2007年06月


 07/06/30 (土) アンニュイの朝

昨日の午前中は、某児童福祉施設の運営協議会に出席。午後は「あわら市社明運動実施委員会」に出席した。
委員会終了後、ビデオが上映された。保護司の活動記録ビデオである。

プライバシーに関わることなので詳述はできないが、現在、その方面に関する相談を受けており、ビデオ映像をかなりリアリテイのあるものとして眺めていた。


夕刻、降雨が激しくなった。昨年夏の豪雨を思い出して市庁舎・総務課へ電話。
「山間部の降雨は多いけれども、平野部は沈静です」という答えだった。


夜の来訪者は二人。外は小雨が降り続いている。
話題はあわら市の抱える問題から、人物の話へと移っていった。
こういうのを源氏物語では「雨夜の品定め」と呼んだのではないだろうか。

07/06/29 (金) 小雨降る朝

平成19年上半期も明日で終る。
正月はついこの間だったような気がするのになあ。
日々なんやかんやが泡のように浮かんでは消え記憶の彼方に流されていく。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。」なのである。


生理学者に拠ると、時間の経過は歳を経るに従って短く感じられるようになるそうだ。思うに、年寄るということは、意識的か無意識的かは別として「死」を現実のものとして捕らえるようになるからではないか。

栄華を極めた太閤秀吉でさえ辞世の句は
つゆとおち つゆときへにし わがみかな
        なにはのことも  ゆめの又ゆめ.  なのである


社会人として諸々の衣をまとい立場立場で振舞っているひとたちも、裸になればせいぜいがメタボであるかないかくらいの差があるだけで基本はみな同じのはず。
いわば「人間の素(す)」として顕われた部分が「庶民」だと、わしは思う。

07/06/28 (木) 「アカシアの雨が止む時」を聴きながら

昨日の午後2時から、「ふるさとの川 竹田川をきれいにする会総会」が開かれた。
金津の津が河戸を意味すると思っているぼくは、この川のかってのような親水空間の復活に向けての可能性を考えることがよくある。
それで、総会終了後に、来賓として出席していた三国土木事務所所長といろいろ話をした。話を聞いた。


洗面器と魚採り網を持ったぼくはその足で竹田川に行き、河畔に降り立った。
目標のメダカは見当たらないし鮒鯉の影も無い。諦めず今度は細呂木地区の用水溝へと車を走らせた。メダカはいなかったが、川海老数匹を捕まえることができた。


 07/06/26 (火) 無題 

きのうが広報編集委員会原稿締切の日だったので、昨晩はそれに当てる予定だった。
けれども来客が沢山あり、結局それはかなわなかった。(注 事務所への来訪客が多いのは、手動ミルで轢く豆砕熱々珈琲の高級感を味わいたいためだということが、最近やっとわかってきた)。
かなわなかったので、本日未明から原稿作製に専念した。午前9時に原稿作製を完了し、議会事務局に添付メールを送信した。
その後は引越しの手伝いだ。
2tトラックで某さん宅に出向いた。部屋中央に置いてあったソファを「もう要らない」と言う。「もらっていいか?」と問うと、「破れているけど構わないのならどうぞ」との答えが返ってきた。ソファ・コレクションが又ひとつ増えた。
家族が手術をするので某病院に出向いた時、偶然だけれども耐震診断をてがけている旧同僚に出遭った。日頃ぼくが思っていることを聴いた。新しい知識も入ったが、おおむね同意見であることを確認した。
研鑽し、議会のなかで生かしていこうと、改めて思った。

07/06/25 (月) 議会運営委員会

本日の午前中は、議会運営委員会が開かれた。議運は来たる7月2日に予定されている臨時議会のためのものである。
市長提出議案も一件あるけれども、基本は組織議会だ。
議運に出たのが二度目という新参者の私にはよくわからないところがあり、もっぱら質問者でした。

いずれにせよ7月2日に今議会後半二年間の議会体制が決まりスタートする。

07/06/24 (日) 日曜日だけど本日は原稿づくり

おはようございます。

昨晩は、数人で焼鳥を食べに行ってきました。久し振りの外食で、お湯割り焼酎おかわりごとにココロが軽くなり日頃は出ない冗談も出て、うん、忙しさにかまけての事務所閉じこもりではあかんなあ、と思いました。
忙中閑ありとは、「忙のなかに閑がある」ではなくて「忙のなかで閑をつくる」ということだろうと、思いますね。
↓先日芦原中学校で行われた、手話体験のひとこま。

07/06/23 (土) 肌寒い朝

どうやら梅雨に入ったらしい。昨日は終日小雨模様だったし、夜明けの今、窓外を見遣れば曇天だ。
本日は午前9時半から「JA花咲 食のまつり」が、トリムパークかなづに於いて開かれる。
そのあとは、小規模多機能型居宅介護施設の竣工式だ。

週末も、何かと忙しくなりそうです。

↓トリムパークかなづ近くで見た紫陽花

里帰りした東京在住の妹を乗せて「食のまつり」に行った際に見た風景だ。
妹は「関東地方はから梅雨が続いてる。それで紫陽花に生気がない。すぐ枯れてしまう。まるで私のようだわ」と、言う。・・・そうだろうか。


↓小規模多機能型居宅介護施設・聖徳園竣工式風景

07/06/22 (金) 未明に愁雨

昨日は、午前午後と別々のひとの見舞いに病院へ行った。
午後の見舞いからの帰りがてら、喫茶店に寄った。喫茶店に行くというのは何ヶ月ぶりだったろうか。昔は毎日一度は行ったものだ。

洗いざらしのブルージーンズの尻ポケットに文庫本を押し込んでひとり行くのがぼくのスタイルだった。目の前に熱々珈琲があり蓄音機からBGMが流れていればそれだけで至福の世界に入り込むことができた。

あれから幾星霜。
この性格では無理だろうと思っていた結婚も、奇特なひとが現れてした。子供もでき日常がせわしなくなるに連れて、足は喫茶店から遠のいた。

という個人的なことは差し置いても、社会風俗のなかで喫茶店の占める位置は小さくなったような気がする。

07/06/21 (木) ちょっと鬱

人間は、歳をとるに従って体力が低下する。メタボではないとしても、生活習慣病のきざしをどこかに持つようになる。認知症と言われなくても、記憶力や注意力に??が出てくる。
悲しいことだけれども、神は人間をそのようなものとして創造した。

しかし、若い頃に持っていた感性の鋭角的な部分をヤスリで削ったり若いときに持っていた死への恐怖感をぼんやりとしたものに交代させることが、いわば熟年としてあるいは老人として生きる道を開けさせているとも思うのである。

ナントカという小説家が書いた「鈍感力」という本が売れているそうだ。読んでいる暇の無いぼくはタイトルだけで想像するしかないが、中身はそういうことなのだろう、と思う。
○昨晩の飲み会で同席した友人がきょうの夕刻に来訪。
「昨晩、まきちゃんはあれだけ気持ちよさそうにべらべらとしゃべっていて、なんで鬱なんや?」と言う。

ぼくは思うのだが、ココロの表現はなかなかに複雑で、それが人間の人間たる所以じゃないだろうか。
嬉しい時、嬉しさをかみ殺すためにわざと仏頂面をすることもあれば、悲しみをさとられまいとしてにこやかな笑いを維持することも人間には往々にしてある。
腹の底に沈殿している悲しさと嬉しさの顕在化はひとによって順接であったり逆説であったりするのだろう。

07/06/20 (水) ぼくがはたちだった頃

午前4時前だというのに外は既に白み始めている。夏至が近い。

ラジオからは、はしだのりひことシューベルツの「花嫁」が流れている。
60年代フォークソング全盛の頃に流行った歌だが、当時20歳前後だったぼくはしかし同じシューベルツの「風」のほうが好きだった。

ザルツブルグ音楽院をめざし薄暗い4畳半下宿で夜な夜なシューベルトの音楽理論研究書に読みふけっていた頃、深夜ラジオからキャスター・笑福亭仁鶴の「けっこう毛だらけ猫灰だらけお口のまわりは髭だらけ」のキャッチフレーズに続いて突然この「風」が流れた時がぼくのエポックだった。

愛用のピアノを売って、ブランド品ではないけれどもガットギターを買った。
真夜中の公園で、コード弾き語りを一生懸命練習した。初心者として千賀かほる・「真夜中のギター」習得から出発し、約3ヶ月の練習でこの唄はぼくの持ち歌となった。

請われて、いろんな人の前で唄った。女性たちはいつもうっとりとしていた。ぼくにではなくぼくの声量にうっとりとしていた。思い起こせば涙を流す少女もいた。

過去を語るのは恥ずかしいことだからもうよそう。
でも
歌詞・「♪ひとは誰も ただひとり 旅にでーるー・・・・そこにーは ただ風が 吹いているだけー・・」には
人生の未知への可能性と挫折と虚しさがある。少なくともぼくはそう思う。

07/06/19 (火) 昨晩はポケットウイスキーを飲んでいた



今朝は起床後、花に水遣りをした。花は人間と違って無口だしいやらしくないから好きだ。
さて
昨日で定例議会は終了。資料は徐々にUPしていきたいと、思います。
間髪をいれず、というか二週間後の7月2日には臨時議会がある。

議員任期の前半=二年間が経過した。
今度の議会は後半二年間の組織を入れ替えるためのもので、別名組織議会とも呼ばれている。新しい議長・副議長が選ばれ委員会のメンバーが交代し、それぞれの委員長・副委員長が交代する。
先ずは議長選が焦点だろうが、わしのみたところ、何人かが食指を動かすのではないかと思われる。
そして「A議員は人格者だけど識見がなあ」とか「B議員は識見豊かでも人格がなあ」とか「C議員は言動が不一致なのではないかなあ」とか
月並みな言い方しかできないが、あわら市を愛し、無私の精神を維持し、策におぼれず、行動が沈着でいってみれば宮沢賢治の詩・「雨にも負けず」に出てくるようなひとに一票を投じたいと、思っている

 07/06/17 (日)  未明に 熱々珈琲を飲みながら

本日は、「風谷峠」を歩く日となっている。未経験なので是非とも歩きたいと思っていたのだけれども所用がいろいろと重なって行けそうにもない。残念だが仕方ない。


このところ、「早く議員を辞めてや」と複数のひとから言われ、そのことで考えこんでいる。
そのひとたちは基本的にはぼくを支持してくれる人たちなのだけれども、要は「又、昔のようにいろんなことを一緒にやろうや」というメッセージだ。

夭折した寺山修司は生きていた時、「生きるということは本来持っていた可能性のひとつひとつを消しゴムで消していくことだ」とエッセイに書いていた。
確かに分業社会は固定の役割の選択を強制するし、選択することで選択できなかった道への後ろ髪ひかれが始まる。
これを払拭する手立ては、「仕事なんて仕事でしかない」と認識し仕事の垣根を越えた交わりにせいをだすことなのではないか、と思う。

再来年に還暦を迎える私は、ひとから「人間が練れてきた」とよく言われる(自分では思わないが)。
半生を振り返ってみると
20代・30代の頃は、恋愛相談が多かった。
40代の頃は、子育て相談が多かった。
50代前半の頃は、仕事場人間関係についての相談が多かった
50代後半の今は、病老死および人類愛についての相談が多い。

07/06/16 (土) 昨日の一日

市長選挙の時の黄色組のメンバーを中心とした電話が何件か入り、6月議会での進捗状況を聞かれ、疲れた夕刻、ぼくは軽自動車に乗って塩屋の海岸を目指した。
大聖寺川河口は波高く、釣り人達も手持ち無沙汰だった。



帰途、北潟湖を見遣れば上空は茜雲だ。ぼくはなんだかほっとした気分になった。

07/06/13 (水)  昨日の一日

昨日の午前中は、頼まれた建物の定期調査。途中、携帯コールが入ったので、「オープンシステム」をやっている友人の事務所に行った。
午後は産業建設常任委員会を傍聴し、午後4時に帰宅。

自宅の洗濯竿の位置を調整したり精米を運んだりしてなんとなくあわただしい気分だった。
夕刻、自宅裏の竹田川河畔に出た。あおむけに寝転んだ。
上空に白い雲が流れている。
昔、「ノンちゃん雲に乗る」という映画があった。松嶋トモ子や徳川夢声が出ていたのではなかったか、と思う。
昔、梶光男の「青春の城下町」が流行った。出だしは「♪流れるくーもよ しろやまにー・・」だった。若かった時、アルバイト先の某歌謡番組楽屋裏でこのひとと話し合ったことがある。お互いがお互いを好漢だと感じたはずだ。

夕刻はTVニュースをサカナに焼酎晩酌。晩酌を終えてから熱々白米にとろろ昆布を乗せて食べた。うまい。
子供の頃の好物おかずは、皿の中のとろろ昆布に少量の熱い湯を注ぎ醤油をかけたものだった。粗食か美食かは自己判断によるのである。

E気持ちになったところで布団に入り熟睡。

 07/06/12 (火) もうすぐ入梅なのか

昨日は、特別行政庁の建築確認申請行政指導技術者と話をしていた。

今、建築確認申請の取り扱いが大変に厳しくなろうとしている。厳しくなるのは構わないのだが設計技術者のカンなどが否定され、何もかもが数値のみで計られるようになるのは窮屈だ。
姉歯が構造設計の偽装をしたことによる結果の措置だろうが、その社会的影響は大きい。
姉歯のような偽装家は極めて稀であり、私達技術者は本来無口で朴訥で社会に対して誠意を持っているひとがほとんどであるはずなのに、社会の眼は大きく変わった(と思う)。

うまく言えないが
ひととひとの付き合いに喜怒哀楽が等身大で反映されることが社会生活を営むことであり、その限りでは日本のような仏教国の土台は性善説だった。しかし、乾いた動機での犯罪が跋扈する昨今、時代精神は性悪説に傾いていく。うっとうしい社会が到来しつつある。

曽野綾子が「この嫌な世の中からはやくおさらばできる特権を年寄りはもっている」と、何かの雑誌に書いていたが、必ずしもアイロニーではない、と私は思う。

07/06/11 (月) 

所用が多く時間に追われる生活ではあるけれども、「まあ偶にはいいか」と、刈安山からブナの森までを歩いた昨日の日曜日。
林道から雨上がりの下界を見渡せば遠くの湖や町の家並がモヤに霞んで水墨画を眺めているような幻想気分になる。

森の中でふるまわれた手打ちおろし蕎麦四杯に舌鼓を打ちながらあたりを見回した時、見たことの無い草花が目に入った。


識者(Hさん・推定年齢58歳)に聞くと、その草花の名は「白糸草」だと言う。

特にこの季節、森は豊かだ。神秘的だ。
豊かな自然に身を置くと魂は浄化する。
日頃悩んでいることがとっても小さいことのように思えてくる。

将来は、樹上生活者になりたい、とぼくは思った。


07/06/06 (水) とりとめもないこと

本日の明け方にある「事件」が起こった。ぼくは記者レポーターではないしあるいはプライバシーに関わることでもあるので内容は書かない。しかし考えさせられる「事件」であったので、そのことを考えているうちに時だけが過ぎていった。
昼飯を終えてこの書込みをしているのだけれども、読んでいなさる皆さんは「なんのこっちゃ」と思うのが当然だろう。しかし、そういうことである。
○閑話休題
・昨晩来訪の女性と、三国の俳人=森田愛子・小浜の歌人=山川登美子についての話をしているうちに時間がどんどん過ぎていった。森田愛子のことについては「とんぼ」さんがゆかりの地を訪ねて詳しく調べていらっしゃるが、文(ふみ)で名を成すひとにはどうも夭折のひとが多いような気がする。
・とまあ文学や芸術といった自分には不似合いのことを考えているうちに思い出したことがある。
「掲示板の書込みが少なくなって寂しいね」と回りのひとから言われる昨今だけれども、実は知らないひとからのメールがちょくちょく入ってくる。そして本日は「創作の森」についてのメールが入ってきた。例のオブジェについての疑問である。批判である。
一度係員からじっくり話を聞きたい、と思う。
・芦原中で手話講義をする予定のひとがそのことで事務所に来訪していた昼下がりに、2人の市職員が来訪。
既に新聞記事となっている某産廃施設からの少量油流出についての経過説明を聴いた。日頃新聞を読まない自分自身を反省すると共に、疑問点を精査して報告しなければ、と思っています。

07/06/05 (火) 深夜の静寂のなかで

天安門事件18周年の4日、香港の民主派市民団体主催の恒例の追悼集会が香港島中心部のビクトリア公園で開かれ、主催者発表で昨年を1万1000人上回る5万5000人の市民がろうそくを手に事件の犠牲者を悼んだ。
 
香港では1989年の事件当日、市民100万人が街頭に出て抗議の意思を示したとされるが、集会参加者はここ数年、減少傾向にあった。今回、参加者が増えた背景には、親中派の最大政党幹部が先月、「天安門事件は虐殺ではなかった」などと発言し、市民の間に反発が広がったことがあるとみられる。 集会では、中国当局が「暴乱」と位置づける事件の再評価や、中国国内で拘束されている民主活動家の釈放などを求めてシュプレヒコールを上げた..>06/05 YOMIURI ONLINE
天安門事件からもう18年が経った。ぼくはこの事件を事件そのものよりも、事件について書いたリービ英雄の著作で強く印象付けられているが、当時の最高権力者・鄧小平は既にこの世には居ない。

18年前といえばぼくは40歳。世は昭和から平成に変わった頃だ。TV画面で新しい年号「平成」の揮毫された文字を高々と挙げていた小渕官房長官も又旅立った。

宮本輝が彼のエッセイで、「人生は永遠のなかの一瞬だ」と書いているが、現世に名を残したひとも名もなく生きたひとも、「振り返ればあっという間の人生だったなあ」という思いが頭を最後によぎるということなのだろう。

↓北潟湖から臨む昨日の夕陽を、ひとり寂しく見つめていた

07/06/04 (月) 昨日の日曜日

昨日の日曜日。起床し所用を終えてから、伊井さつきまつりに出かけた。



かなりはやめに行ったので会場はまだ閑散としていたが、地元の知人二人に呼び止められて、実に長い時間、中学校問題について話し合った。
「選挙に於いて自分たちは統合止む無しの感があったが、財政的に可能ならば勿論二中維持がよい。議会は拙速を避け、議員どおし十分に話し合って後顧の憂いの無いようにしてほしい。付け加えるならば、伊井小学校は絶対に維持しなあかんよ。それが伊井地区住民の総意や」と言われた。

07/05/03日記に、記したけれども
青木茂夫著・「越前福井に寄す」で、伊井地区のことがいろいろ書かれている。
何人かに聞いてみたが、地元のひとにはその本の存在があまり知られていないみたいだ。それがおとましい。


07/06/03 (日) 昨日の土曜日

普段の土曜日はひとり静かにCADを動かしているのだけれども、昨日の朝は千客万来でありました。どちらかというと、議会ミニ中間報告という感じだったかな。

客人達が帰ったあとは急いでCADを仕上げ、インターネット送信。
熱々珈琲を飲み煙草を一服吸ったあと、自宅で精米作業ににとりかかった。割りにゆったりした仕事なので
「玄米を白米にするのだから玄白だ。杉田玄白の名はここからきているのだろうか」と実にくだらないことを考えながら精米作業を終えた。

事務所に戻りソファに寝転んだら急にメダカを捕りたくなった。
ザルを車のトランクに詰め友人親子を誘って細呂木地区の小川へ行ったのだが、すばしこいメダカは捕れず成果は川海老一匹・おたまじゃくし一匹だけだった。
夕刻になったのでその足で波松の海岸へ。
浜辺に座り、釣り人たちの竿を下げる様をのんびりと見つめていた。
○この日記の整理をしていた時、三年程前、手なぐさみに書いた美文調の詩がでてきた。
金津中学校時代の思い出を綴ったものですが、暇な方はご高覧ください。

04/12/11
「牧田少年の日々」

嗚呼紅顔の 少年の 
冬のその日の 思ひ出が
走馬の如く 蘇る

貧しかりしも あの頃は
山紫水明に いだかれて
自由気侭が 友たりし

雪降りしきる 冬の日の
木造校舎の 教室に
赤々燃える 炭火鉢

隅に置きたる 弁当の
唾飲みながら 口にする
梅干煮干 たくわんは 
おふくろの味 つまりしき

夕闇せまる 放課後の
ほの暗かりし 階段に
すれ違ひたる おとめごの

恥じらふ頬の 紅潮を
恥じらふまなこの 激しさを
光源氏の あざなもつ
我は久遠に 忘るまじ

 07/06/01 (金) 6月議会初日

当たり前のことだけれども、ぼくたちは重層的に生きている。公的にも私的にも生きている。市税・国税を収めることによって市民としての国民としての思いを発信する権利を持っており、意識するしないは別としてその限りでは政治的だ。だけれども政治が人間の幸せ不幸せを決定する絶対的な要因かというと勿論そうではない。
私状況つまり配偶者とか親とか子とか友人とかとの関係性のなかで上述の思いが相対化される。昨日ぼくは自分の子供と話をしていてそれを強く感じた。
それでは公と私が縁切りでいいかというとそうではなくて縁は有機的に結合されるべきだと思うのだ。
本日は6月議会初日。
冒頭で新市長による所信表明がある。耳を凝らしてじっくり聴こうと思っている。
○夕刻家路を車で急ぐ時、車道になにやら白いものとその場できょろきょろしている三毛猫を見た。通りすぎる時に白いものが猫の轢死体であることがわかった。
人間と違って救急車を呼ぶこともできず手をこまねいているだけだったのだろう。
友猫の眼は悲しげにみえた