2006年01月

06/01/31 (火) 鴨
以前、動画コーナー「竹田川」でしゃべったことがありますが、自宅裏・竹田川の金津大橋たもと辺りで沢山の鴨家族が生活している。この季節、越冬の為に遠路シベリヤ大陸からはるばる飛来してきた集団だ。
昔「野鳥の会」に入ろうかと思ったくらいに野鳥好きの私は、7年ほど前からこの家族達の生態を観察し続けているし、その過程で彼ら彼女らにとても親近感を抱くようになった。

しかし鴨というのはなかなかにナーバスで、こちらがどれだけ静かに近づいていっても気配を察してすぐに逃げていってしまう。気配とはすなわち私の愛情であるのにも関わらず敵だと思ってしまうのが鴨の悲しいサガで、仕方のない私は今のところ遠目での観察に終始している。
しかし不思議なもので、それでもそれなりの個体認識ができるようになってきた。
そこで私は、数年前ニ年続けてシベリア・ウラジオストックから自宅にホームステイにきたひとたちのことを思い出しながら、何羽かの鴨に、ノリスキーとかテレシコワとかの名前をつけてしまった。

あ!8時が迫ってる。
こんなこと書いている場合じゃないのだ。
今日明日と「街づくり特別委員会」の視察研修なのだ。その報告を明日書きます。
行ってきます。

06/01/30 (月) 誕生日に思うこと
どうということもないが、きょうは私の誕生日。
きょうでまる57年間を生きたことになる。27歳の時、十二指腸潰瘍で入院したことがあるけれども、それ以外には大病もせずにきょうまで生きてこれたのはありがたいことだ。日頃何かの運動をしているわけではない。煙草も数箱吸う。たしなむ程度だが、お酒も少しは静かに口にする。
カラダの面でひとつだけこれがよかったのではないかと思うのは、腹八分目の励行である。粗食に甘んじてきたことである。
ココロの面でひとつだけこれがよかったのではないかと思うのは、ひとはちょぼちょぼと思ってきたことである。

責めるな 責めるな
人を責めるのが 一番いけんと
朝夕 あたしに告げる くちなしの花 (坂村真民)
                  なのである

ひとの一生の長さについて、私は算盤をはじいてみた。
地球ができてからの45億年を1年間にしてみると、
恐竜が滅びた6500万年前は、365日×6500万年/45億年=5、27日つまり5日と6時間前のことだ。
アフリカ峡谷で最古の原人イブが生きていたのが450万年前だから、365日×450万年/45億年=0、365日つまり8時間45分前のことになる。
源平合戦は365日×24時間×800年/45億年=0,002時間つまり7秒前だ。

私のきょうまでの人生は365日×24時間×3600秒×57年/45億年=0.4秒なのだ。鼻かんでる間に終わってしまうのが、ひとの一生ということだ。
そしてそのなかに悲喜こもごもがある。

06/01/29 (日) ホテル
東横インが全国展開でつくったホテルの幾つかで、完了検査のあとに改竄施工のなされていることが発覚した。
改竄し容積率オーバーとしたものもある、という。
建築基準法は、第一条から第百三条までの間でサマザマを謳っているが、建ぺい率・容積率は条文中、最も太い柱のものだ。細則でのごまかしならばともかく、容積率無視というのは、法への果敢な挑戦だ。

県条例を無視し、身障者用宿泊室撤去あるいはバリアーフリーゾーンの撤廃をしたことに対して、社長は「身障者の来客が少ないし、健常者には使いづらいから」と言っていたが、来客少ないは言語道断としても、本当に健常者には使いづらいのだろうか。
健常者の尺度に合わせた部屋が身障者にとって使いづらいあるいは使えない、というのならばわかるが、その逆はないと思うのだが。

不特定多数が集まる建物の設計図書は審査機関提出の前に、福祉事務所におもむき身障者用水廻りあるいはバリアフリー等についての指導を受けることが義務付けられている。

もう二十年近く前のことだが
埼玉県のホテルで、ろう者と相部屋に泊まったことがある。
消灯時に相手が、「今晩はごっつう安心して眠れまんな」と言うので子細を聞いた。
相手は、「だって、ホテルが火事になったとしてやね、自動火災報知器鳴りますやろ。ぼくら聞こえへん。煙押し寄せてくるまでゼンゼンわからへん。けど、今晩は牧田さんが起こしてくれまんがね」と、手で答えた。
その後ぼくはホテル関係者に会うと、警報のありかたを話してきたが、要するにそういう小さい声が集積されてホテルのバリアフリー化が少しずつでも推し進められているのではないかと思っていただけに、東横インの差別的姿勢は大変に残念である。

06/01/28 (土) みなさん お久しぶりです 
ほぼ10日間、IT接続不能となっていた機械がきょうの午前4時にやっと復旧し、書き込み可能となりました。
IT接続長時間不能は、私にとって初めての体験でした。
TVは殆どみないので、世の情報というのはラジオと新聞だけでしたが、これがなかなかいいものです。情報過多になればなるほど何が何かわからなくなる、という側面がどうも私にはあるようです。

(人柄のせいか容貌のせいか女性が多かったですけど)「具合が悪いのですか?」という幾人かからの御連絡を頂きました。慎んでお礼申し上げます。

例えばリルケは、薔薇の棘が刺さった自分の指先から滲み出る血をみてそのショックで亡くなりました。私のあるいは私の日記のスタイルにある繊細なもっというと腺病質的な匂いにリルケを重ね合わせて、私の体を心配してくださったのかもわかりませんが、いや怪我をしたわけでも病気だったわけでもありませぬ。

あと二日で満57歳となりますが、57といえば男盛りです。これからも無病息災を願いつつ、新たな気持ちで書き込んでいきたい、と思っています。

06/01/23 (月) さあ 1週間の始まりだ
インターネット接続が不可能となったここ数日、表紙やコンテンツの模様替えをしていた。この作業が時間の経過を忘れるほどになかなか面白かった。
ついでに、過去日記の幾つかを読み返してみた。
「議員日記」というタイトルなのに、議会とは関係ないことを書いた日がたくさんある。むしろそのほうが多いかもしれない。
「うーん、削除しようか、タイトルを変えようか」と一瞬逡巡した。
けれど、何年前だったかの日記で、「徒然日記」に変更するつもりです、と書いたところ、非難メールや非難掲示があったのを思い出し、このままにしておくことにした。お客様(読んでいただくひと)は、神様なのです。

はじめてこの日記をUPしたのは、議員になって1年間が経過した頃で、選挙の時のウグイス嬢の御主人=パソコンの達人に促されてのものだった。1年間くらいは続けなあかんなあと思っていたが、その割りには続いているし今では、書くのが癖になってしまった。半径数kmの生活圏のなかで、経験したこと感じたことを書く以上のことは私には無理であるによってに、あくまで自然体でこれからも書いていこうと、思う。
その自然体だが
腹のたつこともたまにはある。市長や同僚議員の悪口を固有名詞とともに書き込みたいこともたまにはある。しかし、批判と悪口は別であり、勿論悪口を書いてはならない。
引出し保管・鍵つき日記との違いはそこにあるのである。

  06/01/22 (日) どうもなあ

昨日本日と、家族以外の誰にも会わず誰にも電話せず誰からも電話を受けず事務所に閉じこもっていた。CADに向かうか本を読むか酒を飲むかTVをみるかのどれかで二日間が終わった。

昨晩のNHKTV番組・「税が適切に使われているかどうか」というテーマについての視聴者参加型の討論番組をたまたま観た。谷垣財相や作家や大学のセンセも参加していて、つまり参加した視聴者のみなさんも地域リーダー型なのだろうとは思ったが、それをさしひいても面白くてその前半をみていた。

関東の某市の元市長が登場し、市で開かれている「市民委員会」のシステムを語っていた。
「市民参加型」という標語自体はもはや珍しいものではなく、あわら市でも大きなテーマがある時には(ネーミングがどうかは忘れたけれども)「意見を聞く会」がその都度開かれる。
しかし、参加したひとからは、委員の公募があるとしてもそれは一部で、殆どが当て職で構成されている、しゃべるひとも決まっているし、つまり行政の通過儀礼に過ぎないという話をよく聞く。

某市の場合は、先ず予算案を「市民委員会」に公開し、こまごまの指摘を受けて修正されたそれを議会に提出するという流れであるそうだ。必ずしもそれを議会軽視と私は思わない。
市民の声は生の声だ。予算全体のなかでのバランスを欠くトーンも当然いろいろあるだろう。しかし、その分だけ切実な思いが濃いはずだ。
執行者としての市はそれを受けて、修正された案を議会にかける。議会はその付託議案を審議し、承認あるいは否決するということになる。

例えば、議員としての私は、顔つき合わせて、電話で、メールであるいはこのHP掲示板で拝聴した意見を念頭におきつつ議会にのぞむ。軸はそこにあるのだけれども、偏った思いとなっているのかもしれない。
という意味で、某市の「市民委員会」的なものが、実質的に機能するとしたら、とてもいいことだと思うのだが。

  06/01/21 (土) 

ちょっとした手違いで、日記のHPアップができなくなってしまった。
「まあ、いいわ ほっとこう」と思ったのだが、昼過ぎになったらなんとなく忘れものをしているような気分になって落ち着かない。

  06/01/20 (金) もう週末か

昨晩は、サークルの新年会ということで焼肉を食べに出かけた。
某君が、「憑きを落とす仕事をしている。そのひとには背後霊が憑いているんや」と言う。
社会が急激に変貌していけば、我々衆生の民の精神の安定がそこなわれるのは当然で、意図不明の犯罪はこれからも増えるだろうし、自己を苛むひとも増えるだろう(私はこれに近い)。先日電話をかけてきた昔の友人女性は、「ヒーリング(癒し)で、全国あちことに出かけている」と言っていた。
そういう意味で憑きびとがでてきても、ちっともおかしくはない。

精神病理学というもともとが個人を対象とする学問領域が社会学とドッキングして、学者がTV画面で識見を披露するという場面も増えていくだろう。(余談だが、ふた昔程前には、学者がTVに出るなんてことはゼンゼンなくて、みな、象牙の塔に篭っていた)

ということで、私は、昔読んだ開高健のエッセイを思い出した。
開高がカナダ・バンクーバー空港の屋上で煙草を喫っていた時、ひとりの紳士がじっと西の空を見詰め続けているのに気がついた。
すりより、「おっさん、なにしてまんねん」と聞くと、
「わたしはですね、飛行機に乗ってここへ来た。からだだけが早く着いてしまったので、こころが到着するのを待っているのです」と答えたそうだ。
〇ところで、私はバカなことをしてしまった。
新年会でビールジョッキ一杯を飲んだので、自宅への帰りは、当然助手席だ。久しぶりに本を買いたい気分になっていたので、運転席に、途中本屋へ寄ってほしい、と頼んだら、返事は「いいわ」だった。
店頭の読みたかった月刊誌を買って帰宅。読み始めたら、なんと、先月買ったのと同じ号ではないか。
大枚750エンを払った私は、それを無駄にしてはならないと思い、同じ字面をずうっと読み返していた。

06/01/19 (木) 午前5時の外は小雪 
昨日の夕方。柱時計が、ぼおおんぼおおんと5時の時報を打った。
CADの画面を閉じ、「よおおし、きょうはもう終わりや」と決意して事務所の内鍵をかけた私は、ネクタイを外しシャツとスボンを脱ぎステテコ一枚の姿となって冷蔵庫から焼酎をとりだし、オンザロックでひとり飲み始めた。つまみ無しだ。

「人類が抱えている問題の全てを私自身の課題とする」が信条の私は、そうであるが故に常に悩んでいる。しかしコップ一杯の焼酎で、束の間ではあるけれども、悩みをポジテイブな夢に転化させるすべも知っている。

突然、事務所のドアがドンドンとノックされた。
「まずい」と思った私は、室内の物陰に隠れ息をひそめて、訪問者が帰ってくれるのを願った。
が、しかし「おおおーい、いるかあ?」と、畳掛波状的言葉が室内に響く(蛇足だが、去年行ったイルカのコンサートはあんまり面白くなかった)。

「仕方ないなあ」と思った私は、シャツとズボンを身に着けて、ドアを開けた。客人は知人だった。
お互い焼酎を飲み交わしながら、「議員は何をせねばならないか、あるいはドブイタ議員について」をテーマとして会話は延々と続いた。

後日、整理して書きたいと思います。

〇大阪の友人から、「おおおーい、金津に活断層走ってるの知ってるかあ?」という電話が入ってきた。
管轄は土木部だ。きょう、行ってこよう。
ということで庁舎へ行ったのですが、管轄はどうも総務課みたいだ。
マップ調査を頼んで帰宅。 ・とりあえずの参考URLです。

  06/01/18 (水) きょうは晴天
昨晩は、若い時の友人女性からの電話が大阪から入ってきた。
何年振りか、ともかくとても久しぶりだったので、なつかしかった。
電話を切ってから布団にもぐり込み、ラジオスイッチをオン。ラジオは昨日の出来事を伝えていた。
いろんなことを考えているうちに、夜はどんどん深けていった。

目が覚めたらもう陽が出ている。8時だ。
歯を磨き洗面し髭を剃り朝食をとったあと事務所清掃を終え、今、キーボードに向かっている。

17年前の幼女4人殺害容疑で死刑判決をうけた宮崎勤被告は、当時カプセル人間のはしりと呼ばれた。カプセル人間とは閉じこもり気味で他人との関係のなかで必然的に発生する摩擦に耐えられない型の人間をいう。いきおい支配欲の対象を無抵抗の幼女に向けることがある。
閉じこもりの好きな私もやや似たところがあるけれども、しかし幼女に支配欲を向ける、ということだけは絶対にない。支配も被支配も大嫌いだ。

精神鑑定という微妙な部分については、解説を鵜呑みにするだけだ。
ただ、被告の言質を聞いていると、責任能力があるとしても責任感は全くないのであって、人間として未成熟だとだけはいえる。
しゃばに浸かって生きていく過程で試行錯誤を繰り返し反省することで成熟していく、というのが人間としての普通の歩みである。しかし、高度経済成長時からは、そもそも社会全体が、成熟に背を向けたいわば未成熟社会にベクトルの軌道を変えてしまった。
昨日、警察の捜査が入ったライブドア社長・堀江某にしてからがそうだろう。私は株のことなどゼンゼンわからないから彼の容疑の内容についての言及は全くできないが、TV画面に出ている時の、ノーネクタイで口を半開きにして、あたりを睥睨するようにしてしゃべるしゃべりかたに対して、「ああ・・ひとは中身じゃない。顔の造作ではない。白い黒いは関係ない。清潔感だ。外見だ。立居振舞が全てだ。他山の石とせねばならぬ」と、いつも思っていた。
ついでながら、昨年の衆院選の時、小泉内閣は、このあんちゃんを裏で(表でもかな)推していたのである。

  06/01/17 (火) 1月17日
六千数百人の死者を出した阪神淡路大震災から11年が経った。
あの日の朝、突然の揺れで目が覚めた私は本能的に子供部屋へ走り、3人の子供たちの上におおいかぶさったのを覚えている。

TV速報が現場の混乱した状況を映し出すのだが、阪神間在住の友人宅に何度電話してもつながらなかった。
後日、友人の依頼でメジャーテープやさげふりを持って、彼が仮契約した中古住宅の被災状況を調べに宝塚へ行った。
学生時代阪神間に住んでいた私は、最後の下宿先だった阪急宝塚線の仁川に寄った。谷合の土砂崩壊で34名が亡くなった場所だ。土砂に埋まった黒焦げの車体の際に線香が添えられていた。
芦屋のある町では全ての建物が崩れて道路になだれこんでいた。
西宮の大きな集合住宅は、1階のスーパーマーケットの部分がそのまま無くなってしまっていた。何度もTVで放映された高速道路桁の崩壊現場をみた時には唖然とした。

ここ福井は昭和23年の福井大震災で三千数百人の死者を出した。その学年度に生まれた私たちは「地震っ子」と呼ばれて育ってきた。身内やあるいは老人たちが時折に話す地獄模様を聞きながら育ってきた。

地震国の日本に住む我々は震災の悲惨を心にとどめながら日々を生きている。ましてや建築に関わるひとは、少しでも強固な建物を完成させることを目的としてきたはずだ。
耐震偽装などというものがあったあるいはある、ということが今でも信じられない。
↓椿が原生する道(富津)


  06/01/16 (月) 雪

日本列島を襲っている豪雪は各地で被害をもたらせているが、死者の数は福井県が最も大きい、とTVが報じていた。死者の殆どが高齢者であるということに対して、哀悼も含めいろんな思いが錯綜する。

県内の豪雪地といえば奥越地方だ。昨年の晩秋、大野朝市を見学に行った時ガイドをしてくれた友人・山田さんの説明によれば、大野への観光客は冬季にばったり途絶えるとのことだった。

屋根への積雪量が多くなれば当然負荷荷重は大きくなり、家屋倒壊の恐れが出てくる。しかし積雪量だけが荷重要素ではなくて、雪質によっても増減がある。さらっとした雪の場合は比重が小さく、水気を含んだ雪の場合は当然大きい。さらに、新雪と根雪でも比重が違う。
比重に関しては、多分、東北北海道よりも福井のほうが大きいと私は思う。

構造設計士として言うと
例えばここあわら市の場合、鉄骨造あるいは鉄筋コンクリート構造の構造計算をする時、建築基準法及び県条例は、長期荷重として最深積雪量を2mあるいは1.75mと定めている。その場合、単位荷重として根雪を採用する。根雪重量は1cmで3kg/㎡だから、最深積雪量2mの場合、3×200=600kg/㎡となる。長期荷重とは四季全てにおける荷重という意味を持つ。
ひらたく言えば、ねんがらねんじゅう大人が屋根に1㎡あたり10人ほど立っていることを前提としていることになる。ただし、木造住宅の場合は、積雪量1m程度で雪降ろしの慣習があるということで、こういう構造計算をしない。
記憶で言うのだが、奥越の大野あるいは勝山あたりでは、最深積雪量は、3mあるいは3.5mと定められているのではないだろうか。
参考までに

  06/01/15 (日) 忙しい日曜日

目が覚め空腹を覚えたので、うどんをつくった。通常のダシではちょっと甘い。塩胡椒をふりかけてくったらうまかったうしまけた。
掲示板を覗いたら新しいメッセージが入っている。返事を書いているうちに、夜があけた。

〇午前中は、地区の婦人会の年始総会に出向き、挨拶をさせて頂いた。
単なる挨拶では実がないなあと思い、昨年末に開かれた12月定例議会の報告集の一部をレジュメとして抜粋、会員の皆さんに配布し、そのレジュメを軸にしゃべった。
単なる報告では芸がない、ジョークを入れようか、と思った私は冒頭で、
「坂ノ下区婦人会の皆様、あけましておめでとうございます。いつのまにか松の内も過ぎて、すでに1月中旬です。いよいよ1月30日が近づいてきました。
・・・1月30日とは、私の誕生日であります。牧田孝男、男盛りの57歳になります。男盛りのこのりりしい横顔!・・とくとごらんください」と挨拶した。

笑い声は確かに聞こえたのだが、どちらかというと失笑に近かったような気がする。しらけムードが漂ったかもしれぬ。巧言令色少仁 だ。男はやっぱり無口であるべきだ、と思った。

  06/01/14 (土) 無題 
あしたの日曜日がスケデュール満載なので、せめて土曜日だけは週末らしくゆったり過ごそう、という気持ちで、このHPの表紙などをいじっていた。
フリーソフトのカレンダー機能ダウンロード貼付けをして遊んでいた。面白いんだけど、面倒くさくもあり、疲れたので寝転んで本を読むことにした。

本にもいろいろあるけど、思想書は難解だし詩はよくわからないし長編小説は時間をとり過ぎるしドキュメントは固有名詞が氾濫するし、というような消去法でいくからか、私は中間小説を読む頻度が多くなってきたような気がする。

〇「何故、「予定」の書き込みを止めたのですか?わたしはみてましたよ」という若い女性からの携帯メールが入ってきた。私は携帯メールを上手く書けないので、「特別な理由はないんです」と電話で返事したのだけれども、会話をしている間に、コンテンツ「予定」を復活させようと思った。

〇本を読んでいたら、某保育所の保母さんが事務所に来た(ン?今は保育士というのかな、いや保育師か・・確か姉歯建築士と新聞に出ていたから士だろう)。
「子供たちに手話コーラスを教えることになったので、教えてください」と、彼女はいう。手話を教えたあとは珈琲飲みながらの四方山話に移った。
旧知の間柄なのだけれども、久しぶりに顔をみたので楽しかった。

〇彼女が帰ったら、もう5時だ。
少し飲もうかと思い、近所のスーパーへ焼酎を買いにでかけた。
「議員としての今年の活躍を祈ってます」と、レジの女性から言われた。
「ありがとうございます。がんばります」と、私は答えた。

・・・男社会で育ってきたせいか、私には女性と話する機会が殆どない。
機会があっても、根がてれやのせいか、うまく受けこたえができない。
しかし、きょうのようにコミュニケーション相手が全て女性という日も現実にあるのである。
(あんまり好きな言葉ではないけれども)男女共同参画社会のこんにち、異性に対してフランクに話のできる自己を目指そうと、私は思った。

06/01/13 (金) まだ雑煮を食べ続けているあたし 
月刊誌に、昨年の衆院選で復活当選した鈴木宗男の手記「外務省・腐敗官僚の実名と悪行」が載っている。今のところ、名誉毀損訴えの話を聞いていないからほぼ事実なのだろう。
小泉内閣登場時に、田中真紀子外相vs外務省の確執が先ず世間を騒がし、ヤバイと思った小泉は彼女を切り捨てた。この時、マスコミは彼女のスキャンダラスな部分を取り上げていたから、政府と提灯持ち的マスコミ関係者の間にはある種の連携があったのだろう。

外務省高級官僚(のうちの一部なのだろうけど)の腐敗状況が浮き彫りになるのかと思っているうちに、矛先が鈴木宗男に向けられるようになった。
手記によれば、外務省は、北方領土四島一括論者である彼を、ニ島先行返還論者であるように印象付けるため、ロシア外相と彼との会談記録原本を30ヶ所以上改竄・削除したものを志位和男に渡し、志位はこの虚偽報告書に基づいて彼を攻撃したという。
TVで「疑惑のデパート!」と辻元清美から罵声を浴びせられた背景もこのあたりにあるのかもしれないが、でもあの時、涙ながらに抗弁していた彼に、あたしはシンパシーを感じた。

高級官僚にしろ国会議員にしろ、所詮、納税者のドレイにすぎないはずなのに、そこは魑魅魍魎が跋扈する舞台となっている。
昔、警視総監かなんだったかの秦野章が国会議員に転じた時、
「政治家に清潔を求めるのは、八百屋で魚を求めるのと同じだ」と雑誌に書いていたのを、あたしは、思い出してしまった。


06/01/12 (木) 11日の10時過ぎに書いてしまった日記  
バカだねえ、あたしは。
夜、気持ちで寝ている途中に目が覚めた。視界に飛び込んできた柱時計は1時50分をさしている。
「もう日が変わったのか、はやいなあ」と思いつつラジオのスイッチをつけパソコンの前に座りこの日記を更新し始めたら、ラジオが「10時のニュースを終わります」と言ったのだ。あたしの寝ぼけマナコは、10時5分を1時50分と認識していたのである。

誤認識だからどうってことないんだけど、これが誤認識じゃなかったとしたら・・・。
アインシュタインの相対性理論は時間の捻れを証明している(ということ以外の一切はチンプンカンプンだけど)。あたしがその異次元空間の扉を何かの拍子で開けてしまった結果、時間差を持ったんだとしたら、これはすごいことだ。
13時50分マイナス10時5分=3時間45分だけ、あたしはみんなより遠い未来を生きていることになる。
例えばインターネットなどで過去3時間45分の間に起こったモロモロを検索したのち、誰かに会うのだあるいは電話をかけるのだ。3時間45分の間のモロモロをことこまかに説明する。相手は、おまえもとうとう〇〇になったかと憐憫するだろうが、次の日になったら憐憫は間違いなく崇拝に変わる。
お布施を持ってくる。与えた情報の種類や価値によってお布施の額は変わる。新興宗教の道が開けてくるのではないだろうか。

というような加減なことを考えているうち、又眠くなってきた。おやすみなさい。

〇一息ついてのドライブで、加賀の国を走った。
空は快晴だった。


日本海の荒波を体感する為に車から降り、崖に立った。
風が激しく、ミュンヘンで買ったくわえ独煙草ゲルベゾルテが飛んでいってしまった。ロスで買ったダンヒルのライターで再びつけようとするのだがままならぬ。しかも冷たいのだ。
冷気はパリで買ったダーバンのコートをも突き抜け、体の芯にまでせまってくる。
長居せず、車に戻った。でも、充実した気分になった。何故なのだろうか。

  06/01/11 (水) 雀とあたし  
5時半、東の空が白み始めてきた。棚雲に朝焼けが映えてまことに美しい。
ここ数日の雪は小康状態となっているし、今朝もそれ程寒くはない。

窓外に雀が集まりちゅんちゅん鳴いている。
山が雪で覆われ餌を採ることができなくなり里に降りてきたのだ。可愛いくじゃれあっている集団にしか見えないが、みんな必死で餌を探しているのだろう、と思ったあたしは、自宅に帰り米びつから一握りの米粒をとりだした。
ポケットに入れたのだが、しかし思い直した。
飢えているのならば、堅いものは胃に悪いのではないか、やっぱり焚きあがりの御飯に限るのではないかと思い直した。
皿に新米炊上御飯を乗せ、ちょっとだけ醤油をかけて事務所に戻ったが、雀たちは餌場を求めて既に飛び去ったあとだった。

「又戻ってくるだろう」と思ったあたしは、白い雪の上に御飯をばらまいた。醤油をかけたのは、まことに正解で、雀達遠くからの識別の手がかりとなる。

〇午前9時半から、嶺北消防組合の「消防出初式」が開かれた。
本年は坂井郡が一体となり、県内では2番目に大きな組織となる。

     屋内式典風景        屋外一斉放水風景


〇友人が座椅子を持ってきてくださった。
「回転できる」と言う。「どっしりと座って、HPの原稿どしどし書いてくれ」という。
涙が出る程ありがたかった。

考えてみると、あたしの事務所にあるものはもらいものが多い。
エアコン・コピー機・電子レンジ・机・茶碗・スプーン・鍋・カセットガスコンロ・机等々だ。もらう度に涙を流しそうになるし「お返しをしなくては」と思うのだけれども、議員が贈答することは公選法違反になる。残念なことだ。


06/01/10 (火) 歯磨励行決意  
昨晩の7時、中年男8人が事務所に集まっての冬味覚王者寄鍋宴会風新年会が始まった。
ほろ酔い気分に乗じて話題が変遷していく、というのが宴席の常である。
話題は
<①高校サッカー決勝戦、鹿児島実vs野州での野州勝利について
   (講師・サッカー監督)
⇒②近く導入されることになる小泉流戦略の一環としての陪審員制度について(講師・裁判所職員)
⇒③中学校建設問題について(講師・市議)
⇒④新住居表示はダメだ 旧表示の復活運動を目指そう!
   (講師・準大手ゼネコン勤務)
⇒⑤恋にルールはあるか(講師・無職)
⇒⑥宗教とは何か(講師・遠隔整体師)> の順に流れていったのだが、
あたしには⑥が一番の盛り上がりをみせたような気がする。

たまたま全員の家が浄土真宗系だったので、真宗の創始者・親鸞の「教行信証」や中興の祖・蓮如の「御文章」などを軸として講師は話を展開していったが、聞き手のあたしたちには、他宗教あるいは他宗派の言わんとするところのものも勉強したいというあつい思いが結果として芽生えた。
僧籍のひと、アラーのひと、神父、牧師エトセトラに来ていただいての、定期的「法話教室」を開くのがいいのじゃないかという意見で一致した。

親鸞の歎異抄にある「善人なほもて往生を遂ぐ いはんや悪人をや」の悪人という言葉を、あたしは、人はみな多かれ少なかれ必ず悪をなしているが故に、自分が悪人であることを自覚している人のほうがワンステージ上だというふうにとっていたのでそういう思いを述べたのだが、皆の意見によるとどうもそうではないらしく、もっと奥深い意味があるそうなのである。

閉会挨拶として、あたしは、若い頃鍛えた詩吟で「平家物語」の冒頭を朗詠した。

♪「祇園精舎」
祗園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず
唯春の夜の夢のごとし
たけき者も遂にはほろびぬ
偏に風の前の塵に同じ   
・・・・皆は、あたしの喉にびっくりしのか、微動せず聴きいっていた。

そう、あたしたちは「風の前の塵に同じ」で、故村田英雄に言わせれば、吹けば飛ぶよな将棋の駒なんだ。
しかし、北島三郎も名曲「歩」で、歩もかえれば金になる、塵も積もれば山となる、と唄っている。我々あわら市住民は、市行政に対してただすべきところはただす為に、力を合わせてやっていこうではないか。


06/01/09 (月) 昨日の日曜日  
昨日の午後。一時半からグランデイア芳泉において、市の成人式が開かれた。あたしにとって、沢山の若者集団を目の当たりにするのは、年に一回のこの成人式くらいのもので、とても貴重な時間帯だった。
昔、郷ひろみがアイドルタレントとして全盛だった頃、「成人の日」特集TV番組に出場し、「今日でぼくには弁護士がいなくなりました」とコメントしたのを覚えている。本人の弁なのか黒子がつくったセリフなのかはわからないけれども、なかなか味なことを言うと、その時あたしは思った。

記念撮影終了後、同時並行で年始総会が開かれている地元地区区民館へ。進行の途中で、挨拶をさせて頂いた。総会後の懇親会を途中で抜け出して隣区下八日へ。
大鳥神社境内で開かれている「左儀長」の燃え盛る炎をデジカメで撮りたかった為だが、既に終わっていた。

一旦自宅へ戻ったあと、夜は三国町の某寺院へ。
檀家幹部のひとたちの集まりで、昼間の成人式とはうってかわって70代、80代のいわば人生経験達人たちの集まりだ。しばらくしゃべったあと、再び下八日区大鳥神社境内の社務所へ。
そこで開かれていた年始総会はちょうど終了したところだったが、個別に挨拶をさせて頂き帰宅した。

風呂からあがってコップ一杯だけの晩酌。TVは、NHK大河ドラマ「功名が辻」(司馬遼太郎原作)の第一回を放映し始めた。今回の脚本は大石静だ。以前、週刊誌で毎週彼女のエッセイを読んでいたので、めいっぱい観ていた。舘信長は反町信長と顔がとっても似ていると、あたしは思った。


06/01/08 (日) 忙しくなりそうな日曜日 
日本が人口減少国に転じたということでの将来に対する不安や危惧が雑誌や新聞紙面を賑わしている。その記事を目にする時あたしはいつも故司馬遼太郎の「この国のかたち」を思い出す。
右でも左でもないこのひとの、バブル沸騰時での角栄的政治に対するいきどおりはそりゃあ大変なもので、以後、司馬先生は「土地公有論」を展開することになる。
しかし、土地の値が需給のバランスに支えられているものとすれば、人口の減少していくこれからの日本において、土地は金銭投機の対象としての存立基盤を弱くしていくだろうし、少なくともその点において光明を見出さなくては、と思うのだ。
平野部面積つまり生活可能領域面積は、将来、相対的に大きくなっていく。
自然を共生すべきより身近な友人とする可能性が広まる。若い頃、ハワードの「田園都市論」というややユートピア志向的な本を読んだことがあるけれども、それが現実味を帯びてくるのではないか。
勿論、生産人口と非生産人口のバランスの崩れをどうするかという困難なテーマが横たわっているけれども、そこは、この国の持つハイテクを含めた技術力でカバーしなければならないし、例えばあたしたち団塊の世代は定年を数年後に控えているとしても、まだまだ老け込む年齢などとは思っていないだろう。もともと定年などのないあたしは、「定年=死」を座右の銘とした日々を送っている。


06/01/07 (土) 雪 
夜明け前に外へ出てシンシンと降り続く雪を見ていた。

ラジオやTVは連日、北陸・東北の豪雪模様をニュースで流している。屋根雪による家屋倒壊、除雪車による轢死、野菜収穫の激減エトセトラだ。
特に新潟・秋田あたりの被害が深刻で、新潟は地震、豪雨、豪雪と立て続けだ。
というところで、最近読んだ月刊誌の中身を思い出した。
秋田県を特集したもので、正確なタイトルは忘れたが、秋田県はここ5年以上人口あたりの自殺者数が日本一だそうだ。挙げられていた推測される原因のひとつが、冬季、雪に閉ざされて動きが閉鎖的になりかつ心が閉鎖的になりがちだから、とあった。本州はやっぱり、日本海側が陰で太平洋側が陽というイメージの図式を持ち続けている。

ここ越前は関西に近いし、正月に読んだ新聞の「予想される道州制区割りマップ」では近畿圏に入っていたが、関西人とはあきらかにキャラが違う。陰は必ずしも負価値だけを意味しない。軽佻浮薄とは対極の意味を持つし、将来の環日本海経済圏構想を勘案しても北信越連合あるいは環日本海共和国あたりで固まるのがいいと、あたしは思うのだが。



06/01/06 (金) 昨日の一日 
昨日の午前中は、熊坂にいた。山下さん(元議員)のホームページ・リフレッシュの打ち合わせをしていたのである。無償行為で、いってみればボランテイアかもしれないが、このヨコモジがあたしはあんまり好きではない。よくわからんおっさんだったけど故笹川良一の「一日一善」がいい。誰にも言わないけれどもあたしは、ヒソカにこれを実行している。「積善の牧田」なのだ。
とはいうものの、おいしい冷珈琲を頂き沢山の野菜を頂きついでにビール箱詰めまで頂き、どうもありがとございました。

午後はCAD三昧。没我傾倒的全力集中の世界は時間を忘れさせる。気がつけばもう午後5時を過ぎていた。「よおしきょうはもう終わりや」と世界の中心に向かって愛を叫んだあたしは近くのスーパーへ焼酎を買いに行った。
コーナーに立ち銘柄を決めあぐんでいたあたしの携帯に「事務所前にいる」コールがかかってきた。来客なのだ。即、事務所に戻り四方山話が始まった。四方山話は中学校建設問題に収斂されていった。
来客帰宅のあと、あたしは焼酎のみのみ漱石の名言・「知に働けばカドがたつ。痴に働けばナニがたつ」について考えた。

年末年始にかけて何人かのひとから、「新聞に出てたけど、中学校問題は統合に決まったんやってなあ」と言われた。
勿論、違う。
商業新聞は市長談話だけを載せるので、いきおいそういう印象が残る。市長がそういう姿勢を表明したことは悪いことではない。しかし、今から半年間かけて地区毎の説明会を開いていく、と言っているがそこで説得力の有無を問われることになるだろう。
あたしは教育厚生常任委員会に属しているので委員会内部での質疑を経験しているが、基本的に賛否両論なのだ(一月発刊予定の議会だよりを読んでください)。そして、議員全体での討議はまだ開かれていない。議長采配で開かれることになるだろうが、議員の総意は未知数と言っていいだろう。
つまり、市長が統合への姿勢を表明したことで、議会及び市民がどう反応するかが全てだと思う。市民の間から公開質問状が出てくるかもしれない。住民投票への要請が出てくるかもしれない。
それ程に大きな問題だと、あたしは思う。
〇今朝の午前9時半から開かれた「広報編集委員会」は午後3時に終わった。正月を飲食寝で過ごしものぐさ癖のついていたあたしに、長時間デイスカッションはちょっとっとハードだった。胃もたれで、議会事務局からもらった胃腸薬ニ袋を飲んでから委員会に臨んだのだけれども、体調やや不良の気分は、結局、委員会の間ずっと続いてしまった。
委員会終了後は、控室で「芦原温泉街活性化」談義。
考えてみると、委員会メンバーのうち、旧金津町系議員は、あたしひとり。
よって、談義の方向は、自然そうなる。

4時半に帰宅したら、車検に出していた車が戻ってきた。
代車はきれいでオートマで快適だった。我が愛車はドアが多少へこみマニュアルできれいでもない。だけどあたしは愛車に乗るとほっとする。
好きなのだ。
戻ってきた愛車に手を触れ、来週あたり加賀へドライブしたいと、思った。


06/01/05 (木) 深夜に思うこと 
昨日は午前中に商工会の新年会が開かれ、午後は芦原温泉旅館組合の新年会が開かれた。旅館組合新年会への出席は、今年が初めてだった。
そこには沢山の芸妓さんが来ていた。旧金津町時代には間近で拝見したことなどなかったのだから、この体験も合併効果というべきかもしれない(夜見るほうがいいとは思ったけど)。

合併時、新市名制定で喧喧諤諤があって、結局「あわら市」に落ち着いた。
「金津」が古来からの名であり、「芦原」が明治期についた名であるとしても、全国への知名度という観点からその名で構わないと私は思った。ただし、ひらがな表記「あわら」よりも漢字表記「芦原」のままの方が良かったと今でも思っている。
「金津」がたたら鉄生産の地であったことを意味し、芦原がその地の性状を意味していることは、漢字表現に拠って残ると思うからだ。地名には地霊が宿っているのである。
ついでに言うと、旧金津まちうちの新住居表示が施行されてもう十年近く経つが、少なくとも私にはいまだになじまない。そういえば、当時、「あれはおかしいのではないか」と、FM福井でしゃべったのを思い出す。
ま、済んだこと言っても仕方ないのだが・・・。

閑話休題
このところ私は寝付かれない夜を送っている。布団に入り目を閉じても、その日の新聞社会面を賑わす悲惨な記事が脳裏をかすめるからで、そのこと自体は私の真面目な性格からくるものであるのだが、問題はそのあとだ。
暗闇のなかにオレンジ色の物体が必ず表われてくる。風船のようにふくらみとしぼみを繰り返しながら妖しく明滅するのである。過去の心象風景なのだろうかと、記憶の引き出しを捜すのだがわからない。明滅のなかに感情の起伏は現われてこない。不思議である。


 06/01/04 (水) 回顧  
今年の正月は特別だった。何が特別かというと映画を観たからで、それも二本だ。最後に映画を観たのが20代後半だったから、30年ぶりということになる。
今の映画俳優や芸能人や文化人にどんなひとがいるのか皆目わからない私は、若いひとと話をしても話題に共通項を見つけることができないのだが、思うに、映画やドラマを観なくても新聞を読まなくてもひとは生きていけるのだし、そもそもが百数十年前の日本人の日々の生活にそういうタグイが入っているはずもなかったし、それを情報不足と感じるひとは皆無だったはずだ。肉眼肉声のみで関わり合う社会が閉鎖的であるが故にしばり社会だと思うのは、我々現代人の偏見であるような気がする。
福祉というコトバがなくても福祉という概念はあったはずだし、勧善懲悪の考えはよりわかりやすいカタチで存在していたはずだ。
シンプル イズ ザ ベスト と、私は思うのである。

とはいうものの、もうあの日には戻れないのが歴史の流れであり、時の流れのままに生きていくのが私達の宿命であり、ラクを覚えてしまったカナリアはもう唄うことができないのかと嘆息するのが私達のせいいっぱいのカタルシスなのだろうか。
というようなことを考えながら久しぶりに観た二本の映画は、決して退屈なものではなかった。思うに久しぶりに見たことにその理由がある。幼少の頃、子ども会で一年に一回開かれる幻灯会に参加したときの興奮を追体験したのである。
確か初めて見た幻灯は「天邪鬼」だった。
ついでに言うと、初めてエスカレーターに乗ったのは、遠足で行った金沢香林坊のデパートであり、初めてTVドラマに熱中したのは故小柳とおる主演の「ホームラン教室」であり、初めて即席ラーメンを食べたのは小学校4年の時だった。乾メンではなかった。階段踏板に座って食べたのだが、「世の中にはこんなにおいしいものがあるのだ」と感激したのを覚えている。
〇今朝は、商工会の新年会に出席した。ビール片手に会場内を歩いた。
知り合いの方々との談笑のさなか、あるひとから「貴方のホームページの掲示板、今は書き込むのを止めて読むだけにしています」といわれた。
最近、書き込みがずずっと少なくなったものだから、そのひとがどのペンネームのひとなのか皆目わからない。
「そう言わずに又、書き込んでくださいよ」と返事しつつ、ビールを酌したのだけれども、こういう時ってなんとなく言葉に窮する。


06/01/03 (火) 高倉健 
昨日の午後、「暇なんや」という電話があって友人Aが事務所に来た。友人AはBを呼びBはCを呼びCはDを呼んで、閑静な事務所は酒盛りの場と化した。
皆は、酒盛りの前に事務所の床を拭きテーブルを拭きガラクタをゴミ箱に捨ててくださる。ありがたいことだ、と思った。

私も酒盛りに加わり、皆の話を聴きつつ静かにビールを飲んでいた。
5時を過ぎたところで、妻が私を呼びに来た。
二日の夜は、福井市・二の宮の義兄宅で毎年恒例の義兄弟固めの杯が予定されていたのである。
妻の車で直行。
なんせ午後2時から飲んでいた私は、越の寒梅や山海の珍味を前にしつつ、それ程には箸を進めることができぬうちに酩酊不覚に陥ってしまった。
明けて早朝にJRで帰宅し、事務所へ入った。

友人達は深夜遅く迄飲んでいたはずだが、テーブルはきれいに拭かれており、座布団はきれいに片付けられている。ありがたいことだ、と思った。
そのテーブルの上には「信州わさびの柿の種」一袋がおかれており、冷蔵庫にはビールが入っている。
「家主である私へのお礼の意味なのだろう、ありがたいことだ」と思いつつ、今、味わいながら、青空文庫を読んでいる。
正月とはこのようなものだろう。
〇昨日に引き続き、映画無料配信ソフト「Gyao」で、マキノ雅弘監督「日本侠客伝」を観た。
1969年製作の映画だ。
高倉健・中村錦之助・松方弘樹・津川雅彦・田村高広・三田佳子・藤純子・南田洋子等々みんなみんな若い。
昔気質・「木場政」の小頭長吉(高倉)は、新興稼業「沖山運送」(・・・平成の現代ならば、ホリエモンとか村上ファンドにおきかえればいい)の理不尽な仕打ちに耐えかねてなぐりこみをかけるのである。
鍛えぬかれた肉体と寡黙と憂愁を併せ持つ高倉健はぬきんでてかっこいいのだ。
松方や中村はともかくとして、高倉健にはかなわない、と私は思った。
思いながら若かったはるか昔を思い出した。
もう時効だから話そう。

その頃、私には殺してもあきたらない男がひとりいた。ある深夜、私は福井市・開発町の、とある焼肉屋にA子とふたりでいた。もうもうとする煙のなかで、ビール片手に私はその男・B男に対する憎悪を一生懸命しゃべっていた。
しゃべりきった私はやおらたちあがり「俺は帰るぜ」と言って、A子に手をさしだした。
A子は私の右手を押し返した。
「いや!いや!・・・牧田くんは、今から憎いB男のところへ行くのでしょう。私と握手したその右手で憎いB男を殺めようとするのでしょう。そんなのいや!いや!しちゃいけない!」というA子の声を背に、私は焼肉屋を出た。
外は小雪だ。駐車場に向かう私の耳には、確かに高倉健の唄う「♪網走番外地」が流れていた。
私の車の助手席におかれていたのはドスではなく木刀だった(ドスだと銃刀法違反になる)。車を飛ばし、その男のアパートに着いた私は、ドスではなく木刀で玄関戸をドスドスドスと叩いた。近隣に聞こえることを怯えた小心者のその男は(私も小心者だが)、体を小刻みにふるわせながら、私を部屋へ招き入れた。
「俺が何故来たのかわかっているだろうな」の一言だけを発し、その男の横面を拳で思いきりなぐりとばした。床に倒れ込んだその男に「邪魔したな」と言って、わたしはその男のアパートをあとにした。
コートの背に降り積もる雪がむしょうに冷たかった。


 06/01/02 (月)  まだ幕の内  
昨日は、寝る⇒食う⇒読む⇒寝るの繰り返しだった。
二日目ともなるとそれも退屈、というか、しんどい。
そこで今朝は、インターネット無料配信映画パソコンテレビ「Gyao」にアクセスして、赤井英和主演「唐獅子株式会社」を観ていた。
原作者・小林信彦の本を立て続けに読んでいたのが数年程前で、その中の一冊であったこの本を思い出したからだ。
本と映画は当然別物として考えなければならないけれども、主演者・赤井のいい面がちょっとそがれていたような気がする。彼は立居振舞にペーソスを持ちすぎている。
原作のドライさを考えた場合、主演はやっぱり「お笑いの巨匠」「伝説の漫才師」・横山やすしでなければならなかったのではないだろうか

  06/01/01 (日) 年始 
 あけましておめでとう ございます
     本年もよろしく お願い致します

昨晩は年越しそばおよびうどんを一杯ずつ食べ、それだけで満腹となった。夕食後、事務所に入り「竹中平蔵・仮面の野望」を読む。内閣のキーパーソンと呼ばれる男のTV画面での饒舌からはうかがえない裏での上昇志向的画策ぶりを読み進めるうち、気分が滅入ってしまい就寝。

除夜の鐘のごおおんごおおんで目が覚めた。妻は京都の娘のところへでかけているので、ひとり身支度を整え神社へ詣でた。凍てつく空気のなかで拍手を打ち礼拝すると気が引き締まる。出会った何組かのひとたちと年始の挨拶を交わして自宅に戻った。

頂いた年賀状添え書き 一部貼付け
〇動画ショートショートに期待(男性)
〇学校問題は財政難だけで考えるのではなく・・・・(男性)
〇一歩一歩・・いいことばですね(女性)
〇手話の勉強始めました。今年こそ頑張ります。メルアド変わったのですか?(女性)
〇また二週間に一度の出合いを楽しみにしています(女性 注・図書館職員)
〇母が施設に入りました。福祉のお仕事頑張ってくださいね(女性)
〇Xマス会では、教えて頂いた手話で大成功でした(女性)
〇ボツボツ団塊の世代は引退
私はまだまだ働かなくてはなりません 子供が小さいから(男性)
〇牧田さん達「まきぽん会」で集まると楽しくて若返ります(女性)
〇物書きの 手書き原稿見巡りて
    三島由紀夫に 逢ひし思ひに(女性)
〇又、みんなで飲みましょうね(女性)
〇中学校問題は、慎重に(男性)
〇金中を離れて早2年です。195人の金中3年生にいい春が来ますよう、牧田さんも応援してやってください(女性)
〇カラオケ行きたいですね(女性)
〇三九会会長としても市議としてもガンバッテください(男性)
〇いつも寄ってくださってありがとうございます。
新聞、楽しみに読ませて頂いてます(女性)
〇12/10 母が「おもしろかった」と申しておりました。文化面よろしくお願い致します(女性)
〇今年もしっかりと正面を見据えながら一歩一歩自分の足で歩いていこうと思っております(男性)
〇今年はそば会をやりますか(男性)
〇HP(日記)今年も楽しみにしています(女性)
〇身の回りを本当にきれいにして下さい 不言実行(男性)