2005年09月

  05/09/30 (金) ラジオ国会中継を聴きながら  

昨晩の就寝は11時過ぎとおそく、今朝起きたらもう6時を過ぎている。昨晩、事務所で親睦会が開かれたせいだ。
久しぶりにビールを飲んだが、やっぱりひとが集まると飲食の量が進む。まわりのひとの表情がサカナになるからだろう。
話題が葬式のことになった。
某住職は、他宗派の場合ちょっと姿勢をかえて祭壇にむかう、という。某クリスチャンは、手を合わせながら胸のなかで「アーメン」を唱える、という。
信仰は基本的に心の領域のことだけれども、祈りの姿勢にも勿論差がある。
よって、信仰の強いひとはいろいろ苦労するのだ、と思った。
話がはずみ、タイガース優勝の瞬間を目にすることもできなかったが、充実気分の昨晩でした。

沈みがちの日々が、ちょっと上向きになってきた。前をみて歩いていこう。

〇先日いただいた電話で「参考の為、御覧になってください」と紹介された某議員のホームページをのぞいてみた。

ぎっしりだ。たいしたもんだ。ついでに他の何人かの議員のHPものぞいてみたが、惹きこまれるHPの共通点を自分なりに整理してみた。
①とにかく更新し続けている。
①表紙製作には、明らかにプロの手が入っている。
(ぼくのHPのような素人的表紙は皆無だ)
①プロフィルをみると、みんな少年時代はきはき明朗積極的少年少女だった。
(中学校建設論議がこのHP掲示板でもにぎやかだが、好きな先生皆無だったぼくの中学生活は陰鬱なものだった)

とまあいろいろありますが、自分の背丈に合わせて無理をせず、議会情報発信を充実させていきたいと思っていますので、御指導御鞭撻のほど、これからもよろしくお願い致します。

  05/09/29 (木) プロ野球のこと  
    
知らないうちに、阪神タイガースが優勝目前だ。まずは、岡田監督、おめでとう。
ただ、ぼくはタイガースのことより、楽天監督交代劇騒動のほうが気になる。
田尾が可哀想だ。くやしいだろう。
昔、田尾が現役だったころ、太洋の長崎と首位打者を激しく争ったことがある。
最終戦だったか、厘差毛差で長崎を追う田尾に対して太洋ベンチは全打席敬遠を命じた。田尾はその敬遠ボールをからぶりして、抗議の意思を示したのだった。
田尾が書いた「進化するイチロー」という本を読んでぼくは彼のファンとなったのだが、ハンサム系でもある田尾さんには、是非とも球界に戻ってきてほしいと思う。
〇議員という職業上、いろんなひとと会うことが多いけれども、女性・特に若い女性と会うことは先ずない。それが、昨日は福井市内で年齢30歳という若い女性と昼食を共にした。
お母さんが昭和26年生まれと聞いて、昭和24年生まれのぼくはびっくりしたよ。
話を聞いていると、「うーん」とうなづくところ・参考になるところが沢山ある。男と女の世の中だ。女性とも付き合うことができるようにならなければならない、その為には恥ずかしがりやのままではいけない、とぼくは思った。

〇朝食時、福井新聞を読む。
旧知の山崎隆敏さん(今立町)が関西大学の非常勤講師になったという記事が出ていた。
酒好きではあるけれども、本を何冊か出しているし、真面目で地道にこつこつと仕事を積み上げるタイプだ。努力の成果なんだろうが、えらいもんやね。

05/09/28 (水) 赤蜻蛉 

昨日の午後、仕事に疲れたぼくは久しぶりに森のなかに居た。森といっても里山の入口だが、やはり里とは違う。里が初秋ならば里山は既に秋で、見上げると赤蜻蛉が飛んでいる。今年初めて見た赤蜻蛉だ。

♪夕焼け小焼けの あかとんぼ
        負われてみたのは いつの日か
 十五でねえやは 嫁に行き
        お里のたよりも たえはてた
 夕焼け小焼けの あかとんぼ
        とまっているよ さおの先
文部省唱歌のなかで最も美しいメロデイと詞を持つ唄のひとつであるこの唄には、人生の哀愁がこめられている。



05/09/27 (火) 無題 
高速道路を走行中に、突然窓ガラスを破って鉄砲の弾が飛び込んでくるなんて信じられないことだ。昨日の事件の被害者たちに怪我はなかったといううものの彼らの恐怖感は、想像するに余りある。

昔、おさなごだった子供ふたりを後部シートに寝かせて名神高速道路を走行中、追い越してきた大型トラック助手席から投げ捨てられた火付煙草が運転席に飛び込んできたことがある。その煙草のあたり先がぼくの腕だったからまだよかったものの、可愛いおさなごたちの顔などであったらと思った時、腹立ちが頂点に達したのを覚えている。
例えばグリコ事件のような愉快犯は、昔からあったけれども、身近で自分自身が遭遇する可能性が高まってきたのが今日の社会なのではないか。

学校や家庭での教育力が弱くなってきたからだろうか。情報過多の社会になったからだろうか。冷戦終結によるテロ行為の頻発によるのだろうか。アジアが緊張しているからだろうか。なんか、いろんな要因が糸のように絡んでいるのだろう。
日々こういう事件を聞かされるなら、あんまり長生きしたくない。

05/09/26 (月) 芸術の秋 
スポーツの秋ということで、昨日の夜は、ベルリンマラソンをTV観戦していた。
ベルリンの街並みは遠い青春の日の記憶を思い起こさせる・・・。

わたしにとっての秋は芸術の秋であり、芸術とはクラシックピアノ以外のなにものでもない。絶対音感の世界である。
10代の終わりから20代の初めにかけての4年と7ケ月、わたしはザルツブルグ音楽院でピアノを学んでいた。はじめ、留学先にウイーン国立芸術院を選ぼうかとも思ったのだが、ベートーベンへの思い入れ断ちがたく、結局ドイツを選んだ。ビールが好きだったこともある。
主任のハインリッヒ教授の指導はことのほか厳しかった。ややもするとくじけそうになるわたしを支えてくれたのはそばかすの少女青い瞳の少女・ハイジだった。彼女手編みのマフラーは今でも手元にあるし、たまには手紙が届く。
潜在才能を見込んだが故にわたしにだけ厳しかったハインリッヒ教授の期待に添うために、あるいはハイジの献身に報いる為にの練習は、勿論昼夜をとわなかった。
ベートーベン難曲中の難曲として有名なロ短調ソナタ・イ8番をマスターできた時の教授の喜びは尋常ではなく、確かその年の暮れの演奏旅行(パリ国立劇場だった)でソロ・ピアニストに初めて指名された時のわたしの気持ちの高揚は人生のなかで最高のものだった。なんせ、指揮者はカラヤンだったのである。
演奏を終えたあとのスタンデイング・オペレーションはわたしを恍惚の世界へひきいれた。

好むと好まざるとに関わらず「東洋からきた神秘の指先」・MAKITAの名前が全欧州に広まり始めた頃、その悲劇は起こった。
ハインリッヒ教授から一週間休暇の許可を得たわたしとハイジはサンモリッツのスキー場にいた。滑走コースから、山岳スキーコースに転じたわたしたちふたりが急斜面にさしかかった時、ハイジが転落したのである。ハイジ日頃の献身に報いるには死んでもいいと思ったわたしは、ボーゲンでもパラレルでもなく直滑降で急斜面を走った。走ってぶなの木に激突したわたしは、右手指先に後遺症の残る負傷を受け、「東洋からきた神秘の指先」の名声はそこで永遠に消えてしまった。
勿論わたしは後悔していない。
ハイジの命が助かったことに比べれば、名声などなんだ。
O・J・シンプソンは「名声など蒸気のようなものだ」と言っている。


うーん、一度こういうことを書いてみたい、かっこいいだろうなあと思って書いた嘘日記です。ピアノというのはみたことがあるだけで触ったこともありません。
ぼくの音楽暦は小学生の時、半年間木琴の練習をしただけです。


05/09/25 (日) 表紙をシンプルにしました  
・「北風が吹くと、近くの産廃処理施設煙突からの匂いがひどくなるんです」という電話が入った。
うーん、あわら市が常に抱えている問題である。来週、庁舎へ説明に行こうと思った。

・昨晩は、早々と布団に入ったのだけれどもなかなか寝つかれない。昼寝をながい時間とったせいだろう。じっと天井を見詰めながら自分の越し方行く末を考えていた。

・夢うつつのうちに、夜があけた。雨が降っている。台風の影響があるのかもしれない。山に登る予定の友人ふたりのことが、ちょっと心配。

05/09/24 (土) ちょっと疲れ気味 

昨夕は、教育厚生常任委員会の某同僚議員が来訪。話は長時間に及んだ。
意見の一致しないところも勿論あったが、とにかく議会で焦点となっていることを広く住民に知って頂かなければいけないの一点については、意見が合致した。

きょうの午前中は、一昨日終了した議会の資料を整理していた。報告コーナーにアップロードしようと思ったのだけれども、なんせ資料は膨大だし、それぞれをスキャンしていてではダウンロードに時間がかかりすぎる。お手上げだ。

詳しい情報を請求したい方は、いつでも事務所に御来訪ください。
あるいは、お電話をください。
あるいは、メールにFAX番号を明記してくだされば、FAX送信致します。



盗難に遭い1年間行方不明の愛妻的愛車バナナ号
妻よ君は今どこにいる?
会いたい 会いたくてたまらない


05/09/23 (金) 今日は祭日

議会最終日ということで昨日の晩は芦原温泉某旅館で納会。ビール少々焼酎少々で十分にほろ酔い状態となった。露天風呂で秋の夜風を楽しんだあと、ホールへ。
マイクを持って久しぶりに「港町ブルース」を唄い、その足で街へ出た。屋台で大蒜ラーメン(おいしかった)を食べてから旅館に戻り就寝。
今朝は、7時に目が覚めた。朝食のバイキングで食べたパンがおいしく、珈琲も3杯飲んだ。8時に帰宅し、今、新聞を読んでいる。


05/09/22 (木) 本日は議会最終日 

最近、原因不明の嘔吐(へど・・・おうとと読むと仏の哲学者みたいでかっこいいのだが、あくまでもへど)が時々あり、妻に相談したら「顔に似合わず神経が繊細やからよ。もっとどっしり構えたらいいんや」と言われた。
ぼくにはたしかに自責の念の強いところがあって、よく悩む。

うーん・・と考えているうち、昔世話になったひとの顔が浮かんできたので、昨日の夜に車を走らせた。
「セルビアで使われた劣化ウラン弾が如何に人類に悲惨をもたらすものであるか。自民公明が2/3以上も議席をとって翼賛政治になってしまうのではないか。こどもたちの未来をわたしたち大人はちゃんと保障できるのか。なぜわたしはいつも金で困らなければならないのか。」等々をしゃべりかつ御高説をうかがっているうちに、気がついたら2時間半が過ぎていた。
車の窓をあけて夜風にあたりながらの走行中の帰路、気分が軽くなっていることに気がついた。

群生動物であるぼくら人間は、国家・法制度の下に在る。生活の安堵も懸念もそこに源泉を持つ。しかし、日々の暮らしをより強く支えているものは人間関係じゃなかろうか、と思った。
開放的になりたい。古い上着は脱いで捨ててしまおう。内にこもらずひとと交わろう。勇気をもって思っていることを言うことのできる人間になる為の努力をしよう。歳とったなどと思わないようにしよう。
そういうことを考えながら布団に入ったら、すぐに睡魔がおそってきて熟睡した。

〇識者さんへ
漢字に間違いがないかどうか一応注意しながらキーボードを叩きました。
もしありましたら、御指摘メールをください。


05/09/21 (水) 昨日は教育厚生常任委員会 
昨日は、午前9時半から教育厚生常任委員会が開かれ、午後2時半に終了した。その後、街へ出て四つの小学校へ。夏休み中に施したアスベスト対策の状況を視察した。
そのうちのひとつ・新郷小学校校庭に、枝振りの大変に素晴らしい松があった.。(参・コンテンツ「風景」)。石碑に「隠徳の松」と刻んである。
語韻に猥雑を感じないでもないが、いい言葉だ。
本当に徳のあるひとは、徳のないような立居振舞をする・・・そういうふうにぼくは理解した。
なお、委員会の概要については「掲示板」に書込みました。


05/09/20 (火) 本日は教育厚生常任委員会 

ダイエー中内元社長が亡くなった。学生時代、転々としたぼくの2番目の下宿が社長宅に近い場所だったこと、下宿主がダイエー社員で、社長の信奉者であったことも含め、昭和の風雲児が又ひとり亡くなったことに対して感慨が残る。

徹底した安売り商法で、全国にチェーン店を展開した戦略の根は、店建設の為の敷地を決める際、敷地を含めた数倍の土地を購入していたことにあるそうだ。
店オープン後の値上がりをねらっていたわけで、まことに高度経済成長下における有効な戦略だったといえるし、成長が止まればあるいはマイナスに転じればリスクを担わざるを得ない戦略だったともいえる。
結果として彼が残した功罪の功の部分は小売NO1企業をつくったことであり、罪の部分が2兆円の借金をつくったことである。

つゆとおち つゆと消えにし わが身かな
なにはのことは 夢のまた夢
  と、豊臣秀吉も辞世の句で溜息をついている。

ぼくは思うのだが
中内社長ほど振り幅が激しくなくても、ひとの一生は必ずプラスマイナスゼロである。

〇先週の土曜日・日曜日とぼくは手話ボランテイアをしていたのだが、昨日思い出したことがある。
ずうっと昔、盲人女性と一緒に福井市文化会館へ劇を観に行った。つまりエスコートです。
劇中人物の動きを説明するために彼女の耳元でささやいた時、「余計なことを言わなくていいです。わたしは登場人物のセリフや全体のざわめきで、映像を想像し、それを楽しんでいるのです」と、ぼくはたしなめられた。
つまりボランテイアとは、でしゃばりやパフォーマンスであってはならないということをその時、肝に命じたわけです。
それ以来、目立つひとパフォーマンスをするひとというのが苦手になってしまったなあ。


05/09/19 (月) 毛利元就 
昨日の朝は、福井県立青少年センターに居た。20数人のこども達に手話を教えていた。
殆どが高校生で、圧倒的に女子が多い。つぶらな瞳でわたしを見詰めている。
わたしは昨今頻発する性犯罪のことを思った。
彼女たちを性の対象としようとする中年の汚れたおっさんたちが、この国には沢山いる。しかしわからないのだ。おっさんたちがこのような娘たちと会ったとして共通する話題などあるか?わたしなんぞ、若者達の間で今何が流行してるかどんな芸人が人気をはくしているかとんと知らぬ、よって会ったところでコミュニケーションが成立しない・・・というようなことを思いながら、とりあえず2時間半しゃべり続けて青少年センターを後にした。
帰途、本屋に立ち寄り、文庫本を購入。

午後は硬派の気分になって、図書館で借りた古川薫著「毛利一族」を読む。
一代で西国の支配権を確立した元就の子息たちのそれぞれの半生を描いている。毛利という名があわら市職員にあるが、元就の末裔だろうか。ちがうだろう戦国武将的りりしい顔だちではない・・と思いながら小説を読み進めた。

毛利勢への城攻めの最中、秀吉の陣に「本能寺の変」の速報が入り、老練な秀吉は毛利ととりあえずの和睦を結び、光秀打倒の為に西国街道をひた走る。直後に「本能寺の変」の事実を知った毛利一族郎党は「詐欺師・秀吉め、許せぬ。やってまえ」といきどおり秀吉軍を後追いしようとした。これをいさめたのが、小早川隆景だ。
歴史に「もしも」はないけれども、隆景のいさめがなかったならば、この国の歴史は変わっていたかもしれない。


05/09/18 (日) フランク 人麻呂 

深夜ラジオからフランク永井の「大阪ぐらし」が流れている。フランク永井は、日本の歌謡曲史上最も低音の魅力を持っていた歌手だ。
カラオケというものがなかったその昔、ぼくはジュークボックスで「大阪ぐらし」を持ち歌にしたくて何度も何度も練習したのだが、遂にこの低音域を獲得することができず路線変更、結局、森進一の「港町ブルース」を持ち歌にしたという苦い思い出がある。
「大阪ぐらし」の三番「♪・・夕は 夕波 夕波千鳥・・」で万葉和歌を思い出した。
 
 近江の湖 夕波千鳥 なが鳴けば
        こころもしのに いにしえ思ほゆ 
 柿本人麻呂
琵琶湖のほとりにたった人麻呂が、壬申の乱で壊滅した近江朝の往時を偲んで歌ったものだ。秋のひとり旅に近江を選ぼうか、とぼくは思った。

05/09/17 (土) 昨晩はくさわらにいた 
昨晩は寝つかれなかったので、清水義範の本を読んでいた。惹かれて読んでいるうちに読了した。
げに、面白くない本は時間がかかるが面白い本は時間がかからない。
清涼剤を飲んだようなさわやかな気分になったので、自宅裏の竹田川土手まで歩き、腰を下ろした。

深夜のくさわらは、虫くんたち大合唱の舞台だ。「♪あれ すずむしが ないている チンチロ チンチロ チンチロリン」なのだ。
川面に縦貫道路金津大橋を行き来する車のライトのあかりが揺らいで映る。遠くにパチンコ屋のネオンがきらめいている。
手に持ったワンカップをぐいっと飲みこみ、両手足をのばしあおむけに寝転んだ。

満月だ。うーん、中秋の名月なのである。かぐや姫の降臨をしばらく待ったのだが、無論降りてこなかった。
もし降りてきたら、ぼくはびっくりしただろう。
かぐや姫はやっぱり十二単を着ていたのだろうし、長い黒髪と透き通る肌を持っていただろう。していてほしくないとは思うけれどもやっぱりお歯黒をしていただろう。月に水はないので、風呂には入っていないかもしれないが、構わない。
傍らに座った彼女はぼくにどう語っただろうか。

「わたし、地球で生きているあなたのことをずうっと思っていました。会いにやってきました。すごく、素敵なおかた・・好きです」と告白されたらこりゃぼくは悶死する。
しかし、いにしえの日本国の首都は京都なのだから、東京弁ではないだろう。

「うち、地球で生きてはるだんさんをずうっと思ってましたどす。会いにやってきましてん。ごっつうええ男・・・好きどすえ」くらいだったかもしれない。
いやいや、千年前の日本語だ。現代人には理解不可能かもしれないなあ。
〇本日は、第一回福祉まつり。手話通訳として壇上に起つ必要があったので、ずうっと会場にいた。通訳の合間に、野外模擬店コーナーで蕎麦を食べた。次にうどんを食べたところに、おにぎりの差し入れがきた。知人の薦めで大福餅をふたつ食べた。一息おいてカレーライスを食べに行ったら「ワタシのところのも買ってよー」という黄色い声があがって善哉まで買ってしまった。
昼の部の通訳に起った時には、腹がパンパンだった。

05/09/16 (金) もう週末か

日中の出まわりで疲れうとうとしていた昨晩、手話サークル女性会員が来訪。
例文を片手にして一緒に勉強していたところに、男性会員が来訪した。
子供の世話の為に女性会員が先に帰宅。残った男性会員が高校教師なので、雑談の中身は、なんとなく中学校建設問題の方向に行った。

例えば議会議員の場合、市町村議会⇒県議会⇒国会とエリアが広域になるにつれて話す中身が枝葉的具体的から骨格的抽象的へと変化する(知ってるひとがいるわけではないけれども、そう思う)。
公務員職員の場合も同じで、昨晩は新鮮な意見をいろいろ頂きました。

〇唯一無敗の琴欧州・・手足が長くすらっとしていてなかなかの色男だ。往年の名横綱大鵬を細身にした体型の琴欧州は、ひょっとしたら今場所化けるかもしれない。

05/10/15 (土)  昨日の一日 

昨日の午後5時。市庁舎2階会議室で、旧金津地区区長20数名と議員5名の間で情報交換会が開かれた。
「合併後の行政・議会の流れを話してほしい」ということだったので、ぼくが基調報告をした。ひさしぶり、マイク・マキになったのである。骨子は「掲示板」にアップしました。

午後7時半に事務所に戻った。ぞろぞろと8人が集まってきての「わちらの会」の会議開始。5年間途絶えていた活動の開始を確認する記念の日となったのである。
真剣なまなざしでの会議は9時過ぎに終了。ぼくたちは、芦原温泉の某蕎麦屋へと向かった。蕎麦焼酎飲みながらの歓談中、気がついたらとても気になるメールが入っていた。


05/09/14 (水) 昨日の一日 
昨日は議会初日、ということで全議員が庁舎に集まった。
市長による行政報告⇒25件の附託議案説明⇒一般質問が続き、午後5時前に初日が終わった。
そのあと、広報編集委員会が開かれ、6時過ぎに全日程が終了。
やや疲れて帰宅。蒸し暑いので、久しぶりにビールを飲む。
飲みながらTVをつけたら、阪神vs巨人の生中継で、阪神が7対1と圧倒的にリードしている。みるみるうちに11対1、13対1と差が広がっていく。こうなると、もう勝敗に対する興味はなくなり、早々と布団に入った。
明けて新聞スポーツ欄をみたら、結果は阪神vs巨人=16対1だ。
巨人のていたらくは面白いのだが、ここまでくるとぼくは心配だ。たてなおしの為には当然厳しい次期監督が必要だ。
しかし、その為、秘密裏に交渉をすすめた相手・星野にはけられてしまった。やっぱり、星野は反権力のひとだったのだ。

ならば、他の選択肢はあるか?・・・・・ある。
来年で退陣する小泉純一郎だ。野球を知ってるかどうかという細かいことにこだわってはいけない。権力の強さを十分に体感している小泉そのひとこそが巨人監督にふさわしいとぼくは思うのである。

05/09/13 (火) 今はもう秋 誰もいない海  

午前3時半に目が覚めた。寝覚めの珈琲キリマンジャロを啜りながら、電子ライターで独煙草ゲルベゾルテに火をつけ一服した。
風を入れる為に窓を開けると、闇の中から、キリギリス・スイッチョンなどいろんな虫の声が聞こえてくる。物悲しい・・・もうすっかり秋なのだ。
メランコリーだ。梓みちよなのである。

角川の語源辞典によると、商い(アキナイ)の語源は、秋の行い(アキノオコナイ)だとのこと。つまり国民の大多数が農民であった江戸期、稲の刈り入れが終わり出荷してやっと個々の家庭に現金が入り、商行為が発生するというくらいの意味だろう。
昨日の朝、ぼくは某農道でたわわに実った黄金色の稲穂に感謝した。
前にだした両手の平を大地におき、こうべを垂れてつまりイスラム教徒の礼拝のような姿勢で五穀豊穣を願い、日本国の食料自給率の回復を祈念していた。


05/09/12 (月) 夜明けに熱々珈琲を飲みながら  

昨日の午後は大野市文化会館へ。アテネパラリンピックの車椅子長距離部門で金メダル2コ、胴メダル1コを獲得した高田さん(福井市役所勤務)の講演を聴いた。講演終了後、実際に金メダルを手にとってみた。勿論初めての経験だった。
帰路、有名な大清水に寄り冷水を飲む。五臓六腑が新鮮になった。

〇夜は参院選報道をTV観戦。・・・自民党の圧勝である。
昔から、自民党あるいは自民党的なものが嫌いなぼくは不機嫌的寝床のなかで、この国のこれからのカタチをいろいろと考えた。
ニューヨークタイムズ記事に載った「米金融資本が5千億円を選挙資金として自民党へ」が囁かれたり、「次は農協解体だ」と囁かれたり、米の外圧を受けてドライな改革は確実に進行していくだろう。
その大義は1000兆円近いといわれる国債償還にあるのだけれども、そもそもがその原因となったバブルも又その崩壊も時の与党自由民主党が招いたものであり、ぼくら庶民は時の流れに身を任せるしかなかったのである。

今回の選挙で感じたこと
・「寄らば大樹の陰」の格言が国民により強く根付く。・・・くだらない。
・数年間地元で努力してきたひとが、数週間前に印籠もって突然現われたひとにうっちゃられる・・・小選挙区制の意味がわからなくなった。
・わかりやすい断片語が今後主流となる・・・言葉はわかりにくい部分をほどく為にある、という従来の存在意義が薄められるだろう。


05/09/11 (日) しとしと雨の朝

9月11日。衆院選投票日のこの日は世界貿易センターがテロに襲われた日だ。
ちょうど電話をしているさなか、飛行機がビルに激突する画面が臨時ニュースとして目に飛び込んできた。
ブッシュ政権はアル・カーイダ殲滅を宣言し、その流れのなかでイラクに世界の目が注がれている。戦闘者・非戦闘者双方におびただしい血が流され又現在も流されている。

中央公論9月号にコソボ空爆後をルポした本の紹介記事が載っていた。
題名は「終わらぬ民族浄化 セルビア・モンテネグロ」、著者は木村元彦。
「’99年、NATOがユーゴスラビア連邦空爆に踏み切り、それによって紛争は解決したとわれわれは思っている。しかしかの地では今、三千人ものセルビア系民間人が拉致され行方不明となっており、これは一種の民族浄化である。空爆で生命財産を破壊しさっさと引き上げたNATOの罪は重い。さらに現地の人々を襲うのが、NATOが空爆に用いた劣化ウラン弾による被爆の恐怖である。半減期が45億年ともいわれる大量の劣化ウラン弾は土壌を汚染し、地下水にしみこみ、人々の健康を蝕みつつある」とある。
去年だったか、福井市内でふと目にした高教組主催の辺見庸講演会場に「わしも教師です」と嘘ついてまぎれこみ、彼の話を聞いたことがあるが、その際、使用された劣化ウラン弾の断片を実際に目にした。
唯一の被爆国であることが、非核をかかげる日本のモチベーションであるのだが、その定義はもはや正確ではなくなってきているのではないだろうか

05/09/10 (土) 字数省略的写真日記 
早朝。古屋石塚地区を歩いていたら、山麓から朝陽のまばゆい光が放射し始めた。

太陽ではなくてお月さんのことだけれども
    暗きより 暗き道にぞ いりぬべき
           遥かに照らせ 山のはの月
 と詠んだのは和泉式部で 
娘・小式部を突然に失った時の作である。

悲しみに打ちひしがれつつ生きていくのは、闇夜の道を歩いていくようなもの。
月よでてきておくれ、わたしの歩いている道をてらしておくれ。
という程の意味だろう。

〇てらされた道は果たしてどこへ向かう道となるのだろう。
・昨日会った女性は「男は浮気してはならない」を力説していた。
・今朝の朝食時、妻は「自衛隊を軍隊にしなくてはいけない」を力説し、「中学校を統合してはならない」を力説していた。
・金津小運動会から事務所に戻ったら来訪者ふたりあり。客人は「日本を循環型社会にしなければならない」を力説して帰っていった。


05/09/09 (金) 初秋の風景二題 

早朝、細呂木の農道に立った。稲刈りが始まっている。
新米の上に烏賊の塩辛をのせて食べるシアワセを味わうことの出来る時期が近づいているのである。減反政策の結果、我が家は5.6年前に米づくりを止めてしまったが、しかし農業を愛する気持ちは勿論変わらない。


沢の街道沿いにコスモスの群生を見つけた。近くにいたひとに聞いたら「自然にはえたんや」という。
コスモスは秋桜と書く。秋桜といえば山口百恵だ。
当時の三羽烏のうちのひとり・森昌子は離婚し、桜田淳子は壷を売ったりするどうもよくわからない宗教団体のひとと結婚して世間を騒がせたが、山口百恵は市井の片隅でひっそりと平和に暮らしている(と思う)。


05/09/08 (木) 台風一過の青空を見つめながら   

この頁のコンテンツ「予定」を時々クリックするひとから、「予定ありとだけ書いてある項は、秘密にデートしてる時間帯じゃないの?」と言われた。
誤解であり、およそ女性というものに縁のない私がそういう時間帯を持てるはずがない。
もともと議会関係の予定だけを書き込むつもりだったのが、ついでにプライベートな用件をも書き込むことにしただけの話だ。つまり、手帳がわりにしているわけです。

先日の全協で、特別委員会設置(案)が提案された。
①まちづくり調査特別委員会と①環境対策調査特別委員会、のふたつだ。
議員全員がどちらかに配属されることになる。私は今までずうっと環境委にいたので、今度はまちづくり委にいこうかなあと思案しているところだが、いずれにしろ今回の議会で正式に決まることになる。


05/09/07 (水) 昨日の全協  

昨日は、午後1時半から全協(全員協議会)が開かれ、午後5時に終わった。
全協は資料配布・若干の説明等、議会にむけての交通整理みたいなものである。

あわら市総合振興計画-基本構想検討(案)の説明を聴いた。基本構想だからそうなるのかもしれないが、総花的で具体的なイメージが浮かびにくいと思った。少子化対策の項で「H16年度における福井県の出生率は1.46人、旧金津町は1.49人、旧芦原町は1.01人」という担当課からの説明があった。温泉町故の低値なのだろうが、その数値の違いには驚いた。

陳情書・請願書の扱いについての議論があった。自治体に直接・間接に関係してこないもの、例えば外交とか防衛といったものについての審議は無意味なのではないか、という議運(議会運営委員会)からの提案が出た。概ねぼくもそう思うが、反対意見もあった。
しかし、国の政策が自治体に直接からむ場合(例えば遠洋漁業の拠点である清水漁港を持つ清水市が仏のビキニでの核実験に反対する声明を出した)は、当然審議の対象となるだろう。

05/09/06 (火) 無題  

5日午後3時25分ごろ、埼玉県狭山市南入曽(いりそ)の西武新宿線入曽駅のホームで、同市水野、無職景山条一郎さん(71)が、後ろにいた同市内の無職の女(46)に突き飛ばされ、線路に転落した。(読売・抄)

毎日のように妻の入院先病院に見舞に訪れていた老人という被害者は、察するに典型的な善人なのだろうし、本人のあるいは周囲のひとたちの胸中は察するに余りある。
「容疑者は意味不明のことも話している」と言及する記事の書き手は、要するに容疑者が精神障害を持っている可能性を示唆している。
しかし、精神障害とこのような衝動的殺意に果たして比例の関係があるのだろうか。
突如頭がパニックになり、衝動的行為に走ることの潜在的可能性を、現代というストレス社会が万人に植え付けてしまったことに結果し、それを遮断する壁としての「理性」が崩れてきたために、一昔前には考えられなかった、「動機なき殺人」が日々の社会面を賑わしているのだと、ぼくは思う。
何故、そういう社会になってしまったのだろう。
午前中、CADにいそしんでいたところに来訪者。
旧金津(北金津)・明治大正期の資料を持ってきなさった。和紙綴毛筆の資料は、活字ばかりを見慣れてしまったぼくたちには新鮮だ。隠居できる身分ならば隠居して、こういう資料の整理やフィールドワークをすることができたら楽しいだろう、と思った。


05/09/05 (月) 美空ひばりを聴きながら  

昨日のTVは、朝から晩まで総選挙特集だった。朝には与野党党首討論があり、晩には与野党幹事長討論があった。日曜日、ということでじっくりと観ていたが、討論の軸の殆どは郵政民営化法案の是非をめぐってのものだった。おかげさんで、公示前にはよくわからなかった賛否のそれぞれの細かい言い分が、かなりアタマの中に入ったし同時に何故このひとに入れるかの説明もある程度できるようになったと思う。

午後6時、隣区下八日区大鳥神社境内で「夕笛会」が開かれた。生憎の雨だったけれども、それなりにひとが集まった。縁台に腰掛け、蕎麦に舌鼓をうちながらの談笑のなか、横笛や三味線の音色が境内に響き渡る。
芸事というのは、なにも公民館などの施設だけでやるものではない。神社境内とか寺院御堂などを使えばよりファンタジックな雰囲気になる。
〇寝違いで首を痛めてしまった。前方を見るのに差し支えはないのだが、左右に首を振ろうとするとズキンが首の廻りを走る。視野が制限されるし、動きのペースがダウンした。元々陰気な私はますます陰気になってきた。このところ飲む酒は、涙とためいきばかりとなってしまった。
「毎晩、ソファーや簡易ベッドで寝てばかりだから、寝違いになるのよ」と、妻は言う。
今晩から、普通の布団で寝ようと思っている。


05/09/03 (土) 久しぶりの片町  

昨晩は久しぶりに福井市片町のパブにいた。偶に顔を出す某親睦例会が開かれた為である。どちらかというと社会の中堅あるいは上層部で活躍しているひとたちが多く、各々立ちあがっての近況報告も、派遣された海外諸国でのエピソードが多かった。
臨席の同年配はスウエーデンに住んで18年。企業の代表をしているという。

わたしのような土着派おっさんは数人だけだったし、わたしの報告も異色の部類だったに違いない。ま、テーブルに生ビールと適当なつまみがあれば、集まりがどんな種類のものであれ、いい気分になってしまうという抜けられない癖がわたしにはある。

散会後、JR福井駅に向かう途中若いろう者集団とすれ違った。知っている顔はひとつもない。社会はどんどん世代交代しているのだろうと思った。


05/09/02 (金) もう週末か 


早朝、前谷地区で撮った感じのいい風景。

05/09/01 (木) 昨日の一日 

午前中は、CAD三昧。
昼飯を食べてから、友人見舞の為に武生へ向かった。
この町には、かってぼくのことを憎からず想っている女性がいた。
ふたりで一緒に村国山を歩いたこともある。
今でもそうだけれども、おくてで口下手ではにかみやのぼくは、何をしゃべっていいかわからず手をつなぐこともできず、恋は淡雪のように消えてしまった。

見舞に行った友人は脳内出血で倒れ、左半身が不随だ。健康に留意し禁煙していた彼を、煙草一日3箱フカフカ人間のぼくが見舞うというのも変な構図だと思った。
帰路、金津庁舎に寄り、打ち合わせ。
事務所に戻り、書類を整理したら、もう7時だ。自宅に戻り妻と共に晩酌をし,一日のできごとを報告した。
報告が終わり、TVのスイッチをつけた。中日vs阪神で中日がリードしている。不機嫌になり布団に入った。添寝本は、養老猛司著「続・涼しい脳味噌」だった。
目が覚めたら、午前1時半だ。
ラジオで、旗照男が「マイウエイ」を唄っている。
そうなんだ。人生は一度きりなのだ。自然体で生きていくしかしょうがねえぜ、と思った。