2008年08月


 08/08/31 (日) 8月最終日

★昨晩は有志議員数人が集まった。9月議会にむけてのあれこれを話す場となったが、それとは別に、某議員から「RC建物耐震補強の方法のひとつにこのようなものもある」という話が出た。

今朝、その概要を読んでみた。他に用事があって熟読までには至っていないけれども、半プロの立場から言わせてもらうならば、これは柱(短柱など脆性破壊のリスクを持った柱)に靭性(粘り強さ)を付与するする工法だろうし、素材が従来の炭素繊維ではなくSRFであることに特徴がある。しかし、よく考えてみると、施工に問題があるような気がするし、あるいは大臣認定がどうなっているかということも疑問のひとつとしてある。柱から大梁への応力の伝達についての懸念も感じられる。更に建物規模や耐震壁の量の差によって適不適があるような気もする。

あくまでも、「気がする」という言い方しかできない。が、日本全国津々浦々の研究所や大手ゼネコンあたりがいろんな工法を模索しているのは事実だろうなあ。

08/08/30 (土) もう土曜日か

★来訪者あるいは電話などの連絡で、9月議会の合間を縫った予定欄が段々黒く塗られていく。そのようななかで、某高校教師から、「教え子の建築志望女子生徒に対して住宅論を講義してほしい」という依頼を受けた。
「テーマは?」と聞くと、「掃除をしやすい住宅及びCO2削減など環境を考慮した住宅の追及」という答えが返ってきた。
郷土史のこと、手話のことでの話の依頼は時々あるけれども、住宅に関しては初めてだ。ま、いずれも人間の営みに関することだ。リラックスしてしゃべろうと思う。

★住宅といえば、今回関東地方及び東海地方を襲った豪雨による住宅の被害状況をTV画面で見るに、被害の有無は住宅を支える地盤の性状や勾配の程度によることがよくわかる。それは住宅だけではなくて建築物一般に当てはまるだろうし、地震の場合にもあてはまる。
先日の内灘町視察の際、担当者からの耐震補強の説明を全員で聞いたあとで個人的に詳細質問をしていたのが、当該建物の場合は文科省予算対応なので上部構造補強に限定ということであった。つまり基礎工事・地業工事はそのままであり、地盤性状によっては影響を与えうる。
ことが起こった場合、どこまでが人災でどこからが天災であるという線引きをすることは本当はとてもむつかしいことだと思う。

★住宅といえば、先日、某市の都市公園で茶室庵を見かけた。


銅版一文字葺きの下屋が見事で感動した。私の事務所は単なるプレファブだしそれはそれで十分なのだけれども、できたらの夢は数奇屋庵をつくることだ。名前は「牛庵(ぎゅうあん)」とする。

竹林にしつらえた露地を通りにじり口から入ってくる客人を、利休ねずみのかすりに身を包んだ亭主の私が深々と礼をして迎える。囲炉裏をはさんで対座し、友人陶芸家製作の茶碗に入れた抹茶をだす。「お点前拝見」とつぶやく。
だけれども私は本当は抹茶よりも珈琲のほうがずっとずっと好きなので、実際には珈琲をだすことになるだろう。
一口飲み込んだ客人の「おいしいです。これはキリマンジャロ産ですか?」という問いに対して、
「おみたて見事です。先月の飛行便で来たアフリカ直輸入のものです」と、私は答える。

「夜風が涼しくなってきました。露地から聞こえてくる虫はキリギリスのようですね。私の横にお寄りなさいな。そして、窓から外をご覧下さい。ススキ越しに中秋の名月がみえます。正調・日本の秋ですよねえ」と続けて言う。客人の顔は、いつしかうっとりとしている。

虫といえば
若い頃、ザルツブルグ音楽院でベートーベンに夢中だった私も来年には還暦を迎える歳となる。
今は山家鳥虫歌に夢中である。

恋に焦がれて 鳴く蝉よりも
    鳴かぬ蛍が 身を焦がす
   である
★秋刀魚をツマミにしてのきょうの晩酌時。
外から「おとうさああん。すごいよおお」と、妻が私を呼ぶ。
外に出て見上げると西の空が真っ赤だ。
竹田川河畔に走り、デジカメのシャッターをきった。


ついでに、夕陽を背にうけながら川面を散策する鴨の群れも撮った。

08/08/29 (金) 酩酊気分を少しだけ残しながら

★午前2時半に目が覚めた。アタマがズキズキする。意識がはっきりしてくる過程で、昨晩が手話定例会・親睦飲み会であったことを思い出した。

昨日の午後は、特別委員会のメンバーで石川県・内灘町の役場及び小学校を視察研修先として訪れていた。その町の教育長の「・・・何よりも子供は未来の宝です。特殊教育を地域へ戻すということも含めて内灘町議会は教育への投資を十分に認めてくださっています・・」という冒頭挨拶の言葉に素朴な好感を持った。
教育と福祉の柱をゼニカネだけで左右させるならば、行く手にある社会は精神的にみすぼらしいものとならざるを得ないだろう。

夕刻に事務所に戻ると、来訪者ふたりあり。四方山話を終えての入れ替わりに、唐揚・寿司・焼鳥ビールエトセトラを抱えた手話サークルの会員がどどっと入ってきた。
ビール飲みつつの親睦会のさなか、私は、ある健聴者と聴障者との会話にとてもほほえましい光景を見た。プライバシーの観点から詳述は省くが、
思うに
ほほえましい光景は、道端の雑草のなかの石ころのように目立たずに存在している。

★深夜はひとの出入りもなく電話連絡もない。追われている所用を粛々とこなすことのできる時間帯である。瞑想に浸ることのできる時間帯である。
それにしてもこのような生活形態はいつまで続くんだろう。
★知人から風発に関するメールが入ってきたので、市政関係掲示版に添付しました。
なお、掲示版へのコピー⇒貼付けではリンク機能が消えてしまうので、HPコンテンツにリンクを貼付けました。
及び低周波被害に対する懸念サイトも貼付けました。

08/08/28 (木) 深夜に虫の音を聴きながら



先日の全協で、市内公共建物アスベスト分析調査結果一覧が配布された。アスベストに含まれる物質のいくつかが新たに使用禁止対象になったことによる調査ということだ。
金津町議時代にアスベスト対策が大きくクローズアップされた時、私は何度か保健所(今は健康福祉センターと呼ばれる)に足を運んだ。空中に浮遊するアスベストの量を計測する特殊顕微鏡の話や使用されている分野を細かく質問したのを覚えている。

全協で某議員が「国がきのうまで使用を認めていたアスベストをきょうになって禁止する。ならば国自身の手で分析や撤去をすべきである」と怒りをアラワにしていたが、一理ある。

昭和の50年代まで、アスベストは「夢の物質」とさえ呼ばれていた。鉄骨建築物吹付材として、耐火性能・断熱性能に優れかつ廉価であったためである。しかし西欧からの情報で徐々にロックウールが混入されアスベスト成分が抑えられるようになっていったのが昭和50年代後半から平成のはじめにかけてじゃなかっただろうか。その後、ニチアス工場周辺住民の中皮種あるいは肺癌の発生率異常などで「悪魔の物質」となった。

法治国家だから基準となる法の精神を体現する様々の施行令や告示を遵守しなければならないのは当然なのだが、告示変更の賓度にはひっかかるところがある。

建築の分野でもおかしく感じるところがある。
普通の木造住宅建設で地盤改良工法を施すのが一般的になってきた。地耐力簡易試験で数値をデジタルで捕らえるようになってきたこと及び耐震についての懸念浸透の結果だろう。けれども地盤改良とは地盤をコンクリート性状なみに硬くすることである。数十年ののちに住宅を撤去解体したとしても、そこを畑にすることができない。樹木や草花が育たない。そういう意味での荒野を我々は(潜在的に)せっせとつくっているんじゃなかろうか。

08/08/27 (水) 本日来訪者のみなさん 御教示いろいろありがとう

★昨日は、午後1時半から全協(全員協議会)が開かれた。終了した時は午後10時を過ぎていた。とにかく疲れました。書き込もうとは思うのですが、ちょっと整理してからになりそうです。
・おや?と思ったことのひとつは教育委員会からの「中学校整備案」に関する進捗状況の報告がなかったこと。そこで本日、教育委員会に出向いて問うたところ、9月議会の中頃になるのではないかとのこと。であるならば、この件に関する一般質問のしようがないなあと思いつつ帰宅した次第です。
★アフガニスタン東部で、NGO職員・伊藤さんが武装グループに拉致され遺体で発見されたという報を聞いた。心が痛むとしかいいようがない。国境を越えて支援活動をするひとが何故殺されなければならないのだろう。
死へのリスクを常に意識しながらのNGO活動のなかでの結果であると考えるならばそれは義に対する忠誠の証しとなり決して犬死ではないといえるかもしれない。

人が死ぬということはいったいどういうことなんだろうか。還暦を控え認知不確かになってきた私のアタマは風邪気味という一点で考えようとするともうパニックだ。
日を改めて論考したいと思います。

08/08/26 (火) 夏風邪が治って

★昨日の午後に所用で市庁舎に行った折、議会事務局から、「明日の全協はながくなりそうですよ」と言われた。「金津雲雀ケ丘寮問題」及び「中学校問題」を筆頭に山積する課題があるからだろう。何度か書いたけれども「全協」は議事録をとらないつまり非公式な場ではあるがさりとて秘密会でもない(現に他のブログなどを読むと内容の流れていることがよくわかる)。特別な事情のない限り書き込むつもりです。

ということで
きょうの26日が全協で、9月2日が議会初日の予定となっている。この間が一般質問の通告期間である。
一般質問はあくまでも行政側に対して質問をする場だ。最初の答弁に対しての再質問の時に思いを言うこともあるが、基本姿勢はあくまでも質問である。このことを勘案しつつ、通告をどうするか考えていきたいと、思っている。

★先週の土日は風邪との熾烈なタタカイだった。土曜日(24日)の晩など、熱にうなされ咳き込みがひどく体がほてるので竹田河畔のくさわらで横になり夜風でひとり体を冷やしていた。
対岸から太鼓の大きな音が聞こえてくる。笛の音が聞こえてくる。
「ああ・・古町は地蔵盆祭りなのか・・。〇さんや〇〇さんは今、夜店あたりを歩いてるのか。そういやあ「二面温泉地区の祭にきて」メールも入っていたなあ」とぼんやり思っているところへ、帰宅した妻が現われた。
「おとうさん(私のこと)の風邪の原因は、むしろメンタル面からきている。おとうさんは堅物すぎる真面目すぎる。二兎を追う者一兎を得ずや。もっとリラックスしたらどうや」と説教されてしまった。
自分のことを一番よく知っているのは配偶者であり、当然のことながら指摘はあたっている。あたっていながら私は自身を変えることができない。つまり私は愚直者として死んでいくのだろうと思う。

08/08/25 (月) 夜明けに熱々珈琲を飲みながら

★昨晩は6時に布団に潜りこんだ。目覚めが午前4時だったので、10時間睡眠ということになる。但し咳がひどく熟睡とは程遠かった。寝汗もたくさん出た。

ということで夏風邪の土日も終わり、きょうから新しい週が始まる。明日25日は全協で、9月2日は議会定例会初日だ。
懸案の課題の進捗についてはリアルタイムで書き込んでいこうと、思っています。

★で・・寝ている間に、北京五輪は終わってしまった。今朝のラジオでは、識者たちが日本チームの勝敗及び戦いぶりを解説している。

それは構わないのだが、思うに
金メダルは、例えば個人競技ならば数十億の人間のなかの唯ひとりに与えられる名誉の称号であり、これは宝クジよりも与えられる確率が小さい。銅メダルにしたところで数十億×1/3の人間のひとりに与えられる称号だ。つまりそれを奇跡と捕らえるならばメダルの数なんてどうでもいいと思う。
男子マラソンにおいて最下位でゴールインした佐藤選手の観客に向かって深々と礼をする姿に私はとても好感を持ったが、その佐藤とて日本人1億人強の頂点にたつ男なのだ。
人間はいくらはやく走ったところでチーターにはかなわない。いくら腕力を発揮したところでマウンテインゴリラにはかなわない。いくら遠くへ跳ぼうとしてもカンガルーにはかなわない。
だからこそクーベルタン男爵は「五輪は参加することに意義がある」と言ったのだろう。
21世紀に生きる我々日本人は、例えば男子野球において単細胞星野の子飼・岩瀬を可愛がったあまりの采配失敗に対しても目くじらを立てる必要はない。

東京五輪を思い出そう。
国威発揚の大合唱のなかで代々木国立競技場に2位で入ってきたマラソンの円谷幸吉は英のヒートリーに抜かれてしまった。後年、彼は「とろろおいしゅうございました」と書置きして自殺した。
80m障害競争の依田育子。ぜい肉のかけらもなく、レース直前に必ず宙返りをしていた彼女は、後年、福島県で鴨居に紐をつけ首吊り自殺をしてしまった。
国威のために命をかけるというのはあくまでも比喩である。
一番大切なのは、ひとりひとりの命である。自分を大切にしなければ他人を大切にすることはできない、と私は思う。

 08/08/24 (日) 無題

★夏風邪でダウンし、昨晩は9時間以上眠った。体のだるさと熱っぽさはまだ残っているけれども、まあまあの日曜日の朝である。
昨日が土曜日だったので事務所は千客万来だったが、話の中身の整理とメールチェックに午前中を費やした。

★午後は、坂ノ下区民館において、区の臨時総会が開かれた。去る7月20日に行なわれた金津祭りの会計報告及び反省会である。あの猛暑日の祭りから既に一ヶ月以上が経過したのだ。その間にいろんなことがあった。まことに「光陰矢の如し」である。

 08/08/23 (土) 外は風雨

★昨日の一日は、あることに関する講習会に終始した。会議には頻繁に出ていても講習会に出るのは稀である。
目に疲労を感じた私は講習会からの帰路、新しい眼鏡を買った。

事務所に戻った午後5時半、ふたりの同僚議員が来訪。話のテーマは、前日と同じく「金津雲雀ケ丘寮の民営化」と「両中学校整備事業」となった。9月議会に対してどう関わるかについての意見交換となった。

解散後自宅に戻り、ひとり、晩飯を食べた。TVのスイッテをつけると画面は北京五輪野球準決勝・キューバvsアメリカだ。キューバ革命の英雄チェ・ゲバラを思い出しながらしばらくの間画面を眺めていた。
キューバチームは、アメリカチームと比べて、ひとりひとりがとても精悍に思える。

人類の起源は黒人(ネグロイド)である。ものの本によると
アフリカ峡谷から彼らの末裔が中央アジアに出た。そこから北上した集団が、白色高鼻胸毛所有的コーカソイドになった。東に向かった集団は黄色低鼻蒙古斑点所有的モンゴロイドとなり、大陸から大海洋をカヌーで遠征した集団は夜の海上の寒さに絶えなければならない為、厚脂肪所有小錦曙的オーストライアロイドとなった。
なかでも活動的だったのはモンゴロイドらしい。
シベリアへマンモスを追いかけて行った彼らは当時陸続きだったベーリング海峡を歩いてアラスカに渡った。その後八千年をかけて南米大陸南端にたどりついたそうである。
カナダ・チリなどに我々とそっくりの顔の種族がいるのはそのためだろう。
★ きょうの昼はイネスに行った。
森田実さんの講演と


糸川正晃さんの報告があったためである。

森田さんが講演のなかで述べていたように、米の野放的自由主義経済推進学者・フリードマンが死んで二年弱が流れた。神様であったフリードマンが亡くなったことでネオコンたちの所業に対する批判が欧米で強くなっている。森田さんが書いた本の訳本も売れているそうだ。
郵政民営化反対を論調としていた森田さんが評論の舞台であったTVから消えたのは郵政総選挙が決定してからである。
TVマスコミが彼を舞台からひきずり下ろしたからなのだが、より正確に言えば、番組スポンサーがデイレクターやスタッフに圧力をかけたためなのだ。「報道の自由」という言葉尻が虚しく思える。

比較するならばとっても小さいコップのなかのこととも言えるが
郵政総選挙の際の立候補者推薦を巡って、私は「郵政民営化を進める立候補者には反対だ」と市議会の全協(全員協議会)で発言した。
劇場型選挙のなかでその流れにのることは楽だ。口をつぐんでいればいいだけの話だ。しかしそうすればあとにかならず後悔がくると思った。自分自身に対して正直ではなかったという後悔がくると思い、反対の旨を発言した。

そんなこんなで今は「あっぺのこ」議員となってしまったが、別に後悔はしていないです(笑)。

08/08/22 (金) 夢と日常

昨日の夕刻から夜にかけて、入れ替わりに数人の来訪者があった。
テーマは、「金津雲雀ケ丘寮の民営化」と「両中学校整備事業」である(双方に関して、9月議会に臨む私の態度は既に決まっている)。

来訪友人を送りがてら、夜道をしばらく歩いた。夜道を歩くのは久し振りだった。
見上げると雲のかたちが面白い。道端のくさわらからは、秋の虫の声が聞こえてくる。
虫の声を聞きながら、今読んでいる峰屋邦夫著「中国の不思議な物語」を思い出していた。夢と幻想にまつわる寓意の収集本であり、「胡蝶の夢」についての話から始まっている。

「・・・あるとき荘周は夢の中で胡蝶(美しい蝶)となった。胡蝶となってひらひらと飛んだ。ひらひら、ひらひらと、こころゆくまで楽しんで、自分が荘周であることを忘れていた。だが、ふっと目が覚めると、まちがいなく人間の荘周である。
ところが、荘周は考えているうちにわからなくなってきた。自分はたしかに夢のなかで胡蝶になったと思っているが、もしかするといまの自分こそ夢の中の存在で、胡蝶が荘周になっている夢を見ているのではあるまいか、と。・・・」

このところあることで悩み続けている私にとって寝ている時の夢こそが安らぎだ。
そして、実体と虚構を反転させて考えてみると悩みが虚構に映って幾分救われる。

絶大な権力を誇った太閤・秀吉も辞世に
つゆとおち つゆときへにし わがみかな.
          なにはのことも ゆめの又ゆめ

と、現世のはかなさをうたっている。

08/08/21 (木) 昨日の一日

★昨日の午後4時から金津地区戦没者追悼法要が営まれた。あわら市全体のものとは違って、参列者の内の相当数が顔見知りである。私は「追悼の辞」をよんだ。
法要終了後、石碑に刻まれた戦没者の名前を読み進めている間に、いろんな感慨が胸のうちを去来した。

お袋の兄貴は太平洋戦争において海の藻屑となり、遺骨は今だに帰ってきていない。
親父はフィリピン戦線において捕虜となり戦後に収容所から帰還した。昭和24年、その親父とお袋の間に私は生まれた。
一般的に言って、息子と父親の会話関係はそんなに饒舌なものではなく、私達の場合も例外ではない。
二年ほど前に親父を福井市内の戦友の家に連れて行った時、ふたりは玄関先で抱き合って泣いていた。残り少なくなってきた「同じ釜の飯を食った仲間」の関係を象徴する光景として私は忘れることができない。
親父から戦時体験を聞かされたことは、一度・数分間だけしかなかった。
「次世代に語り継がなければならない戦争」であることは確かなのだけれども、一方で、体験が強烈であればあるほど口を閉ざすということも人間心理としてある。
若い頃、大岡昇平の「レイテ戦記」を読んだ時、親父のそのような気持ちがわかったような気がした。

★そういう想いに浸りながらひとりたたずんでいる私のところへ老婦人が近づいてきた。「〇〇の理由で市役所のサービス対応が悪い」と、言う。
「わかった、おばちゃん。でもなあ、役所も合併してから人員削減で大変な部分がある。が、だから構わないということではないから、とりあえず市役所へ行って仔細を話してくる」と答えて、帰路、市役所に寄った。黒ネクタイというちょっと異様ないでたちで寄った。市庁舎内で出くわした某女性議員から「黒ネクタイが曲がってるざ」と言われた。
「議員は市民の代表」はおこがましい言い回しだと思うが、使い走りであることは間違いない。担当課へ行って仔細を話した。

★帰宅したら、もう6時だ。
黒ヘルメットをかぶり、自衛隊迷彩色的50ccバイク(30年前のバイク)にまたがり、竹田川の土手を走った。頬に受ける川風がまことに気持いい。


バイクを停め、夕陽の落ちる西方浄土に向かって合掌した。
「きょう一日生かせて頂いてありがとうございました。そのうち逝きますので、その時はよろしくお願いします」と感謝しながら合掌した。

08/08/20 (水) 本日は金津地区戦没者慰霊祭

★私は所属議員ではないけれども、昨日、「教育厚生常任委員会」が開かれ、金津雲雀ケ丘寮の指定管理者に「社協」という案が多数決で採択されたそうである。
雲雀ケ丘寮の民営化は、施設内で働いているひとたちの格差問題を解消するためにも、40床増床された部分を埋めるためにも急がなければならない課題であり、まだ議会採択には至っていないが、とりあえずは良かったと思う。

★昨夕、ある懸案事項に関して数人が私の事務所に集まり対策会議を開いた。自分で悩みを抱え込んでしまう気質は決していいものではない。悩みをしゃべることで気持ちが開放されることが確かにある。
「悩み相談室」が流行るご時世の所以だろう。だけど他人に相談するよりも知り合いに相談するほうがいい。仲間意識を共有するなかで、話がとても具体的に進行するからだ。

★未明にこの日記を書いているが、外は雨だ。かなり激しい雨だ。
ひと雨ごとが涼を呼び、秋が近づいてくる。
秋は私の一番好きな紅葉の季節。
清滝ダム湖の紅葉のなかにひとりたたずむのもいい。東山の堤で山々の紅葉をひとり眺めるのもいい。しかし、今年あたりは何人かと一緒に京都へ行き嵐山を散策したい、とも思う。

メタボに関する今朝のニュース。
肥満が体の動きを鈍くさせるのは事実だろうが、それが健康被害に結びつくかどうかについては疑問だと常々思っていた。
痩せているひとがいて中肉のひとがいて太っているひともいるのが世の中で、それぞれがそれぞれに充足しているのならば、それで構わないのではないか。
「太っているひと」を「ふくよかなひと」と呼び変えることもできる。
体型を云々する先にあるものは身体差別ではないかと思うのである。

 08/08/19 (火) 夜が白み始めた

★姉歯某がやった犯罪は我々を震撼させた。意図的にプログラムを偽装する専門家は極々一部であるはずなのに蓋然性を持つ集団とみなされるようになった。その結果として、国は昨年度において建築申請作業をとても煩雑なものに変えた。昨年までの常識が常識ではなくなった。融通のきかないシステムができあがった。紙の浪費は段違いとなり言葉での説明はその効力をなくし全て「記載」となった。許可までの期間が大幅に伸びたことと、中堅クラスの建設業者や鉄工所の倒産とは無関係じゃないだろう。知り合いが自殺した話などを聞くと、まことに胸が痛くなる。明日は我が身かとも思う。
加えて、今までの建物は全て違法ということになってしまうのじゃないか。
こんな世の中に誰がしたんだろう。

★というようなことを考えつつ某医院を出た昨日の昼過ぎ、病気療養中の友人宅を訪ねた。仕事上の悩みもいろいろ聞いた。通信手段が多様化して便利な世の中とはなったが、やはり顔つきあわせての肉声を通してのコミュニケーションが一番だ。原点だ。いろんな意味でほっとする。

★ほっとしながら事務所に戻った。貸していただいた50ccバイクが駐車場に置いてある。ガソリン¥180/Lの時代なのだ。金津雲雀ケ丘寮の近くまで試乗した。路上に暇そうな高齢者三人組がいてその前でよろめいた。よろめきついでに床屋談義となった。
息苦しい世の中で、先の見えない不安の日々だ。しかし知らないひととのちょっとした会話で慰安を感じることもある。

08/08/18 (月) 決意

★午前3時に家の周りを散歩した。朧月夜である。


昨日の昼に久し振りの訪問者と交わした会話を反芻しながら、竹田川の辺りを歩いた。
土手のくさわらに腰をおろし、独煙草ゲルベゾルテにダンヒルで火をつけた。

川面で魚が撥ねた。虫の声が聞こえる。川風がここちよい。


今年のお盆は反省と抱負の期間だった。甲子園も北京五輪も阪神タイガースもTV画面を一瞥するだけで過ぎていった静かなしかしエポックを感じたお盆だった。

★昨日の僕は、言葉が口にうまくのってこなかった。アタマのなかをめぐる言葉を音声化する作業に何かしら異和を感じた。来訪してくれた人たちには迷惑をかけたと思う。

★青春期、一緒にいろんなことをして遊んだ仁多見君はじめみんなみんな大変な時代につっこんでいく。
★早朝の青ノ木周辺の道路で見つけた光景だ。


腹がたってカメラを構えた時、散歩中の熟年紳士から「市会議員の牧田さんじゃないですか?」と声をかけられた。ゴミ談義で「集落のなかは名区の裁量だけど、集落と集落をつなぐ道路傍が問題なのです」と自説を申し上げた。

車を細呂木方面へ走らせ、江川で海老をすくっていたところへ自転車おじさんが現われ、「坂ノ下の市会議員さんでないんけの?」と声をかけられた。何故かメダカの話で盛り上がったあと一礼して僕は現場を去った。ハンドルを握りながら今朝を思い起こしていた。

「僕は建築設計業⇒議員と、男性社会のなかで暮らしてきた。女性と会話する時のエチケットを知らずがさつで顔も黒いし清潔ではないので女性に好かれたことのない人生だった。しかし、今朝のように高齢者からは好かれるのかもしれない。捨てる神あれば拾う神ありなのだろう」と、総括した。
第一、私の車の助手席にはいつもゴミ袋が置かれている。
桃井かおりは「もう頬杖はつかない」で映画デビューしたが、僕の場合「もう女はのせない」なのである。

08/08/17 (日) 空には秋の気配

★昨晩はハプニングがあって往生した。妻からもいろいろ言われた。
朝起きても惨めな気分が残っている。
そういう気分のままTVのスイッチをつけたら、北京五輪女子マラソンだ。止められて棄権せざるを得なかった土佐礼子はすごかったね。サングラスを通してでも苦痛の表情ははっきりと伝わってきた。止まってからの泣き声にも心をうたれるものがあった。
モントリオール五輪だったかのアンデルセン選手のゴールシーンを思い出してしまった。
寺山修司の警句のひとつに「勝者に花束はいらない」がある。
勝者は勝者となること自体で既に栄光を得ている、ということなんだろう。

★「市政関係掲示版」にしるく809さんが書いているような体験が僕にもある。
中一の時で、課題図書は「アラスカの熊」とかいうタイトルだった。担当の先生から、起承転結風へのスタイル化や助詞の矯正を言われるうち、感想文を書くことがほとほと嫌になってしまった。授業の中で国語が一番嫌いな課目にもなってしまった。

08/08/16 (土) 無題

8月15日を迎えると必ず思い出すのがこの詩だ。
「・・・がらがらどんどんと事務と常識が流れ
   故国は発展にいそがしかった
   女は 化粧にいそがしかった・・・・」
の部分が、今日的状況を鋭くついていると、思う。

骨のうたう  竹内浩三

戦死やあわれ            
兵隊の死ぬるや あわれ
遠い他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や


白い箱にて 故国をながめる
音もなく なんにもなく
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨は骨 骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨はききたかった
絶大な愛情のひびきをききたかった
がらがらどんどんと事務と常識が流れ
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった


ああ 戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
こらえきれないさびしさや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や

08/08/15 (金) 本日は墓参り

★「お盆だから」ということで、本格芋焼酎「木挽」を持ってきてくださった方がいた。

涙が出るほど嬉しかった。


土地が地霊を持つように
名前が精霊を持つように
樹は樹霊を持っている

墓所に屹立するこの巨木には相当の霊が潜んでいる、とわしはみた。


★今月の26日に議運・全協が開かれ、9月定例議会のスケヂュールが決まる。
6月議会から9月議会の間には名常任委員会・特別委員会の視察研修や継続審査が開かれたりしている。
しかし、それらに出席することだけをもって議員の仕事とするならば現在の報酬は明らかに高い(ええっと・・額面で¥34.5万、手取りで¥25万くらいか)。
だけれども、議員の仕事の実質はその為の資料・情報の収集や市民との連動エトセトラにあるのであって、その意味ではエンドレスといえる。専任でなければならないと思う。

先日、他市の議員から聞いたことだが
例えば福井市議の報酬は額面で¥60万プラス政務調査費¥15万
坂井市議の場合は¥40万プラス政務調査費¥5万
あわら市議の場合、小浜市議と並んで県内で最も低い。

低いことは節税の観点からいいことだが、妻子を持った働き盛りの若いひとが意欲を持って入りこみたい職場であるかどうか。子供も独立し企業を退職したひとが受ける報酬額としては十分過ぎるだろうがなあ。

ま、生活していけるのであれば報酬額などどうでもいいが、例えば坂井市議が政務調査費¥5万を受けるのはうらやましい。
勉強したい課題を解説する書籍などはえてして専門書であって高いのである。
★中学校問題で揺れていたこともあって二年間程中断していた「菜の花通信」テクテクポステイングを再開したいと思います。メタボ対策もねらいのひとつですが、早朝に僕の姿を見かけたら、声をかけてください。
★「市政関係掲示版」で読書論が語られているので僕もひと言。

小学生の頃から僕は全くもの静かな人間でありまして、通知簿の備考欄に「孝男ちゃんには口があるのですか?」と書かれているのを読んだ母親がひどく悲しがったのを今でもはっきりと覚えています。確かにクラスメートや担任教師には無口で存在感のない男と映ったのでしょう。
しかし、他人との協調や迎合よりも自分自身との対話が一番楽しかった僕は、そうみられることが全然寂しくありませんでした。

初めての読書は、誕生日に従姉から贈られた壷井栄著・「二十四の瞳」で、その時は確か小五でした。次の年に安本末子著・「にあんちゃん」が贈られてきました。中一になるとデイケンズ著・「息子と恋人」が贈られてきて、母親が「こんな本、はやから読んで早熟になるんではないか?」と心配していたのをこれもはっきりと覚えています。
「息子と恋人」は性描写が中心で、裸電球の下、せんべい布団にもぐりこんで興奮しながら毎晩読み続けました。「大人になるとこんなことをしなくてはならないのだろうか。結婚なんてしたくないなあ」とある種の恐怖を覚えながら読みふけっていました。

しかし、それからあとの僕の中学生時代の読書は、推理小説になりました。
江戸川乱歩の「明智小五郎シリーズ」、コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズシリーズ」や「零の焦点」など松本清張の作品です。高木彬光の「白昼の死角」も面白かった。

「うーん、こんな本ばっかし読んでいると現実がみえなくなる」と自分を心配した高一・牧田少年(唯一尊敬した担任教師・児玉先生は、現代文学の旗手は大江・開高・小林やと言っていた)は図書室に足を運び、小林秀雄著・「考えるヒント」を借りました。これが、何を書いているのかさっぱりわからない。二度三度読み進めるうち、むつかしいことを書いているということだけがわかり、読書を止めました。
でもその時の苦労は、後年、吉本隆明を読む上で肥料になったと思っています。


08/08/13 (水) 鬱気分脱出

★晩酌を終えた昨晩、あることで妻に感謝しながら事務所に戻って就寝。
目が覚めると午前3時だ。パソコンでインターネットを開くと、 こんな記事が出ている。

音楽総監督の陳其鋼氏は、当然、双方の両親から事前に了解をもらっていたのだろうが、仮に僕が林妙可ちゃん楊沛宜ちゃんの親だったとしたら、どちら側の親であったとしても、「そういうしかけをしようとする貴方は自分自身が悲しくないのですか?」と、音楽総監督に言うだろうなあ。
僕は子供が純粋だとは必ずしも思わない。しかしこのような選別をされた双方はトラウマになるリスクを持つはずだ。

★というようなことを書いているうちに20数年前の某女性との電話会話を思い出した。
「美人は周囲からちやほやされるからバカができあがりやすい。翻って不美人の場合は世の中ままにならないことを随所で感じるから心の年輪が美しく育つ。そういう意味で俺は美人が嫌いだ」と、一生懸命しゃべった。
そしたら彼女は、「じゃあ、あたしはどうなの?」と聞く。
一瞬間をおいて「嫌いだ」と言ったら、相手は「ありがとう」と言って電話を切った。

昔からいろんなひとといろんな場所で、人生や人間を語りあってきたが、男性と女性では根本の舵取り方向が微妙に違う。黒の舟唄なのである。

★議員としては明らかに不適格なのだけれども、僕は目立つのが嫌いな性格だ。
まだひとが出ていない早朝に、こそこそ動く。

本日も宮谷川の橋に立って川面を見つめていた。目指すメダカはいなくて、ウグイの群れだけが素早く走り回っている。

通りかかった子犬連れ散歩の老人に聞くと、「昔はなんでもいた。しかし、コンクリート三面打ちの護岸になってから、みんないなくなってしまった」という答えが返ってきた。

風景の変化に思いを馳せつつ県道水口牛ノ谷線を車で走っていると、二羽のカラスが道路中央でビニール袋をぱくついているのが見えた。

路傍に捨てられたゴミを道路中央にひっぱりだしたカラスは道交法と無縁であり、彼らに罪はない。食べ残し弁当やペットボトルや空缶を御丁寧にビニール袋に包んで捨てるバカがいるということだ。
★8月23日(土)の午前11時。
時間のある方は、是非、坂井市の「いねす」に来てください。

08/08/12 (火)  お盆近し

★確か僕の生まれた年・昭和24年の10月に中華人民共和国が成立し、八路軍の頭領・毛沢東は、スメドレーの著書・「中国の赤い星」などによって賛美されしかし国交の無いなかでよくわからない国であり続けた。70年代初頭、田中角栄政権の下で日中国交が回復された。
その頃文化大革命の嵐が「造反有理」「百花斉放」などのスローガンの下、隣国・日本にも聞こえてくるようになった。
後年、ユン・チアンの「ワイルドスワン」やリ・ツェンネンの「上海の暑い夜」の著書で、紅衛兵活動の暗部を見せつけられた。
一時失脚していたケ小平が再登場して実権を握り、「黒い猫でも白い猫でも鼠を食べる猫であればいい」をキャッチフレーズに国の部分的資本主義化を促した。
あれから幾星霜
周辺との摩擦を繰り返しながら(噂では文化都市・北京の外面様相を印象付けるために何十万匹の犬を殺しながら)、毒ギョウザをつくりながら、小さいテロが繰り返されながら、今、北京五輪が開かれている。

三年ほど前の冬、越前海岸へ数名の中国人と越前蟹を食べに行った。
冷酒飲みつつ「中国は人口が多すぎる。国策の浸透はどうしてもスロモーになる。国を四つくらいに分割したらどうだろう」と石原慎太郎のようなことを言ったら、「それは内政干渉の言葉です」とえらくしかられてしまった。

「中国での五輪は時期尚早ではなかろうか」という気分が僕の心にある。
しかし
昨日の「競泳100m平泳ぎ」での北島選手優勝には感激した(実はこの瞬間を僕は坂井市内・某小学校職員室のTVで偶然見た(笑))。
特別ナショナリストでもないはずなのに、日の丸掲揚を見て嬉しかった。スポーツの力というところか。

★久し振りに事務所を来訪した某女性との四方山話。
その女性の息子(小学生)の夏休みの課題に「読書感想文」があり、担任から「思うように書きなさい」と言われたそうだ。ぼくは「小学生に読書感想文を書かせているのか?」と、びっくりした。
感想文を書くことを前提にした読書なんて窮屈だらけに決まっている。本は自由闊達に読むことだ。第一、思うようにそのまま書いたら無茶苦茶になる。
読書に限ったことではないけれども、ひとが自分で経験した何かを思う時、その思いは千路に乱れる、勿論妄想も入ってくる。そのなまの思いを他者にしゃべろうとする時、時間軸や言葉尻を(意識的無意識的は別として)整理整頓する。だけれどもそのしゃべりをテープレコーダーに採録して一字一句をそのまま文章にしたら、これも無茶苦茶だ(僕にはその経験がある)。
思う⇒しゃべる⇒書くという過程が文章化にはあると思う。

08/08/11 (月) 未明にキリマンジャロを飲みながら

★タマネギの輪切りとウリの漬物をおかずにしての昨日の朝食どき。
目の前のケーブルTV・29チャンネルが、去る7月20日に行なわれた金津祭りの「本陣」を放映していた。
横のソファに座っていたお袋が「わたしら足腰の弱くなってしもうた年寄りには、こんなのが見れるって幸せや」と、つぶやく。
聞いた僕は「なるほどなあ」と思った。

ケーブルTV・29チャンネルが議会放映を始めてから二年ほど経つ(僕は二年ほど前のその議会での一般質問の一番手だった(笑))。
確かに高齢者には印刷物配布よりも映像のほうがなじみやすい。そういえば、7月に開かれた「坂井地区介護保険広域連合議会」でも、僕はこういう一般質問(再)をした。

いずれにせよ、ケーブルTVの更なる普及と29チャンネルの放映充実で、行政を身近なものとしていく必要があると思う。

★昨日の夕刻、頂いた果実酒をちびりちびりと飲んでいた時に何人かのひとが来訪。
そのうちソファに寝込んでしまい、気がついたら時計は午前3時を指していた。
中国のことが話のテーマとなっていたとは思うが、その内容がはっきりと思い出せない。
「生病老死」の四文字が頭のなかをかけめぐっている。

08/08/10 (日) 昨夜の「湯かけ祭り」

★CADにいそしんでいた昨夕に糸川事務所から電話が入り、「湯かけ祭り」会場を
本人
と共に歩いた。北潟地区で講演が予定されているとのことで、数十分で本人は会場をあとにした。
その後、盆踊りまでの時刻の間に歩いた会場周辺で、いろんなしつらえを楽しんだ。


野外の夜の照明は、当然下からの灯りとなる。近代建築の上からの照明に慣れている私たちにとって、これは新鮮に映るのだが、江戸期までの屋内照明は下からのものだった。谷崎潤一郎はエッセイ・「陰影礼賛」で、その魅力を書いている。


盆踊りは、先祖のさ迷う霊を天上へ送る儀式だが、「踊り」の語源は「男とり」だと聞いたことがある。オトコトリ⇒オトリ⇒オドリですね。そう考えると、「手にシナをつくる」などは、確かに女性特有の身体表現だ。


話しかけてきた舞妓さんをパチリ。隣にいた品のいいご婦人にも入っていただいた。


午後9時半
暗闇の道路を、「夏は終わった。人生はながくない。こなさなければならない日常が待っている」と思いつつ自宅に向かって車を走らせた。

08/09/09 (火) 夜明けに

★人生とはB級映画のようなもの。
途中で席を立とうとは思わないが、かといって
二度と観たいとも 思わない。     T・ターナー

08/08/08 (金) Tさん 昨夜の痛飲論議は大変楽しかったです

昨日は分刻みの一日だった。
午後1時半に福井市役所から芦原観光会館の「あわら市戦没者追悼式」へ直行。
来賓や遺族代表の挨拶を目を閉じながら聴いていた。

昭和24年1月生まれの僕は典型的な団塊の世代である。日本陸軍の兵士として復員してきた親父が、ごくごく素朴に銃後の兵士として戦時を送ったお袋と見合い結婚をして僕は生まれた。
団塊の世代を「戦後教育の誤りの世代」と呼ぶひとたちもいるが、ともかくもその世代として敗戦後(終戦という言い方はよくない)の混乱のなかで必死に働く両親の背中を見ながら幼少期を過ごした。貧乏ではあったがある意味で充実の幼少期だった。

55年体制のなかで、講演中の社会党委員長・浅沼稲次郎が山口少年によって刺殺されたのは、僕が金津小学校5年東組に在籍していた時で(余談だがこの5.6年のクラス時代が僕の唯一のゴールデンエイジだった)、「政治」というものをおぼろげに感じた初体験だった。

無口故に人付き合いが下手で、放課後の誰も居ない教室で落ちる夕陽をぼんやりと眺めることだけが日々の楽しみだった金津中学校時代を思い出す。
記憶で言うのだが
中一の時、「米のJ・F・ケネデイ暗殺」が衛星中継で日本に飛び込んできた(いわゆる「ダラスの暑い日」だ)。
その年、ソ連のガガーリンが宇宙に飛び立ち「地球は青かった」とつぶやいた。
中ニの時、同じくソ連の女性テレシコワが宇宙に飛び立ち「私はかもめ」とつぶやいた(5年ほど前にロシアから我が家に来てホームステイを楽しんだ美少女・Jとの話題の中心になった出来事だ)。

高一の10月、アジアで初めての「東京五輪」が開催された。
鬼の大松ひきいる女子バレーボールチーム「東洋の魔女」、黒い弾丸「ボブ・ヘイズ」、世界一速い車「ヘンリー・カー」、シューズは履いていたけれども何故か裸足と呼ばれた「アベベ」、とろろおいしゅうございましたと書き置きして自殺したマラソンの「円谷幸吉」、スタート前に必ず反転をし、後に東北地方で鴨居を使って首吊り自殺をした女子障害の「依田育子」、女大鵬と呼ばれたソ連の砲丸投げ選手「タマラ・プレス」、サンタクララ水泳クラブの優等生「ドン・ショランダー」 エトセトラの活躍を思い出す。

てなことを書いているさなか、「ぽっぽや」でデビューした自衛隊出身の小説家・浅田次郎を思い出した。・・・エッセーでこういうことを書いている。

・我々団塊の世代は、親の戦争体験をDNAとして受け継いでいる。
・敗戦で価値が逆転した教育観を諸に受け継いでいる。
・マッカーサーによって解体された日本の軍隊は、専守防衛を旗印とする「自衛隊」として再出発した。
・我々「自衛隊」は日本国民から日陰者として扱われてきた。しかし反戦平和を国是とする国の姿勢を是としながらも、有事の際には身を捨てる覚悟を持ち、常人には想像できない程の肉体訓練を日々行なっている。
・我々団塊の世代は「国滅びて山河あり」を生のスタートとした。
・我々団塊の世代は「臥薪嘗胆」を経験した。
・我々団塊の世代は「高度経済成長及びその延長としてのバブル経済」を経験した。
・我々団塊の世代は「バブル経済の崩壊」を経験した。
・我々団塊の世代は、つまり「平家物語り」の全章を経験したことになるのではないか。そういう意味で幸せな世代だったのではないか。

08/08/04 (月) 無題

「掲示版」の管理人をしていることでの疲れがたまってしまったので、申し訳ありませんが、「市政掲示版」を閉鎖します。8年間の御愛顧ありがとうございました。
再開するにしても、「本名限定・メールアドレス必須」とし、かつ市の「掲示版」復活予定の10月までとするつもりです。

★昨晩は徹夜で曽野綾子著・「集団自決の真実」を読んでいた。
渡喜敷島住民集団自決が日本軍の命令下で行なわれたという沖縄タイムズ社刊行「沖縄戦記・鉄の暴風」に疑義を抱いた著者の検証本だ。
軍の規律と島の住民との微妙な心理関係を、当事者達からのインタビューを通して探った本である。
戦時下においての心理を現在からみて異常であるとどれだけ思ったところでその想像と当時のリアリテイには距離があるという著者の指摘には確かにうなづける。
と同時に一見平和を維持している現在の日本社会でも、ひと皮めくれば異常性が渦巻いているのではないか、と私は思った。

08/08/03 (日) 日曜日の朝に

政治・経済が我々の生活に及ぼす影響は随所にあり、だからこそ、今度の福田改造内閣はどうなのか、否、そりゃあコップのなかのことで解散総選挙政権交代しかないという双方の意見が床屋談義になかで出てくる(ちなみに私の思いは後者です)。
床屋談義は我々がこの日本国のなかで社会生活を営んでいる限り、当然のことだ。

かって田中角栄が総理の座に着いた時、全マスコミは庶民宰相登場!とこれを諸手をあげて歓迎したが、立花隆の精緻な追跡調査が「文芸春秋」に載り、スキャンダラスな最後を迎えざるを得なかった。
マスコミには持ちつ持たれつの構造があるのか、彼を落ち目になってから攻撃し始めた。攻撃の対象のひとつに「日本列島改造論」(本当の著者は秘書・早坂茂三とのこと)があった。確かに高度経済成長と軌を一にした派手であるいは無駄を多く含んだやり方が全ていいとは思えない。しかし、本来日本は土木の国であった。急峻なアルプス山脈を背骨とした狭い土地を有効利用する能力を求められてきた国だった。古くは戦国大名だった加藤清正や藤堂高虎などがその作事才能を発揮した。
農業土木の分野でいうと、平野に広がる美田がそうだろう。美田は微妙な水勾配維持に支えられている。井上ひさし著・「五千万歩の男」は、幕末期に50歳を過ぎてから日本列島計測にいどんだ伊能忠敬の記録であり、それは今日において貴重なデータベースとなっているはずだ。

政治家には必ず功罪があるが、少なくとも田中角栄の時代にはグローバリゼーションの波は押し寄せていなかったと思う。
角栄政権のあと、ええっと誰々政権だったかは忘れたが、国は補助金の名のもとに地方自治体に対して無駄といえるような箱物行政を推し進めた(そのなかでうまみを吸っていた高級官僚や族議員がいたのは間違いない)。
バブル崩壊は、米がレーガン政権になってからの対日金融圧力に対する日本政府対応の失敗による、と聞く。
小泉内閣が誕生した当時、僕はある竣工式に参加した。親睦会で隣席の某自民党国会議員が、「彼は、場違いな舞台に突然登場したシンデレラみたいなもんや」と僕につぶやいた。
小泉首相が断行した郵政総選挙の際に米金融資本から数千億円の金が流れていたことは今や公然の事実である。
メンテナンスが困難になった日本の土地建物を米金融資本が次々と傘下におさめているのが現在の日本の姿だ、と某代議士からも聞いている。
日本が日本としてのアイデンテイテイを失うことだけは、くいとめなければならないと思う。

08/08/02 (土) 夏の甲子園大会 始まる

★建築設計に関わり始めたはるか昔、先輩方から「建築設計は小住宅に始まり小住宅に終わる」とよく言われたものだ。住宅設計にはテキストというものがない。施主夫妻との打ち合わせのなかで、線を真っ白な紙に書いては消し書いては消してイメージが形づくられていく。
議員になってから建築設計へのエネルギー投入量はどどおおーんと減ったし、それは議員プロパーの立場を考えると当然なのだけれども、議員を辞めてからあとも小住宅の設計だけはこつこつと続けていきたい。霞を食べながら続けていきたい。そして、T定規を左手に鉛筆を右手に持ちながら前のめりに倒れこんで龍馬的に死んでいきたい。
昨日の炎天下、某氏邸建前の現場で、汗をだらだら流しながらそう思った。

帝国ホテルを設計した米の有名建築家フランクロイド・ライトは有機主義住宅の数々の名作品を残した。このひとは7回離再婚を繰り返したことでも有名である。
何故か・・
施主夫妻を前にしてライトは自らの建築論を滔々と語るのです。熱弁をふるうのです。
そうすると施主の奥方のほうが一目惚れしてしまい、逢引が始まるのです。
仕事をする時の仕事を語る時の男の横顔ほど女性の心をひきつけるものはない、ということでしょう。

★数年間途絶えていた金津図書館通いを始めた。議会資料などの乾いた散文に囲まれた生活が続いていたので、何とかせねば、と思ったからである。
夏休みに入ったせいか、こどもの姿が目に付く。
係員に「去年と比べて利用する数はどうですか?」と聞いた。
「去年より多いです。理由は極めて簡単です。去年は東区(金津図書館のある場所)の大通りで道路工事をしていたからです」との答えが返ってきた。

思うに図書館が2階にあるのは頂けない。このことについては私が町議会議員になったあとからでも、何人かの議員が一般質問をしている。

図書館は、知の宝庫。丸岡町がやっているなんとか一筆賞にあった「図書館に 僕の謎とく 鍵がある」である。
健常者も障害者も自由に行くことのできる場所、それが図書館だと思う。

★「中学校問題はどうなっていますか?」という電話が時々入ってくる。
7月臨時議会で、教育委員会から「中学校整備に係る今後の流れ(案)」が発表された。
9月議会で、その内容あるいは進捗についての一般質問が沢山でてくるだろうと思う。
勿論、私もするつもりです。

08/08/01 (金) 一行日記

本日は、最高に忙しい一日だった。