよかったんじゃないか」と言う。
うーん、これは至言だ。いずれダム管理者に問い合わせてみようと思う。
○細呂木地区で、数件の床下浸水があった。日本海の満潮と観音川増水が重なった為だが、観音川河口の増水は上流からの水量アップによるものというよりも、背面の山からの走り水によるものらしい。となると治山治水だ。ニッポンの山は保水力を失いつつあるのではないか。
○北潟で20件程の家が停電したという。
昨日の昼、ぼくは宇根市野々を抜け山道を奥へ奥へと車を走らせ、宇根観音の説明看板のある場所に車を停めた。風雨が徐々に激しくなるなか、御堂をめざして急峻な階段を登るべきかどうか逡巡したのだが、結局あきらめた。ひとりではないのにも関わらず熊襲撃の可能性に対処できる自信がないのである。
山道を戻る時に、北陸電力の車とすれちがった。彼らも大型台風に備えて東奔西走しているのだと思った。


04/10/20 (水) 図書館
昨夕の5時過ぎ、少し時間に余裕があったので久し振りに旧金津町図書館に行った。行くたびに思うのだが、2階フロアーに図書館があるのはおかしい。どうであれこうであれ図書館というところは市民にとって知の宝庫である。歩行障害、車椅子障害者を含めた全ての住民が行く権利を持っているのが公立図書館の必要条件であるのだから、現状は自治体の恥と言わざるを得ないのではないか。
昔、図書選定委員をやっていた頃あるいは議員になりたての頃、みんなでいろんな図書館を訪ねた。訪ねた図書館は全て1階フロアーにあったぞ。
読書をするひとには癖のあるひとが多いので円満人格形成に役立つとはあんまり思わないけれども、しかし現代はコトバ社会だ。ならば情報提供強力施設のひとつであるということだけはいえる。
ハコモノ行政を望むのではない。合併によって使用頻度の減った建物の平屋部分改修or模様替をも含めた選択肢を考えなければならないと思うのだ

04/10/19 (火) 昨晩
大相撲の本場所をみたことはあるが、プロレスは昨晩が生まれて初めてだった。
リングサイド特別席で観ていた。
ほんの3m先にいるアブドーラ・ザ・ブッチャーが机を放り投げる場面で、20歳にタイムスリップしたぼくは興奮しつつデジカメシャッターを押し続けたよ。ブッチャーの顔面血だらけを接写したのだが、ここは議員日記だし女性読者もいるので載せない。
ブッチャーのおどろおどろしさは相変わらずだが、明らかに最盛期を過ぎている。G馬場などとやりあっていた頃の地獄突きのすごみは、もうパフォーマンスに変わっていた(と思う)。
巨躯をもった男たちに一般社会人として生きるスベはなく、おのれの人生の喜怒哀楽のすべてをリングに刻印して死んでいくんだろうなあ。
そういえば、華やかなバックミュージックを背にうけて登場した勝山の英雄・天竜源一郎の目がすごく寂しそうだった。

ロートルにひきかえ、軽量級若手のセメントバトルでは手に汗を握った。走る飛ぶ蹴る回るの全てのしぐさにスピードがある。議会もそうだけれど、マット界にも世代交代の波が押し寄せているんだろう。

04/10/18 (月) 無題

昨日は市民体育祭。「○○の秋」ということで、秋はいろんな行事が開かれる。人生いろいろあるけれども、とりあえずその間は楽しもうというのが行事を開く意味だろう。

数日前、あることで相談の為に来訪したひとは離婚した女性で、来し方を振り返りつつ話す。
「普通のひとだったらすることのないいろんなことを体験したせいで、ワタシすごおく強くなった気がするわ」と言いながら少し泣いた。
昨日の雲ひとつない秋晴れを眺めながらぼくはその涙を思い出していた。
宗左近の詩に悲しみからだって 涙という宝石が生まれるというのがある。
ひとはみな多かれ少なかれ山あり谷ありの人生を歩んでいく。宗の詩はいわばそういう人生への激励歌だ。

04/10/17 (日)  じっくり寝込んだ日曜日
午前中は、秋晴れのもと、トリムパークでの市民体育祭。
中年晩期のぼくなどは当然競技に縁がなく、テントのなかでのダベリングである。
午後2時に帰宅し布団に入った。目が覚めたら6時だ。寝不足をいっきに解消したいい日曜日だった。

夜は妻とともに晩酌をたしなむ。サカナはNHKTV「新撰組」だ。
松平容保率いる幕府方警備を担う新撰組は勿論、尊王派も公武合体派も、活躍した面面の殆どは30歳前後で死んでいる。
TVを見ながら、司馬遼太郎の、「竜馬が行く」を始めとした幕末小説を思い出していた。あの頃、高齢社会という言葉はなかったんだろうなあ。

04/10/16 (土) もう土曜日か 
匂いが気になる。
たとえば「犯罪の匂い」「時代の匂い」「女の匂い」といった風に、雰囲気をあらわす言葉として匂いという言葉が使われることがママある。しかしこれはどちらかというと文芸的な使いかただ。
僕の気になる匂いはあくまでも鼻にくる匂いだ。例の事業所からでる匂いを何故悪臭と感じるのかを知りたくて、昨日保健所に行った。

悪臭防止法施行令第一条=悪臭防止法の政令で定める物質は、次に掲げる物質とする。
一 アンモニア
二 メチルメルカブタン
三 硫化水素
四 硫化メチル
五 二酸化メチル
六 トリメチルアミン
七 アセトアルデヒド
八 プロピオンアルデヒド
九 ノルマルブチルアルデヒド
十 イソブチルアルデヒド
十一 ノルマルバレルアルデヒド
十二 イソバレルアルデヒド
十三 イソブタノール
十四 酢酸エチル
十五 メチルイソブチルケトン
十六 トルエン
十七 スチレン
十八 キシレン
十九 プロピオン酸
二十 ノルマル酪酸
二十一 ノルマル吉草酸
二十二 イソ吉草酸 
大気中に含まれるこれらの物質のPPM数値(1PPMは100万分の1)が高ければ匂いは強くなるし、あるいは物質が混合すれば相乗作用を伴い、独特の匂いを発生させるとのこと。
臭気判定士という資格プロがいるそうだ。発生源の匂いをポリエチレン袋詰めにして検査場へ持ち帰り、判定士が臭気のレベルを判定する。その基準レベルは住居系地域がその他の地域より厳しいとのこと。
けれども、その判断結果がどうであれ、付近住民が異臭を感じている限りそれでよしといえるはずはない。
当該事業所は改善施策をいろいろと計画中だそうだが、自治体にしろ保健所にしろ、一日もはやい異臭根絶の為の指導を厳しくしなければならないのではないか。
とまあ、以上のようなことをしゃべってから帰宅した。

04/10/15 (金) ファンタジックな情景
早朝ぼくは、何故か東山地区を歩いていた。
5時40分、遠くに見える大堤が白くかすんでいる。いわゆる朝もやだ。
近づき、水際にたたずんだ。
周りには誰もいない。足元のコスモスが朝陽に照らされはじめたぞ。
敷島の 大和心をひと問はば
          朝陽に匂ふ 山桜花

         と本居宣長は歌ったが、山桜花を山のコスモスといい代えれば、眼前の情景そのものである
空気がうまい。タバコを吸ったら、タバコもうまい。

04/10/14 (木) 無題
昨日の決算審査特別委員会。午後からの生活環境課管轄の決算説明(平成15年度・旧金津町)のなかに、雲雀ケ丘寮墓地横道路アスファルト補修に関するものがあった。聞いていて思い出したことがある。

そこに隣接して木の枝などを捨てる町管理の場所があった。
もう7、8年前のことだが金津小PTA主催・夏恒例校舎内外大掃除の際、諸々をそこに捨てる許可をもらおうと町役場に行ったら、担当職員は「現場に同行してほしい」と言う。
現場のアスファルト表面は亀裂だらけだった。
「ここは新富の団地が水害でやられた時の残材を捨てた場所。その上に土盛りし路面舗装整備をした。経年変化で残材がウロになり路面が沈み亀裂がでている」という説明だった。
そこは崖地になっているし、集中豪雨の際、崩れを誘発するのではないかと思ったよ。

そのあたりを質問したら、行政側側説明は「崩れ防止の木柵が老朽化しているので、今秋にそれを鋼製矢板に代える」だった。いずれにしろ、今夏のように豪雨が続くといろんなことが心配になってしまう。

○夜9時半、松岡町での打ち合わせを終えて事務所に戻った。
来訪者あり。すれ違いざまに来訪した知人夫妻が「隣の集落でクマの足跡を見た」と興奮して言う。それを聞いてぼくは一昨日、某同僚議員がぼくに言っていたことを思い出したよ。

そのひとのお兄さんが、ベランダでモーニングコーヒーを飲みながら新聞を読んでいたら、目の前(距離にして6mくらいのところ)に突然子熊が現れ悠然と歩き去っていったそうだ。
おったまげただろうなあ。
冬眠の時期が近づいているから満腹にしなければならぬ。里への出没がそれだけ頻繁になってきているのだ。

04/10/13 (水)  きょうは決算審査特別委員会
昨晩遅くに来訪者があったので、今朝の起床は6時半。世間並みだ。
きょうは決算審査特別委員会が開かれる。そのあとは小さな講習会があってそのあとは打ち合わせ。
うーん、時間との戦いだ。
「本日の一日」を今晩書きます。

・・・と思っていたのだけど、帰宅したらもう午後11時だ。
書くより飲むである。
氷でわったウイスキーを飲み始めた。アタマが混濁するにつれ、気分がケセラセラになって気持ちがいいのだ。
ところで
夕方から始まった一時間強の小さな講習会の間、ぼくはケータイをドライブモードにしていたのだが、終了後に着信記録をみたら、その間に8件も入ってきている。
やっぱりケータイメールを活用したほうがいいんだろうなあ、と思った。

04/10/12 (火) 秋桜
所用で伊井地区の幹線道路を車で走っていた時、コスモス畑に出た。秋桜と書くコスモスはどこへ行っても今が盛りだけれども、この畑の秋桜一面咲き誇りは特別見事である。
中央に舞台がしつらえてある。そこにいた女性に「おばちゃん、誰がつくってるんやの?」と聞いた。
地区のお年寄りたちが種蒔きから始まる一切の世話をしているとのこと。
畑の中を歩いていて思ったのだけれども、死後にぼくが行くところが仮に天国であったとしたら、そこはこのような場所であってほしい。蓮の華咲き乱れよりも、ココロが和む。

だけれども、ぼくの場合、多少は悪いことをしてきたような気がするし、天国へ行けるという保証は勿論ない。とはいっても地獄をイメージするとたまらない気分になる。
エピキュロスだったかが「生きている限り死はこない。死ねば死を意識する自分は既にない。よって、死を恐れる必要はない」と言っていた。
うん、死ねば死にきりなのだろう。

04/10/11 (月) 秋深し 隣は何を する人ぞ 
昨日の朝、ケンくんがぼくのパソコンの調整に来てくれた。
調整終了後は、妻と三人でだべり。子育て・家族・世代・結婚といったところが話題となったがぼくは専ら聞き役で、久しぶりのビールがうまかった。酔いのせいで午後の昼寝が大変に長くなってしまった。
夜になっても眠れない。眠れないままに午前二時を迎えた。
まさに秋の夜長を起きているのだけれど、なんかせつないさびしいわびしい。

○ということで、今朝、久し振りに蕎麦河戸神社を訪ねた。
郷土史家・故山口喜三太先生から生前、「タカオちゃん、この神社には呪いのヤシロという伝承がある。未明に若いオナゴたちがやって来てやね、自分をだました憎いオトコたちの名を唱えながら巨木の腹に五寸釘をうちつけるんや。ほら、これなんかもその傷跡や」との説明を聞いたことがあるので、なるべく避けていたのだが、その清浄さに惹かれて又訪ねた。
うん、ちょっと元気が出た。


04/10/10 (日) イブ・モンタンの「枯葉」を聴きながら 
ライブドア・楽天・新潟市・シダックス各々がプロチームとしての参加意向を表明し、四国と新潟で独立リーグ結成の動きが始まった。プレーオフよりも日本シリーズよりも話題性が大きく面白い。
シダックスにキンデランがいる。ぼくの記憶では、キューバチームの4番打者として活躍したひとだ。シドニー五輪で偶々日本vsキューバをTV観戦した時にも出ていた。
解説者が「キンデランは世界一のスラッガーです。当然米大リーグ球団からの裏工作的誘いがある。けれども本人は、金まみれの米大リーグへはいかないしキューバの為の名誉をとるという姿勢です」と言っていた。
名誉も死語になりつつあるのかもしれないが、しかしやっぱりお金とは奥行が違う。
そういう意味で、石頭・アマチュアの牙城と呼ばれた故ブランデージ五輪会長の姿勢がなつかしい。
我々の生活だってそうだろう。
お金は生活の為に必要だし、お金を馬鹿にしては勿論いけない。
その意味で「衣食足りて礼節を知る」は一面の真理だが、「衣食足り過ぎて礼節を失う」ひとが沢山いるのである。
というようなことを書いていたら、深夜ラジオで沖縄在住のボランテイア活動家が「世界のこどもたち」を話し始めた。
・日本の常識は世界の非常識
・日本のこどもたちは世界で一番ひよわ
等々を聞いているうち、「衣食足らずとも礼節はある」とぼくは思った。こども育ては、制度としての教育という限定された領域の問題では既になくなってきている。どこへ行ってもみられる華衣飽食の状況は、ぼくたちのあるいはこどもたちの現在を確実に蝕んでいる。かって’70年代初頭、水俣病などで世界から公害先進国としての反面教師と名指しされた日本が、又もや愚かさを繰り返しているような気がしてならない。

04/10/09 (土) もう週末か 
LANで繋いだ二台のパソコンで、CADにいそしみ時折ミニ新聞をつくりあるいはこの日記を書いたりしている。二台はともにウインドウズ98でかつ一台はもらいものだ。随分古くなってきているので、立ち上げの時「〇〇が一部壊れています」のメッセージが入るようになってきた。
コンピューターも人間と同じで、幼年期・青壮年期・老年期を辿りやがて死を迎える。
今は壮年晩期というところか。

これまでに何人ものひとにドクターとして事務所に来て頂き、診断あるいは治療をして頂いた。壊れた部分が修復できるのであれば一過性の病気、修復できないのであれば障害と位置づけできる。いずれにしても、古くなるに従って愛着が深くなってきた。

〇さて、このパソコンコーナーを、この週末に引越しさせようと思っている。といっても、隣のブロック建物へだけどね。どうも、この事務所はひろ過ぎる。
ネクラなまま大人になってしまったぼくは、「明るい」とか「開放的」とか「調和」とか「友愛」とかのポジ言葉が苦手だ。
「闇」とか「恨み」とか「涙」とか「足枷」とかの現代社会が葬り去ろうとしているネガ言葉が好きなのである。隣のブロック建物10畳には小さな窓がひとつあるだけなのでぼくの性格に合うと思う。
でも面倒くさいのでするかしないかわからない。

〇昼前、三国町の保母さんがふらりとやってきた。
四町合併住民説明会で示されるそれぞれの町の公務員の給料比較で三国町は高いと言う。
「三国町の保育園はみな公立やけど、合併で保育所職員も少なくなると思う。そうするとワタシらは本庁に入ることになるんやろか。本庁入って仕事できるんかなあ」と心配していた。

04/10/08 (金) 昨晩
手話サークル終了後の市姫荘駐車場街灯の下。
会員三人で、しばらくの間、話しこんでいた。話題は中学校で(恐らくは)生徒が起こした「ちょっとした事件」だった。学校の先生方も大変だと思う。
会話のさなか、一昨日の委員会での「職員のうちの数人が精神的に悩んで休暇中」という行政側報告を思い出した。その時某議員が「合併成功の可否は、合併した職員がいわば新しい職場でスムーズにやっていけるかどうかだ。仕事の内容に関する得手不得手は当然ある。カウンセラー制度も適用してお互い充実してやっていける環境整備が大事だ」と言っていたが、確かにそうだろう。
我々民間人から見れば、公務員というのはストレスがたまりやすい職場にいると思う。
帰宅は遅くなった。
妻と一緒の晩酌時のサカナは上記のことだったが、そういうことに造詣の深い彼女から職場内若人症候群のいろんな事例を聞かされた。うーん、公務員も民間人もへちまもないのだ。
わたしら団塊も含めた年寄りたちがその世代の価値観にこりかたまっていることが既にその根をつくっているのだと思った。
わたしたちは変われるんだろうか。変われるかどうかわからないけれども、変わろうとする努力は必要だ。

〇異種格闘技戦でアントニオ猪木と戦った極真空手の猛者=ウイリー・ウイリアムズは、「熊と格闘した男」として有名だ。
スケールは違うが、わたしは「熊と出会った男」と呼ばれている。20年程前友人とふたりで福井岐阜県境の山頂を歩いていた時に親子熊に出くわした。あれから幾星霜・・・再会はない。
県内に600頭いるというツキノワくんと再び会えないか、そういう思いで昨日私は山に入った。
携えた武器はコニカ一眼レフカメラ「ウツルんです」及び米軍払い下げ夜間専用高級双眼鏡「ミエルんです」だった。
ドキュメント・熊を求めて98里です

04/10/07 (木) 昨日の一日
昨日の午前9時半から、決算審査特別委員会が開かれた。
今後11月15日迄の間に、計7回開かれる。決算書は平成15年度つまり前年度分のものだ。
初日の昨日は総務部管轄=財政課・総務課(芦原消防)・税務課・監理課が対象だった。
平成16年3月1日に合併が成立しているので、平成15年4月から平成16年2月迄の歳入歳出決算書は芦原町と金津町に分かれ、平成16年3月の歳入歳出決算書はあわら市一本となっている。
つまり決算書が三つあってややこしいのである。当然のことながら、初めての体験だ。
ややこしいので、専ら聞くのにエネルギーを吸い取られていたが、それでも思うことは沢山あった。各課ごとにまとめて、後日書き込みたいと思います。
午後5時前に終了。生活環境課のひとから、例の匂い発生事業所に対する対処の進捗状況を聞いたあと一旦帰宅。5時半に再び庁舎に入り、小さな講習会に臨んだ。

7時前に帰宅しケータイのメールチェックをしたら、驚いたことに「出会い系サイト」の案内が数件入っている。即刻消したけれども、腹がたってきた。
およそ、この世にある職業はすべて世のひとにとって必要なものだ。しかし、この手の職業だけは不要・有害・愚劣で抹殺しなあかん。この手の職業の存在が未成年どおしの殺傷や大人の幼児化やプラトニックラブの軽視を誘発する一因になっているにちがいないと、55歳のおじさんは思うのである。

04/10/06 (水) 本日は決算審査特別委員会
昨晩は久し振りに外出。某医師宅で飲んだ。飲んだといってもコップ半分程のウイスキーを口にしただけで、わたしのカラダはアルコールをうけつけない体質になりつつあるような気がする。食も節制できるようになってきた。いいことだ。
集まった友人達は、わたしを除いて山登りが趣味だ。話題が熊出没に移った。
友人のひとりが「出没した熊を捕獲するのは当然だが、それを又山に返しても一緒じゃないか。豪雨で木の実が流れ、山に食い物が少なくなってるんやから、又里におりてくる」と言う。射殺してスキヤキにするのが、住民防衛につながるのかもしれない。

11時半に帰宅して就寝。癖というのは恐ろしいもので、午前一時半に目が覚めた。
事務所に戻るとファックスが入っている。
表題は「クマ出没に対する安全確保の徹底について」で、発信元は福井県福祉環境部高齢福祉課だ。
「福井県内の山間部は、自然環境が豊かで、ツキノワグマも600程度生息していると考えられます。クマは国内の数少ない森林性大型哺乳類であり、私たちの住む自然界を構成する大切な一員です・・」が出だしで、以下長文が続いていた。
読み終えたわたしは、豆砕熱々珈琲を飲みながら窓を開けた。
遠くに見える黒い影は午前2時の白山連邦山麓の連なりだ。そこに600頭のツキノワグマたちが生活しているのである。

04/10/01 (金) 気分消沈
昨日、ぼくはいろいろ駄目な点を鋭く指摘された。当たっている。ほとんどの指摘に賛同する。ぼくは自分が社会のダニみたいに思えた。もともとココロの根っこが暗いのでついそう思ってしまう。
ダニにも五分のタマシイがあるのかもしれないが・・・。
ともあれきょうは気分消沈だ。どこへも行きたくない誰の顔も見たくない誰とも話したくないのである。
けれども午後には福井県自治会館で「議員合同研修会」がある。これは仕事だから当然行かなくてはならない。
研修後、報告を書き込むつもりです。


夕闇せまる竹田川河畔にひっそりとたたずむコスモスを見た。
秋桜と書く清楚な花・・コスモス。
’70年代初頭、「この花はワタシです」とうたったのは桜田淳子だった(きょうも敦賀のマンションで台所仕事をしているのかな?)。
森・山口を含めたアイドル三人組のひとりだった。当時ぼくは陰ある山口百恵の歌詞の奥深さを理解できず、天真爛漫かわいこちゃんの桜田淳子をひたすらおっかけていた。
谷川沿いの平たい岩の上に座り微笑みながらぼくを手招きする淳子の夢をみたこともあった。
うーん、どうでもいいことを思い出してしまったなあ。