2005年11月

05/11/30 (水) きょうで11月も終わり 


昨日の昼
わたしは、耐震強度偽装問題に関する衆院国土交通委員会・参考人質疑をTVで途中まで観ていた。それなりに業界の実情を知っている建築設計屋30数年のわたしは、応答者の声音や表情から本音部分を把握できたと思うが、主役不在によるもどかしさも感じた。
軸足が責任の転化にあるそれぞれの出席者の答弁は被害者住民に諦念を印象づけたにとどまる。技術者の良心という言葉が質疑応答者双方に飛び交うのを聞くうちに30数年前を思い出した。

丸紅・ロッキード問題で国会召喚を受けた全日空代表・日本航空代表双方の答弁態度である。
質問者に答える若狭・全日空専務の態度はあたりを睥睨するものであり、平然としていた乃至は平然を装っていた。
大庭・日本航空社長の態度はとつ弁であり首を傾げ懸命に思い出そうとする姿勢が散見された。
若狭は事務屋あがりであって、いわばしゃべり攻防のプロである。
大庭は技術屋あがりであり、いわば手仕事のプロでしかない。

わたしもそうだけれど、技術屋は基本的に無口である。黙々と手を動かすのが日常だ。どちらかというと、大庭に好感を感じた。

しかし、個人的な気質と、会社を代表する立場では要請される姿勢が違う。
非を非として認めてしまうと、社員を路頭に迷わすリスクがあるのが現実だ。
国がCPUとなる官僚主義社会主義国家と、私企業がCPUとなる資本主義国家との違いは、良くも悪しくもここにある。
TV傍聴した国民の印象はともかくとして、全日空の社員は若狭の答弁態度に頼もしさを感じたのではないだろうか。


〇昨日の早朝、このHPを読まれた人から電話が入り、某福井市議を紹介された。
うーん、あわら市民以外に読んでくださる人がいるのだ。これまでと同様、これからも硬派でいこうと、わたしは思った。

05/11/29 (火) 来訪者の重なった昨日

昨日の昼、建築確認申請書内容説明の為に福井市役所建築指導課に行った。
「例の事件で我々は大変なんですよお。課長からは、再度の厳重チェック命令が出ましてねえ」と担当課は溜息をつく。
「構造計算書ソフトが認定書付のものであったとしてもですねえ、出力された書類の前半(入力荷重リスト)と、後半(計算結果出力リスト)を意図的に差し替えられていりゃ、そりゃあチェックがむつかしいですわ」と更に言う。
しばらく考えたわたしは
「それじゃあやね。貴方達建築指導課が、建築設計事務所に対して計算書のフロッピーデイスク提出を義務付ければいいじゃないか。入力されている荷重数値を確認した上で再度ソフトを走らせればいい。結果出力を画面上で見れば偽造かどうか確認できるがね」と言った。

「いやあ、ここにはそういうソフトを置いてないんですよ。それにですねえ。仕事はやっぱり信頼関係で成り立ちます。牧田さんのように誠実なひとばかりだといいんですけど・・」という答が返ってきた。
人格誠実だけがとりえと言われているわたしは、その部分に対しては反論できなかったけれども、帰りの車のなかでつぎのようなことを思った。

(誰も読んではいないとは思うが)
もしも、この日記を読んでいる福井市議あるいは県議がいたならば、次回の定例議会一般質問にこの問題をとりあげていただきたい。


05/11/28 (月) 昨日の日曜日

雷鳴で目が覚めた昨日の午前中はCAD三昧。
昼前、福井市内のパソコン周辺機器ショップに出かけた。
目当ての内臓ハードデイスクが思いの外高価だったので、購入を諦め、しかしMO(630メガ)を二枚購入して帰宅。一昨晩、某繊維会社社長にインストールしてもらったメモリークリーナーをにらみながら不要ソフトを削り続けた結果、HP操作ソフトがやっとスムーズに動き始めた。

安堵し、寝転びながら短編小説を読んでいた3時過ぎ、ケンくんから電話があり事務所に姿を現した。彼は携帯動画でわたしを撮り、インデックスにUPしてくれた。わたしが肌荒れしてみえるのは携帯の画素数が小さいことによる。わたしの顔がやや黒くみえるのは機器の集光能力不足による。近い将来、デジタルビデオで撮る態勢が整ったならば、肌きめこまかく色しろくみえるようになるはずである。
〇ところがだね・・・、昨晩から今朝までの間に「容貌で気分が悪くなった」というメールが都合6件入ってきた。皆知己の男(大きい声では言えないのだが、容色でわたしより数段落ちるヤツばかりだ)達である。
「わかった、とにかく自画像動画を消して自然を写そう。しかし明日は男の魅力とは何か論を原稿用紙三枚フルに用いて展開しようと、決意した。
〇夕刻は某所で蕎麦会。細麺で大根のからみが十分きいているいい味だ。
蕎麦湯割り焼酎片手での話題は、建築士のこと幼女殺人のこと等世相を賑わしていることとなる。
人間性善説と人間性悪説という二元論が人類史における大きなテーマなのだが、性善説の足元がもろくなってきている。悲しいことだ。

05/11/26 (土) 午前3時 外は漆黒の闇だ  

パソコンの調子が悪く、このHP書込みソフトをたちあげるまでに時間のかかる状態が続いている。そうすると、書き込みをすること自体がなんとなく億劫になり、ここ二日間は画面に向かわなかった。
そしたら
昨晩気づいたのだが、わたしの気分が思わしくなくなってきた。
5年程前にこのHPを書き始めた時、「議員をやってる間は、とにかくなんでもええから毎日書き込もう。雨の日も風の日も雪の日も嵐の日も飲んだ日も泣いた日もとにかく毎日書き込もう」、を座右の銘とした。

旧掲示板やメールに、「議員としての報告日記なのだから、もすこしハイレベルなことを書かなければならない」という趣旨の非難叱責も何度か入ってきたが、「日記とは生活圏半径数km以内で体験したいわば身辺の雑記だろう。第一、能力を超えたことなど要求されても困る」とココロでつぶやき、意に介せず、座右の銘を守ってきた。そしていつのまにかそれがルーテーンワークとなってしまった。

気分が思わしくなくなってきたのは、つまりそのリズムが崩れたことによるものだと、わたしは気付いた。
「うーん、こうなればパソコンを直してもらわねば」と、昨晩、パソコン故障退治の刺客に電話をした。
刺客の名は、片山でも猪口でも佐藤でもなく、ケンくんだ。
来訪したケンくんは「うーん、これはわからん。、新しいパソコンも安くなってきてるんや。新しいの買えや」だった。
そういえば、昨晩の電話で、某女性(若い・・ついでに言うと美しい)から「新しいの買うといいですよ」と言われた。

清水の舞台から飛び降りても構わないが、しかし膨大なデータ再入力のことを考えると、これも億劫になる。
買うか、第二・第三の刺客の来訪を要請するか。今週末に決定しなければならない課題である。

・・・・ということでいろいろ考えたわたし(別名・幹事長タケベ)は、第二の刺客として某繊維会社社長にターゲット要請の電話をし、今晩事務所に来訪していただくこととなった。


〇掲示板が更新されているので、インデックスの更新日付を変えようと思ったのだが、キーボードをどんなに叩いても入力できない。

この愛用パソコンは、既に死に向かっているのかもしれない

ということで、先日の国保運営協議会における某医師の言葉を思い出した。
「医療のどこに金がかかるかというと、ターミナル医療だ。人生の終末を高度医療機器満載のなかで迎えるからである。昔みたいに自宅で迎えると、保険に未来がある」と言っていた。

秘密の話だが、わたしは死後の散骨分骨場所を既に決めている。
①三国海水浴場(サンセットビーチなんぞというヨコモジはなじまない)の若えびす周辺。
①沖永良部島・和泊海岸サンゴ礁の沖合い。
①淡路島の無人島・由良島その海水浴場に屹立する一本松の根元。
          それぞれに思い出の地なのである。


05/11/24 (木) あわただしい月末 

早朝に起床。この日記を書こうとデスクトップの前に座ったのだけれども、立ち上がりでエラーメッセージがでてくる。スキャン・デフラグなどいろんなことをしていたら、今度は画面の一部分が紫に変色し始めた。

世がウインドウズXPのバージョンアップ時代にあって、98のそれも中古を使っているからなのか、いやいやそうではないだろう、動画を見始めたから(@フューチャーではなくて動画で大自然をみるのが好きになってきたのです)容量をくっているせいなのではないか負荷が大きすぎるからではないかと思い、これも中古のパソコンを倉庫からひっぱり出してきて、プログラムやデータをふたつのパソコンに分割した。
動きは、幾分スムーズになったような気がする。
介護保険の見直しが始まったが、わたしのパソコンは少なくとも介護度①には該当すると思う。

気質なのだけれども、わたしは古くなり壊れつつあるものあるいは腐りつつあるものが好きだ。勿論、ビジュアル系の俳優女優には興味がない。
例えば山を歩いていて廃墟に出くわすと気持ちが高揚する。柿は熟したものがうまい。
数年前、仲のいい格闘技系の友人がわたしにこういうことを言ったことがある。
「牧田はん、人間ってのは元気な時にはそんなもんでしかないけどさあ、腐りかけてくると味が出る。腐ってしもうたらもう駄目やけど、その一歩手前・・・これが一番輝いている」・・・わたしは、至言だと思った。
〇この駄文を書いている間にも、何度かエラーメッセージが出た。
ということで、今後日記が更新されていない時があったならば、それはマシーンのせいでありますので、よろしくお願いします。


05/11/23 (水) 昨日の一日

昨日は午前3時に起床し、締めきりに追われてのCAD三昧。その後、福井市の順化でEV設置についての打ち合わせに入った。バー・スナック・飲食店ひしめくゾーンも昼間は閑散としている。

とんぼ返りで金津庁舎へ。午後1時半から教育厚生常任委員会が開かれた(内容は、後日報告します)。
委員会は夕刻に終了し某寺へ。通夜の受付けをしていたが、生憎の雨となってしまった。うーん、直りかけている風邪が、又ぶり返すかもしれんなあ、と思った。受付終了後は、本堂にて石油ストーブを囲み、寿司つまみ茶飲みながらの四方山話。
あしたに紅顔であるも ゆふべには 白骨と化す身なり  なのである
通夜というのは、故人を偲びまた、普段会わない面々との旧交を暖める場でもある。そういう意味では、ソートフルあるいはハートフルといった葬儀専門会場は、便利ではあるけれども味は薄い。

8時過ぎに帰宅し、晩酌でTVを見る。
広島で女児が殺された、という。何故こんな世の中になってしまったんだろうという溜息で、一昨日の晩を思い出した。

仲の良い友人が来訪し、服役囚の仕事に関する打合せで、金沢刑務所に行っている、という。世間ではわからないいろんな話を聞いたが、とにかく、全国どこの刑務所も定員を超えているそうである

05/11/21 (月) 熱々珈琲を飲みながら

セールスというのは、それを要求するひとたちが居るから存在するのであって、その意味であらゆるセールスは等価だし、更には、需要を喚起する為の積極的なセールスがあるのも当然だ。

我々自営業者というのは皆似たりよったりなのだろうが、例えば「石油の値があがる、大豆の収穫がどうの、金を買いませんか」という相場案内の電話が頻回にあったし、今からあの土地値上がりしまっせ的不動産情報などもある。
加えて議員になってからは、何を勘違いしてか金を持っているみたいに誤解されて、ヤーサン的声音の持ち主からの電話も加わった。
「気いつけえなあ、来週、何が起こるかわからんでえ」などという恐喝そのものもあったし、その時は「メモするので、来週の何曜日の何時にどこで何を起こすのか具体的に言ってほしい」と答えた。

とにかく、これらのひとたちはその道で生計をたてている正しいプロであり「要らない、買わない、買えない」と答えても、それが合図であるかのように、言葉のシャワーを浴びせ始める。元来気弱なわたしはシャワーで倒れそうになるのだけれども倒れても仕方ないのでブツブツ答えはじめるうちに、アドレナリンが出てくる。アドレナリンがでてくると、反論はながいものになる。
考えてみるに、これは議会での質疑応答の練習みたいなものだし、受話器を置いたあとでも、嫌な後味は残らない。

嫌なのは、迷惑メールだ。
「A子がどこぞで待ってます」などという、訳のわからないメールが頻回に入ってくる。その都度消さざるを得ない。
電話と違うので書き手を特定し「くだらないメールを送るな」と文句を言うことができない。

商売とかセールスとかいうのは経済活動の一環である。契約が成立しようがしまいが、そこに顔や声がみえてしかるべきだ。その場で諸々の情緒をお互いに感じることこそが人間的営みなのである。
その意味でメールという無機質な媒体は、便利である分だけ怖い、とわたしは思う。


05/11/20 (日) きょうは日曜日

日曜日である。土日が休日という意識など全くないけれども、世間が休みと思うだけで、なにがしかほっとする。
〇昼飯のあとは、東京国際マラソンをTVで観ていた。
高橋尚子、頑張った。不死鳥のようによみがえった。そういえばわたしの娘の名も尚子だ。

午後4時半、事務所にて蕎麦うつ三九会会員たち。
(我々のうつ蕎麦の味は急速に上達している)

05/11/19 (土)  昨日の一日 

昨日の午前中は、住宅相談ニ件。その足で金津庁舎駐車場へと向かった。

午後、「福井県市議会議長会議員合同研修会」が鯖江市の某会館・多目的ホールで開かれた。
研修講演の講師は、全国市議会議長会次長・向田正博氏で、演題は「地方議会を巡る現状と諸問題」だった(講演の間に、大阪在住の知人から携帯マナーモードコールが3回も入る。うーん、やっぱりメールのほうが便利だ)。
資料を見ると、講師は大学の時の一級上みたい。講演合間の休憩時に、煙草吸い吸いの四方山話で「大学時代の同僚の殆どは東京にいませんねえ。みんな関西でっせ」と彼は言っていた。うん、タイガース的なのだ。

講演終了後は、近くのホテルで意見交換会。他市の議員のなかにも知ったひと・県PTA連合会時代の仲間の顔ががちらほらとあった。水割り飲みつつ旧交を暖める。
疲れたのか、帰りのバスではしっかりと寝込んでしまった。

事務所に戻ったのは午後9時過ぎだったろうか。同僚三人で珈琲を飲み、何故か近くの二つの神社=大鳥神社・八幡神社を夜間参拝した。賽銭は入れなかった。神社境内に入ると背筋が伸び俗臭が抜けて心が透明になった。


05/11/18 (金) 建物のこと

大型量販店「ベル」がリニューアルオープンしたとのニュースをTVで観た。
そおーかあ、リニューアルかあ、とわたしの頭は走馬灯となる。

「ベル」は20数年前に竣工した。
当時某建築設計事務所勤務だったわたしは、設計監理補佐として、竣工までの1年間を工事現場で過ごした。前田・熊谷・村中3社ジョイントの大型工事だったから、知り合った工事関係者の職種は極めて多岐に渡った。
みんな今はそれぞれの会社で重鎮となっているのだろう。なってないひともいるのだろう。転職を余儀なくされたひとも多いに違いない。亡くなったひともいる。
当時のひとたちと会って、その後の人生の浮き沈みを語り合いたいと、思った。

〇「東京都と千葉、神奈川両県内のマンション計20棟とホテル1棟について、千葉県市川市内の建築設計事務所が耐震強度などを示す「構造計算書」を偽造していたことが判明、国土交通省は17日、建築基準法の耐震基準を満たしていない恐れがあるとして、地元自治体と協力し、避難を含めた住民への説明を開始した。」・・・ YOMIURI ONLINE(11/18)

当該建築設計事務所は、地震時の入力荷重を通常の半分くらいにしていたそうだが、なぜそんなアホなことをしたかというと、「断面や鉄筋量を少なくしなければ、もう仕事をもらえなくなると思った」からだそうである。民間の過当競争の悲哀が裏に見えるし、敢えて言えば食うための現実がそこにあったのかもしれない。厳格なモラリストのわたしならば、霞を食って生きていくのだが・・。

しかし当該建築設計事務所の不始末は不始末として、
提出された構造計算書及び構造図についてのその程度のごまかしは、特定行政庁の建築指導課(そこは建築のプロの集団だ)で十分チェックできたはずだし、その為に建築確認許可申請料が建物の規模に応じて支払われているのである。確認事務をするのは公務員でありその為の人件費は既に税金で保障されていると思うのだが、更に確認許可申請料が払い込まれているのである。
そしてやね
どうであれこうであれ、建築主事が建築確認済証を発行しなければ、それらの建物は建設されなかったはずである。

確かに当該建築設計事務所のとった行為は言語道断だが、それ以上に国土交通省自身が身内の問題として猛省し懺悔し、経過を自己検証しなければならない、とわたしは思う。
いずれにしても、既に建てられてしまっている20棟強の建物の建替えには巨額の費用がかかるのである。


05/11/17 (木) 風邪

風邪である。
ということで、昨晩は早々と布団に入った。添寝本は井伏鱒二の短編で、読み進めるうちにうつらうつらし始める。しかし喉元を断続的に咳が襲い、結局目が覚めてしまう。悪循環であり、熟睡できないままに朝を迎えた。
たかが風邪のくせに、なかなかてごわいのである。

一昨日の「医療制度改革について」講演会での渡辺講師から
経済諮問会議・財務省が混合診療(かぜ、腹痛や一部の薬は保険から外す)を主張し、厚労省はそれに反対しているという構図の説明があった。
諮問会議側の認識姿勢が「たかが風邪や」であるのに対して、厚労省側のそれは「風邪は万病のもとや」ということだ。

わたしの姿勢は前者で、「臥薪嘗胆」「苦あれば楽あり」「自然治癒」を座右の銘としつつ、ひととの接触を避けるために、本日も外出を差し控えようと思っている。


05/11/16 (水)  風邪 

風邪でダウンしてしまった。冬に向かうさなか、短髪にしたからかもしれない。くしゃみ・鼻水・咳の波状攻撃がわたしの体を襲う。食欲は減退し、ビールや酒を口にしても味を感じない。煙草を吸えば喉が痛くなる。
本日は、外出を控えよう。

昨日の午後は、福井県自治会館で合同研修会が開かれた。
日経新聞論説委員・渡辺俊介さんの講演は2時間近くの長丁場だったが退屈しなかった。
社会保障に関する今からの選択肢としてデンマーク・スウエーデンのいわゆる北欧型などがいいんじゃないかと漠然と思っていたけれども、そのすさまじい税率をきくにつけ、日本にはなじまないだろうと思った。

病院や施設に頼る比率の相対的に低い県としては長野県が有名だが、その理由として、持ち家率の高さ・離婚率の低さ・あるいは水系に沿って集落が形成されていることによる閉鎖性を、講師は挙げていた。
昔、長野県横断の旅をした時、わたしも山国の特徴としてそういうものを感じたことがあるし、結・講といった相互扶助の精神を含めた高度経済成長以前の時代の雰囲気を残しやすい空間特性を持つ地域だとは確かに思う。
だけど、「閉鎖性」が主流のキーワードになることはもはやありえないのが現在なのだということも、一方でいえるのである

05/11/13 (日) 昨日の一日

昨日の午前9時半、P・Kさんが来訪。刷りあがりのチケットを持ってきた。
四方山話でさよならしたあと、ぼくは携帯ショップへ行った。
壊れてしまい、登録データーも一切消滅してしまったのである。仕方なく、新規に申し込んだ。
一通りの説明を受けて帰宅。分厚い説明書のなかの操作方法を読むのだが、頭が段段パニックになっていく。
シンプル イズ ザ ベストだ。音声・メール・カメラの3機能があればそれで十分なのだが、説明書は多機能をくどくどと書いてあり、読んでいて嫌になる。

午後はCADにいそしみ、夕方、JRで福井市へ。
某ホテルで100人弱が集まっての会合。
「元気になる数字」をタイトルとして山本副知事が講演。前の席に高市さんが座っていたのでびっくりした。「旦那のかわりに、これから、あわら市の集会に行く」と言う。地盤が奈良二区なのに、めおとで代議士するのはいろいろ大変なんだろうと思った。
講演会終了後は、立食パーテイで少しだけウイスキー水割りをたしなんだ。

その後、JR福井駅へ。時間があったので、「今庄そば」を食べた。このそばを食べると、ぼくは敦賀駅へ行く時の蒸気機関車シュッシュッポッポ・スイッチバック方式を必ず思い出す。
東京から戻り福井市内友人宅にいた妹と落ち合い、一緒に帰宅した。
疲れていたのか、すぐに寝入った。
早朝、竹田川べりを歩いた。
朝陽のなかで、老人がひとり魚釣りをしている。「7kgの鯉が釣れるんや。家にいるより、川風にあたるほうが気持ちいいしなあ」と、満足げな表情だった。

05/11/12 (土) 宴のあと

今朝は、午前6時半に起床。昨夜からの雨はまだ続いている。
朝食を終えてから事務所に入り湯を沸かし、ブルーマウンテイン熱々珈琲を飲んだ。
今、ぼくはうたげのあとにいる。
昨夜ここは5人集いての宴席だった。静かに人生を語り合うことで、静かに愛を語り合うことで、ぼくは魂の浄化を感じた。
重荷を背負って歩むがごとし(徳川家家訓)の日々のなかで、束の間の心のオアシスとなった。

きょうは土曜日だ。くよくよせず、前向きの姿勢で週末を乗り切ろう。


05/12/11 (日) 昨日の一日

昨日
午前中のCAD三昧をこなしたあとは、松岡町で打ち合わせ。
気がついたら2時半だ。急いでJR芦原温泉駅へと向かった。
旅役者・横山さんの出迎えだ。
東京から米原経由で来た彼は、「トンネルを抜けると雪国でした」と、言う。
昨日の今庄あたりは雪が降っていたのだろう。

午後7時、某寺院本堂にて、ひとり語り「貴央おんちゃんの はなすしゃべるかたる会」開演。1時間半に及ぶ硬軟まぜての宮城弁は魅力だった。
閉演し、会場後片付けを終えた我々スタッフは慰労会座敷へと向かった。

ビール熱燗片手に、鍋物つまみつつ
開演中のテンションとは違う穏やかな表情になった彼にそのことを問うと、「私には三つの顔があると言われます」との答が返ってきた。
なかなかにうらやましいセリフである。
夜更けて帰宅、就寝。


開演前談笑中のスタッフ(右がわたし)



05/11/10 (木) 昨日の一日

昨日の午前中は、市庁舎で幾つかの用事をこなしていた。帰宅しパソコンにむかったのだが、左目の縁に小さな黒い虫が動く。眼鏡をはずしても消えない。
疲れているからかもしれない、と思い仮眠をとった。
眼が覚めたら午後1時29分だ。1時30分から、「介護保険広域連合議会定例会」なのだ。
びっくりして、議場である丸岡町役場へと車をとばした。結局15分の遅刻、初めての経験だ・・強く自戒した。
定例会は5時過ぎに終了。事務所に戻り残務整理をしているさなか、困りごと相談の電話が一件。6時過ぎに自宅に戻り熱燗でプロレスをTV観戦した。
若い頃はプロレスを観るのが好きだった。
力道山もG・馬場もJ・鶴田もテリーファンク・Jもアンドレ・ザ・ジャイアントも既に天国へ逝ってしまった。豊登は東南アジアで行方不明となってしまった。
「象をも倒すパンチャー」と呼ばれたG・フォアマンがキリスト教の牧師となり布教活動に専念しているのは有名な話だが、「人間起重機」の異名を持った明父谷も千葉でそういう活動をしている、という話を聞いたことがある。

なんとなくわかる。
20年ほど前横浜のホテルに一週間ほど缶詰になったことがある。今でいうカウンセリングを受けたのだが、合間での茶飲み話で、「プロレスラーがよくカウンセリングに来るんですよ。殴られるのも怖いが殴るのも怖い、という悩みを訴えるのです」とカウンセラーが言っていた。

ひとは両極を持つ。強さが顕在している時、弱さが沈殿している。弱さが顕在している時、強さが沈殿している。
という意味で、人間ボチボチやと、ぼくは思う。
〇メールで質問をいただいた堤用語概図


05/11/09 (水) ただ今午前5時

携帯電話の主な機能として、「話す・聞く」のほかに「デジカメ」と「メール」がある。
例えばここにUPする写真は全て携帯デジカメから撮り入れたものであり、頻繁に使用しているのだが、「メール」に関しては殆どが「受信メール」を読むだけだった。パソコンと比べて入力がとても難しい、親指が思うように動かない、がその理由だった。しかし、最近はこなすことが一応できるようになってきている。

便利な面は確かにある。
入院している友人との交信にこれを使っている。音声ではないから他患者に対しての迷惑にならないだろうし、ベッドにパソコンは無いからだ。

竹田川の治水⇒コンテンツ「報告・竹田川の治水」を御参照ください。
なお、夜、「掲示板」に追加書き込みをします。
金津大橋下流 金津大橋上流 下新橋⇒上新橋

05/11/08 (火) 歳のこと

今年6月から市議会議員は22人定数となっている。当然のことだけれども、広域になった分だけ忙しくなっている。
議会は現今の諸問題解決模索に加え、10年後20年後の自治体を見据え考え討議するのが基本的に要請される立場だと思う。
しかし、例えばわたしは56歳だけれども、わたしより若いひとは、指折り数えたら4人だ。中年男が若手の部類に入ってしまう。これがおかしい。

余生を考えた場合、若いひとのほうがロングスパンを考える力を持っているのだけれども議会がなかなか若返らないのは、「議員なんて名誉職」という旧来のレッテルがはがれていないからではないか。
職場として考えた場合、現在の議会が魅力あるところだとは思わないし又思われてもいないだろうけれども、そもそもがそのこと自体住民意識の反映だということができる。
〇昨晩、ぼくは遠方の友に久しぶりの電話をした。
色好みだったその男も今は落ち着き、歳相応に熟している。言葉の端端に枯淡が見え隠れする。
若い頃十分にもてた男は往々にしてそうなるし、若い頃女性に縁のなかった男は歳を経てから狂う、という話を聞いたことがある。
しかしそのような人口に膾炙する言葉も、所詮、人生の一断片のえぐりでしかない、とぼくは思うのだ。

例えばぼくのように女性とは全く無縁の独身時代を経て、やっと結婚した妻との間ではかたくなに偕老同穴を守り、浮いた話など一切無いままに生を終えるであろうしかつそのことにいささかの不満も感じない男もこの世には沢山いるに違いない。
人生の幸福に客観的な定義などあり得ない。


05/11/07 (月) 昨日の日曜日

昨日の午前9時から、観光会館で開かれた文化祭開会式に出席。
開会式終了後、テントがはられた外の会場に出た。
会場は、観光会館前・中央公民館前と2会場に別れており、双方をしばらくうろついた。生憎の小雨模様で盛況とまではいっていなかったのがちょっと残念。

CADにいそしんでいた夕方、三九会のQくんより、「今、山からおりてきた。反省飲み会」をする、という電話が入ったので自宅へ直行。
Q・ケンふたりが行った富山県の山の登山ビデオを4人がワイワイガヤガヤで観ているところだった。今は紅葉まっさかりで、画面はとてもきれいだった。

話題が、ぼくの事務所のことに移った。
皆が、「中年の我々は事務所の机が座り机であってこそくつろげる」と言う。
「会議は椅子式テーブルでないと、との意見が多い」とぼくは答える。
ドクターSから、「そのふたつの矛盾を乗り越えるレイアウトをすることこそ、デザイナーとして隠れた才能をもっている君の腕の発揮のしどころではないか」と、反論できない事実をつきつけられたぼくは、「やってみる」とだけ答えた。

午後11時過ぎに帰宅。木のベッドにもぐりこみ、中公新書を読みながら就寝。
ちょっと酩酊していたせいか、楽しい夢をみた。
閉塞感が開放されるのは、夢のなかなのかもしれない。
〇先日清滝ダム湖で撮った写真。題して、走るイノシシは猪突猛進!
突然ブッシュがガサガサゴソゴソと音を立て始め、てっきり熊だと思ったぼくとマーブくんは生きた心地もしなかった。

「ペンで撮ったイノシシ君
トリミングして拡大したので画像は荒い
手前の矢印が母親 何故判るって?
内股だった!(悪魔のマーブくん記 及び写真提供)



05/11/06 (日) 夕市

先日の「まちづくり特別委員会」で質疑の焦点のひとつになったのが、湯のまち多目的広場での夕市についてだった。

①夕方(4時-6時)の開催では観光客が来にくいのではないか。
①音を出すことが必要だ。例えば市職員にジャズ楽器をこなすひとがいる。毎週演奏してもらうといい。
①屋台の並びを前面道路側にはりだしたほうが、賑わい感があるのではないか。
①旧金津のひとにも特産品を作って入ってもらっている。ありがたいことだ。
①観光客に受け入れられる為、付加価値を持った品物を並べるべき。
      等々の意見が出た。

去る10月29日、大鳥神社商店会に同行させていただいたぼくは、大野朝市経由で夕方この広場に行った。揚物左手缶ビール右手で屋台の並び見遣りながら思った。
・湯のまち駅側から見ると、屋台の並びは、大きい広場の隅にその背が見える程度でしかない。つまり視覚的なアピール度に欠ける。            
・例えば「フーテンの寅さん」のような男が前口上を演じるのもおもしろいんじゃなかろうか。
・三百数十年の歴史を誇る大野朝市の場合は、その伝統自体が市に厚みを与えている。
・翻ってこの夕市のように新しくスタートしたものは、とにかくいろいろ試みることが大事だろう。まずは試行で錯誤は甘受しなければならない。

・そして一番大切なことは継続だ。継続こそ力なりである。


05/11/05 (土) 深夜ラジオから「センチメンタルジャーニー」が流れてくる

昨日の午後1時半から市庁舎委員会室で「まちづくり調査特別委員会」が開かれた。
調査報告事項は
1 北陸新幹線整備に伴う芦原温泉駅周辺整備に関することについて
(都市整備課)
2 都市計画街路金津三国線に関することについて(建設課)
3 湯のまち多目的広場の利活用と中心市街地活性化対策に関することについて(観光商工課)
4 その他まちづくりに関することについて

・紙の準備資料③を、OCR(画像⇒文字変換)ソフト使用で「報告」に載せました。(資料①②は大判タイプ故OCR化不可能)

ぼくも、「掲示板」に寄せられている意見を踏まえつつ、いろいろ質問した。
応答を整理して、「報告」か「掲示板」に載せたいと思います。
〇教育厚生常任委員会に入っているせいだろうか、最近、身の上相談が多い。
今朝も三人の方が事務所に来られ、ぼくは生活の困窮を拝聴した。
ぼくは「えー えー、うん うん」とうなづくばかりだった。
生活の最低限の安定・・・これはひとにとって最も身近で大切で普遍的な課題である。
           
            10/30蕎麦会のあとの散策
・加賀の海岸
流木を手に、海岸のゴミに顔をしかめつつ環境保全を考えるわたし
(写真・悪魔のマーブくん提供)
・刈安山頂上
熊が出てきたので死んだふりをしているわたし冗談寝転んで秋の木漏れ日を浴びるわたし
(写真・悪魔のマーブくん提供)

05/11/04 (金) 昨日の午後 

午前中は急用で走りまわり、午後は遅れて観光会館に行った。
故林家三平の奥さん・海老名香葉子さんの講演が始まるところだった。
東京大空襲で親族を失い孤児となった彼女の人生の辛酸が明るい口調で語られる。母親から何度か聴かされた空襲の悲惨を思い出しながらの講演だった。
どんな戦争でも、戦時下で一番翻弄されるのは庶民だ。

東京など全国の都市での空襲及び広島・長崎での被爆を含めた老若男女の民間人死者は71万人といわれる。
東京裁判は罪刑法定主義に則らないA級なる戦犯を確定したが、仮に日米の立場が逆転していたとしたら、空襲の指揮者がB級戦犯となっていたのは間違いないだろう。

05/11/03 (木) 文化

確かきょうは「文化の日」だ。昭和23年に、国民の祝日として制定されたもの。
文化が何かはわからないけれども、とにかく「文化の日」なのである。
昔「文化住宅」なる言葉があった。「文化鋏」「文化鍋」「文化包丁」というのもあった。
これらのものは今でいうヒット商品の類いだろう。
してみると、この言葉は「文明開化」の頭と尻がくっついてできたのかもしれない。しかしぼくには、文明と文化は違うもの、往々にして対立するものという気がする。

〇きょうは、出張であります。
〇昨夕、OCRソフトを組み入れたので、「報告」を書き込みやすくなりました。


05/11/02 (水) パソコン

デジカメで撮った動画や音声を例えばこのHPにアップすることが出来れば面白いのではなかろうかしゃべり日記などを時折入れると楽しいのではなかろうかと思い、試みるのだけれども、うまくいかない。
身近な友人たちは、「こんな古いパソコン使っているからや」と言う。
識者に聞くと、「変換をしていけば大丈夫」と言う。

そもそも、中年のぼくが10年ほど前、パソコンに首を突っ込んだのは、CADソフト(無料)ならびに構造計算ソフト(有料)を使う為だった。
それらのソフトを使うのに、この中古パソコンでなんの遜色もない。

ということで、これからも試行錯誤が続くのだろうと思います。
昨日のメールからふたつ無断UP


05/11/01 (火) 昨日の一日

昨日の午前9時半、市庁舎正面。懸案事項だった「コミュニテイバス」の出発式が行われた。式終了後の試乗で、ぼくは観光ルートコースに乗った。
大人200円、小人100円(小学生)、小学生無料だ。みなさん、どんどん乗ってください。

試乗終了後は、住宅の現場測量にせいだし、そのあとは福井市へ。
午後1時から、福井県自治会館で「市町村議会合同研修会」が開かれた。

講演者はふたり。
前者は「ごみ問題とリサイクル社会」(石澤氏)
後者は「地方自治をめぐる状況と市町村議会のあり方」(今村氏)
テーマの軽重は別として
前者のしゃべりは概ね総花的で平板で、ま、あんなもんだった。
後者のしゃべりには引き入れられた。
しゃべりには起伏と間(ま)と多少の無駄話が必要なことを感じた講演だった。

講演合間の休憩時、偶然出会った越前市市議・山崎氏と懇談。
期間限定で関西学院大学講師をしている彼は「今の学生は積極的に質問をしないので困る」と言っていた。

講演終了後は「福井県建築住宅センター」に寄って所用をこなした。
帰路、市職員某友人宅の玄関先で四方山話をして帰宅。

晩酌を妻・息子と共にした。
飲食時はいつも無口なぼくなのだけれど、東京の和田さんから頂いた銘酒を飲むうちアップビートになってきた。美酒で珍しく饒舌となったぼくが一昨日の大野朝市の話をしていたら、息子が「それ、ホームページで読んだよ」と言うのでぼくはびっくりした。家族の誰も読んでいるはずはない、と思っていたからだ。
壁に耳あり障子に眼ありだ。あんまりくだらないこと書いたらあかんなあ、と思った。
〇三国土木事務所で用をこなしたあと、サンセットビーチにでた。
何年か前に書き、感動したというメールが唯一入ってきた議員日記「夕陽恋を思い出しながら、誰もいない海辺を歩いていた。