2007年01月


07/01/31 (水)
 ちょっと思ったこと

なんとかなるかとは思うのだけれども、大変忙しいのでそれではまた、と一行日記にするつもりだったが、癖なのかやっぱり何か書きたくなってしまう。

昨日でぼくは58歳になった。もう半生を振り返ることのできる歳だ。
いつも何かにおびえ続ける程に繊細で、大人になるなんて嫌だ嫌だと想い続けてきた少年がよくここまで生きてきたと、思う。
晩婚だったができないと思っていた結婚もしたし、子供も3人もうけた。その3人も社会人になりあるいはなりつつある。勿論女性を「こどもを産む機械」という稚拙な言葉で語るつもりはない。子どもは愛の結晶なのである。
子宮のなかにいる胎児たちは、この世に有無を言わさず送り出されてくる。この世に出ようか出まいかという選択肢はない。その意味で子ども達の生きやすい環境をつくることは我々大人の義務だと思うのである。
○国会中継の一般質問をラジオで聴いていたら、何党の議員かは知らないが、「団塊(ダンカイ)の世代」を、大きな声で「ダンキの世代」と発音していた。そのうち「ダン○○の世代」とでも発音するのじゃないかと、ぼくは心配した。
うーん、国会議員といってもいろんな方がいなさるのだと妙に感心したのだけれども、この日記にも添削メッセージが入ってくる。
塊の右側の鬼をみていて思い出したのが何ヶ月か前に使った言葉・「鬼畜」という語彙だったか発音だったかの間違いに関する同僚議員からの指摘だった。
人間死ぬまで勉強やね。
○きさらぎさん、市民さん
BGMについてのご指摘ありがとうございました。訂正しました。
○「市政関係掲示板」のIPをそろそろ非表示にします。

07/01/30 (火)
 きょうで58か

データをねつ造し「納豆ダイエット」をTV放映した関西テレビに抗議が殺到し、社長は記者会見で謝罪したりして対策におおわらわのようだ。
電波は公共のもので圧倒的な影響力を持っているのだから責任を問われても仕方ない。だけど興味本位の番組なんて潜在的にはそういう構造があると思ったほうがいいかもしれない。

私も朝食に納豆をよく食べる。あのねばりけがたまらないし、前夜に深酒をした時など、すっきりした気分になる。栄養学的にどうかは知らないがそういう気分になることで食べる。
ダイエットで容姿のバージョンアップをねらうのだとしたら、断食するか腹八分目にするか走るか歩くか泳ぐか畑仕事をするか腹筋運動をするかでその効果をねらうのが一番わかりやすいのではないだろうか。
しかしですね
ひとにいろんな性格・気質があるように、やせているひと中肉のひと太っているひとさまざまがあってこそのシャバだと私は思うなあ。

例えば貴方のように日頃ココロを磨いているひとはみな美しくみえる。
付け加えると、美の基準など時代と共に移ろうものだ。
週刊誌などのグラビアに登場する「美女」がすべて長足やせがたであるのは確かだが、はやい話、平安時代の「美女」は短足うりざね顔でお歯黒をしていたはずだろう

07/01/28 (日)
 勇気について

昨日県立病院に行った際、市職員夫妻に呼び止められた。みんなたいへんだ。

さて
27日午後1時ごろ、鳥取市寿町、無職、木下博文さん(59)方から出火。道路を挟んで向かい側の市立中学校にいた小学校教諭、石本俊一さん(35)が建物に飛び込み、勝手口から入って約5メートル先に見えた木下さんの母、節子さん(84)の足を引っ張り出し救出した。節子さんは背中にやけど。
 石本さんは講演会に参加するためにちょうど中学校の敷地に入ったばかりだった。石本さんは「10年ぐらい前にも火事の家から女性を救出したことがある。今回は火の勢いもそれほどではなく、自分でもびっくりするぐらい落ち着いていた」と話していた。
 鳥取署の調べでは、木造平屋約90平方メートルが全焼。節子さんはほぼ寝たきりで、ストーブの火が服などに燃え移った可能性があるという。(サンケイウエブ))
という記事を読んで、「偉いなあ」と思った。無条件にそう思う。
その時消防士たちは何をしていたのだろうという疑問は残るのだが・・。

自分の家族であれば当然の行動といえるのかもしれないが、他人の救出なのだ。
米国ワシントンDCにある厳寒のポトマック川に飛行機が墜落した時、飛び込んで少女を救出したあと川底に沈んでいった米国人男性や、地下鉄線路に落ちた日本人を救出し自らは轢死した韓国人青年のように死のリスクを伴った行動だ。

数年前、「燃えようとする車から少女を救出」という記事が新聞に載ったのであるいは覚えている方もいらっしゃるかもしれないが、先日、その尾田青年が事務所に遊びにきて救出した時の恐怖を語ってくれた。体が熱々になったそうである。

世間には滅私奉公の大義に生きようとするひとが沢山いる。
ぼくもそういうひとたちの爪の垢を煎じて飲みたいと思っている。

07/01/27 (土)
 もうすぐ(1月30日)、58歳になってしまうわたし

・本日のBGM「女ひとり」は思い出深い曲だ。確か19歳の春に京都大原三千院を訪れた。時雨だった。
木立のなかをサクサクと歩いた時の足の裏の感触が今も残っている。鄙に住む身故になかなかむつかしいしかなわぬままに逝ってしまうのかもしれないが、できたら一度京都の街及び周辺をじっくりと歩いてみたい。
うん、よく考えたら、ぼくは昔「古寺探訪同好会」というものに入っていたのである。

・大変珍しいことだが、昨日の昼食を外でとった。白身魚フライ定食(野菜サラダ付き)を箸で食べた。ふたりで食べたので楽しかった。アフタードリンクはブラック珈琲だ。
やはり、ひとりで黙々と食べるよりも顔を合わせ一緒に話しながらのほうが充実感がある。勿論、相手にもよるが・・。

・TVで安倍首相の施政方針演説をしばらくの間聴いていた。教育再生の部分で「うーん、弱ったなあ」と思ってしまった。ぼくの3人のこどもたち幼少の頃はいつも一緒に遊んでいたが、中学校に入る頃からは言葉交わしが少なくなってしまった。
父親としての器量に欠けていたとは思うが、しかし、変な父親やという反面教師としての存在意義はあったのかもしれない。

・一昨日出席した坂井地区広域保険広域連合の運営協議会についての報告・レジュメを早くUPせねば、と思うのだが雑用が多くなかなか時間がとれない。
後日UPします。

・こんなこと書いているうちに、映画「へしこ」監督の小鶴さんから電話がかかってきた。頑張ってフィルムを編集しているそうです。
四月の公開、乞うご期待。

○転送されてきたメール
芦原+ 金津中卒業生の方々へ…
こんばんはー 突然ですが皆さん、『中学校の統合化問題』というのをご存じですか?そして、その反対運動をしている人たちがいるのを知っていますか?
私はTVや新聞で知ってはいましたが 実際どういった活動をしているのかは殆ど知りませんでした。
反対署名を集めたり、会合を開いたりとイロイロ活動はしているそうですが、若い人たちの関心と協力が足りないそうです
もしこれを見て少しでも興味関心を持ったりしたら、今週の土曜日のp.m.7:00~金津社会福祉センターで集会があるそうなので是非足を運んでみてくださいm(__)m
集会に参加できなくても、子どもたちのために活動している人たちがいるということを覚えておいてください
では、突然の長々とした  失礼いたしやした

07/01/26 (金)
 無題

昨日の朝は地区の神明会(老人会)から招待されて、新年の簡単な挨拶をさせて頂いた。
例えば、毎年トリムパークで開かれる健康長寿祭での老人たちにはマスとしての顔しかみえないけれども、地区での老人達は直接ぼく自身との関わりがある個別の顔を持つ。
自分の両親の世代に対して、「こどもは国のたからです。老人は国のやすらぎです」というどこかで聴いたような言葉を出しながら、そのじつぼくは世代について考えていた。
プライベートなことなので詳述はしないけれども
例えば、(今寝たきりである)親父は太平洋戦争のさなか、大日本帝国陸軍兵士としてフィリピン戦線を果敢に戦い、捕虜生活を(変わったエピソードを含みながら)経験したあと帰還した。
その頃、番茶も出花の敦賀の高女生だったお袋の恋人がどこかの戦線に送られることになった。
その前夜、友人の高女生達がその恋人を誘い(憲兵の目をごまかし)、某旅館に集結しふたりを会わせた。念のために言うならば、その部屋では友人達も一緒だったらしい。
部屋のベランダにたたずみ満月をみやりながらお袋の歌った「庭の千草」はそれはそれは見事だったよ、と後日、お袋の親友「松井のたえちゃん」はぼくに語った。
(うーん、こんなこと書くとプライバシーの暴露になるかと多少は懸念するが、妻も両親もこのHP日記を読んだことがないのだから、まあいいか。)

戦後そのふたりが出会い、結婚し、昭和24年1月にそれはそれは可愛い色白の玉のようなあかちゃんとして生まれたぼくが幾つかの名曲を持ち歌とするようになったのも、お袋の「庭の千草」を系譜としている。
ぼくの家系にインテリはいないし、共産党党員もいない。なべてもの言わぬ庶民である。

とまれ、ぼくは典型的な団塊の世代としてこの世に送り出された。
そしてマッカーサー元帥によるアメリカナイズされた戦後民主主義の申し子として育った。米国の核の傘のもとに「反戦=平和」を金科玉条のものとして、高度経済成長の時代、その恩恵を受けてきた。
その認識は’70年前後に変わる。
中華人民共和国主席・毛沢東の文化大革命やベトナム戦争あるいはカンボジアのポルポト政権などの動向のなかで起こった全共闘運動の時、最も多感な20歳前後であったぼくも多少はその影響下にあったが、後年、55年体制下での社会党などの野党、うんそれよりもマスコミ新聞の報道の偏りに問題のあったことは、西部進や小林よしのりの論調を待つまでもなく「ワイルドスワン」や「上海の熱い夏」で知った。

今、親日話メニューを読みながら、なんとはなし、そういうことを思っていた。

07/01/25 (木)
 新聞を読んで

新聞を読んでいたら、「一部週刊誌で朝青龍の八百長疑惑報道」の小さな囲い込み記事があった。
TVを見る習慣がないので実際に見たわけではないけれども、昨今のTVで視聴率を上げるために「やらせ」番組横行が報道されており、大相撲界もそうなのかな?とも思ったし、いやいや実力の世界だそんなことはないだろう、とも思った。
別にそのことで自分の生活が変わるわけではないのだから、ことの真偽に興味はない。ただ相当昔に読んだ週刊誌で思い出したことがある。

その週刊誌に載ったのは、「土俵の鬼」と呼ばれた元横綱先先代若乃花と一緒に桟敷で土俵を見つめていた彼の友人の手記だった。
力士どおしの相四つの型から勝負がついた時、「あのやろう又注射しやがって・・尻でわかる・・」と、先先代若乃花はつぶやいたそうだ。
注射とは八百長のことだが、この短い手記でぼくはいろんなことを考えさせられた。

相四つの型でお互いが渾身の力を込めても実力伯仲であれば双方動かなくなるのだから傍目には力を込めていないようにも見える。しかし若乃花のようなその道のプロが見るならば、その時の力士の尻の筋肉のはり具合で状況を読み取ることができるのである。

ひとの一生もまことに同じだと思う。傍目には、地味に平穏に日々を暮らしているように見えても、内部には格闘がある。嘆きも時には絶望もある。それを声高にあるいはパフォーマンス的に発信するひとは稀であり、たいていのひとはというか我々庶民は淡々としたいでたちで日々を送っているのである。
しかしその思いを知ってくれるひと共感してくれるひとは稀ではあっても必ず居る。

07/01/24 (水)
 お知らせ

本日午前零時をもって「市政関係掲示板」を閉鎖致しました。

今回の事件の近親者が昨晩来訪。
子供達に対する予防体制がとられたり、寝込むひとがでたりのなかでの今の書き込み状況は良いはずがないし、そのリスクを加速させる可能性があるのならば閉鎖すべき、と自分自身で判断しました。
もっと早めに閉鎖すべきだった、と後悔もしております。

先だって「市民会議室」が閉鎖された時、多少の影響があるかな?と私は思っていましたが、やはり荒れてきました。
固有名詞を連想させかつ事実ではない(と管理者が思う)ことをアジテートするひとたちが「匿名」であるのはアンフェアでしょう。
「匿名」だから自由な思いを述べることができる、ということの前提として相手を詮索したり推定したりしないことがマナーとして要求されるはずです。
それを逸脱した書き込みをするのならば、当然書き手も又実名を出すべきだったでしょう。
とまあそういうことを考えた結果、閉鎖したわけです。
但し
「市政関係掲示板」は有料であり完全閉鎖とするならば予算の無駄使いということになってしまう。ですから、とりあえずの閉鎖とし過去ログを整理したあとで、スタイルを変えて再開したいと思っています

07/01/23 (火)
 深夜に♪「夏の思い出」を聴きながら

老若男女のどこに属していようと、人間は感情のあるいは理性の動物と呼ばれる。
で、そのてのものは例えば闇があるから光があるように常に対をなして存在する。
例えば「誰かを尊敬している」という時、その感情は侮蔑という対の感情を自覚して初めて出てくるものだ。

不幸の意識も、幸福の意識がなければ出てこない。悩みの対は安穏か。
諸々の感情は、一方が顕在している時他方は潜在しているというふうにいえるだろう。生きることつまり日々を営むことがこの交錯にあるとするならば、なかなか厄介だ。
ぼくはそろそろ疲れてきた。

周のサイトから
○山崎拓北朝鮮訪問の見方のひとつ

07/01/22 (月)
 ファミレスについて

ここ三日間、私の自宅に女性ふたりが泊まっていた。
昨晩の10時半過ぎに彼女達の友人某氏が来訪し、一緒に暖かいものを食べに行こう、と言う。
あわら市内でこの時刻に営業している麺類店をしかとは知らないので、愛車を駆使し三国の某ファミレスに連れて行った。

彼女達ふたりはいずれも20代だ。男性社会に身を置いている私にとって、20代の女性とどんな話をしたらいいのか皆目わからない。
自然体で話そうと思い、若かった頃沖永良部島で謳歌した青春時代の話をした。
成熟した男性ということで語る言葉に渋味と哀愁が漂うのか、ふたりの女性の私の横顔に対するまなざしには独特のものがあった(のではないかと思う)。

とまあ、それはどうでもよいのだが、あわら市内にも夜遅くまで営業のファミレスがあればいいのになあ、と思った。

07/01/21 (日)
 久しぶりに遅く寝た昨晩

昨晩は、知人5人が事務所に集まってのよしなしごと会談。
ぼくは家のほうでのっぴきならない用事があったので中座したが、夜更けに事務所へ戻ったら会談はまだ続いている。
傍らのコーナーで、彼らの話を聞きながら、CADに精出していた。

みんな帰ったあと、ひとりのひとと話をした。なんつうか、人物論になった。
ぼくたちはある共通の政治ルールの上で日々を過ごしており、その土壌にたつ限り、好むと好まざるとに拘わらず政治的にならざるを得ない。
だけどそういう無機質のルールを動かしているのが人間であることも、又確かだ。
だからこそ根っこのところでぼくたちはある人間に引き寄せられたりあるいは嫌悪を感じたりすることになる。
というようなことを話したり聞いたりしているうちに、気がついたら時計の針は午前2時を指していた。
○本日は、くっちゃねくっちゃねの一日でごわした。

07/01/20 (土)
 久しぶりにゆったり気分の土曜日

缶ビール「のどごし・生」片手にそっとお休み港町ブルースを聴きながら
誰が持ってきたのか知らないが、冷蔵庫に残っていた「消費期限07.01.20」と刻印された「京都直送・ゆどうふ」を食べつつ、このキーボードを叩いている。

昨日の昼は、例の「硫酸ピッチ」保管場所に行ってみた。波松小学校体育館の屋根破損箇所も見てきた。

前の晩に殆ど眠らなかったのでソファで仮眠をしていた時、同僚議員が訪れ、いろんな義憤を語って帰ったが、こういう時の話の内容はアタマには殆ど残っていない。

夜は珍しいお客が自宅に泊まった。ちょっとしたハプニングもあった。

年老いた親父の状態のおもわしくないところがある。

新聞を開くと知人が逮捕されている。
知人だから言うのでは決してないが
大新聞に載ることで社会的制裁は受けたのだ。これ以上固有名詞のアップは必要ないと思う。でないと家族が可愛そうだ。

今朝は、ペッタンコにかかった鼠を処分していた。南無阿弥陀仏を唱えながら処分していた。

中国が、自国の古い気象衛星ミサイル破壊という暴挙をやらかした。故毛沢東に興味はないが、故周恩来は草葉の陰でどう思っているだろう。

きょう来訪した某工務店のひとから、「暖冬で冬眠しない熊が増えています」という話を聞いた。

昼過ぎに軽トラを借りた。「ソファを使いますか?」と言ってくれたお宅へ伺い、事務所に持って帰った。ソファが又ひとつ増えた。今晩の会議はこれで十分だろう。

三国のお寺での打ち合わせ
を終えてから、サンセットビーチにでた。
何かの映画のロケ撮影がおこなわれていた。珍しいのでしばらくの間、見ていた。

ヤツガシラという鳥がいて、ヤツガシラという芋があるという話を来客おふたりから聞いた。初耳だった。

本日見た夕陽です。



世の中、いろんなことが同時進行していると、つくづく思う。

07/01/19 (金)
  冬の日本海は荒波だった

日記を休みがちだったこの数日、「体が悪くなったのか?」という複数のひとからの電話をいただきました。
賞味期間の過ぎた不二家のケーキを食べようが、一年前の醤油で刺身を食べようが、半煮えの鶏肉を食べようが、そのようなことで腹をこわしたことは生まれてから一度もございません。内臓はいたって丈夫なほうだと思います。

ただし、ぼくは、(薔薇の棘がささり自分の指に付着した血を見てショックで死んだリルケのように)神経がとても繊細で、何か気になることがあると脳内の好不安症細胞がアミーバーのように増殖し始める。増殖した結果耐え切れなくなると、自己嫌悪に陥るという周期が、女性の生理のようにぼくの体内にはある。
その周期に入ると、併発する病気が対人恐怖症で、相手の顔を伏目がちにしかみることができなくなり、極端に無口になる。
しかしたいていの場合三日くらいでアップビートに転じる。

今朝、素敵な女性が事務所を来訪した。
心機一転ドライブに誘い、富津の椿原生林を見に行った。正確に言うと付録的男性を交えた三人ドライブだったが、現地に着き、椿林・松林を歩いていると気分がとても爽快になった。

冬の日本海の潮騒は荒々しい。
パリで買ったダーバンのコートの襟をたて、ミュンヘンの友人から送ってもらった煙草・ゲルベゾルテを口にくわえながら、「生きているってそんなにわるいことでもないな・・・」と、ぼくはひとりつぶやいていた。

07/01/18 (木)
  一行日記

なんつうか、ここ数日鬱気味で、日記も一行日記にさせて頂きました。

ということで、今宵は事務所で飲んでます。

 07/01/17 (水)
  無題

6000名以上の犠牲者がでた阪神淡路大震災が発生したのが、12年前のきょうである。     合掌

あの早朝の地震により老朽住宅の我が家も激しく揺れ、ぼくはまだ幼かった子供達の寝室にかけこみ三人の子供達におおいかぶさった。殆ど無意識の行動だったのだから、咄嗟のときに親が子を守ろうとするのは本能なのだろう。

しばらくして、宝塚市在住の友人から「購入の仮契約をした中古住宅の被害状況を調べてほしい」という電話を受け、調査器具を持って阪神間へ出かけた。
家屋が一面倒壊している地区や、何度もTV放映された高速道路の倒壊柱やなんやらかんやらを目のあたりにして、アタマがぼおーっとなってしまった。

後日、ろう者のために現地入りしたベテランの手話通訳者から、「ああいう時、情報のわからないことが一番恐ろしいのです」と言われた。

あの時から「耐震」がおおきなキーワードになったはずのこの日本列島で、その後に意図的な耐震偽装が進行していたことなど、夢にも思わなかった。

07/01/16 (火)
  

文化庁・(社)日本PTA協議会主催で実地した「親子で歌いつごう 日本の歌百選」の選考委員会で昨年12月に選ばれた歌

1 仰げば尊し 不詳 不詳
2 赤い靴 野口 雨情 本居 長世
3 赤とんぼ 三木 露風 山田 耕筰
4 朝はどこから 森 まさる 橋本 国彦
5 あの町この町 野口 雨情 中山 晋平
6 あめふり 北原 白秋 中山 晋平
7 雨降りお月さん 野口 雨情 中山 晋平
8 あめふりくまのこ 鶴見 正夫 湯山 昭
9 いい日旅立ち 谷村 新司 谷村 新司
10 いつでも夢を 佐伯 孝夫 吉田 正
11 犬のおまわりさん 佐藤 義美 大中 恩
12 上を向いて歩こう 永 六輔 中村 八大
13 林 柳波 井上武士
14 うれしいひなまつり サトウ ハチロー 河村 光陽
15 江戸子守唄 日本古謡 日本古謡
16 おうま 林 柳波 松島 彜
17 大きな栗の木の下で 不詳 イギリス民謡
18 大きな古時計 保富 庚午訳詞 WORK HENRY CLAY
19 おかあさん 田中 ナナ 中田 喜直
20 お正月 東 くめ 滝 廉太郎
21 おはなしゆびさん 香山 美子 湯山 昭
22 朧月夜 高野 辰之 岡野 貞一
23 思い出のアルバム 増子 とし 本多 鉄麿
24 おもちゃのチャチャチャ 坂 昭如・吉岡治補作詞 越部 信義
25 かあさんの歌 窪田 聡 窪田 聡
26 西條八十訳詞 草川 信
27 肩たたき 西條 八十 中山 晋平
28 かもめの水兵さん 武内 俊子 河村 光陽
29 からたちの花 北原 白秋 山田 耕筰
30 川の流れのように 秋元 康 見岳 章
31 汽車 不詳 大和田 愛羅
32 汽車ポッポ 富原 薫 草川 信
33 今日の日はさようなら 金子 詔一 金子 詔一
34 靴が鳴る 清水 かつら 弘田 龍太郎
35 こいのぼり 近藤 宮子 不詳
36 高校三年生 丘 灯至夫 遠藤 実
37 荒城の月 土井 晩翠 滝 廉太郎
38 秋桜 さだ まさし さだ まさし
39 この道 北原 白秋 山田 耕筰
40 こんにちは赤ちゃん 永 六輔 中村 八大
41 さくら貝の歌 土屋 花情 八洲 秀章
42 さくらさくら 日本古謡 日本古謡
43 サッちゃん 阪田 寛夫 大中 恩
44 里の秋 斎藤 信夫 海沼 実
45 幸せなら手をたたこう 木村 利人訳詞 アメリカ民謡
46 叱られて 清水 かつら 弘田 龍太郎
47 四季の歌 荒木 とよひさ 荒木 とよひさ
48 時代 中島 みゆき 中島 みゆき
49 しゃぼん玉 野口 雨情 中山 晋平
50 ずいずいずっころばし わらべうた わらべうた
51 スキー 時雨 音羽 平井 康三郎
52 背くらべ 海野 厚 中山 晋平
53 世界に一つだけの花 槇原 敬之 槇原 敬之
54 ぞうさん まど みちお 團 伊玖磨
55 早春賦 吉丸 一昌 中田 章
56 たきび 巽 聖歌 渡辺 茂
57 ちいさい秋みつけた サトウ ハチロー 中田 喜直
58 茶摘み 不詳 不詳
59 チューリップ 近藤 宮子 井上 武士
60 月の沙漠 加藤 まさを 佐々木 すぐる
61 翼をください 山上 路夫 村井 邦彦
62 手のひらを太陽に やなせ たかし いずみ たく
63 通りゃんせ わらべうた わらべうた
64 どこかで春が 百田 宗治 草川 信
65 ドレミの歌 ペギー 葉山訳詞 RODGERS RICHARD
66 どんぐりころころ 青木 存義 梁田 貞
67 とんぼのめがね 額賀 誠志 平井 康三郎
68 ないしょ話 結城 よしを 山口 保治
69 涙そうそう 森山 良子 BEGIN
70 夏の思い出 江間 章子 中田 喜直
71 夏は来ぬ 佐々木 信綱 小山 作之助
72 七つの子 野口 雨情 本居 長世
73 喜納 昌吉 喜納 昌吉
74 武島 羽衣 滝 廉太郎
75 花の街 江間 章子 團 伊玖磨
76 埴生の宿 里見 義訳詞 BISHOP HENRY ROWLEY
77 浜千鳥 鹿島 鳴秋 弘田 龍太郎
78 浜辺の歌 林 古渓 成田 為三
79 春が来た 高野 辰之 岡野 貞一
80 春の小川 高野 辰之 岡野 貞一
81 ふじの山 巌谷 小波 不詳
82 冬景色 不詳 不詳
83 冬の星座 堀内 敬三訳詞 HAYS WILLIAM SHAKESPEARRE
84 故郷 高野 辰之 岡野 貞一
85 蛍の光 稲垣 千穎 スコットランド民謡
86 牧場の朝 不詳 船橋 榮吉
87 見上げてごらん夜の星を 永 六輔 いずみ たく
88 みかんの花咲く丘 加藤 省吾 海沼 実
89 虫のこえ 不詳 不詳
90 むすんでひらいて 不詳 ROUSSEU JEAN JAQUES
91 村祭 不詳 不詳
92 めだかの学校 茶木 滋 中田 喜直
93 もみじ 高野 辰之 岡野 貞一
94 椰子の実 島崎 藤村 大中 寅二
95 夕日 葛原 しげる 室崎 琴月
96 夕やけこやけ 中村 雨紅 草川 信
97 不詳 不詳
98 揺籃のうた 北原 白秋 草川 信
99 旅愁 犬童 球渓訳詞 ORDWAY JP
100 リンゴの唄 サトウ ハチロー 万城目 正
101 われは海の子 宮原 晃一郎 不詳


殆どが知っている歌だ。
このなかから、好きな歌ベスト10をピックアップしてみたが、10では収まりきらないので20とした。

1・仰げば尊し
2・赤とんぼ
12・上を向いて歩こう
18・大きな古時計
22・朧月夜
36・高校三年生
37・荒城の月
44・里の秋
46・叱られて
49・しゃぼん玉
55・早春賦
57・ちいさい秋みつけた
58・ないしょ話
70・夏の思い出
76・埴生の宿
78・浜辺の歌
85・蛍の光
94・椰子の実
96・夕やけこやけ
101・われは海の子

「1・仰げば尊し」と「85・蛍の光」は卒業式の定番で、幼い頃から体にしみついている。
「18・大きな古時計」で、四十数年前に亡くなった祖父母の顔が目に浮かぶ。祖父はとても無口で祖母はとても話し好きで、どちらも明治生まれの典型的な庶民だった。
46・しかられて」で、両親にしかられた頃のことがよみがえってくる。
「55・早春賦」は、美しいメロデイだ。
「36・高校三年生」は、ぼくが中3の時に流行った歌だ。金津中学校の木造校舎の放課後の誰も居ない教室にさしこんでいた赤い夕陽を思い出す。
70・夏の思い出」で、20歳の夏をすごした淡路島・由良を思い出す。みんなまだ生きているのだろうか。
94・椰子の実」は、浜辺を散歩する時に口ずさむ。

とにかく
「2・赤とんぼ」が、日本の歌謡曲史上燦然と輝く歌・NO1といえるだろう。

07/01/15 (月)
  久々の快晴

昨晩、妻からショッキングなことを聞いた。私的なことなのでここでは書かないけれども、世の中には悪意を持った「人間の屑」が沢山いるのである。
屑は燃やしてしまわなければならない。でないと、日本に上陸したツボカビ症の蔓延による蛙社会への影響とおなじような可能性を人間社会もたどることになる。

屑をあちこちで燃やしても屑の体内にある悪霊は成仏もできず、我々が日々吸う空気のなかに潜み依然として人間社会への影響を与える。
平安王朝の時代ならば陰陽師・安倍晴明が居たが、現代は科学技術の時代なのだから悪霊をも溶かし込むような高度に専門的な特殊産廃処理最終処分場が必要だ。
閑話休題
昨晩の事務所に某友人が来訪。「Yahoo掲示板にここのことがいろいろ書かれてますよ。でも、反論はあの板には書かないほうがいい。書くと揚げ足取りの応酬になって見苦しい。一度だけここで書いて、しまいにしたらどうですか」と言う。
そこで
もう覗くつもりはなかったのだけれど、最後に一度だけ、と今朝覗いてみたら、あるある。

気になるひとつを添付した(注①ー⑥の番号は私がつけた)

黒幕の後ろに真の黒幕  2007/ 1/13 14:20 [ No.10 / 12 ]
 そうだわな、まきさん議員はお笑いタイプ、
①きさらぎ議員も人望がないから、黒幕にはなれない。
②でも、成人式の帰りだろう、
まきさんの設計事務所に2中派が集まり、
③宴会を開き暴走投稿をしたのは間違いないようだ。
④お酒がかかりキーボードが壊れたのでしょう。
⑤これら、雑魚を操る黒幕は誰か?


①きさらぎさんを議員と思ってるひとが、今でもいる。
死ぬまでそう思っていたらよかろう。
②議員の誰かは来たと思うが、特に集まったわけではない。ただ来客は多かった。昨年の6月議会終了後、某統合派議員から「まきちゃんの事務所はいつも見張られてたんやぞ」と言われ、そのあまりにもの非生産性・暇人性・馬鹿さ加減に呆れたことがある(この種の裏話はあとで沢山聞いたが、確証のないことについては個人に対する名誉毀損になるので私は書かない)が、駐車場に駐めてある車の多さからそう判断されたのかもしれない。
④キーボードが壊れたのは1月8日の朝だ。過去日記をクリックすればわかる。
⑤どうも、私が以前に雑魚と決め付けたひとの投稿のようだ。
と、ここまでは遠吠えのような笑い話のようなどうでもいい話なのだが

③については、勿論事実ではないので、しっかりと明記しておきたい。
「・・間違いないようだ。」という推測調で言葉を切り結ぶ書き方は本人自身の確信のなさからくるものだ。匿名だから、真偽についての責任が自分におよぶはずがない。ならば思い込みの方向で広めてやろうという、相手の人権無視の巧妙な心理が見え隠れする。

そこである人に聞いた。
その人は、以前、「市民掲示板」に載った濡れ衣の書き込みに対して、名誉毀損訴訟の可能性も添付した「抗議文書」を管理者当てに送付した結果、受理され、即座に消去された、と言っていた。

07/01/14 (日)
  忙しくなりそうな日曜日

気がつかなかったのだけれど、アクセスカウンター(左上・緑色数値)がいつの間にか220,000回を超えていた。皆さん、読んでくださってありがとうございます。

このカウンターは複数回カウント/日・禁止と設定しているのですが、たまに、カウンターの裏側を覗くことがあり、そこでは(複数回カウント/日・許可とした場合の)トータルアクセス/日の数値がでてくる。
表に出ている緑色数値が200弱/日であるのに対してトータルアクセスはほぼ400±α/日で推移している。大雑把に言って、皆さん一日二回強このHP・URLをクリックしているという勘定になろうか。
又、ウイークデイに比較して週末の数値がいつも落ちており、これは職場で覗くひとが多いことを意味しているのだろう。

読んで頂いている知人の顔を思い浮かべることのできる数はせいぜい20までだ。
つまり電波日記というのは不特定のひとに向かってしゃべる書くというのが基本なのですが、議員でいる間はあつかましく続けていこうと思っていますので、この駄文とのお付き合い、今後ともよろしくお願いします。
○大鳥神社・佐儀長風景(午後3時撮影)

07/01/13 (土)
  小雨の朝

米議会で共和党が不利になりネオコンも戦略を変えたと囁かれていたにも関わらずブッシュ米大統領がイラク駐留米軍兵士の二万人増強を全米向けTVで発表した時には、「何故?」の思いが残った。

だけれども、例えばメーリングリストで配信されてくる表裏ないまぜ国際情報ニュースなどを読んでいると、その背景がなんとなくわかってくる。
かってパーレビ国王を追放しパリ亡命中のホメイニ師を凱旋させ、今、核開発を進めるイランへの米の対処はイスラエルへの影響力の行使と連動する。
「イスラエルが、戦術核兵器(核バンカーバスター)を使ってイランのウラン濃縮工場を破壊する計画を秘密裏に進めている」という報道も出たし、一触即発の危機がせまりつつあると聞く。
中東はいろんな国の思惑が複雑にからみあっていて、日本列島という島国に住んでいる我々にはその構造詳細を把握することはとてもむつかしいことだと思う。
○本日の午前9時半から、坂井市三国体育館に於いて、嶺北消防組合による「消防出初式」が開かれた。
屋内で表彰などの行事を終えたあとは屋外行事。
分列行進⇒演技披露(越前三国鳶)⇒一斉放水の順で進んだ。
演技披露は初めてみるもので新鮮だった。
毛槍唄で登場したいなせな鳶衣装の面々が高い梯子の上で曲芸を披露する。命綱をつけておらずたいしたもんだ。
「あれをやれるひとは、腹がでていない・身のこなしが軽い・恐怖にたいする克己心がある・無口である・・まきちゃんと正反対や」と隣の議員がぼくにささやいたが、ホント同感だ。

午後3時半に帰宅。なにげなくインターネットを検索していて西村眞悟ホームページにぶち当たった。このひとの詳細は全く知らないが、プロフィル⇒僕の生い立ち 1~12に引き込まれてしまった。生半可な教育論よりずっと面白い。
皆さんも時間があったらどうぞ。

○柱時計がぼおおーんぼおおーんと午後6時の時報を打ったので、「さあ、家に帰って焼酎晩酌を始めよう」と机の上の整理をしていたら、某女性が沢山の缶チューハイを抱えて入ってきた。
ありがたくその缶チューハイを頂いているぼくに向かって、彼女は「いつの間にか事務所にいろんなソファが置かれているわ。素敵ね」と言う。
嫉妬心を刺激させたらまずいだと思い、つとめて冷静に「ああ・・何人かの女性が持ってきてくれたからな」と短く答えて、話題を変えた。

「牧田さんのHPのプロフィルに、嫌いな言葉=仕方ない、と書いてあるでしょう。それを旦那に言ったらね。旦那は、うーんそれはわかるなあと言うのよ」と彼女が言う。
この言葉はぼくの真意だ。自分をとりまく状況をそのまま無批判に肯定するならば自分がいないことになってしまう。

07/01/11 (木)
  「掲示板」について

「市民会議室」の閉鎖が新聞に載った。その是非はいろいろあるだろうが、「勉強になったのに・・」と残念がっているひとたちが多くいるのも又事実である。

ところで、ここの「市政関係掲示板」に「Yahoo掲示板」のことが載っているので覗いてみたら、確かに書いてある。
「あわら市掲示板閉鎖」というタイトルで、ありもしないことをさも事実であるかのように書いてある。
初めちょっと腹がたったけれども
無知蒙昧なこの書き手を、どんな生簀にも雑魚(ザコ)はいるのだとして一笑に伏し無視すればいいだけの話だ。
読まなければいいだけの話だ。

閑話休題
誤解されると困るのだが、ここの「市政掲示板」は市政全般に関する掲示板である。例えば中学校問題に関しても、統合の立場から二中維持の立場から多様な意見を書き込んでくださって一向に構わない。その方向性の違いで消去することは絶対にない。
しかし、事実に立脚していない(と管理者が判断した)場合、あるいは品性が下劣である(と管理者が判断した)場合は消す。即座に消します。
○昨晩、読んでいてげらげら笑った零細企業経営者の闘魂日記(01/10⇒大相撲について)

○三国のお寺の上舞いの為の図面を書いたのですが、本堂内部の欄間が展示されております。詳しくはご案内を。

07/01/10 (水)
  妹よ 明けましてじゃなくて誕生日おめでrとう

昨日から追われていた仕事をやっと終え、昼前に事務所に戻った。
食事のあと一服しながらこのパソコン画面に向かっているうちに、先週の日曜日を思い出した。

日曜日の朝、便所に行くために台所でTVを見ている妻の傍らを通り過ぎようとした時、「TVが面白いざ。一緒に見よう」と誘われた。
画面は「サンデー・プロジェクト」を放映中で、団塊の世代を特集している。
スタジオに集まり、田原総一郎司会の下、にぎやかにしゃべりあっているのは山本コータロー・舛添要一・高橋三千綱・管直人・穀田恵二という典型的な団塊世代の面々だ。

20年近く前、フェニックスプラザで山本コータロー講演の手話通訳をしたことがあるが、とても早口で手がついていけなかったのを、思い出した。
高橋三千綱の本は「九月の空」の他数冊読んだだけだが、このひとのしゃべりが一番面白かった。
横に居る妻からも、「お父さんはこのひとに一番共感するやろ。年とったら好きなことして生きていきなはいね」と言われた。

07/01/09 (火)
  東の空を見ながら

午前7時前、夜が白み始めてきた。
いろいろ忙しい一日になりそうだけれど、先のことはあまり考えずにとにかくきょう一日を生きることが先決であり大事なのではないか、と思います。

 07/01/08 (月)
  本日の午後は来客が多かった

キーボードが故障して非常に使いづらい状態になってしまった。

ドライバーでキーボードを分解してみた結果、私の手に負えないことがわかった。
パソコンの店へ直行し、新しいキーボードを購入した。今まで使用していたボードが¥980エンだったので、バージョンアップして¥1,470エンのものにした。

で、帰宅しボードをセットしてから久しぶりに「市民会議室」を覗いたら、二中派議員が投稿しているという全く事実ではないことを相変わらず言っているひとがいてびっくりした。
投稿自由、賛成投稿自由、反対投稿自由、それに加えて「反論するのもばかくさいから無視する」ことも又自由であることが「掲示板」の「掲示板」たる所以であるはずです。

 07/01/07 (日)
  本日は成人式

午前3時に目が覚めた。気象庁は夜半よりの大雪を予報していたが、今のところ降ってきてはいない。本日は、行事や集会などが予定されているので、できるならば降らないでほしい。

外に出て、冷気の中で一服する。
北風のうなりが遠くに聞こえる。見上げると天空は漆黒の闇だ。昔、寺山修司のエッセイで、「闇は一切を拒否するアナーキーの世界である」という文言を読んだことがあるが、確かに、完全な闇のなかにいると昼間の秩序だった世界が嘘のように思えてくる。

死後の世界はあの漆黒の闇にあるのだろうか。そこで霊魂がうごめいているのだろうか。すごく冷え冷えとする世界ではないか。

車椅子の天才理論物理者・ホーキンスは「宇宙は300億年経つと消滅する。そのときに時間も又消滅する」と何かの本で書いている。ならば、永遠を考えることも無意味であり、「ひとは死ねば死にきり」だとつくづく思ってしまう。

 福岡市立小中学校の教員採用試験2次試験の問題漏えい疑惑で、市教委は6日、市教委ナンバー3の理事(60)が元同市立小学校長(65)に問題案の内容を漏らした疑いが強いと発表した・・YOMIURI ONLINE

その理事や元校長のそういう性格はもう変わりようがないから、市は採用してしまった責任を認めつつ、先ず裁判所に訴え補償要求をし懲戒免職をするしかないのだろうけれども、不思議なのはコピーペーパーを読み受験して合格した者たちだ。
そういうルートで教員になったことを恥じなかったら教員とはいえないだろうし、恥じていたら一生の手枷足枷となる。
教員になってから、こどもたちに「カンニングはいかんよ」と真顔で言うつもりだったのだろうか


07/01/06 (土)
  ただ今午前5時

私あてに来た年賀状を整理するために、妻が先ず目を通す。
で、その作業をしていた妻が怪訝そうな顔で、「これ、なんや?」と女性からの一枚の賀状を私に差し出した。
添え書きが「・・・青いパンツ又見られるかしら?」となっている。

しばらく思案しているうちに、思い出した。
確か昨年の春先だったが、粉石けんでパンツを洗濯し外に干したことがある。
その青いパンツが、陽光を背に薫風を受け右に左にそよいでいる。
「これは絵になる。自然の営みががつくる芸術といえるのではないか」と思った私は一応デザイナーの私は、その光景をデジタルカメラで撮った。
自分だけで見ているのはもったいないと思い、それをこの日記にUPした。
恥ずかしくなり、数日後に消去したのだが、若く美しい独身女性Mさんはその数日間のうちに写真を見ていたのである。

偕老同穴を結婚生活の信条としている私がほっとしてというのはおかしいがとにかくほっとして、ふたりの顔は笑いに包まれたわけです。
ワッハッハー 消したとおもったのだが・・
「よろず掲示板」に入ったうり坊さんのコメントによれば
写真
「青いパンツ」は削除されていないそうです。
2006⇒3月25日をクリックしてください。 隠れたダンデイストより

07/01/05 (金)
  無題

正月三ケ日が済んだ。
午前9時から広報編集委員会が開かれ、午前中いっぱいで会は終了した。昼は事務所に戻り所用をこなす。その間に来客3人あり。
「事務所あいてるか?新年会したいんや」という予約電話も入った。
もうあわただしい日常に戻っている。
森鴎外と脚気

07/01/04 (木)
  静かな朝

夜が明けきらぬうちに帰宅し、熱々珈琲を飲んでいる。
昨晩は、福井市二の宮の義兄宅で恒例の年始酒宴。
老若男女9人がひとつのテーブルを囲み、よく飲みよく食べた。銘酒「越乃寒梅」を頂いたが、その美味は文字にできない。幻の銘酒といわれる所以だろう。
以前この酒を一度だけ口にしたことがある。15年程前、友人と共に訪れた新潟・思案橋近くの奥座敷で地の蕎麦を頂いた時に、この酒が出された。
その友人も既にこの世を去っており、時の流れを感じる。

酒宴のあと、二階の和室で寝た。息子二人と共に寝た。兄弟枕を並べてのはずむ会話を聞いているのも
楽しかったし、時折割り込んで会話に加わるのも楽しかった。
自分が父親であることを久しぶりに強く感じた昨晩だった。

07/01/03(水)
  熱々珈琲を飲みながら

下の息子が帰省している。
昨日の昼、息子ふたりと妻がトランプに興じていた。「お父さんも一緒にやらんか」と誘われたが、女子供相手の博打をする気はさらさらないので断った。

夕食時になり、焼酎を飲みつつその息子ふたりと談笑した。父親の気分になって、大宇宙の神秘を語った。ちょっとエッチな話も交えたら、ゲラゲラ笑う。芸人志望の息子を笑わせるというのは、ちょっと愉快である。

談笑が終わりかけた頃、「お父さんが世界で一番不思議だと思ってることってなんや?」と問われた。しばらく考えた私は、「人間は何故生きているのだろうかってことやな」と答えたが、舌足らずの感が残ったので、「明日、整理してしゃべる」と補足して布団に入った。
○私は典型的な団塊の世代である。
正月なので、「団塊の世代」について考えてみた。
下の世代のインテレクチャルな層(インテリはパソコンやインターネットなどしないみたいだ)から、「団塊の世代の貴方たちは無能な人間の集まりや」と言われることがある。正確には「団塊の世代及びちょっと上の層」だと思うのだが、おおむね当たっている。
戦後の貧しさのなかで生を受けた私たちは、親の世代の必死の頑張りにより、小学生から中学生にかけてTVや冷蔵庫など一応の電化生活を少しずつ享受できるようになっていった。冷戦下、米国の核の傘のもとで日本は経済復興路線を走り始めた。昭和31年には「もはや戦後ではない」という国民生活白書も報告されたし、池田内閣の「所得倍増計画」スローガンで、日本は高度経済成長時代へと突入していった。
70年安保をめぐる全共闘運動や、企業のしゃかりきな利益追求による結果としての「水俣病」を初めとする公害問題、自衛隊市ヶ谷駐屯地での三島由紀夫自決、田宮高磨によるよど号ハイジャックあるいは連合赤軍事件などの政治の季節を含みながら70年代の経済が右肩あがりを目指すなか、団塊の世代は企業の尖兵として毎日汗を流しつつあった(私自身はちょっとずれていたけど・・)。
重工業中心を脱してハイテクをベースとする豊かな社会をつくるという目的は万人に共通のものであった。汗を流すのは大変なことであるとしても目的に疑義をはさむ必要のないことは団塊の世代にとって精神的に楽なことであった。
我々無能者にもできることであった。

しかし、80年代に入ってからの時代意識の変遷とともに、下の世代にとっては様相を異とするようになってきた。モノの行き渡った社会で企業が利益を追求しようとすれば、モノに付加価値を求めたり、「個性の時代」といううそ寒いキャンペーンをはったり、海外に工場立地や販売先を求めたりするのが必然だ。あるいは金融社会浸透のなかで、株に儲けの活路を見出そうとする輩が出てくるのも必然だ。
堀江某が株取引において不正を働いたが、株は博打のようなものだろうし、彼の不正が仮に江戸期に発覚していたとしたら、イカサマに対する胴元の掟は厳しい。胴元の用心棒は彼を簀巻きにして川に放り投げてしまうだろうと、おせち料理の昆布巻きを食べながら、私は思うのである。

ファーストプライオリテイがみえにくくなり、社会を真摯に生きようとする人たちに対しては神経過敏や鬱を強制する時代が訪れた。
そして彼ら彼女らが親になり、彼ら彼女らが教師になっていく。とすると、未来の宝である子供達に対して程度の差はあるとしても、影響の無いはずがない。
そのひとつの断面としていじめの変節がある。もともとが学校だけではなく職場でも大人どおしでもここでもそこでもわかり易いいじめは当然あった。
しかし、こんにちのそれは心理の襞をまさぐるような陰にこもるそのくせ突如みさかいのない暴力に転化する可能性を秘めたものへと変節しつつある。
学校社会には、潜在顕在を問わずいじめが確かにある。少なくとも何人かの親からそういう事実認識を聞いたが、それが現場での事実認識あるいは教育委での事実認識となると多少違ってくる。立場上違わざるを得ないのだとしたら、とても悲しいことだ。
我々人間を衆生というが、衆生とは愚かなことをさす。
つまり我々はなべてバカであるのだが、そういう我々にとっての武器は自然体で振舞うことでしかないはずだ。立場を超えて本音をみせることしかないはずだ。
面従腹背など論外だ。

 07/01/02 (火)
  静かな正月

午前6時に目が覚めた。雪の無い正月二日目である。
昨年は確かに大雪だったが、長期的にみると地球温暖化に伴い北陸地方の降雪量は少なくなっていくのではないか。

過去における印象深い豪雪というと、昭和38年のサンパチ豪雪と昭和56年のゴーロク豪雪が挙げられる。
サンパチの時、私は金津中学校の生徒だったが、学校は連日休校となり陸上自衛隊が除雪の為に中学校に駐屯した。道路網は寸断され、野菜は供給不足で値上がりし、その意味でも庶民生活に大きな爪跡を残した。

18年後のゴーロク豪雪も降雪量は相当のものだったが、庶民の生活への負の影響は相対的に低かった。その大きな理由は、北陸高速道路が完成しており大幹線道路として機能できたからだ。

人口の少ない地域を走る北陸高速道路が、東海道・名神・中国についで比較的早くできたのは、天変地変を含んだ有事の際の対応考慮によるとよく聞く。東名・名神高速道路のバイパス的役割を担っているとよく聞く。

今とりざたされている北陸新幹線に関しても、東海道新幹線に対するバイパス的役割要請の側面があるとよく聞く。だからこその国策であり、駅舎建設・用途地域内軌道建設費の殆どは国・県からの補助金がつく。しかし、駅周辺整備に関しては補助率が低くなり、自治体の持ち出しは巨額なものとなる。

地域のひとたちと話していて「新幹線がきてほしい」という切望の声を聞いたことは殆どない。
そりゃそうだろう。福井どまりで新幹線が来たら、JR芦原温泉駅を利用する我々にとって大阪方面往復は相対的に不便となるからだ。
芦原温泉の利用客は増えるか?
温泉というのは、時間が短くなるから訪れるのではなくて、温泉自体に魅力を感じるから訪れる、というのが本筋のはずである。

昨年6月議会中学校統合問題に関する採決で負けてしまった二中維持派議員のひとりとして書いても詮無いことかもしれないが、財政のバランスは総花的バランスである必要は無く、駅周辺整備事業計画をある程度縮小することでも、二中維持財源確保は可能ではないかと思ったから、こういうことを書いた。

 07/01/01 (月)
  謹賀新年

昨晩
年末に知人から「面白いよ」と言われて頂いたぶ厚い長編小説を読んでいるうちに除夜の鐘が鳴り始めた。
足先から頭のてっぺんまで毛糸系で体を包み、ひとり金津神社に向かった。空気が冷たい。

参道は長蛇の列で、30分近く待っていたと思う。前後は東京弁や関西弁が飛び交い、Uターン帰省の若者男女が多いように見受けられた。参道両脇に設けられた一対のかがり火が凛とした空気に似合う。しばらく見とれていた。
賽銭を入れ二拝二拍手一拝で家族の息災を願った。
帰途、下八日の大鳥神社に詣でた。自分以外誰も居ない森閑とした境内で、大きな銀杏の木がとても荘厳に感じられた。

見上げると月が出ている。
月がとっても青いから遠回りして帰ろうかと一瞬思ったが、足元の冷えが気になるのでやめた。

今年はどんな年になるのだろうか。何も多くのことは望まない、特別なことは望まない。普通に一日一日を生きていけたらそれでいい。
だけど、普通に生きるということが最もむつかしいことだとも思う。
○元旦ということでゆったりした気分になり、無料動画配信ソフト「Gyao」で「大脱走」を見た。映画館で3度見たことがあるので今回は4度目だ。
ぼくにとってはダステイン・ホフマンの「卒業」と並ぶ最多記録である。
若いひとにはなじみが少ないかもしれないが、この映画の主人公・ヒルツを演じたハリウッド俳優の名はステイーブ・マックイーンという。
若い頃、友人達からマックイーンに似ていると何回か言われたことがこの映画を見る直接のきっかけになったのだが、いやはや面白かった痛快だった。
脇を固めたのが、ジェームス・ガーナー、チャールズ・ブロンソン、リチャード・アッテンボロー、ジェームス・コバーンらである。
見終わってからぼくは、この映画のキーワードは「男の友情」だと改めて思った。