2004年12

2004/12/31 (金) 大晦日  
大晦日です。
本年は、皆様方にはいろいろお世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。

○昨日は、県庁の公害対策部門に勤める人の家に行き、「まあ、あがんねの」で居間に通され、長時間の話になった。
「産廃処理施設は日本にごまんとある。けどやね、処理には一部上場の大手企業が持っているような、きちっとした技術力と、それに伴う資金力が必要なんや。個人や零細が産廃処理をてがけても、足腰が弱い分だけ汚染を誘発する可能性が高いんや」と言われた。
専門家の言うことだから間違いないのだろう。しかし、あわら市内の処理施設をみても、例えば笹岡の焼却場のような広域連合施設あるいは名の通った一部の企業を除けば、中小零細だらけである。きちっとした処理をすると企業としてペイしないという彼の言葉のなかにある含みをかんがえると、こういう施設は公が担わなければならないのではないか、とさえ思えてくる。

2004/12/30 (木) 初雪  
疲れ気味だった昨晩は6時過ぎに寝入った。しかし、下の息子からの電話コール・「お父さん、東山の友達んちへ車で連れてってや」で起こされた。
「OK」の返事をしたあと外へでると、路面が白くなっている。初雪だ。
どか雪は嫌だけれども、うっすらの雪化粧には、風情がある。
その風情を楽しもうと、夜も更けてから向ケ丘方面を散歩したのだが、風が身を切るよに冷たい。

ということで
冬の夜や いやです だめです いけません
                  井伏 鱒二

2004/12/29 (水) Qくん ラジオは快適です  
日の午後4時。福井市役所5階の建築指導課で打ち合わせをしていたら、突然館内放送が入り、「全員起立!」の掛け声が響き渡った。思わずぼくも起ちそうになってしまったよ。
なんのことはない、福井市長の職員に対する本年度閉庁式挨拶が始まったのである。
ならば、「全員起立!」ではなくて、「職員、全員起立!」と言うべきだったろう。
いかにもおとっつあん風の市長の声は、福井豪雨対策など本年度の施策を回顧していた。
聴きながらぼくは「うーん、福井市長の来年度重点仕事のひとつは、坂井郡内4町合併からの離脱を表明した春江町の取り込み=おいでおいでの裏工作なんだろうなあ」と思った。
役所を出ると、既に闇がたちこめている。隣接する中央公園の木木がイルミネーションに飾られて光のファンタジーだ。
午後5時、事務所に戻ったぼくは、文庫本・辺見庸の随筆集「航海記」を開いた。
このひとの闊達な文章にぼくはいつも引き込まれるのだが、「光と闇に関する考察」がことのほか面白かった。

○2ヶ月程前、プロバイダーから「貴方のホームページの容量は異常に多い。どしどし削除してください。従わなければ、HP掲載不可能にするかもわかりません」というメールが入ってきたので、仕方なくどしどし削除した。
その時現れた救世主がケンくんだ。無料ホームページリンクサイト・HP-2(容量1ギガですよ、1ギガ・・)をセットしてくださった。
正月を利用してどしどしアップロードしたいと思っていますので、暇な折に御覧ください


2004/12/28 (火) 怠惰日記  
図面修正やら掃除やらミニ新聞つくりやらで忙しいので、過去日記を複写した。
感動で泣いたというメールが入ったものひとつ
馬鹿らしくて笑ったというメールが入ったものひとつ

○午後5時に帰宅。一息ついたので、地酒銘酒・○龍をひとりちびちびと飲んでいる。
酒を飲むと、何故こんなに気持ちがよくなるのだろう。
何故、セピア色の過去が美しい思い出となるのだろう。
何故、嫌いな奴(例えば議員)の顔がいとおしくさえ思えるのだろう。
何故、未来に希望があるような根拠の無い思いにかられるのだろう。
現実か夢か、その境を溶融させてしまう力が、酒には確かにある。 

2004/12/27 (月) 月曜日の朝 
インド洋をまたぐ東南アジアと南西アジア地域では、津波情報を共有するシステムが欠如している。又、日本のように海岸沿いに防波堤が無いことも被害を大きくした原因」と識者が述べている。モルデイブなどは、南国の楽園といったイメージしか持っていなかったけれども、天変地異の及ぶ範囲に聖域の無いことを改めて思った。
被災で亡くなった方々に合掌。
○昨晩、ラジオが壊れてしまった。傍らにラジオのない夜更かしはとても寂しい。
ということで早々と床に就いた。あけて今朝はやく、目覚まし時計付ラジオを購入。気分一新だ。

○お寺さんが、お経をあげにきなさった。読経聴きつつ仏壇を見詰めていると、30数年前に亡くなったじいさん、ばあさんの顔がよみがえってくる。明治末期生まれで教育といえば、小学校一年間の履歴しかなかったばあさんの口癖は「これからは、読み書き算盤が大切やざ。うらは読み書きができなくて、どれだけ悔しい思いをしたか」だった。
心にいつまでも残っているばあさんの顔だけれども、ぼくは学校の授業で「国語」が一番嫌いだったなあ。

○午後3時。福井市役所建築指導課に「修正図面携えて、あとで行きます」のアポイントをとり、捻り鉢巻で図面修正にいそしんでいるさなか、続けさま三人が事務所を来訪。女性⇒男性⇒男性だ。
事務所を茶室に例えるならば亭主のわたしは脱線話が好きだ。市役所打合わせ約束のタイムリミットを気にしつつも話ははずみ時が過ぎていった。

2004/12/26 (日) 雪の無い年末   
昨晩は、とあるグループの忘年会で、珍しくカラオケつきの宴会だった。ようけ飲んだ。
ぼくはカラオケが苦手なので、アカペラで「そっとおやすみ」を静かに唄った。皆は静聴していた。
「そっとおやすみ」は、オリビア・ハッセーと結婚離婚した布施明の持歌だが彼の唄で一番有名なのは「霧の摩周湖」だろう。
30数年前、便所で一緒になり、並んでオシッコをしたことがある。かぶっていた野球帽を「かっこいいですね」と誉めたら、「君にあげるよ」と言って、くれた。
既に紛失してしまったが、もし保管していたら「お宝」番組で高値がついたのではないか。・・いや、つかないだろうなあ。

あけて本日は、午前5時起床。熱々珈琲キリマンジャロを呑む。おいしい。
本年度最後の日曜日だ。部屋の大掃除に午前中を費やし、野仏探しデジカメ撮影に午後を費やすつもりです。

2004/12/25 (土) 夜明けにポタージュを飲みながら  
咳の度に吐き気を覚え気分も鬱気味つまり体調がすぐれないので、ここ数日殆ど事務所に引篭り電話もせずあるいはかかってもこず外界遮断のCAD三昧。
偶々傍らの文芸春秋を開いたら、「理想の死に方」アンケートが特集されている。この状態で倒れたら、ぼくは孤独死という扱いになるのだろうかそれも又よしと己が死を夢想していたら、事務所のドアをノックする音。
開けたら、国会議員某氏が秘書ともに立っていて、ぼくはちょっとびっくりしたよ。年の瀬のせわしない時期にいろいろ歩き回っていなさるのである。


今年も残り1週間を割った。
身辺は未整理で、社会の病巣は取り除かれず、世界の憎悪は継続されながら新年1月がやってくる。そしてその月の30日、ぼくは満56歳になる。


久しぶり、竹田川の河原にいずかった。越冬の為に飛来してきた沢山の鴨家族が泳いでいる。「カモーン」と呼んだが返事はなかった。



○壊れかかったパソコンを起ち上げると、「○○が壊れています」というメッセージが次から次へと出てくる。このホームページビルダーの画面を出すまでに、異常なくらいに時間がかかるのだ。
しかし、捨てる神あれば拾う神ありだ。
今朝所用で来ていただいた青年=新たな助っ人に、ぼくが新たに購入したパソコンへのIT接続をして頂いた。
新しいパソコンは快適だ。世界は日進月歩だとつくづく思う。
ま、新しいといっても中古パソコン・OSウインドウズ98(¥2万2千也)なんだけどね。

2004/12/24 (金) 無題 
日本政府は、北朝鮮に対する経済制裁をするのだろうか。
’90年代に比べて食料事情が好転してきたとはいえ、7歳以下の子供たちのかなりの%が飢餓状態にあるという記事を何かの本で読んで気が重い。
金正日独裁体制と、その国で暮す人民とをはっきり峻別しなければと思うのだが。


サンフランシスコ講和のあと、周恩来が「中国は日本に対して戦争責任賠償請求をしない。悪いのは一部の軍国主義者であって日本人民は被害者なのだから」と言った。もっとも、「一部の軍国主義者」をさすA級戦犯が東京裁判で決められたことが、こんにちの靖国問題を生んだきっかけになるのだけれども。
文革の裏面の悲劇を描いた何冊かの本を読んだ時も、毛沢東の八方破れ的姿勢非難に比較して、周恩来は概して好意的に描かれていた。
日本のような多党乱立的議会制の国と違って、一党独裁の国は指導者の資質がより問われるということだろう。
○近所のスーパーへ買物に行ったら、向ケ丘区在住のマラソンおじさんとばったり。去年のTVでその練習風景を見ていたので、ぼくは単独インタビューを試みたぞ。
ぼく「今、お幾つですか?」
おじさん「81歳や」
ぼく「若い頃、体を鍛えていたんですか?」
おじさん「しとらんよ」
ぼく「いつから走り始めたんですか?」
おじさん「仕事を辞めてからやから、60歳やね。70歳の時に山梨県の大会でフルマラソンを走った。4時間台だったよ」
ぼく「日々の練習コースは?」
おじさん「赤尾方面へ走っていく。車が比較的少ないからね」
ぼく「食生活は?」
おじさん「夜食をしない飲酒をしない。あさ、胃をからっぽにして走るんや。そのあとの朝食がめっぽううまい。茶碗二杯は食べるね」
ぼく「体もスマートやし、健康なんでしょうね」
おじさん「腹に脂肪はないし、風邪ひとつひいたことないねえ。わたしはね、風呂上りに必ず冷水をあびているよ。体がすごくあったまるんや」


にわか記者のぼくは考えた。
うーん、おじさんはもうマラソン道の達人と呼ぶべきではないか。
兵庫県宝塚市在住の友人にマラソンランナーがいるが、この域に達することは絶対にないだろう。
若い頃の○○遍歴を悔い改め、いわば四国遍路のような気分でマラソンを始めたのだとぼくは推察しているが、しかしもう一方の欲望=夜な夜なの飲酒を断っていない。断てるはずがない。
奥義を極める為には、禁欲が不可欠ということだ。

2004/12/22 (水) 静かな夜
仕事のきりがついたので、珈琲を飲みながらの一服。その最中に相場取引誘いの電話がかかってきた。貧民のぼくにだよ。
「ビンラデインがですねえ。イラクの石油貯蔵施設を破壊する旨の声明をだしたんですよお。社長お。金の買いどきですよお」と叫ぶのである。
あほらしい気分で二言三言のやりとりの後、受話器を置いてからぼくは考えた。
「うーん、ニュースはその真偽に関わらず世界をかけめぐり、そこに群がることで成り立つ商売というものがあるんやなあ」とぼくは考えた。

新聞などのマスコミが取り上げるニュースの内容を幸福と不幸に分けるならば、先ずは不幸に力点がおかれている。「わたしは当事者でなくってよかったわ」という安堵が誘発する同情というエゴイズムに訴えようとするからだ。結果として、不幸な出来事が近隣で日常茶飯に起こっている気分になる。が、事実は勿論違う。

例えばぼくが新聞・ラジオのない江戸時代に住んでいたとするならばだ。
みずのみ百姓であったろうぼくは坂ノ下村のなかでのゴシップ以外の日々の情報に触れることはなかったはずだ。
仮に庄屋であったとしても、隣村で一揆が起きたことを応援したり懸念したりすることぐらいが、日常の情報だったと思う。当然、地球儀などアタマの中には無い。
こんにち的な目には、不便で閉鎖的な生活に映るとしても、当時のぼくがそう感じたはずはない。ひとは未来を体験できないからだ。
悲しい出来事腹がたつ出来事日々満載のこんにち的情報化社会がもたらした功罪のうちの罪のひとつは、ぼくたちの精神を不健康にしたことじゃなかろうか、と思うのである。
○「横垣地係・産廃事業所からの異臭が漂っている」という電話が向ケ丘のひとから二日続けてあったので、昨夕、市庁舎・市民生活課に行き、担当課長から現状を聞き又しゃべった。

・有機堆肥をつくる建物として、廃舎となった鶏舎を利用したのが、そもそもの間違いじゃないか。あの建物を完全密封するのはかなりむつかしいと思う。
・しかしながら、夏場と比べると、建物周囲での異臭強度は、かなりトーンダウンしたという。
・これは、ジャガイモもなどのでんぷん質植物性残滓の搬入をストップさせた行政の成果だろう。
・本日は、県の生活課が近隣地区に出向いて、対区長説明会を開くとのことだ。
・市でも県でもなんもでいいが、公務員たちは目線を近隣住民の目線の位置と同じうして考えてほしい。感じてほしい。公僕と呼ばれる所以はそこにある。

2004/12/21 (火) 暖かい朝

昨日は、某寺院で葬儀の手伝いをしていた。ウイークデイということもあってその場に参加しているひとたちの殆どは高齢者である。55歳のわたしが2番目に若かったのだ。
今34人いる市議会で、わたしは若いほうから6or7番目といったところか。
しかし、手話サークルに行けば最長老である。
建築関係でつきあう同業者には、同じくらいの年齢のひとが多い。
実年齢が若いかどうかは、どの場にいるかによって、相対化されるわけやね。

2004/12/20 (月) 東の空が白み始めてきた

いつのまにか今年も10日を残すのみとなってしまった。こなさなければならない所用がいろいろあって年末年始がゆったりしたものになるとはとても思えないけれども、ともあれ昔の数え年的発想ではひとつ歳をとる。あの世へ近づくのである。

正月は 冥土の旅の 一里塚
     めでたくもあり めでたくもなし

と詠ったのは、確か一休宗純だ。

そういうことで、最近は市内の野仏を、ひとり探しまわっています。野仏が芸術作品として「創作の森」に展示されることは絶対にありえないが、名も無いひとのてすさびにはそのひとつひとつに味わいがある。
昔のひとにとっては、永遠を表わす唯一の素材が石だったのだろうし、仏を刻むという姿勢を裏打ちする宗教心・無垢の心が、プロの持つ構成力やテクニックに十分、伍しているのだと思います。

2004/12/19 (日) ちょっと思ったこと 

明治期に、「平然と死ぬることがえらいのではない。平然と生きることがえらいのだ」と言ったのは正岡子規で、確かにそういう生き方を実践したひとだ。
しかし現代。例えばどこの都市に行っても、ブランドの大型店が建ち並び同じような風景を構成しているように、ひとのこころも均質化を強制されているように思える。
個性の時代というけれども、情報の洪水によって受信発信のバランスが崩れ、価値観が一元化しているのが現代だ。こういう時代の若者たちの健康で明るい顔というのは実は仮面なのではないかと思うことがよくある。心の襞に陰影が巣食い時折垣間見える表情こそが実は正常な顔なのではないか、と思うのである。

○深夜ラジオは「三波春夫浪曲集」を特集している。
このひとの唄については「世界の国からこんにちは」「ちゃんちきおけさ」くらいしか知らないがしかし浪曲もなかなかきかせる。
シベリア抑留から帰国し唄った浪曲「瞼の母」には、大戦末期傍らで死んでいく戦友たちの「お母さーん」と言う最後の叫びの胸中への焼き付けがあったという。

2004/12/18 (土) 無題

もう週末だ。
ということで、15日に終わった12月定例議会の資料を整理している。官報つくるわけではないので、印象に残ったことを中心にまとめているのだけれども、なんせ資料が多いのでなかなかはかどらない。まとまったら、別枠のコンテンツを設けて書き込むつもりです。
○早朝、電話あり。檀家のお寺の住職が亡くなった。午前中、通夜・葬儀の打ち合わせに出席し、今帰宅した..。つい1ヶ月程前に会った時はとっても元気だった。檀家総代によれば、急激な体調の変化だったそうだ。享年37歳。はかない世の中だと思う。
合掌

2004/12/17 (金) ちょっと鬱 

社会生活を営んでいるわたしたち人間という種族は、好むと好まざるとに関わらず付き合いなしで生きていくことはできない。殆どのひとは、お互いに誠意をもって付き合っていこうと思っているはずだけれども、もともと、ひとりひとり違うのだから、言葉での発信と受信の間に微妙なずれを生じることがママある。微妙なずれは、大きな誤解になりうるし、非難中傷につながっていくこともある。言葉は好意も悪意も獲得する媒体だ。諸刃の剣だ。
昨日は、なんとなくそういうことを思っていました。

○合併してわかったことだが、芦原温泉のメインストリートは、融雪装置が施されていない。何故だろうと思って、芦原庁舎の土木部へ出かけた。
土木部長は、「温泉法で、泉源の近くに井戸を掘るのは禁止されているのです」と言う。
ならば、温泉排水を利用しての道路面暖房が選択肢ではなかろうか。井戸水よりずっと高温なのだから、効果は十分あるはずだしなによりも循環経済だ。雪見酒で温泉にくるひとのことを考えると今のままではいけない。
とまあ、そのようなことをお互い話していた。


2004/12/16 (木)  暖かい未明

昨日は、定例議会最終日の本会議で、傍聴者が非常に多かった。
推測するにその理由は、日程のなかに
請願第1号 金津東部土地区画整理組合に対して支援を求める請願
陳情第2号 郵便局の現行経営形態(日本郵政公社)堅持を求める陳情
発議第8号 議員の問責決議
が組み込まれていた為であり、直接の利害に関係する組織のひとたち、あるいは地区のひとたちの関心を引いた為と思われる。

・請願第1号は総務委員会に付託され、長時間の審議となったそうだ。結局、総務委員長は「継続審議」を報告した。「継続審議」は、「採択」でも「不採択」でもなく、審議をもっと深めてから採択・不採択を決めようという意味を持つ。ぼく自身は請願文自体に妥当も無理もあると思った。継続審議で構わないだろう。

・陳情第2号は、市内の特に郡部において公共サービス低下の恐れがあるという意味で提出された陳情であり、多分全員が起立した(議場でぼくは前の方に座っている。よって全体が見渡せないのである)。

・発議第8号は、圧倒的多数で採択された。本日の新聞に載ると思う。

○数年前に、議場内カメラ設置に関する質問をしたことを思い出した。
昨日のように傍聴者が多いということは、傍聴したくても議場に来ることのできないひとがもっともっと多いということである。
ケーブルテレビ受信可能地域が着々と増えている。議場内壁面にアイカメラを三箇所も設置すれば議場内の映像と音声は隈なくカバーできるはずだ。次回三月定例議会で一般質問しようかなあ、と思った。

○昨晩は納会という名の飲み会、今晩は反省会という名の飲み会で6or7人が事務所に来る。考えてみたら、明日の晩も飲み会なのだ。

白玉の 歯にしみとおる 冬の夜の 
    酒は 静かに 飲みべかりける    牧水

2004/12/15 (水) 深夜に「真昼の決闘」を聴きながら 

深夜ラジオは、或るボランテイア夫婦のインタビューだ。いろんな施設に出向いてピアノの弾き語りをしているその夫婦の言うことにゃ
・施設に高齢者が増えている。
・60歳前後のひとは「美空ひばり」の唄を好む。
・その上の世代は、古賀メロデイを好む。
・その上の世代は、中山新平の曲を好む。

これはつまり、老人になるにつれて、若い時に聴いた曲が好まれるということの証だ。
ついでにいうと、施設の居住空間は、モダンにする必要はない。節板天井土壁的内装を施し、居住者が昔使っていた家具調度を置いておく。そうすれば安心空間になる.。
と、誰かに聞いたことがある。

2004/12/14 (火) 深夜にポタージュを飲みながら 
昨晩は、含蓄のある文章に出会った。

すべての人間は弱い。だれもが恐れをもっているが故に弱いのである。にも関わらず一方が「強い人」になり他方が「弱い人」になるのは「心の中の苦悩」に対する反応に二つの逆の型「強い反応」と「弱い反応」があるからである。
「強い反応」は「自分の弱さを隠すために確信と攻撃という外見を装い他人に恐れを感じさせる」ことによって自分の恐れを隠す。
「弱い反応」は狼狽したり、またその結果、隠したいと思っている弱さを暴露する。
                                     P・トウルニエ
これはつまり人間みなちょぼちょぼということだろう。

○本日は、午後1時半から全協(全員協議会)が開かれた。
先だって新聞記事にもなった某議員に対する議会の姿勢についての討議があった。明日の本議会においてオープンになる予定。
終了後、有志議員で喫茶店へ。明日の議会に臨む態度についての確認をした。
午後4時半、事務所に戻りこのキーボードを叩いている。
窓外に見える雲は既に茜色。年の瀬の日暮れは、はやいのだ。

2004/12/13 (月)  さあ1週間が始まった

友人ふたりと別れてからの昨日の午後は、中古パソコンのデーター整理に追われた。夕刻終了。
夜は、坂ノ下区理事会が開かれ、平成16年度区行事報告と平成17年度区行事予定を討議。終了後は本年度の納会となった。年の瀬が近づいてきて、納会・忘年会などが続く。
今朝は4時に起床。いつのまにか雨が降っている。この季節、本来ならばミゾレまじりのはずなのに暖かい。今年も暖冬なのだろう。

○「童話を読む会」のひとから、中央公民館で展示会をしているとの電話があったので、行ってきました。明日が最終日だそうです。時間のとれるかたはどうぞ。


○「牧田の顔のぶつぶつも毒を盛られたからなんか」と昨日言われて、ウクライナ共和国大統領選を思い出した。通常の1000倍のダイオキシンが体内に入り込むなんて、どう考えても異常だ。即ち、限りなく黒に近い政敵つぶしテロの結果である。

2004/12/12 (日) 宮谷石切場 

遠方(神戸)よりの友人ふたりを案内するのに、普通の観光地は面白くない。
ということで、宮谷地区の石切場跡にふたりを連れていった。見応えのある場所だ(左写真)。ちょうど、石切場所有の社長がいたので、いろいろ話をきくこともできた。
30mあまりの長さのマブ(坑道)を背をかがめながら歩いていくと、突然陽光の差込む場所に出る。岩伝いに少し歩き、見上げればギリシア・パルテノン彫刻の世界である。足元の伏流水による深い水たまりはエメラルドグリーンである。
圧倒される。
ぼくは、この場所をひそかに金津三大風景のひとつと呼んでいる。
私有地ではあるのだが、行政がなんとかサポートして保存できないものだろうか。

○夜は友人ふたりを連れて某小料理屋二階へ。
「わたしのような本当のカニ通はズワイではのうてアカコの詰まったセコガニを頼むんやぞ」と言いつつ安いほうのセコを二はいづつと、たっぷりコの入った鰈一匹づつを堪能した。本当はおごりたかったのだが、議員がおごると、サツが内偵して贈賄罪に問われるかもしれない。そこで逆におごってもらった。
ビール・焼酎・日本酒で酩酊気分になり、おひらき。階下のカウンターに降りたら、悪友4人が飲んでいた。
わたしの友人ふたりに対して、悪魔のマーブが「どうもならんアホな牧田やけど、これからもこの男をよろしくお願いします」と言うのを聞いていて、ぼくはちょっと嬉しくなってしまった。

2004/12/11 (土)  本日は「友 遠方よりきたる」です

今回の定例議会に提出されているテーマで、意味のわからない用語が幾つかある。
そこで、昨晩、本屋に行った。図書館で借りるばかりではなく、偶には本を買わねば、と思ったからである。
購入後、時計を見たらもう9時だよし今から焼酎を飲もうと隣接するスーパーマーケットに入った。惣菜コーナーに寄って、驚いたね。イカテンなどが全て「50%オフ」となっている。鮮度の必要なものはその日の内に売る、ということなのだろう。
帰宅してからは、ひとり宴会だ。安いイカテンはうまかった。
そのひとり宴会で、ぼくは少年の日々を思い出していた。

「牧田少年の日々」

嗚呼紅顔の 少年の 
冬のその日の 思ひ出が
走馬の如く 蘇る

貧しかりしも あの頃は
山紫水明に いだかれて
自由気侭が 友たりし

雪降りしきる 冬の日の
木造校舎の 教室に
赤々燃える 炭火鉢

隅に置きたる 弁当の
唾飲みながら 口にする
梅干煮干 たくわんは 
おふくろの味 つまりしき

夕闇せまる 放課後の
ほの暗かりし 階段に
すれ違ひたる おとめごの

恥じらふ頬の 紅潮を
恥じらふまなこの 激しさを
光源氏の あざなもつ
我は久遠に 忘るまじ

2004/12/10 (金) 昨日の一日

昨日は、午前9時半から教育厚生常任委員会が開かれた。
午後の、保育所民営化についての質疑の時、委員長から「指定管理者」という耳慣れない言葉がでてきた。去年自治法が改正されて出てきた新概念だそうだ。

休憩時にコンビニに寄った際、偶然会ったAさんと立ち話。
話題は「役所がらみの集まりで出てくるひとは顔がいつも決まっている。あて職が多い。なんとかせねば・・」だった。このことについては先日の一般質問でも質疑があった。
委員会終了ののち福井市の某設計事務所へ。打ち合わせ終えての午後八時、市姫荘で開かれている手話サークルに寄った。
新しく来たひとひとり。5人での学習終えたあとの四方山話は、テーマが宗教のことになった。
ええっと。
熱心なクリスチャンがひとり。仏教徒がふたり。無神論者がひとり。多神論者がひとり。
なかなかに考えさせられる時間帯だったが、ここに、イスラム教原理主義・ヘブライ教・創価学会・幸福の科学・オウム・国家神道・儒教・道教・白装束の会・ヒンズー教・ラマ教などが加われば、話はもっと白熱化したのではないかと思う。
今必要なことは、宗教の垣根を超えることなのである。
午後10時に帰宅、やっと晩飯にありつけた。熱燗一合ですぐ眠りについた。

○明けて午前7時、朝陽がまばゆいのです。


○インターネットに接続しているこのパソコンを起ち上げる時、いつもわけのわからないメッセージが出てくるので、専門店に持って行き診断してもらった。
「基盤が駄目になってきてます。もうすぐ壊れますよ」といわれた。
リスク回避の為に予備のパソコンにデーターを移そうと思ったが、FDでは無理だ。仕方なく大容量記憶装置MOデイスクを買った。
古い機械の維持には結構金がかかる。

2004/12/09 (木) 暖かい朝 

本日は、教育厚生常任委員会が開かれます

2004/12/08 (水) 深夜ラジオを聴きながら

昨日の定例議会(初日)
日程第1 会議録議員の指名
日程第2 会期の決定
日程第3 議案第105号  専決処分の報告を求めることについて
                  (損害賠償の額を定めることについて)
日程第4 議案第106号  専決処分の承認を求めることについて
                  (あわら市一般会計補正予算(第3号))
日程第5 議案第107号  平成16年度あわら市一般会計補正予算(第4号)
日程第6 議案第108号  平成16年度あわら市国民健康保険会計補正予算(第2号)
日程第7 議案第109号  平成16年度あわら市金津雲雀ケ丘寮特別会計補正予算
                  (第2号) 
日程第8 議案第110号  平成16年度あわら市公共下水道特別会計補正予算(第2号)
日程第9 議案第111号  平成16年度あわら市農業集落排水事業特別会計補正予算
                  (第2号)
日程第10 議案第112号 平成16年度あわら市水道事業会計補正予算(第2号)  
日程第11 議案第113号 平成16年度あわら市工業用水道事業会計補正予算
                  (第1号)
日程第12 議案第114号 平成16年度あわら市モーターボート競走特別会計補正予算
                  (第1号)
日程第13 議案第115号 あわら市土砂等による土地の埋め立て、盛土及びたい積行為の規則に関する条例の制定について
日程第14 議案第116号 あわら市一般職の職員の給与に関する条例の一部を改正する条例の制定について
日程第15 請願第1号  金津東部土地区画整理組合に対して支援を求める請願
日程第16 請願第2号  年金制度の抜本的改善を求める意見書採択に関する請願
日程第17 請願第3号  利用者負担の大幅増など介護保険の改悪に反対し、改善を求める意見書採択に関する請願
日程第18 陳情第1号  危険物製造所設置計画の中止を求める陳情
日程第19 陳情第2号  郵便局の現行経営形態(日本郵政公社)堅持を求める陳情
日程第20 一般質問
  (散会)
 
○午前3時半の深夜ラジオから流れてくるのは、吉永小百合とマヒナスターズの「寒い朝」だ。
中学生の時観た映画「キューポラのある街」を思い出してしまった。吉永小百合は絶対に浜田光男と結婚すると思っていたのに、今醜聞満載のNHKの当時デイレクターをしていた岡田某と結婚してしまった。唄も演技も下手だけれど、なんせ美人だった。匂う花の如しだったのである。

2004/12/07 (火) 議会

本日は、12月議会定例会の初日です。

ぼくは「高齢社会における生きがい及び健康維持について」というテーマで、一般質問をしたのですが、その為の資料をつくってみました。よかったらここをクリックしてください。

2004/12/06 (月) 無題

午前5時、起床。
ラジオは「埼玉県の男性が2歳の娘の首を絞めて殺した。警察発表によると、やっていく自信がなくなったことが動機とのこと」というニュースを流している。
毎日毎日どこかで殺人事件が起こっているが、この事件の動機などは特に不可解だ。
やっていく自信を持って生きているひとなど、一握りのはずだ。どっしりしているようにみえるひとでもいやそうみえるひとほど、内心おどおどして生きているのが人生の真実だとぼくは思うのである。
100歩譲って、耐えられないことに正当性があるとしても、そのありようを何故娘に向けなければならないのかわからない

2004/12/05 (日) ゆったりの日曜日

木枯らしの吹く季節にちょっとした異変だ。
事務所庭の赤い薔薇が咲き始め、桜の木の白い花弁は既に咲き誇っている。
今年の夏・今年の秋の日本列島は異常気象の連続だったが、果たして冬はどうなんだろう。
平穏な冬であってくれればいいが。


○前谷・松龍寺で毎年開かれている蕎麦会に行った。おいしかったので、4杯食べた。
隣席はKさんだ。
仕事で中国を頻繁に訪れるひとなので、昨今の中国事情を細かく聞いた。民間ベースで「靖国問題」が語られることは先ずないそうだ。けれども、政府間がこじれればどうなるかわからないと、懸念していた。

2004/12/04 (土) もう週末か

新しい靴を買おうと思い、昨夕の嶺北縦貫道路を車で走った。
落ちる夕陽がものすげえ綺麗だ。車から降りてシャッターを切った。
驫木・根上り辺りの方向に落ちていく。
薄墨色の背景で光を四方に放つ夕陽の輝きは、神々しい。いつ見ても飽きない。靴などどうでもよくなった。
イスラム教徒は日に何度もアラーの神に礼拝するという。ということで、仏教徒のわたしは一日一度、西方浄土に向かって南無阿弥陀仏と合掌しようと思う。


○しかしやっぱり靴を買いに行った。

2004/12/03 (金) 石庭

昨日の昼、親父お袋を車に乗せて福井市内に入院中の知人を見舞いに行った。
途中、頼まれて親父の友人宅に寄る。玄関先でじいさんふたりは抱き合うようにして再会をなつかしんでいた。
戦友だ。太平洋戦争中、フィリピンに従軍した既に数少なくなった仲間だ。同じ釜の飯をくい生死をかけて共に戦ったことによる結束は鉄のように硬いのである。
再会の光景で、アイ・ジョージの唄・「ここはー お国の 何百里ー 離れて遠き満州のー ・・・・」を思い出してしまった。
敗戦4年目の昭和24年に生まれたぼくは、復興の槌音と共に育った戦後民主主義世代=戦争をはさんで社会道徳や価値観が180度転換した世代に属する。
しかし、最近の世相をみるにつけ、転換の功罪を、徹底して再検証しなければならないのではないかと、ぼくは思うのである。
○病院からの帰途、御簾尾の龍沢寺に寄った。久し振りに石庭を見たかったからだ。
苔むした地肌はココロをしっとりとさせる。禅文化の真髄なのだ。
昭和20年。統治の為に来日したマッカーサー将軍率いるGHQ官僚たちは、住まいとして日本家屋を接収したのだが、最初にした仕事は、苔むした庭石をタワシで洗うことだったそうだ。
戦後の出発点がそこにある。米文化の単純さ・浅はかさがしのばれる。


2004/12/02 (木) 昨日の全協 

昨日の午後は全協(全員協議会)が開かれた。
協議事項は次の通り。
1.第6回あわら市議会定例会の会期、日程について

2.議案、請願等について
 ①市長提出議案について
 ②請願等について
 ③議案、請願等の付託先について

3.一部事務組合議会の報告について

4.議会運営委員会視察研修の報告について

5.各特別委員会視察研修の報告について

6.各特別委員会会議の報告について

7.その他

午後1時半に始まった全協は、6時半まで続いた。
何故ならば「その他」で喧喧諤諤があったからである

2004/12/01 (水) 昨日の一日 

昨日の午前中、わたしはCADにいそしんだ。旧式パソコン二台のうちの一台をCAD専用としたので走りがスムーズになり気分は快適だ。
昼近くになってから議会事務局に出かけた。所用をこなし、その足で昼休みを利用して福井土木事務所に車を走らせた。うーん、そういう訳で昨日は昼飯抜きだったのだ。
途中、ケータイ電話が鳴る。耳栓を購入したので、両手をハンドルに添えたままの応答が可能だ。何故応答できるのか皆目わからない。しかし、便利なものは便利なのである。
帰途、坂井町にある「坂井郡介護保険広域連合」事務局に立ち寄る。平成17年は、介護保険制度見直しの年だ。その展望をいろいろと聞いた。あと10年でぼくも被介護の資格者となる。その時生きているかどうかはわからないが、ともかく自分のこととして、展望を聞いた。
午後3時、ある会合へ。
説明者の言い分に対して、納得できない部分を感じる。納得できないものでもなんとか納得しようと努力するのが若い頃のわたしの姿勢だったのだが、どうしても納得できずについついいろいろとしゃべってしまった。納得できないものは納得できないという姿勢にどうやら染まってきた。つまりアタマがかたくなってきたのかもしれぬ。
途中、熊坂の某議員から「ホームページの表紙がでてこない」というケータイコールが入る。車を走らせて御自宅におじゃまし、ホームページビルダーのインデックスを覗いたらコンテンツが全て消えている。「うーん、これでは一からの出直しやねえ。では、さようなら」とかなり無責任な答えを残して帰宅した。
事務所に戻ったら、福井市役所の建築指導課から確認申請提出物件に関する「どーのこーの、あーのそーの」という電話が入ってきた。「へえへえわかりましただ。お代官さま」と答えて受話器を降ろす。敵は建築のスペシャリストで法の番人だ。それは構わないのだが、くどい。
重たい気分で自宅に戻ったら、息子ふたりが晩飯を食いながらの談笑中だ。
昔読んだ短歌を思い出した。
隣室に 書(フミ)読む子らの 声きけば
             心にしみて 生きたかりけり

                     島木赤彦
さあ頑張るぞ、とぼくは改めて思った。