2007年03月


07/03/31 (土))
 どなたさんの手土産か、粒粒珈琲ありがとう

きょうで三月も終わり、明日からは四月だ。
四月と言えば何といっても桜で、暖冬の結果か、前線の北上もはやいという。

昨年見た感動一番の桜は、深夜11時頃に見た朝倉遺跡唐門に咲く夜桜だった。自家発電機でのライトアップが夜空を焦がし、掘割の水面にその姿を二重に映す。まことに幻想的な光景で、わしは中世にいるのかと錯覚した。ここで毎年催される薪能に人気があるのもうなずける。
しかし朝の桜も勿論いい。

小林秀雄の遺作「本居宣長」に
敷島の 大和心を人問はば
   朝日ににほふ 山ざくら花  本居宣長
が引用されており、「にほふ」という江戸期の言葉には「鮮やかにはっきりと見える」の意味がある、と注釈されていた。しかし「におふ」はやはり「におう」で嗅覚に訴えるという現代語どおりに理解するほうがインパクトが強烈で素晴らしいと、わしは思う。

というようなゆったり気分で四月を迎えることができるのかどうか、よくわからないのだが・・・。


07/03/30 (金)
 好きなもの それは神社・仏閣・石像

友人から電話が入った。
「旧金津町内の旧跡を巡り歩く会がある。某神社境内で由来をマイクでしゃべってもらえんやろうか」というものだった。

結界としての鳥居をくぐり抜け神社の境内にたたずむと、そこは清浄の世界である。道徳規範を失った我々現代人に対して無言の警告を発信してくれる場である。生と死が浸潤し合っていることを改めて思い起こさせてくれる場である。

薔薇が咲いたと歌うわけではないが、「久しぶりにマイク・マキとなるのか」と、ココロが踊った。
本日は、「継続こそ力や。日記を休んだらいかん」というきついお叱りを何人かの人から頂きました。これからは休まないように努力します。


07/03/29 (木)
 ちょっと疲れ気味

一昨日の午前中は、あわら市社協の理事会に出席した。終了後事務所に戻り昼飯抜きで即刻鯖江市へ。
打合せ相手が開口一番、「きょうもTVで観ていたんやが、あわら市は中学校統合問題でえらい騒ぎになっているねえ」と言う。
最近は市外のひとから言われることが多くなってきたが、経過の逐一を報告すると時間がかかりすぎるので、概略の説明にとどめて本題に入った。
打合せ終了後事務所に戻った夕刻、三人の方が立て続けに来訪。応接のあと、ソファーに寝転んでいたら友人から電話が入った。

「牧田さんのことがヤフー掲示板に出てるよ」と言うので、何ヶ月ぶりかで覗いてみた。雑言2、3行書込みを無視してスクロールを続けているうち次のような書込みに出会った。

「リコール派の掲示板を見てきました。

市民会議室もそうでしたが、かっての真摯な教育論議はどこかにいってしまい、誹謗中傷合戦の状況。市政と名乗った掲示板を、現在の状況でただ傍観している管理人(牧田市議会議員)はどのような考えなのでしょうか?

市民会議室を誹謗中傷の場に変え、良質な論議の場所を、他のテーマもろとも葬り去った当事者達が、ほぼ同様の行為を繰り返している現状を、是認している管理人に、公職についているものとしての自覚を感じないのは私だけなのでしょうか?

あの掲示板も、多少エキサイトすることはあっても、かっては良質な論議の場所だっただけに残念です。 」
とまあぼくは叱られているのですが、そもそもぼくが読まない掲示板で返答を求められても、それは八百屋をやっていて客から魚を求められるのと同じ無理な話だし、勿論そこに書込むつもりも毛頭ありません。

ここで、少し現在の思いを書きます。
・ぼくは昨年6月議会での採決以後も二中を維持する方がいいと思っていますが、しかしこの掲示板はリコール派の掲示板ではありません。そもそもがリコールの為にリコールを望む人など居るでしょうか。
(優等生的な意見と思われるかもしれませんが)統合vs二中維持の論議の場となってくれればいいと思っています。
論議が良質であるかどうかを判定する能力はぼくにはありません。
ただし、「出会い系サイト」の書込みに関しては即消去しているし、実名(あるいは実名を彷彿とさせるもの)に対してはイエロー・レッドカードを出します。

・書込んでいるひとの殆どは知らないひとですが、書込み手から電話が入ってきていろいろ言われることもあります。とまれ匿名なのだから思いを掲示板に出して双方で完結してほしいものです。
・今は数人限定の書込みになっているのが残念といえば残念です。
・傍観者と批判されていますが、(立場上も含めて)確かにそうです。実は去年の夏頃までは書込みをしていましたが、相手さんの粘着文体に辟易し、応答することは消耗である焼酎飲んで小説読んでるほうが身のためになると思い、以後だんまりを決め込みました。

閑話休題
・ぼくはあまり新聞を読まないので、今回出されたチラシのことも全然知りませんでした。「市政掲示板」Mr.Mさんの投稿で初めてチラシを読みました。
エンデイングで
「市民の直接請求は決して否定するものではありませんが市民間に大きなしこり、市政の停滞をもたらすことは非常に残念であります。議会制民主主義をくつがえすことは社会の秩序を崩壊することです。
私達は断固戦います!
と書いてある。

「議会制民主主義をくつがえすことは社会の秩序を崩壊することです。」の部分で「崩壊」を自動詞として扱っておきながら、気分は他動詞扱いしていてまことに読みにくい。ここは「社会の秩序を崩壊させることです」かあるいは「社会の秩序が崩壊することです」かに統一すべきだったと思いますが
それはさておき
かって、「2校を守る会」の人から、「あんたら議会も悪い。昨年6月議会での採決はいかにも拙速すぎる。せめて継続審議として9月議会まで慎重審議を続けてくれればリコールの声は挙がらなかったはずや」と言われたが、同感だし分岐点がここにあったような気がする。

「私達は断固戦います!」の主体は15名の議員達なのでしょうが、客体は誰(何)なのでしょうか。議会内で議員どおしが戦うというのならばその意はよくわかるが、そうは思えない。
「決して否定するものではない」つまりその権利を尊重している制度を客体としているのならば、明らかにそれ自体言語矛盾である。
仮に生身の「2校を守る会」自体と戦うという意味であるとしても、土俵の違うところで戦うということの具体的な実践の姿がイメージできない。まさかリコール運動に圧力をかけるということではないでしょう。つまりはよくわからない。

「2校を守る会」を背後で支えているサイレント・マジョリテイに対する挑戦の意を込めたとても勇気ある発言と言えるのかもしれないが、
「議会のことは議会のこと 直接請求のことは直接請求のこと」とし、粛々として見守ることがぼくのような気弱な人間には自然体に思えます。


07/03/28 (水)
 無題

この日記を読んでいる統合派議員も居るということを仄聞した。ぼくの心情を是非理解してほしい。

昨日の午前中は、あわら市社協の理事会に出席した。終了後事務所に戻り昼飯抜きで即刻鯖江市へ。
打合せ相手が開口一番、「きょうもTVで観ていたんやが、あわら市は中学校統合問題でえらい騒ぎになっているねえ」と言う。
最近は市外のひとから言われることが多くなってきたが、経過の逐一を報告すると時間がかかりすぎるので、概略の説明にとどめて本題に入った。
打合せ終了後事務所に戻った夕刻、三人の方が立て続けに来訪。応接のあと、昼食兼夕食を終えたら猛烈な睡魔に襲われそのまま熟睡し明け方に起床した。

07/03/27 (火)
 メタボリックシンドローム

昨日の夕食時、TVをつけたらメルボルンでの世界水泳選手権競泳の映像が流れている。
北島だのハンセンだのの水泳選手は胸板厚くウエスト引き締まり贅肉というものが全く無い。横でTVを見ていた妻に、「私も若い頃はあれに近い体型だった。ひとは私のことを逆三のマキと呼んでいたなあ」と回顧調で言った。
妻は傍らにあったメモ紙にマジックインキでなにやらを書き、私にさしだした。
それは俳句だった。

いちメーター 昔は胸で 今は腹

  という俳句だった。というより川柳だったが、私は思わず微笑んでしまった。


07/03/26 (月)
 早朝に思うこと

早朝ラジオが「今回の地震で能登半島沖の地盤が25cm動いた」と言っていた。よくわからないが、ものすごいエネルギーが働いたということなのだろう。

昭和24年1月早生まれのぼくは、学年としては6月に福井大震災が勃発した昭和23年生まれに属する。小学校時代、校長朝礼の挨拶は「君たちのお父さんお母さんは戦争を経験し地震を経験しました。ふたつの困難を乗り越え不死鳥のようによみがえったお父さんお母さんの御苦労を胸に大切にしまっておいてください」が定番であったと記憶する。

月日が流れ、都市型地震の被害としては福井地震を超える阪神淡路大震災が12年前に勃発した。福井地震と違って沢山のボランテイアが全国から神戸に集まったが、ぼくも阪神間在住の友人に頼まれ、彼が購入仮契約をした中古住宅の家屋調査のために阪神間に行った。
その時目にした光景や思いの丈を過不足なく書くことはプロの文章家の仕事であり、素人のぼくには「筆舌につくしがたかった」としか書きようがない。

07/03/25 (日)
 昨日の土曜日

昨日の朝、パソコンを立ち上げたら動かない。画面が凍り付いてしまったのである。仕事のすべてをパソコンに依存する生活に入っている私の顔も凍り付いてしまった。

パソコンの達人と呼ばれている何人かのひとに対処方法を電話で聞いたのだが、そもそも単なる四角い機械が何故人間の命令どおり動く奴隷となっているかの原理について全く無知な私なのでよく飲みこめない。

仕方なくパソコン修理専門店に機械を持って行ったら、「旦那さん、ハードデイスクがいかれている可能性があります。データの吸出しなどで修理の日数はかなりかかりまっせ」と言うではないか。
私は「お代官様、そりゃあ困る。金は無いからあと払いにさせてほしいが生活がかかってる。私のパソコンの修理を再優先させていただきたい。お願いしますだ」と言って店をあとにした。

帰路、携帯にHP「市政掲示板」への書き込みが連動で何件か入ってくる(何故連動にしたかというと出会い系サイトの書き込みを瞬時に消したいからです)。

「うーん困った・・誰かに頼んで、実情を「市政掲示板」に書き込んでもらおう」と私は思った。
と同時に、一人や二人ではない複数のガールフレンドたちの顔が脳裏をよぎる。(女性には嫉妬という独特の感情があるそうなので)ひとりで慎重審議をした結果、ハンネ・うさぎさんに書き込みを依頼した。

事務所に戻ったが仕事ができないのでソファに寝転び藤沢周平を読んでいた夕刻、市議ふたり及び某工務店主が来訪。
雨音をBGMによしなしごとを話していた午後7時、パソコン修理専門店から
「旦那さん、OKです。直りました!」という嬉しい電話が入ってきた。

捨てる神あれば拾う神あり 敵も居れば味方も居る
ネバーギブアップが人生なのだと、つくづく思った。
○今朝の地震は揺れが永く驚いた。阪神淡路大震災以来の揺れだったと思う。
TVで「輪島市で女性一人死亡」のテロップが流れた.。
ご冥福をお祈りします。


07/03/24 (土)
 薄曇の朝

70年代初頭に青春を送った大抵のひとならば、ブラザーズ・フォーの「7つの水仙」を口ずさむことができるだろう。

「貴女にプレゼントをしたいがぼくには金がない。だから、野に咲く水仙の花を7本切り取って君にプレゼントする。どうか受け取っておくれ」
くらいの意味だったと思うが、今、郊外を車で走ると路傍のあちこちに黄色い水仙の花が咲いている。

冬の風物詩としては越前海岸の水仙乱れ咲きが圧倒的な迫力だ。
しかし、この辺りの路傍に咲く数本の水仙の花を眺めているだけでもココロが和む。同じスイセンでありながら選挙用語の推選がなにがしかの猥雑を感じさせるのに対して水仙は清楚そのものだ。
ということで、妻よ、一昨日の誕生日おめでとう。

 07/03/23 (金)
 昨日は議会最終日

昨日の議会最終日。全協(全員協議会)開始を前に何人かのマスコミ関係者の姿を見て「??」と思ったのだが、きょうの新聞に写真入りでどどおーんと出てましたね。

統合中学校建設にかかわる委託費・計画費等を削除した一般会計予算の修正案動議は「教育厚生常任委員会」では可決されたが、本会議では否決されてしまった。

しまった・・と書くとおり、ぼくも修正案動議に賛成したうちのひとりだ。
昨年6月議会で中学校統合は7対14で可決され石もて遊ばれる生活に入った二中維持賛成議員たちは、しかし議会意思を尊重し、その後の定例議会での統合中建設にむけての予算執行案に対して粛々と賛成してきた。

しかしながら、市の情勢が変化した。市民団体・「2校を守る会」が立ち上がり、リコールを目指した署名収集人集めが進行した。今月13日だったかに「申し入れ書」が市長あてに出されそれに対する無回答をうけて「守る会」はHPあるいはちらし等でリコールに向けての姿勢を表明した。

情勢は質的に変化したのである。(なお、「2校を守る会」を二中派議員たちが先導したとかうしろで炊きつけているとかの根も葉もない噂が巷にあるようだが、これは単に無責任な噂というだけでなく、在野軸・「2校を守る会」に対しても大変に失礼なことだ。)

リコールに対する見方がどうであれ(つまり統合派であれ二中派であれ)、仮にリコールが成立したら予算(税金)執行が無駄になる可能性を現実的に持ったという意味で、ぼくは修正案動議に賛成した。

閑話休題⇒用語の定義は全く違う概念だ。合法非合法の観点からは対極にある)
①リコール (地方公共団体)→ フリー百科事典「ウイキペデイア」より
 リコールは、公職者を、有権者の請求によって、解職する手続きのことで解職請求権ともいう。直接民主制の具体化である。
日本では、地方自治法に基づき、住民の意思で都道府県知事市町村長(首長という)、地方公共団体議員などの要職者を任期が終わる前に解職できたり、自治体議会の解散を請求できる制度のこと。[編集] 地方自治法地方自治法で定められた直接請求制度(直接民主主義)の一つで、法的には首長や議員、役員の「解職請求」、「議会の解散請求」と呼び、この二つを指してリコールという。有権者の3分の1以上の署名を集めると、地方議会の解散や地方議員、首長の解職を選挙管理委員会に、県の副知事、出納長、市町村の助役や収入役の解職を普通地方公共団体の長に請求できる。議会の解散や議員、都道府県の知事の解職請求の場合、有効であれば、請求から60日以内に住民投票が行われ、有効投票総数の過半数が賛成すれば、議会の解散や要職者が失職する。副知事、助役の解職請求があったときは長が議会に付議し、議員の2/3の定足数で3/4以上の多数で同意があれば職を失う。
②クーデター
クーデター(仏語英語 coup d'état, 西語 golpe de Estado, 独語 Putsch)は迅速な襲撃で政府の実権を握る行為で、特に権力者内部の少数グループ(軍部など)が武力によって実権を握る行為を指すことが多い。短期間での権力掌握に失敗し、武力衝突が長期化した場合は内乱内戦と呼ぶのが一般的である。より大きなグループによる反乱や被支配者側から政治的意図から体制を変革する革命とは異なる。ただし、必ずしも排他的な概念ではなく、革命的意図を持ったクーデターもある。日本語では流血もなく平和裡に成功した場合は政変、武力衝突や流血をともなった場合は武力政変などと訳される。クーデターはフランス語で「国家への一撃」の意味がある。現代社会においてクーデターは非合法で超法規的武力による権力奪取として否定的に見られる傾向が強い。


07/03/22 (木)
 本日は議会最終日

昨日の昼、お袋から「先祖の墓所へ連れていってほしい」と言われて同行した。
うん、「春分の日」は「お彼岸の中日」でもあったのだ。

墓前に花をたて水を遣ったあと手をあわせ、30数年前に亡くなった爺さん婆さんの顔を思い浮かべながら、「御先祖様お元気ですか。あたしもそう遠くない時期にそちらへいくことになりますでしょうがその時は暖かく迎えてください。この世は疲れることが多すぎますから」と、ココロでつぶやいた。

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉が人口に膾炙しているが、その通りだ。
帰途、窓外に見える草木の蕾は既に花々となり春の息吹を十分に感じさせている。末期の水を飲む時にアタマをよぎるものは、意外とこのような光景なのかもしれない。
○北潟湖の305号線に隔てられひっそりと在る福良の池。

昨日の朝に行ってきたのですが、水面が陽光に反

07/03/20 (火)
 弥生三月 闇から雪が舞い降りてくる

昨日の午後7時、何故かトラックに荷物を満載して京都の宇治から帰ってきた。
日中は久しぶりに3人のこどもたちと再会。皆元気でそのことだけで嬉しい。
我が子たちのような若い頃に戻りたいとは全然思わないけれども、体力面に関してはうらやましい。

若い頃は体の傷はすぐ癒えるが心の傷は治りにくい
歳をとると心の傷はすぐ癒えるが体の傷は治りにくいものだ
  と椎名誠は「モンパの木の下で」で言っているが、どちらかというと神経質なぼくはどちらも治りにくい日々を送っている。

ブリ大根つまみにコップ一杯のお湯割り焼酎を一気呵成に飲み、ほてった体で事務所に戻ったら友人来訪。
「ここでカラオケができますよ」と、ぼくのパソコンにインターネット無料カラオケをセットしてくださった。年代別ランキング曲満載で選曲には事欠かない。
プロジェクターがあれば最高だが、なくてもOKだ。
深夜に寂しい気分の時、ひとりそっと歌っている構図を思い浮かべたが、なにやらマニヤックで、やっぱり何人かが集まって歌うのが健康的というものだろう。


07/03/18 (日)
 朝陽がまぶしい

私心を去って自分をむなしくしておかなければ人は集まらない。人は集まることによって知恵と力が持ち寄られる。
仕事をする人間というものの条件のひとつなのだろう
                      司馬遼太郎「歴史と小説」

若かった頃にこのエッセイを読んだ時、私心だけが構成要素のぼくは、「なんて気障な言葉だろうか」と思ったものだ。
しかし幾星霜を経て権謀術数渦巻く世界を見るにつけ、この言葉が自然とココロに沁みるようになってきた。
歳で経験を積むことは決して悪いことではない。眼が単眼から複眼に変わる。正反合の弁証法的展開という世の法則をカラダが感じるようになる。

例えば鎌倉時代に悪僧と呼ばれながらも権力に立ち向かい、貴族仏教から庶民仏教への橋渡しを果たしたひとたちはそれぞれにむつかしいことを言ってはいるが、それ以上に、黙しての自然体がとても魅力的だったに違いない、とぼくは思うのである。

07/03/17 (土)
 珈琲が少なくなってきた

今はブログと呼ばれるこの手のHP公開日記と引出収納的手書日記との間に基本的な違いはない。
けれども、他人に読まれることを前提とするしないで枝葉の違いはどうしても出てくる。
昔、手書日記をつけていた時期があった。
それが嫌になり自分が嫌になり、「過去を捨てよう俺は生まれ変わろう新しい人間になろう」と思い立ち、庭の落葉を集め火をつけてそのノート類を投げ込んだ。投げ込む際に散見された字面は、特定の人に対する憎愛や噂に関する序章や個人の悶えなどに満ちていてつまり情念先行的スタイルだったのを覚えている。

昨日は久しぶりの人も含めて事務所への来訪者が多かったが、それと同時にびっくりするような携帯メッセージが入った。引出収納的手書日記ならばくどくどと思いを書き込むはずだが、真偽の問題もあり公開日記に書き込むことではない。
つまり、この手の日記にはそういう意味での限界があるのかもしれない。
本日の午後、坂井市丸岡町の「いきいきプラザ霞の郷」で開かれた講演を聴きに行った。
演題は「認知症の人と家族が孤立しないために」で、講師は松本一生氏。
ぼくは親父のことを思いながら聴いていた。

あなたはどのような人?
□何故か人に頼られる
□人が嫌がることを自分がする
□自分は陽気なほうである
□他人と対立するのはいや!
・・・この4条件を全て備えている(と思っている)ひとはメランコリー親和性性格と呼ばれておりいづれ鬱になる可能性があるそうです。
まことに介護被介護の関係が双方向的であってしかるべしということを教えられたわけで、遅れての参加だったけれども十分に勉強になった。
○友人から「菜の花通信 ご無沙汰ですね」メールが入ってきた。
うーん、気にはなっているんだけど・・なんとか頑張ります。

07/03/16 (金)
 もう終末か

議会開催中であることに加えて3月15日が提出期限の青色申告書作製などの所用が重なりとても忙しい数日が続いた。一段落終えて、昨晩は少々のアルコールをたしなんだあとに帰宅して熟睡。目が覚めたら東の空が茜色に染まっている。

今日一日生を得ることができたことを神仏に感謝し、豆砕き熱々ジャマイカ直輸入珈琲ブルーマウンテインを沸かした。独逸煙草ゲルベゾルテを一服。
目の前をたゆたう煙を眺めつつ「こういうゆったり気分の時のBGMは何がいいだろうか」と思案し、ザ・ピーナッツの「銀色の道」に決めた。
一昨日の午前午後及び昨日の午後には「教育厚生常任委員会」が開かれた。
議会の全日程が終了したあと、ここに思いをUPするつもりです。
昨日の午前中は金津幼稚園及び金津小学校の卒業式に出席。
携帯で「遠くの保護者席から来賓席の牧田さんを見ていました」という女性からのメッセージを頂きとても嬉しく思ったのと同時に、スーツを明るい春ものに変えたのが正解だとも思った。色黒でハンサムとはいえないぼくでも衣服で気品を保つことができる。

整然と進行する式のさなか、ぼくは長男が生まれた20数年前を思い出していた。
「孝男さん・・・子供はね、生まれてからの一年間で親孝行をすませてしまうんや。赤ちゃんの時の屈託のない笑顔がそれや。だからね、親が子を育てるということはね、その無心の愛にこたえていくことや」と義母がぼくに語ったのだが、本当にそう思う。

白金も 黄金も玉も なにせむに
        優れる宝 子にしかめやも   山上 億良    なのである

07/03/12 (月)
 深夜にアート・ブレーキーを聴きながら

昨日の夕刻、竹田川河畔を歩いたら風が身を切るように冷たい。
自宅に戻り、おでんをつついての晩酌を楽しんだ。野外に北風のうなりを聴きながら口にするアツアツのすじ肉・大根・卵エトセトラは冬の味覚として最高やね。

行政の話になってきた時、相席が「お兄さんは反市長派か?」と聞く。
「議会のなかでの主流派か?反主流派か?と聞くのならわかるけど、市長派か?反市長派か?は愚問や。住民は行政執行能力を市長に選挙で託し、行政監視能力を選挙で議員に託す。敢えて言うなら、監視派や」と答えた。
○安倍内閣発足で農水族のドンが大臣になった時、近いうち何か起こるかと思ったが予感は当った。

先日ラジオで国会討論中継・「ザ松岡農水相vs民主党某議員」を聴いていて思ったこと。
勿論、事務所光熱費問題についてなのだけど、当人・なんとか当人をかばおうとする政府首脳、・追求する議員・それを聴いている国民の誰もが申告の虚偽であることを疑わなかったはずだ。国の行く末を憂いてその方向を論議すべき国会の場でのああいう茶番シーンは教育のためにもよくない。
有閑族が暇つぶしのために見る「お昼のワイドショー」あたりに場を移すべきじゃないかなあ。



 07/03/11 (日)
 無題

昨日の6時過ぎ。
もう仕事を切り上げようと思っていた矢先、事務所への来訪者あり。
「アタシよ、アタシ・・」の声で、「はて、どの女性だろう?」といぶかりながら玄関(といってもそんなもん無いんだけど)に出てみると、世田谷区でシテイおばさんをしている妹だった。里帰りしてきたのだ。

久しぶりに一緒に夕食をとる。
とりともめない話のなかにも悩みがでてきて「みんな同じなんやなあ」と思った。
ということで、「千の風になって」をBGMにしてみました。


♪本日の歌
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています

千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています

あの大きな空を 吹きわたっています


07/03/10 (土)
 卒業式

柱時計がぼおおーんぼおおーんと午前5時をうった。頼まれごと満載で全く寝ていないのだけれども、不思議と眠くはない。
友人から「牧田はん、眠るのにはエネルギーが要るんやぞ」といわれたことがあるが、若かった頃に比べて睡眠時間は確かに短くなってきている。

若かった頃といえば
昨日の午前中、芦原中学校の卒業式が開かれた。
卒業生代表による答辞の時、沢山の女生徒達が涙を流していた。

その光景でぼくは
「この三年間、楽しかったこと苦しかったこといろいろあっただろう。
でもね、今後の人生を生きるうえで大切なことは苦しかったことを忘れないことだ。
苦しくて泣いたこともあっただろうが、苦しみがあったからこそ涙という宝石が生まれてきたんだよ。その宝石の輝きを大事にしてほしい」
と、ココロの中で生徒達に語りかけていた。


07/03/08 (水)
 昨日の一日

昨日の本会議は一般質問。午前9時半に始まり午後3時に終った。
質問者は12名。ケーブルTVで放映されますので、よろしかったらご覧になってください(私も順番の最後で末席をけがしています)。

本会議終了後は、全協(全員協議会)⇒広報編集委員会で午後5時に終了。
帰宅してメールチェックをしたあと夕食。
鰯の焼いたのを食べながら、お袋から親父の状態を聞きやや安心して事務所に戻り仮眠。
来訪した某議員に起こされ、社協主催の研修会のため福祉会館に同行。
戻ってからは、8人のひとが集まっての鍋物親睦会となった。
疲れていたのか知らぬ間にソファーに寝転び眠ってしまった。
朝起きたら私の体には毛布がかけられていた。
誰だったのか親切なひとがいるものだ、と感謝した。

Qさんへ
網走番外地があったのでコピーしました

1 春に 春に追われし 花も散る
  (きす)ひけ酒ひけ 酒暮(きすぐ)れて
  どうせ俺らの 行く先は
  その名も 網走番外地

2 キラリ キラリ光った 流れ星
  燃えるこの身は 北の果て
  姓は誰々 名は誰々
  その名も 網走番外地

3 遙か 遙か彼方にゃ オホーツク
  紅い真っ紅な ハマナスが
  海を見てます 泣いてます
  その名も 網走番外地

4 追われ 追われこの身を 故里で
  かばってくれた 可愛いい()
  かけてやりたや 優言葉(やさことば)
  今の俺らじゃ ままならぬ


07/03/07 (水)
 朝起きたら外は真っ白

永遠の名演歌・「港町ブルース」が芸能界のゴシップとして話題になっている。
森進一が自分の作詞した歌詞を変えて歌うのに激怒した作詞家・川内康範が「もうこの歌をおまえには歌わせない!」と三行半をたたきつけたのである。
86歳の老人が激怒したのである。
昨晩、TVで芸能ニュースを見ていたら小林旭が画面に出てきてスポットを浴びつつなにやらしゃべっていた。もしかしたら今後の「港町ブルース」は小林旭によって歌われることになるのだろうか。
この歌と「北帰行」の背後には哀愁という共通用語があるのだから、見ものというより聴きものかもしれない。
♪本日の歌
(1) 背のびして見る 海峡を
今日も汽笛が 遠ざかる
あなたにあげた 夜をかえして
港 港 函館 通り雨

(2) 流す涙で 割る酒は
だました男の 味がする
あなたの影をひきずりながら
港 宮古 釜石 気仙沼

(3) 出船 入船 別れ船
あなた乗せない 帰り船
うしろ姿も 他人のそら似
港 三崎 焼津に 御前崎

(4) 別れりゃ三月 待ちわびる
女心の やるせなさ
明日はいらない 今夜が欲しい
港 高知 高松 八幡浜

(5) 呼んでとどかぬ 人の名を
こぼれた酒と 指で書く
海に涙の ああ愚痴ばかり
港 別府 長崎 枕崎

○「唐獅子牡丹は良かった 思わず歌ってしまった 網走番外地と緋牡丹博徒もお願いします」というメールが入ってきたけれども、実は無いのです。
あしからず。

07/03/06 (火)
 無題

久しぶりの徹夜で夜が明けてきた。外へ出ると空気が冷たい。
朝御飯を食べてから、しばらく仮眠をとるつもりです。

ということで正午前に目が覚めPCのスイッチを入れたら、HPカウント数が23万回を超えている。日頃こんな駄文に付き合ってくださっている皆様、ありがとうございます。

きょうはアタマがぼおおっとしていて書くことがなんにも浮かんでこないのだけれども、これからは刻苦勉励して少しでも実のあることを書き込むことができるよう、努力するつもりです。
♪本日の歌
1 義理と人情を (はかり)にかけりゃ
  義理が重たい 男の世界
  幼なじみの 観音様にゃ
  俺の心は お見通し
  背中(せな)で吠えてる 唐獅子牡丹(からじしぼたん

2 親の意見を 承知ですねて
  曲がりくねった 六区の風よ
  つもり重ねた 不孝のかずを
  なんと詫びよか おふくろに
  背中(せな)で泣いてる 唐獅子牡丹

3 おぼろ月でも 隅田(すみだ)の水に
  昔ながらの 濁らぬ光
  やがて夜明けの 来るそれまでは
  意地でささえる 夢一つ


07/03/05 (月)
 今週は予定だらけ

昨日の夕刻、ソファーに寝転び休息中だったぼくの携帯に「事務所にいますか?」メールが入った。来訪者が久しぶりに女性だったので、歯を磨き服装に気を付け背中をしゃんとしてのたたずまいで応対した。
四方山話が進むなかでぼくは自分が何故議員になったかを話した。話しながらいろんなことを思い出していた。

自治体の選挙はふたつある。
選挙において、住民は市長を行政執行権者としての適切性を基準にして選ぶ。住民は議員を行政執行の監視役として選ぶ。その二元的形態で市行政が動く。
これを株式企業に例えるならば市長は社長(創業社長でも血筋代々社長でもなくて雇われ社長)であり住民が株主だ。とすると我々議員は株主総会などで株主の思いを伝える役目を持つ、ということになる。
○手話サークルの会員から電話がかかってきた。
今春から市姫荘で発足予定の「手話サークル・昼間の部」についての相談が電話の内容だったのだけれども、時間に追われているぼくは生返事しかできなかった。なんとなく申し訳なくて、とりあえずサークルの宣伝だけしておきます。
・・・申し込み先⇒津谷留美・Tel 0776-73-2490
です。

 07/03/04 (日)
 地蔵

朝起きたら快晴で、もう既に春だ。昨秋に義姉から譲って頂いた乗用車の普通タイヤをせっせとスノータイヤに替えたことの意味がないままに春がきてしまった。

走ればいいリクライニングができればいい以外には車に対する興味のない私なので車種も知らないのだが、議員になる前のこの季節には終末毎に町の郊外や海辺や山里をよく車で走ったものだ。
一番の興味はお地蔵さんの写真を撮ることだった。
路傍の地蔵は名刹などにある彫り物と違って、村の名もない石工や素人さんが彫ったものだ。
隣家の既に亡くなられた郷土史家が「奈良薬師 平安観音 鎌倉地蔵」とよく言っていたが、貴族仏教から庶民仏教への橋渡しをした僧である法然・親鸞・一遍・道元・日蓮はみな鎌倉時代のひとたちで、そういう時代背景のなかで庶民のココロザシが地蔵つくりに反映されていったのではないか、と思う。
穏やか悲しみ倦怠いろいろな表情があって、人間の表情を観察するよりもよっぽど面白い。
今年の週末には暇をみつけて又地蔵探しの旅に出かけたいと、思う。

07/03/03 (土)
 メダカ

公私共に忙しい日々が続いている。土日も昼夜も関係のない日々が続いている。当然のことながら緊張も続く。
その合間を縫ってメダカを別の水槽に転居させた。清水(せいすい)を泳ぐ数匹のメダカを見ていると束の間ではあるけれどもココロが和む。

数年前この日記にメダカ捕獲に関する体験の諸々を書いていた時、福井市の匿名さんから「牧田さんのメダカに対する愛情がみえてくる」というメールを頂いたことがある。嬉しかった。

「海水魚の王者は鯛で淡水魚の王者は鯉」とよく言われるが、「淡水魚の女王はメダカである」が私見で、メダカは○○さんのように思える(注・女性読者は○○に貴女自身のお名前を入れてください)。

じっとしていると思えば敏速に場所を移動し又佇む。何を考えているのかよくわからないがわからないところが魅力で、静と動を併せ持つその行動特性を突き詰めれば風林火山だろう。

疾きこと 風のごとし
徐かなること 林のごとし
侵椋すること 火のごとし
動かざること 山のごとし   武田信玄

なのである。
○昨日、ぼくはあるひとから「サイレントマジョリテイに耳を傾けその声を発信しなければいけない」と言われた。確かにそうだ。そのことこそが議員の一番の責務だと日頃思っている。
この横文字を邦訳すると「庶民」あるいは「もの言わぬ庶民」くらいになり、政治的に覚醒した人のニュアンスを伴う「市民」といういささか啓蒙主義的な語彙の対極に位置するといえるだろう。
「市民」は消えても「庶民」は残る・・これは確かだ。

07/03/02 (金)
 ちょっと鬱

私はCAD中心の生活を送っている。ひとりっきりで終日パソコンに向かっていることが多い。
孤独な作業を永年続けてきたことによってひとの心の機微を窺い知る能力がうまく育ってこなかったような気がする。結果としていろんなひとに多くの迷惑をかけてきたはずだ。

というようなことを考えているうち鬱になり、昨日は陽光の中、当てもなく車を走らせた。某寺院の境内に次のような石碑を見つけた。

責めるな
責めるな
人を責めるのが
一番いかんと 朝夕
あたしに告げる
くちなしの花      坂村真民

ノートをとり帰宅したあと壁に貼り付けた。数年後の還暦を控えた私の座右の銘とするのです。
○今朝起きて冷蔵庫をあけたら、ビ^-ル・焼酎・ウイスキーの残りがわんさと入っている。
そおーかそおーか、昨晩は獅子鍋宴会だったのだ。確か9人が集まっていたような気がするが詳しくは覚えていない。節酒の日々が続き久しぶりの飲み会だったので直ぐに酩酊しソファーに寝転びまどろんだためだ。

楽しみは 後ろに柱前に酒
   左右に女 懐に金   という川柳があるけれども

後ろに柱がなくても左右に女性がいなくても懐に金がなくても構わない。

十年ほど前のPTA会長時代、後ろに柱前に酒という宴席を何度も味わったが

苦しみは 後ろに柱前ビール 
    左右に教師 懐はなし 
          で、焼酎党の私としては面白くもなんともなかった。

だいたいが、「後ろに柱」を快に感ずる輩は全て権力者あるいは権力志向者である。そう思って間違いない。
庶民の我々にとっては、車座で偶に飲む酒こそが楽しいのである。

07/03/01 (木)
 きょうから三月議会

あちこちの山里で白梅紅梅の咲き誇った姿をみるようになった。

「梅は咲いたか桜はまだか」は春の訪れを告げる言い回しであり、となると「うーん、とうとう雪をみることもなく今年の冬は終ったのか。北極の氷も減っていると聞くし地球温暖化は避けられないのか。工業化による二酸化炭素過剰排出は人類に対する罪なのか。米は何故京都議定書を批准しないのか」と思い、ゴアのメッセージを素朴に応援したくなるのだが、
果たして本当にそうなのか?という論文もある。

昔プロレス草創期の頃に(隣家TVで三菱ゴールデンアワーで力道山vsザ・デストロイヤー、vsキラー・コワルスキー、vsルー・テーズなどの死闘を手に汗握ってみていたものだ)、6人タッグバトルなんてものがあったが、
この論文は、偉い学者先生方の真偽論争とそれを利用しようとする偉い政治家先生方の思惑によるバトルの様相を説いており、我々庶民はその構図に翻弄され漂流を余儀なくされているのが実体なのではないか、という思いが読後感として残る。