2006年05月


06/05/31 (水)
 昨日の一日

昨日は、市姫荘において午前中10時から社協理事会が開かれた。
終了後はCADに専念。
夕刻に来訪した知人が私のパソコンの前に座って「迷惑メール撃退」をセットしてくださった。うん、今(早朝)受信トレイを開くと、ぐっと減っている。Hさん、ありがとうございました。
午後7時半からは、市庁舎において、「あわら市地域福祉計画策定委員会」が開かれた。全体会終了のあとは専門部会。
私は「障害者福祉部会」に入っている。専門部会はこれから定期的に開かれることになるので、その経過をリアルタイムでHPに書き込んでいきたいと、思っています。

事務所に戻ったら、有志議員が集まっていた。いろんなことを話し合ったあと10時過ぎに散会し、私はやっとこさ晩飯。
焼酎をコップ一杯ぐっとあおってから布団に入り、ばたあんきゅうとなった。
○本日の午前10時から、市庁舎で「請願書提出についての記者会見」が開かれました。
夕刻のテレビでは
福井テレビで午後5時55分から(何かあれば午後6時過ぎになるかもしれない)、FBCで午後6時10分から、その模様が放映される予定です。
明日の朝刊各誌にも載るはずです。


 本日の記者会見で、「中学校の2校存続を求める会」代表・組頭氏及び「中学校の2校存続を願う会」代表・伴藤氏が、記者の質問に答えていたように、このところ急速に盛り上げをみせてきている署名運動は、当然のことながらまだまだ続きます。6月議会定例会最終日22日(採決の日)の直前まで続きます。
本日も「署名簿用紙がもっとほしい」という電話が私のところに再三ありました。

ひとりの夢はただの夢
みんなの夢は実現の夢
(ジョン・レノン)です。

二中維持を願い求めるあわら市民のすべての皆さん!
署名に積極的に参加してください。

06/05/30 (火)
 昨晩差し入れのヨーグルトを食べながら

昔、PTAの会長をしていたことがある。その頃は何か行事があるたびに壇上で挨拶をしたものだ。挨拶おじさんだったわけやね。

小学校のPTA総会でのある日の挨拶で沢山のお母さんがたを前に挨拶した際、
「こども達は、この世のありようを子宮の隙間からじっくり眺めこの世に出ようか出まいか思案した結果として産道からとびだしてくるわけではありません。単に○○の結果として受精した瞬間から、本人の意思とは無関係に生を強制されるわけです。であるならば、この世が子供たちにとって良い環境であることが無条件の前提であってしかるべきです」と、しゃべったことがある。

言い回しの点で何人かのひとからひんしゅくを買ってしまったが、しゃべった時の思いは今も勿論変わっていない。
中学校建設問題も、子供たちにとっての教育環境としてどうなのかを優先して考えなければならないと思うのである。

06/05/29 (月)
 コップとカップ

♪右を向いても 左をみても 真っ暗闇じゃあございませんか 
    どこに男の夢がある・・

と、侠客俳優・故鶴田浩二が唄ってから幾星霜。
今だに先行きのみえない不透明な時代のなかで不安の日々を送る私にとって、唯一の慰安が阪神ターガース首位浮上だ。


19歳から野球を始めたという中継ぎ投手ダーウインがいい。ジェフ・ウイリアムズの欠場を十分に補っている。
当然連勝と思われた昨日のデイゲーム=対西武戦は、しかしサヨナラ負けだった。夕食時、TVスポーツニュースでその結果を知った私は焼酎をコップ二杯飲んだあと布団に入り、そのまま寝てしまった。

目が覚めたら午前二時である。熱いお湯を注いだ珈琲・ブルーマウンテインのカップ片手に外へ出た。
静寂のなかで独煙草ゲルベゾルテを喫いながら見上げる天空は漆黒の闇。吸い込まれそうな闇の世界である。


死んだら一切が空になるということを実感した。

06/05/27 (土)
 もう週末か

このHPのインデックス「動画ファイル」を更新しないうちに半年が過ぎてしまった。久しぶりにファイルを覗いた。

↓思い出しつつふたつをピックアップしてみました。
   (アンダーバーの左側印をダブルクリックです)
  竹田川 051129      海岸にて 051229 
どうです?私の声もなかなかしぶいでしょう。

忙中閑ありだ。面白そうな場所を選んで録画音し再度UPしてみたいと、思っています。
○昨晩は、波松地区で「中学校建設を考える座談会」が開かれ、沢山のかたの御参加がありました。
いろいろ貴重な御意見を拝聴させていただき、どうもありがとうございました。

06/05/26 (金)
 日中友好

昨日の午後二時。芦原社会福祉会館で、「あわら市日本中国友好協会総会」が開かれた。
来賓達が挨拶する舞台の背面には、向かって右側に日本の、左側に中国の国旗が飾られていた。
中国の国旗をよく見てみると
白地に大きな赤い星がひとつ、小さな赤い星がよっつ並んでいる。
若い頃読んだエドガー・スノウの「中国の紅い星」を思い出した。
中華人民共和国の成立は昭和24年10月1日だったと思う。
してみると、大きな赤い星は毛沢東を象徴しているのだろうか、小さな赤い星は江青・張春橋・姚文元・王洪文の四人組を象徴しているのだろうかと思ったが、そんなはずないわなあ。

議事終了後、「二胡演奏」に入った。


曲目は、「小花鼓」「誘灯篭」「「蘇州夜曲」「朧月夜~祈り」「My Memory」「北国之春」の6曲。6歳で二胡を習い始めた演奏者の李丹さんは中国で数々の賞をとり、2001年に来日。今、福井で教室を営んでいるみたいだ。

「猥談と音楽に国境はない」ということわざがあるが、確かに音楽はいい。弦楽器に親しんできた私の胸の琴線はおおいにうたれた。機会があれば、彼女が演奏し私が唄うというデュエットショウを開きたいと、思った。

06/05/25 (木)
 お知らせ



上の写真は何かというと郵便ボックスです。昨晩、事務局(私の事務所)の南側大通り1階外壁面に取り付けました。
2中存続の会」と明示してあります。

署名簿持参の方が、私の不在中に既設郵便ボックスに投函してくださるのですが、通常の郵便物と混じりあい用紙が折れ曲がってしまったりするので、大枚はたいて専用ボックスを購入して取り付けました。
勿論、ちゃんとダイヤルロックされています。
○昨晩の夕食時、妻が「きょう、何の日か覚えてるか?」と聞く。
「知らん」と答えたら「結婚記念日や」と言う。
「そおおか。ながいこと一緒にいるんやなあ。もう俺に飽いてしまったやろ」というと、「うん、飽いた」とうなづく。
「俺もそうや」と答えたら、びっくりしたような顔でこちらをみた。
これってちょっと不公平のような気がする。
閑話休題
得度僧のような謹厳実直的清貧を旨とする私に「結婚記念日」だからといって妻に何かをプレゼントする力はないが、もうしばらくすると子供達も全て社会人になる。つまり手を離れる。
そのあかつきにはルビーの指輪のひとつも買ってあげようじゃないかと思っているのだが、直接口にすることのできないシャイな私にはせいぜいここに書くことくらいしかできない。
しかし妻はこのHPをみたことがないのだから、秘めている私のそれなりの誠意は、結局伝わらないということになるわけです。

06/05/24 (水)
 とれとれ苺を食べながら

午前4時半起床。
熱々珈琲を飲みながらTVニュース早朝版を見る。
仙台で少女がマンションから転落死した事故に関して、アナウンサーは犯罪の可能性を匂わせている。

犯罪は全て犯罪だが、「弱者」に対する犯罪は身体的優位性をかさにきた最も醜い卑劣な行為だ。人間の風上にもおけないとは、この手の犯罪に手を染める奴らに当てはまる。
私も卑怯な人間で、いわゆる「強者」と呼ばれる人の前にたつと黙って口をもごもごさせてしまうタイプだけれども、だからといってその鬱積を子供たちに向けることだけはしないぞ。
友人のHPによると
小学生の犯罪被害は昨年1年で2万4千5百件にのぼる、という。

06/05/23 (火)
 昨日の一日

昨日は、教育厚生常任委員会で管内視察を行った。
午前中は
金津東保育所⇒金津創作の森⇒吉崎小学校(複式学級)⇒吉崎御坊跡
午後は
本庄幼児園⇒芦原図書館⇒学校給食センター⇒北潟幼児園⇒金津雲雀ケ丘⇒金津図書館⇒子育て支援センター⇒よつ葉会ひなた

行く先々でこどもたちの顔を見た。
全国を俯瞰すると、無垢の笑顔を持ったこういうこども達の誰かが殺されたり捨てられたりの犯罪にまきこまれている。
過去の犯罪白書から年毎の数値を調べたわけではないけれども、実感としては、「命」が大変粗末に扱われる時代になってきた。何故こうなってきたかについては、識者がTVや新聞や本などで書いているしそれぞれがごもっともな意見なのだけれども、評論を聞いたり読んだりしていても仕方ない。
「命」は唯一無二の最も大切なものだ。「命」の尊厳を守るため、我々ひとりひとりは何をしていかなければならないのだろうか。
○管内視察資料の一部を、コンテンツ「報告」にUPしました。

06/05/22 (月)
 ゆったりした昨日の日曜日

昨日の日曜日にはトリムマラソンが開かれ、午前8時20分からの開会式に出席した。
トリムマラソンは始めのうちはトリムパークがスタートラーンだった(確か第一回のゲストが資生堂の谷川真理)が、今は金津中学校前の大通りに変更されている。トリムパークは自然のふところに抱かれているのが長所だけれども、やはり中学校前をスタートラインに変更してよかったと思う。街中なので玄関先の見物人が増えて盛り上がる。
10年ほど前「親子の部・1、5km」に参加したことを思い出しつつ声援していた。

夕刻は大相撲をTV観戦。雅山vs白鵬の優勝決定戦は力の入ったいい相撲だった。公家出身かと思わせる四股名の雅山の重い腰を寄り切ろうとする白鵬の形相はすさまじかった。形相といえば、ぼくと白鵬は同じ顔つきだ。モンゴル人と日本人は同祖なのだろう。
とにかく千秋楽の一番一番はいずれも力が入って面白かった。勝った瞬間の高見盛の涙には、じーんときたよ。

上手あるいは下手をとってのよつ相撲は人生と同じだと思う。
力がすごく入っているはずなのに、動かず静止したままだ。
それと同じように、傍目には平穏に見えてもそのひとそのひとの生きてきた軌跡には悲喜こもごもが内包されている。

06/05/21 (日)
 感謝する私

昨晩の9時過ぎ。仕事の打ち合わせを終えて帰宅したら、妻と息子が食事中だ。早速、晩酌タイムに入った。
何故二中を維持しなければならないかを、カウンセリング的立場からワイン飲みつつ説明する妻の言葉を拝聴しながら、ぼくは段々感傷的な気分になった。

独身時代、ぼくはとても結婚などできる人間ではないと思っていた。万事いい加減で自分本位で、他人と共生するなど不可能と思っていたからだ。異性とは縁遠い日々を送っていたぼくの前に唯一現れた女性が妻で、晩婚(33歳)ながらもやっと結婚することができた。
ということで、妻には感謝している。
何故か結婚すると子供ができるわけで、さずかった3人のこどもたちに対しては、生き続けてくれているということで感謝している。
老齢となった両親に対しては、「こんなしゃばに生み出しやがって」と複雑な思いを抱いた時期も若い頃にはあったが、「ま、人生は苦楽ないまぜだ、楽苦しい(たのくるしい)のが人生だ」と総括できる中年になった現在、やっぱり感謝している。
○昨日の街宣は、B.M高塚店前の一ヶ所。

06/05/20 (土)
 小雨降る土曜日

昨晩、座談会が終わっての帰りがてら、駐車場で中年のおじさんに呼び止められ、「お父さんの具合、どうやの?」と尋ねられた。親父の知人だ。

ぼくたちふたりは傍らの石に腰かけた。煙草飲みつつ闇のなかでの会話が始まった。介護保険で週一のデイケアを受けている親父の近況報告をするうち、「Aさんは今はどうなんやろか、Bさんは今どうなんやろか」と、お互い見知りの高齢者の近況に話題がシフトしていった。
高齢者社会とは、道で出会った知人と挨拶の冒頭がこういう話題となる社会をさすのだろう、とぼくは思った。
○昨日の街宣は、細呂木駅前・指・沢・滝・細呂木の五ヶ所。

06/05/19 (金)
 もう週末か

今度は、秋田県で小一男児が絞殺されるという事件が起こった。
人生の入口で無理やりに生を閉ざされた本人あるいは親の気持ちを思うとやりきれない。

ずっと昔の話だけれども、敬虔なクリスチャンの若者と議論をしたことがある(そういえばその時の私も若者だった)。
「神の存在を知るまでの私は空手ばかりをやっていて、どちらかというと乱暴者でした。喧嘩もよくしました。だけど、人間は神の思し召しのままに在るということがわかってから、私は人を憎むことをやめました。罪を憎んで人を憎まずです」と相手は言う。
私は、「そんなことあるもんか。仮に自分のこどもがそういう目にあったとしたらやね。わたしゃ徹底的に相手を憎む。裁判所の判決なんて無視するし、マサカリもって刑務所に忍びこもうとするに違いない」と答えたのを覚えている。

生来ノーテンキな性分で特別憎い相手がいるわけでもない私だけれども、この気持ちは(多分)今も変わっていない。
「罪」とは「色」みたいなものではないか。
いろんな色は色自体としては存在のしようがない抽象概念だ。例えばペンキで紙に塗られたり鉄板に塗られたりして始めて具象となり私達はじかに目にすることができる。「罪」もどう考えたところでそれ自体は活字でしかないだろう。

絞殺された小一男児の前途を思うとあるいは親の気持ちを思うとやりきれない。
○昨日の街宣は、南疋田・北疋田・中川の計三ヶ所。

06/05/18 (木)
 さあ きょうも忙しくなりそうだ

昨日の昼、車の中のラジオで大石静がしゃべっていた。このひとは現在放映中のNHK大河ドラマ「功名が辻」の脚本を担当したひとだ。
週刊誌で日々のつれづれを書いており、何回か読んだことがある。興味を持って聴いているうち、私のアタマは戦国時代バージョンへシフトした。

戦国時代の三人を代表する信長・秀吉・家康はそれぞれが警句を残してこの世を去った。
信長ならば、「人間五十年 下天のうちをくらぶれば ゆめまぼろしの ごとくなり」だし
秀吉ならば、「つゆと落ち つゆと消えにしわが身かな なにはのことはゆめのまたゆめ」だ。
家康は、「ひとの一生は 重い荷物を背負ふて あゆむがごとし」と言っている。

信長・秀吉の言葉にはあきらかに無常観が含まれているけれども、家康にはそれがない。
現実主義者が、最後に天下を制するということなんだろうなあ。
○昨日の街宣は、榛の木原・名泉郷・熊坂・中川の計四ヶ所。

06/05/17 (水)
 肌寒い朝

先月から生活パターンが変わってきた。
以前は、夕食時に少々の晩酌をたしなみ、家族との会話で世間の憂さをはらしたあとすぐに就寝、深夜の3時に起きて仕事をこなすという日々だった。
しかし、有志議員の夜の集まりが半ば定番化し始め、それに応じて私も当然起きているようになった。
10時就寝、4時半起床が現在の生活パターンとして定着した。

冬場の午前4時半は漆黒の闇世界だったが、最近は既に夜明けだ。
夏至が近づいているのである。
一日のうちで一番素敵な時間帯はというと、これは文句なく夜明けだ。
きょう一日また生きることができることを神仏に感謝し、熱々珈琲を飲みながら日本vsブラジルはどういう戦いになるのかということに思いをめぐらし、小鳥のさえずりに耳をすます。
「人生は永遠の中の一瞬である」と、宮本輝が何かの小説で書いていたが、一瞬のなかでの濃度が高まるその又一瞬が私にとっては夜明けだ。
○「意見広告」が市内に配布されたあと、「署名簿用紙がほしい」という電話がよくかかってきます。昼間の私は事務所不在が多いので、要請の電話はおそらくもっと多いでしょう。
できましたらFax(73-4701)をいただければ、持参致します。
なお、左側のコンデンツ「署名簿」にPDFファイルとして貼り付けておりますので、ここからの印刷も可能です。

06/05/16 (火)
 昨日の一日

昨日は、午前9時半から「街づくり特別委員会」が委員会室で開かれた。
議題は
1 芦原温泉駅周辺整備計画について(都市整備課)
2 都市計画街路・金津三国線の整備状況について(都市整備課)
3 福井県地域ブランド創造活動について(観光商工課)

午後は現地調査
既に新幹線駅周辺整備を終えた小松市へ行った。
小松市役所でひととおりの説明を受けたあと、駅周辺を視察。
総事業費は650億円という巨額なものである。
帰途、芦原温泉駅周辺を見たあと市庁舎に戻り、「あわら湯のまち駅前多目的用地の当面の利活用策について」の説明を受けた。
議員より喧々諤々の意見が出たが、詳細は後日UPするつもりです。

午後5時半に終了。
夜は有志議員が事務所に集まってこれからの方針を議論し、10時に散会した。なんとなく疲れすぐに熟睡。

06/05/15 (月)
 深夜にFMを聴きながら

昨日の朝、近くの総持寺へ行った。隣は金津小学校のグラウンドで、快晴の下、子どもたちがサッカーの試合をやっていた。ベンチに住田くんが座って指図をしている。話しかけると、「全国大会の予選なんで、負けられんのや」との答えが返ってきた。
私の下の息子もスポーツ少年団で野球をやっていた。シーズンの日曜日のほとんどは、保護者としてどこかのグラウンド脇に立っていたのを思い出す。

野球といえば
自宅裏の竹田川堤防でふたりの息子相手にキャッチボールをよく楽しんだ。捕り損ねたボールが川へ落ちてしまうことが再三あった。
で、このボールくんたちが川を経由し海の彼方へ流れ去っていくのかというとそうではない。三国の防波堤・九頭竜川側の岩場隙間にとどまるのである。
土曜日になると、車で息子たちを防波堤に連れて行き、「よおい どん」で探させたが、平均5or6個の収穫があったと思う。
うん、あの頃は親をやっていたのだ。光陰矢の如しやね。

06/05/14 (日)
 やっと日曜日がきた

昨日の午後7時半から「中学校建設を考える市民のつどい」が開かれた。終了後、事務局を担当している我々有志議員は事務所に集合し、「つどい」についての感想及び今後の方針を述べ合った。
午後11時過ぎに散会。熟睡し目が覚めたら既に夜明けだ。
熱々珈琲キリマンジャロを飲みながら、参加者から帰り際に頂いた沢山の「感想メモ」を読んでいる。数日以内に、このHPに全てをUPするつもりです。
「つどい」では、沢山の貴重なご意見を拝聴することができた。
何故二中を維持したいかという思いについて、その理由は勿論さまざまだ。

呼びかけ人のひとりで大学の先生をしているTさんの話のなかにあった「・・いやなものはいや・・」というフレーズも印象に残っている。
漠然とした思いであってもあるいは漠然とした思いだからこそ意識の底流に存在しているのだし、二中を維持したいというさまざまな理由の出発点として揺るがないものだといえるからである。
○今朝の情報によると、市民の間から又新しい動きが出てきた。
市当局が「地区別説明会」を市内10ヶ所で開いたのが3月で、統合中学校建設にむけての議案を6月に出そうとしている。合併特例債使用に関してまだ時間的余裕があることを考えても、拙速である。
説明会のあとでは、必ずいろんなリアクションがでてくる。賛否について考える動きがでてくる。そのなかで個々の思いが熟成してくる。熟成のためにはそれなりの時間が必要だ。行政側が「地区別説明会」を理解にむけてのスタートラインと考えたのならば、本来は少なくとも一年以上前にしなければならなかったことではないか。当然だろう。

06/05/13 (土)
 小雨の朝

午前4時半に起床。
スイッチを入れると、TVは良寛の書の特集をやっている。
小学生高学年の時に1年間ほど習字に励んだことはあるが、その後の人生で筆を使うことはほとんどなかった。年賀状のあて先書きも妻に代筆してもらっているくらいだ。

つまり書の上手下手など全然わからない私だけれども、「天上 大風」など人口に膾炙した書の画像をナレーターの解説聴きつつ眺めていると不思議な気分になる。
多分それを自由な精神というのだろう、細身の文字が上下左右に揺れているあるいは捩れている。よくわからないけれども、良寛にとって書は人生そのものだったんだろうなあ。

山中の庵を久しぶりに訪ねてきた友人がそろそろ帰ろうとした時、寂しさに耐えかねて

つくよみの 光を待ちて 帰りませ
  山路は栗の いがの多きに    
と歌った良寛はすごく素敵なひとだったと、思う。
○コンテンツ「中学校問題・これからの予定」にも書き込みましたが、
本日の午後7時から「あわら市・社会(児童)福祉センター」で、市民の集いが開かれます。堅苦しいものではありません。こぞってご参加ください。

06/05/11 (木)
 昨日の一日

昨日の早朝は、事務所と外廊下でつながっている隣境コンクリートブロック倉庫建物の一部を整理整頓した。そこに仮設設計コーナーをつくり、予備パソコンを移した。
何故かというと
私の事務所は現在「2校存続を求める会」の事務所を兼用している。
来訪者が増えあるいは再三会議が開かれるようになったので、自分自身がCADに追われている時はそこに移動する為である。
作業を終えての一服。
なんつうか、別荘をつくったようなリッチな気分になった。

午後7時半。湯のまち公民館で「中学校建設を考える座談会」が開かれた。多分、参加者のほとんどは「二中維持」を求めるひとたちだ。しかし、維持を求める理由は多様である。情緒的な発想からのもの、純粋な教育理論からのもの等等さまざまな意見が出た。

6月初旬には、「統合問題」をテーマとした22人議員全員によるデイスカッションが予定されている。その場で自分が何をしゃべるかに関して、おおいに参考になったと思う。

06/05/11 (木)
 昨日の一日

昨日の早朝は、事務所と外廊下でつながっている隣境コンクリートブロック倉庫建物の一部を整理整頓した。そこに仮設設計コーナーをつくり、予備パソコンを移した。
何故かというと
私の事務所は現在「2校存続を求める会」の事務所を兼用している。
来訪者が増えあるいは再三会議が開かれるようになったので、自分自身がCADに追われている時はそこに移動する為である。
作業を終えての一服。
なんつうか、別荘をつくったようなリッチな気分になった。

午後7時半。湯のまち公民館で「中学校建設を考える座談会」が開かれた。多分、参加者のほとんどは「二中維持」を求めるひとたちだ。しかし、維持を求める理由は多様である。情緒的な発想からのもの、純粋な教育理論からのもの等等さまざまな意見が出た。

6月初旬には、「統合問題」をテーマとした22人議員全員によるデイスカッションが予定されている。その場で自分が何をしゃべるかに関して、おおいに参考になったと思う。

06/05/10 (水)
 昨日の一日

昨日の午前中はCADに専念。午後1時半からは市庁舎にて全協(全員協議会)が開かれた。
全協は正式な議会あるいは委員会とは違い正式な決定機関ではないので、コンテンツ「議会報告」にその中身を決定事項として載せることはできないが、とりあえず概略だけ申し上げると
メインテーマは「議員定数の改正について」だった。
議員定数については、個々の自治体の持つ人口に応じてその上限が自治法に定められている。あわら市の場合その上限は確か26名であり、現在22名の体制が法に抵触している訳では勿論ないが、相次ぐ市町村合併で誕生した自治体のどこでも定数削減の検討がなされている。
議員定数の「改正」が「削減」を意味するのであれば、そのことによって市民の多様な要求に答えにくくなる。しかし、財源持ち出し抑制を考えた場合、定数削減選択は不可避だ。私個人としては定数を何名にすべきかということについて理屈をもって言うのは、なかなかむつかしいことだ、と思った。

全協終了後、有志議員が私の事務所に集まった。この場合の有志議員とは、金津・芦原両中学校の存続を求める有志議員だ。昨日の朝刊に折込チラシにとして各家庭に配布されたA4版に明記されている通り、私の事務所が「中学校の存続を求める会」の事務所となっている。
5月10日及び5月13日の会の持ち方についての協議がメインとなった。

協議終了後一端解散し、夜は某スナックに集合。連日7時半就寝の私にとって、夜の街にくりだすなど当然のことながら滅多にないことだ。
静かに焼酎水割りを飲むうちいい気持ちになった私は、久しぶりにマイクを持ち、トニーダララの「ラ・ノブイア」を原語(イタリア語)で唄いました。

06/05/09 (火)
 ちょっとカッカ

京都にいる娘がインターネットプロバイダーを変えたことで、その手続き書類が郵送されてきた。
昨日、「手続きしといての」と妻にいわれたので、仕方なく書類に必要事項を書き込みはじめたのだが、どう書いていいのかわからない部分がある。
0120で始まるフリーダイヤルの問い合わせ先に電話した。
「○○についてイエスの場合は数字1を、ノウの場合は数字2をプッシュしてください」と、無機質な機械音が答え始めた。
「くそお、わしごときに、大手通信会社の社員はでてこないのか。貧乏人をバカにしてロボットに答えさせているのか」と、思いながらしかしマニュアル言葉機械音に従って数字をプッシュし続けると、「次に音声解析をおこないますのでお名前をおっしゃってください」と、マニュアル言葉が又言う。
いらだちながら名前をしゃべると、「音声が分析できません。録音にて分析しますので、再度お名前をおっしゃってください」のマニュアル言葉が耳に入った。キレてしまった私は「ばかやろう」と叫びたいのを寸前でこらえて受話器を置いた。
部屋に入ってきた妻が「お父さん、なにカッカしてるんや?」と聞くので仔細を説明すると、「短気やねえ。そんなことでカッカしてたら、世の中わたっていけんよ」と言われたのだが、面白くないことはやっぱり面白くないのである。

06/05/07 (日)
 墓

昨日の午後、私は墓所に居た。墓所といっても山中だ。お袋が先祖の墓をもっとお参りしやすい場所に移動したいというので、同行したわけです。

墓に向かって合掌しながら考えた。
先祖の墓、といったところで刻まれている名のそれぞれがその時代にどういう人生を送ったのかは一向にわからない。
わからないけれども推測するに
代々はしゃばを支配する側ではなくて支配される側に居たような気がする。しかし、清貧だけで生きたのではなくて、軽犯罪くらいはしていただろう。なかにはおなごで身を崩した代もあったのではないか。

妻は、「家のルーツを調べてほしい」と、時々言う。寺に行き過去帳を見れば何代か前まではわかるだろう。調べに専念すれば相当昔にさかのぼることができるかもしれない。興味のある作業です

06/05/06 (土)
 悲しい酒

深夜ラジオから、美空ひばりの「悲しい酒」が流れてきた。
じーんとくる。
日本歌謡曲史上に燦然と輝き、文科省唱歌でいうならば、「赤とんぼ」に匹敵する名曲中の名曲だ。

「・・・飲んで捨てたい面影が 飲めば又浮かぶ・・」とひばりが唄う。
そうなのかなあ、と思って冷蔵庫からブラックニッカを取り出し、グラスに注いだ。健康維持の為、お湯で割った。勿論つまみという無粋なものは無い。
全般照明を消し、ナイトランプに琥珀色の液体を近づけじっと見つめてから飲んだ。なかなか浮かんでこないので、グラスをそっと揺らしてみたが、それでも浮かんでこない。見ているのに飽いてしまった。

考えてみると、そもそもが私には思い出すほどの過去が無いのである。
異性との交遊にめぐまれず、結婚などできないだろうと思っていたし、事実晩婚だった。「地道な生活」を座右の銘とする日々に刺激などあろうはずがない。しかしそれはそれでいいのではないか。
日に三度の飯を食い、子を育て、小言を言ったり言われたりしながら日々歳を重ねていく普通の生活。これが一番なのではないかと思う今日この頃です。

 06/05/05 (金)
 阪神・今岡君及び矢野君 よくやった

いつも早く寝る私だが、昨晩の巨人vs阪神が接戦だったのでついついTV中継を途中終了まで見続けてしまい就寝は10時過ぎ。私としては夜更かしをしたことになる。
ところで、解説者のダミ声饒舌男が誰なのだろうかと思いつつ見ていたのだが、TVカメラが放送席に入った時、その男が山本和行だとわかった。
阪神タイガース往年の看板左腕だ。勝ちゲームの終盤に常に出てきた今でいう名クローザーである。
3mほど手前で絶頂期のピッチングを見たことがあるが、そのストレートのはやいこと、そのカーブのよく曲がることといったらなかった。
インテリジェンスな眉目秀麗の顔立ちでマウンドに立ち、我々阪神ファンを魅了したものだ。
しかし、歳月幾星霜である。
放送席に解説者として座る彼の顔は、額があがりふくよかになって、精悍さは消えている。何よりもダミ声にずっこけた。
思うに、あこがれのスターの面影は我々にとって永遠である。
我々庶民が歳月を経るに従い年齢に応じた顔を持つことになんの不自然もないけれども、スターはその後の人生を人に隠れて生きていった方がよいのではないか、と思ったよ。

○夜中の三時、久しぶりにウオーキングツアーを見ました。

 06/05/04 (木)
 日露友好

昨日は快晴だったので、久しぶりに竹田川の河川敷を散歩した。
陽光降り注ぐくさわらにたたずみ、水面をみているのは楽しい。
・水に流す
・水もしたたるいい男
・覆水は盆に戻らないが夫婦なら戻る
  等々、水に関する格言にはいいものがある。

鴨家族のいないことに気がついた。
数千里彼方のふるさと=シベリア大陸ウラジオストックのアムール川あるいはツンドラ地帯へと、例えば北潟湖の寒鮒などを土産に里帰りしたのだろう。
日本海・オホーツク海を縦断する里帰りの旅は、風雪に耐える命がけの旅だったはずだ。近頃不評の日本航空の飛行機にぶつかる可能性もあっただろう。雷にあって火傷したかもしれない。猛禽類に襲われた可能性も当然ある。鳥ヘルペスにかからなかったとは限らない。
ともかく無事帰省したことを祈り、来年冬の再会を私は確信している。

というようなことを考えているうち、数年前我が家にホームステイしたウラジオストックの少女たちのことを思い出してしまった。ひとりで密かに飲んだ彼女達の土産・ウオッカの強いこと。飲みきったとき、足腰は全くたたなかったよ。
ところで、あまり大きな声では言えないが、私は嶺北縦貫道路沿い「金津大橋」を密かに「カモノハシ」と呼んでいる。


 06/05/03 (水)
 阪神関本 よくやった

大型連休は米をつくる農家にとっては田植えの季節で大変忙しい。我が家も減反前はそうだった。
今の私にとっての大型連休は、しゃばと隔絶して仕事に専念できる期間。
本日はCADに専念しなければならない。

ところで
私は日に煙草を3箱は吸うヘビースモーカーだ(つまり市税貢献納税者ということです)。長寿でなくても構わないが健康の為にと、節煙を決意した。節煙の為にはこれがよかろうと、チューインガムをかみ始めた。
そのガムの残りカスが何故かパソコンのキーボードを支える鉄板の上にくっついてしまう。きょうはその残りカスを除去しようと、水拭きをしたのだが、とれない。耳カキですくうと取れるのだが、時間がかかる。そこで洗剤液に賭けてみた。
最初、おふろのみがき洗い「ルック」を試したが効果がない。次に「ライオンホワイトクレンザー」をテロリストに指名したがやっぱり駄目だ。最後に、スプーン一杯で驚きの白さに「アタック」を使用したら、すっときれいにとれてしまった。

左記の項目A・Bはただいまのところ単なるファイル文書ですが、友人の協力を頂きましたので、今晩中にPDFファイルに変換致します。
つまり、ダウンロードが可能となります。

06/05/02 (火)
 木の好きな私

「国の重要文化財である坂井市丸岡町上竹田の「坪川家住宅」(通称・千古の家)で、かやぶき屋根の全面ふき替えが行われている。部分的修繕は毎年行われてきたが、全面は十一年ぶり。大阪から”かやぶき名人”がふき替え中で、地元民も作業に加わり、黒ずんだ屋根が徐々に黄金色に。七月末には風情たっぷりのたたずまいが復活する。
 千古の家は、江戸初期に建てられた県内最古の民家。正面は入母屋、背面は寄棟造り、栗材を手斧(おの)で仕上げた三本の股(また)柱など、地方豪族の生活様式を残す。破風(はふ)と呼ばれる三角屋根が前後にあり、屋根全体に約五十センチの厚みでかやが積まれている。一九六六年に重文指定された。
 同家がある竹田地区は雪深い地域だけに、かややその下の竹組みが腐るなど傷みは激しく、屋根の改修が急務だった。全面ふき替えは九五年以来で、総工費は約三千万円。八割が国の補助で、残りを事業主体の坪川家住宅保存会と県、市が負担。・・(後略)」 ⇒福井新聞HP


若い頃、友人とふたりで、かやぶき屋根のふき替えを見るために美山町を訪れたことがある。
棟梁はプロだが、かりだされた10数人の職人はみな素人だった。つまり結い(ゆい)としての共同作業だったわけだけれども、「結い」は現在では既に死語となっている。
小屋裏の丸太梁・柱の継ぎ手や垂木には、ボルトや釘が一切使われていず、伝統的工法による継ぎ手の周囲を真っ黒な煤が覆っていた。
古民家の一階土間には普通囲炉裏があり、自在鉤の上部は吹き抜けとなっている。囲炉裏で燃え盛る雑木の煙が吹き抜けを通して小屋裏にたどり着き煤となって継ぎ手の周囲を覆うのだが、ねばりを持っている煤は言わばさびない針金となる訳です。

日本の木造住宅には、繊細な「町家」と野太い「民家」というふたつの流れがある。両極だけれども、私はどちらも好きです。

06/05/01 (月)
 私の辞書に「ゴールデンウイーク」という言葉はない

日がめっぽう長くなってきたと思ったら、きょうから5月である。
4月下旬はなんとなく憂鬱な気分が続いていた。しなければならないことがあっても手がつかず、手をつけることのできない自分が嫌になり、そのことで他人に迷惑をかけているのだろうという自責の念の繰り返しだったけれども、5月の声を聞いたら気分がちょっと回復した。

♪夏も近づく八十八夜・・の茶摘唄も5月の唄だったと思うが、5月は新緑の季節だ。
消極気分と積極気分は誰にでもあり、せいぜいが顕在か潜在かの違いにすぎないとは思うけれども、やっぱり積極気分のほうが、ひとにも好印象を与えるだろう。
○ゴールデンウイークに入った途端、いろんな電話が入ってくるようになった。頼まれた仕事の「まだできないか?」コールだ。
もとよりお金が無いので、物見遊山でどこかへ出かけるということはない。
頼まれているということは頼られているということだし、「ネバーギブアップ」の精神ででがんばろうと、思う。