2005年10月

05/10/30 (日) 大野の朝市

昨日の土曜日、ぼくは隣区・「大鳥神社商店会」のひとたちと一緒に大野市へ行った。
七間通り朝市⇒平成大野屋⇒某酒造を見学した。8年前程前、ぼくが福井県PTA連合会の副会長をしていた頃いつも行動を共にしていたひとが金物屋店主Yさんで、平成大野屋の初代社長だったこともあり、彼にガイド役を頼んだ。

静かな佇まいでいかにも小京都と呼ばれる風情を持つ大野だ。名所旧跡は随所にある。しかし、観光客は冬場にはばったり途絶えるとのこと。
加えて老齢化率が28%と高く、商店街は少しずつは歯抜けになっている云々の説明をぼくたちは受けた。

「街の活性化に教科書はない。試行錯誤は続くだろう。だけど大切なのは、そこに住み続けること・みんなが汗を出し合うこと・そして継続すること」を力説するYさんの饒舌は見学のさなか続いた。

Yさんの我々との別れ際の言葉は
みなさん。優しさを無骨さで覆い隠している。・・これが変人牧田さんのダンデイズムなのです」だった。
ちょっと嬉しくなったよ。

05/10/29 (土) 全国介護保険広域化推進会議

昨日は午前9時半から午後4時迄三国町福祉センターにいた(昔は毎週通っていた建物だ)。
そこで「全国介護保険広域化推進会議」が開かれた為である。
午前中は厚生労働省審議官による基調講演と樋口恵子による特別講演。
午後はパネルデイスカッション。
なんせ長丁場だったので、内容は「報告」に書き込みたいと想います。

帰路に空腹を感じたので、ひとり蕎麦屋に入った。
中庭に南天が見える。赤い実の鮮やかさに見とれるうち、昔行った飛騨高山を思い出した。

〇建築設計仲間数人で高山に行ったことがある。江戸期建立の旧家に入り、そばに南天の植えられている手水鉢の傍らにたったときに、某所長の講義が始まった。
便所の手水鉢のところに南天の木が植えられてる本当の理由を知ってますか?。不浄の難を転じるから南天植えるというのは俗説・語路合せ。本当は違います。
格式ある家の夫婦の性生活に関する奥様からのシグナルなのです。奥様が生理になったとしますね。上流社会の場合、殿方の求めに「今宵は駄目です」と直接言葉に出すのは下品なのです。
・・・そのようなとき、南天の赤い実を手水鉢にいれておくのです。殿方はそれを見て今宵はできないことを理解する。赤い実が沢山のときは勿論生理まっさいちゅうということなのです。」
眉唾みたいな気もするが大変面白かった。


05/10/28 (金) もう週末か

昨夕、向ヶ丘のひとから「例の産廃処理場からの異臭が漂う」という電話があったので担当課に連絡。
現場に直行した三人の職員が帰りしな事務所に来訪した。
「約束した施設撤去完了期限が近づいており、残存処理物を載せたトラックが日に10数回現場を往復している」ということだった。
10月いっぱいが撤去完了期限ということになっているので、これは致し方ない事情だと思う。

「産廃処理施設」とはいえ、例えばゴミ焼却などとは違い、有機肥料をつくるのが当該施設だったのであり本来ならば循環型社会の一翼を担うものである、ということを考えると少々複雑な思いになる。
臭いを遮断する為の経費を行政が補助できなかったものかどうか。
「産廃処理」として認可されているので補助は無理というのが、行政側の回答だったのだけれど・・・・。
〇新郷小学校校庭に植えられている枝振りの見事な松は「陰徳の松」と呼ばれている。
昨日の午前中、真言宗僧侶の法話で「陰徳」の意味の説明があった。

みられているところでいいことをするひとは単なるえらい子、誰にもみられていないところでいいことをするひとを仏の子と呼びその行為が即ち「陰徳」なのだそうだ。
これはつまり、目立つひとよりも地味なひとが信用できるということではないか。

05/10/27 (木) 煙草の煙を見詰めながら 

二日間事務所を留守にしていた為か、昨日は幾つかの電話・FAXが入ってきた。難事多くそれに自らを重ねているうち心が下向き加減になりつつ外出。出先で「顔が暗いよ」と言われた。
気分というのはどうしても顔に出るみたいだ。
あかんいかんいけん、さわやかにならにゃあかんぞなもしと自己叱咤をする時、いつも想い出すのが次の詩で、いわば座右の銘であります。

自分の感受性くらい

ぼさぼさに乾いていく心を
ひとのせいには するな
みずから 水やりを怠っておいて

気難かしくなってきたのを
友人のせいに するな
しなやかさを失ったのは どちらなのか

苛立つのを
近親のせいには するな
なにもかも下手だったのは わたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいには するな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいに するな
わずかに光る 尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

       茨木のり子

05/10/26 (水) 東京永田町での二日間  

教育厚生常任委員会の視察研修が終わった。
第一日目(24日)は、午後一番で内閣府・「民間資金等活用事業推進室」に行き、PFIをテーマとしての受講。ぶ厚い資料を頂いたが、うーんこれを読んでいくのはかなりエネルギーが要ると思った。

受講終了後に首相官邸へ行って、山崎正昭内閣官房副長官の部屋を表敬訪問。
同じ敷地内に、首相公邸がある。50m程引舞した建物だが、その引舞工事に関係した技術者からその時の苦労を聞いたことがあるのを思い出した。

夜は山崎氏を囲んでの会食。ああいう偉い人というのはとにかく忙しいみたいで、早々に次のアポイント場所へと姿を消していった。入れ替わるようにして財務省勤めの義弟が来た。国の施策に耳を傾ける我々教育厚生常任委のメンバーは勉強好きなのです。

開けて第二日(25日)は、参議院議員会館へ。山谷えり子参議院議員から一時間弱の話を聞いたあと、彼女のはからいで、外交特別委員会を拝聴。
外務大臣・官房長官・防衛庁長官あるいはTVでおなじみの顔が目の前にあるというのは、ミーハー的に刺激があった。

その後は、設立された「女性塾」シンポジウム及び立食パーテイに出席。
次の総理かも、と噂される安倍晋三自民党幹事長代理がパネラーとして居た。
現総理と比較して、多様性を認めるふうなものを感じさせるしゃべりだった。
この会は保守系のものだったが、もとよりひとりひとりのひとは保守とか革新とかのレッテルにくくられる存在であるはずがないし、壇上にたつひとたちの滑らかな語り口に対して「なるほど」と「そうかな」の思いが聞き手であるぼくの胸のうちに交錯していた。

午後3時半東京駅発の新幹線で帰省。
考えてみると、我々教育厚生常任委のメンバーは、この二日間、国家権力の中枢ゾーンをうろついていたわけで、得がたい経験だったと思います。

〇PFIでの質疑概要が東京からメール添付で入ってきた。
内容を思い出しながら、キーボードで書き込もうかと思っていた矢先のこと。
大変楽になり有難い。よろしければ質疑概要御参照を。


05/10/24 (月) 静かな朝   

古いパソコンというのは機能が少なく速度も遅く、使い勝手がよくない。
ということで、昨晩はインターネットによるフリーソフトダウンロードなどを通じて、パソコン内部のスリム化に挑戦していた。多少は便利になったかもしれない。
途中、日本シリーズを観るために自宅へ戻ってTVスイッチをオン。
我が愛するタイガースは、今宵も圧倒的に負けている。
まるで数年前までのタイガースではないか弱いタイガースが戻ってきたのだしかしペナント奪取だけで十分じゃないか何も勝組に入るだけが人生ではないだろう負けてこそ得るものがあるはずだと思いつつ、TVのスイッチをオフ。

気になることがあって、なかなか寝つかれない。柱時計が午前零時を打つ頃やっと眠りについた。

今朝は6時に起床。熱々珈琲を飲みながら机の周りの整理をしている。
今から、一泊二日での教育厚生常任委員会視察研修ということで、霞ヶ関にでかけます。研修内容は「官僚によるPFI学習及び代議士による講習」です。
明日の夜、研修内容を書き込みたいと思っています。


05/10/23 (日) 雨降りの日曜日 

雨降りの日曜日だ。
ぼくは過去の「議員日記ファイル」をところどころ読みながら整理していた。
ああ、あの頃にはあんなことあったのかと、回顧していた訳です。
字体を大きくしたり色づけしたりして、多少読みやすくなったかな?と思うので、よろしかったら読んでください。


05/10/22 (土) 写真日記  

写真は伊井地区のコスモス畑⇒果てしなく広がる



〇何でこんなに心配事の多い日々を送っているんだろう、ひととして生まれた宿命なのかもしれないなあと思いつつ気がついたら今宵はタイガースvsロッテ第1戦だ。
忙中閑ありだ。熱燗と漬物でTVを観ていようと思う。

某氏よりの指摘


05/10/21 (金) もう週末か  

「宇宙で交配して生まれた「宇宙メダカ」の子孫が、十六日、県内で初めて福井市の某幼稚園に贈られた」という記事を10/20付福井新聞で読んで、6年程前を思い出した。
当時名古屋に住んでいた妹からの「向井千秋さんがスペースシャトルでふ化させたメダカの子孫要らないか?」という電話を受けたぼくは、小さい水槽を積んだ車を名古屋まで走らせた。
しばらくの間自宅水槽で飼っていたのだが、はやくに何匹かが亡くなり、残りを某小学校へ持っていった。つまり贈ったのである。

ということで
①宇宙メダカは意外と生命力が弱いのではないか。
①県内初、といってもそれは福井新聞社がそう思っただけのことだ。
の2点が記事に対する印象として残った。

〇今朝、ぼくは「悪魔のマーブ」くんと一緒に清滝のダム湖を見にいった。
茂みでがさがさと音がする。
「熊か!」と身構えたら、イノシシ親子(Σ7頭)が突然とびだしてきた。
逃げるイノシシ親子を追いかけながら、シャッターを切った。
かろうじて一頭だけが写っているのだが、わかりますか?


05/10/20 (木) 視察研修及び自己改造  

一泊二日の一部事務組合・介護保険広域連合視察研修が終わった。
一日目は新潟県見附市が主催する健康運動教室の成果報告の拝聴。
世にこの種のものは沢山ある。ここの特徴は、体・脳双方に関する健康運動の過程を産官学連携で筑波大学に設立された研究機関とインターネットで結び、逐次回復状況を診断してもらうというものだった。
スタートして5年を経過した介護保険制度が見直され、予防介護が焦点のひとつになっている。全国の連合体それぞれの地域に筋肉トレーニングのできる場所をつくるのがこれからの方向になっていくと林田連合長が言っていた。
問題は投資に見合うだけの参加数が確保できるかどうかだろう。

二日目は新潟県健康づくりセンターに行った。
指導者を教える為の施設ということで、最先端のトレーニングマシーン・測定機がところ狭しと並んでいる。年間維持経費が¥2億数千万で、受講料などでは勿論ペイしない。加えてマシーン設備のどれもがとても高価に思える。「もっと節約しなければならないが研究施設としての側面があるので、費用対効果は長期的なものとして考えたい」という説明があった。
センターの横がサッカー競技場・「新潟アルビレックス」のホームとなっているので、ぼくたちは芝生に降りてみた。4万数千人収容可能という巨大なスタジアムだった。

どうでもいいことだけど、サッカーの起源は頭蓋骨ころがし遊びだと、聞いたことがある。戦争で切り取った敵の生首を乾燥保存したものが即ちボールだったのだ。思い出した瞬間、この巨大なスタジアムは古代ローマ帝国のそれへとタイムスリップした。暴君ネロが特等席から見下ろすフィールドで、そこに立ち並ぶ議員メンバー十数人を飢えたライオンが襲いかかってくる、という構図だ。
先ず食べられるのはぼくではあるまい、肉の柔らかそうな春江の某町議だろうと思い直し、少しは落ち着いた。

〇科学的な側面から機器を使って健康を維持するあるいは回復することも意味のあることだろうが、それ以前に、日常生活のなかで体や脳を動かす生活習慣を身に付けることが本当は大切なのではないだろうか。

腹八分目で粗食に甘んじ、酒や煙草は控えめにする。美しい景色には素直に感動し、楽しい時は勿論笑い、悲しくても笑い、絶対に嫌いなひととたまたま会っても笑顔を絶やさずしかし心の中では弔辞を読む。
「顔がいつも暗い。笑顔がなさすぎる」とひとから言われるぼくが、これから目指さなければならない方向性だと思っている!のだ聖子。

注 最後の1行の駄洒落は某HPに「悪魔のマーブ」くんが載せたものを拝借。
本人の了解を得てUPしました。


05/10/18 (火) 視察研修  

一部事務組合・介護保険連合の視察研修ということで、新潟へ行ってきます。


05/10/17 (月) 月曜日の朝  

一週間が始まった。

きょうは、とっても忙しい一日だった。午前中は旧芦原町で打合せ。
終えて事務所に戻ると、留守テルに複数の依頼用件が入っている。
仕方なく昼メシ抜きで仕事に精だし終えたあと、午後1時半に市庁舎へ。
教育厚生常任委員会「中学校建設問題について」が開かれたのである。
午後1時50分、以前から決まっていた所用があったので、金津小へ。
瞳きらめくこどもたち相手にとりとめないことしゃべったあと、再び委員会に戻った。委員会の内容は「報告」にアップします。
午後4時前に委員会は終了。
終了後、控室にて有志議員で雑談したあと、帰宅。


05/10/16 (日) 灯芯 

昨日の昼、加賀で一人芝居「人情・高瀬舟」を観た。芝居を観るのは5年ぶりくらいだった。森鴎外の原作は読んでなかった。

舞台は江戸中期。病気の弟自殺幇助の罪で遠島送りとなった主人公が護送される船中で、護送同心に向かって胸の内を語るというもの。

灯芯という言葉がでてきた。周囲を照らす為には灯りがいる。灯りがついている間、灯芯は骨身を削りやせ細っていく。弟にとっての兄は灯芯そのものだった。
というふうに、聞き手である同心は兄をみたのだが、現代のような乾いた社会になっても、その種の人情は日々の生活のあちこちにへばりついているのだ、とぼくは思う。
〇本日の午前10時から午後2時まで、ぼくはトリムパークにいた。

あわら市身体障害者連合会スポーツ大会が開かれ、手話通訳を頼まれたためである。
午前中の競技は「フライイング・デイスク(写真右)、午後の競技は「グラウンド・ゴルフ(写真左)だった。どちらも初めて見る競技だった。



05/10/15 (土)  昨日の一日 

昨日の午後5時。市庁舎2階会議室で、旧金津地区区長20数名と議員5名の間で情報交換会が開かれた。
「合併後の行政・議会の流れを話してほしい」ということだったので、ぼくが基調報告をした。ひさしぶり、マイク・マキになったのである。骨子は「掲示板」にアップしました。

午後7時半に事務所に戻った。ぞろぞろと8人が集まってきての「わちらの会」の会議開始。5年間途絶えていた活動の開始を確認する記念の日となったのである。
真剣なまなざしでの会議は9時過ぎに終了。ぼくたちは、芦原温泉の某蕎麦屋へと向かった。蕎麦焼酎飲みながらの歓談中、気がついたらとても気になるメールが入っていた。

05/10/14 (金) 昨日は 森のなか

ぼくが読んだ唯一の長編小説はショーロホフの「静かなドン」(佐々木基一訳)だ。ロシア革命が時代背景となっている。
革命派と反革命派の抗争に翻弄される農民が主人公で、抗争の過程で妻子を失った彼はドン川のほとりにたたずみ、「わしにはポルシェビキもメンシェビキもない。この川のほとりで家族が力を合わせて日々畑を耕していくことができれば、それで十分幸せだったのだ・・」とラストシーンでつぶやいている。

ぼくたちは特定の時代・社会・政治状況下で生きていくことを余儀なくされているけれども、それを大状況と呼ぶならば、家族とか友人といった顔突き合わす日々の関係つまり小状況こそがで大切なものだ。大状況は相対化されるけれども、小状況は時代を超えて普遍的なものだと、思っていた。
けれども昨今の家族意識が変わってきているのも又事実である。家族ってなんだろう・・・と思う。


05/10/13 (木) ラ・ノヴィア

常任委員会配属の関係で、わたしはあわら市社協の理事の末席に名を連ねている。昨晩は理事を辞任された某氏のご苦労さん会に出席した。福祉分野にはかって知ったる人多く、一献傾けながらの話の内容も多岐にわたった。

宴席ひけた後、誘われてカラオケボックスに三人で行った。無趣味のわたしにとってカラオケボックスはおよそ5年ぶりだ。
何かを唄わねばということで、わたしはペギー葉山の「ラ・ノヴィア」を唄った。
「・・その目に輝く一筋の涙を わたしは知っている アベマリア
   祭壇の前にたち 偽りの愛を誓い・・・」
今誓っているあなたとの愛は嘘なの わたしにはホントは他に好きなひとがいるの、という「結婚披露宴タブー曲集」のうちのひとつだけれども、なかなかに含蓄のある歌だ。生きることのある意味でのやるせなさが照らし出される歌だ。
騒がしい歌の苦手なわたしは、心をこめて、静かにこの歌を唄った。

帰宅し茶漬けを食べてから布団に入り、今朝は6時に起床。
山麓からの朝陽がまぶしい。秋晴れの一日になりそうである。


05/10/12 (水) 無題

昭和35年のきょう、衆議院議員で当時の日本社会党委員長・浅沼稲次郎が 、党首立会演説会で演説中、右翼の少年に刺されて亡くなった。右翼少年はその後、拘留中に自殺している。

ラジオから何度も何度も流れてきた刺殺の瞬間の怒声やざわめきは、今でもはっきりと耳に残っている。当時小学校5年生だったわたしにとって、安保もテロも何のことやらさっぱりわからなかったけれども、恐ろしい世の中になってきたんやというおぞましい気分だけは確かに残った。

「沼さん」の愛称で親しまれていた浅沼がもし存命であったら、こんにちほどの社会党の凋落はなかったという声を聞くことがある。
そうであったのかもしれないしそうでなかったのかもしれないが、事実として55年体制は既に崩壊し、雨後の筍のような少数政党の乱立・連合・離反・連合の繰り返しが続き、その先にみえていたはずの二大政党制も今回の民主党惨敗で遠のいた。巨大与党の出現で「なんでも数や」の世界になった感がある。

うーん・・、しかしふけばとぶよな地方議会議員でも、ものごとの考え方にはやっぱり差がある。
あわら市議会には会派がないのだが、この際会派をつくって勉強にいそしむべきではないだろうか、とわたしは思うのである。


05/10/11 (火) 連休あけ

パキスタンで起こった大地震による死者数が、確認されただけでも既に2万人を超えており、パキスタン史上最悪の被害だという。
現地の惨状は想像を絶するにちがいない。

地震がそうであるかどうかはおくとして
・世界的な規模で異変が続く背景に、地球環境の変化があるとよくいわれる。
豊かな生活実現ということで先進国の独占的エネルギー大量消費がもたらした変化なのだが、我々は豊かになったのだろうか。
物心両面にわたって、本当は貧しくなってきているような気がする。
・昨晩読んだ雑誌で、麻生太郎が憲法改正のことに触れて、「自衛隊の定義だけが焦点ではなくて、環境権を憲法に明記しなければならない」と言っていた。
・10年程前、宇宙飛行を経験した人達のその後の人生を追跡した本を読んだことがある。多くは、宗教者になっているそうだ。
宇宙から見た地球に神々しさを感じたからなのか、あるいは見てはいけないなにかを見てしまったからなのか、いずれにしても地球はやっぱり母なる地球なのである。
〇郵政民営化関連法案衆院で可決。
野田聖子が賛成に転じたその紆余曲折が皆目わからない。岐阜での彼女の応援者に対して説明のしようがないではないか。自らの政治的手腕を発揮するため権力の座に近づこうとするのはスポットを浴びる人間のサガなのかもしれないが、その過程で舌の根も乾かないうちに態度を180度変えてしまうのであれば、明らかにあるひとたちを裏切ってしまうことになる。

05/10/10 (月) たそがれどき

昨日の夕方は、竹田川河畔に座って缶コーヒーを飲んでいた。横で少年がひとり魚釣りをしている。
わたしはしばらくの間、西の空の墨汁が滲んだような雲のかたちに見とれていた。


犬の親子が散歩しているような、肉食恐竜が草食恐竜を捕まえようとしているような、ポルノで追っかけごっこをしているような不思議な世界にひきこまれてしまった。
うーん、空はでっかいでっかいキャンバスだ。
太陽や月や雲や星や雷やがその日その日、自在に描かれる。
死んでいった友人たちも、時折顔をだす。

わたしもいつかは天に昇る。(品行方正なので地獄へは行かない)。
1周忌、3周忌、7回忌、33回忌を経てわたしは祖先としての顔かたちをなくす。50年を過ぎた時点で祖霊となるつまりと化す。
そう・・・人生はつまるところである。プラスマイナスゼロなのである。
ならば、肩肘はらずに生きていくのが一番いい。権謀術数さらりと捨てて自然体で生きていくのが一番いい。


05/10/09 (日) 昨晩は「まきぽん会」だった

華麗な文体で一世を風靡し、市ヶ谷の自衛隊駐屯基地で40歳代で自決した小説家・故三島由紀夫の代表作のひとつに「宴のあと」がある。

本日のわたしの事務所はまさに「宴のあと」だ。
勿論ここは鹿鳴館ではなくプレファブの二階である。明治ではなく平成である。


料理は山海の珍味ではなくてスルメイカ・クラッカー・カキモチ等の乾きもの主体であり、飲み物はロマネコンテイでもナポレオンでも越の寒梅でもなく、名もない安酒のオンパレードであったが(?まてよ・・黒龍の差し入れをしなさったひともいる)、もちろん貴族的顔立皆無貴婦人的顔立皆無という構図だったが、しかし昨夜はたしかに「宴」だった。庶民による「宴」だったのである。数年振りという客人も交えて、「ありうべきあわら市のこれからの像」を軸に話はおおいに盛り上がった。

さて、「宴」は「祭り」みたいなもんだ。
わたしは、昔観た織田某主演の「祭りの準備」というATG系映画を思い出していた。
人生は苦の連続だし、あるいは退屈な日々の積み重ねだ。だけれどもわたしたちは必ず自分の胸の内に「祭りの日」を持っている。わたしたちの日常はいわばその日のための収斂の日々なのだ、というのがあの映画のメッセージだったと、わたしは思っている。


05/10/08 (土) もう週末か

10月に入り、「決算審査特別委員会」が始まった。10月から11月にかけて何回か開かれるこの委員会は、決算数値の全体を俯瞰するので勉強になり、ぼくも委員会に入ることを希望したのだけれども、希望者多く身をひいた。過去三回経験していた為でいわゆる「後進に道を譲る」というやつだ。
ところで、この委員会が審査結果を「認定」と報告したとしても「認定せず」と報告したとしても、既に決算済のことなので法的な拘束力はない。せいぜい次年度あるいは次次年度に意見が反映される可能性を持つ、ということである。
転じて「予算審査特別委員会」をつくるならば、この限りではない。
先日、議員どおしでこの話になった。むつかしい面もあるみたいだけれども、検討すべきではないか、とぼくは思った。


  05/10/07 (金) 微熱をおしながら

事務所を冷房し半袖でCADに向かい合っていた昨夕、知人来訪。
「こんなに涼しいのに・・」と言う。
そういえば体がほてっている。微熱が続き、咳がとまらない。数日前ずぶぬれになり、風邪をひいているのかもしれない。
夕食後早々に布団に入った。
夢うつつの状態が続いたがいつのまにか眠り、目が覚めたら午前3時だ。
星空だ。スターダストである。
〇本日の午前中は商工会館。「合併あわら市商工会の概要」「小規模事業経営支援事業補助金要望資料」「あわら市商工会・素案」等についての説明を受けた。
質疑活発。ぼくも思うところがいろいろとあった。
資料をこのHPに載せようと思ったのだけれども、スキャナーからの画像焼付では無理である。時間がかかるし、きれいではない。載せる方法を考えなくてはいけない、と思った。
午後に帰宅。一休みしていたところに、昔のクライアントより電話が入った。
「玄関のドアが閉まらなくなった」という。早速かけつけ、脚立・ペンチ・ドライバー・金槌を総動員して事無きを得た。
午後5時半、事務所に戻る。
ブルーマウンテイン熱々珈琲を飲みながら、窓外の暮れなずむ景色を楽しんでいる。

  05/10/06 (木) 指定文化財

昨日の朝は健康長寿祭に出席し、午後は広報編集会議に出席した。
午後1時半に始まった編集会議は5時に終了。疲れた。
夜は、打ち上げのご苦労さん会。

白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の
          酒は静かに 飲むべかりけり
  牧水
ということで、ぼくは静かに飲み、「そっとお休み」を静かに唄った。

今回の「議会だより」は、今月の中旬にみなさんのお宅に配られることになると思います。
ところで、このたよりの最終頁に、「ふるさと探訪」という、某議員が畝畦寺のご開帳のことを書いた項目があり、その文中、あわら市には57ヶ所の指定文化財(除畝畦寺)があるとあります。
内訳は、国指定=1、県指定=7、市指定=49です。沢山あります。
物見遊山で遠くまででかけなくても、これらをみて歩くだけで十分楽しいのではないかと、思います

  05/10/05 (水) きょうは広報編集委員会

本日、明日と「健康長寿祭」が開かれる。永らく親しまれてきた「敬老会」というネーミングが「健康長寿祭」に変更された背景には、少子高齢社会のこれからの動向に対する不安払拭あるいは不安隠蔽があると思われる。 

ということで、先日庁舎で受けた説明を思い出した。
来年誕生するさかい市が合併協で決めた健康保険及び介護保険の扱いと、あわら市の今後数年間のシュミレーションとの比較だ。今度の運営協議会で論議されることになるので詳述を省くけれども、高齢社会が保険制度を圧迫し続けていくことに間違いはない。
国会答弁で小泉首相は医師の診療費引下げを暗示していたし、あるいは知り合いの医師がターミナル医療の問題点を指摘していた。

伝統的な家族意識が薄れたことによるつけがまわってきているといえる。だけどいわゆる家父長的な制度がよかったかというと、そうでもないはずだ。伝統は守るものでありながらなおかつ改変すべきものでもある。
問題は、医療技術も含めた高度な科学技術を短期間に取得したこの国がそのスピード故に我々衆生の民に過度の幻想をふりまいたことにあるのではないか。
本来保守的なものであるはずの社会意識に急激な楔が打ちこまれたことが問題解決を困難にする遠因になっているように少なくともぼくには思われる。
〇ススキにみとれるというのが、秋のいわゆる楽しみのひとつなのだけれども、今年は何故か多くのモンキチョウがススキ野を舞っている。


  05/10/04 (火) 昨晩

昨晩は客人3人が事務所来訪。メインテーマは、
①ひとりがたり公演の招聘②ラグビーの試合場確保
についてだった。
午後10時に帰宅し、入浴。シャワーで足の指先から頭髪までを丹念に洗い歯を磨く。さっぱりした気分で軽い食事をしたあと、布団に入った。

硬派雑誌「戦争責任60年目の決着」特集号を添寝本にして眠りについたのだが、夜中に違和を覚え目が覚めた。嘔吐感あり。
平均寿命まで生きたいとは思わないが、この歳ではまだはやい、健康に留意しなければ、と思った。
〇雨の日の「鹿島の森」はカニの行列だらけだ。びっくりした。
〇吉崎古道切通しを久しぶりに通った。近くでなにやらが建設されている。
 道が荒れていくのではないか。心配だ。

  05/10/02 (日) 昨日の一日  

午前8時にJR芦原温泉駅駅前へ。共同募金の呼びかけだ。
9時過ぎに帰宅。
10月に入ったので気分一新の為にこの表紙及びコンテンツを模様替えした。
意外と手間がかかり四苦八苦していたところに友人来訪。ちょっとした公演をてがけないかという話になった。
つまり演者を決め折衝し会場を設定しチケットをつくりあるいは売り、というようなことをするわけだ。議員になる前は、友人達と共にそういうことをちょくちょくやっては楽しんでいた。
演題その他が決まったら、「報告」に載せたいと思っています。

午後6時過ぎに、三国町某民宿へ。某地区婦人会集まりの場で挨拶をした。ちょっとだけジョークを交えた。
帰宅し晩酌して就寝。
〇玄関に置いてあったタウン誌をなにげなくめくったら、第1頁「人物紹介」の欄をタッチャンが飾っている。写真がちょっと違うような気がしたが、サッカーに注ぐ情熱と愛情はたいしたもんだ。
これからも健全な少年少女を育てていっていただきたい。
〇本日のあわら市民体育祭。午前の部の終了間際から雨が本降りになってしまった。午前の部最後から2番目の競技出場の為にグラウンドにいたぼくもぬれねずみになってしまった。
もとより降水確率の高いことはわかっていたはずなのに、ということでの不満の声がテントの中では少なからずあった。


  05/10/01 (土) 忙しくなりそうな週末  

昨晩は、ふたりの来訪客人と中学校建設問題を論議した。疲れてぐっすりと寝こみ、目が覚めたら外はもう明るくなっている。玄関の戸を開け、秋の風を思いっきり吸い込んだ。秋は空が大きくみえる。

大空の 斬首ののちの 静もりか
          没ちし日輪が のこすむらさき

    
    この雄大な歌をつくった春日井健は既に故人となっている。