2005年12月

05/12/30 (金) 川

昨日の午後は、事務所でCAD仕事にいそしんでいた。
消防車が出動したのか、突然サイレンが聞こえた。何があったのかと、嶺北消防テレフォンサービスをダイヤルした(注 0776-51-2000です。管内で消防車が出動した場合、録音テープが出動先とその理由をメッセージしている)。

「あわら市花乃杜一丁目の竹田川。水難救助の為、消防車が出動しています」というメッセージが流れてくる。事務所から見下ろすと何人かのひとが川べりに向かって歩いていくのが見えた。
三国町へ行かなければならない時間帯だったので、仔細わからず事務所を出た。
帰宅し家人に仔細を尋ねると、「河川敷の雪の上で遊んでいた子供さんが誤って川に落ちた。垂直護岸なので自力では上がれず、消防署のひとに助けられたようや」と言う。助かったのは本当によかった。

5年程前、議会の一般質問で「竹田川の垂直護岸を柔らかい勾配の法面にできないか」と、理事者側に問うたことがある。護岸シートパイル内側に巣ができていると聞いていたし、護岸では夏の季節に川遊びができないじゃないじゃないかと、思った為である。
私が子供の頃、川遊びは日課のようなものだった。河川敷に群生する柳の木でチャンバラの剣をつくり、鮒釣り・鯰釣りにいそしみ、水草下のメダカ・鮒をベトゾウキですくい捕ったりして日暮れを迎えたものだ。
そういうことを思い出しながら、一般質問をしたのを覚えている。
〇本日、ウイルス駆除ソフト最新版を購入し、インストールしました。
これで、来年も、皆様にご迷惑をおかけすることなくこのHPを書き込むことができます。
冷蔵庫には幻の地酒が三本及び瓶ビール数本が入っています。高級珈琲キリマンジャロも勿論用意してございます。
どうぞおこしください。人生を語り合いましょう。市政を語り合いましょう。愛を語り合いましょう。

05/12/29 (木)  年の瀬に思う

分秒を争う忙しい時間帯が夕刻まで続き、午後5時にやっと落ち着いた。
新聞の死亡欄を読んだお袋が「福井市までお通夜に連れて行ってほしい」と言うので、6時前に車で家を出た。
この十日間くらいで4度目のお通夜だ。
車中でのお袋の話は「どこそこのじいさんはどこそこの病院に入っていてどこそこのばあさんはどこそこの施設に入っている」に終始した。
本年2005年に日本は人口減少国に転じたとの政府発表が先日あったことも含め、この国は既に少子高齢社会に入っている。お袋の話が、日常の挨拶枕言葉になる日も近いのではないだろうか。

昔、鳥浜貝塚発掘の指揮をしたひとと一緒に食事をしていた時、「縄文時代後期の日本列島の人口は約30万人。平均寿命は20代で、30前ともなれば長老と呼ばれていました」と言われ、うーん私が縄文にタイムスリップできたならばギネスブックものや、とびっくりしたことを思い出す。
その時代から2000年の間、時代の進展に応じて列島住人の寿命は少しずつ伸びてきた。近年の伸びはハイテク利用の医療技術に支えられている。

一回きりの生だから、プラスマイナスの思い出を沢山つくってつまり長生きして冥土へ旅たちたいとは思うが、その為には元気高齢社会になることが必要だ。
ということで、壮年の私は、神経をすり減らさないようにゆったりと生きていきたい、と思っている。
私はいつも午前4時半に寝る。起きるのではなくて寝るのである。
この時刻は夜明け前であり静寂の世界だ。灯を消し目を閉じると、闇のなかで聴覚が動く。
私の耳は、雨垂れの音を捕らえる。
雪解け水によるものだから果てしなく続く。その撥音の正確なリズムのなかで今年一年の間に経験したいろんなことが頭に浮かんでくる。
病気で苦しんでいるひと,議会での議論相手、無差別テロ、動機不明の殺人、強度偽装、加賀の海岸でみつけた桜貝、猪家族との山中遭遇、何人かのひととの死に別れ、自民公明両党の国会支配などなどが走馬灯の絵柄となる。そして、たゆたう時間のなかで眠りにつく。
〇コンテンツ「報告」に中学校財源比較表(含耐震補強)を入れました。

05/12/28 (水)  クラシック

昨日の午後5時半、妻の運転で自宅を出発した。
友人の娘さん(高3・東京留学中)がフルートの演奏をする福井ハーモニーホールを目指したのである。午後7時開演。7人がそれぞれに演奏した。ピアノのひと、フルートのひと、バイオリンのひとがそれぞれに演奏した。
自慢じゃないけれども、クラシックコンサートは生まれて初めてだ。行き慣れている妻の解説付きではあったが、生まれて初めてでも皆大変上手なことはよくわかる。
目を閉じて聴いていると、音がクラシックバレーのように踊っているんやね。
うまく言えないけど、音楽というのはわかるわからないではなくて感じる感じないだと思う。付け加えるならば、人生も感じる感じないだろう。

終演後、ロビーで友人及び娘さんと談笑し、ホールをあとにした。
帰りの車中は音楽談義だったが、考えてみると、妻と一緒の外出は数ヶ月ぶりだ。すれ違い夫婦の私たちにとっては、その意味でも新鮮な体験だった。

帰宅したら、下の息子はすでに大阪へ帰っていた。上の息子と三人でビールを飲みつつ「お笑い」についての談義となった。うちの家族で「お笑い」のネタになるのは、私なのだそうである。コップ二杯だけの冷たいビールでほろ酔い気分となり就寝。

午前4時に目が覚めた。一日で一番寒い時刻だ。寝袋に入ったまま電気スタンドをつけて「あかね空」を読む。著者の山本一力はウン千万円だったかウン億円だったかの借金を返済するために小説家を志し、小説家になったひとだ。
江戸時代中期に京から江戸にでてきた豆腐屋職人の一代記で、庶民のわかりやすい喜怒哀楽が描かれている。既に杉浦日向子も藤沢周平も亡くなってしまったけれども、最近の私は江戸ものに凝っている。

05/12/27 (火)  模様替終えた事務所 

二日間ほどの予定で、下の息子が大阪から里帰りしてきた。
で、昨晩は息子ふたりと3人での焼肉夕食となった。
息子娘達幼少の頃は3人をいろんな所へ連れていって一緒に遊び、反抗期には体をかけたこともあったが、長じてからはそんなに接触や会話がない。昨晩も、兄弟どおしだけで話がはずみ進行していく。
会話に加わりたかった私は「面白い話をしてあげよう」と言ってふたりの耳目をこちらに向けさせた。

(先日某寺で開演された「貴央おんちゃんの人情話・艶話」に来てくださったひとはわかるとおもうけど)そのなかの演題である「穴のあいたタライ」の話と、「墓に線香を添える未亡人」の話をした。
上の息子は椅子から転げ落ちて笑い、下の息子は笑いながら「うーん、ノートしておかねば」とつぶやいていた。

彼らは若い。ながい人生が続いていく。泣き笑いの人生が続いていく。
「泣く」ことと「笑う」ことの回数を比較するならば、「笑う」ことのほうがずっと多いはずだ。社会が殺伐となっていくなかでの防御のひとつとして笑いがあるのではないかと、私は思う。

ただいま、午前2時半だ。ラジオからはビートルズの曲が流れてくる。
リバプールサウンド=ザ・ビートルズが初来日し代々木武道館で唄ったとき、私は高校生だった。あれから40年が流れたのだ。
「人生はB級映画のようなものだ。そんなに面白いとは思わないが、途中で席を起ちたいとも、思わないね」と誰かが言っていた。
さあ、あしたもがんばろう

05/12/26 (月) 無題 

いつのまにか冬至が終わりクリスマスが終わり、気がつけばもう26日だ。物事に追われているからこそ節目としてゆったりの正月を迎えることが肝要なのだろうけれども、例えば紅白歌合戦を見なくなってからもう35年以上になる。持続している正月習慣といえば、年越蕎麦を食べること、除夜の鐘をつきに行くこと、おとそを飲むこと、配達されてきた年賀状に添えられたコメントを楽しむこと、くらいであとはいつもと同じである。

そうはいうものの、気分がいつもよりほぐれるのは確かで、本を読んだりしばらく出せなかった通信誌を書いたりあるいはお地蔵さんの写真を撮りに行ったりしようか、とも思っている。


事務所照明器具づくりに励むマーブくん

05/12/25 (日) ケイタイメール

昨日は、事務所の整理と清掃にいそしんだ。来客用の畳と座布団をそろえ、不用になった書類をどしどしゴミ箱に投げ入れていた時、来年の手帳がないのに気がついた。
文房具店に行ったら手帳の種類が少ない。店主は「みんなケイタイに予定を書き込むようになって売れないんですわ」と、言う。仕方なく、ノート版予定表を買いこんで帰宅。夕方までに整理を終えて、布団にもぐりこんだ。

午後11時に目が覚めたら、メールが入っている。
返信を打ちはじめたのだけれども、数字変換ができない。仕方なく、中切れの文章を送り、今朝その続きをケイタイ電話で話した。
なんというか、我々団塊の世代にとって、パソコンとケイタイは似て非なるものじゃなかろうか。

05/12/24 (土)  うううサミーデービス・ジュニア

定例議会が終ったことで、なにがしか開放された気分になったのは事実で、昨日の昼はCAD作業の合間に寝転びぼおっとして室内を見渡していた。
私の事務所は4間×3間=12坪=24帖だ。
友人からの5年前の支給品・業務用中古エアコンが夏の暑気と冬の寒気をしのいでくれるのだが、厳寒期となるとやや防御能力に欠ける。
中央には、この部屋が金中50周年記念事業事務所だった時に使われていたものを譲り受けた強力ファン付き石油ストーブが鎮座ましましている。

でやね
事務所にやってくるたいていの友人達は「ううさむう、ストーブの火いつけてくれやあ」と言う。その都度私は「灯油が入ってないのだ」と答える。

灯油が入ってないのは事実だ。入れ替えるのが面倒くさいから入れない。来客に対する配慮よりも、その為のサービス労働が面倒くさい。ひとより自分が大事なのだ。
自分を大事にしてこそひとを大事にできる、というのが私の信念なのだ。
ストーブは冬の風物詩として自分が楽しむ為のインテリアでしかないのである。

付け加えると、強力ストーブで体全体が温まると満足してしまう。
満足は気分の停滞を促し、「ひとは、飢餓感を持っているべきだ」という私の美意識あるいは教育観に反する。

冬季に入り、私は仕事用コンピューターを、座机の上に移動した。
茶色の厚手毛糸パンテイストッキングLサイズを履き、寝袋を膝の上に置き、納屋からだしてきた1帖ホットカーペットに座って仕事をしている。
「頭寒足熱」を実践している。疲れたら寝袋にもぐりこみ、人生を考えあるいは読書し時には涙する。

ということでなかなかに重宝な寝袋なのだけれども、3年前ホームステイに来たロシア人少女をデパートに引率した際に買ったこのスリーシーズン用は今だにアウトドアとして使われたことがない。
来年こそ寝袋ひとり旅めぐりあいの旅ときめきの旅に出よう、と思う。

ということで思い出したのだが
西武百貨店の堤清二社長は、新入社員採用試験に
「氷が溶けるとなにになりますか?」という設問を出したそうだ。
そして
回答「水になります」を×とし
回答「春になります」を○としたそうだ。   冬来たりなば春遠からじ である。


05/12/23 (金)  昨日は議会最終日

昨日は、午前9時半から全協。午後は本会議が開かれた。付託された各議案に関する委員長報告のあと、質疑・討論・採決。
陳情・発議に関する意見陳述のあと、採決。
最後に議長、市長のあいさつで12月議会は閉会した。

議会閉会のあとに広報編集委員会が開かれた。正月休暇をはさむので、原稿は27日締め切りかつ厳守、という。

「やっと議会が終った。なんとなく疲れたなあ」という気分で帰宅し、近所のお年寄りが亡くなったことを聞く。
幾つかの活字資料をHPに書き込むためにOCR作業を開始したが、はかどらないうちに夜になってしまった。

打合せ予定相手から電話が入り、一路鷹巣へ。海岸道路を走る車に日本海荒波のどどおーんどどおーんが聞こえてくる。降りて荒磯に立とうか、とも思ったがひとりでは怖いので止めた。
打ち合わせ合間の四方山話で先方は「あわら市の中学校問題は、旧金津旧芦原の水面下での取り合い合戦なんですってね」と、言う。
そういう噂が本当にあるのだとしたら、悲しいことだ。

合併したのだから大局で見るのが当然だ。統合賛成派も反対派もあるいは中立派も我々議員は大局で考えている、とわたしは思う。

打合せ終えて帰宅したらもう11時だ。
風呂に入り体をすみずみまで洗い、遅い夕食をとった。
一服したあと、事務所に入り、コップ一杯の焼酎を飲んでいる。
至福の時間帯である。
付記
12月議会での各委員会委員長報告を「報告」に載せました。

05/12/22 (木)  昨日の一日

昨日は、午前9時から教育厚生常任委員会が開かれ、教育委員会側から「中学校建設財源比較表」が配布された。
表には新たに「大規模改造(耐震補強・改修)とした場合」が加わった。補助率の違いなどもあり複雑なので、整理して考えなければならない、と思った。

委員会終了後は福井市役所・建築指導課へ。建築指導課とは、今話題沸騰の建築審査機関・行政版である。
担当職員Yさんは、「いやあ、強度偽装問題でですねえ。上司からは、より徹底した建築確認審査の指示が出るし、豪雪で除雪の対応もしなあかんし、おおわらわですわあ」とあせって言っていたぞ。

打合せ終えて帰宅したら、もう一時過ぎだ。どんぶり飯にメイドインツルガのとろろ昆布を乗せ醤油をかけて大急ぎで胃袋にかきこみ、とりあえずマイルドセブン10mgを一本吸ってから金津庁舎へ。

午後1時半から、まちづくり調査特別委員会が始まった。
今年の10月3日に当市に赴任した地域再生マネージャーが出席し、芦原温泉の現状に対する印象を述べた。
○良い点
・福井県唯一の温泉街である
・泉源がそれぞれ違いバラエテイにとんでいる
・海の幸山の幸に恵まれ、出される料理の味がいい
○悪い点
・温泉情緒がない
・人通りが少ない
○問題点
・後継者不足に悩んでいる
・借地にたっている旅館が多い
・地元の一体感が薄い
・リーダーが不在である
・広域の連携が不足している     等々を述べた。

委員会終了後、事務所に戻り、このキーボードをたたいているが、夜に予定されていた三国のひととの打合せは、先方の帰宅が遅くなりキャンセル・日延べとなった。
ということで、昨日図書館でどっさり借りこんだ本のなかから浅田次郎を取り出し、寝転んでしばらくの間読んでいる。


05/12/21 (水)  縄ない

午前2時。わたしは、ひとり並木道を歩いていた。
ひとっこひとりいない静寂の世界である。マロニエの葉は既に落ち、枝振りだけが残っている。画集をかかえセーヌ河畔をいつも歩いていた青春の頃のにがにがしい思い出が胸をしめつける。
ダーバンのコートの襟に冷たさを覚えたわたしは、ダンヒルで灯けたゲルベゾルテをくわえ、天空を見上げた。漆黒の闇から白い雪が舞い落ちてくる。

雪の彼方に、はるか昔に死んだじいさんの顔が浮かんできた。
わたしにとって冬の思い出は、即ちじいさんの思い出だ。

ひとから「特技は?」と聞かれるたびにいつも「ありません」と答えるわたしだが、謙遜であって本当はひとつだけある。それは縄ないだ。
少年の頃、冬休みの居場所は納屋の土間だった。土間の囲炉裏端にじいさんと並んで座り、縄ないの手伝いをするのが冬休みの日課だった。
さしだした足指ではさんで固定した藁束を両手ではさみ、手のひらで螺旋状に捻りながら縄に仕上げていく。
薄暗い土間の囲炉裏の火がじいさんの顔を照らし出す。揺らぐ影に浮かぶ顔のシワを今も覚えている。

高度経済成長前の日本の田舎の冬は逼塞していた。百姓はこもって春を待つしかなく、その間の家内作業が縄ない、ワラジづくり、テンゴづくり等々だった。
不便で貧しい時代だったが、強度偽装も東証も異常殺人もなく国会議員も麻薬など吸わない時代だった。



05/12/20 (火)  久々の快晴

A構造設計・B民間審査機関・C建設会社・D売主・Eコンサルタントと、隠し砦の五悪人がTVに登場し、いよいよ奥の院が暴かれるかもしれないと喧伝するマスコミは、悪徳商法の被害者「欠陥マンション居住者」の嘆き・いきどおりを日々訴えている。
確かに可愛そうだ。保障がどうなるのかよくわからないが、心身ともに疲れ果てていると思う。
しかし、居住者は一方的な被害者なのだろうか。

相場の7割弱という価格設定は消費者にとって魅力だったのだろうけれども、ウン千万という生涯一度の買い物はスーパーバーゲンと次元が違う。
「高いものがいい」とは必ずしもいえないが「それなりのものはそれなりの値」になる。ならざるを得ない。建物には沢山の職人が関わり、現場で真摯な汗を流している、と図面職人のわたしは思う。それなりのものはそういうふうにして出来あがる。資材と労働力の集積である建物販売に価格競争があるのは当然としても、極端なローコストには裏に何かある、と思うのも又消費者心理だと思うのだ。

この事件発覚当時、たかが鉄筋本数の偽装でコストダウンが何故可能なのかと思ったが、偽装マンションが高層である事実を知るにつれて、理解できるようになった。高層と中低層では、最下階に加わる地震力が全然違うのだ。よって偽装によるうまみのできる現場は、高層建物の立ち並ぶ大都市周辺ということになる。人口の都市集中によって地価が高騰した結果でもあり、便利さを追求した結果でもある。

ひとは都市に集まる。その理由はいろいろあるだろうが、柳田国男は「都市は高等遊民の集散地である」と、言っていた。つまりわたしら田舎モンが、底冷えのする夜、手作りおでんと焼酎でウダまいてる頃、都市住民は、歌舞伎・ライブ音楽・舞台劇・講演・ソープランドあるいは不夜城の盛り場で日々の刺激を味わっている。少なくとも味わうことのできる環境にいるのである。
勢い、誘惑の罠は多岐にわたる。その罠の最も悪質なものが今回露呈された事件だったと、いえるのではないだろうか。


05/12/19 (月) 静かな夜更け

午前2時に目が覚めた。雪は降っていない。峠をすぎたのかあるいはこれからくるのかわからないけれども、ちょっとほっとする。


事務所に入りラジオのスイッチをつけたら「シェルブールの雨傘」が流れている。映画音楽を特集しているみたいだ。熱々コーヒーを飲みながら、カトリーヌ・ドヌーブを思い出していた。


うん、若かった頃は映画館に結構足を運び洋画を楽しんだものだ。
もうあの日には戻れない。戻れないうちに、又、正月がくる。


正月は 冥土の旅の 一里塚
     めでたくもあり めでたくもなし
 一休宗純
〇ところで
中学校統合に関する市長の姿勢が新聞に載ってから、わたしの電話に、メールに、携帯メールに支持不支持こもごもの御意見が入ってきます。
コピー⇒貼付けで掲示板に載せたい、と思うのですが、前述の3通信手段はあくまでも私信でありそれは許されません。本人様がたに事前了解をいただくことが不可欠ですが、この日記の印象とはうらはらに、わたしは非常なめんどうくさがりやでありまして、一部のひとからはメンドサーノ・牧田と呼ばれています(勿論これは、「あしたのジョー」の矢吹丈が真っ白な灰になるまで戦い抜いた男=メキシコの英雄ホセ・メンドサーノに由来するものと思われます.)。
公明党は嫌いだけれども、しかし公明で秘密のないわたしには私的も公的もないのでありまして、返事のトーンは同じになってしまいます。


ということで、最近さびしくなってきた「掲示板」にどしどし御投稿を。
話題はなんでもかましませんどす。



05/12/18 (日) パソコンを進化させるわたし 

ホームページ作製ソフトをノートパソコンに移行させた。愛車にコンバーターをとりつけたわたしは、今、憎からず思うひとの軒先近くに車を停めて、ノートパソコンでこの駄文を書いている。
「あら牧田さん、うちの近くに来てたのね」と深読みする女性読者がいるかもしれないが、「愛とは何か」を書くのがきょうのテーマではない。


御鷹(みたか)団地在住の知人から「きのうの福井新聞みたか」という電話がかかってきた。新聞を読む癖のないわたしだけれども、仕方なく12/17付16面「ニュースハイライト・芦原、金津中統合へ・情報不足市民に戸惑い」を読んだ。
文面のとおりだ。12月市議会開会日までは市議にすらも公表されなかったのである。「検討委員会」には議事録がない、という。
我々議員に配布された資料には、委員名簿がちゃんと載っていた(このHPコンテンツ「報告」では割愛したがね)。
大のオトナ達がしゃべる意見のそれぞれには、自己責任が伴うのが当たり前だろう。「議事録なし」は情報公開の不透明性ととられても仕方ない。



05/12/17 (土) 昨日の一日 

昨日の午後1時半、市姫荘で社協理事会が開かれた。
提出された議案に対する質疑応答、承認で理事会は終了。引き続き「福井県共同募金会あわら市支会運営委員会」が開かれた。議案承認のあとの協議事項は
(1)平成17年度共同・歳末募金運動中間報告
(2)平成17年度歳末配分について


運営委員会終了ののちは、3班に分かれての施設慰問。わたしたちの班の慰問先は「芦原メロン宛」「ハスの実の家」だった。
生憎の積雪で、行きかえりの路上はガタガタだ。運転者は、対向車が来るたび「ワー」とか「ヒエー」とかの声を発していた。Tさん、ご苦労さんでした。


今朝は4時起床。雪は降っていないし、それ程寒くはない。しかし「週末は大雪」というのが気象庁の予報だ。
人に裏切られるのは嫌だが、この予報には裏切られたい。
〇午後5時に、これを書いている。
ウーン、まいった。今朝の午前11時、新雪をおして事務所駐車場を出ようとした愛車の前輪がぬかるみにはまってしまったのである。
待ち合わせしていた市議4人が助っ人に来てくれたが、押しても引いても動かない。
一緒に行く時刻がせまってきたので、「後で遅れていく」と言って4人を見送り、残ったわたしは愛車救出作戦を続けた。主人のわたしの日和見性とは裏腹に、車は大変に頑固である。昼飯を終えてから作戦を変えた。
ジャッキアップし、ぬかるみの空間に小石玉石を入れ込んだのである。午後3時、車はやっと動いた。嬉しくなったわたしは車に好きだよと囁いた。「苦あれば楽あり」である。
左手中指が凍傷気味になってしまったが、幸いなことに、隠れた有名シェフのわたしがつくる「ザ・これがおでんだ」を今晩食べにくる客人のなかに医者がいる。凍傷はたちどころに消えるだろう。
♪雪の降る夜は 楽しいおでん
おでんたべよか おはなししよか
   なのだ


ということで、4人の市議の皆様、ご迷惑をおかけしました。ありがとうございました。


05/12/16 (金) もう週末か 

昨日は、教育厚生常任委員会が開かれた。
午前中は福祉部関係・午後は教育関係で、委員会そのものは4時過ぎに終了したが、議員控室に戻ってからも議員どおしでの中学校建設問題についての議論は延々と続き、庁舎を出た時、あたりは既に闇のなかだった。

議会最終日22日の本会議で橋本委員長による委員会報告があるので、了解をいただければ、その報告をコンテンツ「報告」に載せたいと思っています。
ということで委員会詳細は省くとしてちょっと思ったことを・・
・「創作の森」からの報告では、あわら市民の来館比率は25ー30%という。
一連の企画は確かに耳目を集めるものであり、県内外からの来館者が相対的に多い。しかし国立県立ならばともかく、自治体が出資しているのだから、市民の耳目が集まることを肝要としなければならない。
思うに、アーテイストがコロニーをつくれば、周辺住民の目線には「あそこに住んでいなさるエライ人たち」という距離感がつくられがちなのである。市井の隠れたアーテイストが言っていることなので、間違いないと、思う。
ウーン、とうなってしまった日記(12/7付)。よろしかったらクリックしてください。

05/12/15 (木) 雪の昨日

昨日の午後1時半から、広報編集委員会が開かれた。一月発行予定の「議会だより」編集についてである。
わたしは、「編集後記」担当を仰せ付けられました。


椿の花を求めて富津の新雪未踏林道を歩いた。生憎と、椿はまだ花開いていなかったが、落葉樹の枝々に新雪が積み重なり白い花々が咲き誇っている。


雪降れば 木毎に花ぞ 咲きにける
        いづれを梅と 分きて折らまし



木毎と梅をひっかけたこの戯れ歌をつくったのは誰だったろう。
千年の昔の高名な歌人だったはずだが。


05/12/14 (水) 昨日の議会

午前9時半から予定されていた昨日の本会議の前に急遽全協が開かれることになり、その席で市長が議会に対して謝罪した。学校統合への意思を新聞にああいうかたちで発表すれば、当然議会はその意思を事前に受けていたと思われようが、全くの寝耳に水だったからである。


全協で初めて目にした「あわら市中学校建設検討委員会」報告書は20頁弱にわたりとてもその場で読みきれるものではなかった。報告書はニ中存続の場合統合の場合のそれぞれのメリットデメリットを述べたにとどまるものであり、それは構わないのだが、教育に関する最高の決議機関である教育委員会が見解を示さないのはおかしい、と思いそのことを問うた。その場での回答は無かったけれども、本会議一般質問の席上、某議員の質問に対して「統合を支持する」と答えた。
市長は本会議の冒頭で統合の姿勢を明確に出した。


市長及び教育委員会が姿勢を打ち出したこと自体は悪いことではない。
議会内部にも統合派2中派いろいろあるけれども、打ち出したことによって議論が活性するししなければならないからだ。
打ち出したということは説得力を持っていなければならないのだけれども、わたしにはこれまでの経過で腑に落ちない点が幾つもある。
住民への情報公開あるいは慎重審議が必要だ、と思う。
勿論、芦原中学校の老朽化で一日も早く決めなければという声をよく聞くし現実問題としてその声は大切だ。しかしそれとて耐力度調査をした割にはその具体的なリスク(震度〇でこうなる、震度〇でああなる)という明細をきけるには至っていない。ほぼ同じ時期に建てられた金津中学校が耐震度調査を終えていない、というのもおかしな話だ。


一般質問する某議員に対して、「部課長に意見を聞いたところ、45人が統合賛成・5人が統合反対だった」と答弁する市長に「それは、権力トップである市長が聴けばどうしてもそうなる」と某議員は反論した。部課長の意見比率が住民の感情比率にスライドするとは思えないし、確かにその気分は加味されてしかるべきだろう。


昨年末の議会で某議員が住民投票に言及していたが、最終の選択肢として確かにそれはある、と思う。

注 「報告書(抄)」をコンテンツ「報告」に載せました。



05/12/13 (火)  本日は議会

午前3時に目が覚めエクセル作業にいそしむうち、空がしらみ始めてきた。一日のうちで一番寒い時間帯だろう。
腰までを寝袋で包み、熱々珈琲を飲むうち体が温まってきた。
本日は午前9時全協⇒9時半本会議の予定だ。これまでの経過で腑に落ちないことが幾つかある。いろいろな質疑が出るはずだ。


05/12/12 (月) よく寝た昨日 

昨日の午前8時、男性5人が事務所に集合。細呂木方面への史跡探索を予定しての集まりだったのだけれども、雨で中止となってしまった。
そこへ来客あり。「雨で側溝があふれる。みてほしい」と、言う。現場をみたあと区内の神社へ行った。
年の瀬を迎え、鎮守の森にある神社境内は枯葉でいっぱいだ。黙々と清掃をこなしたあと事務所に戻ったら、男性ふたりが残っていた。


姉歯及び中学校建設問題のことを問われた。
コンピューターから起ちあげた構造計算ソフト画面を実際にみてもらい、
中学校建設問題については「学童殺人の続く昨今だ。なんとか2校維持をしてほしい、と思っている」と、答えた。


予定されていた午後の打合せが先方の都合でキャンセルとなったので、寝た。こんこんと寝た。目が覚めたらもう深夜の12時だ。
「しょうが焼き」をたべながらTVのスイッチをつけると、NHKが「シルクロード特集」をやっている。タクラマカン砂漠は「風景」という言葉を拒否する風景とでも言うべき風景だ。昔飛行機上空からみた北極海の暗黒色にもそういうことを感じた。
砂漠画面に感動しているところへ、妻が大阪から帰ってきた。
いつの日かタクラマカン砂漠を歩きたい。乾燥した砂漠で白骨となる」と言うわたしに、妻は「わかったざ」と答えて2階へ上がって行った。
又眠気が襲ってきた。就寝し目が覚めたら午前6時である。
昨日の睡眠時間は、合計13時間だったが、このようなことは珍しい。
間違指摘メール無断掲載
・タマラスカンではありません
タクラマカン砂漠ではないでしょうか(男性推定年齢57才



05/12/11 (日) 昨日の一日

昨日
午前中のCAD三昧をこなしたあとは、松岡町で打ち合わせ。
気がついたら2時半だ。急いでJR芦原温泉駅へと向かった。
旅役者・横山さんの出迎えだ。
東京から米原経由で来た彼は、「トンネルを抜けると雪国でした」と、言う。
昨日の今庄あたりは雪が降っていたのだろう。

午後7時、某寺院本堂にて、ひとり語り「貴央おんちゃんの はなすしゃべるかたる会」開演。1時間半に及ぶ硬軟まぜての宮城弁は魅力だった。
閉演し、会場後片付けを終えた我々スタッフは慰労会座敷へと向かった。

ビール熱燗片手に、鍋物つまみつつ
開演中のテンションとは違う穏やかな表情になった彼にそのことを問うと、「私には三つの顔があると言われます」との答が返ってきた。
なかなかにうらやましいセリフである。
夜更けて帰宅、就寝。


開演前談笑中のスタッフ(右がわたし)


05/12/10 (土) 10行日記

わたしの中に異変が起きている。・・というと気障な言い方になるか。
アルコールを受けつけなくなってきている。昨晩も、小グラス一杯のワィンが腹に入りきれなかった。もう1ヶ月強で57歳だ。昔でいうなら寿命なのだから、体が枯れ始めても勿論おかしくはない。

とはいっても、隠居が目前にあるわけではない。がんばらなくてはいけない。
今朝は、目が覚めたらもう午前8時だ。
外は穏やかで、寒さも峠を越したみたいである。
週末だけれども、ウイークデイと変わらないスケヂュールが控えている。
さあ、頑張ろう。


05/12/09 (金) 明晩、雪にならなければいいが 

深夜ラジオを聴きながら、CADにいそしんでいる。
深夜ラジオは、重度の障害児と脳梗塞の夫をケアしてきた女性の思いを流している。
「昔と比べ、格段に社会の目が温かくなり施設や制度や医療が充実してきているのにも関わらず、障害者の数が増えてきている。特に知的障害者が増えてきている」と、彼女は言う。

知的障害について、「社会生活との不適合」以上の厳密な定義をわたしは知らないけれども、社会がシステム化されてきていることにその一因があるのは間違いない。効率的で機能的な社会は無駄を省いた便利な社会ではあるけれども乾きがちだ。省かれてしまった無駄が実は潤いを持っていた、と思う。

「努力をどんどん無駄にする・・・それが若さの特権や」と、誰かが言っていた。


05/12/08 (木) 喜びも悲しみも幾歳月

昨晩は、近所のひとの通夜が営まれ、受付に立っていた。葬儀会社の女性に黒ネクタイのゆがみを直してもらい、立っていた。女性とのとりとめの無い会話で、廻り焼香が福井独自のものであることを、知った。

香典集計や参列者名簿整理の苦手なわたしは、せいぜい受付に立ち参列者に黙礼することしかできないのだが、その姿勢で目にする喪服のひとたちから、人生の哀感が垣間見える。
ひとは必ず死ぬ。その人生に降り幅の違いはあるとしても、振り返れば生きてきたことの価値は同じだ。
喜び・悲しみは即ち喜び感・悲しみ感であり、それを測る物差しはどこの金物屋へ行っても購入することはできない。自身の感受性により増幅されあるいは転化されするしかないのである。

やや疲れ気味で帰宅。気がつくと、携帯電話に一件の着信記録が入っている。かけ直し、数分の会話をする。気分が和らいだ。
ひとの感情は、ささいなことで立て直しができるのだ、と思った。


05/12/07 (水)  昨日の一日

午後1時半から全協(全員協議会)が開かれ、6時過ぎに終わった。
提出予定議案一覧を「報告」に載せました。
帰宅し、近所のひとが亡くなったことの詳しい話を聞く。本日が通夜、明日が葬式とのこと。厳しい寒さの到来が遠因になっているのだろう、と思った。

夕飯のおかずはわたしの好きな野菜掻揚げだ。少量晩酌でTVをみる。
画面は小学生殺人の現場だ。民放リポーターが犯行のむごさを絶叫調にしゃべっている。遺族も近親も友人達もそのような画面をみないだろうしみたくもないだろう、と思う。
某犯罪心理学者が解説していたように、仮に犯人の行為の動機が自己存在の誇示であるとするならば、TV映像が劇場的になる分だけ己の満足度があがる。続く奴の出現可能性もあがる。

閑話休題
わたしは他人にあんまり興味が無いほうなので、憎いと思うひとも殆どいない。そのわたしでも若い頃には憎い奴がいた。まさかり持って偲び込もうか、と思った男がいた。実践できなかったのは度胸がなかったからともいえるし、法律を遵守しなければならないという理性が働いたからともいえるし、彼のあるいはわたし自身の親族係累の予想される嘆きに抗いきれなかったからともいえる。
我々凡人は普通そうなのだ。

世間を自分が主役の劇場にしたいのならば、方法は他にもあるだろう。身捨つる程の覚悟があれば、他人に迷惑をかけない範囲での選択肢は多様にあるはずだ。
〇一般質問受付締切日なので、議会事務局へ行った。
強度偽装問題が全国を賑わしており、公共物についての問いただしをしようと思って行ったのだけれども、思うにあわら市は特定行政庁ではなく、建築審査機関を置いていない。聞くならば県だろうということで、質問申し込みを止めた。
PS 次回(来年3月)の定例議会から議場にTVカメラが入りCATVで放映されます。そこで次回には、よくめに質問しようと思っています。


05/12/06 (火) 昨日思ったこと

・午後三時過ぎに来客あり。
「福井市は雪が積もっているんで念のためはやめに出たんです。こちらは積もってないですねえ。」と言う。所用の為、一緒に三国町へ行った。晴天はいいことなのだけれども、あちこちの辻に小旗を持ったお母さん方が立っている。学童帰宅時刻であり、連続して起こった小学生殺人事件をうけてのものだろう。
そう思うと、殺伐とした気分になる。

・夕刻、障害者施設に勤める知人女性が来訪。
習得した手話・「聖しこの夜」をみて欲しい、と言う。このXマスソングをみんなで楽しむとのこと。年の瀬が近づいてきたのだ。
年の瀬は、新聞社会面がにぎわうのが普通だ。そうならなければいいが、と思う。

・夜、某友人が来訪。
四方山話の中身は「耐震強度偽装問題」に移った。気がつけば10時半だ。
帰宅し布団にもぐりこみ、津本陽箸「加賀百万石」を読む。
束の間の時間でしかないけれども、本を読む時だけ心が和らぐ。
そんな気がする。


〇先日書いた日記に関しての叱責メールが入った。もっともなメールであり、それを読んでこう思った


05/12/05 (月)  朝起きたら 道路が真っ白だ 


昨日の午前中は、ラジオで耐震強度偽装問題討論を聴き、TVで耐震強度偽装問題討論を見ていた。イーホムズ・藤田社長の「経済設計は意匠の問題であり、構造に経済設計はあり得ない」という意見は概ね当たっていると思う。(但し、例えば基礎地業工事としてどの工法を採用するかの判断において経済性が働く場合はあるが、採用する工法に関する基準は厳然として存在するのだからそのこと自体が問題となることはあり得ない)。

官から民への促進が問題発生の引き金になっている」という意見があったが、これは審査能力の見地からは当たっていないだろう。
行政職担当者は、数値を熟知していても、現場に触れる機会が少ない。
ひるがえって、民間審査機関のスタッフには現場経験者(設計事務所・ゼネコン等)も入っているはずだ。
提出された構造計算書は単なるペーパーではなくて、構造体を映し出す鏡であり、鏡を鮮明に見抜く力として現場経験は当然役立つはずだからだ。言いかえれば、ものごとの把握は、理屈と感の二本柱による。
つまり、民間審査機関の審査能力は行政に遜色ないのだが、しかし作業効率を常に問われる。誰だって赤字になってまでもは仕事をしないししたくないだろう。ここが、行政職と決定的に違うところだ。
確認審査申請手数料は、建物の規模に応じて国が決めているから、申請者に対して「この物件は複雑ですから、¥〇〇円かかります。構わないですか?」と言うことが出来ない。商談が出来ない、ということは純粋民間機関ではないということだ。
TV討論で、北側(だったかな?)国交省大臣の歯切れが悪かった理由の一因はここにある。
ヒューザーとか木村建設とかの答弁態度は論外だしイーホムズも免責されることはないが、このあってはならなかった不手際に関しては、建築基準法という基幹法律の遵法を巡るものである、という一点において、行政責任もあると、わたしは思う。
責任の相対的軽重は司法の分野で問われることなのだろうが・・。


〇午後は中央公民館へ。「男女共同参画社会」をテーマにした寸劇を見た。
春先に見た時よりもはるかに上手になってきている。
続いて、落語家・桂文喬さんの講演を聴いた。
どこかで会ったような気がするなあ、と思いながら帰宅した。
夜は、市内某所某室でのややあやしげな(・・でもないか・・)男性三人女性四人によるパーテイ。
焼酎片手の四方山話で、「牧田さん、きょう講演した桂さんは前に金津小学校へ講演に来た人やざ」と、話相手の男性から言われた。
その言葉で、講演にやってきた桂さんから、校長室で「笑点」の裏話を聞いたことを思い出した。

05/12/04 (日)  久しぶりにゆったり気分の日曜日 


昨日の夜は、仕事の打合せで三国町の某寺院にいた。打合せが済んだあとは四方山話だ。
障害者問題について講師を呼んでの定例公開講座を開いたところ、例年は来ない町議が沢山来た、と住職が言う。・・・うーん、来年4月は合併に伴う選挙なのだ。
ところで
「三国町は福井市内の養護学校へ向けてのスクールバスを毎日出している。
来年3月に四町合併して新市となるさかい市の中では、現在、春江と三国が独自にスクールバスを出しており、合併協では市としての刷り合わせ事項として、スクールバス確保の方向に話が進んでいる。」と言いつつ住職はやや首を傾げる。
「広域でのサービスとなればバス経路が長くなり時間増しとなる。つまりサービスのきめが荒くなってしまう。」と言う。

どこであれ、合併条件の謳い文句は「サービスは良い方に」であるが、そうならない場合が現実にある。
予算減も大事だがサービス維持も大事であり、往々にして背反するこの二極を考慮しつつ、我々議員は意見を言っていかねばならない、と思う。



05/12/03 (土)  昨日の一日 


昨日は、午前9時半から「広報編集特別委員会」が開かれた。(流れを「報告」に載せました)。
「議会だより」のスタイル・内容についてのこれからの模索である。
いろんな意見が出たけれども、
総論としては
①読みたくあるいは読みやすくするために、記事見出しやデザインを再考しよう。
①今まで載せてきた市長行政報告は行政サイドのものなので、これをカットしよう。
①当市議会は、委員会中心主義を採っている。よって各委員会での質疑応答過程がよりわかるように、ページをもっと大きくしよう。
①一般質問は個人のパフォーマンス的側面を持つので、掲載を小さくし掲載場所を後ろにしよう。
①ふるさと探訪を充実させよう。
等々が挙がった。

午後は、1時から「災害ボランテイア研修会」が開かれた。(流れを「報告」に載せました)。
講師による1時間程の概論拝聴ののち、「仮想ボランティアセンター(対策本部)」を立ち上げての実践に入った。参加者28人を14人づつの2グループに分けて、それぞれのグループを「仮想ボランテイアセンター」とした。
名のある紳士淑女のいなさる中でそんなうつわなど持っているはずがないのだが、わたしは仮想センター長に選ばれた。満場一致で選ばれた。
実践を懸命にこなすなかで、もう十年以上前になる三国沖ナホトカ号重油流出事故砂浜スコップ重油塊掘削ボランテイア作業を、わたしは思い出していた。




・寒風吹きすさぶなかで、干し大根を下ろしていた。素手なので手がかじかんだ。雨はいつのまにか霰交じりのものに変わっていた。冬間近なのだ。


05/12/02 (金) 冬間近 


午前3時に目が覚めた。昨晩は風呂に入ったのですっきりした目覚めだ。
事務所に入り熱々珈琲ブルーマウンテインを飲む。寝覚めのゲルベゾルテ煙草がうまい。
昨日から降り続く雨の音が何だかもの悲しいのは、12月に入ったからだろう。
中旬にもなれば、雨が霰に変わり更に雪となっていく。

雪か・・・。
サンモリッツのスキー場は、今も昔のままなのだろうか。今年のXマスカードはまだ届いてこないが、五十路に入ったはずのハイジは元気なのだろうか。

遠い冬の日の回想を察してか、深夜ラジオからは文部省唱歌「雪やこんこ霰やこんこ」が流れてくる。(ウン?・・今は文科省唱歌と言わなければならないのかもしれん)。

とかなんとか思いながら、CADに精出しているうちに夜明けだ。
動画「朝陽に匂う山麓」を撮りに行こうと思っていたのだが、雨は止まない。
仕方ないです。


05/12/01 (木) もう師走だ 


ちょっと疲れ気味・・・。
現在、わたしは何故か議員をしている。議員といっても吹けば飛ぶよな地方議員だが・・。
議員には国会議員・県会議員・市町村議会議員の3種類がある。国会議員は国を憂い県会議員は県を憂い市町村議会議員は自治体を憂い、それぞれのありうべき未来をさぐるのが基本的な仕事である。血税をいただいての仕事だから勿論おろそかにしてはならない。
議会や委員会に出席するだけならば、給料泥棒と呼ばれても仕方ない。やはり日常的に動きフルタイムワーカーの思いを持っていなければならないし持っているつもりではある。
しかし、(ウーン、まことに言いにくいのだが)現在の議員報酬だけではとても妻子を養っていけないので、夜なべ仕事もしている。
加えて、個人的な相談事を受ける。冷静に考えればそれらは区長や民生委員の仕事ではないかと思うのだが、事実として受ける。
滅私奉公・愛こそ全てを座右の銘としているわたしにとってそれが嫌かろうはずはない。しかしその為の時間が刻一刻と過ぎていく時、ややもするとストレスが残る。

というようなことを、昨晩、向ヶ丘の知人との電話のなかでちょとだけしゃべった。しゃべったら、気楽になった。あまり考えないことが大切だと思った。