2007年05月

07/05/30 (水) 

松岡農水相が自殺したというニュースをTVで見た時に、世間から叱責を浴びている自分の偽らざる心情を吐露したいという欲求とそれを阻止しようとする背後とのせめぎあいのなかでパニックになったというのが自殺理由の実情に近いのではないかと思った。昨年何月号だったかの文芸春秋で安倍首相組閣名簿に族議員であるこの人の名を見つけた時、「何か起こるのでは?」と感じたがこのような痛ましい状態を招来するとまでは思わなかった。

ひとは現世をさまざまな矛盾のなかで生きているあるいは生きることを強制されている。
世に対する自分自身に対する怨嗟のなかで「死にたい」と思うことはなにも珍しいことではないし、ぼく自身30歳代の終わりに書いた遺書を今も肌身につけて歩きまわっている。
だけれども、「死にたい」と思うことと「死ぬ」こととの間には千里の距離があるのである。逆説的にいえば、「死にたい」と思うことで魂の浄化が量られているのだ。

この歳になると自ら命を絶った友人知人も何人かいる。そのひと達の共通項は「純粋」だけれども、例えば深夜の電話で生と死をテーマに語り合った女性がその二日後に首吊り自殺をした。
彼女の肉声の抑揚は生涯忘れられないだろう。

太宰治の御息女と手紙での定期的交流を続けている女性と三国・雄島の赤橋のたもとの水銀灯の下で深夜に長時間語り合ったことがある。
彼女の、「牧田くん。私は死ぬことを怖いとはちっとも思わないわ。でもね、歳月が私を無くしていくの。皆に忘れ去られるということは、私が存在していたことを否定されることなのよ。それがとっても怖い」という憂いのある言葉が印象に残っている。

現世での怨嗟はあるとしても、大臣であろうが庶民であろうがひとは全て平等に産まれ平等に死ぬ。これだけは確かだ

07/05/29 (火) 昨日の一日

昨日の午前中はCAD三昧。
午後1時半から全協(全員協議会)が開かれた。全協は正式な決定機関ではないのだけれども、思うところが幾つかあった。後日、資料を書き込みたいとおもいます。
全協のあと健康長寿課のほうで国保の制度変更に関するエトセトラの説明を頂いてから帰宅。

夜、事務所で缶ビール一本を飲み始めたら、来客4人。6月議会のことが話題の中心になった。夜更けて自宅に戻り就寝。なんとなくあわただしい一日だった。

07/05/28 (月) 国際交流事業

国際交流事業の一環として、あわら市金津中学校と交流を進めている米国・オレゴン州ユージン市のユージン学園ケリーミドルスクールの生徒たちが二十五日、二年ぶりに同中を訪れて交流した。米国の中学生たちは六月二日まで市内に滞在し、ホームステイなどで地元の生徒らと親善を深める。》日刊県民福井Web5/26から

この交流事業が旧金津町で始まったのは今から10年以上前だったと思う。
私が中学生だった昭和30年代後半には考えられなかった事業だ。昭和30年代後半というと60年安保締結のあとに登場した池田内閣による「所得倍増計画」がスタートして数年の頃だったがまだまだ貧しさの残っている時代であり、民衆レベルでの国際化など程遠い時代だった。
米は遠くにある眩しい異国でありその片鱗を中学時代に始まった英語教育の教科書「ジャック&ベテイ」で感じていた程度ではなかったか(中学一年時の英語教師は江守先生・・服を毎日変えてくるので七面鳥のあだ名を持っていた)。

後年40歳前後になってからカナダ・トロント郊外のオークタウンでホームステイというものを体験した。米人や露人のホームステイ受け入れも数回経験した。金中AETの教師達と飲みに行くことも何回かあった。そういう交流が若い時にあったならば刺激はもっと強くより濃厚な思い出となっていたはずだ。
交流のメリットは住んでいる国や地域によって考え方に違いがあることつまり多様性を理解することなのだろうけれども、もっと大きなメリットは「人間みなぼちぼちや」と感じることじゃないだろうか。そう思えることが人間を尊大にもしないし卑屈にもしない。
一昨日土曜日の夕方、岩國哲人衆議院議員を囲む10数人の会に出席した。
細川元総理との共著「鄙の論理」を書いたひとだ。国政についてよりも出雲市長時代の話の方が面白かった。まちづくりには夢が必要だ。独自性のあることが夢の要件であるとも言える。
新市長に期待する次第です。


07/05/27 (日) 本日は日曜日

久し振りに予定のない日曜日だ。午前中に友人2人を訪ねて事務所に戻り幕末ものを読んだあと、のんびりと昼寝をしていた。寝てばかりも大儀になりパソコン前に座った。
やらなければならないことは勿論沢山ある。CAD・自宅小屋の屋根修理・電球の取替えエトセトラだ。
だけどやる為にはやる気にならなければならない。やる気になる為には眠気を覚まさなければならない。ということで湯を沸かし珈琲を飲んだ。珈琲の苦味がまことに心地よい。

煙草が切れたので事務所前の自販機へと歩いた。自販機の横はバス停となっていて、三人の婆さんたちが時刻表を見ながらぶつくさ言い合っている。湯の町駅行きの次のバスが来るまでの待ち時間の長さに不平を唱えているのが聞こえてきた。
「そーか、旧芦原町の有権者達なのか」と思った途端選挙モードの気分になった。
「ぼくは今から芦原へ行くんや。ついでやから乗っていきなはいね」と、恐縮する三人を乗せた。
降り際に、「親切なお方。どこのあんちゃんですけね?」と問われたら「あわら市で議員をしている牧田というものです」と答えようと思っていたのだが
湯の町駅での降り際の実際のセリフは「親切なあんちゃんありがとう。わたしら坂井市兵庫のもんや。ここから越前鉄道に乗って帰ります」だった。
とまれ、一日一善をきょうも遂行した。

07/05/26 (土)  某氏からアイス珈琲がきました 謝謝

昨日は、県外の某刑務所に行っていました。その場所でぼくは「法」というものについて考えることを余儀なくされました。プライバシーの問題もあり、書ける程にアタマを整理してから書き込みたいと思っております。

数分を争う土曜日が始まりました。
では。

07/05/25 (金) 越路吹雪

越路吹雪といえば名コンビ岩谷時子訳詞の「サントワマミー」、「サントワマミー」といえば越路吹雪だ。午前3時の深夜ラジオがこの曲を流している。

ザルツブルグ音楽院でベートベン学理の薫陶を受けたハインリッヒ教授の元を離れて帰国し、小雪降る福井市片町の飲屋街を歩いていた時、雑踏のざわめきから聞こえてきた曲だ。
クラッシック以外に音楽はないと頑なに信じていた当時の私の、全身耳といわれていた私の心を撃った。
西欧古典⇒シャンソン⇒フォークソング⇒演歌とその後に続く私の音楽遍歴のエポックにいたひと・越路吹雪。彼女は56歳で亡くなっている。彼女の死はあまりにもはやかった。

注 ハインリッヒ教授

07/05/24 (木) 深夜ラジオから流れる「琵琶湖就航の唄」を聴きながら

昨日は来訪客が大変に多く、朝から夕刻まで誰かが事務所に居るという状態だった。
げに、議員というのは雑業であり、とにかくいろんなひとの話を聞くのが仕事だと思った。
夕刻には有志議員による勉強会。会を終えて帰宅したら6時を過ぎていた。
夕食をとりながら、ひとりコップ一杯の焼酎を飲む。サカナはTVのニュース画面だ。
ぼくがいわゆる人生のシアワセというものを感じるほとんど唯一の時間帯である。

疲れ気味だったからか、午後7時半に就寝。まどろみながらいろいろの妄想がアタマをよぎる。結局熟睡できないうちに目が覚めたら、古時計は午前零時をさしていた。
今、ブラジル直輸入の熱々珈琲・ブルーマウンテインを飲みながらパソコン・キーボードにむかっている。

07/05/23 (水) 本の効用
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                
 時間に追われる合間を縫って一冊の本を読んだ。
本は、青木茂夫著・「越前福井に寄す」。
今年上梓された本で、「福井の外から福井を見た本です」と言って友人が貸してくださった。
幼少期を鯖江で過ごした近松門左衛門のこと以外はあわら市(特に旧金津町)の戦後と現在の対比が描かれている。魯迅・「藤野先生」のご子孫との縁も描かれている。

大坂在住の著者の祖父はあわら市菅野生まれであり、著者は戦中の疎開で菅野に数年を暮らした。その時の友人たちあるいは学校の先生たちが登場してくるのだが、その中に私自身が知っている固有名詞の幾つかを見つけて、ほのぼのとした気分になった。



○このホームページはコテコテ土着型の典型で、グループウェアみたいなものだと思う。
けれども、最近時々聞くのだが
郷里・あわら市をあとにし県外市外で暮らしているひとのなかで、ここを覗いてくれる方もいなさるみたいだ。
そこで近いうちにBBS・「北国越前をあとにして」を追加開設したいと思います。
かまわなければ、なんなりと書き込んでください。
○「六月十日発売予定の楽衆玄達の『あわら八景』の入ったセカンドCDの予約を集めています。ぎゅーさん(私のこと)も何枚かいかがですか?」というメールが入ってきました。
楽衆玄達は映画「へしこ」上映前に舞台にたった福井のプロ音楽集団。とにかくすごくうまい。
バイ ザ ウェイ
実は「へしこ」の監督と女優が、ロケの時、私の家にホームステイしていました(3泊だったかな?)。

07/05/22 (火) 夏至が近づいて日の出が早くなってきている

掲示板にも書いてあったが
福島県の母親殺害事件の少年からも、愛知県の籠城発砲事件容疑者からも反省・後悔の言葉がない、という。

事件性があろうがなかろうが、ひとの一生に反省・後悔はつきもので、そのことがひとをひとたらしめていると、ぼくは思うのである。
社会生活を営んでいる限り、ひとはひとに対して影響を与え又はひとから影響を与えられるが、その影響は宿命的に正負双方を含んでいる。だからこそ人生を通して反省が続き後悔が続くのであり、あるいは仏教用語に「煩悩具足」がある所以でもある。

もともと動機のよくわからない両事件であり、動機がなければ反省の生まれる余地がないといえるのかもしれないが、それでは獣と同じだというと、獣が怒るに違いない。

○昨日は午前10時から全協(全員協議会)が開かれ終了後に臨時議会へと移った。
議案は第50号 あわら市教育委員会委員の任命について
     第51合 あわら市教育委員会委員の任命について  である。
固有名詞は省くが、両氏とも知らないひとだ。
前回の選挙終了後に2人の委員から辞任届けが提出され受理されたことで、後任として両氏の任命に対する承認が議会が昨日の臨時議会だった。
選挙は学校問題という極めて教育的な課題が焦点となっただけに、全協でも幾つかの質問・意見が出されあるいは本会議でも賛成多数という形になった。
人事というのは、政策議案とは違って基本的には論議の対象となりにくいところがあるが、
それとは別にもっと個人的なところでの複雑な思いがぼくには残った。 


○愛車バナナ号が盗難に遭って二年が経過した。恐らくもう出てこないだろう。
とても愛着があり、その愛着はオカネで買うことができない。
盗んだひとよ、いまさら返してくれとは言わないが、せめて盗んだことの後悔を忘れずに生きていってほしい。盗まれた意味はそこにしかない、と思う。


ということできょうの早朝は家族から借りた自転車で竹田川のほとりを廻った。
赤いカーネーションの咲き誇りをみた。得をしたような気分になった。

07/05/21 (月) 昨日はトリムマラソン

昨日の日曜日。
前夜が小雨模様だったけれども早朝には止み、「大丈夫かなあ?」と懸念されたトリムマラソンが挙行された。金中グラウンドはぬかるんでいた為、開会式は体育館。
屋内だったせいか式次第のときに囁き声が多少反響したのが気になったが、競技は予定時刻どおりにスタートした。

なんせ市内外県内外からの1900人を越す沢山の参加者で 、競技種目も男女あるいは距離により幾つもに分かれている。競技の運営を担った係員のひとたちのご苦労は大変なものだったろうと思います。ありがとうございました。
10年以上前、親子マラソン1.5kmの部に出たことがあるが、その時、私は寄る年波を自覚せざるを得なかったです。

台の上に立ったスターターのピストル号令・「ばああーん」で部門別にスタートしていった。
市長・議長・後援者・県議などなどが続いた時、係員に「スターターの数が足らないのでやってくれないか」と言われた。
どうやら教育厚生常任委の副委員長をしているせい(委員長は市長になったので不在)からだったのだが、晴れがましいことの苦手な私は固辞した。再三固辞したのだけれども受け手がいないということで仕方なく了承した。

昼前に事務所に戻りパソコンのメールチェックをした時、動画添付を受信ボックス内で見つけた。どなたか知らない方が、携帯でビデオキャッチしていたみたいである。
謝謝。

07/05/20 (日) 本日は日曜日

昨日は土曜日だったので、一日中、ホームページソフトデーターの整理をしていた。
PC内部のホームページデーターファイルには、HTMLファイル・PDF・JPG・GIFなどが入っており、更新し続けるということはそれらのデーターが蓄積され続けていくということだ。
蓄積の過程で修正・削除などが不可欠で、それを怠ると結果として不要データーがゴミとして残る。残したままにしておくとPCの動きに影響を与える(だろう)し、転送先にも余計な負担をかけることになる。
最近はやりのブログは大手業者配信ルートに乗ったものが多く、利用も簡便と聞く。
けれども、データー移し変えの煩雑さを考えると鬱陶しくなるし、割合に手作り感覚が好きなので、今後も市販ソフトを使用してのストラッグルを続けることになるのだろう、と思う。

このホームページを開始して7年以上経った。その間に溜まった沢山のファイルデーターを覗くと 、何をどう整理していいのやら途方にくれたことも頻回だ。その都度、操作に関する適切なご指導をして頂いた友人諸君に対して感謝申し上げます。

気がつかなかったけれども、訪問客が25万を越えている。
町議になって二年目、選挙の時のウグイス嬢の旦那・プログラミングのプロ高塚師範から「議員である以上、ホームページ発信をしなければ・・」と言われて、始めた。「塵も積もれば山となる」で、駄文を読んでくださった皆様、御愛顧ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
   
○昨晩、ちょっと腹のたつことがあった。そもそもが人間よりも自然に対して興味を持つたちなので、滅多にないことだ。ぼくは某寺院で見かけた石碑を思い出してセーブした。

責めるな 責めるな
人を責めるのが
一番いかんと
朝夕 あたしに告げる
くちなしの花        坂村真民


07/05/19 (土) 山も里も緑でいっぱいだ

芦原中学校のS先生(推定年齢30歳前後)から電話があり、昨日の夕刻に同僚と一緒に出かけた。
福祉体験学習についての打合せを終えて校舎を出ると、女生徒達がはつらつと課外スポーツに興じているのが見える。
幾星霜で彼女達が社会人になる頃、私は死んでいるかあるいは腰の曲がったよぼよぼ爺さんになっているかだろうが、生徒達にとって幸せな社会でありますようにと祈りながら校庭を出ると、グラウンド沿いに長い桜並木が見える。
既に葉桜だけれども、満開時のこの並木は迫力がある。名所のひとつだと思いながら帰宅した。

明けて今朝、事務所駐車場の葉桜をじっくりと眺めたら赤いサクランボができているのに気がついた。

「ああー、彼女達もサクランボみたいなものだなあー」と、一種感慨にふけった。

私が中学生の頃だったろうか。
女性トリオ・スリーグレイセスが「黄色いサクランボ」という歌を大ヒットさせていた。
そういう色の品種もあるのだろうと思いながら「♪・・・ほらほーら 黄色いさくらんぼー・・」と夕闇迫る校庭で同級生と一緒にいつも唄っていたものだが、後年、この言葉がある部位の隠語だと知った時には驚いた。

07/05/18 (金) もう終末か

昨晩の夕食は親子丼だった。贅沢だけれども好物である親子丼を食べながらTVのスイッチを入れたらショッキングな実況中継場面が映った。
妻子を人質にして閉じこもった男に撃たれた警官が入り口先に横たわり時折手や腕を動かしているシーンだった。
ヘリを使用して上空からの遠景映像であり、表情デイテールを捉えていないからこそできたのかもしれないが、それにしてもマスコミカメラマンはどんな気持ちでカメラをまわしていたのだろう。
尊い命が損なわれるかもしれないという現実を目の当たりにした場合、目をこらすか目をそらすかだけが我々普通の人にできる対応だと思うが、職業意識がそれを封印し茶の間の我々に対するメッセンジャーになることに徹している。
見ているうちに胸が悪くなり、スイッチを消した時、携帯コールが入った。

事務所への来訪者からのコールだったので、食べさしの丼と箸を持って事務所に戻った。
そういう格好で道路を横断するのはちょっと恥ずかしかったが、ひとは空腹の時礼儀を失する。「衣食足りて礼節を知る」なのだろうと、思う。

07/05/17 (木)  午前2時起床再就寝

数日前の夜、あるベテラン手話通訳女性から電話があった。
「今、家族内のトラブルのことで手話通訳の現場にいるの」と、彼女は言う。プライバシーに関わることなので内容説明は省くが、彼女の困惑が十分に伝わってきた。
家族がろうあ者と健聴者で構成されていて、その場に手話通訳者が呼ばれる場合、大抵は何か問題が起こった時だ。通訳者は、本来ならばプライベートであるべき場へ入っていくことを余儀なくされる。行きたくない場へ行くことを余儀なくされる。
議員になる前、ぼくは比較的熱心に手話通訳をしていたので、彼女の心的状態がよくわかる。

この日記を読んでいる皆さんのなかには、何かの大会や講演会に行った折、舞台の袖で手を動かしている手話通訳者の姿を見た人も居るだろう。それはそれで労苦なのだが、ある意味でスポットを浴びている。
しかし例えば先述の彼女の行為は裏方のそれであり、なおかつより一層の責任を負う。

星の王子様が「本当に美しいものは目には見えないものなんだよ」と言ったように、ボランテイアの本質はめだたないところにある、とぼくは思う。

地道でめだたないこと・・・これはぼくの座右の銘です。
Sさん、これからも頑張ってください。

07/05/16 (水) 昨日の一日

昨日の午前中は市庁舎に出向いた。幾つかの担当課で所用をこなし、事務所に戻ってからはCADに専念。午後は鯖江での打合せとなった。
打合せが長引きあわら市内に戻った時は既に夕刻だった。

同行の人と「一杯やろか」ということで旧金津にある飲み屋へ。外で飲むのは本当に久し振りだ。四方山話しつつ焼酎お湯割りを飲んだのだが、ツマミの竹の子天婦羅がすこぶるうまい。
いい気持ちになっている時、隣席に座った年配客から話しかけられた。
多分ぼくが橋本陣営にいた男と知ってのことだろう・・「市長を芦原に持っていかれてしまいやがって」と言う。
「おじさん、それはちゃう。合併したってことはいろんなことが一緒になったってことや。そんな偏狭では市民融和が進まないぜ」とかなんとか言っているうちに携帯電話が鳴った。

「事務所に来たんだけど居ないの?」と言う。用事があるみたいなので車で迎えに来てもらい、事務所に戻った。打合せ済ませて彼女は帰ったのだが、何となく飲み足りない気分だ。「自宅に戻って飲みなおそうか」と思っていたところへ、背の高いO議員が現れた。

警察で共に事情徴集を受けた者同士だ。彼に、「なんかいろ囁かれているみたいやざ」と言ったのだが、腺病質なぼくと違って相撲・バスケットボールのエキスパートでさわやかスポーツマンの彼は磊落に笑うだけだった。
談笑の場にU議員来訪。
福井県内女性議員ネットワーク資料のパソコン編集を頼まれていたのだ。
パソコン前に座ったのだが、なんせ飲み屋帰りの身なので数分おきに欠伸が襲う。
「もう少しや。頑張れ」の叱咤激励でなんとか終了した。
夜も更けてから自宅に戻り、焼サンマで晩飯をとった。布団に入り読書を試みたが、一頁ももたずに眠りの世界に入ってしまった。

07/05/15 (火) 新聞を読んで

’95年12月に起きた高速増殖炉「もんじゅ」ナトリウム漏れ事故をめぐりうその発表をしたとされる担当者が飛び降り自殺した件については、町議時代に「もんじゅ」を訪れ事故現場跡を目の当たりにしたこともあって、はっきりと記憶に残っている。

新聞報道によると
遺族が原告となり、「記者会見で虚偽の発表を強制されたのが自殺の原因」との主張で被告・「旧動燃」に損害賠償を訴えた裁判で、東京地裁は請求を棄却した。

当時自殺の第一報を耳にした時に、ぼくは「100%動燃上層部の虚偽報告強制によるものだ」と思った。
棄却の理由は「関係者の証言にうその強制がない。あるいは遺書にも批判や不満の記述がない」とあった。
けれども、身を捨てる覚悟での内部告発がない限り、虚偽強制を肯定する関係者証言の収集はむつかしいだろうし、異常な状況下で遺書に相対する本人が、批判の思いと雇い主としての動燃に対する日頃の感謝の念が錯綜し結局は何も書けなかった」という事態も想定できる。

物的証拠・状況証拠がないままでの請求棄却は「疑わしきは罰せず」という現行法理念に照らす限り妥当なのかもしれないが、灰色の棄却だという思いは残る。
原告は「控訴して戦う」と言っているが、仮にぼくが遺族であったとしてもそうするだろう。

07/05/14 (月) 写真日記

昨日の日曜日は快晴だった。
「こういう日こそ外へ出なければ」と思い、午前中はシャトルバスに乗って「創作の森・クラフトマーケット」へ。
沢山のテントが並び人出も多かった。どうもあわら市外の人が多いように感じられた。
池のほとりにつくられたモニュメントが面白かった。


午後は自宅近くの総持寺へ。
真言密教の儀式「火渡り」を体験した。「世界平和・家内安全・無病息災・あわら市民融和」を祈念しつつ渡った。しかし足の裏はやっぱり熱かった。


↑山伏は文字通り山に伏す人たちなのだから、日本列島の平野部に普及定着した稲作社会の対極にいた人たちといえるだろう。
八幡神社で「無縁の碑」を前に、郷土史の先生から、「無縁とは、六部僧・遊女・サンカなど列島をさすらった民を指す」との解説を受けたことがある。とすれば、縁無き衆生の縁の対象は、現世というよりむしろ定着農民層であったような気がする。

ほら貝を吹く山伏、滝に打たれる山伏、険しい山道を走りぬける山伏・・。
ぼくも又そういう荒行苦行のなかに身を置き、自らを鍛え直す時期にきているのではないか、と思った。

07/05/13 (日) 野球のこと

阪神タイガースが9連敗のあと3連勝した。
7連敗した時点で、「今年のセントラルリーグは終った。負け続けるがよかろう。岡田監督は来期に備えるべきだ。ぼくはもう実況中継を観ない」と、ココロに決めたのだが、タイガースはねばり腰で蘇りつつある。少なくともこれから6連勝しなければならないのだが・・。
ところで、TVでみる岡田の顔が変わってきたような気がする。「球界の藤山寛美」と呼ばれたあの顔が少ししまってきた。監督として修羅場に立ち、苦悩の末に決断する日々がそうさせたのだろう。

記憶で言うのだが、
30数年前、春季甲子園高校野球大会にあの江川卓がデビューした時の初戦相手は大坂・北陽高校だった。そして岡田は北陽の五番打者だった。初回から確か6者連続三振をなしとげ、岡田も勿論三振したのだが、彼が初めてバットをボールにあてることができた。ファールではあったのだが・・。

月日が流れ、日米大学野球対抗戦が福井県営球場で開かれ、ぼくはみに行った。
早稲田の学生だった岡田が日本選抜チームの4番にいすわり、相手チームの主戦はハワイアン=デレク・タツノだったと思う。接戦だったが、日本選抜チームが勝ったはずだ。

男の魅力は何といっても顔にある。均整のとれた顔には魅力がないが、喜びや悲しみや苦しみがにじみ出ている顔には魅力がある。

 07/05/12 (土) 昨日の一日

昨日の午前中は、福祉関係のNPO法人理事からいろんな話を聞かされていた。
「福祉」は、人が人らしく生きるための基本を保障することに他ならないと思うが、国の財政難のなかで補助行政に一定の限界が見えてきている。

行政関連用語として「福祉」とか「NPO」が喧伝されるのが今日の社会だけれども、その精神は時代を超えてあったはずだ。
はやい話「結(ゆい)」がそうで、助け合いつまり労働奉仕が地域に根づいていた頃は人間関係が濃密で助け合うお互いの顔がはっきりと見えていた。見えていたからこそ助け合いの作業が理にかなっていたはずだ。そしてそれを根っこで支えていたのが家父長的家族制度だったと思う。

我々団塊の世代は、濃淡の差はあっても家父長制を遠ざけ個を優先させる社会意識のなかで育ってきた。けれども、親となった今、半生を振り返ると、「これでよかったのだろうか?」という疑念がところどころで生じる。あるいは次世代から批判される(妻は次世代に属する)。
○夕刻、水平線に落ちる夕陽が無性に見たくなり、加賀の海へと車を走らせた。松林を通り抜け海辺にたどり着いた時、夕陽はまさに沈もうとしていた。
西方浄土が見えた。


07/05/11 (金) アイス珈琲を飲みながら

昨日の昼、市外特養施設に知人を訪ねた。施設内を案内していただいた時紹介された職員にはあわら市内在住のひとが多かった。

いろいろ話をしていて
今回の市長選挙の結果として、行政や議会に対する関心が高まっていることを強く感じた。例えば議会のことでは、次回日程の詳細を早く広範に知らせて欲しいとか、傍聴に関することなどなど。

インターネット利用だと、あわら市HP⇒あわら市議会で開催予定を検索することができる。議会内容についてはケーブルTVでの傍聴が可能だ。ただし、委員会中心主義をとっているのにもかかわらずその場にカメラが入っていないのは片手落ちの感もする。今からの課題だろう。ケーブルTV放映は時刻限定の録画なので、何時でも見ることのできるインターネット配信にすべきだという議員の声もある。
それと、委員会傍聴可能が意外に知られていないようだ。

紙の配布としては、「議会だより」がある。広報編集委員をしていながらこんなこと言うのはおかしいのかもしれないが、整理整頓されたものが活字となるので、どうしても臨場感に欠ける。

皆さんお知り合いの議員諸氏にいろんなことを聞くあるいは要望するのも選択肢のひとつだろう。

07/05/10 (木) 表紙の色替えはこれで終わりです

昨晩は、事務所に有志議員が集まって勉強会が開かれた。講師となった某議員がレジュメを配布し、あわら市の財政状況についての喧々諤々を重ねた。指数の詳細をみる限り、前途は大丈夫である。レジュメのPDFは後日「報告」にUPするが、いずれにしろ、我々有志議員も又、日々理論構築を重ねている。

何人かの知人達も集まり、勉強会終了後は、PC⇒プロジェクター⇒スクリーンの映像を楽しむ場となった。ビール・焼酎・ワイン等のお酒も入り和気藹々となった。宴(うたげ)となっていった。

ぼくは、いつの間にかソファーに寝転び眠りに陥った。熟睡した。
本日早朝に目が覚めると毛布がかけられ、ソファーテーブルがすっかり片付いている。宴のあとが夢のようだ。参加した女性達がきれいに片付けてくださったのだ。

男女共同参画社会が喧伝される昨今だが、男性はまだまだ駄目だ。女性達に甘えている。
次の宴の折は、ぼく達男性が台所仕事及びあとかたづけをしようではありませんか。


07/05/09 (水) 昔のこと

「スナップショット掲示板」で、いるかさんが書かれていた<可愛がっていたペットとの別れ>を読んで思い出したことがある。

東京オリンピックが開催された年で、ぼくは高校一年生だった。
朝起きて納屋に行くと、死んだじいさんが、我が家の飼い猫(当時はペットという言葉はなかった)の横たわり痙攣する姿をじっと見ている。
「猫イラズを食べてその毒にあてられてしもうたんや。危ないかもしれん」と言う。
気になりながらもその足で登校した。

四限目・午前中最後の授業で課目は世界史だった。日本史は好きでも世界史はその複雑さが嫌で興味もなく、ぼおおっと窓外を眺めていた(ぼくは窓際生徒だった)。
12時ちょっと前、窓外から「ニャアー・・」という声が聞こえた。三度繰り返して聞こえた。

下校すると、飼い猫は死んでいた。死んだじいさんに断末魔の時刻を聞くと、「午前11時54分」という答えが返ってきて、ぼくは思わず身震いした。
ぼくの半生で経験した「三大不思議」のひとつである。

猫の死骸とスコップを持って裏山へと歩くじいさんのあとをとぼとぼとついていった。
松の木の根元に死骸を埋めたあと、じいさんと一緒に「なんまいだ」と手を合わせた。

しばらくするとぼくも冥界に旅立つだろうが、死んだじいさんとはその時の心境について語り合いたい、と思っている。


07/05/08 (火)
 昨晩は会議だったので今朝の起床時は夜が明けていた

連休明けだったせいか、昨日の私の事務所には日中ほぼ誰かがいた。
つまり来訪客が多かったのだけれども、そのなかのおひとり・某男性が、今回の選挙に関する諸々のCD加工したものを朝一番に持ってきなさった。
次の来訪者・某女性とともにそのCDを観たのだが、これはもう「作品」と言っていいような出来栄えで感心した。
上述の人に限らず、人は隠れた才能を持っている。

私のお袋は典型的な庶民で、紅顔の美少年であった幼少の私にワンパターンでいつも言い聞かせていた言葉が
①巧言令色少仁
②能ある鷹は爪隠す
③人の一生は 重い荷物を背負うて 歩むが如し  の三つだった。
能といえば算盤二級だけの私に隠すものは何も無いけれども、一般的にいって①②③の警句には含蓄があると思う。

・人と会っていて隠れた才能を垣間見るのは面白い。
・「私にゃなんの才能もない」とぶつくさ言う人のそういう自然体が実は天賦の才能であるなあと納得するのも面白い。
・「オヌシできるな・・」との印象抱かせながら、その実、そうでもないことに気がつくのも面白い。
・第一印象が付き合うにしたがって裏切られていく人というのも面白い(こういう人をしゃばではスルメのような人という⇒かめばかむ程味が出る。なお反対の人をチューインガムのような人という⇒かめばかむ程味が無くなる。)

選挙で、旧金津・旧芦原両町のいろんな人と知り合ったが、知り合ったことがもしかしたら私にとっての一番大きな財産となったのかもしれない。


07/05/07 (月) 肌寒い朝

昨日は一日中小雨模様だった。
午前中は知人のお見舞いのために病院へ出かけ、午後は事務所に逼塞した。

連休最後の日だし少しくらい構わないだろうと思い、焼酎を口にした。
窓外に隣区・下八日区にある大鳥神社の大銀杏が見える。
縄文の頃から存在する大銀杏の木だ。歴史を生の目で鳥瞰し続けてきたあの木に、私達人類はどう映ってきたのだろうか。

というようなことをソファに寝転びながら考えているうちにまどろんだ。
そして、をみた。


07/05/06 (日) 雨の日曜日

昨日の午前中は畑のまわりの草刈にいそしんだ。夏が近づいてきているせいか、雑草の背丈が随分高くなっていた。最近は所用に追われてこういう作業をする時間がなかなかとれないけれども、土に触れているとほっとする。命のエキスを与えてくれるような気がする。
例えば1階床を土のままにしておいてそこに筵を敷いて居住するというのも健康住宅なのだと思う。

CADにいそしんでいた夕刻、「2校を守る会」の代表・K先生来訪。
熱々珈琲「ブルーマウンテイン」を飲みながら、今回の選挙のさなかに感じたこと、これからの方針についてのエトセトラを語ってくださった。
(みんなというのでもないだろうけれども)元教師のひとというのは、ぼくら議員のように面の皮が厚くなく猥雑でもなく、一心に純粋なんだなあ、と思った。

晩酌時、TVはプロ野球速報を伝えていた。
阪神タイガースはデイゲームで広島カープに0対2の完封負け。これで7連敗だ。
3連敗4連敗の頃は大変に悔しかったが、7連敗ともなると悔しさは失せる。
「負けろ、負けろ。負け続けることが大切なのだ。失うものが何も無くなった時裸一貫になった時、強さが蘇るのだ」と、素直に思えてくる。
これは野球に限ったことではなくて、人間もそうだ。
挫折を経験したひとこそが魅力もあるし尊敬もできる、とぼくは思うのである。
○本日、坂井市丸岡町でみかけた苗を植えたばかりの田んぼ。

苗がカーブラインを描いており、飛騨で見た車田を思い出してしまった。

感動して道路からその田を見つめるぼくの脇を、熟女と少女が通り過ぎていった。


07/05/05 (土) 表紙の色をいじっていたら昔の色に戻ってしまった

議会事務局に、各議員宛の通知を時々とりに出向く。
昨日出向いたら、私の棚に入っている通知の幾つかが「教育厚生常任委員長」宛となっていた。
私は副委員長であり、間違いではないかと初めは思った。しかし、よく考えたら、委員長は議員を辞職して市長になった。よって委員長不在なのである。
委員長の代理として幾つかの会合に顔を出すことになる。

しかし、しばらくの間だ。
次の議会定例会は6月であり、別名組織議会とも呼ばれている。つまりこの時点で議長・副議長・各委員会委員及び委員長・副委員長等の入れ替えがあるので、それまでの期間だ

07/05/03 (木) 連休のさなかに

「遠方の友」の推挙で、パソコンにウエブカメラを取り付けた。無料ソフトをダウンロードしビデオチャットをしばらくの間楽しんだ。目の前に相手がいるような気分になる。要するに無料のTV電話なのである。
こういうことが手軽にできる時代になったことが信じられない。

昨夕、友人の聴力障害者が来訪し四方山手話をして帰っていった。四方山手話というのはつまり手話で四方山話をすることだ。そして手話と顔の表情は切っても切り離せない。
聴障者にとっては表情と手話のみえるビデオチャットは重宝なものとなるはずだ。
勿論、カメラの値段(画素数で決まる)によってその効果は相対化されるけれども、今までに電話よりもファクシミリ、携帯音声よりも携帯メールに需要度があったようにテレビチャットは聴障者の間で必需品として普及していくだろう。
(注 昼の手話サークルが始まりました。興味のある方は、あわら市社協73-2253まで)

健聴者・聴障者の知人の皆さん。ウェブカメラ(¥数千円)を持っておられたら買われたら是非ご連絡を。ビデオチャットを楽しみましょう。
○最近、近場でいろんなことを見て、ひとが生きるってどういうことなんだろう、とつくづく思っています。

07/05/02 (水) 最近、「スナップショット掲示板」が盛況です

昨晩の食卓で久し振りに妻と飲んだ。
焼酎絶ちを決意したぼくは缶ビールを飲みながら焼き鰈を食べながらやや興奮気味に「構造設計業界」の話をした。

姉歯建築士は巧に構造計算書を偽造し、それで出来上がったマンションの買主達に二重払いというアンビリーバブルな生活上の困難を強制し、あるいは全国のひとたちを多大の不安に陥れた。
その後なんとかかんとかかんとかなんとかという更に悪質な(とマスコミによって喧伝された)構造屋が登場し何が何だか訳のわからない状態になってしまった。
この状態をラテン語で「カオス」と呼ぶ。

自民党や公明党の業界癒着者と思われる国会議員たちが名指しで主にインターネットで叩かれたあと、政府は重い腰をあげ「民間確認許可団体」や「構造設計業界」に対する法的規制を強化した。このことに異存はないのだが、強化が「構造性能評価制度」の改変強化といった構造設計業に携わるひとたちの金銭的負担を大幅に増加させたことに対して、ぼくは大変に腹がたつ。いずれ特定行政庁に出向いて、しこたま文句を言ってこようと思っているのだが、姉歯+エトセトラは例外中の例外なのである。
全国津々浦々の零細構造設計士たちの基本は良心的であり、「霞を食ってでも国民に安全と安心を供与したい」と思っているひとたちが多いのである。
世界最古の木造建築物・法隆寺をつくった「にっぽんのたくみたち」を祖先に持つ我々の殆どは、その名を汚すまいと日夜努力していいる。
○聴いて、久し振りにげらげら笑った猥談をひとつ。
最近のはやり言葉に,
「メタボリック・シンドローム」がある。
ウエストの大きいのもその典型だが
あそこの大きいのは、「メタボリック・チンドローム」と巷で囁かれているそうである。


07/05/01 (火)大和は国のまほろば たたなづく 青垣 山こもれる 大和しうるはし

190名が参加した昨日の「蓮如の里 ふるさとを歩く会」は、金津小学校グラウンドを起点、吉崎・御山を終点とするウオーキングであり、幾つかの旧跡で係員や郷土史家がその場所の歴史的由来を説明するという企画だった。係員から「旧金津町時代から40年間続いていますよ」と言われ、びっくりした。

大型連休のこの季節、県外あるいは海外へ雄飛するひとたちも多いだろう。しかしその為の金銭的支出不可能なひとたちも、地元で旅をすることができる。
空間的というよりもむしろ時間的な旅をすることができる。
空間移動と違って時間移動はただであり万民に与えられた権利だ。
地元の歴史を偲ぶことは、確かに一服の清涼剤を飲むことだと思う。

農道を歩けば両脇の田んぼが目に付く。
田植えの始まりつつあるこの季節は田んぼが一番美しい季節でもある。
伊能忠敬の偉業を書いた「四千万歩の男」のなかで、著者・井上ひさしは、江戸期の日本の世界に誇ることのできる水位計測技術の高さが、満面と水の貼られた水田の一面に広がる光景をつくりあげたと言っていた。
農本主義者の私は、美田こそが日本の心だと思うのである。