2007年07月


07/07/31 (火) 昨日の一日


昨日の午前中は、参院選掲示ポスターをはがして歩いた。
家屋外壁面・塀・樹木・田圃などを貸していただいた皆様方、どうもありがとうございました。
午後は福井県自治会館へ。「木造住宅耐震診断講習会」受講のためであり、講義は午後1時から5時までの長丁場となった。


自治会館を出て見上げれば既に夏空だ。本格的な夏が近づいている。
20数年前の夏を思い出した。
新婚数年目だった私に、当時のガールフレンドK子さんから暑中見舞い絵葉書が届いた。
カラーマジックの大きい字で「夏してますか?」と書いてある。
引き出しに残っていた未使用の官製葉書に「暑いのでしてない」と返事を書いて投函したところ、翌日に電話があった。
彼女に、「バカねえ、そういう意味じゃないのよ。夏を楽しんでますか?という意味なのよ」と、私の言語感覚の無さを指摘された。
「夏」が目的格であることを理解せず、「する」に過剰な思い入れをしたことによる誤解である。


というようなことは線引きのプロ・建築のプロの私にとってどうでもいいことであり、問題は耐震診断だ。
私は今回所属していないが、「教育厚生常任委員会」の今後の大きなテーマとして、金津中耐震診断・市内各小学校及び雲雀ケ丘寮耐震診断等が出てくる。
委員会構成メンバー・・というより議会議員は住民代表であるとしても専門分野に関しては素人ばかりである。勢い、診断結果の判定数値だけを鵜呑みにするであろう。
数値依存は勿論大切だが、より重要なのは数値を裏打ちする根拠でありもっと言えば哲学だ。
私は「教育厚生常任委員会」へ専門家を招聘しての説明委託があってもいいのじゃないかと思うのである。

07/07/30 (月) 党員ではないけれど


午前3時にあわら市庁舎から帰宅した。あわら市開票の民主・比例区立会人を委任され、開票作業終了まで携帯使用も不許可の缶詰となっていたからである。


選挙区選挙に関しては、激戦の末敗北した。候補者の心中を察するに虚しく苦しく非常に残念だ。(寄らば大樹の陰という諺の嫌いなぼくは若い頃から何度この思いを味わってきただろう)
市庁舎内で相手自民候補・松村さんの当確を耳にしてからの数時間をずっとそういう思いで過ごした。


けれどもあわら市に限定していうならば
選挙区選挙で、若泉さんが相手候補を587票上回った。
比例区選挙で、民主党は自民党を123、294票上回った。
つまり、あわら市民には若泉支持者の方が多かったということである。
自分自身のネットワークの広がりのなかで、確かにその予兆は感じていた。
急ごしらえの若泉後援会を代表し、市民の皆様のご支援に対してあつく御礼を申し上げるものであります。


更に全国を俯瞰するならば、民主党の圧勝だ。来年早々の衆院解散総選挙は不可避だろう。そこで待っているものは自民党の更なる凋落であり、政権は動く。その意味で政権に緊張維持を前提とする二大政党制が視野に入ってきたともいえる。


というようないろんな思いが渦巻くなか、時計をみればもう4時半。
いつもならば起床の時刻である。まぶたが重くなってきた。

07/07/29 (日) 全ての老若男女有権者諸君 投票所へ行こう! その四


昨日の午後八時、私は福井市のフェニックス通りにいた。
夜だというのに、着ている赤のTシャツが汗ばんでいる。街路樹の根っこに座り、独煙草ゲルベゾルテを一本とりだし、米製ジッポーで火をつけた。
肺に大きく吸い込む一服がうまい。節煙はできるけれども禁煙のできない私である。


嶺北縦貫道路を車で走っていた帰途、H氏から「雲雀ケ丘寮の夏祭りで飲んでいる」という携帯コールが入った。
寮を経由して隣区・向ケ丘地区の納涼祭へ。大きい地区の納涼祭はすごく活気がある。鉄の意志でビールを我慢しながら、友人知人と歓談した。


事務所に戻り、三人での懇談が始まった。
ビールのつまみはサザエの壷焼きである。
私の耳は貝のから 海の響きを なつかしむ  コクトー.   である。


久し振りだったので、少しのビールで酔い、今朝目が覚めると私はソファーの上だった。いつ眠ったのか全然覚えていない。
本日は投票日。午前中のうちに投票をすませた。
選挙の行方が大変気になる。
全ての老若男女有権者諸君 投票所へ行こう! 

07/07/28 (土) 全ての老若男女有権者諸君 投票所へ行こう! その三


ポステイングには、メタボリックシンドロームからの脱却という肉体的側面に於ける利点と、見知らぬ人との出会いという精神的側面に於ける利点の双方がある。


本日の某地区・早朝歩きに於いても、「二中存続派議員の牧田さんではないかえ?」と、背後から見知らぬ男性に呼び止められた。歳の頃は私と同じくらいか。


①わしは二中存続がいいと思っていたし、今も思っている。
②しかし昨年の6月議会は統合を決定した。それは財政に関する懸念であり仕方なかったのではないか。
③守る会がリコールをも視野に入れて動いたのは議会制民主主義に対する挑戦であり、おかしいぞ。
④とはいえ、前倒しの市長選で二中存続が民意であることが実証された。あの時の投票で、わしは悩みに悩んだ。
⑤ケーブルTVで今年6月の議会・一般質問を見たが、質問の数々は見苦しかったぞ。
⑥議員達はもっと紳士であるべきや。意見の交換は当然としても、もっと融和していかなあかんぞ。・・・いろいろあろうが二中存続で頑張ってくれ。


箇条書きにすると上記のようなことを言われ、その逐一にうなずき首をふりあるいは自分の思いを述べもした。

最後に、「ぼくのHP日記や掲示板に中学校問題の諸々が書かれている。なんでしたらインターネット検索で読んでください」と言った時の彼の答えは
「わしは擬似コミュニケーションは好かん。こうやって顔つきあわせての話が一番や」だった。つまり、しごく当然の答えで別れた。


費やした時間は数十分で、本当は国政のことを話したかったのだしポステイング本来の目的に照らし合わせるならば、費用対効果は不十分だったと言わざるを得ない。
しかし気分は爽やかになった。帰宅してからの朝めしがうまかった。
○↓昨晩、坂井町で開かれた参院選立候補者の坂井地区総決起集会の模様。


07/07/27 (金) 全ての老若男女有権者諸君 投票所へ行こう! その二


昭和51年のきょう、当時の現職総理・田中角栄が逮捕されている。
今太閤として颯爽と登場し日中国交回復の主役となり、教師の給料をどどおおんと上げ、日本列島改造論で土建国家の礎を築き、ある意味で天才と呼ばれたこの人も、ロッキード疑惑を立花隆によって検証され終には被告人となって失意のうちに亡くなった。

先日、元大蔵大臣・藤井裕久氏の講演を聞く機会があった。
交友関係のあった彼は、角栄の人間的魅力を語っていた。いろんな書物のなかにもそのエピソードが語られている。その辺りが秀吉の気質との類似を彷彿とさせるという意味で今太閤と呼ばれた所以であるのかもしれない。


けれども、高度経済成長の時流に乗った角栄路線はその過程において生態系という今日的なテーマを残した。保守本流ではなかったが故の金権政治で非難の矢面にも立たされた。
功罪ともにわかり易い一時期の自民党の象徴的存在だったともいえるだろう。


1993年に55年体制は崩れ、野党が離合集散を繰り返すなかでも公明党をだまくらかして鵺のように政府与党で在り続けてきた自由民主党。
しかし今回露呈してきた主要閣僚による事務所経費問題あるいは失言暴言の数々を考えると、政策云々以前のところで、党の言わば制度疲労が極限にまで達したと思わざるを得ないのである

07/07/26 (木) 全ての老若男女有権者諸君 投票所へ行こう! その一


早朝ポステイングのさなか、突然雨が激しくなったので、6時に事務所に戻り、パソコン前に座った。先ず、本日のHP日記・BGMを「城が島の雨」とした。


インターネット検索で、「阪神4連勝」を見た。大変よろしい。

同じくインターネット検索で眠れる20代を読んだ。


先日20歳の息子を車に乗せて走った折、息子が、「ぼくの友達で投票に行く奴なんかいるんかなあ」と呟いたので、「そやから、○○候補頼むと電話しなあかんのや」と言うといた。

ぼくの好きだった小説家・開高健の警句に
「背後に政治や政治家の存在を感じさせない時代が幸福な時代である」があり、してみると今は不幸な時代ということになる。


にも関わらず若者が投票所へ行かない理由は、学校からの巣立ち後が短く、シャバでの経験知が浅いということがひとまず挙げられるだろう。
であるならば学校において国会開設時以降つまり明治期以降のビビッドな現代史授業を多くすることが肝要じゃなかろうか。


というようなことを数年前の放課後教室で某教師に話した時の彼の答えは、
「牧田はん、現代を教えるのはむつかしい。私らは中立でなきゃならんのです。ヒダリやとかミギやとか言われるの嫌だもん」だった。


中立は観念語だろう。およそ生身の人間に中立人は居ない。中立を装う人間がいるだけだ。専門性を持った知的職業と思われる教師業も意外と窮屈なのかもしれない。


ま、いろいろあるだろうが、全ての老若男女有権者諸君!
期日前投票も含めて,是が非でも投票所へ足を運びましょう!

07/07/25 (水) アイスコーヒーを飲みながら


某候補者の演説を息子と一緒に聴いた妻が、「息子があの人にはメジカラがあると言ってたよ」という。一瞬のあと、目力つまり眼力=眼の真剣さであることを了解した。
コミュニケーションは言葉で成り立っている。言葉にはインクの染みとしての書き言葉と空気の振動としての話し言葉の二種類がある。そして書き言葉に、より整合性があるといえるだろう。
だけど相手に対する印象の形成は話し言葉によりがちだ。というか、言葉自体よりもその媒体として上述のメジカラを含めた表情全体が印象を担う。


昔、手話通訳を一生懸命やっていた頃、「表情は形容詞です」とよく言われたのもそのことを物語っている。


最近ものぐさの私にしては珍しく外へ出る機会が増え新しい出会いが増え人に対する印象を考えることがよくあるが、とにかく人と交わるのは楽しいことでも苦しいことでもある。
荻野アンナがこのことを「楽苦しい(タノクルシイ)」と表現していたが、煎じ詰めれば人生なんて人間関係だ。

○今朝、事務所の引き出しを整理していたら、私あてのラブレターが出てきた。
市議と言えども議員であり、プライバシーはない。
悩んだけれども、思い切って公開します

07/07/24 (火) 薄曇の朝


例の「花代発言」についてである。
初めこのニュースを読んだ時、ぼくは葬儀の花輪代のことだと思った。
市議が花輪を出すならば公選法に触れるという話を聞いたことはあるが、国会議員ともなれば花輪をだすくらいは慣習のうちだろうし、多分領収証と無縁なのが冠婚葬祭であり、マスコミも偏執ではないかと、思った。


しかし人から聞いたところでは別の意味があるらしい。国語辞書を紐解いた。
花代⇒芸者や娼妓を揚げて遊ぶ代金。揚げ代。玉代(ぎょくだい)とある。


母方の祖母が昔置屋をやっており、ぼくの体内にはその血が流れているので、中西礼や浅田次郎のその辺りのペーソスを描いた小説を親近感を持って読むことが出来た。
親近感を持って、の意味は花街文化の奥深さについてである。
芸人のルーツは白拍子にまでさかのぼることができ、その類は河原乞食と呼ばれていた。生産的な職業ではないし金持ちから睥睨されて成り立つ職業だったからだろう。


ただ辞書解説にある遊ぶの意味が平板なものであったとするならば嘆かわしいことだ。先ず困惑するのは奥さんだろう。
ぼくはこの人の奥さんと話をしたことがあるが、好感の持てる女性だ。
ぼくの場合大抵の女性は好感の持てる存在なのだが、それを割り引いても好感の持てる女性だと思う。


いずれにしろそんなことの代金が事務所経費に充てられていたとするならば言語道断だし、公衆の面前でした話を「冗談」だとして撤回したのは人となりとして軽すぎる。

07/07/23 (月) 又月曜日がきた


昨日と一昨日は分刻みのスケヂュールで詰まっていて日記を書く暇もなかった。
何で忙しかったかというと、今回の参院選某候補の応援でかけずりまわっていたからです。

何故某候補と書くのか固有名詞を書かないのかというと、公選法が気になったからです。


一昨年のあわら市議選あるいは今年のあわら市長選の公示期間中、ぼくはHP日記を書くのを自粛した。公選法がそれを謳っているからだ(ただし現行の公選法は例えば選挙事務所設営提灯の大きさの規程云々といったアナクロだらけのものでありIT浸透の今日的社会に対するアンテナのないものだと思ってはいるけどね)。


だけど今回の場合は国政選挙である。加えてぼくは無党派でどの党の党員でもない。勿論、無党派が特定政党を推すのも特定政党選挙区候補を推すのも自由であり、次元の違う選挙において市議HP日記が候補者の固有名詞を書いても構わないという気がするにはするのだが、事前に選管に相談にいけばファジーな答えしか返ってこないに決まっている。
ということで面倒くさいので固有名詞を書かないことにした。


その某候補・夜のあわら市内個人演説会の冒頭、ぼくは後援会を代表して挨拶をした(「挨拶」は禅用語。「挨」は押すを意味し、「拶」は引くを意味する。つまり挨拶は簡潔が一番。冗長にならないのがよろし)。


しゃべりながら見渡す会場には知った顔があちこちにちらほらだ。中には手を振る女性達もいる。夜は大切だとぼくは思った。


最近までは、午後6時になると焼酎晩酌でほろ酔いになり、即、熟睡し午前二時過ぎに起床という、反市民的な生活ルーテーンであったものが一変し、そのことで実に沢山の人たちと知り合いになった。


これからは、夜の11時くらいに就寝し、朝の4時くらいに起床するという普通の生活を続けていくつもりです。
映画「終りよければすべてよし」⇒チケット等は、田中千賀子(0776-82-1317)まで

07/07/21 (土) 忙しくなりそうな週末


昨日は産業建設常任委員会管内視察で一日中を費やした。
夜は意見交換会。親睦兼用で少しアルコールも入った。
いつも不思議に思うのだけれども、アルコールが入るとしゃべる量が多くなり、吸う煙草の本数も増える。


まだまだ若いのだから健康への留意が大切だ。節煙しなければならないと思いました。
原発火災のことですが、
久し振りに覗いたきっこの日記にも詳しいことが書かれている。

07/07/20 (金) Mr・Mさん アイスコーヒーありがとう


私のお袋は敦賀から金津に嫁に来た。親父は一人っ子でお袋は8人兄弟姉妹の末っ子だ。よって、親類といえば殆どが敦賀方面である。


敦賀市川崎町にお袋の生家があり、近くには日本三大松原のひとつとして有名な「気比の松原」がある。



昭和24年1月30日に生まれた私は金髪のそれはそれは可愛いたまのような赤ちゃんで産湯の背後から後光がさしたという。天上界からみやびな琴の音が流れたという。


半ば冗談だろうが、天女が薄いピンクの羽衣に包んで「気比の松原」の潮騒聞こえる未明の白砂の上に舞い降りそっと置いたのが私だという言い伝えが今も敦賀の地に残っている(ようだ)。


再来年還暦を迎える私が、今、鏡をみると
髪の色は黒に白が混じり
直毛はパーマとなり
眼は老眼となり
もち肌はざら肌となり
ついに8月には脳ドックに入ることになってしまった。


かろうじて残っているのは余人にはない気品だけだが、60年近い半生を「自分の幸せよりも他人の幸せを」&「地道に目立たぬように」&「異性愛よりも人類愛を」&「かけがえのない地球の生態系を守らねば」を座右の銘として、実践をあるいは煩悶をし続けてきた結果の疲弊の刻印というべきかもしれぬ。


お袋のふる里には原発があり、上述した座右の銘の観点からも、今回の柏崎刈羽原発火災は決して他人ごとではない。
そう思いながら福井県内議員のHPを覗いているうち、つぎのようなブログに出遭った。うなづきながら読んでしまった。

さて
閑話休題
森田実流「君子に九思あり」(孔子)
 第一に、物事を見るときははっきりと見るように心がけよ。
 第二に、人の話を聞くときははっきりと聞き、理解するように努めよ。
 第三に、顔つきは常に穏やかな表情をするよう心がけよ。
 第四に、姿勢、振る舞いは常に謙虚な態度をとるよう努めよ。
 第五に、人と対話するときには誠実に話すことを心がけよ。
 第六に、事を始めるにあたっては慎重に行動するよう努めよ。
 第七に、疑わしいときは質問して、しっかり確かめよ。
 第八に、腹が立ったときは、怒りを爆発させた後の面倒・困難を考えよ。
 第九に、自分の利益になることに直面したときは、道義を思うように心がけ、道義に従って判断せよ。 

07/07/19 (木) 快晴の朝

昨日の午後は、坂井地区介護保険広域連合議会が開かれた。
控え室で、日頃は顔を合わせない坂井市の広域連合議会議員(構成メンバー)と話をしていた。
「合併してから、例えば社協などの地域住民との結びつきが薄くなってきたという声をよく聞く」と言われたが、確かに合併により人事の配置換えが進めばそうなる懸念はあると思う。
それと連動するのかどうか、介護の小規模施設でも「地域密着型」なる言葉が市民権を得つつある。


午後5時に議会は終了。
春江まで足を伸ばし所用をこなしたあと、9時過ぎに事務所に戻った。
冷蔵庫に入っていた頂きもの「清酒・舞美人」をじっくりと味わっていたところに友人S氏久し振りの来訪。


「夜の帰り道、まきちゃんの事務所の電気がついていると気になるんですよ」と言われた。
同性から言われると、私もとても嬉しい。

魚についての慧眼

07/07/18 (水) 無題

午前6時過ぎ、早朝ポステイングを終えて事務所に戻った。
(今は中断しているけれども)以前、自分自身の紙新聞を月毎にポステイグしていた時にヘルニア腰痛と重なった時期があった。その時の苦しさは大変なものだった。

あれから幾星霜。
年たけて 又こゆべしと思いきや
    命なりけり  さやの中山      西行


今回の歩きは、スタート時に動悸・息切れ・目まいを伴う。しかし配布先玄関ポーチの観賞花に見とれたり水槽のメダカに感動したりしているうち、30分も過ぎれば気持ちがしゃきっとしてくる。健康になったような気がしてくる。
多分なっていないのだろうが、そういう気になることが重要なのではないだろうか。

事務所に戻って読む新聞の第一面は「中越沖地震」関係だ。
新潟に実家のある「遠方の友」からの久し振りの電話を受け、受話器を置いて2時間後に発生したものだから本当に驚いた。
亡くなった方々には謹んで哀悼の意を表します。


被災状況をTV画面で見ていてもよくわからないところがあり、後日調べたいと思うが、とりわけ気になるのが柏崎刈羽原発火災だ。過大に不安をあおる必要はないけれども、首相が東電対応を批判するくらいだから、裏でなにがしかの隠蔽があったと思える。
原発立地県に住んでいること、末子が妻の体内にいる時にチェルノブイリ事故が起こったことを重ね合わせてとても気になる。

07/07/17 (火) 単なるインスタントではない高級「ドリップバッグ」珈琲を飲みながら

日本国憲法が謳っている国民の三大義務が「勤労義務・納税義務・義務教育」であるのに対して「生存権・参政権・教育権」が三大権利である。

参院選まっただなかの状況で、改めて権利のひとつ=参政権を眺めてみると、(ひと言で言えば政治不信なのだろうが)投票率の昨今の低値がとても気になる。


昨日来訪のK氏との間で参院選が話のテーマになった時、K氏は「投票に行かなかった場合には罰金を課してはどうだろうか」と、言う。
行使・不行使が自由であるからこその「権利」であることを勘案すれば罰金云々の法制化は多分むつかしいのだろうが、K氏の言う気持ちはよくわかる。
今回私は某氏・某政党の為に動き回っているのでなおさらよくわかる。


翻って時折事務所を訪れる福祉施設関係者何人かの施設内投票の裏話を聞いていても矛盾を感じる。
早い話、私は10年ほど前には記憶力と精力に自信があった。
けれども歳月幾星霜でもの忘れがひどくなり善悪の彼岸の境界もぼけ始めている。
毎年正月に更新し鍵付き引き出しに収納している遺書に、今年は新たな一項を書き加えた。
私が認知症になったならば無理に投票所へ連れていかないように、耳元でささやかないようにと書き加えた。


微力ではあるが、そう書くことで善良な有権者諸氏に対して迷惑をかけずにすむと思うのである。

07/07/16 (月) 夜明けに鮎を食べながら

金津祭りが終った。心配された雨も殆ど降らず、無事に終った。
祭りに対する旧金津町民の目も以前と比べて覚めてきており、山車を出す区の立場では人数の確保に大変となってきている。
その意味で祭りの在り方を考えなければならない時期に来ているとは思うけれども、ハレの日としての祭りは続けるべき、というのが終えての実感だ。


以前であれば祭りへの招待客が親類縁者であったものが、友人達へと変化してきた。時代の流れだろうが、これはこれでなかなか楽しい。
「接待」を政治用語として捉えると嫌らしいものがあるが、一般的な意味では人間関係を潤滑にする機能を持つ。とりわけ接待する側に、より充実感が働く。
亭主として自らは酒の量を抑えてみんなの会話をひとり静かに聞いていると、かってぼくが学んでいた裏千家流茶道を思い出す。


ある日の夕刻、利休庵に客人が来ることになっていた。庵へ続く露地は前日の強風で落葉が散らかっている。それを見た千利休は箒で落葉を掃いた。
掃いてから考えた。
「待てよ。この掃き清められた露地を通る客人は(あーあ、私のためにこんなことをしてくださって・・・申し訳ない)と思うのではないか」と考えた利休は掃き集めた落葉を再び露地にばら撒いた。


人間関係は自然体どおしが一番、を意味するエピソードだと思う。

07/07/15 (日) 祭り


午前4時、東の空が白み始めるころ金津町内を車で廻った。時折の小雨がある程度で、どうやら本日の金津祭りは無事挙行されるだろう。


十数年前の祭り中日(なかび)の夜、着流しの私は当時小学生だった浴衣姿の娘を連れて、夜店立ち並ぶ金津神社参道の雑踏を歩いていた。
娘が突然、「お父さん、山車ってなんや?」と聞いてきた。


答えに窮したしかし学級肌の私は家に帰ってから考えた。


山車人形は戦国武将など歴史上のツワモノが多く、その前を神輿が練り歩く。そしてここがミソだと思うのだが、山車が各々の地区に入る時、区長以下の役員が出迎え区内巡航路を先導する。区役員の迎えが無い限り山車は区内に入ることができない。
金津神社は総社であり数十年前に各地区にあった神社のいくつかを合祀した。神主の姓は「斉藤氏」で、これは、藤原氏を斉くの意味を持つ。
藤原氏は奈良朝での古事記編纂仕掛け人なのだから、この神社を大和朝廷そのものと考えることができるだろう。


とするならば金津祭りとは、天つ神が降臨して支配した地域を神輿に乗って管内視察する行為であり、あるいは今だまつろわぬ土蜘蛛などを平定する行為であり、そのための軍事力の象徴としての山車だ。
区役員とはまつろわぬ種族についての情報を提供しつつの水先案内人だと、私は思うのである。

07/07/14 (土) 明日は金津祭り中日


昨晩の来訪者は三人。参院選のこと市議会のことを軸にしての話しだった。
散会後、自宅に戻り布団に入ったのだが眠ることができないので又事務所に戻った。PCからホームページソフトを開き、きょうの日記のBGMに「五木の子守唄」を入れた。



おどま盆ぎり 盆ぎり
盆から先ゃ おらんど
盆が早よ来りゃ 早よもどる

おどまかんじん かんじん
あん人達ゃ よか衆(しゅう)
よかしゃよか帯(おび) よか着物(きもん)

おどんが打死(うっちん)だちゅて
(だい)が泣(にゃ)てくりゅきゃ
裏の松山 蝉(せみ)が鳴く

蝉じゃ ごんせぬ
(いもと)でござる
妹泣くなよ 気にかかる



確か谷川健一は「五木は斎きであり、源平合戦で破れた平家を斎くという意味が語源」と書いていた。
源氏の世の中になりその思いを言葉どおりに出すことができず、「赤とんぼ」とおなじように歌詞は奉公の唄となってはいても、流れるメロデイは哀愁そのものである。

知ってる? 現代っ子「雨ニモアテズ」

07/07/13 (金) 夜明けは土砂降りだった


ちょっと前までジャリだと思っていた子供達が運転免許を取得した。
段々大人になっていくのである。
普通に生きていってほしいと思う。普通というのは、心の素を大事にし自己を過大過小評価することなく、英語で言うオーデイナリーに当たる生活ということになろうか。実は普通に生きるということがとてもむつかしい。


免許の取得時はどうしても心配がちだ。お袋は「それが親心や」と、言う。
そういうお袋も背中が曲がり体全体がこころなしか小さくみえる。


いずれ親たちは死に、私や配偶者も死んで行く。友人達も死んでいく。
死ねば顔輪郭肉声の記憶が残る○○年周忌がとり行われ、50年経つと祖霊神となる。この時点で全ての記憶が消え、一切が空となる。


それが個人史であるとして、宇宙の終焉はすごい。車椅子の天才物理学者・ホーキンスの著書(題名は忘れた)の結びは、今から300億年経つと宇宙が消滅する。そして時間も消滅するだった。
○今朝、北潟まで車を走らせたのだが、折からの雨で湖の水位があがってきている。
台風は、明日西日本に上陸するとのことだ。
昔の日記から

07/07/12 (木) 夜明けに珈琲を飲みながら


参院選公示である。
地方市議が国の政策を云々しても議決されるわけではないし、ぼくはどの政党にも入ってはいずいわば無党派なんだけれども、一有権者としては勿論国の政治状況をいろいろ憂う。


ということで、今回は既に投票するひと・党を決め、後援会活動にも参加している。


選挙管理委員会を代弁するわけではないが、投票は有権者にとっての最も大きい権利であり義務である。
この人と思う人に、この政党と思う政党に一票を託しましょう。

○初夏模様のこの季節、いつも思い出すのがこの歌だ。

はつなつの ゆふべひたひを光らせて
     保険屋が  遠き死を 売りに来る   塚本邦雄

○某量販店で買物を済ませレジの長蛇の列に並んだ。ぼくの前は耄碌したような爺さんで、レジ係りの女性はにこにこ笑いながら対応している。「いいのよ、ゆっくりで・・。」と言いながら財布から小銭を出すのを手伝っている。老人介護を目の当たりにしたのだが、それはとってもほのぼのとした光景だった。
顔はそうでもなかっただけになおさら「ココロの美人っているんだなあ」と、感動した。

ところで
レジを済ませ駐車場に向かう途中、見知らぬ人から呼び止められた。
あわら市在住の人らしく「あんな組織議会人事であんたら恥ずかしくないんか」と、怒られてしまった。これを言われるたび、ぼくは憂鬱になる。

 07/07/11 (水) 耐震について


6月議会の「教育厚生常任委員会」で学校の耐震補強について諸々の議論があった。
例えば市内小学校の耐震調査結果を受けての補強工事着手は体育館から始めたいという教育委員会の説明に対して体育館・校舎双方に優先順位をつけてはならないという議員からの意見が出た。
教育委員会側は、「それは理想であるけれども国庫補助のからもみあるし、体育館は地震時に於ける住民の避難所にもなる。あるいは耐震の専門家もそう言っている」と答えた。


おおむねそうなのだろうが、耐震の専門家云々の部分が実は大事なのだと、ぼくは思った。
能登沖地震で校舎倒壊はなかった。阪神大震災時にぼくはボランテイアとして神戸に行き歩き回ったが、同じように校舎倒壊をみかけなかった。
(恐らく)昭和56年新耐震基準施行前の建物がずっと多いにも関わらず、何故そうなのか。
校舎の殆どは鉄筋コンクリート造りのラーメン構造(柱+梁の構造)で一部耐震壁を取り入れている。しかし校舎には鉄筋コンクリート製の雑壁が沢山入っている。構造計算の上でカウントされないこの雑壁が実は地震時に耐震能力を発揮しているのである。加えて教育現場という性格上、校舎は中層である。決して高層ではない。つまり最下層の(積載荷重+固定荷重)×Ci(せん断力係数)=地震力が大層なものではないということだ。
翻って体育館の場合は鉄骨構造でロングスパンだ。梁は単材ではなくトラス構造が多い。勢い、柱に対して応力が集中しがちである。
記憶で言うのだが確か昭和52年迄は鉄工所の溶接能力基準が整備されていなかった。ハイテンションボルトの登場もその後だったと思う。
そういう意味で体育館耐震補強優先だとぼくは思った。


耐震結果公表の座標となる建築基準法は、法治国家に住んでいる我々にとって確かに大切だ。しかしより大切なのは「法」そのものではなく「法を裏打ちする考え方・敢えていえば哲学」を理解することだ、とぼくは思う。


我々議員は専門家ではないのだから、どの委員会であれ、正確を期するために、専門家の招致が必要な場合があると思う。

07/07/10 (火) ゆったり気分の朝

昨晩は、事務所でちょっとした小さい集まりがあった。散会後、女性がひとり来て三人での四方山話。テーマは三国の文人を中心とした小説・俳句だった。
久し振りなので脳が刺激されてよかった。


ぼくは30代の中頃までは割りに読書が好きだった。字毒の気もあった。
けれども結婚し子供ができた頃から読書量が格段に減った。なんつうか、家庭人としてできるだけ健康な生活を営まなければ妻子に迷惑がかかる、詩小説という世捨て人の好事を覗いているのでは疑問符的社会人となってしまう、という懸念が働いたためだろう。


あれから幾星霜。
今はそれなりに普通の社会人を務めている。
偶には変人と呼ばれるが、奇人と呼ばれることはない。

07/07/09 (月) 熱々珈琲を飲みながら

昨日の昼、所用で北潟の知人農家宅へ行った。農舎で話をしていた。
元々半農のやや貧しい家で育ったぼくには農本主義者みたいなところがあって、農舎はなつかしい空間だ。
幼少紅顔の頃の冬の日、囲炉裏端でじいさんのわらじづくりを手伝ったこと、米俵をせっせと運んだこと、白のランニング一枚でセンマイに励んだことなどが思い出される(注:最近教育再生という言葉がかますびしいが、例えば体育の最終目的はなにかというと、競技に秀でることではなくて日常生活での体の動かし方を獲得することにあるだろう、ならば体育授業の分類のなかに「スコップの持ち方」・「のこぎりの挽き方」・「紐の結び方」「布団の上げ下げ方」などを取り入れるべきだと、ぼくはいつも思っているのだが・・・)。


知人農舎床には沢山のメロンが置かれていて甘い匂いが鼻いっぱいに拡がった。
富津や北潟などでは今が収穫の最盛期なのだろう。
農というと米に眼が行きがちだが、畑作物もとても大事だ。合併してからそれをより強く実感するようになった。
国の食料自給率が40%前後にまで落ち込んでいることを、根本から考え直さなければいけないなあ、と思う。

07/07/08 (日) 忙しくなりそうな日曜日

昨日の朝、ぼくは福井市内の公園に居た。
桜の木の下のベンチに座り、隣のひとと社会福祉の話をしていた。
話を終え、車に戻る途中、小さいお子さんを連れた若い母親に後ろから、「もしもし、背中に毛虫がついてますよ」と、言われた。


満開時の桜は日本人全てから愛でられる。しかし葉桜となった頃から毛虫が這い回り始め、管理者はその対策を求められる。だけどこれについては発想を転換し、みんなが毛虫を好きになれば、ことは済むのではないだろうか。
○早朝未明のポステイングは心身を健康にする。一日を誰よりも早くスタートしたという自己満足と歩く量に応じてウエストが引き締まっていくという期待感が湧く。
なによりもあさめしがうまいのである。

07/07/07 (土) メダカについての考察

昨日は出歩きの多い一日だった。
所用済ませての午後は有志議員が事務所に集まり講師を招いての勉強会。
9月議会に於いて、みんな、一般質問を元気にやるつもりである。
勉強会終了後、ひとり残った私は、水を張った火鉢の中を泳ぐメダカたちを眺めていた。


群れをなすメダカと群れから離れるメダカがいる。群れはどうやらふたつあるみたいだ。大きい方の群れには先頭を走るメダカと後をついていくメダカがいる。
まさか声帯はないだろうがしかしひそひそ話しをしながら泳いでいるようにも見える。
メダカ市議会なのだなあ、と私は思った。
閑話休題
文部省唱歌で有名なのが「めだかの学校」だ。


めだかの学校は 川のなか
そっとのぞいて みてごらん
そっとのぞいて みてごらん
みんなで おゆうぎ しているよ

めだかの学校の めだかたち
だれが生徒か 先生か
だれが生徒か 先生か
みんなで げんきに あそんでる

めだかの学校は うれしそう
水にながれて つーいつい
水にながれて つーいつい
みんなが そろって つーいつい



しかし、仮に私が偲び足で教室に近寄り窓からそおおっとのぞいたとしたらやね。
気付いた女子児童たちが、「センセー!変なおんちゃんが私達を覗いてまあーす」と騒ぐだろう。校舎一斉警報ベルが鳴り、先端に鉤のついた棒を持った男性教諭たちに囲まれとりおさえられてしまうだろう。

 07/07/06 (金) もう終末か

昨日は坂井地区介護保険広域連合・運営協議会に出席した。運協は住民代表7名と関係機関及び学識経験者6名で成り立っている。
議会内での例えば委員会などと違ってかけひき的言葉の応酬もなく、いわば自然体で質疑できるのが魅力だ。


介護保険制度の内容は複雑多岐で、理解するのにむつかしいところが幾つもある。あるいは、福祉理念を制度枠に閉じ込めることで、日本型社会になじみにくいところがあるのも確かだ。


けれども、6月に母親が手術で入院し父親を施設にショートステイさせてもらった際、この制度の有用な面を強く感じた。何よりも介護現場で働くひとたちの家族的な側面を見たことが印象的だ。


今回の組織議会でぼくは「教育厚生常任委員会」への引き続いての所属を第一希望として提出したのだが、何故かはじかれてしまった。
しかし、教育福祉を考えることが大切であると思っているぼくは、傍聴議員として「委員会」には常に出ようと思っている。
○どこの小川に行ってもメダカがいないことを嘆いていた矢先、旧金津町在住の女性・Kさん(推定年齢35歳、推定趣味洋裁)から「「芦原のコメリにメダカが1匹28円で売ってましたよ」というメールが入った。
感謝します、Kさん。

07/07/05 (木) たなばた近し

本日は坂井地区介護保険広域連合・運営協議会が開かれる。
だからというわけでもないけれども、脳ドックを受けることにした。
昨晩、某議員が来訪し四方山話をしている時にも自覚したのだが、5文字以上連続する言葉がスムーズに出てこない。口元によだれがたまる。いい女をみても何も感じない。昨日のことを思い出すのに時間がかかる。電話番号を忘れる。昨晩のおかずが思い出せない。


こういう兆候が脳からくるのか単なる身体能力の減退なのかはわからないが、診てもらうことがマイナスにはならないだろう。


閑話休題
脳があるから意識が発生し言葉が紡ぎ出されて今日の人間社会が形成されてきたのだろうけれども、言葉が王道を行くようになったためにヒト科という動物が本来持っていた平等性が損なわれ悪行が横行するようになってきたと、ぼくは思うなあ。

07/07/04 (水) 蛍の季節は終了

昨晩の9時頃だったか。鬱の気分が続くので蛍が見たくなり農道を車で走った。
しかし目指した場所に蛍は一匹もいなかった。
暗闇のなかで、腕を組みながらじっと考えた。


一昨日の組織議会で感じたこと、裏話として仄聞したことをこのHP上で書きたいと思うのだけれど、公開なのでそれを書くことはやっぱり憚れる。
でも思いとして伝えたいことはある。でないと消化不良の感が残る。


知人達に手書きファクシミリを送るのもひとつの方法だ。メーリングリスト同時発信もいい。あるいはこのHP上でパスワード入力入り込みコーナーをつくるのも選択肢かもしれない。
○本日の午前中は広報編集委員会。正午に事務所に戻ったのだが、入れ替わり立ち代りいろんな人が来なさった。
ある人から、「牧田さんの事務所には生真面目な人が集まりますね」と言われたが、類は類を呼ぶという昔からの格言を思い起こせば当然なのかもしrない。
言葉を変えるならば、良識の府だろうか。
○いろいろ来なさったひとのなかに、今度の参院選比例区某政党立候補者が居た。
寡聞にしてわしは比例区に固有名詞は不必要と思っていたのだが、それは衆院選のことで参院選の場合は固有名詞書き込みが必要だそうなのである。
「7月29日が投票日となったことで得をするのは、組織票を持つ公明党だ」と、その人はいう。
政教分離が原則なのに、何故創価学会が跋扈するのかがわしにはわからない。日蓮が現存していれば議会制を否定するアナーキストであったはずだ。

07/07/03 (火) 夜空を見上げれば

昨晩は外で酒を飲み、久し振りにカラオケバーへ行った。
昔は、マイクを握って「そっとお休み」や「枯葉」や「ラ・ノヴィア」や「イエスタデー」などを唄うことが多かったが、最近は握らない。聴いているだけで幸せだ。


友人達の唄を聴きながら飲む酒は格別だ。
昨夜の酒はウイスキーだった。ウイスキーグラスの琥珀色はなにかしら人生的で、琥珀色をじっと見ていると、過去が走馬灯のようによみがえってくる。


ひとり、バーの外へ出た。
若かった頃欧州を旅した時にウイーンで買ったジッポーライターで独煙草ゲルベゾルテに火をつけた。見上げれば梅雨空だ。

夜空の魅力は冬の季節にあると思っている私だが、梅雨空も捨てたものではない。
陰湿な自分の気質が空いっぱいに投影されているような気分になる。
○新聞に、昨日の臨時議会・決議案に関して私の名前が載ったので何件かの電話があった。決議案にしても各委員会正副委員長にしても全ては数の論理である。
数・・数・・数・・なのである。

07/07/02 (月) 無題

本日の組織議会において、私は少数派の悲哀を味わった。


「議長に対する不信任決議案」を提出し、提出者として思いの丈をしゃべったのだけれども、起立賛成は6人。当然のことながら否決されてしまった

07/07/01 (日) きょうから7月

午前3時半に眼が覚めた。昨晩は11時まで来訪客多数だったのでまだ眠い。
眠くても我慢してやらなければならないことが、男にはある。
ということで、湯を沸かし、昨晩の差し入れ珈琲「MAXIM」を口にする。
改めて、今が一日のうちにあるわずかな快楽の時間帯であることを実感する。


生来的に人と交わることが不得手だった私は、長じてもひとりの世界にこもることで安堵を保ってきた。
ひとり珈琲を飲む、ひとり焼酎を飲む、ひとり演歌を口ずさむ、ひとり読書をする、ひとり○○をするエトセトラである。


とかなんとか言っているうちに東の空が白み始めてきた。遠くで小鳥のさえずりが聞こえる。小鳥のように大空を自由に飛べたならば、地上で魑魅魍魎が跋扈する人間世界の愚かさを、それこそ鳥瞰できるのになあ、と思う。


きょうから7月だ。平成19年の下半期を悔いなく生きていきたい。