2007年10月





07/10/31 (水)  10月最終日

↓ 満開のコスモス畑(伊井地区)


昨夕、いろいろ聞きたいことがあって市庁舎の教育委員会と総務課へ出かけた。
話を終え事務所に戻りパソコンチェックをしているうちに古時計が6時の時報を打った。
帰宅すると我が子二人がなにやら楽しく話しながら夕食のカレーライスを旺盛な食欲で食べている。カレールーが少ないとブツブツ言い始めたので、私は(本当は食べたい)カレーには手をつけず残りものの漬物大根だけをおかずにしてそそくさと夕食を終えた。

自分の無欲を言いたいのではない。
我が子達が満足するならば、喜んで我慢する。それが親というものではないだろうか。

台所から自室に引っ込んでも話し声と笑い声が聞こえてくる。

隣室に 文読む子らの 声きけば
        心にしみて 生きたかりけり    西東三鬼
    を思いだした。

〇はやく布団に入ったせいか午前一時に目が覚めた。パリのシャンゼリゼで買ったダーバンのコートをはおり外に出た。ひとり竹田河畔を歩いた。せせらぎに耳を澄ますために立ち止まり、ニナリッチのバッグから独煙草ゲルベゾルテをとりだしジッポーで火をつけた。大きく吸い込んだ。見上げれば月が出ている。
写真では闇夜にみえるが月夜である。


空気が凛とする。
ザルツブルグ音楽院でクラシック修行にいそしんでいた若い頃を思い出した。
アルプスに近いオーストリアの冬の夜の厳しさは日本の冬のそれをはるかに超える。だからこそサンモリッツスキー場の雪質は絶品だったのだが・・・。
当時同棲していたハイジの誕生日が近い(某さんの誕生日もちゃんとメモしてある)。
日本の冬の風物詩の何かを今年も送ってやろうと思う。
どのみち来年の1月30日(=私の誕生日)には手編みの手袋が届くはずなのだから。

というような妄想を終えてから事務所に入った。
人生は出会いと別離だと思いながらキーボードを叩いている。

07/10/30 (火)  昨日の一日

寝違いは気分を重くするだけではない。
昨日の午前中、自転車に乗って市庁舎まで行った時にそれを感じた。後から自動車が来た時に、振り返ってその位置を確認することができないのである。普通は首を回すことで振り返ることができるが痛みのためにそれは不可能で、だからといって体全体を回そうとすると自転車が転倒しそうになって危ない。早く直さなければと思った。

午後一番、守屋元事務次官の証人喚問TV中継をしばらくの間、見た。
背後がみえみえの口を開いたり閉ざし気味だったりの答弁だったが、便宜供与疑惑などより本質的な部分の過程が明るみに出るに連れ、制服組の士気に影響の出るのは間違いない。

昼の間CADにいそしんだあと、夜は有志議員が事務所に集まった。議論の場となった。
四月の市長選⇒財政計画の発表を経た現在、個々の議員が二中存続派とか統合派とかに色分けされる時期ではもはやないと思う。
中学校問題に関してこれからも市と議会がねじれ状態にあるとするならばそれは行政の遅滞を意味し結果として子供達に対する迷惑となり保護者達の不安感を増幅させることとなる。

「議会意思はひとつ」ということで万一ねじれ状態が今後も続くのであるとしたら、私たちが議員をしていることの意味を問われる。即ち議会解散要求が出てきても不思議ではない、と思うのである。

07/10/29 (月) 寝違いについて

寝違いで首に痛みを感じるといろんなことが億劫になる。
ということで、「寝違いとは何か」をインターネットで検索してみた。

〇「寝違い」とは、就寝中に寝返りや激しくクビを振ることによって、頚椎の後ろにある頚間関節に大きな負担がかかることが原因で起こることが多く、医学的には「急性頚筋痛」という。
〇寝違いは変な寝方のせいで起こるのではなく、変な寝方をしてしまうほどに内臓が疲れたことによる。
酒の飲みすぎによる肝臓寝違い、脂っこいものを食べすぎたときの胆嚢寝違い、すごく腹を立てた後の怒りパワー肝臓寝違い、我慢しすぎによる肝臓寝違い、食べすぎによる胃寝違い、環境の変化による胃寝違い、甘いものの食べすぎによるすい臓寝違い、ストレスを解消できないことによるすい臓寝違い

療法のいくつか
療法①
痛みを感じる方向に、自分でゆっくりと首を回す。自分で回せる限界まで ゆっくりと首を回す。そして,自分で(可能ならば だれかパートナーに)頭を抑えてしっかりと固定する。
次に,固定されている頭を 戻す方向に首を回そうとする。もちろん,固定されているので(頭)首は 動かないが。要は,戻す向きに力をいれてみるのが コツ。数秒間,抑えている手と,自分の頭を回そう手する力が押し合いをする…そんな感じ。
これを 数回繰り返す。

療法②ツボ療法
まず「首が左右に回らないとき・首の後ろが痛いとき」ですが、「完骨(かんこつ)」と呼ばれる、耳たぶの真後ろのツボが効果がある。ちょうど突起した骨の後ろ側。
また、「気舎(きしゃ)」というツボも効くがこれはのどぼとけの5cmほど下にある骨のくぼみから、両側に2cmほどずれたところにある。さらに鎖骨を辿っていくと、真中あたりにある「欠盆(けつぼん)」、肩先まで行ったところにある「肩井(けんせい)」などもいい。あとは、首の後ろの上の方、髪の生え際よりちょっと上にある「天柱(てんちゅう)」というツボも効果がある。
「首を前後に曲げたときに痛む」場合は、足の親指と人差し指の骨が分かれるところにある「太衝(たいしょう)」というツボがいい。あと、「腕を回したり、上に上げたときに首の付け根が痛む」のでしたら、手の親指と人差し指の骨が接合する付け根にある「合谷(ごうこく)」という有名なツボが効くす。ここは慣れないとかなり痛いが、万能ツボの一つとも言われる場所。
ツボは基本的に悪くなることはないので、安心して指圧して構わない。ただし、痛みが激しいときは軽く。

〇予防法ですが、そもそも寝違いの原因は大きく分けて、首から背中の筋肉の緊張、内臓の疲れからくる場合、精神的ストレスによるものなどと言われている。首の筋肉は多少は鍛えたいところ。たとえば右手で右から頭を押さえて曲げようとし、それに首は抵抗する。これを前後左右45度ずつ行うす。力は3割から5割くらいで2,3回、抵抗する時間は5秒から10秒ほど。無理せずやる。そのあとはストレッチ。痛くないとき1,2日に1度これをやってもらえれば徐々に鍛えられる。


等々が書かれていた。私の場合の寝違いは、我慢しすぎによる肝臓寝違いとストレスを解消できないことによるすい臓寝違いに該当していると思われる。
早朝、北潟湖へ車を走らせた。ほとりに立つと、辺りはすっかり晩秋の光景だ。
大きく空気を吸い込んでから、療法①を実践してみた。幾分楽になった。
今日から新しい週が始まる。
〇レッドソックスがロッキーズを破ってワールドシリーズを制覇した。松坂・岡島にはよかったよかったで松井には残念しかしドンマイドンマイである。

ところで私はトロント・ブルージェイズのファンだ。20年程前、トロント郊外オークタウンのヘイズ氏宅で10日間程妻と一緒にホームステイをしたことがある。世話になったヘイズ夫人に連れていってもらった名所のひとつがブルージェイズの本拠地=スカイドームで、折しも春季キャンプの練習中だった。
当たり前なのだが、日本人ばなれした巨漢ぞろいの選手達を目の当たりにして、「あのカラダを支えるために奴らはあんなにジャガイモを食い肉を食いワインを飲むんだなあ」と、妙に感心した覚えがある。

07/10/28 (日) 本日は快晴なのだが


寝違いになってしまった。寝違いで死んだ人などいないだろうとたかをくくっていたのだが、痛い。昨晩は、寝返りをうつたびに刺すような痛みが走った。
起きてからも首だけを動かすことができず、体全体で向きを変えざるを得ない。
大型サロンパスを貼っても瞬間冷たさが走るだけだ。
とりあえずタオルを首に巻いて事務所に入り一服。


TVをつけると例の亀田興毅謝罪記者会見録画が流れている。
20歳を超えているとはいえまだ若年でなおかつ肉体鍛錬が仕事の青年に対して言葉を扱うことが仕事の記者が浴びせる質問はねちねちで本来謝罪とは関係ないプライバシーの領域にまで入り込み、嫌な感じが残った。翻って亀田青年の口から出てくる単発の言葉にはリアリテイがあったと思う。

07/10/27 (土) 昨日の勉強会


昨日の午後は、議員十数人が集まっての自主的な勉強会が開かれた。勉強テーマは勿論先日19日の全協で市長から発表された「行政計画」内容で、講師には財政課課長を招いた。
計画発表は、新聞各紙が取り上げ市のホームページにもアップロードされた。全協後に開かれた市長記者会見の模様はケーブルTV・29チャンネルでも放映されるそうである。
勉強会では各議員からの質疑が相次ぎ課長がそれに答えるというかたちで会が進行し終了した。その細かい逐一を書き込むことは「日記」という性格上なじまないので省くけれども、整理してから別コンテンツにアップロードするつもりです。


ということで、夕刻に事務所へ戻り、「議員の使命とは何ぞや」を考えた。自分自身あるいは市民住民から聞かれる疑問を行政に問いただし回答を発信することだろう。


今回の計画見通しはH30年までに要求される懸案事業を入れ込んだものである。新幹線関連予算などは福井駅迄同時開業という県の国に対する要求に連動するかたちで大幅増となって出てきたものだ。実際にはこれを自治体だけの負担とするのではなく、例えば坂井市と連動してこそ「北の玄関口」となるのだろうと思うしあるいは整備機構に任せることの出来る領域が可能性としてあると思うが、それらは議案として出てきた時の審議対象であって、「行政計画」が言及する質のものではない。


9月議会でH22年度までの各小学校耐震補強改修が議決となったことなど新たな事業が増えているなかで、総務省だったか財務省だったかから合併特例債枠拡大の答申があり起債は有利な条件のものがいいに決まっている。


思い出したのだが
四日程前に知人から「公共料金が上がるのか?」と言われた。
これは昨年6月議会での「新市建設計画変更」案が議決された際に資料として既に添付されていたものであり、当時の統合派議員諸氏がこれを了承しているのである。つまり現市長が新たに提出したものではない。
思うにこれは保育園児の人口のこれからの推移など微妙なところがあり軽軽に言えるものではないけれども他の事業費の圧縮などで削減あるいは圧縮が可能なのではないか。


とかなんとかを考えているうちに古時計が午後6時を打った。
冷蔵庫をあけると缶ビールが置いてある。三ヶ月ぶりに飲んだ。いっきに飲んだのですぐにソファに寝転びまどろんでしまった。
今朝目が覚めてから携帯電話に着信履歴や受信メールが沢山あったことに気付いた。携帯コール・メールをくださった皆さん、返事できずにごめんなさい。
〇今日の午後、ぼくは某寺院での説法でインターネットこおろぎの話を聞いてとても考えさせられてしまった。整理して書き込みたいと思っています。

07/10/26 (金) もう週末か


来期からの高田繁ヤクルト監督が正式決定した。記憶によれば巨人に入団して初本塁打を打った場所が福井県営球場であり私はたまたまその試合を内野席でみていた。
明治大学野球部時代には「島岡監督に殴られなかった唯一の男」という伝説を持ち、確かに笑顔も折り目正しさも(TV画面では)一級品と思える。
どうもヤクルト監督はナイスガイが続くようです。


介護保険広域連合運協を終え事務所でCADにいそしんでいた昨夕、副市長に就任した北島善雄氏が挨拶で来訪。しばらくの間、談笑した。
10年ほど前に金小PTA会長をしていた時、放課後児童クラブの話が持ち上がり、旧金津町役場へ何度も足を運んだが、その時の厚生課長が北島氏であったのを思い出す。


夕食の為に事務所片付け整理をしていたら、どたどたと数人が来訪。手話サークルの定例日だったのだ。
加わりはしたが、実はこの時間帯に強い眠気を催す私にとっては一番苦手な時間帯だ。
でもドンマイで下の歌の手話コーラスを勉強していました。
なんつうか、忙しい毎日が続く。


       紅葉
秋の夕日に照る山紅葉(やまもみじ)
(こ)いも薄いも数ある中に、
松をいろどる楓(かえで)や蔦(つた)は、
山のふもとの裾模様(すそもよう)

(たに)の流(ながれ)に散り浮く紅葉、
波にゆられて離れて寄って、
赤や黄色の色様々に、
水の上にも織る錦

07/10/25 (木) 本日は坂井地区介護保険広域連合運営協議会


一昨日の日記にも書いたけれども、来年度に福井で全国ろうあ者大会が開かれる。
47年間に一度の大きな大会で芦原温泉に1000人以上の宿泊を予定しているそうだ。ということで関係者お二人の依頼で昨日は市長室や関係課を同行して廻った。
健聴者が1000人以上泊まるのと、ろうあ者が1000人以上泊まるのとで受け入れ態勢は当然違ってくる。全通研(全国手話通訳問題研究会)福井県支部が、受け入れ旅館それぞれの接待さんを集めての手話講習を予定しているとのこと。
市民のみなさん、来年6月に芦原温泉街で彼ら彼女らに出会ったら積極的に話しかけてみてください。


昨晩は某所で中学校問題に関する会合があった。
夜更けて事務所に戻ったら某市議来訪。ボツボツ話し合ううちなんとなく焼酎を少し飲みたくなり冷蔵庫をあけた。焼酎瓶の横に炭酸水ペットボトルが置いてある。
割って口に入れると喉越しサワヤカだ。
若かった頃に比べると随分弱くなった私だけれどもアルコールは終生の友であり続けるだろう。
「古来、人類がどんな辺境の地に住んでいても、そこには酒と音楽があった」とものの本で読んだことがある。

07/10/24 (水) 今日から股引


「私的な理由で落ち込んでしまった」と昨日の日記に書いたら、「何故?」というメールが入ってきて、ありがたいことです。
私自身はどちらかというと感度の鈍いタイプに属するが、それでも「比内地鶏偽装表示・守屋ゴルフ接待問題・赤福偽装」などなどの世相を暗くするニュースを読んでいると、私的ではない理由でも気分は落ち込み勝ちになる。


ひとがひととして生きていることの誇りが無くなったあるいは薄くなったことには様々な理由があるだろう。
自由の標榜は裏腹の勝手を促すし、情報化社会による価値観の多様化は人間関係の希薄化を促すし、便利な生活は我慢力の減退を促すエトセトラで、私たちの行く手はますます不透明だ。


59歳を前にしてなんとなく心に安定を感じるようになってきたのは、「嫌なしゃばを見続けなければならないのももうしばらくだ」という死期への期待感の顕われかもしれないが、しかしそれでは次世代への無責任なバトンタッチとなってしまう。
結局は公状況に対する継続的な憤怒を胸に秘めつつ、私状況で時折のささやかな楽しみを味わうという日々の繰り返しが続いていくのだろう。

〇思うところあってCB(コンクリートブロック)を秘密部屋とした。古いほうのパソコンを移動した。リスクの分散である。
床を拭き壁を磨き、モノをどしどし捨てている。
武家書院に家具調度が置かれていなかったのは、「いざ鎌倉」が勃興武士の合言葉だったからであり、モノのない生活がフットワークを軽くしたのである。
現代人も見習うべきではないだろうか。


〇一昨日来訪したNPO法人代表者は「ボランテイアだと全て手弁当です。でもね、県からの委託金などが入ってくると、分配に困ったりすることがあるんですよ。ややもすると不満が出る」と言う。
カネはひとを喜ばせもするが、ひとをさもしくさせもするんだろう、と言うと言い過ぎか。

07/10/23 (火) 毎日忙しいなあ


・昨日は私的な理由で落ち込んでしまった。反省しきりです。
馬鹿な私だとは思うけれども、ここに書くような内容のものではないし、こういう時はケセラセラの気分になるまでじっとしていよう。


・石田稔氏といえば福井県の手話通訳の草分け的存在で、関係者で知らない人は居ない。
昨晩、彼から実に久し振りの電話があった。
来年福井県で全国ろうあ者大会が開かれ、2200人が集まるとのことです。


・デイケア介護施設からのアドバイスもあって、寝たきり父親の部屋をただ今移動中。
妻・お袋がかいがいしく動き、
下の息子は重いものをせっせと運んでいる。


思い起こせば若い頃の私は「逆三の牧田」と呼ばれる程に筋肉質で、決して現在のような「メタボの牧田」ではなかった。三島由紀夫を真似し沖永良部島の珊瑚礁で燃える夕陽を背景に撮ったモノクロアートヌードは、現在もアルバムに貼ってある。
スリムな息子の動きを見ていると、あの頃のギラギラ気質に戻りたいとは思わないが、あの頃の体に戻りたいとだけは思う。


若い頃は、心の傷はなかなか癒えないが、体の傷はすぐ癒える
歳をとると、体の傷はなかなか癒えないが、心の傷はすぐ癒える
                     椎名誠「モンパの木の下で」

07/10/22 (月) 新しい週に入った


午前二時に目が覚め事務所に入った。毛布を膝にかけパソコンのスイッチを入れこのHPを覗いた。
アクセスが28万カウントを超えている。こんな駄文に付き合っていただいて、ありがたいことです。


8年ほど前、町議選に出た時のウグイス嬢のご主人がコンピューター・プログラミングの仕事をしていて「議員ならHP日記を書くべし掲示板をつけるべし」と言われ、このHPを開設していただいた。
一年ほど何の書き込みもしなかったのだけれども、友人達から「議員なら毎日書くべし」と言われ重い腰を上げた。


その後、HP作製ソフトを購入しスタイルを修正もした。しかし毎日の書き込みというのは結構しんどいもので、もう止めようと思ったことも何度かある。標題が「議員日記」であるが故の中身の硬さに縛られ継続が難しいと感じ始めた時、「えーいなんでもええわ・・思ったこと感じたことそのままにキーボードを叩くだけや」と肩の力を抜いてから、しんどさが楽しさに転化したような気がする。


街を歩いていて偶然出会った知人に「久し振りやなあ」と声をかけると、「いや、毎日会ってるぞ」との?的返事が返ってきた。それが「毎日読んでるぞ」の意味だとわかった時などなんとなく嬉しいものです。


そういえば昨日来訪した某女性から「百年の孤独」という私のライフスタイルにぴったりの黄金色本格蒸留酒を頂いた。
今、少しだけちびりちびりとやってます。

 07/10/21 (日) 深夜に イブモンタンを聴きながら


JPGなので見づらいかもしれないが、要はPDFファイル 「行政計画」資料2のP1.P2・P3である。
P1は平成18年2月作製・つまり前市長が昨年地区別説明会などに資料として添付されたもの。
P2は平成18年6月作製・つまり「新市建設計画変更」が議会承認された時の資料として添付されたもの。
P3が今回提示された資料である。


一部のひとから、「公共料金値上げ・都市計画税」云々について聞かれたが、既に昨年6月段階でインプットされており、構造的に言うと当時の統合派議員諸氏はそれを認めたわけです。
つまり昨年6月提示も今回提示もそのベースは同じであることを認識しておく必要がある。


バブル期における国の施策失敗のつけで、自治体としては住民の受益者負担をある程度認めざるを得ないという意見もある。
しかし、昨日、某議員と話していた時、「試算では公共料金値上げによる税収増は¥4億程度やな」と言われた。
例えば提示された計画の他の事業額の見直しで、これを圧縮することも可能なはずです。要求される行政サービスは多岐に渡るものであり大事なことはバランス感覚でしょう。もっともこの感覚がひとによって違うわけですが・・・。


いずれにしろ「行政計画」は計画であって、「議案書」ではない。
行政側から議案が個別に出てきた時こそ、数値をめぐる論戦となるのだろうと思います。
10/14日記を読んだひとからのメール抜粋


前略・・・・今日の日記読みました。先月末、出張で北海道に行ったら小樽に素敵なランプがたくさん売られてましたよ~!知ってたら買ってきてあげたのにね。
小樽のガラス商店街をうろついた後、にしん御殿を見学。こっちのほうがインパクト強かったです。霊感はないはずなのにぞくぞくしました!あそこは絶対なにかいる!
移り変わる地域社会の様相をまのあたりにした気分。にしんが来なくなった理由は、乱獲よりも海水温度の変化や森林伐採による河口環境の変化でプランクトンが減ったことが大きいとか。環境保全は大切。それに古いものを残すことも。・・・攻略

07/10/20 (土) 二中存続派議員のひとりとして


本日の福井新聞から


私は新聞記者ではないので、昨日の市長記者会見の模様を知らない。ただ、夕刻に某新聞の記者から電話があって、会見の概要を聞かされた。それを含めて昨日の夜はいろいろなことを考えていた。


・今回の問題はその端緒において統合vs二中存続の理念と財政に焦点があった。
・今年四月の市長選で現市長が当選し、梶取り役が交代したことで、方針が二中存続に大きく傾いた。
・(私の印象として)6月議会でも9月議会でも「統合」を標榜する声はなくなり「財政上可能か」という一点しぼりの声が大きくなった。
・「財政計画」が発表され、あとは議会の精査あるいは市民の反応を待つかたちとなった。
・「財政上可能であるとしても、芦原中改築・金津中耐震補強改修では金津の住民が黙っていないぞ」という声を昨日聞かされたが果たしてその言葉に普遍性があるか。合併「あわら市」が誕生して既に数年経たにも関わらずの単なる地域エゴではないか。
・二中の教育環境に格差があってならないのは当然だけれども、環境の基本はハードではなくてソフトとシステムである。この場合、ハードは建物自体を意味しソフトは生徒教師間等学内生活を意味する。
・でありながらも市は金津中改修に¥16億強という私の予想を超える額を提示してきた。
・今後の議会で、「高すぎる。税の無駄使いだ」という声も出てくるだろうし、「もう少し上乗せすることで二中改築が可能となるのではないか」という声がでてくるかもしれない。
・しかし、例えば提示された新幹線に係る額などは考え方によってもっともっと圧縮できるはずだし、そのことによって二中改築が選択肢となる可能性もあるか。
いずれにしろそれは議案として出てきた時にこそ議会側の対応として迫られることである。
・私自身は建築のプロとして公共物の今後は建て替えではなく耐震補強改修に軸を置くべきだと考える者であるが・・。
〇今朝、近くのスーパーマーケットへ買物に行った折、知人に呼び止められた。
「昨日NHK・TVで話してましたね~」と言われ、学校問題について市庁舎で話をしたことを思い出した。
私は若かった頃、何度かラジオ局に出向き、話をした経験がある。しかし結局TV局からお声がかかることはなかった。声に真摯さがあっても、目を除けば外見がTV映りしないことにその原因があった(と私は推測している)。



07/10/19 (金) 本日は臨時議会です


本日は午前9時半から臨時議会が開かれた。人事案件で北島善雄氏の副市長就任が全員賛成で承認された。
続いて全員協議会が開かれ、橋本市長及び財政課課長から「あわら市財政状況見通し」についての発表説明があった。コンテンツ「議会報告2007」から「行政計画資料1」及び「行政計画資料2」をクリックしてください。


昼のラジオは、全協の内容及び二中存続派議員・統合派議員による印象の声を既に報道していた。


「行政計画」は今後10年間の行政の指針を出すものである。個別案件の執行に関しては議会承認を必要とするけれども、「行政計画」自体は議案でないというところも肝要だ。
要は「新市建設計画変更」差戻しの議会承認によって「行政計画」が現実化されるということであり、そこに焦点は移った。


私は私なりに資料を勉強して発信していくつもりだし、資料に関して理解できない部分があれば、電話・メール・市政掲示板などでなんなりとお聞きください。
能う限りお答えします。

07/10/18 (木) 昨日の一日


昨日の午前中はトリムパークで開かれた健康長寿祭に出席。
金津町議時代健康長寿祭が開かれるたび、配布されたパンフをもとに電卓をはじいて各区生活環境と長寿の関係を調査していた。なかなかに示唆的なものがみえてくる。今年もするつもりだ。


午後は、紛失したCADデーター探しに奔走した。やっとみつけてほっとしたのだけれども、データーバックアップ管理の大切さを痛感した。


夕食後のひとときを終えてからは、数人が集まっての会議。夜更けに散会した。
明日、いよいよ「財政計画」が発表される。

07/10/17 (水) ただ今 午前5時


昨晩、某所での会議が終了したあと事務所に戻り、Kさんから頂いた幕の内弁当を開いた。食べるだけでは寂しいので、冷蔵庫から蕎麦焼酎をとりだした。
お湯割りであおりふっと息をついた。


足元が冷える程に秋が深まっている。窓外から聞こえるコオロギの鳴き声も悲しそうだ。


白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の
         酒はしづかに 飲むべかりけれ
 若山牧水  である


紅顔の美少年だった頃から秋を愛し続けてきた。
冬の寒さが苦手で、夏は汗が出るので嫌だった。春の浮き浮き気分が私にはなじめなかった。
減反政策で今は既に米づくりをやめてしまった我が家だけれども、毎年刈入れを手伝うこの季節が自分も大人の役にたつのだと認識するいわば自己確認の季節だという思いが牧田少年の小さな胸に定着していった。
秋が最も好きな季節という理由もそこにある。


高校生の秋、九州へ修学旅行に行った。
やまなみハイウエイでバスガイドの夕子さん(当時の推定年齢=22才、推定趣味=生花とクラッシックピアノ)が「東京のバスガール」を唄った時の横顔に私は美の女神を見た。
恋におちいった。しかし、ひと言も言葉を交わせず片思いのまま福井に帰った。


秋の収穫を終えたある日、長靴姿の私は、落穂拾いで田圃のなかを歩いていた。
落ちる夕陽が夕子さんとなって私に微笑みかけてきた。
けだるかった。
横に並んで落穂拾いをする祖父母の手前口に出すこともできず、「夕子姉さん・・夕子さん・・ああ夕子・・」と心でつぶやき溜息をついていた。
歴史の授業で「日ソ友好条約」と教えられても「日ソ夕子条約」と書いてしまう日々が続いた。


秋には青春の一ページも刻まれている。

07/10/16 (火) 本日は健康長寿祭


昨日は「環境対策特別委員会現地調査」ということで、午前9時に市庁舎に集合した。
調査事項は
・産業廃棄物処理施設等の現状について
・砂利採取及び埋め立て箇所の現状について


管轄課市職員のみならず県(三国土木)職員も同行したが、これは、施設の許認可権が県にあるからだ。
産廃処理が汚染を誘発しないよう、我々には監視をする義務がある。と同時にそのような現場に入る毎に、我々自身の日々の生活が沢山の処理物を産み出していることを実感もする。
例えて言えば、食うことで排泄を余儀なくされるわけで、ならば便所をきれいにしておかなければならないということだ。
と同時に、分別しリサイクルに向かう姿勢も大切だ。


地球温暖化問題を訴えるゴア前米副大統領がノーベル平和賞を受賞したことには政治的匂いがあるけれども、それはそれとして、エコロジーが今世紀最大の課題であることは疑いない。
〇トリムパークで開かれた健康長寿祭(金津地区)のひとこま



・大雑把に言えば、健康長寿祭を楽しんでいる老人達は元気だ。しかし例えば寝たきりでいる私の父のように、参加できない老人達の数が多いのも事実だ。不健康が体内に浸潤することが老人の証しではないかと、私は思うのである。


生病老死はすなわち生きる過程である。
例えば私などは長寿祭参加老人達と比べるとまだまだ若い。
けれども、いつどのようなかたちで?という来たるべき死に対する予感をいつも持ち歩いている。
そして、嫌いな奴と出会えば、「こいつはいつ成仏するのだろうか」とつくり笑顔を維持しながらも心でつぶやいている。
というか、死を考えることが生への逆照射だと思っている。
その意味で、私は8年程前、既に老人となっているのである。

 07/10/15 (月) 本日は環境対策特別委員会管内視察


昨日をCADや構造計算に充てる予定だったが、マスコミも含めたいろんなひとの来訪で日曜日の昼はつぶれた。議会や委員会への出席をもってのみ議員の仕事だとするならば現在の報酬は高すぎるけれども、それ以外の諸々でのフルタイムワーカー的要素を勘案するならば高くはない、と私は思う。


12日の全協の結果が新聞記事にもなったことで、19日予定臨時議会あるいは全協での二中存続を軸とした財政計画市長提出に焦点は移っている。全協又は名委員会付託での丁々発止が始まるだろう。


議会意思はひとつである。個々の議員は個々の意見を持ちながらも、最終的にひとつとなることで議会意思が発現されることとなる。その意味で二中存続派も統合派もない。


仄聞するに、統合派(とレッテルされた)議員諸氏の多くもこの日記を読んでいるそうだ。
財政計画の精査と同時に今日に至るまでの経過を思い起こし、背後にある民意を汲み取っていただきたい。そうすることで力を合わせより良いあわら市をつくっていくことが、我々議員に課せられた唯一最大の義務であると私は考える。

07/10/14 (日) 忙しくなりそうな日曜日


食料輸入を中国に大きく依存するようになった昨今、輸入農畜産物に混入する毒性が問題となっている。先進国のなかで食料自給率が突出して低い日本にとっては看過できない。


まさか江戸の昔に戻ることは出来ないだろうが、「士農工商」で重農政策を施した江戸幕府を再考しなければならないと思う。
当然無農薬で、町衆の排泄物は貴重な下肥として近郊農家に売られていた。農家の風呂は一週間くらいは水替えをしなかった。溜まりに溜まった垢が貴重な肥料となったからだ。
菜種は照明の原料となり、藁は縄となりてんごとなりわらじとなった。つまり循環経済であった。当然、当時の社会には匂いがあった。

しかしやね
TVが無臭ナントカ無菌ナントカを宣伝するせいか、社会がどんどん蒸留化されている。

某議員が私に「まきちゃん、市内には公共下水道延伸地域と未延伸地域があるわな。こどもがな、未延伸地域の家へ遊びに行くのを渋ることがある。便所臭いと言うんや」と言ったことがある。

物に形があるように、言葉に抑揚があるように、気体に匂いがあることは本来当たり前のことであるはずなのに、社会は近代化の名のもとに我々を無感覚人間にしたてあげようとしていると思うのである。


〇本日は事務所の整理整頓にせいを出している。来訪者の皆さんにファンタジックな空間を味わっていただきたいからだ。
キーワードはランプ
能登半島の突端で見た「ランプの宿」のような雰囲気を創りたい。問題はランプが無いことだ。どこへ行けば買うことができるのだろう。

07/10/13 (土) もう週末か

昨日の朝、私は、あわら市庁舎で手話通訳をしていた。市内在住ろう者の手話字幕付CS放送対応周辺機器購入に関する補助関係の説明を福祉課から依頼された為である。
耳が聞こえないろう者にとって、TV情報を楽しむ上で手話あるいは字幕の画面同時進行は不可欠でありいわば生活の必需品だ。


通訳をしながら思ったことがある。
TVのニュースや芸人のコメントのなかでのセリフを強調する部分で字幕が単発的に入るシーンがよく見られる。10年以上前から顕著になってきた光景だ。


勿論これは字幕放送とはなんの関係もなくて、TV屋の恣意的な思い入れである。
コメントやセリフは、口から飛び出した瞬間発語者の思いから離れて独立した存在となる。言葉の流れ全体のなかでアクセントをどこに感じるかは個々の視聴者自身の感性に拠るものだ。
TV屋は思い上がっていると言うべきだろう。
〇黒川紀章が亡くなった。
30数年前、福井市内の某料亭2階和室で私たち数人に対して建築設計自論を熱く語ってくれたのを思い出す。当時障害者施設を設計中だった彼は、ハードのソフトに対する可能性と限界性の両面を語ってくれた。
本日の新聞見出しでは「奔放な人生を送った人」と書かれている。師匠・丹下健三と袂を分かったのは、丹下が東京都庁舎を設計した頃ではなかっただろうか。


私が直接知っている建築家といえば毛綱毅曠真喜志好一末吉栄三くらいしかいないが、例えば毛綱なども唯我独尊的変わり者だった。彼は60歳で世を去り、黒川も享年73歳と若い。
アーテイストにとっては自分の魂を表現することが人生の全てであり、世俗との戦いの日々を送る。結果として健康長寿の世界に入れないのだ。はしくれアーテイストの私も早世するだろう。

 07/10/12 (金) 本日は全協

産業建設常任委員会行政視察研修第一日は、諏訪市庁舎での「辻と小径の景観づくり支援事業について」



第二日は、塩尻市庁舎での「塩尻営農サポートセンターについて」



それぞれで沢山の資料を頂いてきた。後日、整理してPDFなどでアップしようと思います。


ところで、早起きの私は早朝にホテル近くの諏訪湖湖畔を歩いた。



セイコーエプソンなどの水を大量消費するハイテク機器メーカを周囲に抱える諏訪湖だけれども思いのほか汚なかった。目の前を泳ぐカルガモの群れは人馴れしているような感じだった。


今回改めて痛感したのは携帯電話の効力だ。バスで移動中の私の携帯電話に友好同志的市議たちから議会に関する情報が入ってくる。それはリアルタイムであり福井と長野の距離を瞬時に超えるものである。一昔前には考えられなかったことです。
〇昨晩の私の事務所は、手話サークル例会と二中存続派同志議員の集まりが重なって駐車台数が多かった。そのせいか、どうも見張られていたみたいだ。少なくともその可能性がある。
思い起こせば四月の市長選挙の時、私の事務所で選挙事務を手伝ってくださった女性二人が見張られていて事務作業終了後に行ったラーメン屋まで追跡された、と聞いた。
さかのぼると、昨年6月の新市建設計画変更議会承認のあと、某統合派議員から「まきちゃんの事務所の出入りはいつも見張られていたんやぞ」と言われたことがある。
もっとさかのぼると、Oさんが町長選挙に出たさいも、私の事務所はひとの出入りがチェックされていたそうだ。こういう話を聞かされるたび、相手方の器量の狭さに対して先ずはゲラゲラ笑いそして悲しくなる。


面白ふて やがて悲しき 鵜飼かな 
芭蕉   である。


我々は国家転覆を画策しているわけではない。二中存続を目指して集まり意見を交換しているだけの話しだ。統合派のように議会関係の部屋を使用することもできない哀れな存在なのである。
思想の自由・集会の自由は日本国憲法が保障しており、議会精神がその傘下にあることは自明の理である。
なんとなさけないことよ、とついつい思ってしまうのである。

07/10/11 (木) 帰ってきました

午後八時に、産建常任委員会行政視察研修を終えて事務所に戻りました。事務所では手話サークル例会が開かれていました。
普段と違うスメヂュールをこなすととかく疲れがちになります

07/10/10 (水) 本日及び明日は行政視察研修

昼一番に来訪したS氏が「噂で聞いた議会のことやけど・・・」と話し始めた内容が実情とあまりにもかけ離れたものであることにびっくりした。外の立場・内の立場で見方に落差が生じるのはある程度やむを得ないとしても程度問題だ。議員ひとりひとりの情報発信力などしれたものかもしれないが、選択できる発信方法でベストを尽くさねば、と思った。

入れ替わりに、友人のK氏が来訪。某団体企画の「ふるさと探訪ツアー」スケヂュールについての話を持ち込んできた。その日私は一角でマイクを持つことになる。こういうのは純粋に心を癒す行為であり議会とは対象的だ。
K氏は「議員というのは良くも悪しくも酒のつまみやね。床屋談義で個々の名前が必ず出てくる。揶揄で溜飲を下げるんやね」と言う。永遠にそうなのだろう。

帰省していた妹が明日帰るという。ワインなんぞを飲みながらじっくりと話したいと思っていたけれどもこのところなんせ来訪者が多くて時間をとることができなかった。
がしかし血の繋がったものどおしには阿吽の呼吸があり多弁は不要だ。ともいえる。

夜は数人が事務所に集まり、某氏の不満を聴いた。相槌をうちながらの時間帯のなか、下の息子がひょいと顔を出した。車を貸してほしいと言う。うん、運転免許を取得したのだ。
シートベルトを必ず締めること・絶対にスピードを出さないことエトセトラを講義した。

本日及び明日は産業建設常任委員会行政視察研修で、行先は長野県諏訪市⇒「辻と小径のまちづくり事業研修」及び塩尻市⇒「営農サポートセンター研修」。
後日、研修結果をコンテンツ・議会報告に書き込みます。

 07/10/09 (火) 昨日の一日


お盆の時に帰省できなかった妹が里帰りしてきたので、昨日の朝、一緒に裏山の墓を訪れた。巨木の陰にひっそりとたたずむ先祖の墓は折からの霧雨でしっぽりと濡れている。妹は墓の頭を感慨深げになでている。
私は、「うーん、ここで永遠の休息に入るのも悪くはないな」と自らの未来を思い描いた。


午後の来訪者との会話のなかで相手方女性の誕生日を忘れていたことに気がついた。どうも認知力が衰退しつつある。この失礼は当然どこかでおかえししなければいけない喜んでもらわなければならない。
途中に電話が入り「二中存続の進捗状況は?」と問われ、「粛々と進んでいます」と答えた。


夜は某所にて秘密会議。
夜更けての会議終了後、事務所で来訪者と三人での歓談となった。会話のなかでぼくは自分のいい加減さを強く自覚した。
外見の精悍さからかしっかりした人とよく言われるが、自分ではそう思ってはいないし仮にそうであるとしても別の面ではその程度に応じていい加減でもあり、結局はプラスマイナスゼロだろう。
およそ人間とはそういうものだと思う。
〇↓昨日10/08日記最終行に対する当人からの反論携帯メールの無断貼り付け
昨日の日記の「ご婦人」ていうのヤダ!おばさんくさい〓

07/10/08 (月) 深夜に雨音を聴きながら


↓昨日の市民体育祭開会式風景



昔読んだ丸谷才一編・「日本語読本」で、井上ひさしの「しゃべり言葉としての日本語の名詞が乱れても動詞が乱れない限り大丈夫だ。それを支えるのが重しとしての書き言葉だ」という部分で、「さすが小説家は言うことが違うなあ」と感心させられたことがある。
例えばこの日記も駄文とはいえ公開日記なので一応井上の至言を念頭に置いて書いているし、他人の公開日記(日記とブログの違いがぼくにはわからない)を殆ど読まないぼくも、市外にひとり県外にひとりを読んでいていつも感心させられる。
共通するのは事実の指摘と事実に対する思い入れのバランスだ。
事実指摘は簡潔がいいに決まっているし、思い入れが過剰になったのではかえって言葉が浮いてしまう。


比喩として不適当な気もするが
恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす なのである



二日程前だったか。
学生時代の同僚で、大手都市銀行本社でえらいさんをしていた男から携帯コールが入った。定年退職となり、田舎で晴耕雨読の日々に入るのだという。
そののんびりした口調にはエコノミストとして仕事人間として半生をまっとうしたことでの満足感が伺えた。(多分数千万エンの)沢山の退職金を懐にいれてのいわば凱旋は、典型的な勝ち組の余生保証である。幸せといえば幸せなのだろう。


しかし、普段そういう種族との付き合いが皆無のぼくなどには余生も半生もない。
そもそもが定年などとは無縁の生活を営み、(いつも妻から言われることだが)他人に胸襟を開かないぼくは、いくつかの悩みを自分で抱えたままこの世からさよならするのだろうと思う。


それが幸せな人生なのか幸せでない人生なのかはどうもよくわからない。
幸福度を測る物差しはどこの度量店に行っても買うことができないのである。
〇本日の来訪者のなかには子連れの御婦人もいて、なかなか賑やかでした。
皆さん、中学校問題を真剣に考えてらっしゃいます。

07/10/07 (日) 本日は市民体育祭


本日の福井新聞の「兄ベトさん死去」記事に川原さんのコメントが載っていた。


ベトナム戦争当時、ベトコンが逼塞するジャングルの上空から散布された「枯葉剤」はそれを化学兵器としてみるならば通常兵器よりも性質が悪く「悪魔の兵器」といえる。
記事を読んで、米映画・「地獄の黙示録」の米空軍編隊がジャングル上空を飛来するシーンがまざまざとよみがえってきた。


10年以上前に当時の金津町立図書館図書選定委員だった私たちは視察として三方町立図書館を訪れたことがあるが、その時に応対してくださったのが、「発達願う会」事務局長の河原さんだった。車椅子の河原さんから、「図書館行政」のことと「ベトちゃんとドクちゃん」のことを沢山聞かせていただいた。


私たちはせわしない日常に日々の生活が埋没しがちだけれども、偶には立ち止まって生きることの意味を考えてみるべきだと思う。
〇既に子育てを終えた私だけれども、本日の昼下がりにソファに寝転んでの読書で次のような文章が眼に入った。

おんぶ
母と子は同じ方向をむき、会話もまた肩越しに交わされる。又子供のほうも母の背中越しに見える前方の光景を、母の目を通じて眺めている。たとえ子供はまどろんでいても、母の目によって前方を見る。ほぼ同じことが<だっこ>にもいえるのかもかもしれない。母の膝にのせられ、うしろからやさしく抱かれるときの快さは不思議に忘れられない。それは母の胸にかじりつくことも含めて、対面ではなく、同じ側に立つことの快感につらぬかれているからだ。まるで母が黒子のようにして自分を支えてくれるのだ。ある一時期子供たちはたしかに母親を自分の側にしか立たない存在と信じている時期を過ごす。この秘められた事情は本来<むかいあい>の関係であるはずの対話において無意識に示される。たとえば個人主義の発達した西洋ならば、母親は子にむかいYOUだとかDUだとかいう第二人称をもって呼びかけることだろう。「ぼく、どうしたの?」「ひろちゃんは、おなかすいたのかな?」というようにごく自然に第一人称を使って語りかける。この場合<ひろちゃん>などという名前は一見すると二人称的にみえるが、実は一人称の変形にすぎない。なぜなら日本の子はいつも自分のことを<ひろちゃん、おなかすいたよ>などというふうに表現するからだ。
こうして母親は、ある一時期の子供たちにとって<他者>ではあり得ない。彼女は、自分の意識の、眼の、耳の、意志の、また希望の延長なのだ。それだけに母親は、自分自身に対して行い得るすべての行為を、子供に対して実行することが許される。たとえその子を叩いても、叱っても、それは自分を叩き、叱ることと同じなのだ。
そしてこのとき、子供には本当の意味で個としての<自分>など存在しないに決まっている。ぼくたち日本の少年の大部分は、そうやって母の下で育つ。母が子を叱り、たとえ死に至らせたとしても、それはたとえばスパルタ教師のしごきやいたずらな友達のいじめによる死とは、根本的に異なるものかもしれない。なぜなら、子は単に<外へ出てきた胎児>にほかならず、母体が死ねば必然的に胎児も衰死するという関係になっているからだ。とすれば、このふたりは、いやでも同じ側に立たざるを得ないことになるだろう。
                           荒俣宏「日本仰天起源」

07/10/06 (土) もう終末か


昨日の朝、新聞記者からの「どう思いますか」というながい携帯コールで、「あわら市を考える市民の会」というものの結成設立総会が開かれたことを知った。
昨晩の来訪女性は「県民福井記事」を持ってきてくださった。
メールチェックをすると知人からの詳細な分析文章が入っていた。 本日の福井新聞にも関連記事が載っている。


市政を市民が監視することはよいことである。
「2校を守る市民の会」と連動した我々二中存続派(とレッテルされた)議員たちは、統合派(とレッテルされた)議員達から全協などで、「議会人は議会内活動が全てだ。市民市民と言うな」と散々言われたのを思い出す。


しかし気になるところもある。
責任者の「・・合併前の市政運営はスムーズだったが2校存続を訴える市長に変わったことで市政発展に大きなブレーキがかかってしまった云々・・」のくだりだけれども、現市長は、金津中耐震調査後、財政計画を粛々と進めておりそのことは記者会見でも明らかだ。大きなブレーキが具体的に何を指し示しているのかよくわからない。
市長はクーデターで変わったのではなくて選挙で変わったのである。民意の結果であり民意とは市民意思の略語である。
ブレーキがかかっているイメージが市民の間にあるとするならば、行政と議会の間にねじれがあることだ。


仮に市長からの財政計画案提示後もこのねじれが続くのだとしたら確かにブレーキがかかっていることになり、現在の議会は正常に機能していないことになる。国政に於ける衆参両院の関係みたいなものであり、市民にとっては大変迷惑な話だ。


いろんなことが嫌になり議員を辞職しようかと思った時、周囲のひとから止められた。「あなた個人の問題ではない。二中存続派議員がひとり減ることが打撃なのだ」と、かたく止められた。


であるならば
国政において来春の衆議院解散総選挙が噂されているように、あわら市においても市議会解散選挙で新たに民意を問うのが選択肢ではないかと思う。
現市長が民意で選ばれた如く、市議会議員も現今の情勢下での民意が新しい議員を選べばいいと、思う。


市職員から「〇日〇時に手話通訳をしてほしい」という電話が入った。
いわゆる有償ボランテイアというやつだろう。
私は「議員としての公務みたいなものだから金はいい。だけど、少額だから頂いてもかまわない」と答えた。

07/10/05 (金) 夜明けに牛乳を飲みながら


昨晩は早寝をせずに起きて本を読んでいた。
電気がついていたせいか何人かの来訪者があり、初めてのひとが「手話のことで・・」と入ってきて昨晩が例会日であることに気がついた。そのうちにろう者夫婦が来て賑やかになり夜が更けていった。


若い頃あることがきっかけで手話を始めた。今は付き合い程度だけれどもその頃は夢中だった。仮にPTAとか議会とかに無縁だったならば、懸命さは今でも続いていただろうと思う。
障害者のことはアタマではなくてカラダでの理解が大きい。というよりも理解できる部分と理解できない部分の彼岸がわかる。
教育とか福祉とかは、煎じ詰めれば「ひとが生きるってどういうことなのか」を最大のテーマとしているはずだし、その意味でとても大切だと思う。


昨日の朝のTVニュースが「建築物の確認申請書提出件数が40%も激減。資材がだぶつき社会問題化している」と報じていた。
6月20日に確認申請のシステムが大幅に厳しく改正(?)された為だ。勿論姉歯偽装事件が契機となっているのだが、行政側は建築物確認申請業務に係るひと達に対して、「性悪説」を採用することになったのである。悲しいことだ。


人は全て愚かだという意味で、私は「性愚説」をとってはいるが、「性悪説」はとらない。「性悪説」はひとのココロを寒々とさせてしまう。

 07/10/04 (木) 本日は広報編集委員会


大相撲の元横綱若乃花、花田勝さん(36)が妻の美恵子さん(38)と2日に離婚した。所属事務所が3日、明らかにした。
 花田さんはマスコミあてのファクスで、「2人で時間をかけて話し合い、このような結果となりました。出会えたこと、4人の子供を授かったことなど、13年間の結婚生活に感謝しています」としている。2人は1994年6月に結婚した。⇒YOMIURI ON LINE


マスコミあてファックスなので仔細はわからないけれども、有名芸能人とか有名スポーツ選手のこういう離婚発表記事を目にするたび、嫌になる。


ちやほやする異性との接触も多く、本人自体ではなくて本人のネームバリューをもちあげられているに過ぎないことがわからずウヌボレバカになることの結末としての離婚だろう。


異性にもてるもてないは瑣末なことだ。浮気にとどめるべきであり本気になってはいけない、と浮気歴皆無・偕老同穴的結婚生活26年間実践者の私は思う。


「13年間の結婚生活に感謝」するのは当人どおしの自由だけれども授かった4人の子供たちのことをどう考えるのだろう。


そもそも、違った生活環境で育ったふたりが一緒に生活をすれば見たくなかった部分を見ることを余儀なくされる。摩擦が生じるのは当然だ。


けれども試行錯誤の歳月は夫婦を似たものどおしにしていくのではないだろうか。阿吽の呼吸が生じてくるのではないだろうか。


一面的な見方かもしれないが、そんなことを思いながら秋の夜長を過ごしています。

07/10/03 (水) 秋の夜


午前3時に熟睡から目が覚めた。事務所に入ると応接テーブルの上には林檎・芋菓子。缶ジュース・微糖缶珈琲エトセトラが置かれている。昨夕から晩にかけての記憶がよみがえってきた。多くの客人と話をしていたのである。
物音ひとつ聞こえない。外は漆黒の闇だ。ちょっと肌寒い。


昨日は、9月議会で承認・可決された金津雲雀ケ丘寮増築工事現場を覗きに行った。



・土工事の真っ最中だ。切土との高低差が意外と大きいのに驚いた。


・職員と宮谷石切場跡についての話をした。あの荘厳な空間を多くのひとに知ってほしいと思う。


・職員から親父のデイケア送迎に関する相談を受けた。体は少しずつ弱まっている。ひとが歳を重ねる限り避けることのできない現実だ。


・その親父の友人が出したを読み始めた。明け方に読み終えた。

07/10/02 (火) 深夜に春日八郎を聴きながら


10月は各委員会行政視察研修あるいは管内現地調査がいろいろ予定されている。


例えば私が所属している環境対策特別委員会管内現地調査は中旬の予定で管轄は「生活環境課」と「建設課」だ。
もう3年以上前の話になるけれども、横垣地籍にできた産廃業作業現場から出る異臭が問題となった。近隣住民からの苦情電話が私のところにも何本かあり、行政の対策進捗状況を確かめに行ったり、現場で責任者と何度も話したりした。保健所にも出向いた。
臭いというものは風向きや地形や季節によって変わるものでありあるいは臭いとはそもそも何なのかということで随分いろんなことを考えさせられた。
防臭対策工事にかかる費用の面で結局その業種は撤退した。
けれどもその業種は、じゃがいもの皮と泥土を攪拌させ有機肥料をつくるものであり有機農業の促進という意味ではむしろ有益であったはずで、産廃処理ではなく農林省管轄事業として出発していれば防臭対策に係る費用も補助されたのではないかと、思う。


今年の夏にキューバを訪問してきた山川共産党市議が「キューバはいいぞ」と言う。
観光と併行しての主要産業は農業で、肥料の相当部分はミミズ養殖に拠っているそうだ。
しかし私は将来住み移るならば沖永良部島での晴耕雨読がいいと思っている。妻は名古屋の郊外がいいと言っている。将来のことはわからない。
09/24日記でリンクした絆シリーズが好評でしたが、URLはここです。




 07/10/01 (月) 友人持参の珈琲「美味珈琲グルメ」を飲みながら


暁静かに寝覚めして 思へば涙ぞ抑へ敢えぬ
   はかなくこの世を過ぐしては いつかは浄土へ 参るべき   梁塵秘抄238


朝の4時に目が覚めた。いろいろあって厭世感のなかで目が覚めた。
ひとの一生はまことにはかないものだ。仮にこの世が桃源郷になったとしても、はかなさは残るだろう。


還暦を2年後に控え人生に黄昏が見えてきた。半生を総括できる歳になった今、振り返ってみるとおよそ真実一路ではなく目的意識のはっきりしない日々を送ってきたように思う。亭主失格父親失格つまるところ人間失格の烙印をついつい自分で押したくなる。


コレステロールじゃないが、ひとりひとりの心のなかに善玉と悪玉があり善悪は顔と腹に交互循環する。そして善悪の彼岸を越えた存在となれるのはやはり三途の川を渡った時だと思うのである。


というようなことを考えながら未明の竹田川河畔を歩いた。
東の空が白み始めている。闇と光が混在する不気味で不思議な時間帯だ。

〇約4カ月ぶりに「ヤフー掲示板」を覗いてみた。
虚実ないまぜいろいろ書かれているが、6月頃には私に言及している書き込みまで幾つかあってちょっと驚いた。
確か「返事」を求められているものまであったけれども、普段全然覗かない掲示板でそんなことを言われても困りますね。自分は自分のHPに当然のことながら実名で思いの丈をそのまま書いているしそれだけのことだと思います。