2009年04月


09/04/30 (木) 昨日の一日


★昨日は、随分とあわただしい一日だった。
昼間は芦原祭りの会場周辺を糸川さんと一緒に5、6人で歩いた。糸川さんも顔が結構知られてきたみたいで会場の雑踏のなかから声が沢山かかっていた。


すき間を縫って自分自身の所用をこなした私は、夕刻にはあるひとの御通夜会場へ。そこで思いもかけない何人かの人と会った。人間関係は複雑にいりくんでいると思った。


御通夜会場を抜けてからは福井市へ。
私の妻のお母さんの仮通夜が営まれている。まことに「朝に紅顔の美少年 夕べに白骨となる」(蓮如)だ。
最近よく思うことに、「死が生に浸潤し、生が死に浸潤している」がある。

 09/04/29 (水) 疲れて帰宅して


★肉親や親類のひとの死が続いて、歌の台詞ではないが、「人生は出会いと別れの繰り返し」であることを実感している。
地球上には数十億の人間がいるが、自分が生を受けてから知り合ったひとはその中で極めてわずかである。商売柄私は知っているひとの数よりも知られているひとの数のほうが多少は多いのだろうが、極めてわずかであることに変わりはない。


若い頃は身近な友人が亡くなると、夜毎にそのひとを偲び、ありし日のそのひとが走馬灯のようにアタマの中を巡ったものだ。それが、馬食を重ねるにつれ、「ああ・・あのひとにもお迎えがきたか」という淡々心に変化してきた。
しかしながら、妻のお母さんの場合はやはり違う。お母さんが亡くなった昨日、生前に私にかたってくれた幾つかのことを私は感傷的に反芻していた。


「こういう感性が愛する妻の原点なのか」と何度も思ったものだ。女性には大変におくての私は、妻以外の女性を知らない。
しかしそれが女性というものをわからないということには必ずしもならないぞ
と私は思うのである。
1000人の女性を知るよりも、ひとりの女性を知り抜くことが、女性存在をより深く知ることに繋がると思うのである。

09/04/28 (火) 本日は全協


★本日は全協(全員協議会)が開かれる。
普通の年であれば、定例会は6月なのだが、今年の6月には市議会選挙が予定されており(6月14日告示・21日投票)、そのために定例会が5月にスライドするためである。


★金津南部区画整理事業に伴う街区公園整備の進捗状況。



★午前5時半の日の出。



きょうがどういう日になるのやら。


★専教寺(柿原)の石碑。午前6時に撮影。



念ずれば花ひらく(真民)と書いてあるが、念じても花ひらかない場合など沢山ある。
ひらくひらかないは結果であり、結果に踊らされるな念ずること自体が大切なのだということだろう。


★妻のお母さんが亡くなった。
退院したばかりのお袋を連れて二の宮の自宅に行き、安らかな死顔に合掌した。
結婚数年後の私に語ったお母さんの言葉をはっきりと覚えている。


「孝男さん、子供はな、生後一年間で親孝行をすませてしまう。どんな極悪人でも生後一年間の屈託の無い笑顔は文句なしの笑顔や。その後子供がどういう人生を歩もうといいじゃないですか。親孝行を既に済ませている我が子に何かを望むというのは、ないものねだりですよ」という言葉だった。

09/04/26 (日) 雨音はショパンの調べ


隣室に 書(ふみ)よむ子らの声きけば
        心に沁みて 生きたかりけり
   島木赤彦


昨晩の9時過ぎに帰宅すると、息子と娘が何やら一生懸命話しこんでいる。
そばへ行ったわけではないので話のテーマはわからなかったが、横目でその姿を見ていたときに、「隣室に・・・」の歌を思い出した。
兄妹で何やらを話し込んでいる中身は恐らく相談事であり、それはお互いの信頼感なしには成立しないもの。
そう思うと嬉しくなり、<心に沁みて 生きたかりけり>となったわけである。


★今朝はものすごい風雨だった。蝙蝠傘の骨組みが強風でひしゃげてしまい、ズボンもスーツもずぶぬれになってしまった。急いで帰宅し着替えてから電気炬燵にもぐりこんだ。
つい数日前までは初夏のような日々が続いていたのに、ここ数日は冬に逆戻りしたみたい。異常気象が異常気象でなくなりつつある。正常と異常の境目も又なくなりつつあるのかもしれない。


電気炬燵で体温を暖めてから、吉崎へ車を走らせた。Gobou市を見たかったからである。しかし吉崎も風雨が強く、出店を見合わせた店が幾つかあったそうだ。イベントの関係者によれば、かっての蓮如忌の賑わいを少しでも偲んでもらうのが狙いのひとつとのこと。今からの行政はハード事業よりもソフト事業に軸足を移さなければならないという意見には同感だった。


★午後2時には、金津創作の森・アートコア・ミュージアムー2へプロムナードコンサート「作曲家達の見た春」を聴きに行った。
一時間という短時間ではあったが、フルート演奏やピアノ演奏に心が洗われた。
心が洗われたのは演奏者達の技量によることは勿論なのだけれども、昨年11月の退院以来始めてのコンサート出席で非常に印象深かったことにもよる。

09/04/25 (土) 外は雨


★昨日会ったひとから線維筋痛症のことを聞いた。この病気に対応できる医者あるいは医療機関は福井県内にはなく、二週間に一度ずつ石川県に通院のため通っているそうだ。
ストレスが肉体的な痛みに転化し、その痛みがずっと続くという説明を聞いた。精神の刺激が肉体の刺激に変化するという、非合理といえば非合理だがじっくり考えると合理的と思える症状だ。
昨晩妻にその病気のことを話したら「知っている」と言われたし、今朝某医師に言ったら「知っている」と言われた。
要するにプロは知っているが、我々素人には認知されていない病気で、世の中にはそういう病気が多いのだろうと思う。


★今朝は三人で某病院に行った。共通の友人の見舞いである。
昔は「人間50年、下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなり ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」と言われた。しかし今日(こんにち)の人間は違う。50才代60才代は元気ざかり働きざかりだ。

一応はそういえるのだが、50を超えた人間はいろいろな支障が体にでやすくなっているのも事実である。


病院からの帰途、三人で蕎麦を食べに行った。更科蕎麦である。
他のふたりは三杯食べたが、私は二杯がせいいっぱいだった。
「一汁一菜。腹八分目」を目標としている私だ。そして徐々にそれに近づいているのだろう。


★散髪を終えて昼過ぎに帰宅したが、午前中に雨の中を動きまわったせいか、体が冷えてしかたない。ガクガクする。
風呂をわかしてどんぶりことつかりこんだ。
足の指先から頭のてっぺんまでを丁寧に洗い、ダーバンのバスタオルで体をふいたあと真っ白の真新しい下着に身をつつんだ。


熱い白湯を飲んだあと、電気毛布に入って藤沢周平を読んでいた。いつしか眠りの世界に入り目覚めるともう夕方になっている。

09/04/24 (金) アルコール


★昨晩遅くに帰宅したら妻が「お父さん、スマップの草なぎさんが公然猥褻罪で捕まった」と言う。
なんでも、深夜の公園で全裸になってひとりで騒いでいたらしい。
深夜の公園ならば人影もなく、公然猥褻罪は適用されないのではないかと思ったが、住宅密集地の場合にはどこかから見られている可能性が高いのでこの罪が適用されるとのこと。


問題は草なぎ某が、ビールと焼酎をしこたま飲んで、配慮を怠ってしまったことだろう。
適度のアルコール摂取はひとを陽気にさせる効果を持っているけれども、過度のアルコール摂取は常識や理性をどこかへ吹き飛ばしてしまう。

09/04/23 (木) 深夜ラジオを聴きながら


★先日の20日に教育厚生常任委員会と総務常任委員会の合同協議会が開かれた。私は委員会のメンバーではないので協議会の内容詳細を知らないが、何でも旧芦原庁舎の利活用の方法がメインテーマになったとのこと。


旧金津町と旧芦原町が合併してから5年が経過した。
その間、市が旧芦原庁舎の地主に対して地代を払い続けていることを考えると、早く利活用の方法を決定しなければならないと思う。
解体撤去の声もあるようだが、確か昭和56年施工と比較的新しく建物自体の利用価値は充分にあると思う。


★深夜ラジオからビートルズのヒット曲が流れている。ジョン・レノンは暗殺されてしまったし、他のメンバーは今頃何をしているのだろう。
ちなみに、私の一番好きな曲は「イエスタデイ」です。

09/04/22 (水) 未明に熱々珈琲を飲みながら


★昨日は沢山のひとが事務所を来訪したし、外でも複数のひとと会った。そして昨日の総括として、「自分が思う自分とひとから見える自分との間には(大きな)落差がある」と思った。


元来が私は、自分がどう思っているかに重点をおき、これを言ったらひとからどう思われるかについては二義的とするタイプだ。しかし、それによる功罪がどういうかたちで出てくるかが、よくわかった。
そして、自分だけで悩むのではなく、ひとに悩みや気になっていることを打ち明けることで光明の見えてくることも実感した。


いずれにせよ、一日一日を悔いなく生きていきたい。


★久し振りにこのホームページのクリック数を覗いてみた。総クリック数がΣ46万に近づいている。
何度か書いたことだが
金津町議になって二年目の夏に、町議選でウグイス嬢をしていただいた人の夫から「議員になったからにはホームページで日記をつけなあかんよ」と言われ、そのひとにホームページの骨格をつくっていただき、日記をつけ始めた。
そのうち、ホームページの市販ソフトを購入し、自分でスタイルを自由に決めるようにした。その時同僚だった町議の山下さん(この人を私は尊敬している)のホームページもつくり、つまり金津町議時代にはふたりのホームページ日記があった。
インターネットに詳しい幾人もの友人に、当時の私はいろんな教えを請うた。本当にありがとうございました。いくら感謝しても感謝し足りない気分です。
ともあれ、
議員をしている間はこの日記を書きつづけようと思っているので、少なくともあと二ヶ月は書き続けることになります。駄文日記を読んでくださるみなさん、本当にありがとうございます。

09/04/21 (火) 無縁坂


★深夜ラジオから流れてくる「無縁坂」(さだまさし)を聴いているうち、妙に透明な気持ちになった。


母がまだ若い頃 僕の手をひいて
この坂を登る度(たび) いつもため息をついた
ため息をつけば それで済む
(うしろ)だけは見ちゃだめと
笑ってた白い手は とてもやわらかだった
運がいいとか 悪いとか
人は時々口にするけど
そういうことって確かにあると
あなたを見ててそう思う
忍ぶ 不忍(しのばず) 無縁坂 かみしめる様な
ささやかな 僕の母の人生

いつかしら僕よりも 母は小さくなった
知らぬまに白い手は とても小さくなった
母はすべてを 暦に刻んで
流して来たんだろう
悲しさや苦しさは きっとあったはずなのに
運がいいとか 悪いとか
人は時々口にするけど
めぐる暦は季節の中で
漂いながら過ぎてゆく
忍ぶ 不忍(しのばず) 無縁坂 かみしめる様な
ささやかな 僕の母の人生



この歌詞にあるように、私のお袋もいつのまにか腰が曲がってしまった。
この歌詞にあるように、彼女はとてもささやかな人生を今までに送ってきたしこれからも送っていくだろう。理屈をいうタイプではなく典型的な庶民である


私ら市議にもしも存在価値があるとするならば
それは物言わぬ庶民のそういう声に耳を傾けること
だと思うのである。


★昨日、体にマヒを持つひとと話をしていた時に感じたことだが
障害者あるいは「障害」という言葉は、「健常」に対比される言葉だ。
しかし、例えば「病気」ならば治療の対象あるいは克服の
対象と考えられるのに対し、「障害」となると、そのひと自身の肉体的な属性の一部と考えるのが自然だ。
もっと言うならば、個性と考えるべきだと思った。


09/04/20 (月) 春爛漫


★あわら市内に花が咲き誇り、どこを歩いても春爛漫で、心がうきうきする。
ところで、私の好きな春の歌というとこれである。


岩そそぐ 垂水のうへのさわらびの
       萌え出づる春に なりにけるかな    志貴皇子



志貴皇子は、確か天智天皇の嫡子だ。
万葉時代の貴族というのは(ラジオもテレビも新聞も勿論インターネットもなかったせいで)自然の移り変わりに対するアンテナがたかかった。
目に見える春も春だけれど、歌の文字面には詠み手の自己が表出されていてその分だけ深みがある。


★北潟湖をまたいで昇る朝陽。とても大きく見えた。



★早朝に旧芦原町の某所を歩いていた時、子犬と一緒に散歩中のご婦人とすれ違った。
癖なので挨拶しようとしたら、「よく存じております。ケーブルテレビでいつもしゃべっていますがね」と言われた。あわら市内におけるケーブルテレビ加入率の詳細数値は忘れてしまったが、見ているひとも意外に多いのかもしれない、と思った。

 09/04/19 (日) 昨晩


★昨晩の事務所は来客6人による討論の場となった。テーマは6月市議選。
皆さん思いの丈をしゃべているうち深夜の零時が近づき、散会となった。


自宅に戻り・浅田次郎をしばらく読みふけった。浅田次郎の小説に登場する人物は奇妙にペーソスを持っている。そして私はペーソスを持つ人間が大好きだ。
そこへ妻が帰ってきた。妻は大変に忙しい人なので根詰めた話をする時間は滅多にとれないが、久し振りに時間を共有できたので、気になっていることについての相談をした。
どこの家でもそうなのだろうが、自分の裏面を一番詳しく知っているのは配偶者だ。

 09/04/18 (土) もう週末か


★昨日は坂井地区・福井地区を挨拶廻りする一日だった。数日続いていた小雨もあがり青空の広がる一日となったので、元気よく気持ちよくまわることができた。


挨拶まわりを終えて事務所に戻った夕刻、数人の来訪者があった。そのあと自宅へ戻ろうとしていた矢先、携帯電話が鳴った。
お袋からのもので、「入院した」という。やっぱりかと思いつついろいろしゃべってから受話器を置いた。


自分のことにしろ家族のことにしろ世界のことにしろ、一瞬先は闇である。何があってもおかしくはない。はやい話、あしたに世界は消滅するかもしれない。
ということで
昨年の秋から私は「ケセラセラ」を座右の銘としている。ケセラセラつまりなるようになるさと思うことが大切だ。


★今朝の6時。河間河水苑で見かけた花畑。



立札を見る限り、個人所有ではなくて、苑の共有財産みたいだ。
いずれにしろ、花畑にたたずむと、気が晴れます。


★本日の昼。「城」で見た竹薮。



「城」には沢山の竹薮がある。


★夕刻に芦原観光会館駐車場で見た桜。



八重桜だ。今が満開です。


09/04/17 (金) 未明に


★昨日の昼の来訪者との話のメインテーマは、中学生のこととなった。中学生が地域と結びついていなければならないというものだった。


例えば私が中学生であった頃、毎日は家の手伝い仕事に追いまくられるものであったし、必然的に地域あるいは大人の世界との結びつきがあった。
それは教育理念がそれを可能にしたというものではなく、社会全体が物質的にまだ貧しかったことからくる時代の要請であった。
現代は違う。物質的には何不自由のない生活が保証され、親が子に家庭内外の仕事を命じる領域がなくなってしまった。子のターゲットは勉強や部活の切磋琢磨に移行した。
それはそれでいいのかもしれないが、中学生にとって一番大切なものは、勉強や部活のあわいにあるもの、数値で測ることのできないもののなかにある、と私は思う。


★数年前から思ってきたことのひとつに、「事務所をミニ放送スタジオにする」がある。
本日の来訪者のうちのひとりがその方面の知識に長けたひとだったのでその旨を相談したら、「サーバーの機械を設置することが第一歩」と言われた。
実現するかどうかはわからないが、少なくとも「実現させよう」という意思を持っていなければ話は進まない。

09/04/16 (木) 肌寒い深夜


★昨日、私の事務所には終日誰かが居た。
こういうふうな日記を毎日書いていると、私はノーテンキなおじさんというふうに映るらしく、心配して訪ねてきてくださるのだから、ありがたいなあと思うしかない。


★吉崎のひとから頂いたチラシをアップした。
吉崎は、15世紀に蓮如が浄土真宗を布教した拠点だ。真宗の創業者は親鸞であり、蓮如は「中興の祖」と呼ばれている。よって、吉崎は金津町時代から「蓮如の里」として有名な場所である。毎春に行なわれるふるさとウオークの終点が吉崎の御山であり、そこで吉崎神楽が披露される。
とにかく吉崎はあわら市にとって大切な場所のひとつである。


★昨日の夕刻に、お袋から電話があった。
「夕食仕度の途中にひっくり返って、腰と頭を強打した。今から近くの病院に行ってくる」というものだった。病院から帰ってきたお袋に仔細を聞くと、「頭に大きなコブができた。腰の骨に異常がある」という説明だった。娘が翌日の米の洗浄をし、その途中に病院から帰ってきた妻に流れを報告した。
毎日、何が起こるかわからない。

09/04/15 (水) 印象に残ったこと


★昨日は、午前中も午後も出ずっぱりだった。何人ものひとに会ったのだが、一番印象に残ったのは、某保育士との1時間半に渡る会話だった。


市外保育所に勤めるそのひとから、昨今の親のありようをいろいろ聞かされた。親が変わってきていると聞かされた。

少子化が進む背景に、核家族化の進行と女性の社会進出がある。
それをサポートするのが保育所であったはずで、勿論その役割が生きているのも確かだが、先ずは親が本来子に教えなければならないいくつかを保育所に求めるつまり親が自身の役割を放棄するような傾向が出てきている、という話を具体例に即して聞いた。
子育て支援の一時金が国から支給されるが、そういうお金は本来親の再教育に回されるべきだというその保育士の意見は、大変に説得力のあるものと、私には思えた。


★本日午前6時の北潟湖畔。



写真ではわかりにくいけれども、岸辺の桜は既に散り始めている。


世の中に 絶えて桜の なかりせば
   春のこころは のどけからまし  在原業平
   である。

 09/04/14 (火) 熱々珈琲を飲みながら


★「女の涙は雄弁」というもの言いがある。この言い方が男女差別に繋がるということで物議をかもしたのが、確か橋本龍太郎内閣の時だった。


男でも女でも「涙は雄弁」と思ったのが昨夜だった。
プライベートなことなので詳細は省くが、ひとが何かを他者に伝えようとする時、当然言葉を使う。使う言葉と感性が見合っていれば言葉は媒体として完結するが、感性が言葉の粋を超える時、例えば涙が出てくる。
涙自体が、言葉以上のものを訴えようとするので、それを目の当たりにした私たちは涙を雄弁と感じるのだ、と思う。


★本日は朝から小雨模様だ。


雨には忘れられない思い出がある。それは私が幼稚園児であった時のこと。
初夏のある日、私は縁側でねそべっていた。突然、夕立が降ってきた。
簾垂越しに、激しい雨滴が庭の鬼灯をうつのが見える。赤い鬼灯の実は、ハードパンチャーにたたかれるサンドバックのように右に左に揺れていた。
奇妙に印象的なシーンとして、私の記憶袋の引き出しに入っている。

 09/04/13 (月) 消防訓練


★昨日の早朝に、あわら消防団春季火災防ぎょ訓練が行なわれた。
私は集合時刻に現地に行ったのだが、市議は誰も来ていない。いつも遅く行くほうなので、「うーん、めずらしいこともあるもんや」と、変に感心しているうち、本当の理由がわかった。集合時刻を30分間間違えててしまったのである。
ま、はやく間違うのは、遅く間違うよりもずっといい。




早朝なので寒いなかでの訓練だった。あわら市内での昨年の出火件数は7件だが、その対応にはあわら消防団の日頃の地道な訓練が生きているのである。


★本日の午後に、部屋の大掃除をした。スチールデスクの引き出しから毛糸の手編み手袋が出てきて、わたしはとても驚いた。
ザルツブルグ音楽院時代にハイジから贈られたプレゼントの品である。
思わず外に出て、白山連邦を眺めた。
アルプスの山々は、40年前も今も同じなのだろうか。

 09/04/12 (日) 無題


日記を、しばらく休みます。


・・・今朝こう書いたのは
@書き続けることに疲れた。
A書くことに、なにか意味があるんだろうか?
というふたつの理由に拠るものだった。
けれども午前中にかかってきた固定電話の幾つかが、「牧田からHP日記をとったら、なんにも残らんが・・。書き続けるべし」というものだった。実はこれをとっても残るものが別にひとつあるのだが、謙虚な私は言わない。


かかってきた電話はいづれも県外からのものだった。つまりインターネット日記には遠距離間速報的情報交換という属性がある。
そうであれば、自分の気分だけで休むのはよくないなあと思った。
反省です

09/04/11 (土) 快晴の土曜日


昨晩は看護師三人が来た。ボーカルグループ・グリーンの「歩み」という歌の手話を教えてほしいというものだった。なんでも、新人看護師達の歓迎レセプションで、その歌の手話コーラスを披露するのだそうだ。
勿論私は、そのグループがどんなグループなのか「歩み」がどんな歌なのか、全く知らない。
歌詞ペーパーをもらっていたので、夕刻に向ヶ丘在住のベテラン通訳士・Sさん宅を訪ね、事前学習にいそしんだ。そのかいあって、昨晩はまあまあうまくいったと思う。
帰り際、看護師たちはあわら湯のまち駅前の「屋台村」に行くというので、私も一瞬同行しようかと思ったが、疲れがたまっていたのでやめた。


そういえば、今晩も手話関係の集まりがある。もう手話からサヨナラしたいと思ったことも何回かあるが、恐らく関係は死ぬまで続くのだろう。「郷土の歴史探索」と「手話」は私がとても身近に感じているもので、それを趣味といえるのかどうかはしらない。

09/04/10 (金) やがて悲しき


 おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな  
                       芭蕉



何かを理解する時、「頭で理解する」場合と「体で理解する」場合があるますが、芭蕉の有名なこの句は、今の私にとって完全に後者です。
その理由はいろいろありますが、要するに素地がそうなってきたということでしょう。


★午後6時ぎ。分刻みだった本日の予定が全て終わった。あとは6時半に手話のことを聞きに来る二人組がいるだけだ。
本日の起床時刻は午前3時半だったので、疲れと眠気が交錯した。その間に相談の電話が何本かあった。
やっぱり人間やね。一番好きなのも人間やし、一番嫌いなのも人間です。

 09/04/09 (木) 気持ちのいい朝


昨夕に某新聞記者が来訪。いろんな話をした。その間に何人かの知人が来訪。
夕刻に皆が帰ってから空腹を感じた私は、インスタントラーメン・「エースコックのワンタンメン」を食べた。インスタントものを滅多に口にしない私だが、久し振りに食べたらおいしかった。
夜は「手話のことで調べてほしい」という依頼が入った。今度来るそうだ。私が手話をやり始めたのはかれこれ30年前。10年一昔と言うから、三昔前ということになる。決して真面目一途ではなかったけれども、継続できた自分を自分で誉めてあげたい。


★午前6時の井江葦桜並木。



古今集だったと思うが
世の中に 絶えて桜の なかりせば
       いかにこの世は 楽しからまし
   という歌がある。

これは桜に対する愛情を逆説的に唄った歌である。
つまり
桜は花が開いてから一週間も経たないうちに散ってしまう。その度に悲しさを味わわなくてはならない。いっそ桜がこの世に無かったら、別離の悲しみを味わわなくていいのになあ。・・・くらいの意味だろう。

 09/04/08 (水) いやな気分


私は、統合派の議員たちが「あわら中改築は駄目だ」と改修に固執することの意味がわからなかった。最初から最後までわからなかった。でも、某議員が配布しているチラシのなかの下記箇所を読んで、その意味がわかったような気がする。


私たちは芦原中学校を建ててはいけないとは一言も言っておりません
「私達は2校を認めるので芦原中を山の下へ建てて頂きたいと言ってまいりました。山の下へ新築すれば良いと言っているのにもかかわらず、何故かたくなに山の上にこだわるのでしょうか?
そこには一握りの地権者、受益者の思いを代弁しているとしか思えません中学校建設調査検討委員会では統合中は重義・坂の下、地係へ決定されていました。私はこの地へ芦原中を建てて頂きたいと言ってまいりました。・・・」



確かに、統合派のうちの数人の議員がそういうことを言っていたような気がする。しかし私がびっくりしたのは、「・・統合中は重義・坂の下、地係へ決定されていました。・・」のくだりだ。

二年前に市長選が行なわれた時点で、検討委員会は候補地の検討をしている段階であり、決定以前であったことはその時私が教育委員会に確かめもしたので明らかだ。だけど内々の密約としてそういうものがあったんだとしたら、坂の下区の住人である私が2校派を標榜することに対していろいろ言われたこともうなづける。


はじめからそういうことが決まっていたのならば、検討委員会のメンバーに対する背信行為となるのではないか。
更には
そういう情報が統合派議員のところで秘密扱いされ、2校派議員には一切の情報がいかないようにされていたというしかない

 09/04/07 (火) 無題


昨晩の来訪者との話のなかで、私は「自分がすごく変わった」ということを訴えたのだが、相手は「気質を掌るのは脳や」という。脳の機能が修正されれば、何かに対する見方も確かに変わってくる。


その時、友人との昼間の会話を思い出した。
コンプレックスという言葉があって、普通は劣等感という意味で使われる。
けれども、ものの本によると、コンプレックスは複合的な意味を持っている。
即ちコンプレックスという言葉はインフェリオリテイ(劣性)とスペリオリテイ(優性)の対極を合わせ持つ。劣性意識が強ければ、その分だけ優性意識が強くなるということであり、そのことで煩悶をかかえこむことになる。
「心を無にして」という言い方があるが、私は無=自然体だと思うし、それができれば意識が随分とらくになるはずだと思うのである。


★昨晩は、布団のなかで、可能性というものについて考えていた。昨日が小中の入学式だったから「おおいなる可能性」というあるいはそれに似た言葉が飛び交っていたのだが、夭折した詩人・寺山修司は次のような言葉をはいている。


「生きていくということは、可能性のひとつひとつを消しゴムで消していく行為である」
・・・もっともだ、と思った私は二十年程前に担当していた某高校の特別授業でそっくりそのままをしゃべった。
そしたら担任の先生から「生徒たちの夢を奪うようなこと言わないでください」ときついおしかりを受けてしまった(笑)。

09/04/06 (月) 花見


昨日は花見の宴。桜は3分咲きだが、しかし花見の宴だった。
宴だから目の前に酒がある。日頃は酒を飲まなくなっているけれども、目の前に酒があるので昔の自分が戻ってきてしまった。


昔の自分とは
@隣席などから酒を勧められたら、決して断らない。
@隣席などからいろいろ説教を受ける(何故かいつもそうだ)時、唇に微笑を蓄えながら寡黙に頷き続ける。
@日頃堅いのだが、ちょっとだけエッチなこともしゃべる。
@わけもなく世の中が楽しく感じられてくる。日頃の無愛想顔がニコニコ顔に変わる。


全くそのとおりとなった花見の宴だった。


★本日挙行された
金津幼稚園入園式風景



金津小学校入学式風景



金津中学校入学式風景

09/04/05 (日) 今朝は地区の花見会


私には好きな先生がふたりいた。小学校上級学年で担任だった先生と、高校時代担任だった先生である。小学校時代の先生は、没後既に30年経つが、高校時代の担任はまだご存命。
二ヶ月程前にある会合で、高校時代の担任と30年ぶりに再会した。そんなはずはないのだが、容貌や発揮エネルギーが当時そのままで、それが私にはとても嬉しかった。嬉しかったと同時に、「歳をとる」ということがどういうことなのかよくわからないなあ、と思った。


見知らぬひとを見て、年齢を推定できるのは何故なのだろう。肌の荒れ具合だとすると、私なんぞ20代から荒れまくっていたし、声の抑揚に年齢に応じた違いがあるとは思えない。表情や声の総合性としかいいようがないのではないか。
先般、ある宴席に出た時に隣席のひとから「60歳とはとても思えない。40歳代後半に見えます」と言われてびっくりしたのを、思いだす。


★本日午前6時前の太陽。



かすんで見えるのは濃い靄が発生していた為です。


09/04/04 (土) 深夜も暖かくなってきた昨今


市政関係掲示版とは別に、街で出会ったひとからあるいはメールなどで、「議会最終日のケーブルテレビ29ch放映を例えばこのHPで流すことができないか。」という声をよく聴く。29chの加入率の低さを考えた場合、そういう声があがってもおかしくはないのである。
そこで識者にその可能性を聞いてみた。


先ず、29chでの放映時間は3時間39分である。仮に55を超える行政側提出の議案の賛否状況をカットして議員や市長の語りだけに焦点を当てるにしても、動画配信で1時間半くらいは必要となるだろう。
しかし例えば私がコンテンツ「動画」に使っている「らくちんFLVメーカー」でも一回に載せることのできるメガ数は限定されていてせいぜい数分である。「youtube」にしたところで一回分放映時間は10分間が関の山ではないだろうか。
もう少し無い知恵をしぼってみたい。


★テレビといえば、殆どテレビを見ることのない私だけれども、昨夜はたまたまテレビでプロ野球・巨人vs広島を観戦していた。阪神タイガース大好きおじさんの私だけれども、次に好きなのが広島カープだ(前田やね。ホームランを打ってもニコリともせず渋面で塁をまわるバットの職人・前田の存在による)。
加えて言えば
レギュラー野手に東出(敦賀気比高出身)、天谷(福井商業高出身)がいる。
さらに8回に登板した横山も福井商業高出身なのである。
そして、昨夜は広島カープの快勝だった。巨人にたちはだかるチームの一番手を阪神タイガースとするならば、二番手は広島カープだ。そこで、いいかげんと言えばいいかげんなファン心理だが、私は阪神を一番手ファンチーム、広島を二番手ファンチームとして今季のプロ野球を見ていきたい。

 09/04/03 (金) 金曜日の朝に


昨日の昼も何人かの来訪者があった。いろんな意見を拝聴したが、共通しているのは「今の議会はあかん」ということだった。
その代表格が、中学校問題でありその進捗状況に対する叱責でもあった。


この問題は5年前の合併時までさかのぼる。合併協議会のなかで、芦原中学校の改築が承認された。しかしながら合併のあと、当時の松木市長は統合中学校建設を前面にうちだした。所管の委員会つまり教育厚生常任委員会では2校派が統合派よりも多かったにも関わらずである。いろいろなことがあって所管委員会とは逆に本会議では統合派が多数をしめ、統合中学校建設が議会承認された(何故そうなったかその裏側でどの議員がどうしたかの噂をたくさん聞いたがそれを書くのは本意ではないので差し控える)。その時点で2校を残すことや芦原中学校改築を求める市民の会・「2校を守る会」が動き始めた。その署名運動の成果が市庁舎に持ち込まれたあと、当時の市長は辞職し前倒し市長選に臨んだ。選挙の結果、「2校派市長」が当選し、この時点で行政側と議会側でねじれ現象が成立した。
2校維持は翌年の議会でやっと承認されたが、現在の議会にそのねじれが強く反映されているのは、間違いないだろう。


★今朝6時半の風景。



幹線道路沿いではあるが、林入口の人目につきにくい場所。こういうところに卑怯な奴らがゴミを不法投棄する。

 09/04/02 (木) 昨日のこと


昨晩は、福井市内で開かれた政経パーテイに出席。講師は沖縄選出の国会議員・下地幹朗氏(国民新党)だった。



「基地の島・沖縄はそのまま日本の縮図である」が冒頭の言葉で、長時間のしゃべりであったにも関わらず退屈を感じさせなかった。げに、政治家に必要なものは容姿でもなければ金でもない、話術なのだと私は思った。沖縄の話が出ていたので、講演が終わってから、私がかって生活したことのある島・沖永良部島の話を、氏に対してしばらくした。


午後9時に自宅に戻り、妻から、実家のお母さんの健康状態のことを聞いた。
心の健康であれ体の健康であれ、「健康は大事」が私の座右の銘となっているので、大変に気になる。時間をとることが出来たら、週末までに見舞いに行ってこようと思う。


★注文していた遠近両用眼鏡ができあがった。遠くをみてもぶれない。ぶれないことはとても大切なことだと思う。
目は遠近両用眼鏡と点眼目薬、鼻はスーパーステイックで私の健康維持体制はできあがった。


★今朝、何故か私は北潟湖畔にいたのだが、突然みぞれが降りはじめた。



「正月松の内」に戻ったような燐とした気分になりました。

 09/04/01 (水) きょうから四月


★当たり前の話だけれども、今回議会最終日の動きには、ほとほと嫌気がさしてしまった。議会は数の力で動くし、少数派はそれに従わなければならないのは当然だが、それにしたところで説明責任が不可欠である。
説明責任の果たせない議決は、どうしても虚しく感じられる。


★本日も、いろいろなスケヂュールがつまっている。もう少しゆったりした日々を送りたいと思うのだが、それが許される環境ではない、ということか。
しかし、そういう思惑とは別に、春うららの季節が巡ってきた。郊外や里山で桜花が色づきはじめている。


桜というと、この歌だ。
敷島の 大和心を 人問わば
      朝日に匂う 山桜花    本居宣長


★昭和20年のきょう、米軍が沖縄の嘉手納付近に上陸して、沖縄本島は住民をまき込んだ殺戮戦の場所となった。
数回行った沖縄の地で、戦争の爪跡をいろいろ見たし、若かった頃の数十日間を生活していた沖永良部島でも、土地の古老から悲惨のいろいろを聞いた。


北朝鮮による「テポドン2号」発射を間近に控え高まっている緊張感は
、それが戦争へのイントロになるのではないかというゼロとは言わぬ可能性からくるものでもあると思う。