2006年06月



06/05/02 (火)
 木の好きな私

「国の重要文化財である坂井市丸岡町上竹田の「坪川家住宅」(通称・千古の家)で、かやぶき屋根の全面ふき替えが行われている。部分的修繕は毎年行われてきたが、全面は十一年ぶり。大阪から”かやぶき名人”がふき替え中で、地元民も作業に加わり、黒ずんだ屋根が徐々に黄金色に。七月末には風情たっぷりのたたずまいが復活する。
 千古の家は、江戸初期に建てられた県内最古の民家。正面は入母屋、背面は寄棟造り、栗材を手斧(おの)で仕上げた三本の股(また)柱など、地方豪族の生活様式を残す。破風(はふ)と呼ばれる三角屋根が前後にあり、屋根全体に約五十センチの厚みでかやが積まれている。一九六六年に重文指定された。
 同家がある竹田地区は雪深い地域だけに、かややその下の竹組みが腐るなど傷みは激しく、屋根の改修が急務だった。全面ふき替えは九五年以来で、総工費は約三千万円。八割が国の補助で、残りを事業主体の坪川家住宅保存会と県、市が負担。・・(後略)」 ⇒福井新聞HP


若い頃、友人とふたりで、かやぶき屋根のふき替えを見るために美山町を訪れたことがある。
棟梁はプロだが、かりだされた10数人の職人はみな素人だった。つまり結い(ゆい)としての共同作業だったわけだけれども、「結い」は現在では既に死語となっている。
小屋裏の丸太梁・柱の継ぎ手や垂木には、ボルトや釘が一切使われていず、伝統的工法による継ぎ手の周囲を真っ黒な煤が覆っていた。
古民家の一階土間には普通囲炉裏があり、自在鉤の上部は吹き抜けとなっている。囲炉裏で燃え盛る雑木の煙が吹き抜けを通して小屋裏にたどり着き煤となって継ぎ手の周囲を覆うのだが、ねばりを持っている煤は言わばさびない針金となる訳です。

日本の木造住宅には、繊細な「町家」と野太い「民家」というふたつの流れがある。両極だけれども、私はどちらも好きです。

06/06/30 (金)
 きょうは歯医者にいこう

昨晩は来訪者ふたり。
人生の悲哀をしゃべりあっているうちに時は過ぎていった。
客人たち御帰宅ののち布団に入り文庫本「日中国交回復」を読み始めた。
午前1時頃か、突然に歯がうずき始めた。うずきはたちまち痛みに変わった。痛い・・・痛いという言葉で形容すると平板になってしまうぐらいに痛い。なんというか、5寸釘を打ち込まれたようなスルドイ痛みが脳天を突き抜ける。七転八倒だ。
時刻が時刻だけに歯医者にいけるはずもないぼくは原点に戻りかろうじて考えた。
例えば江戸期の人間だったら、ひたすら我慢をして時が過ぎ行くのを待つだろう。ということで待っていたのだが痛みは増すばかりだ。
江戸期の人間だったら、痛む歯を引っこ抜いてしまうだろうと思い、親指と人差し指で引き抜きを試みたのだが、こりゃあもう悶絶死一歩手前だ。

試みに失敗したぼくは、アルコールに賭けた。
今、二杯目の焼酎を飲んでいる。眠気が痛みを和らげつつある。

06/06/29 (木)
 人生について

昨晩は珍しくひとの集まりの予定がなかった。
午後6時に帰宅したぼくは、若狭鰈と塩昆布をつまみにしてビールを飲み始めた。TVのワールドカップサッカーを見ているうち、メキシコ五輪を思い出した。釜本が獅子奮迅の活躍を見せたあの五輪だ。
そういえばぼくの同級生の高校教師が、「自分の教え子女生徒が釜本にナンパされたあるいはナンパされそうになった」と言っていたことがある。
「英雄色を好む」だろう。

熟睡し3時半に目がさめたら、外は既に白み始めている。小鳥のさえずりが遠くに聞こえる。
顔を洗い歯を磨きゲルベゾルテ煙草に火をつけパソコンデスクの前に座った。手廻しミルを使っての豆砕き熱々珈琲がとてもおいしい。
深夜ラジオが大政翼賛会を特集している。そのタイトルに今回の議会を思い出しながら旧いメモノートをめくっていたら、こんな言葉が残されていた。

友人の祖母が長寿をまっとうしての臨終の場で
こんだけながいこと生きてきたけど 一日たりともとばした日はなかった」と言ったそうだ。
そうなのだ。人生に徒労はつきものだけれども、無為の日なんてあるはずがない。七転び八起きだ。ネバーギブアップである。

06/06/28 (水)
 CATV

二年ほど前に福井県自治会館で開かれた「福井県市議会議員研修会」で、講師の全国市議会議会事務局局長がしゃべった言葉が印象に残っている。
「議会の一般質問で、各々の議員は事前に質問内容を通告しておきます。理事者は通告内容をもとにあらかじめ答弁書を作成しておき、それを読み上げます。しかし、本当のことを言うと、これでは緊張感が出ない。通告に詳しい内容を明記しておかなくてもリアルタイムで答弁できるのが理事者の器量というものではないか」という趣旨のものだった。
理事者の答弁にある程度の予定調和的整合性があっても、再質問からは読み上げタイムではなくなるのだから仕方ないのではないか、とその時私は思った。
けれども、先日初めてケーブルテレビで市議会をみた時、私はを感じた。
「1回目質問⇒理事者答弁」だけで映像が打ち切られ、次の質問者に移ってしまう。つまり「再質問⇒理事者答弁⇒再再質問⇒」の(恐らくは)本質的と思われる部分はカットされている。これでは視聴者の皆さんに消化不良的不満が残らざるを得ないのではないか。
時間的制約によるものでもあるということはあらかじめ聞いていたが、それならば事前通告はタイトルだけにし、内容を併記しないようにしたほうがいいと思うのだが。

06/06/27 (火)
  うす曇の朝

噂で聞いた出入りチェックという徒労が今でも続いているのかどうかそれは知らないしどうでもいいことだけれども、昨晩は6人のひとが事務所に集まった。「中学校問題のこれから」が軸となって進む話を聞きつつ、傍らのパソコンに座っての作業を続けながら、私は昔のことを思い出していた。

10年ほど前、あて職で県PTA連合会の副会長をしていた時、県内いろいろな地域のひとから「坂井郡はいいねえ。6町の背丈がほぼ同じで、各町の固有性を保ちながらの連合が維持できている」と言われた。
その後平成の大合併が進み、坂井地区はあわら市と坂井市を構成市とするに至っている。しかし、日本列島を席捲した平成の大合併はもともとが人口10数万をモデルとしていたはずだ。あわら市と坂井市の合併は近未来に確実にある。だからこそ、あわら市・坂井市それぞれの街づくりはボーダーを越えた計画が不可欠なのだ。
という意味でも、旧町それぞれの地域の中学校を残すことが大切だと思うのだが、今回の委員会で統合派議員から「二中存続をするならば、市は倒産する」という意見まで出てきた。
二中存続の為のシュミレーションが正確にできているとはとても思えないけれども、二中存続の為の一般財源の持ち出しの差だけで市が倒産するというのならば、あわら市は一刻もはやく坂井市と一緒になったほうがいいのではないだろうか、と思うのである。

06/06/26 (月)
 昨日の日曜日 

昨日の日曜日は、家族以外の誰とも顔を合わすことのない一日だった。
だらっとしていようと思ったのだが、なんにもしないでいるのはそれはそれで苦痛だ。やっぱり少しは手足を動かしてしまう。
ふたつの部屋を掃除し整理整頓した。きれい好きではないけれども、こういうことをしたあとは気持ちいい。

さあ、いろんな予定の入っている今週がスタートした。
○本日の午前中は、議会事務局⇒介護保険広域連合へ。
昼からは「議会だより」の原稿づくりに励んでいます。

06/06/25 (日)
 体調不良だった昨晩 

採決から三日が経った。
意外だったのは、採決に関するコメントが市外在住者から多くあったことだ。
これは、今議会を前に「中高一環教育⇒県立中学」の話が持ち込まれたことにも起因している。論議に軸ぶれが加速されたのだと思う。旧坂井郡内の県議たちがどういう感想を持っているのか、知りたいところだ。

私が今回の議会で一番不思議に思ったことは、市長のあるいは一部の統合派議員の「数多くの生徒が居ることで競争力がつく。元気なこどもができる」という言葉の表明だ。
いじめとか不登校とか差別とかの声を身近なところで相談というかたちでよく聞く私には、時代の変化は決して無視できるものと思われない。

採決の夜、多くの統合派議員と話をした。部分的にうなずけるところがあるとしても、釈然としない思いが強い。ずっと残るだろう。

魑魅魍魎が跋扈していたような気もする。教育にハコモノの話がなじむはずもないのに双方が混在したことで、論議がうすっぺらなものになってしまった。自戒も込めて、議会の再検証が次のステップだと思う。

政治というのは実にドライなものだ。ものごとを決める為のプロセスでそうならざるを得ない部分はあるのだろうが、決めるということは切り捨てるということを同時に意味してしまう

06/06/24 (土)
 昨日の一日あるいはリンク充填日記

午前6時起床。
熱々珈琲「キリマンジャロ」を飲みながら、久しぶりにウオーキングツアーを見ている。
昨日の朝は、先祖の墓参りに行った。

墓のある森のなかでは、時間が止まっている。自分が生きているのか死んでいるのかわからなくなる。

森の静寂を破って、友人K氏からミクロポデイウムに関する携帯電話が入ったので、墓参りのあと、K氏及びO嬢の三人で会場の下見に行った。

午後は、来客多数。いずれもテーマは「中学校問題のこれから」だった。

夜は男女三人で夜の街へ、とある居酒屋へ。
妻が送り迎えの運転をしてくれた。いつもそうだが、妻の存在がことさら大きく感じられた。
零時前に帰宅し、歯を磨き洗顔したあと布団へ。
昨日顔を合わせた全てのひとたちに対して、「きょうの出会いをありがとうございます」と心で感謝したあと、眠りについた。

06/06/23 (金)
 もう週末か

新聞・TVで既に報じられている通り、市議会最終日の焦点だった議案第62号「新市建設計画の変更について」は14対7で否決されてしまった。
反対した者のひとりとして、残念であるしあるいはもっと僅差になってしかるべきではなかったとも思うのだが、結果は結果として受け止めなければならない。

採決の前、たくさんの議員が賛成・反対の立場から討論に参加したが、統合派議員の意見を聞いているうち、「ああ・・我々二中存続派は情報阻害にあっていたんだなあ」と思われる局面を幾度か感じた。
有権者は行政執行能力を選挙というカタチで市長に託す。
有権者は行政執行を監視する姿勢を選挙というカタチで議会議員に託す。
議会は賛否ないまぜの状況下、最終的には数の大小で意思を決定するのだけれども、その前提としての情報の公平な提供が担保されていたのかどうか。

「中学校の2校存続を求める署名」運動の事務局が私の事務所になっていた関係で、署名運動に対する圧力の噂を随分聞いた。(本日の市民会議室に載った県議選云々の噂までは知らなかったけど・・)。そういう姑息な行為は言及するのもあほらしいことだ。
ただ、議会閉会間際にあった議長・市長の「10,933名の署名の重みを謙虚にうけとめ、市民の皆様がはじめて市政を身近に感じてくださったことに感謝し、この大きな声をこれからの市政にいかしていきたい云々」という挨拶は、パラドックスというかブラックユーモアというかどう言ったらいいんだろう。


06/06/22 (木)
 昨日の一日

こなさなければならない所用が残る昨日。
しかし、昼間の来訪客が多かった。

夕食をとった後の仮眠中、某元教育長から電話が入り、「NHKで午後7時30分からクローズアップ現代が入る」と言われた。掲示板にも「きさらぎ」さんから同様のメッセージが載っていたことを思い出しつつテレビのスイッチを入れた。
「現在の教育環境の悪化を訴えているこの番組は以前見た記憶がある。ビデオなのかなあ」と思いながら見ているうち、夜の部の会議が始まり、スイッチオフ。
11時過ぎに散会し、就寝。目が覚めたら外は既に明るい。しとしと雨が降っている。

午後5時過ぎに議案等に対する採択・不採択が始まった。、
議案第62号「新市建設計画の変更について」は14対7で採択された。
請願1号「中学校の2校存続を求める請願」は14対7で不採択となった。
・・ひたすら悔しい。

 06/06/21 (水)
 梅雨空を見上げながら

教育者でない私には体系としての論を述べる能力はないけれども、非常に印象に残っていることがある。
PTAをしりぞいた頃だったと思うが、(例によって)いじめのことで、あるクラスの保護者達から頼まれて中学校へ出かけた。放課後の誰もいない教室で担任教師と三時間ほど話し込んだ。
「パソコンや携帯の普及で、教育環境が激変してるんです。何か問題が起こるとすぐにクラスを超えて学年に伝播するんです。担任クラスを超えてしまうんですよ。自分を弁護するわけではないけれども、小さい学校であれば歯止めが効くと思います」と、相手は疲れた表情で淡々と語っていた。
小中のPTA会長をしていた時、似たような場面にいたことは何度もあるけれども、この教師の言葉は、最も印象に残っているもののひとつだ。

いつだったか、我々教育厚生常任委員会は、教育委員会から「中学校建設企画検討委員会」での協議経過報告を受けた。
小規模校・大規模校のメリット・デメリット
小規模校
〇メリット
・学習指導・生徒指導において、きめこまかな指導ができる。
・学校施設を余裕をもって利用できる他、教育活動が円滑に進行しやすい。
・生徒相互の信頼関係や相互理解が強くなり、教育活動が円滑に進行しやすい。
・生徒同士のコミュニケーションが図りやすい。
・生徒一人ひとりを把握しやすい。
・教員同士の意思疎通が図りやすい。
・教職員の共通理解や協力が得やすく、実践が徹底する。
・教職員と保護者との人間関係が密接になる。
・教職員の兼務が多くなるので、いろいろな経験を積み視野が広くなる。
〇デメリット
・集団思考が不活発となり、深まりを欠くようになる。
・学校行事等での役割が固定化する。
・部活動等の数が限定される。
・友好関係が固定化し、過干渉が生じやすくなる。
・教員の過干渉により主体性・自主性を欠くようになる。
・競争心が育ちにくく、切磋琢磨が今一歩となる。
・クラス替えができないので、人間関係が固定化する。
・教科数を満たす教職員の確保が難しい。指導者不足になりがちとなり、教員の配置が困難になる。
・教科専門の教員の授業が受けられにくくなる。
・教職員数に余裕がなく、多様な教育活動がしにくい。また、教職員の研修・
出張等に制限がでる。
・校務分掌が多く、業務処理に追われる。

大規模校
〇メリット
・クラス替えができ、幅広い人間関係・社会性を育てやすい。
・小人数指導やチームテイーチングが実施しやすい。
・希望に応じた部活が実施できる。
・選択履修幅の拡大に十分対応できる。
・校務分掌を複数で担当、十分協議できる。
・学年に複数教員が配置できる。
〇デメリット
・全体の掌握が難しい。
・一人ひとりに目が十分に届かない。
・学習進度度・指導法の統一が難しくなる。
・表面化しないであろう生徒指導上の課題が増加する。
・特別教室や体育館の使用に制限がでる。
・学校行事など全校生徒の参加が難しく、一人ひとりの活動が少なくなる。

それぞれに長所・短所があるのは当たり前で、要はリスクの相対的差がどうなのかである。あわら市という地域での教育の現状を考慮した時、軸足がどこに置かれるべきかの見解が出されてしかるべきと思ったが、トーンは両論併記だった。そうならざるを得ない理由があったのかもしれない。

沢山の教育関係者の、本音と思える部分からは
・最低200名でOK
・小規模高では、学力向上やきめこまかな情操教育、あるいは、 問題行動の早期発見や心のケアなど多くのメリットが考えられるが、大規模校には多くのデメリット部分 があり、経済効果優先とも見られる大規模化を黙ってみていられない。
・大規模校の方が優れているのであれば、旧坂井郡内の中学校や小学校が どうしていまどき2校に分けなければならないのか?
・小規模校では全校の児童・生徒を全職員が把握していることが多い。
・子供達も全職員を知っているという家族的雰囲気での人間関係が構築できる。
・問題行動や、心の問題等も早期に発見できることが多い。
・大規模校では問題を抱えた子がいると、その子だけが注目されてしまう。
・確かに、1学級だけの人数だけを見れば、少ない学級の指導は楽に思えるが、「学年」と言う単位で活動することの多い学校生活では、学年の生徒総数は大きな問題になる(担任がクラスだけをみれればいい、という時代ではない)。
・現役の教職員に転任希望を聞いても、大規模の3校は敬遠されがち。大規模校では、学習指導や部活動指導以外に生活指導上のことなどに 費やされる時間がかなり多くなる。
・漸近線的な大規模化であれば対応できても、一機の大規模化は必ず歪みをもたらす。
等々の意見が聞こえてきた。

例えば「デメリット」と定義されるものの中には、我慢できる「デメリット」と我慢できない「デメリット」があり、その峻別が大切ということだ。

・某市教育委員会を訪ねた時、「中学校は地域の核です。そこに歴史・文化の諸々が入り込んでおりあるいはそこから発信されており、地域住民のアイデンテイテイの基盤となっています」と言われたが、迫りくる旧坂井郡六町合併の中で、中学校が統合してしまえば、あわら市だけが蚊帳の外となってしはしまいか。

上述の思いに対して、又反論もいろいろあるだろうけれども、ともかくそういう思いが明日の採決時での私の姿勢を決めている。

なお、旧坂井郡一円の(少なくとも)教育関係者が、明日の採決を凝視しているはずです。

06/06/20 (火)
 ブルーマウンテイン珈琲を飲みながら

去る6月15日に開かれた総務常任委員会は、「議案62号・新市建設計画の変更について」を賛成多数で採択した。
昨日19日に開かれた教育厚生常任委員会は、「請願第1号・中学校の2校存続に関する請願」を賛成多数で採択した。
帰趨は22日議会最終日での採決に委ねられる。

議会前の2回の全協(2日及び12日)で、(全てではないが)各議員が中学校統合に対する賛否の意見を述べた。議会初日一般質問では、白熱した議論があった。15日の連合審査会は意見の応酬そのものだった。

私は、二中存続を求める議員であり、その態度で22日の採決に臨む。
しかしながら、全員による議論がやっと緒についてきたこの時期での議案提出は拙速ではなかったか?とも思うのである。15日における議案62号の審議はせめて継続にならなかったか、とも思うのである。委員会での決議は、22日の本会議に於いて委員長から報告され、全議員(除議長)の起立・不起立によって決定する。議会のなかにいる人間として、どういう結果となるのであれその結果を尊重しそれに従わなくてはならない。

しかし
「多くの市民の理解を得た」と答えた市長のその根拠が私には未だによくわからないし、事実「中学校の2校存続を求める署名」は多くの数に達している。
「地区別説明会」などでは触れられることのなかった併設中学の話が最近急に浮上してきたことにも疑問符が浮かぶ。
議会前日全協の場に、県教育長が「中高一環教育」の説明というかたちで来訪したことにも驚いたが、そもそも、その予定を知らなかったのは「二中存続派議員」だけだった(らしい)。
勿論、現在は、誰がどこに行きどういう動きをしたかの詳細は把握しているが、ここでそれを述べるつもりはない。固有名詞はこの場にそぐわない。
ただ一点、情報の公平な提供が保証されない程にシャカリキになって中学校統合を議決させようとしている姿勢に危惧を感じているということを、申し上げたい。

06/06/19 (月)
 事務局からの伝言



本日の午前9時、10,933人の「中学校の2校存続を求める署名」が、代表の組頭氏より議長に提出されます。
署名してくださった皆様方、どうもありがとうございました。
○午後3時半に「教育厚生常任委員会」は終了。
請願第1号「中学校の2校存続に関する請願」は、4対2で採択されました

06/06/18 (日)
 蛍のこと

明日の午前9時、「一万人を超える署名」が山川議長あてに提出され、9時半から教育厚生常任委員会が開かれます。
その委員会のなかで、請願第1号「2校存続に関する請願」が審議され採択・不採択が決定する運びです。


今夜、ワールドカップ・日本対クロアチア戦が行われるドイツの天気模様がどうかは知らないが、北陸地方は既に梅雨入りしている。
梅雨というと先ず連想するのは蛍だろう。

昨日の土曜日は朝から夕刻まで多くの来訪者があったけれども、おひとりがパンフ=蛍(1)・蛍(2)を持ってきなさった。
子供の頃は浴衣姿で団扇を持って田んぼ畦道での蛍狩りを楽しんだものだ。捕まえて空き瓶にいれた蛍をみかん箱の上において、本を読もうとしたことがあるが全然駄目だった。
蛍の光や窓の雪で文読む月日を重ねていったのは、やはり近代以前の人達だったのだろうと思う。夜間照明に慣れてしまった我々の視力ではもう無理なのだ。

数年前に観音川流域で蛍の乱舞をみたことがあるが、あっけにとられるほどに美しかった。小説では宮本輝の「蛍川」・・これに尽きる。
蛍の光は男女の求愛サインだと私は思っていたが、識者によれば「光通信」だそうです。

06/06/17 (土)
 土曜日の朝

忙しさにかまけて気づかなかったのだけれども、このHPの合計クリック数が17万カウントを超えていた(昨日のカウント数にもびっくりした)。

6年くらい前だったか金津町議になってから一年間が過ぎた頃、インターネットに詳しい知人から「牧田はん、HPで議会のこと発信するのは議員のつとめやざ」と言われ、その人の手を借りてこのコーナーをつくり日記風に議会のことを書き始めた(お暇な方は過去日記をどうぞ)。

その頃司馬遼太郎の幕末ものに凝っていた私は、この日記の表題に西郷隆盛が好んだ言葉を引用し、「敬天愛人日記(天を敬い人を愛す」とした。
けれども女性読者からすぐにクレームがついたので「議員日記」とオーソドックスなものに変えた。

始めのうちは議会のことをこつこつと地道に毎日書いていたのだけれども、ぐうたらな性格のせいか真面目いちずがなかなかむつかしく、続けるならばむしろロマンチックな表題に限る、ならばと好きな歌謡歌手・島倉千代子を思い浮かべつつ「からたち日記」と改題した。

したところが、「ふざけすぎではないかえ?」のくどくどお叱りメールが入ってきた。
結局、表題など所詮表題でしかないということで、「議員日記」に戻して落ち着いた。
大状況に言及する能力はなく中状況を論及する気概もないこの日記では、半径数Km以内で体感したことのつれづれを記述する域を出ることはできないししないし今後もそうであり続けると思いますが、これからもどうぞよろしくお願いします。

06/06/16 (金)
 昨日の連合審査会

昨日は、総務常任委員会(山川知一郎・山口峰雄・関山博夫・丸谷浩二・宮崎修・海老田州夫・見澤孝保・東川継央の諸議員)と教育厚生常任委員会(八木秀雄・大下重一・北島登・牧田孝男・卯目ひろみ・橋本達也・杉田剛の諸議員)と合同での連合審査会が開かれた。
数社マスコミが傍聴するこの連合審査会(丸谷委員長)は午後1時に始まり6時に終了した。

連合審査の対象は、「議案第62号=新市建設計画の変更について⇒中学校統合化」である。
もともとが中学校問題については所管の教育厚生常任委員会でずっと審議され続けてきたものである(ついでに言うと、教育厚生常任委員会内部では統合化反対議員が圧倒的に多い)。しかしながら行政側は今議会で中学校統合を「新市建設計画の変更」案として打ち出してきた。となると、議案の付託先は必然的に総務常任委員会となる。そこで、連合審査会というかたちがとられたわけであるが、教育厚生常任委員会メンバーに意見を述べる権利はあっても議決に参加する権利はなく、あくまでも総務常任委員会メンバーによる議決となった。

さて、質疑は橋本議員から切り出された。
理事者側と橋本議員との間での質疑ではっきりしたことは
①教育委員会は公的機関としての正式な意思決定をしないままに今日に至っていることを正式に認めた。
②「生徒の教育は学校規模と関係ない」という市長判断を教育委員会としては公的には認めていないことを正式に認めた。    以上二点

統合賛成の立場、統合反対の立場からの丁々発止が延々と続いたが、それをここで文字化するという膨大な作業は、当然のことながら私には不可能なので割愛する。詳細を知りたい方は、議会事務局に行って、議事録を閲覧してください。

私個人が強く感じたこと。
そもそも理事者側は二中維持の可能性を模索するあるいはシュミレーションする意思など持ち合わせていないのでは?ということである。
地区別説明会で、「統合ならば¥55億で予算化可能」と説明された数字から、ならばと先例地の中学校建設コストを調べ二中化もその枠内で可能と判断し、とりあえずは先に芦原中学校改築、金津中学校大改修で将来の金津中学校改築が担保されるのではないかと素朴に思っていたのだが、「補助率が違う。一般財源の持ち出しが違う」という答えだ。勿論そのような差があることはわかっているわけで、だからこそ金津中は当面大改修で、と思うのである。
「じゃ、財源持ち出しの許容値は?」の問いに対する答えは「財政が大変厳しい。安ければ安いほどいい。だから統合」である。
なんというか、誰でもが答えることのできるようなそういう凡百の答え手の胸に、果たして「二中存続を求める一万人の署名」の切実な声が届くのか。

「合併協による新市建設計画の協議事項は、ただ単に旧芦原町・金津町の懸案事項を並べてくっつけただけ」という答えもあった。
私は町議時代に合併協の委員ではなかったので、合併協議の経緯の詳細は知らない。しかしながら、「合併するということは、大変なことなのだ。数千にのぼる協議事項をひとつひとつ擦り合わせていかなければならない膨大な作業が待っているのです」という声だけは聞いていた。ありゃ嘘だったのかね。

市長は「たくましいこどもを育てるためには、大きな学校の方がよい」と発言していたが、それをアナクロニズムと思う私は全く違う見解を持っている。

その他、旧芦原町系議員たちに対するドキッとするような発言もあったが、どこかで誰かが文章化するだろう。

ともかく
行政側には行政側の言い分があろう
統合賛成議員には賛成議員の言い分があろう
勿論、統合反対議員には反対議員の言い分がある
お互いに面しての討議の継続がまだまだ必要だ。それぞれの思いをもっともっと市民に知ってもらわなくてはいけない。
そういう意味で、この議案に関しては少なくとも「継続審査」となってほしかったのだが・・・。

結果は、委員長を除いて、賛成五人・反対一人(山川議員)・退席一人(山口議員)で可決された。
議会最終日22日、全議員によってこの議案可決に対する賛否意思表示としての起立・不起立が予定されている。

06/06/15 (木)
 久しぶりにみた夕陽

私が中学生だった頃、校舎は木造だった。ひととなじむのが苦手な私はどちらかというとひとりで居ることが多かった。
放課後の誰も居ない教室に残って窓辺にたたずみ、落ちる真っ赤な夕陽を眺めているのが好きだった。
舟木和夫が「♪・・赤い夕陽が校舎を染めて 楡の木陰に・・」 と毎日唄っている頃だった。

生まれてしまった悲しみと大人になることへの不安が交錯したあの頃の日々が走馬灯となってアタマをよぎった昨日、私は三国海岸へ車を走らせた。
磯を歩き平たい大きな岩に腰を下ろし煙草を一本吸った。
たゆたう煙のむこうで、白波に夕陽が反射し輝いていた。
「生きていることを大切にしなければ」と、何故か私は思った。
・・・午後9時、総務常任委員会に於いて「新市建設計画変更案」可決
               ⇒五対一(一人退席)・・・なんというか・・・
明日の日記に詳細を書きます

06/06/14 (水)
 昨日は議会初日

2、3日前だったか。会議を終えて控室での昼食時、周りの椅子は全て統合中学校建設を主張する議員ばかりだった。
そして、「牧田はんのHP掲示板に書き込んでいる○○さんは誰やの?□□さんは誰やの?」といろいろ聞かれた。
掲示板の管理人というのは、単に掲示場所を提供しているだけだ。当然のことながら、それぞれのハンドルネームの持ち主が誰なのか私にわかるはずがない。

さて、昨日は議会初日。
市長による「行政報告」あるいは「提出議案理由説明」が終わった午前11時から一般質問が始まり午後5時半に終了した。質問議員及びそのタイトルを、コンテンツ「議会報告」にUPしました。
経緯を文字化すると臨場感が消えてしまうし、第一そのような煩雑な作業が私にできるはずもありませんが、後日作製される議事録は議会事務局にて閲覧することができます。
13人の質問者のうち、9人が「中学校建設問題」を質問した。9人のうち3人が「統合賛成」の立場から意見を述べ、6人が「統合反対」の立場から意見を述べた。
一般質問終了後、満員だった傍聴席のひとりのひとから「統合派及び二中派の白熱した議論を聞くことができた。よかった」という意見を拝聴した。

15日には、総務常任委員会と教育厚生常任委員会が新市建設計画変更議案(統合中学校建設)を討議する「連合審査会」が予定されています。

06/06/13 (火)
 肌寒い朝

本日から 、あわら市議会定例会が始まります。
会期は13日-22日ですが、中身についてはコンテンツ「6月の予定」をクリックしてください。
思ったこと感じたことをその都度書いていくつもりです

 06/06/12 (月)
 穏やかな夜明け

昨日の日曜日はほとんど何もせず、いわゆる「食っちゃ寝食っちゃ寝」の状態で一日が終わった。タイガースが首位へ返り咲いたことでココロがおだやかになったせいもあるだろう、十分過ぎるほどの睡眠をとり目が覚めたらもう4時である。

又新しい週がスタートする。
本日は全員協議会が予定されており、明日からは議会が始まる。
つまりとても忙しい週になるわけだけれども、頑張ろうと思っています。
○臨時報告
本日の全協で、「一般質問」のスケデュール変更が議長から発表されました。以下のとおりです。
明日(13日)の本会議は午前9時半に開始。
行政報告あるいは議案の委員会付託等(約2時間)が済み次第一般質問に入るとのこと。質問者は13人で、13日のうちに時間を延長してでも(つまり6時あるいは7時になってでも)すませるかあるいは定時(5時)に終えて、残りの質問を翌日(14日)の午前中にまわすかは、今のところ未確定です。


06/06/11 (日)
 久しぶりの酩酊

ええっと・・・訂正報告があります。
昨日の「金津中学と芦原中学の2校存続を求める市民の決起集会」終了後に福井テレビ記者から言われました。
6月8日の日記に書いた組頭氏のTVインタビュー放映期日は数日ずれこむとのこと。今度の議会でもしかしたら出てくるかもしれない中高一貫教育・県立中学に関する質疑応答との併記としたいとのことであり、期日が決まったら電話をくださるとのことでありました。
その県立中学に関する市長談話が議会を直前に控えて新聞紙上に載ったのは、「おどろきもものきさんしょのき」とでもいうべきだろうと思いますがね。

さて
昨日夜の集会には、旧金津町元助役・円道氏、元教育長・川内氏が来場され、あるいは旧芦原町教育長・高嶋氏のメッセージが伝えられました。
4人の人たち(西野・佐藤・玉川・小阪諸氏)のメッセージに引き続き、来場されていた旧芦原町元町長・奈須田氏の「何故2校を存続させなければならないか」の切実な思いを我々は拝聴したわけであります。
そのあと、澤井氏のアピール文朗読、達川氏の激で会は終了しましたが、
思うに、旧芦原・金津両町の元重鎮達までもが声高く異を唱える「統合中学校」案を現市長が今度の議会に議案として提出するという構造も又異様なものと私には感じられます。

集会終了あと片付け完了後、我々有志議員は久しぶりに夜の街に飲みに出ました。
日頃の疲れが多少たまっていた為か、堅物と皆から呼ばれている私も、焼酎の勢いを借りて下手な冗談なんぞを飛ばしていました。

・東山のOさん、昨晩はどうも。
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06/06/10 (土)
 夜明けにブルーマウンテイン珈琲を飲みながら

新聞紙上に、統合へむけての市長談話が載った本日。
奇しくも本日の午後7時半から、「金津中学と芦原中学の2校存続を求める市民の決起集会」が、あわら市社会福祉センター(旧金津)で開かれる。
6月市議会定例会を直前に控えた本日の決起集会の成否こそが、統合中学へ向けての議案を阻止できるかどうかの鍵となる。

2校存続を望む全ての市民のみなさん!
是非とも福祉センターへ足をお運びください。


○今朝、前谷で見た感じの良い風景


 06/06/09 (金)
 本日は「坂井地区介護保険連合」議会

「岡山県のJR駅で高校生どうしが口論・喧嘩となり、ふたりの高校生が線路につきおとされた。つきおとした方の高校生が殺人未遂で逮捕された」というTVニュ-スが、今流れている。
人間は聖人君主ではないし、ましてや多感な高校生であれば相手に憎しみをもったりあるいは瞬間的に殺意を抱いたりすることは、ままあると思う。
ただ、殺意を持つこととそれを実行することの間には千里の距離があり、そのことが人間を人間たらしめてきたはずだ。
若者が殺人事件の被害者となったり加害者となったりの連日の報道をみていると、越してはならない一線としての規範(道徳というより本能的な部分だろう)の崩れが社会全体をおおい始めたような気分になる。とてもおぞましい気分になる。
○電話をかけてきてくださった匿名さんへ
統合中学土地費内訳は行政側提出資料によると
・土地4.00億
・造成2.00億
・外構2.27億
・排水1.00億  以上です。

06/06/08 (木)
 昨日の一日

正午前に市庁舎へ出向き一般質問通告書を出したあと、福井市へ車を走らせた。打ち合わせを終えて事務所に戻りCADに専念していた夕刻に、知人来訪。

珈琲飲みながらの話のさなか、「煙草くださる?」と相手が言う。偶には喫うみたいだ。伏し目がちの口もとから拡がる白い煙が端正な顔を見え隠れさせ、やがて消えていく。30年前のヒット曲、五輪真弓の「煙草の煙り」のメロデイが私の頭をよぎった。

ヘビースモーカーの私だが、当然のことながら自分が煙草を喫う姿を自分で見たことはない。煙草を喫う姿と相対する機会は日常茶飯だけれども、相手が女性となると珍しい。ほんのりとした色香が漂っていた。

外が暗くなるにつれて何人かのひとが集まってきた。
中学校問題についての議会内外での動きを軸に話が進行していくのだが体調やや不良のせいか、突然に睡魔が襲ってきた。
10分間ほど仮眠をしようと思い隣のCB建物に移り横になった。しかし、目が覚めたら既に午前3時を過ぎていた。集まっていたみなさん、突然に消えてしまい失礼をいたしました。
○朝のラジオが俳句特集をやっている。最近は俳句もワールドワイドになってきて、例えば英語圏で俳句をする人はハイキストと呼ばれているそうだ。
なるほどと思いながら私は考えた。
陰湿に圧力をかけるひとはアツリョキストとなるのだろうか。妨害をするひとはボーガイストとなるのだろうか。ま、一括してバカと呼んでおけばいいのだろうがなあ。

○本日の午後4時半。
「2校存続を求める会」代表・組頭氏への福井テレビによるインタビューが、私の事務所で行われました。
この模様は12日夕刻に放映されます。
是非ともごらんください。



06/06/07 (水)
 夜明けにブルーマウンテイン珈琲を飲みながら

昨晩は、7時半から湯のまち公民館において「呼びかけ人会議」が開かれた。終了後は、事務所で有志議員たちによる再びの会議。
11時半頃の散会となったけれども、残務の為にひとり残った某市議との間での世間話は、旧芦原町民と旧金津町民とのいわゆる町民気質の違いがテーマとなった。
もともとが隣町どおしで近接していたのにも関わらず、顕微鏡でみるとそれなりに違いはあるわけで、具体例に即した相手の指摘は面白かった。

12時半に相手も帰り、遅くなった夕食(というより夜食)をとって就寝。しかし午前3時半に目が覚めた。
8時就寝3時起床が既にルーテイーン化している為、就寝時刻の大幅なずれにも関わらず体内時計が目覚ましを定刻コールするのだろう。
人間の体は不思議である。

06/06/06 (火)
 666について

本日は(0)6年6月6日である。

それでですね
「悪魔のマーブ」くんがある場所に書いた文を紹介すると

「数秘術の方法によれば
Aを100 Bを101 Cを102と置き換えていく
・・・Zは125となる
HITLERの六文字をすべて数字にし
それを合計すると666になる
聖書「ヨハネ黙示録」では666は『獣の数字』とし
暴君ネロを示す 皇帝ネロはキリスト教徒を迫害し
ヒットラーはユダヤ人虐殺
映画「オーメン」の悪魔の子『ダミアン』は
六月六日六時生まれ 
君たちの中で666になる人はいないだろう
暴君を探そう 恐いかもしれないが」

 06/06/05 (月)
 矢車草とアグロステンマ

昨日の日曜日、私は妻のことを考えながら山十楽の道路を車で走っていた。
妻は昭和歌謡史に燦然と輝く陰気歌手・山口百恵と同い年である。
妻⇒百恵⇒秋桜(コスモス)と連想が進み、「♪・・秋の日の 陽だまりの 縁側で・・」を口ずさみながらの道中、道路脇にコスモス群が見えてきた。
何かの啓示ではないかと思い車を停めた私は、傍らに立ち愛用デジカメのシャッターをおとして「家庭掲示板」にUPした。しかし、「ギタゴ」さんというひとから、「矢車草とアグロステンマだと思いますが?」というつまり間違い指摘を頂いたのである。
そういえば、今の季節にコスモスなど咲いているはずないぞなもし。

少年時代の英雄「矢車剣之介」なら知っているけれども、、「矢車草」がどのような花かは知らず、「アグロステンマ」に至っては我が57年の半生で一度も聞いたことのない発音だ。加賀の福浦という港で伝馬船に一度乗ったことがあるだけである。
「ギタゴ」さんは、ただものではあるまい隠れた植物学者ではないか、と私は思うのだがどうだろう。
学校問題については教師の意見を聞くのが重要であるのと同様に、花の名前についてもその道のプロからの御指摘をうけて、私はとても嬉しい。

08/06/04 (水) 無題

本日の早朝、ぼくは宮谷区にいた。
地蔵堂の横に


水が出ている。


通りかかったおばあさんに山からの湧水であることを確かめたあと、手のヒラにすくって飲んだ。
こどもが小さかったときアトピーであったこともあり、市内県内の名水をいろいろ訪ねたものだ。あの頃、車で外出する時は、助手席に妻が乗り後部座席にこどもたちが乗るのが定番だった。

事務所への帰路、十日町の交差点信号が赤になったので停車した。
交差点看板を見上げた。十日の下に「Toka」とある。

06/06/03 (土)
 昨日の全協

昨日は全協(全員協議会)が開かれた。
全協は非公開ではあるけれども、秘密会ではない。決定していないことを決定事項として書くのは許されない、ということだけである。

昨日の全協で、午後は「中学校問題」に関する全員討議が予定されていた。
午前9時半の全協開始時に、議長から「本日の午後に県教育長が来られる」という話がでて、私はびっくりした。前日の議運(議会運営委員会)でもその話は出ていなかった(らしい)ので「?・・何故なんだろう」と思った。
午後に来られた県教育長の話の中身は、中高一環教育のことであり、特別どうというものではなかったのだけれども、「一貫教育は既に始まっているものであり何故今の時期に」という不思議な思いだけが残った。

仮に県が「中学校問題」に口をはさむとしたら、そりゃ自治の侵害となるのだろうが、県の話にそのようなニュアンスはなかった。
しかし、その後に入ってきた情報を整理してみると、県教育長来訪の予定は、我々二中維持を主張する議員だけが知らされていなかったみたいである。

議会とは、個々の議員が自由に意見を述べあい議論が積み重ねられていくなかでひとつの意思が形成されていく場である。しかし、その前提にあるものは情報の公平な提供でないか。
その部分が崩れるとなると、議会制民主主義は成り立たなくなる。

06/06/02 (金)
 お知らせコーナー

昨日の昼過ぎに、友人来訪。
「牧田はんの5月30日の日記、久しぶりによかったざ」とほめられた。
ほめられたのは4年ほど前に書いた「夕陽恋」以来二度目だったので、なんとなく嬉しくなってしまったよ。

そのひとが作製して持ってきなさったパンフをコンテンツ「お知らせ」に載せました。昨年の12月に某寺院で開いた「貴央おんちゃんの艶話」以来の「わちらの会」主催イベント=ミクロポデイウムのパンフです。
題名のとおり、ミクロの舞台なので人数を制限せざるを得ず、チケットが高くなってしまいました。
しかし
7月8日の夜、皆さんは異次元的不思議空間に入りこみます。そこはファンタジックな世界でもあります。
皆さんのご来場をお待ちしています。
○波松地区のTさんへ。
感想メモの字句間違いご指摘のメールありがとうございました。
訂正しました。すぐに返信感謝メールをだそうと思ったのですが、誤ってアドレスを受信トレイから削除してしまい、返信が不可能となってしまいました。
とりあえずこの場をお借りして感謝申し上げます。

06/06/01 (木)
 「掲示板」について

「掲示板」というと、私達の世代はいろんな駅の待合室にあった掲示板を思い出す。

「よしおへ 喫茶エリ-ゼで待ってるわ はやく来てね ゆきよ」を見て、彼女のいるやつはいいなあ、とうらやましがり

「けんちゃん 二時間待ったわ あんたなんか大きらい もう別れる 久美」を見て、よおおしいいぞと安堵し

「約束時間の15分前にここにきてじっくり考えました 貴方の顔をみてしまうとどうしてもつらくなります 約束破ってごめんなさい あたし過去を捨てます 粉雪舞い散る北の国へいきます ひとりで生きていけますからさがさないでください ひろこ」を見て、人生の悲哀を感じたりしたものだ。

そのうち私も
「とみこ 帰ってきてくれ ぼくがわるかった もう自堕落な生活はしない
約束する 子供たちがかあちゃんかあちゃんと泣いてるんだ 頼む帰ってきてくれ たかおより」
とでも書くことになるのかと思っているうち、掲示板はインターネットの世界にスライドしてしまった。

それでですね
左側コンテンツ「よろず掲示板」をどどおんと思い切って大容量OKの有料掲示板にバージョンアップしたのが去年の夏でした。
今年の二月頃だったか、「中学校問題専用の掲示板つくったらどうや?」と何人かのひとに言われてしかしもったいないという思いもあって無料の「中学校建設問題掲示板」を開いたわけですが、皮肉なことに有料より無料のほうが書き込みの多い昨今です。
そこで、どどどおおおんと思い切って双方を有料・大容量OKとしました。
何なりと書き込んでください。