2008年11月


08/11/29 (土) 退院後初めての土曜日

・さて救急車で病院に運び込まれた私は、言語は全く不明瞭であり体は手も足も刺激に対する反応が全く無かったそうである。止血が完全でなかったら頭蓋骨切開に及ぶところだったと、後日、主治医から言われた。
昨晩、妻と話をしたのだが、主治医に呼ばれた妻は「旦那さんの足が元に戻るのは無理で、杖が必要になるでしょう。言語に関しては判断能力は戻るでしょうが、実務能力(計算やパソコン使用)が元に戻るのは無理でしょう」と言われたそうである。
それらの懸念が杞憂となったことで、自身の運のよさを実感している昨今であるが
しかし、この問題が残った。
それは私には♪港町ブルースを唄うことがもう永久にできないということだ。なんせこれを唄ったあとには血圧が急上昇するのである。危ないのである。その理由で永年持ち歌NO1の座を維持してきた「港町ブルース」とおさらばする私は還暦後の持ち歌を「グリーングラス オブ ホーム」にしようとココロに決めた。
決めた理由は幾つかあるのだが
とまれ、あのトム・ジョーンズがあのジョーン・バエズがあの尾崎紀代彦が唄った名曲だ。


・コンテンツ議会報告のなかの「坂井地区共同処理事務の合理化に関する報告書(概要)」は去る3月議会で私が一般質問をしたことと重なる。更に言えば旧芦原町庁舎利活用の選択肢のひとつに3階議場を一本化された広域議会の議場として使用する案も浮上しているそうで、実現できればいいと思う。


08/11/28 (金) 気がつけば11月も終わり

・「ひとは日々塀の上を歩いているようなものだ。右に落ちれば生きるし、左に落ちれば死ぬ。」と、昔、誰かが言っていたが、確かに、生き続けることの保証など誰も持ち合わせていない。
生を考える上で大事なことは「生と死が隣り合わせ」であることを忘れないことだろう。

・医大でのリハビリ風景。


普通に歩き普通に手を動かす普通にしゃべるつまり普通であることが日常生活を営む上でどれだけ大切かがよくわかった。脳出血などの場合、妻によれば、安静期間が最低二ヶ月〜三ヶ月、完全に元どおりになるまでの目安を五ヶ月くらいとしなければならないとのことだ。
脳出血をし時間が止まったことで沢山のひとたちに迷惑をかけてしまった。しかし、そう考えることがストレスを誘発し体に悪いことも事実である。ということで、今しばらくは気配りのできない人間として生きる。

・ところで、気がつけば12月が近づいている。10月は既に過去となったし、11月も過去になろうとしている。春夏秋冬のうち秋が一番好きな私だが、今年は秋の季節を楽しむどころではなかった。
清滝ダム湖の紅葉はどれほど深まっているのだろうか、東山の大堤は今が一番素敵だろう等々、記憶のなかの秋景色が頭をよぎる

08/11/27 (木) リハビリを兼ねながら

・昨日の全協は、私にとっては久し振りだったということ及び長丁場だったということのふたつの理由で少々疲れた。事実、何人かの同僚議員から「まきちゃん、いつもと違って静かやなあ。病み上がりみたいやなあ」と言われた。
一昨日の退院なのだから「病み上がりみたいやなあ」ではなくて病み上がりなのだが、救急車で運ばれた10月の10日が私にとってはすっかりメモリアルデイとなってしまった。
発作が起きて(この時、脳内出血が始まったのだろう)携帯電話を置こうとした時、私の足は空中に浮かび上がり始めた。この時点では痛みというものが全く無く、私は自分の足の空中浮遊をとても不思議な気持ちで眺めていた。自分の体を自分の体ではないように感じた。俗に言う幽体離脱だったのかもしれない。
頭が割れるように痛くなったのは、救急車に乗ってからだった。

・今朝はリハビリを兼ねて自宅近くを数十分間歩いた。金津雲雀ケ丘寮を右手に見ながら北へ通り過ぎていくとNTTの鉄塔がある。多分携帯電話の中継塔だ。そこに大量のゴミが捨てられていたがネットフェンスで囲われていて中に入ることができない。中に入るのが危ないから囲っているのだろうが、ならば関係者が清掃しておかなければならない。ネットフェンスは視界をさえぎりはしないのである。


・昨日は下八日区の大鳥神社、本日は坂ノ下区の八幡神社に寄った。
小銭を入れて参拝したが、いずれの神社の境内も樹木の紅葉が見事である。


上の写真は坂ノ下八幡神社境内の銀杏である。銀杏は雌雄同体だと若い頃に聞いた覚えがある。それが事実ならば、銀杏は一切の邪念を持たずあのように美しく変身するのだ。
見事と言うほかない。


08/11/26 (水) 本日は全協

医科大病院に居た時、
なんの変哲もないこのロビーでいつもよしなしごとを話していた。聴いていた。


同じフロアで寝起きを共にしていれば自然、情がわく。入院日数がながびけばながびく程、話はプライベートな方向にどんどん入っていく。要するに「おなじ釜の飯を食った仲間」となっていく。
10月に亡くなった親父にとっての「おなじ釜の飯を食った仲間」はフィリピン戦線を共に戦った戦友たちであったのだが・・。

★本日の午後は、1時半から全協(全員協議会)が開かれた。
・・・・
全協日程
〇議長あいさつ
〇市長あいさつ
〇諸般の報告
1.議会活動報告
2.委員会・一部事務組合等議会報告
(1)特別委員会
・決算審査特別委員会
・まちづくり調査特別委員会
・環境対策調査特別委員会
(2)一部事務組合等議会
・坂井地区介護保険広域連合議会
・嶺北消防組合議会
・坂井地区環境衛生組合議会
・三国あわら斎苑組合議会
・福井県後期高齢者医療広域連合議会
(3)その他
・議員報酬検討委員会
〇協議事項
1.第35回あわら市議会定例会の会期、日程について
2.議案、陳情等について
(1)市長提出議案について
(2)陳情等について
(3)議案、陳情等の付託先について
(4)一般質問について
3.その他
(1)あわら市道路除雪対策基本計画について
(2)余熱館温水配管工事について
(3)坂井地区環境衛生組合の汚泥再生処理センター整備運営事業について
(4)坂井地区共同処理事務の合理化に関する研究会報告書について
(5)総括質疑及び討論の通告について
(6)その他
・・・・
午後6時に終了したが、資料を徐々にアップしていこうと思っています。

08/11/25 (火) 久し振りの我が家


本日をもって退院した。40数日間にわたる闘病生活で失ったものと得たものの双方があったと思うが、それらを充分に踏まえつつこれからの生活に臨みたい。しかししばらくは、ならし運転的生活を余儀なくされるだろうなあ。

ご迷惑をおかけした皆様、どうも申し訳ありませんでした。
心配してくださった皆様、どうもありがとうございました

08/11/23 (日) 無題

久し振りに自宅に戻り、じっくりと物思いにふけっていた。
私には今だ沢山の議員が芦原中体育館改修に固執した理由がわからない。だけれども、ずっと以前、既に噂となっていたこと(今、少しずつ人の口端に登りつつある)が事実であったとするならば、たくさんの議員が体育館改修に固執した理由がわりにわかる。
歳月のなかで事実が徐々に明快になっていくもの・・・これがすなわち「理」なのかもしれない。


08/11/22 (土) 明日はかりんて祭

今朝は午前4時に目が覚めた。一昨日・昨日ほどには寒くない夜明けである。
洗顔、歯磨を終えてベッドに座った。本日は、久しぶりに自宅にもどっての外泊の予定だ。
二度目の外泊だけれども、やはり家が一番いい。家族の顔を見ることができるということもあるが、ぼろ家であろうがなんであろうがなれ親しんだ空間はやはり気分をほっとさせる。

ところで明日は午前9時30分から椚地区の公民館前広場にて「かりんて祭」がとり行なわれる。議員になってから毎年行っているが、大鍋で煮込んだかゆは絶品だ。私は行くのはまだ無理と言われているが、出かけることの出来る方は是非味わってみてください。
注:正午前後に糸川正晃さんが来られる予定です。

08/11/21 (金) ちょっと思ったこと(2)

朝起きての血圧測定の結果は最高が104、最低が63だった。ま、最高の状態といっていい。言語リハビリの結果も悪いところはないみたいだ。
言語リハビリといっても、実は、言語のテストを受ける日々だったのだがその結果報告は
@言語を論理的に捕らえる能力は大変良し。
A言語に斬新さを入れ込む能力はやや良し。
Bパズルのようなものを解く早さはやや悪し。
だった。いずれにしても、日常生活を営む上での不備は別にないみたいだ。
勿論脳内出血という特殊な発作(病気?)だったので、これからも体質改善維持に万全の注意をする必要はある。

12月議会は2日が初日だし、11月25日には全協(全員協議会)が予定されている。
当初一番気になっていたのが、煙草をやめることができるかどうかだったが、発作が起きてからきょうまでの40日間一本も吸っていない。禁煙が本当に問われるのは退院してからだが、40日前までは3箱/一日の喫煙ペースだったのだから、「なせばなる なさねばならぬ 何事も なさぬは ひとのなさぬまりけり」を座右の銘に加えたいと思っています。
10月10日に発作が起きて入院したので、秋の行事(健康長寿祭などなど)には一切参加できず市民のみなさんと触れ合うことができなかったのが残念であるけれども、一面、人生観が変わる程の体験をしたことを、いろんな意味で今後に生かさねば、と思っています。

08/11/19 (水) ちょっと思ったこと

「財政の問題が大切」なのは勿論だが、それで即「財政が許すならば体育館の改築を」という意見が否定されるのかがわからなかった。何故芦原中の体育館を改築したら駄目なのか、その説得力ある理由を全協の場でも議会の場でも殆ど聴くことができなかった。そういう思いにかられるのは多分私ひとりではあるまい。

今朝目をさますと、病室のガラス窓をみぞれのような大粒の雨滴がたたきつけている。
冬の気配が忍び寄っているのだ。どんよりとした東の空を眺めているうち、10月10日がまざまざと思い出されてきた。
あの日の朝、私が妻と電話をしていなければ、私はかなりの確率で死んでいた。今の自分は第二の生を生きている。もう40日間も生きている。本来は無かった第二の生を生き続けている。
人生観がどこかで変わったように思えて仕方がない。落ち着いたら、今の思いをじっくりと書き込んでみたい

08/11/18 (火) 臨時議1会

昨日は臨時議会が開かれた。
第89号・専決処分の報告について(損害賠償の額を定めることについて)
第90号・平成20年度あわら市一般会計補正予算(第4号)のふたつが議案だったが
メインは勿論、第90号だった。すなわち款10・教育費のなかの項3・中学校費
に補正予算1,500万を組み入れることであった。1,500万という数値は、リニューアル案(両中で25億・体育館改修)を前提とした基本計画費である。
それに対して、私達6人の議員は穴田議員が提出者となって修正動議を提出した。
私も賛成討論をしたが、修正動議の内容は、補正予算を1,800万とすることで両中で30億の施工費を担保し、それによってある程度のリノベーション及びあわら中体育館の改築が可能になるという思いからだったが、この修正案は6対14で否決された。
今は、とても複雑な気持ちである。

08/11/12 (水) 無題

1ヶ月前、10月10日の午前中に僕は倒れた。
当日の午前10時過ぎ、僕は妻への連絡事項を思い出し、携帯をダイヤルした。
普段、自動車の運転中は電話に出ない妻が珍しく受話器をとり連絡事項の
申し送りは進んだ。
話を全て終え受話器を置こうとした時に発作は起こった。
体が分裂したような幽体離脱と言ってもいい奇妙な感覚に襲われた。
そして意識がどんどん薄れていった。
電話口での私の態度が変だと思った妻が家へ引きかえす途中、
お袋に電話をし救急車を要請した。病院に運ばれる途中の私は、頭が
割れるように痛かったのであるが、あとでの医者の話に寄れば、
その時が脳内出血の状態であったそうである。
救急車が医大に着いてからの私の意識は殆どないあるいは判然としない。
数日が過ぎて意識が戻った。頭蓋骨を切開しないでの治療となった。
(妻によれば)通常、二or三ケ月が完治迄に要する期間だそうで、
その意味では、大変に早く回復しつつあるといえる。

08/11/11 (火) 無題

昨日に転院した。今度は家から近いので何かと便利である。
倒れた時に決算審査特別委員会は既に始まっていた。三度目から委員会に出席できなかったのは、大変に申し訳ないと思っている。
体はほぼ倒れる前に戻った。ただ右側下半身の力が相対的に今少し弱いのでリハビリが必要だ。
言語に関しては固有名詞に関する記憶力の脆弱性がまだ課題として
残っておりリハビリの課題でもあるとのこと。
頭蓋骨切開をしなかったので脳にこびりついているせいもあり、月日がこれをきれいに洗い流していくだろうとも言われた。
脳が被害を受けたので、現在の状態がどうであれ、復帰には慎重の上にも慎重な態度が必要だと、何度も言われている。