2007年02月


07/02/28 (水)
 2月最終日

あなたは誰か(何か)に対して自我の一定の部分を差し出し、その代価としての「物語」を受け取ってはいないだろうか?

私たちは何らかの制度システムに対して、人格の一部を預けてしまってはいないだろうか?

もしそうだとしたら、その制度はいつかあなたに向かって何らかの「狂気」を要求しないだろうか?

あなたの「自立的パワープロセス」は正しい内的合意点に達しているだろうか?

あなたが今もっている物語は本当にあなたの夢なのだろうか?

それはいつかとんでもない悪夢に転換していくかもしれない誰か別の人間の夢ではないか?
                      村上春樹著「アンダーグラウンド」より

地下鉄サリン事件の被害者側をインタビューした分厚いドキュメント「アンダーグラウンド」の確かあとがきで読んだのだが、なにやらむつかしい言葉で構成されていてわかりにくい部分がありながらもぼくたちが生きていく上でのあやふやさを衝く警句となっており、ぼくにとっては開高健著「輝ける闇」のあとがきとならんで、肺腑をえぐる言葉だ。
○↓どなたさんかからのメール抜粋

「・・・毎~日、議員日記拝読させて頂いてます。活躍昔の同僚[気にさわたっら御免なさい]として影ながら応援してます。今日で[2月最終日]明日から花の3月嬉しいですね。でお願いとは、日記のバックも春色に変えて貰えると嬉しいですぅ~。・・・かしこ

07/02/27 (火)
 駄洒落日記

昨日の昼は全協(全員協議会)が開かれ、5時過ぎに終了した(ぶ厚い資料が手元にあるが整理して徐々にUPするつもりです)。散会後、複数の議員が事務所に集まった。四方山話をしていたら介護関係の仕事をしている女性が来訪。いつも男性ばかりがいるところに珍しく女性が来るとなにがしか雰囲気がやわらぐ。

午後8時。晩酌を終えE気持ちでソファに寝転んでの休息中に、某議員から「いるか?」という電話が入ったので「くじら」と答えたら来た。人生を語りあった。

夜更けて帰宅した妻が来訪。団塊という特殊な世代とは違う世代として育った妻との間にはお互い相容れぬ部分が確かにある。
それでも夫婦は夫婦で、ま、お互い同じだったら面白くもないだろう。
結局、午前2時就寝。

○さて駄洒落の話


昨日某寺院の境内で紅梅と白梅が仲良く咲いているめおと梅を見た時に思い出したのだが、新古今集に

雪降れば 木毎に花ぞ 咲きにける
  いづれを梅と 分きて折らまし
 という歌がある(作者は忘れた)。

これはつまり木毎(きごと)と梅をひっかけた駄洒落歌だろう。
そもそも、雪が降り枝に積み重なったからといって白梅の花と見間違うことなどありえないのだが、京の貴族は雪を象徴としてみているのであり、だから雅びなのだ。

小銭が入ったら京の都をじっくりと歩いてみたい。ひとりで歩くもよし、5人で歩くもよし、10人で歩くもよし。
趣旨に賛同の方、おられましたらツアーを組んでみませんか。

07/02/26 (月)
 10時間の熟睡から覚めて

迂闊というしかないのだが、今月2月も31日まであると思っていた。
カレンダーを眺めていてつい今しがた2月が28日までしかないことに改めて気が付いた。
三日間の欠損である。幻となったこの三日間にやる予定だったことを濃縮してやらねばならぬ。できるかどうか不安が頭をよぎる。
ま、チャレンジです。うまくいかなかったら再チャレンジです。

07/02/25(日)
 一行日記⇒十一行日記

しばらく休みます。

と書いたら、何人かの人から「体悪いんけの」と言われ、「ああなるほど、休むことによってご心配をかけてしまうことがままあるのだ」と反省した。

(先日、職員にウエストをメジャーで測ってもらったら、ウエストが85を少しだけ超えてメタボリックシンドロームに陥っていることだけはわかったけれども)、焼酎の量を減らし節煙に踏み切り塩分を抑えた食事を心がけ深夜の散歩を始めつまり節制生活を続けた結果、咳は止まり頭痛は消え体調は戻ってきたのだが、寄る年波が原因で軽い認知症がでてきたのか、昨日のことを忘れ数時間前のことをも忘れてしまうことが賓回に起こり忘れたならば日記など書けるはずもなくさりとて思い出そうとするのも億劫でその結果として上述のようになったわけでありまして、今後、仮に上述のような一行日記がでてきたとしても本人は至って元気であります

07/02/24 (土)
 もう土曜日か

昨日の午前中は生活環境課と農林課に出向き、カラスのことを聞いてきた。
毎夕の坂ノ下→向ヶ丘間幹線道路沿い電線にカラスの鈴なりが目立つためだ。

担当者による説明を抜粋すると
・カラスの餌場探しは「鹿島の森」→笹岡焼却場→東山→丸岡と変遷してきている。
・畑地の果物野菜(籾・豆あるいは甘いものが好き)及び生ゴミを狙う。
・猟友会の散弾銃による発砲は無理(落下物薬莢及び電線破損の恐れがある)
等々だった。

午後は来客多数。来客たちの話がながい上にぼくにもその傾向がある。
市外のひとも来なさったが来客共通の一番のテーマは中学校問題だった。

晩飯を食ったあと事務所に戻った。午後8時に4人のひとが集まっての会議。
昼間残した所用をこなさなければならなかったぼくは、CADコーナーに逼塞していた。
 Kさん、インスタント珈琲ありがとう。

 知人が秋川雅史の「千の風になって」のCDを持ってきた。三人で聴いた。
私もそうだけれど、クラッシックで鍛えた声量は素晴らしい。
この歌は、元々が「尋ね人の時間」で有名な新井満が歌っており、何度も聴いた覚えがある。
是非クリックを。
↓久しぶりに見た龍択寺・石庭


○今朝会ったひとから、「Yahoo掲示板で、匿名者が牧田さんのことを嘘つきと書いているわよ」と言われた。「きさらぎさんが議員ではないのは確かです」と私が書いたことを指して嘘つきと断定しているそうだが、困ったものです。

気分が悪いのでまだ見てはいないが
普通、匿名者が実名者を嘘つき呼ばわりしたいのならば、先ず相手に真偽を確かめるのが筋であり(TL・FXあるいはメールを公開しているのだからできるはずだ)、それができないのならば、せめて連絡先を添付した実名投稿とするのが要求されるマナーというものです。
考えてみれば、嘘をついていないのに公開の場で「嘘つき」呼ばわりされることは、人権を侵害されることであり名誉を毀損されることであり、だからこそこの2月から法律が改正され、書かれた者側からの書き込み手に対する「開示請求権」が与えられるようになりました。
そしてその延長線に名誉毀損損害補償請求も選択肢として出てまいります。


 07/02/23 (金)
 小雨の朝

昨晩は市庁舎にて国民健康保健運営協議会が開かれた。
終了後帰宅し焼魚をサカナに新聞を眺めながらお湯割り焼酎を(今までの1/5の量です)飲んでいたのだが、字面がアタマに入ってこない。
いろんな不安がないまぜになっている時はえてしてこういうものだ。

「50にして立つ」という格言のなかの50という数字は、自力更生沈着冷静を獲得しなければならない歳の謂いなのだろうけれども、50半ばを超えた現在も反省猛省自己叱咤の日々だ。

泰然自若の後半生を経験しないままにお迎えがくるのかと思う昨今だが、ま、これも人生だろう。

○鏡に向かいプレゼントで頂いた高級ネクタイを締めてみた。・・似合う。
考えてみるとぼくはネクタイを買った記憶が殆どない。
いつも、女性たちからのプレゼント

07/02/22 (木)
 無題

午前中、頼まれてお袋をJR芦原温泉駅裏の農協会館に連れて行った。
会館脇で正装した人たちの人だかりがみえう。どうやら、工事中だった葬儀会場の完成セレモニーがあったみたいだ。
昨日の夜、事務所でCADデータのバックアップにいそしんでいたところに同僚議員が来訪。元芦原町議・あわら市議の藤田守榮さんが亡くなった、と言う。
市議としての1期を御一緒させていただいた方だ。  合掌

07/02/21 (水)
 深夜に鏡を眺めながら

スノボ外出の母親を書類送検 留守番の2歳児焼死

この母親の行為の愚かさに対しては、ただただ唖然とするだけだ。
2歳児のあまりにも儚ない痛々しい人生に、しかし短いながらも生きた意味は充分にあったのだと私達は思わなければならない。

もう20年近く前
(某大病院の不手際だったと思うが)幼い娘を亡くした母親が
「私がこれから生きる意味はただひとつ。いつか私が死んで娘と天国で再開した時に私の生き様をいかに胸をはって報告できるかだけ」と、私に語ったことがある。私が同じ立場だったならば同じ思いにかられただろうし、たしなみとかなんとかいうよりもそれが親としての本能だと思う。

子を孔孟の母のようにして育てようとする親もいるし、普通に育てようとする親もいる。ステージママやステージパパもいるし放任主義の親もいるだろう。
そのかたちはそれぞれの親子関係で決めることであり他人がその是非を云々することではない。
だけれども、子宮受胎の時点で、親は子に対して出産の許可をとるわけではない。敢えて言えば子を他律的にこの世に送り出したのだから、子の命を守る慈しむという一点において最前線に親がたっていなくてどうする、と私は言いたい。




○市庁舎駐車場内でみかけたワゴン車。

07/02/20 (火)
 深夜にりんごを食べながら

昨日の昼の来訪者から、「牧田さんの日記、最近はせつないですねえ」と、言われた。公開日記なので詳細は省くけれども、プライベートなことで健康とか人生とかを思う日々が続いていて、無意識のうちにせつなさが出てしまうのだろう。

元来が「動よりも静」「陽よりも陰」を好む気質なのだが、考えてみると、ここ最近は「笑う」ということをすっかり忘れている。
渋面だけでひとさまに応対しているのだとしたら作法として失礼だ笑いを取り戻さねば、と私は思った。
そこで
何か笑えることないやろかと、深夜にインターネットを検索していたら、あったあった

昨晩、携帯電話に入った友人との会話で話したことでもあるが、例えばブログ交換などで思いを書いても大抵の場合、思い入れ過剰になったり舌足らずになったりする。
思いの丈を過不足なく書くことができるのは、やはりプロの物書きだけだろう。
我々素人にとってのコミュニケーションは直接顔つきあわせてのしゃべりにつきる。繋ぎ言葉の不足をカバーするのが、笑顔を初めとした顔の造作によるあるいは手振り身振りによる感情表現だからだ。

07/02/19 (月)
 昨日の続き・・というか

昨日は日曜日にも関わらず何人もの来訪者があった。
その人達から「体を大切にしなければいけない」と言われたり、あるいはお会いしたことのないこのHP日記を読んでくださっている方からの電話で「速やかに検査することが大切です」とのご心配を頂いたり、晩酌時に妻から「酒がよくない煙草がよくないストレスがよくないあばさけがよくない」との叱咤を頂いたりして一日が終った。

あけて本日は午前4時に起床。
洗顔し歯を磨き熱々珈琲キリマンジャロを飲みながら、鏡に向かって鼻濁音発声を試みた。スムーズだ、ちゃんと元に戻っている。
ぼくは言葉ってなんだろうかと、考えた。

ものの本によれば、言葉は言の葉でありその語源は
①言質が葉っぱとなってひらひらと舞い落ちてくるもの
②言の端⇒言の葉⇒言葉   と説明されている。
・・①は言葉が霊力を持ち、けがれなどのタブー概念を生み出すという井沢元彦的世界をイメージさせる。
・・②は和語としての言葉が西欧的論理主義の対極にあることを仄めかしているように思える。

十数年前に自殺した江藤淳はあるエッセイで
「言葉は思いを運ぶ容器であり、空気の振動を利用するならばしゃべり言葉となり、インクの染みを利用するならば書き言葉となる」と書いている。

ぼくが言葉づまりという異和を感じたここ数日、意識との連動がどうだったかが最大の問題だ。素人として思うのだが
意識は脳の中に在り、脳内血管の正常が意識の動きを保証し、例えば梗塞などによる異常が意識を停滞させる(・・ですね。十日町のS医師さん)。
意識は普通だったのだから、鼻濁音発声異常は耳鼻咽喉の範疇における異常だったのかもしれない。

07/02/19 (月)
 昨日の続き・・というか

昨日は日曜日にも関わらず何人もの来訪者があった。
その人達から「体を大切にしなければいけない」と言われたり、あるいはお会いしたことのないこのHP日記を読んでくださっている方からの電話で「速やかに検査することが大切です」とのご心配を頂いたり、晩酌時に妻から「酒がよくない煙草がよくないストレスがよくないあばさけがよくない」との叱咤を頂いたりして一日が終った。

あけて本日は午前4時に起床。
洗顔し歯を磨き熱々珈琲キリマンジャロを飲みながら、鏡に向かって鼻濁音発声を試みた。スムーズだ、ちゃんと元に戻っている。
ぼくは言葉ってなんだろうかと、考えた。

ものの本によれば、言葉は言の葉でありその語源は
①言質が葉っぱとなってひらひらと舞い落ちてくるもの
②言の端⇒言の葉⇒言葉   と説明されている。
・・①は言葉が霊力を持ち、けがれなどのタブー概念を生み出すという井沢元彦的世界をイメージさせる。
・・②は和語としての言葉が西欧的論理主義の対極にあることを仄めかしているように思える。

十数年前に自殺した江藤淳はあるエッセイで
「言葉は思いを運ぶ容器であり、空気の振動を利用するならばしゃべり言葉となり、インクの染みを利用するならば書き言葉となる」と書いている。

ぼくが言葉づまりという異和を感じたここ数日、意識との連動がどうだったかが最大の問題だ。素人として思うのだが
意識は脳の中に在り、脳内血管の正常が意識の動きを保証し、例えば梗塞などによる異常が意識を停滞させる(・・ですね。十日町のS医師さん)。
意識は普通だったのだから、鼻濁音発声異常は耳鼻咽喉の範疇における異常だったのかもしれない。

07/02/18 (日)
 日曜日の朝だ TVでも観ていよう

昨日の昼、友人と蕎麦屋へ行った時に、声づまりがあることに気が付いた。
鼻濁音を出しにくいのである。相手も「確かに声の調子がちょっと変や」と言う。
頭痛も続いており、数日前にずぶ濡れを経験したことで風邪気味だからなのかとも思った。

夜、某旅館で開かれている地区の小さな団体の新年会に挨拶のために行った。
簡単な挨拶の冒頭で声の不調を説明したら、「ハメマラですか?」と言われた。
が、私の場合は、メハマラである。ついでながらマラ(魔羅)はマーラであり、古代インド・サンスクリット語で「心身を乱す神」を意味する。

数年もすると還暦を迎える。体の不調箇所は増えるだろう。そんなに清潔ではない身故に加齢臭もでてくるだろう。
しかし、加齢臭とは世のため人のため自分のため家族のためににコツコツと生きてきたことのあかしつまり年輪のようなものだと私は思う。
それ故、若い世代は加齢臭を遺棄すべきものと思って敬遠してははならないのである。

07/02/16 (金)
 冬の日本海

相手との人間関係が仮に濃密であるとしてもそのことで自分の思うことを相手も阿吽の呼吸でわかってくれると期待することがそもそも間違いの始まりであり事前に言葉足らずであることで齟齬が起こるつまり相手が誰であれ彼であれ誠意を持った事前説明が大切なのだということをまあ自分でも何を言ってるのかよくわからないのだがとにかく感じているきょうこの頃です。

ということで、本日の午前中、加賀の加佐岬を訪れた。
抜けるような青空の下、岬から見下ろす海は折からの強い風を受け白い波頭を幾重にもして岬に打ち寄せる。怒涛が耳を撃つ。
これぞ冬の日本海だ。
ぼくはこの岬を「加賀の三大風景」のひとつと密かに命名しているのだが、自然の雄大さに比べれば、人間なんて小さい小さい。

07/02/15 (木)
 昨日の一日

昨日は出ずっぱりの一日だった。
午前中は鯖江市内で鉄骨造既存工場の構造チェック。
午後は坂井地区介護保険広域連合議会が市庁舎で開かれたが、全協⇒本会議の間のわずかな休憩時間を利用して、笹岡余熱館へお袋を車で迎えにいった。親父をデイケアに預けてのお袋の束の間の休憩を、息子として当然サポートしなければならない。
午後は、私的にも公的にも介護のことばかり考えていた。

夕刻にバレンタイン焼酎を頂き、「こんなに枯れてしまった私などにまで・・」と恐縮の気分でいたところへお袋から電話が入った。「近所の○○さんが亡くなった」という声が飛び込んできた。配偶者どおし介護で日頃励ましあってきただけに、相当ショックな様子だった。

生きるとは、「生病老死」をたどることだ
けれどもそういう人生のさなか、路傍の花に心を和ませたりひとに愛を感じたりあるいはほろ酔いに気分高揚を味わうことで、彩りのある生を終えることができる
というようなことをベッドに寝転びながら考えていた夜半、ふたりのほろ酔い客人及び奥さんが来訪。

「社会は24時間いろんなことが同時進行していくのだなあ」と、思った。

○今朝は三国の新保地区にいた。
九頭龍川河口の水面は折からの強風にあおられさざ波がたっていて、よく見ると逆流している。とてもダイナミックな光景だった。

07/02/14 (水)
 表紙をモダンにしてみました

昨日の朝は久しぶりの客が来訪。話のテーマは、公害と憲法。
憲法についての論議はこれからだと思うけれども、米の多極主義への移行路線が後でコントロールしているという、最近の思いを申し上げた。

昼一番は某市議より「プリンターを診てほしい」との電話があり御自宅へ出かけた。
その足で某設計事務所に立ち寄り木造構造計画の打ち合わせ。
鉄骨造やRC造と違って構造計算プログラムソフトが市販されてはいず、全て電卓叩いての手計算となる。煩雑だが、それが自分を鍛えるのだと困難を与えてくださった神に感謝。

事務所を出てから某会議に遅れて参加。終了後、事務所に戻ったら来客3人あり。三人の議論を傍目に私はCADに精出していた。

夕食時、妻と一緒の焼酎晩酌を終え、やや酩酊しているところに、京都で学生をしている娘が帰省。上の息子との活発談論を聞いているうち思い出したのが
隣室に 文(ふみ)読む子らの 声聞けば
   心にしみて 生きていたかり  西東三鬼

そこで私も骨組拝借で一首
隣室に 菓子食いだべる 子ら見れば
    生きててくれて よかったよかった  牧田牛庵

07/02/13 (火)
 忙しくなりそうな連休明け

生きがい「ない」人は病死率高い・・「ある」の1.5倍

という調査報告が医療科学的に普遍性を持つものであるとするならば「生きがい」をどう定義するかだ。
良好な感情が少なくとも持続的であるためには、日々安穏でなければならないだろう。しかし、国内だけをみても主権国家としての足場の脆弱さ故に進行してきたモラルハザードの立て直しには相当な障壁があるはずだし、藤原正彦が言うように社会が乾燥化してきたことでの疲弊が津々浦々に及んでいる。

人間関係の修復や生活の糧の確保に日々追われることは、およそ「生きがい」とは無縁だと思うのだけれども、そこに生じるネバーギブアップ精神の持続をも「生きがい」の範疇に報告者は入れているのかいないのか。
入れていないとしたら、私には「生きがい」がない、としか言いようがないし、病死率が高くなることになる

07/02/12 (月)
 無題

ここの日記に関しては書き込みのない日が出てくると思いますが、
「市政掲示板」「スナップ掲示板」については、どんどん書き込みをお願いします。

閑話休題。
実に久しぶりに喫茶店に行った。珈琲を飲んで、「サラリーマン金太郎」を読んでいたら悪寒が消え、少しだけ体調が回復した。

事務所に戻り、CADの傍らインターネットを検索していた時、下の息子と相方がHPサイトを開いているのに気付きびっくりした。
ワッハッハー、親馬鹿のわしはすぐにリンクを左側に貼りました。

07/02/10 (土)
 世間は3連休だそうだ

都議会がワースト大賞 議員特権コンテスト

こういうコンテストがあることなど私は全然知らなかった。
確かに例えば都議会に関する「月額60万円の政務調査費を領収書不要で議員に支給している」の項などを読むと、国会議員でもないのに大きい額だと思うし領収書不要の意味も、そもそもこの制度と無関係なところにいる議員としてよくわからない。
ついでながら議員報酬額について、例えば福井県の場合(全国似たようなものだと思うが)
・町村議会議員⇒20数万
・市議会議員(小都市)⇒30数万
・市議会議員(中都市)⇒40数万円~50数万
 福井県の場合は大都市がないけれども、首都圏などの大都市ではこの額がぴんと跳ね上がるだろう。さらに
・県議会議員⇒80万程度
・国会議員⇒100数十万

何年か前に自治会館で開かれた研修会で聞いた数値なので記憶違いがあったとしても、大きな差はないはずだ。
これらの額の多寡については有権者の判断に委ねられる。
しかし、誰だったか某市市議から、(選挙に金がかかる)との小声を聞いたことがある。何故金がかかるのかというと、支援者が「選挙に金がかかるのは当然」と思っているからではないか。

議員報酬や政務調査費と一律に論じることの無謀を知りつつ敢言すれば
上述記事のなかの
・・主催者は「市民感覚と乖離(かいり)した非常識のたまもの。今後の特権廃止への取り組みを期待する」との“表彰状”を都議会に贈る予定だ。・・
のくだりにある「市民感覚」に対する定義の仕方によっては逆の言い方も可能なのではないか。
別に皮肉で言っているのではない。

07/02/09 (金)
 無題

午前2時に目が覚めた。外は小雨だが、事務所は来客だらけだった昼間の喧騒が嘘のように静かだ。

満58歳の私はこてこての土着型人間だけれども、若い頃の6年間(学生時代4年間+落第2年間)だけを阪神間で過ごした。
今でこそ節度ある人間でありウオーキング・モラル(歩く道徳)と呼ばれているが、当時は多感で随分とアホなことを言ったりしたりしていたものだ。

昨夕、似たような経過をたどり今は山の中で有機農業にいそしんでいる友人から電話が入った。関西弁がとてもとてもなつかしかった。
こういう時に多弁は無用だ。近いうちの再開を約束して早々に受話器を置いた。

隣国加賀の詩人・室生犀星は、「ふるさとは 遠きにありて 思ふもの・・」と歌ったが、既にふるさとに住み続けている私にとって、郷愁はむしろ阪神間にある。



石を見るひと。


07/02/08 (木)
 「そっとお休み」を聴きながら

昨晩は地区の中の小さな団体の新年会が某旅館で開かれた。所用で遅れたので、行った時には既に親睦宴会が始まっていた。
膳に座り白身フライや茄子の和え物をつまみにむぎ焼酎を飲み始めたら、コンパニオンの娘(こ)がビールを注ぐ為、前に座った。
ぼくの一番苦手な瞬間だ。
面識の無い、世代の違う、しかも異性との間で何を話題にしたらいいのか皆目わからず、ただ黙っていることしかできない。

手酌での焼酎が進みほろ酔い気分になるに連れ、ぼくでも少しは社交的になる。ビール瓶片手に隣席に注いだり向かいの席に注ぎに行ったりあるいは注ぎに来られたりして会は進行する。親睦が目的だから神経は弛緩し話題はあたりさわりのないことに終始するのだが、しかし稀には真剣が出る。

ひとりのおじさんが横に座り、しっかりとぼくの目を見据えながら、ややこしい問題についての本音批評を語り始めた。緊張し、逃すまいと逐一を聴きつつぼくはとっても嬉しかった。

中締めのあと、迎えに来る妻の車を待つために旅館の外の駐車場に出た。ダーバンのコートの襟をたて、昨日某女性からプレゼントされたネクタイを締め直して、蒼い月を見上げた。

「人生は緊張と弛緩だ。悲しみがあれば喜びもある。無骨と繊細は表裏だ。下品があるからこそ上品が生まれる。まことに世界は陰と陽で成り立っている」と、ぼくは思った。

07/02/07 (水)
 きょうは「北方領土の日」

「死にたい」女性が踏み切りへ、制止の警官ひかれ重体

自殺者はぼくの知り合いに何人もいた。年間の自殺者の数はこれからも減ることはないだろう。しかし上述の記事を読むと、自殺を止めようとした巡査部長があまりにも痛ましい。
精神科通いの自殺しようとしたひとはパニックにもなっており周囲がみえなかったのかもしれないが、死ぬ瞬間までは生きているのであり、生きている限りはどうであれこうであれ社会ルールに従わなくてはいけないはずだ。

昭和40年のきょう、北爆を通じて米軍がベトナム戦争に介入した。
昭和40年といえばぼくは16歳の多感になる時期で世の中の暗さを予感し始めた頃だ。爾来世界はどれだけの殺戮を繰り返してきたのだろう。
先だって来訪した某君が「牧田はんが本質的に暗い人間であることがよくわかる」と言っていたが、暗くもなる。

知り合いのひとが亡くなった。つい一ヶ月程前に事務所を来訪され元気に話し込み、まだまだ壮の年であるだけにびっくりした。   合掌

07/02/05 (月)
 熟睡だった昨晩

昨日の日曜日は午前中にある総会にでかけ、午後はCAD三昧。6時を過ぎてから焼酎片手にひとり晩酌。
TV画面は青森県職員から税金14億円を貢がせたアニータとかいうチリ女の来日風景を流している。
贖罪意識のないこの女の目的は映画づくりでありそのキャンペーンでありつまり目立つことだけなのだからTV屋は無視すればいいだけだと思うのだが話題先行でとりあげるものだから、ぼくら庶民はついつい画面を眺めてしまい、このようにして視聴者愚民化が進んでいくのではないかと、思うのである。

コップ二杯の焼酎で酩酊したぼくは直ぐに布団に入り、恒例の「きょう一日の反省」に入った。
朝の親睦会では、複数のひとから中学校統合問題に関していろいろ言われた。
昨年6月議会の採決で統合に反対し結果として負けてしまった議員として、事実の部分に関しては「そうだ」と答え、事実でない部分に関しては「そうではない。何故ならば、云々・・・」と反論をしていたのだけれども、いわゆる二中派議員たちに対する曲解が噂としていろいろあることがわかった。
噂のでどころは大体わかるけれども、「じゃ、採決にいたるまでの水面下の動きはどうだったのか」という幼稚なことをぼくは言わない。くだらないだけである。

いろんなことが政治的に歪曲されて学校問題がその本質から離れてしまうのは嫌なことです。

07/02/04 (日)
 快晴の朝

雑誌で「ニューヨーク9・11テロにアルカイダが関与していなかったのでは?」という記事をどこかの待合で読んだ時、情報というものについて考えた。
この説は既に何ヶ月以上も前、インターネットで流れてくるメール配信に相当細かく書かれていた。
あるいは昨今マスコミを賑わしているアパグループ・耐震偽装などについては既に一年以上前、「きっこの日記」に関係者の実名入りで書かれている。イー・ホームズ藤田元所長のその後の継続的な訴えなどは今でもマスコミは取り上げない。

権力者から睨まれる情報は書けない書かないしかし巷の声が拡がり始めれば書かざるを得ないということか、あるいはソースの検証を厳密慎重にすることがマスコミの責務であることを自覚しているからなのか(朝日記者の読売記者作成記事拝借スキャンダルなどを思うと後者ではないような気がすすのだが・・)。

「床屋談義」という言葉は虚実ないまぜの庶民の声という程度の意味になると思うが、現在はインターネット検索相互発信がその役割を担っているのではないか。

それを例えば
「歴史は(為政者どおしで)夜つくられる」という時代は過ぎ去り
「歴史は(庶民によって)昼つくられる」時代が来た、と理解することもできる。

07/02/03 (土)
 中学校の思い出

今年一番の寒波襲来だ。
昨日の午後11時過ぎに自宅寝室に戻り、厚い灰色毛糸パンテイストッキングを履き、掛け布団を二枚重ねにしその上に毛布をかけて横になった。
私は眠りに就く前にいつも「きょう一日の生活に悔いはなかったか?」と自問する。次に「私はいつ死ぬのだろう。どういうかたちで死ぬのだろう」と、自らの死をイメージする。還俗の身ではあっても生のなかに死が浸潤していると信じている私にとって当然の作業でありそのうち眠りに就くのだが、底冷えのせいでうとうともできない。

仕方なく台所に行き、珈琲党の私ではあるが珍しく牛乳を沸かして飲んだ。飲んで体が温まっていくうち、少年時代の給食を思い出した。全国で22億円未納と、今、問題になっている給食だ。

確か、中学校一年生の時に給食が始まった。脱脂粉乳だけは苦手だったがあとはなんでもうまかった。
給食前にセンセが「好き嫌いをしてはいけません。残さず食べなさい」と言うのだが、この言葉が恨めしかったなあ。
少年時代の私は割合に食が太くて目の前の皿の量だけでは満腹にならない。
必然的に左右の机の級友に、「おい、嫌いなもん無理して食う必要ないぞ。体に悪いぞ。残してぼくにくれや」と物乞いをすることによってかろうじて満腹を味わえていたのだ。

中学校3年間のビッグニュースといえば
→J・Fケネデイ暗殺・・いわゆるダラスの暑い日 やね
→ソ連・ガガーリンによる人類史上初めての宇宙旅行・・地球は青かった やね
→ソ連・テレシコワによる女性史上初の宇宙旅行・・わたしはカモメ やね
→力動山死亡・・刺したのは確か村田勝清だった
→深夜、吉永小百合宅に侵入男・・すごい小百合ファンだったらしい
→なんといってもサンパチ豪雪だ・・自衛隊のおじさんたちありがとうございました

思い出深い金津中学校は、建具も木製の古い木造校舎だった。
私はいつも放課後ひとり教室に残り、木製机に肘をつき木製椅子に座っていた。
窓外の赤い夕陽を眺めながら、子供とみられたくないしかし大人にもなりきれない自分自身と心のなかで格闘していた。
多分ジェームス・デイーンのような少年だったのだと思う。

07/02/02 (金)
 無題

他にしなければならないことがいろいろあるのになんでこんな駄文日記を毎日書いているのか、6年間書いてきたんだし疲れたし妻はHP日記なんて書くなと言うしそれももっともだと思うしもうそろそろ止めようか第一書いているより他のブログを読んでいるほうが刺激的だし楽しいしなあ、と思うことが時々ある。

インターネット社会である。その日その時刻に起こったニュースは瞬時に情報として流される。そしてその情報のなかの政治的個人的に事件性のあるものについての様々な角度からの分析や思いが、無数のブログに書き込まれる。
感じるのは、切り口がスルドイと思われるものは、その殆どがHN匿名ブログだということ(もっともブログとはそういうものかもしれないけど・・)。文責をぼやかせばアンタッチャブルがなくなり相対的に筆は自在となる。

ぼくはもともとが節度のないあるいは節度のうすい人間なので、スキャンダルに近いものを載せたいという衝動にかられることがある(現に若い頃に連ねた手書き日記ではいろいろと書いていた)。しかし書き手公開の日記では、確証のないことを書くことは許されないし、そこらあたりが存外窮屈でもあります。

07/02/02 (金)
 無題

他にしなければならないことがいろいろあるのになんでこんな駄文日記を毎日書いているのか、6年間書いてきたんだし疲れたし妻はHP日記なんて書くなと言うしそれももっともだと思うしもうそろそろ止めようか第一書いているより他のブログを読んでいるほうが刺激的だし楽しいしなあ、と思うことが時々ある。

インターネット社会である。その日その時刻に起こったニュースは瞬時に情報として流される。そしてその情報のなかの政治的個人的に事件性のあるものについての様々な角度からの分析や思いが、無数のブログに書き込まれる。
感じるのは、切り口がスルドイと思われるものは、その殆どがHN匿名ブログだということ(もっともブログとはそういうものかもしれないけど・・)。文責をぼやかせばアンタッチャブルがなくなり相対的に筆は自在となる。

ぼくはもともとが節度のないあるいは節度のうすい人間なので、スキャンダルに近いものを載せたいという衝動にかられることがある(現に若い頃に連ねた手書き日記ではいろいろと書いていた)。しかし書き手公開の日記では、確証のないことを書くことは許されないし、そこらあたりが存外窮屈でもあります

07/02/01 (木)
 外は雪がちらついている

ぼくには本を読む趣味はあっても買う趣味はないのだが、昨晩、近所の本屋に出向き珍しく本を買った。
宣伝する訳じゃないけれども、買ったのは月刊誌・「文芸春秋2月特別号」だ。
「創刊85周年特別企画・昭和の美女」のそれぞれの写真を見たかったからで、原節子・吉永小百合・高峰三枝子・山本富士子・岸恵子・高峰秀子らから始まる顔顔顔を眺めていて
「うーん、やっぱり昭和の顔や・・決して平成の顔ではないな」と思った。

降る雪や 明治は遠く なりにけり   が誰の句だったかは忘れたが
そのまんま
降る雪や 昭和は遠く なりにけり  なのである。